閑話 にぶい
「なるほど。魔の森の方角からゴブリンの群れが……」
「村長は魔物の森のドラゴンを恐れて逃げてきているんじゃないかと」
「ドラゴン? ……ドラゴンの信憑性はともかく。ゴブリンの習性からして、襲撃が一度で終わるとは思えないね」
「はい。一度目は何とか撃退できましたが、ケガ人も多くて……」
馬車の側で詳しい話を聞くレディだった。
ちなみに。ゴブリンに襲われていた男性は先ほどまでタメ口だったのだが、レディがAランク冒険者だと知ってから敬語になっていた。
「――うん、それじゃあ、助けに行こうか。どちらにせよ魔の森への道中だからね」
「ほ、ほんとですか!? い、いやしかし、Aランク冒険者様にお支払いできるほどの報酬は……」
「ははは、気にすることはないよ。魔の森に向かう途中にちょっと寄るだけだからね」
「あ、ありがとうございます!」
感激し咽び泣く男性と、そんな彼の肩に手を添えるレディ。何とも感動的な場面だが、クルスとしては「えぇ……」となってしまう。
困っている人を助ける。何とも立派なことだが、報酬なしというのはいただけない。そんなことを繰り返せば誰も彼もが人情に頼って仕事を依頼してくるだろう。そしてこちらが断れば「なんて酷い! 血も涙もないのか!」と批難してくるのだ。
憮然とするクルスに対し、商会長のガルが小声で話しかけてくる。
「諦めな。嬢ちゃんはああいう女だ」
「しかし、いくら彼女が強くとも、ゴブリンの群れ相手では死亡する可能性があります。冒険者として正式な依頼を受けたならとにかく、無報酬でなんて……」
「ははっ、こういうときはあれだ、『高貴なる者の義務』だと思って納得するんだな」
「ノブレス……」
クルスからしてみれば理解しがたい概念であるが、それを体現している存在を彼はよく知っていた。
――王女ソフィー。
彼女は高貴なる者として、常に自らを律していた。自分のことより他人のこと。国と民のためなら自分すら押し殺す。ソフィーに仕えているからこそ、彼女のそれが偽善などではないことをクルスはよく知っている。
そんなソフィーと、目の前のレディには、確かな共通点があった。
「ま、諦めな」
バンバンとガルがクルスの背中を叩いてくる。
「嬢ちゃんはああいう人間だからな。口説き落とそうっていうのならその辺も受け入れてやることだ」
「……いえ、口説き落とそうなどとはしていませんが」
「けっ、あんなイチャイチャしていたくせによく言うぜ。いったい何度馬車から放り出してやろうと思ったことか……」
「いえそんなイチャイチャなど……」
していないはず、と否定したいクルスだが。振り返ってみればずいぶんと距離が近かったように思えてきてしまう。確かに端から見れば仲のいい恋人のようにも……。
(いやいや、いやいやいや)
ぶんぶんと首を振るクリスだった。こんな短期間で気になる女性ができるなど安直な性格すぎるだろうと。
そんな彼のささやかな抵抗を見て、ガルは呆れたように肩をすくめたのだった。
◇
そうして。馬車は再び進み始めた。
意外なことにガルはゴブリンに襲われた村へと馬車を走らせていた。彼の性格からして『儲けにならねぇ。助けるなら好きにしてくれ』とでも言い出しそうなものだったのだが。
(……彼は国王陛下からの密命を受けて動いているようだから、それ関連か?)
もしそうだとしても、クルスでは陛下がどういうつもりかなど推測することすらできないのだが。
それに。今の問題はガルの行動ではない。
今、馬車の荷台には村の男性もいるので、クルスはレディに対して『念話』を繋いだ。
(レディ、どういうつもりですか?)
(!? 驚いたね、念話というものか)
(はい。村の関係者がいるので思念で会話していただければと)
(……ふふふ、クルス君と深い繋がりが……。これは責任を取ってもらわないと……)
(レディ?)
(おっとそうだった。勝手な行動で怒らせてしまったかな?)
(いえ、怒ってなどいませんが……。どういうつもりです? 報酬もなしに助けるなど)
(そうだねぇ。いくつか理由を挙げるとすれば、報酬を要求しても回収の見込みがない。冒険者だから魔物は倒さなければならない。高貴なる者の義務。といったところかな?)
(それは……しかし……)
(おっと、もう一つ理由があった)
(もう一つ?)
(うん。――私が憧れた男性は、こういうときに決して逃げたりはしない。そう思うんだ)
(…………)
その憧れの男性とはアークのことだろうか? あるいは別の男性が……?
(ところで、)
クルスの悩みをぶった切るようにレディが尋ねた。
(クルス君は、どうするのかな? キミは無関係なのだし、私を村に降ろしたら魔の森に向かってくれても――)
(レディ一人残して去れるはずがないでしょう? 私も戦いますよ)
さも当然のように答えたクルス。
そんな彼を見て、レディは嬉しそうに頷いたのだった。




