11) 矜持の天秤
「あとはこちらで対処する。そちらの手を無理に借りようとは思わない」
-その代わり情報が欲しい。
重厚な調度類が飴色に光る室内に硬質な男の声が低く響いた。
挨拶もそこそこに大きな執務机の前まで長靴の底を踏み鳴らしやってきた長身は、略式の軍服を身につけていた。その傍らには同じ隊服に身を包んだ副官と思しき男が控えている。これまで男達とは幾度となく対面してきたが、この時ほどその職業を強く想起させる雰囲気はなかった。表面上は依頼という形を取った紳士的な態度だが、いつでも腰に佩いた大剣を抜く用意が出来ていることを隠そうともしなかった。
これまでにも伝えていた通り、協力するのはやぶさかではない。
「情報とは?」
具体的には何を意味するのか。
執務机に座ったミールの長は大きな手を組んで、怪訝さを隠すことなく男達を見た。突然、約束もなしに現れたと思ったらのっけから随分と剣呑な態度だ。礼儀を弁えていると思っていた相手の突然の振る舞いは長の神経を逆撫でた。
「端的に言えば、こちらで違法行為に手を染めている者達の情報です。それも出来る限り正確なものを」
男の背後に控える副官がその姿を現わした。隊服を隙なく着こなした副官は、人当たりの良さそうな笑みを浮かべているように見えたが、特徴的な菫色の瞳はぞっとするほどに冷たいものだった。
「ほう? 我々が法を犯していると?」
長の太い眉が微かに動いた。
「ええ」
「随分な言われようですな」
「おや、そんなことを仰るということは、こちらでは把握されていないのですか。それとも気付かぬふりをしているのですか。いずれにせよここで身内を庇いだてするようであれば、あなた方も仲間として見なさなければならなくなりますが、それでよろしいのですか」
柔らかな物腰でありながらも言い逃れは許さぬとばかりに外堀を埋めて行く副官に戸口付近を固めるように立っていた自警団団長がぬっと身を乗り出した。
「さっきから黙って聞いてりゃぁ、貴様、いい加減にしろ。無礼にもほどがある」
「無礼? そうでしょうか。我々は真実を話しているのですが」
「真実だと! 証拠はどこにある?」
「ですから、それを今から」
「エンベル」
今にも飛びかからんとする勢いを長がその名前を呼ぶことで制止した。
「シーリス。すまない。ただこちらも喫緊に動かざるを得ない状況になった」
騎士団長は副官の非礼を詫び、真っ直ぐに組合長を見つめた。瑠璃色と焦げ茶色の瞳が対峙する。どちらもそれぞれその年月、見てきたもの、見つめてきたものは違うが、それぞれに大きな組織を背負うという点においてその覚悟は似ていた。強い真摯な眼差しに焦げ茶色の瞳がスッと細められた。
「では、その事情とやらを話していただけますかな。それによってこちらも出来る限りのことはしよう」
騎士団が言う緊急事態とはどれほどのものなのか。情報には相応の対価が求められる。取るに足らないことに内部事情を明かすわけにはいかなかった。
「いいだろう」
目の前の応接用ソファを手で示されて、騎士団長とその副官はそちらへ腰を下ろすことになった。
***
イステンは机の隅にあった小さなベルを鳴らし、部下に茶を運ばせた。お茶の用意が整うと室内に柔らかで甘い香りが煙のように立ち上った。これから始まる新たな戦闘劇の幕間のようだった。
「どうぞ、まずは喉を潤しては」
乾いているであろう口を湿らせてはとの勧めにユルスナールとシーリスの二人はそっと目を見交わせてからカップに手をつけた。このような事態の折、敵陣へ斬り込む心持ちであったから、ここで出されるものに口をつけるのはどうかとも思ったが、目の前、苛立ちを隠さずに座る自警団長エンベルがカップの中を無造作に呷ったのを見て取って、ユルスナールもそっと口をつけた。
ほんのりと甘い柔らかな口当たりに喉がだいぶ渇いていたことを知った。これはリョウが以前美味しいと言って買い求めたヴァーングリアのお茶だろうか。舌先が少し前の甘やかな記憶を引き出し、硬くなった口元が少し緩んだ気がした。
ミールの術師組合で情報を得た後、ユルスナールは一度広場を挟んで対峙する騎士団の詰所に戻り、そこでシーリスに簡単に事情を説明してすぐに、再び今度はミールの長へと取次を求めた。
約束がないと面会を断られるかと思ったが、長は執務室にいた。術師組合から話が行っていたのか、息子である自警団長エンベルもその特徴的な空色の上着を肩に待ち構えていた。
ユルスナールとしては事情を話して協力を求めるつもりであったが、妻が拐われたという深刻な事態に内心の焦りは隠せなかったようで、つい強硬な態度に出てしまった。
このようなことでは駄目だ。ユルスナールはイステンの瞳にそう窘められたような気がした。武人たるものどのような事態が起きても冷静に対処し、時には感情を捨て冷徹な判断を下さなくてはならない。
「埋み火、トゥーズという競売はご存知ですね」
喉を湿らせた後、ユルスナールは単刀直入に切り出した。今は一秒でも時が惜しかった。
ミール関係者が多く関わっているという競売にリョウはユリムと出かけたという。目的はユリムの探し求めてきた自国の品が見つかるかもしれないという曖昧な情報からだった。どうやらそこでリョウはユリムに引きずられるようにして人買いの手に落ちたらしかった。
―あれには術師組合の登録札があったはずなんだが、どうも切り札にはならなかったようだな。まぁそんなのはあそこでは気休めにしかならんか。サリドの主従を装ったことが裏目に出たか。一度逃した商品が自分から戻ってくるんだ。それを逃す愚かな商人はここにはいまい。
術師組合の長の口振りはまるでそうなることを予見していたようだった。
―ならば、どうして行かせた。
ユルスナールは口から出かかった言葉を寸でのところで飲み込んだ。あそこでリサルメフに当たっても仕方がないのは分かっていた。あの二人は、いや、リョウは、それでも行くと自ら危険に飛び込んだのだろう。それならせめて一言、夫である自分に相談して欲しかった。頼りにされなかったことが口惜しくもあり、不甲斐なくもあり、思い出すだけで握り締めた拳につい力が入った。
その対面では、闇市場の事を尋ねられてイステンの顔に凄みが増した。王都に繋がる騎士団には知られたくなかった事情なのかもしれない。
「そこで人の売り買いを行なっているのは誰ですか」
―勿論、貴方は把握しているはずだ。
予断を許さず、剣の切っ先をひたりと豊かな髭で覆われた喉元に突き付ける。
「おい、待て。そういうのはこちらの領分ではないはずだ。川向こうの連中だろう。うちの奴らがそんなことに手を出すわけがない」
エンベルが怒りを露わに抗議した。となると自警団もそこまでの情報は知らなかったようだ。
「どうしてそれを」
イステンの目に火花が散った。
ユルスナールは小さく息を吸い込んだ。
「妻が、リョウが、その者たちの手に堕ちた。他にサリダルムンドからの旅人も一緒に」
競売に出かけたきり帰って来ないと落ち着いた態度ながらも引き結ばれた口元、その奥から漏れた語気の強さに、イステンは漸く相手の苛立ちを理解した。
「……そうか」
「だから情報が欲しい」
「おい、口からでまかせなこと言ってるんじゃねぇだろうな。あんたの妻は、トレヴァルんとこの術師だろう? ミールの会員がどうしてそんなとこに……」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」
先程から横槍を入れてくるエンベルをシーリスが冷ややかに見た。
術師組合長の話しでは、競売にはミールの者達が多く関わっているという。いや、そもそも表には出せない品々をそこで扱うようになったのはミールの連中だ。そこに旨い汁を求めてミール外の者達も集まり、商いの規模は拡大した。それは立場ある組合員ならば誰もが知るいわば「公然の秘密」だと言う。これまで騎士団の方にはそういう情報は伝わってこなかった。だから規制や取り締まりの対象にはならなかった。
「我々はここに来てまだ日が浅い。先だっての宴で披露目がなされたとは言え、妻の場合はまだまだ認知度は低い。それにぽっと出の術師が一人くらい行方知れずになったとて、術師ならば、その辺りは捨て置かれるのでは?」
ユルスナールの指摘にエンベルは押し黙った。
基本術師は、定住せず、街から街を放浪する輩が多い。突然姿を消したとしても、また何処かへ旅立ったのだろうと気に留める者は少ない。そういう点では術師の肩書きはあの場所で抑止力にはならなかった。
ならば、リョウが騎士団長の妻であると広く知られていれば防げただろうか。いや、それも分からない。これは諸刃の剣だ。これまでは街の住民たちから歓迎されていない騎士団との繋がりはリョウの身を危険に晒すと思っていた。術師としての活動に足枷になるやも知れないと。リョウ自身、悪目立ちしたり、立場を利用することを嫌がるだろうと。それが裏目に出た。
ただ、いくら反感を覚えているとは言っても、この地で商いを続けていくためには実際問題、騎士団を敵に回したくはないだろう。これを機にミールと騎士団の対立が深まれば、相手の出方によっては王都まで飛び火し、これまで三百年近く守り抜いてきたホールムスク自治存続に亀裂が走るやもしれない。この街の自治権と違法行為に手を染めている組合員の首を天秤にかければ、その答えは自ずと導き出されるはずだ。自らの権力を笠に着ることはしたくはないが、使える力ならば、最大限に利用しない手はない。ユルスナールはここが要と腹に力を入れた。
面倒なことを起こしてくれた。イステンは胸内でそっと溜息をついた。それは自ら巻き込まれることになった新米術師への恨み節か、はたまた禁忌の品に手を出す仲間への呪詛か。これまであえて目を瞑ってきたこの街の澱みにここで向き合う必要に迫られた。このままでは騎士団に弱味を握られ、王都勢が優位に立つ。これまで守ってきたこの街の自由をここで失うわけにはいかない。
こんな若造にミールを好き勝手させる訳にはいかない。ここが正念場になるとイステンは思った。ここでの対処如何によっては今後のホールムスクの未来が決まる。
表情を険しくしたまま、微動だにしない長に焦れてか、
「では手始めにこちらからにしましょうか」
話したくないというのならば、やり方を変えて必要な情報を引き出せばよいのだと方向転換する。シーリスは茶器を脇に寄せてから小脇に抱えていた丸めた紙を取り出し、それをソファの前にある細長い机の上に広げた。
「なんだそりゃ」
エンベルがずいと身を乗り出した。
それはこの街の詳細な地図だった。通りの名から主だった建物の名前、店の名前などが細かく記されていた。
「ここにある建物はミールの管轄ですか?」
シーリスが指し示したのは街を横断するように流れるキレンチ川の下流、河口付近に程近い三角州の一角に立つ場所だった。四角く囲われた部分が大小三つほど並んでいる。
視線での合図を受けて、イステンが重い腰を上げた。たっぷりとした長衣を翻し地図を見下ろす位置に立った。ユルスナールも立ち上がりその隣に並んだ。
シーリスの指が置かれた辺りを男たちが睨みつける。
地図の上ではそこは空白になっていた。
「そこは倉庫が並んでいる場所だ」
船着場のすぐ近くには船から下ろした荷をさばく為の作業場や、出荷の為の一時保管庫とされる建物があった。岸の両岸には似たような建物がびっしりと並んでいた。
「こちら側はずっと、ミールの港湾組合が管理している」
エンベルが太い指で示したのは大きな石橋がかかる手前の一帯だった。そちら側には所有者を示す屋号や名前が小さな文字で隙間なく書き込まれていた。
「で、橋向こうの一帯は殆どがピュタクの縄張りだ」
一方、対岸は建物の囲いがあるだけで殆どが白抜きのまま。
この街は橋を境に様子が変わった。なだらかな扇状地の端、そこから北側はすぐに急峻な崖が広がり僅かに残された平地にへばりつくようにして家々が軒を連ねている。
ピュタクというのはミールに属さない―と言えば聞こえがいいが、要は組合員にはなれず弾かれた連中が独自に組んでいる一団だった。ピュタクの他にも二三、名前の付いた集団がある。この地でミールに属さないことの不利益は大きいが、それでも生きていかなくてはならない。ミールの鼻先で商いの利を掠め取る為、金になるとあればどんなものでも取り扱った。同じ商人ではあるが、そのやり口はえげつないと聞く。
「では、ここは?」
シーリスが示しているのは橋の中間地点。二股に別れた中洲にある一角だった。
リョウとユリムが留め置かれているのはこの辺りだとルークのツレが話していた。向こう側から小さな橋が渡されているが、反対側はない。
催促をかけるようにトントンと強く打たれた指先をエンベルは睨みつける。イステンの出方をじっと待った。
「そこは我々の預かり知らぬ場だ」
ミールの管轄ではないと言う。
「では、ミールとピュタクが共同で管理することはありますか?」
「それはない」
きっぱりと否定したイステンにシーリスは胡乱な視線を投げた。
「それは建前の話でしょう?」
イステンはどこまでもミールの関わりを否定したいらしい。
「では、ピュタクの場を借りることは?」
ミールの掟に縛られない連中を隠れ蓑に組合員が更に美味い汁を吸おうと貪欲になっても不思議ではない。彼らを排除しないのは持ちつ持たれつの関係が出来上がっているからだ。
「それもない」
再びの否定にシーリスはあからさまに落胆するような息を吐いた。ユルスナールは厳しい態度でイステンに向かい合った。
「そちらがそのつもりならば、それでいい。この件は我々だけで対処する。ただその過程でそちらの者を我々が捕らえたとしても、介入や便宜は受け付けない。全てこちらの判断に任せてもらう。それでよろしいか」
それは平行線を崩さない相手への最後通牒だった。
これ以上ここにいても無駄だと悟ったユルスナールはシーリスに目配せをした。
「では今日のところはこれで失礼する」
突然の訪問で時間を取らせたことを詫び、軍人らしく慇懃に一礼すると、シーリスを促して扉に向かった。
ユルスナールがそのまま部屋を出た一方、シーリスは去り際、足を止めておもむろに振り返った。
「ああ、そう言えば、そちらの織物問屋のお嬢さんも一緒に留め置かれているそうですよ」
エンベルがその言葉に弾かれたように立ち上がった。驚きに見開かれた目に口を開きかけた所で、薄く刷いた笑みが扉の向こうに消えた。
「あ、おい、ちょっと待て!」
エンベルは長を一瞥してから、すぐさま二人の軍人の後を追った。
独り、己が執務室に残されたイステンは、無骨な片手で顔半分を覆い、緩く息を吐き出すとその手を力一杯握り締めた。突発的な激情に拳を高く振り上げる。だが、それを打ち付ける先はここにはない。
もどかしさを内に抱えつつイステンは卓上のベルを鳴らした。
すぐに現れた職員へ、
「オフリートをここへ」
簡潔に告げると肘掛け椅子に座り、その場で目を閉じた。
「おい、ちょっと待てよ。他にも捕まってんのがいるってのか?」
ミールの館を出てからそのまま広場を横断するように歩く二人をエンベルは追いかけていた。大きく駆けた拍子に肩にかけた空色の上着がするりと落ちるのを手で掴み取り、反動から勢いをつけて振り回す。その影が前を行く軍人を捉えたかに見えたが、ユルスナールとシーリスの歩みは止まることなく騎士団の詰所前まで辿り着いた。
入り口では歩哨に立つ兵士が二人の上官に敬礼する。が、そのまま何食わぬ顔をして通り抜けようとした異分子に手にした槍を突きつけた。
「待て、何用だ? 部外者は立ち入り禁止だ」
「ああ? 入るのに許可がいるのかよ。いちいちうるせぇなぁ。俺は自警団長のエンベルだ。そこのやつらに話がある」
そう言って戸口の向こうに背を向けるユルスナールとシーリスへ顎をしゃくった。
「おい、待てよ、シビリークス。話が途中だろ!」
侵入を阻もうと通せんぼをする槍をむんずと捕まえて身体を滑り込ませようとするがそうはいかない。
「待て。許可なくば、これ以上の立ち入りは無用だ」
槍を持ち警備に立つグントと揉み合いになると騒ぎを聞きつけてか、詰所内から他の兵士も顔を覗かせ、集まってきた。
「放せ。つーか、話を聞かせろ! クソ、中に入れろってば。おい、そこの副官! こいつらをどうにかしろ」
徐々に大きくなる声に耐えかねてシーリスが眉間に皺を寄せて立ち止まった。やれやれと心底面倒くさそうな顔をしてつかつかと入口へと戻る。ユルスナールは執務室へ戻ることなく階段の途中で足を止めていた。
「自警団長殿、大きな声を出さないでいただけますか」
冷ややかな視線を寄越したシーリスにエンベルはここぞとばかりに身を乗り出した。
「織物問屋の娘ってのはアリョーナのことか?」
「それを確かめてどうしようというのです?」
「父親のショフクから相談を受けている。もし、アリョーナが不当に囚われているんなら、助け出せるかもしれねぇ」
だから詳しい話を聞かせろと目の前で交差された槍を握り締めたエンベルにユルスナールが静かに歩み寄ってきた。
「ミールは関与を否定している。そこに首を突っ込むつもりか」
―それが何を意味するか分かっているのか。
ミールの長イステンとその息子、自警団長エンベルの間には、大きな情報の隔たりがあることが分かった。だが、自警団はミールの一部のようなものだ。ここでユルスナールたちに与することはミールを裏切ることになる。その覚悟があるのかとユルスナールはその瞳で問うた。
ぐっと唇を噛み締めてエンベルはその鋭い瞳を受けた。この男にもこれまで自警団をまとめ、この街を守ってきたという意地がある。
「俺は俺の仕事をするだけだ」
―親父が裏で何を考えていようが関係ない。
きっぱりと告げられた言葉にユルスナールは一つ頷いた。
「分かった。付いて来い」
ユルスナールの目配せにグントは掲げていた槍を退けた。エンベルは掴まれひしゃげたシャツの襟元を正すとふんと鼻息荒く、騎士団の詰所内に一歩足を踏み入れた。




