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左団扇奇譚  作者: 音叉茶
第四章『蛟を祀る一族』
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乱れる刃

 亜緒は一瞬、地獄にでも堕ちたのかと思った。


 しかし、此処が夢の中だと気づいたのは芝生と花壇に見覚えがあったからだ。


 亜緒は夢を見ない。立つ場所はいつだって他人の夢の中だ。


 間違いなく紅桃林ことばやし 殺子さちこの棲む夢。のはずだが、いつもと様子が違う。


 空には黒く輝く太陽。花壇のダリヤと芝生は枯れ果て、生温い風に錆びついたブランコが嫌な音を立てて小さく揺れている。


 彼女の夢はもっと生命力に満ち、輝いていたはずだ。


 殺子の身に何が起こったのか。これでは、まるで別人の夢だ。


 所在なくブランコに体を預けている白いワンピースを着た少女のほうへと近づく。ツバの広い帽子を被った表情は分からない。


「殺子さん?」


 亜緒が声を掛けると返事の代わりに首が落ちた。


 儚げな輪郭が芝生とぶつかって鈍く渇いた不満を漏らす。後に少しだけ転がる。


「人形?」


 表情の付いていない首を持ち上げてみる。


 目の前にあるのは紅桃林 殺子そっくりの、良く出来た球体関節人形。


 亜緒はブランコに座る頼りない胴体の横に首を置くと考え込んだ。





 玉響たまゆらの声に意識を揺さぶられて、自分が気を失っていたことを知る。


「どれくらい眠ってた?」


『二、三秒かなぁ』


 木に体を預けながら立ち上がる。満身創痍まんしんそういだ。眩暈と、少しだけ吐き気がした。


『神気で傷口はふさがっているけど、失った血は元に戻らないから』


 ヘラヘラとした口調で玉響が言う。


「アイツ、強すぎなんだよ。妖刀なんて僕も持ってないのに……勝負になるかって」


 ここまで性格が変わってしまうほど地獄の日々であったのか。


 それとも紫とは、初めからこういう人間だっただろうか?


 混濁する意識の中で思う。


 どちらにせよ、紅桃林家を継いだ者の壮絶さと亜緒はあいまみえているというわけだ。


『だから、殺せるときに殺しちゃえば良かったのよ』


「人の首を刎ねるのって怖いじゃないか」


 サスガに玉響は呆れた。おかげで亜緒本人が五体バラバラにされそうになっているのだから。


「とにかく逃げながら何か対策を――」


 鎮守の森の木が一斉に倒れた。


 それはまるで木の一本一本が示し合わせたように自殺したかのような光景にも見えた。


 もちろん、紫の『客死静寂かくしせいじゃく』によるものだ。


「アイツは手加減なんて言葉、知らないんだろうな」


 まだフラつく身体で死屍累々ししるいるいたる木々たちから離れる。


『ねぇ、亜緒ちゃんってあの群青ぐんじょうちゃんの息子なのよね』


「だから?」


『群青ちゃんなら亜緒ちゃんの年頃にはもう人も妖も殺しまくっていたけどなぁ』


「あんなバケモノと一緒にしないでくれる?」


 慧眼で辺りを見張ると、鋼糸が数本亜緒のすぐ近くを泳いでいるのが見えた。その内の一本が近くを照らす灯篭を斬った。


 乱れた音を道連れに地に落ちると、灯火も消える。


「ああ、そうか。『客死静寂』が勝手に動いて僕を斬っているわけではないんだ」


 刀を振るうのは、あくまでも人。


 いくら広範囲、高射程といってもデタラメに振り回して相手を斬り刻めるわけではない。


 紫が亜緒を斬るためには、やはり自ら視認する必要があるのだ。だから遮蔽物である建物や森の木を倒している。


『だったら無闇に動き回らないほうがいいかもね~』


 確かに下手に動き回って縦横無尽に伸びた鋼糸に触れて切断。というまぐれ当たりも怖い。


 幸い鋼糸は見えるのだ。かわしながら移動して、ぬえを見つけて一旦引くという手もある。


 漸く『客死静寂』の攻略らしきを見つけたと思った矢先、緩慢な糸の動きが急に鋭く方向性を持って亜緒に襲いかかってきた。


 激しい波形を描きながら、生き物のように迫ってくる髪の毛よりも細い狂気の糸。


 遠くに鬼火のような赤紫色の見鬼けんきが闇にぼうと光っている。


 もう神社には遮蔽物など何処にも無い。紫が全てを斬り刻んでしまった。


 亜緒の首とくるぶし、両腕に鋭い斬り込みが深く入る。


 神気によって傷口はすぐに塞がるが、一瞬の血飛沫が噴水のように上がった。


「逃げ場所なんて、もう何処にもあらへんよ?」


 亜緒の思考を読んでいるかのように紫が現れる。


「五つの妖刀の中でもコレだけは別格や。こうなると、もうどないもならへん」


 紫が指を動かすと亜緒の身体のあちらこちらで線形の痛みが生まれ、足元には血溜まりが出来た。


 血風けっぷうが通り過ぎて、亜緒の行く手を阻む。


「コイツも僕ん中に仕込まれた武器の一つというわけや」


「なるほど。『客死静寂』の鞘は紫自身というわけだ」


 確かに変則的な妖刀だ。付け入る隙が無いほどに強い。


 妖刀が放つ脅威というものを、亜緒はいやおうにも実感させられていた。


「紫。オマエは確かに強いよ。親父を除けば業界最強だろう。でもね、僕が死ぬときはお前も死んでる」


「この期に及んで負け惜しみかいな。安いハッタリやなぁ。亜緒くんらしくないで」


 悠久をむ妖刀の歴史の中で、高い霊力を併せ持つ使い手が出ることが稀にある。


 紫はその稀の中の一人だった。





 鏡面界。沃夜よくやが張った絶対なる結界に鵺は捕らわれている。


 結界は沃夜にしか解けず、沃夜を殺すと永遠に結界内から出られない。


 鵺は神経質に表情を曇らせ、ネコ耳はぴょこぴょことせわしく動いている。


「少しは落ち着いたらどうだ? 祀られるモノ」


 余計なことと知りつつ、沃夜が鵺に言葉を投げる。彼も退屈しているのかもしれない。


「何故、鵺を閉じ込める?」


「紫様の勝負に水をさされては困るゆえ」


「鵺とは戦いたくないということか?」


 沃夜が頷く。癖のある前髪が揺れる。


「正確には戦う必要を見出せぬ……ということ」


 死ぬことのないモノと命のやり取りをする者はいない。


「相分かった」


 鵺が両手の爪を太刀の如く伸ばす。軽く細い流線だが、反りは鋭い。


「何を考えている? 私を殺したら結界から出ることはかなわぬのだぞ」


「だから死なない程度に痛めつける」


 人や妖がどうすれば死ぬのか。また、死にたくても死ねないか。鵺は熟知している。


 伊達に何千年もこの世に存在しているわけではない。


「お前の行動は初めから妙だった。本当に鵺を結界に閉じ込めたければ、自害すればいい」


 鵺の瞳孔が細くなってゆく。戦闘態勢に入ったのだ。


「それをしないということは鵺と同じで死ぬこと自体できないか、まだ死ぬわけにはいかない理由があるから」


「なるほど。悪くない読みだが、賢い選択とはいえないな」


 沃夜が薄く笑う。


 彼もまた戦闘態勢に入ったのか、何処かに隠していた一振りの刀を持って立ち上がった。


「妖刀ではないよ。しかし、『童子切安綱どうじきりやすつな』と云えば耳に聞いた覚えもあろう?」


 遥か昔、大江山に棲む酒呑童子しゅてんどうじという鬼を斬ったことからその名が付いた「天下五剣」の一振り。


 紫が沃夜に貸し与えたもので、鬼退治を本業とする紅桃林家が誇る家宝の一つである。


「来るが良い。祀られるモノ」


 沃夜の言葉途中で鵺が十の刃を突き立て、斬り、薙ぐ。


 変幻自在に襲いかかる鵺の攻撃を沃夜は受け流し、時に避ける。


 鵺が一歩進めば二歩退いて、三歩走れば二歩で流す。クセっ毛の美丈夫は流れる水の如く、鵺の太刀筋を見事にあしらって結界内を舞う。


 沃夜の剣は防御に徹する構えだ。彼にとっては時間を稼ぐための戦い。真っ向から鵺とりあう必要は無いのだ。


「逃げるな!」


「私と貴女では剣を振るう目的も、此処に留まる意味も異なる。刃が交わらぬも仕方無きこと。だが――」


 鵺の鳩尾みぞおちに鋭い突きが入る。


「隙あらば次は取らせてもらう。祀られるモノではなく、融合した人体のほうをな」


 沃夜がやっと『童子切安綱』を鞘から抜いた。鬼斬りの刀は美しく、使い手の端正な横顔を映して夜に濡れた。

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