第53話「黒い星の怪物」
いつも読んで下さる方々に感謝しております。
神威山の遥か上空に現れた、真っ黒な星の様な物体。
夜空よりも暗く巨大すぎる物体の全容は、地面から見ているだけでは全く掴めない。
天上に佇むその姿は、例えるならば光り無き暗黒の月と言ったところか。
星々の輝きすら拒絶する〈黒星〉。
見ていると心の強き者は恐怖を与えられ、心の弱き者は容赦なく押し潰される。
野生の動物達は、怯えて隠れて姿を消した。
森からは、虫の鳴き声が全て消えた。
辺りを支配するのは、無音の沈黙。
この環境を作り出したのは〈黒星〉だ。
正に不気味で、重圧的な存在。
そんな〈黒星〉の内側を見た全ての洞察、鑑定のアビリティを持つ冒険者と騎士達は、恐怖に震えた。
レベルと名前を、見ることができない。
星の内側に、何かが居るのは分かる。
だが読み取る事が出来ない。
どんなに相手のレベルが高くても。
どんなモンスターが相手でも。
アビリティが見抜けない事なんて、一度もなかったのに。
それとも動物的な本能が、ソレを見る事を拒否しているのか。
見てしまったら、壊れてしまうから。
ここにいる自分の心が、立ち直れないほどに砕け散ってしまうから。
ただ二つだけ分かることは〈黒星〉の外殻が〈暴食〉の悪魔で構成させれている事と、その内側に悪魔よりも邪悪で真っ黒な魔力を内包しているという事だけだった。
アレは、一体何なんだ。
蒼と真奈を含め、神威市にいる全ての見抜く目を持つ者達が、上空に出現した球体を凝視する。
そんな中で、不意にピシッと卵のように黒い星に小さな罅が入った。
小さな罅は次第に広がり、やがて全体に到達すると。
パリン、と呆気なく割れてしまう。
〈黒星〉から産まれ、上空から神威山の上空に現れたのは身長160センチ程の緑色の髪の黒いドレスを纏う少女だった。
しかし当然だが、普通の人間ではない。
捻れた2本の角。
背中から生えた6枚の漆黒の翼。
そして頭上に浮かぶ、真っ黒な輪っか。
ネックレスの力で〈着装〉して、純白の戦闘ドレスを身に纏った蒼は、洞察アビリティでようやく見ることのできたソレの名前を見て絶句した。
──〈怠惰の魔王〉ベルフェゴール。
レベル、測定不能。
種族、魔族。
「………………は?」
思わず、声が出る。
目の錯覚か、アビリティの不具合かと思った。
でもどれだけ目を擦っても、ソレの名前は変わらない。
隣にいる桃色の髪の少女、普段は無表情を崩さない真奈も驚愕して、その場で固まってしまっている。
蒼は額に大量の汗を浮かべて、この光景を見ているであろう黒髪金眼の少年に対して悪態を吐きたくなった。
おいおいおい、嘘だろネームレス!?
彼は、確かにサプライズと言った。
それと最高傑作だと。
だがしかしこれは、そんな可愛らしい表現をして良いモノじゃない。
開いたつぶらな瞳に宿るは〈金色〉。
身に纏うは神々しくも邪悪な魔力。
魔王ディザスターの時と同じ、そこにあるだけで否が応でも目が釘付けとなる存在感。
神威神社の本殿の屋根に、優雅にゆっくりと降り立ったソレは次の瞬間。
僕の目の前に、立っていた。
『これはこれは、天使様じゃないですか』
「ッ!」
真っ先に反応したのは、隣にいた黒漆だった。
彼は今までに見たことのない形相で右手に真紅の剣を召喚すると、魔族に特効効果のある上級光魔法を幾つも重ねて、魔法剣技〈極光斬〉を下段から上段に振り放つ。
正にそれは不意をついた必殺の一撃。
それをドレスを纏うベルフェゴールは、身体を少しだけ動かし、最小限の動きで回避してみせた。
だが黒漆は、止まらない。
上段に振り抜いた剣を途中で止めると、そこから〈極光斬〉を維持したまま舞うように魔王に斬撃を放っていく。
しかし、当たらない。
レベル90の黒漆が絶え間なく繰り出す高速の斬撃を、全て尽くベルフェゴールは楽しむように避けている。
例えるならば、戦いではなくダンスを楽しんでいる。そんな感じだ。
これは、加勢しなければ。
我に返った蒼は右手に真紅の剣を召喚すると駆け出し、黒漆の攻撃を避けて地面にしゃがんだ敵の隙を狙って、光と炎の上級魔法を重ねた上級魔法剣技〈煌炎斬〉で少女の細い首を狙って左から右に薙ぎ払う。
しかしベルフェゴールは笑ってみせると、灼熱の光を纏う刃を左手の人差し指と親指で挟んで受け止めた。
──剣技を指で止めるだと!?
どれだけ力を込めても、指で挟まれた剣は全くびくともしない。
驚く僕に、魔王は言う。
『ははは、天使様、狙いは悪くないんですが……』
魔王の動きが止まった。
これは、千載一遇の好機。
黒漆は極光斬に更に初級剣技〈ガードブレイク〉を乗せると、天から地に刃を振り下ろす。
蒼の剣を掴んでいるため、彼女は動けない。
だがその顔に浮かんだ余裕の笑みは、危機的状況だというのに全く変わらない。
今度は上段から迫る黒漆の斬撃を見据えると、彼女は右手を出して人差し指と中指で挟んで止めてしまう。
ベルフェゴールは小さなあくびをすると、まるで子供の相手をするように困った顔で苦笑した。
『お二方とも、あくびが出るほどに遅いです』
「く……ッ」
ドレスの下に隠された細い生足による鋭い一撃が黒漆を捉え、龍二達のいる鳥居まで蹴り飛ばす。
魔王の少女は蒼の剣を引き寄せると、端正な顔立ちを鼻息が掛かる程に近寄せ、頬を赤く染めた。
『ああ、愛しい天使。我の妃となり共に世界を支配しましょうぞ』
そう言って、僕にキスをしようとする少女。
此方に駆け寄る龍二が、それをさせまいと〈ティターンの大剣〉を手に、鋭い突きの上級剣技〈牙狼〉を放った。
横目で龍二を一瞥した魔王は、空いた右手の中指と親指に力を込めて、大剣の切っ先を中指だけで弾き飛ばす。
宙を舞い、地面を転がる龍二。
その一瞬の隙きをついて、優が空間転移で蒼の背後に出現。
右手で背中に触れて、再度発動した空間転移で、一気にその場から鳥居まで離脱した。
突如掴んでいた剣ごといなくなった蒼に、彼女は少々驚いた顔をする。
金髪碧眼の空間魔法の使い手、水無月優に対して物珍しそうな視線を向けると、魔王は笑った。
『ふむふむ、空間魔法とはこれまた珍しい』
「余裕をぶっこいていられるのも、今のうちなのじゃ〈怠惰の魔王〉ッ!」
猛る感情。
最大最強の敵を前にして、強大な魔力がアリスの身体から放たれる。
杖を振るう〈荒野の魔女〉の意思に呼応して、上空に展開された5つの魔法陣が五芒星を描いて繋がり、一つの巨大な魔法陣となった。
「上級光魔法、五重発動!」
夜空に完成したのは、光属性の多重合体魔法〈天照大神〉
それは本来ならば、最上位の魔法使い5人でなければ作り出すことのできない大魔法。
真奈の作った魔力強化薬を飲んでブーストした上で、アリスが所有するエクストラアビリティ〈複合魔法〉が無ければ成立しない、正に単独戦略魔法。
闇属性だけを祓う天の光が、天から地上に光の柱となって突き刺さる。
眩しすぎる光の奔流に、その場にいた誰もが目を閉じる。
ベルフェゴールは逃げ場もなく焼かれ、そのまま消えてくれる事をアリスは願った。
しかし長く降り注いだ光が消えると、そこに立っていたのは頭上に結界の魔法陣を展開した無傷の魔王の姿。
肌が焼けた様子など、少しもない。
ベルフェゴールは少々驚いた顔をして、アリスを見た。
『驚いた驚いた、まさか単独で5つも上級魔法を合体させるとは。人間にしては中々に愉快な事をする』
魔王は右手の人差し指に小さな魔法陣を展開させて、
『これは、ほんの少しのお返しだ』
放たれた閃光が、魔女の防衣を纏っているアリスの胸を貫いた。
膝を付き、吐血すると同時に防衣が解ける青髪の少女。
僕は慌てて彼女に回復魔法を使用した。
「アリス!」
「……ッ」
傷を癒やしながら、蒼は戦慄する。
今ので魔法防御が一番高いアリスの耐久値が、消し飛ばされた。
つまり魔法防御の低い者が食らえば、最悪の場合防衣の耐久値を超過して即死しかねない。
傷跡はないが、口から血を流すアリスに、魔王は笑いながら言った。
『拍子抜けだな。小娘とはかくも脆弱な生き物よ。よもやこの程度の児戯で膝をつくとは』
「……黙れなの」
ピキッと、ライバルを馬鹿にされてキレた真奈が、右手を地面に翳す。
そこに描くは召喚陣。
選ぶは魔を討ち払う世界の守護天使〈セラフィム〉のソウル。
真奈は呼び掛けに応え現れた光り輝くソウルを両手でそっと包むと、錬金術を発動。
〈セラフィム〉を装備として纏い、背中から6枚の光の翼を生やすと、右手に破邪の剣を持った〈天の騎士〉となった。
真奈と守護天使の魔力が合わさり、相乗効果となって大地を震わす。
これが、召喚術と錬金術の複合技〈召喚武装〉。
信頼関係を築いた召喚獣達の許可を得て、その力を錬金術で装備として自分と一つにする〈万能の賢者〉葉月真奈が独自に作り出した最強の戦闘スタイルだ。
魔王にも引けを取らない存在感に、ベルフェゴールは目を見張った。
『これは、驚天動地……!?』
「八つ裂きの刑なの」
光速で距離を詰めて放つ真奈の斬撃を、避けれないと判断したベルフェゴールは、先程の黒漆達と同様に素手で受け止める。
だが破邪の力を宿す剣に触れた魔王の指からは、焼けるような音と共に蒸気のようなものが出た。
『ははは、流石にこれは痛い痛い!』
「おいクソ魔王、相手は真奈だけじゃないぞ」
『ッ!?』
背後から現れた本気の黒漆の魔法剣技〈極光斬〉が、これ以上ないタイミングで魔王の首に叩き込まれる。
やったか。
そんなお決まりのセリフを胸中に抱くと、黒漆の顔が歪んだ。
首を切ることが、できない。
渾身の斬撃は首の薄皮で止まり、そこから先は1ミリも先に進まなかった。
腕に力を込める黒漆は、絞り出すように言った。
「か、硬い……ッ」
『当たれば切れると思ったのか? 残念無念出直して来い』
「ぐぁ──」
「ひゃあ──」
真奈の剣から手を離した瞬間、魔王は2人に魔力を込めた本気の蹴りを放つ。
目にも止まらない速度で放たれた一撃は、とっさに防御した真奈と黒漆を神社の外まで飛ばしてしまった。
残ったのは、僕と負傷して動けないアリスと龍二と優だけ。
これは、非常に不味い事態だ。
ゆっくりと歩み寄る〈怠惰の魔王〉。
僕を見て舌なめずりする姿に、途轍もない寒気を感じさせる。
「……優、空間転移は」
「注目されちゃってるから、短時間でこの人数に使うのは厳しいかも」
「あのなりで、力も防御も速度もあるのは反則だろ。このままじゃ勝てる気がしねぇ……」
「こうなったら、僕が〈神威〉を使って少しでも時間を稼ぐ囮になるよ。その隙に空間転移でみんな逃げて」
アリスの治療が終わり、立ち上がる蒼。
レーヴァテインを手にすると、龍二と優から肩を掴まれた。
「まてまて、そんな事をしたらおまえ、アイツに何をされるか分かったもんじゃないぞ!」
「私、蒼が犠牲になるなんて嫌よ!」
「でも他に方法は──」
黒漆と真奈がいない今の自分達では、あの魔王に対抗する事はできない。
唇を噛み締め、現実を説明しようとした瞬間だった。
歩み寄る魔王に、一つのボールがどこからか飛んでくる。
ベルフェゴールはそれを怪訝な顔をして見ると、ボールは突如目の前で爆発。
中身からは真っ黒な煙が吹き出して、周囲にあっという間に広がった。
これは、まさか。
驚く蒼の手を、煙の中から現れた誰かが掴む。
振り向くとそこには、赤髪の騎士〈紅蓮の双剣士〉四葉紅蘭がいた。
「姫、シノリの煙玉で敵の視界を潰した今が離脱の好機です」
「紅蘭、来てくれたのか!」
「魔王が此処に降りたのを見て、直ぐに足の早い人達を引き連れて来たんですが、到着が遅れてすみません」
「いや、丁度大ピンチだったから助かったよ」
地面に倒れたアリスを忍び装束のシノリが背負うと、彼女はこう言った。
「煙玉の認識阻害の効果は一時的なものでござる。速やかに逃げましょう」
「でも真奈と黒漆が神社の外に……」
「2人なら、ここに駆けつける途中凄い勢いで森に飛ばされてるのを見たので、クロさんとデリオンさんとアテムさんとレインさんが別れて救出に行ってます」
「それなら優、空間転移を頼む!」
「わかったわ」
2人が大丈夫なら、長居は無用だ。
蒼が視線を向けると、優は即座に了承。
魔力を開放して、魔法陣を展開する。
それを全員が入るように広げると、優は両手を交差して言った。
「上級空間魔法〈範囲転移〉!」
空間が歪み、周囲の景色が変わる。
僕達が逃げる事に気がついた魔王が、空間魔法を妨害しようとするがもう遅い。
彼女が触れようとした瞬間、蒼達はその場から消えた。




