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Messenger Ⅱ~空際のホールムスク~  作者: kagonosuke
第五章 消えない傷痕
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5)柔らかな棘

お久しぶりです。

 略式の軍服に身を包んだ男が一人、長椅子に座り、長靴に包まれた足を持て余すように組み替えた。尖った長靴の爪先は、よく磨かれて艶を放っていた。窓辺から差し込む光りが反射するように踊る。爪先を動かすと小さな照りが影となって壁に舞った。足を動かしてはその束の間の軌道を追う遊びを、男は所在投げに続けていた。

 もうかなりの間、待たされていた。応接室の一間に通されて「少々お待ち下さい」という小役人の型どおりの台詞を聞いてから大分経つ。元々約束をしていた訳ではなかったが、こちらとあちらの格を考えれば、このように待たされるとは思わなかった。

 男はぐるりを室内を見渡して、異国趣味で固められた華やかな調度類の合間に覗く唯一の素の空間―窓の外へと視線を流した。このような扱いを受けていることへの腹立たしさを紛らわすように小さく息を吐いた。

 青さを増した空に余計な飾りはいらない。この日は風が強いのか、流れる雲は留まることなく、辛うじて刷毛で薄く刷いたかのような筋が切れ切れに残る程度だ。


 客人は徐に立ち上がると窓辺に寄った。

 窓の外の景色は、大分見慣れてきた気がするのにも関わらず鮮やかで見事なものだった。中心街より離れた高台に建つこの館は、海へと向かうなだらかに続く坂にへばりつくようにして形作られた街の様子を余すことなく映し出していた。白い石と赤茶けた石の並ぶでこぼこした建物群とそれらを飲み込まんばかりに広がる青い静かなうねり。点々と白い花弁のように浮かぶ帆布。波は陽光に反射して魚の鱗のようにきらきらと輝いていた。

 この海の青さと鼻先を掠める潮の香りに客人はまるで異国にいるような気分を味わった。

 が、すぐにそのようなことをちらとでも考えたことに自嘲的な笑みが浮かんだ。この街は今も昔も男が仕える国に属している。300年という長い時をかけても尚、その独自性を保ち続けることで本流に交わることを拒む。そうやって小さな存在ながらスタルゴラドという大国と本気で対等に渡り合おうとしている。

 そのようなことをつらつらと考えていれば、

「大変お待たせ致しました」

 やっとこの館の主が現れた。


「やぁやぁ、お待たせいたしましたね。どうぞこちらへ。ささ、お座りください」

 どこかせかせかとした足取りでやってきた小太りで背の低い男は、室内に入るなり客人に長椅子を勧めた。(ゴールビ)のように胸を反らして少しせり出た腹を隠す為か上着の釦をはめながら、後ろで二つに割れた長い裾をさっと翻して対面に着席したのは、ホールムスク自治区長のカウナスだった。秀でた額を辛うじて覆うように七三に分けられた髪が心もとなく張り付いている。鼻の下にも細い一筆書きのような口髭が、計算し尽くされた優美な曲線を描いていた。身なりには随分と気を使っている伊達男のようだ。

 ここは王都地方統括本部に属する出張所のようなものだ。ホールムスクは商業組合ミールの自治が行き届いているが、中央政府からの意向を伝え、ミール行政への監視をする役割をこの役所が担っていた。


 スタルゴラド騎士団、第七師団・副団長シーリス・レストナントは、随分と待たされた末の小さな苛立ちをお得意の柔らかな微笑で覆い、再び長椅子に腰を下ろした。

 カウナスは悪びれることなく飄々としていた。往々にして文官の中には武官を快く思っていない輩がいるものだが、この男もそうなのかもしれない。力任せの野蛮な者たち―ぐらいに蔑んでいるのだろう。表面上は態度に出すことはしなくとも。

「さてさて、騎士団の方が態々こちらにいらっしゃるとは。珍しいこともあるものですねぇ。どのような御用件ですかな?」

 港での事件は既に耳に届いているであろうにそれをおくびにも出さず、しれっと切り出したカウナスに、この特殊な街に赴任している相手の狡猾さと強かさを思い、シーリスは敵に不足は無しとばかりに笑みを深めた。手加減は無用だろう。細められた菫色の瞳が男の艶やかな丸顔を冷たく照射する。

「ご挨拶にしては随分ではありませんか。そのようにはぐらかさなくとも」

 儀礼的な笑みを絶やさずに告げられた辛辣な言葉にカウナスは堪えた様子もなく鷹揚に首を傾げた。

「はて、一体なんのことですかな」

 人当たりの良い柔らかな声音はとぼけたような(いら)えを紡ぐ。立てた襟の合間に窮屈そうに覗く首元に巻かれたスカーフの結び目を弄りながら、主は客に茶を勧めた。

「どうぞ、気楽になさってください」

「いえ、どうぞお構いなく」

 この男の側仕えであろう給士が持ってきた茶器を一瞥することなくシーリスは微笑んだ。柔らかな面差しにある菫色の瞳は、陽だまりの温かな光りを弾き、氷に閉じ込められた花弁に似た冷ややかさをまとっていた。

 ほんのりと甘い花の香りが茶器から立ち上る湯気に混じっていた。カップの表面に揺れる茶は、客人の瞳のように青かった。舶来物の薬草茶(ハーブティー) の一種だろう。

「では失礼しますよ」

 主は気分を害することなく、一人、茶器を傾けると「ああ、うまい」と満足気に目を細めた。

「どうです? こちらにはもう慣れましたか?」

「ええ、おかげさまで」

 突然始まった当たり障りのない世間話にシーリスもそつなく話を合わせた。この男のことだ。正攻法では目的は達せられない。腹の探り合いはいつものこと。暫く付き合うしかないのだろう。

「ここは良いところでしょう? 陽気も暖かで街には活気があって、食べ物も酒も美味い。まさしく楽園のようですな」

 カウナスという男は、記録によれば五年前より王都からこの地に派遣されていた。ここの水が随分と肌に合ったようだ。脂の乗った頬はつやつやとして健康そのものだ。

「住めば都というわけですね」

「ええ。最初は潮の香りというのがどうにも慣れなくって妙な具合でしたがね。そのうちこの香りがないとどうにも落ち着かなくなるのですから不思議なものです」

「そうですか」

 それはシーリスにも理解出来た。この街の王都との違いを強烈に意識したのは、風に含まれる潮の香りだった。ただ、海産物が腐るツンとした独特の匂いにはまだ慣れそうもなかった。

 カウナスは元々この街の生まれではないようだ。表面上にこやかに合槌を打ちながら、呑気に茶を喫する主を前にシーリスはどうやって今回の訪問の目的を切り出したものかと考えた。余り回りくどいことはしたくない。かといって王都と太い繋がり(パイプ)を持つであろうこの男が、どういう人物であるのかを探るくらいの時間は欲しい。

 シーリスは少しずつ外堀を埋めて行くことにした。

「この街が随分とお気に召されたようですね」

 住み慣れた王都より遠く離れた地。風も匂いも慣習も異なる、まるで異国のような土地。往来を歩けば、聞こえてくるのは耳慣れない言葉の数々に姿形も様々な人々が声高に商いを行う。異動の命令が下らなければここに足を運ぶことはなかったであろう。

 だが、この場所が国にとって非常に重要な拠点であることは理解している。

「ハハ。ありがたいことです。私は運が良かった」

 軽く微笑んでカウナスは茶器を傾けた。

「ここはもう長いのですか?」

「五年と少しとなりましょうか」

 文官の異動は大体三年おきぐらいと聞いている。それに比べれば長い気もするが、別段驚くような期間でもない。資料によればカウナスは単身ここに赴任している。妻子は王都で暮らしているようだ。

「スタリーツァが恋しくはなりませんか?」

 距離を考えればおいそれと帰れるような場所でもない。

「いや、それがですね。そうでもないんですよ。どうもここの気候が体に合っているようで」

 小うるさい妻子はいない。馴染みの女もいる。カウナスの顔付きを見ればここでの生活を満喫しているであろうことは読み取れた。

「それはそれは。本当にここがお好きなんですね」

「ええまぁ」

 カウナスのにこやかな笑みを前に、少し間を置いてからシーリスは伏せていた目を上げた。じっと相手の心の内を見透かそうと目を細める。そして声色を変えた。

「たとえば…手中に収めたいほどに?」

  王都アルセナールに詰めるグリゴーリィから届いた早文には、港での事件を伝える文書が役所の方へ届けられたとあった。こちらからはまだ正式な通達を上げていなかったから、グリゴーリィも困惑したことだろう。だが、察しの良い朋輩は、機転を利かせて対処してくれた。

 カウナスが地方統括本部に宛てたという特別便は、わざと人目に触れるように送られていたという。まだ事件の真相は調査中であるというのに随分と早まったことをする。中途半端な情報を王都に送るなど何を考えているのか。徒に騒ぎ立て事を大きくてどうするというか。

いや、それが目的か。本人を前にして、シーリスはこの男があの事件を受けて慌てふためいたとは思えなかった。

 ホールムスク着任前の男の評判は、シーリスも一通り調べていた。評議会に属する貴族オーヴィの配下で、チェルヌイシェフやアトカルスクとは昵懇の間柄。ここに配属される前は第六支部の外務部所属 で、外交官として勤務していた。国内外に多くの伝手を持つカウナスは、諸外国との貿易拠点であるホールムスクにうってつけの人物と目されたのだろう。

 冷たく光る薬草花茶と同じ菫色の瞳をカウナスは真正面から捕らえた。穏やかな微笑を浮かべていた口元から表情が消えたのは、ほんの一瞬のことだった。

「ご冗談でしょう」

 カウナスはさらりとシーリスの思惑をかわした。

「ご存じのように、私はここに派遣されている一介の官吏に過ぎない」

 やり手の外交官であった男の雰囲気は柔らかいまま、だが、細められた瞳はちっとも笑っていなかった。

 とんだ謙遜もいいところだと思いながらもシーリスは受けて立った。

「ええ。その一介の官吏であるあなたならば、ここの事情はよくご存じのはずです」

 スタルゴラドにとってのホールムスクの価値を。

 二人の視線が交差し、軍人は初めて踏み込んだ。呼応するように帯刀した剣が鞘の中でカチリと震えた気がした。

「なぜ、あのような真似を?」

 王都に伝令など飛ばしたのか。

「はて、何のことでしょうな」

 カウナスは相変わらず首を傾げるばかり。ずる賢そうに小さな瞳が瞬く。この男はどこまでシラを切る積りだろうか。こうなったら一つずつ証拠を突きつけるしかない。

「第十支部から問い合わせを受けたとアルセナールより報告がありました」

 地方統括本部に届けられた緊急便は、この男が出したものだった。あちらにも有能な官吏がいて、事が表沙汰になる前に押さえることが出来た。

「態々緊急便を使ってまで報告を上げたのはなぜです?」

 怪文書のような告発文を。

 シーリスの声は落ち着いていた。その対面でカウナスは細く曲がった口髭を指で撫で付けていた。その顔からは笑みが消えていた。

「その時の写し(コピー)も手元にあります。ご提示致しましょうか? いや、その必要はありませんね。ご自身でしたためられたのですから、覚えていない訳がない」

 薄ら寒い笑みを浮かべながら相手の出方を待ったシーリスに対し、カウナスは小さく喉の奥を鳴らした。まるで初めて狩りで獲物を仕留めて得意げな顔をした幼子を窘めるように。

「あなたも私も、国に仕える公僕であることに違いはありません。私たちは同じ側に立つ者だ。そうではありませんかな」

 カウナスはそこで笑みを深めた。

「私が第一に考えるのは、スタルゴラドの国益です」

 それを損なうようなことをどうして行うだろうか。

 男の口から出た【大義】にシーリスは乾いた笑みを浮かべた。

 王都にはホールムスクに対して大きく分けて二つの考え方があった。これまで通りミールに自治を任せ、交易によってもたらされる富に対し一定の割合で税をかければよいという現状維持派とミールの権力を中央へ移譲し、スタルゴラドによる直接支配を目指す急進改革派だ。王都における両派の天秤は、現状維持派が優勢的であったが、ここ数年、急進改革派も勢力を伸ばしていた。

 この男はそのどちらに組みするのか。

「ではご参考までに御教示いただきたいのですが、カウナス殿の考える国益とはどのようなものですか?」

 シーリスとしては更に一歩前へ踏み込んだ積りだったが、やはりこの男も一筋縄ではいかない。

「それはもちろん、騎士団の方々と同じですよ」

 この地の安定と更なる発展だ。

 カウナスは、温くなったお茶を一気に飲み干すと、そこで終わりだとばかりに線を引いた。

 潮時だと悟ったシーリスは、不用意なことをして役所を掻きまわすなと最後に釘を刺してから、主の下を辞した。


***


 ちょうど同じ頃、第七師団長ユルスナール・シビリークスの姿は、ミール前の広場にあった。今しがたミール訪問を終え、待たせていた部下ヨルグと共に広場を挟んで対面にある第七の詰所に戻ろうとしていた。

 ユルスナールはふと足元に広がるモザイク画へと視線を落とした。ミールを真正面に色とりどりの陶器片(タイル)で描かれているのは、この地方に伝わる海の神々の神話だという。ホールムスクの民はこの地に流れてきたスタルゴラドとは異なる民だ。元々言語も違っていたが、長年に渡る融和の中で混じり合い、両者の間では言葉の壁は苦にならないほどになっている。いや、古臭く己が殻の中に閉じこもるスタルゴラドとは違い、海を通じて外に出て行く貪欲で好奇心に満ち溢れたホールムスクの商人が、軽々と言葉の壁を乗り越えた結果だろう。

 広場の中心には海の神ペレプルートが刃先の三又に分かれた銛を手に立っていた。その周辺には大海に乗り出す帆船と半人半魚の海の精ルサルカが戯れるようにして遊ぶ。東側の方角に描かれた美しいルサルカは、その手に小さな木箱を乗せていた。大きく蓋の開いた箱からは、生命の灯火である【神秘の炎】が揺らめいていた。

 日増しに強くなる夏の日差しが広場にある日時計の影を濃くしてゆく。ユルスナールは日光を遮るように額に手をあてがい、目を眇めた。

「目ぼしい収穫はなかったようですね」

 背後に控えたヨルグが、真面目くさった顔つきで囁いた。

 ユルスナールは部下を無言のまま一瞥した後、やや皮肉っぽく片頬を歪めた。

「想定の範囲内ではあるがな。だが、そうでもない」

 件の抜け荷事件に関し、二日という期限を与えミールに内部調査を依頼した。その結果報告をミールの長から受けてきた所だった。


***


 通されたのは、先日の会議室ではなく、ミールの心臓とも称される長の執務室だった。中にいたのは、長のイステンと対王都渉外担当のラアマートの二人。息子である自警団長のエンベルの姿はなく、それを少し意外に思った。

 イステンは窓辺に立ち、じっと外の景色を眺めていた。背筋の伸びたどっしりとした姿は泰然自若 として、なぜかユルスナールに父親(ファーガス)の背中を思い出させた。

 入室したユルスナールを一瞥するとイステンは体ごと向き直り、真正面から軍人らしい硬さをまとう男を見つめた。

「我々は白だ」

 やましいことはなにもない。

 簡潔な声には確固たる自信が含まれていた。だが、それが真実かどうかは別の話だ。ユルスナールは動じることなく、イステンの厳しい視線を受けた。

 その後、イステンに代わりラアマートが、手にした書面を繰りながら淡々と調査結果を述べていった。


 一、偽装された積荷の札に付けられていた表示に関して、織物組合との関わりはなかった。

 二、荷札の偽装に関わったとされる術師に関しては、術師組合の方へ調査を依頼。報告は後日に。

 三、火器の流通網に関して、武具組合長のアルージアを通じて闇市場(ブラックマーケット)の武器取引に詳しいとされる仲介人と接触。ジャンコイから入った武器をプラミィーシュレで改良を施し製作したもので、売主と買主の特定は出来なかったが、仕向け地がマイコープの貿易港ヘールソンであることは分かった。この取引は一度限りのもので恒常性はない。

 四、当該品は、武具組合が横流ししたものではない。取引自体はミールの外で行われたものである。よってミールに落ち度はない。

 五、ティーゼンハーロム号の船長クラウスと港湾組合長シルヴェスタの抜け荷への関与は【無し】と判断。

 六、ミールはこの件に関し商取引全般の更なる引き締めを行うと約束。


 淀みなく流れる、この地方特有の語尾が少し尻下がりになる言葉をユルスナールは黙って聞いた。

「それがあなた方の結論ですか」

「そうだ」

 ユルスナールは納得した訳ではない。が、この場で全てが明らかになるとも思ってはいなかった。そこまでの信頼を互いに築くには日が浅すぎた。

「個々の件に関して、こちらからも聞きたいことがある」

 ―よろしいか。

 騎士団側の申し出に渉外担当が長の顔を窺った。

「いいだろう」

「では、わたくしが承ります」

 一歩前に出たラアマートには目もくれず、ユルスナールはイステンを見返した。

「いや、イステン殿にお尋ねしたい」

「でしたら、その役目はわたくしが」

 すかさず間に入った柔和な声は、幾重にも皺が刻まれて硬さを増したイステンの手によって遮られた。

「控えてくれ、ラアマート」

「ですが」

「構わん」

 その後、二言三言、互いに囁きを交わした後、対王都交渉の責任者であると自負していいた男は、軽く目礼した後、渋々といったように長の執務室を後にした。


 二人きりになってからイステンはユルスナールに長椅子を勧めた。自らは執務机の所定の位置に腰を下ろす。

 室内には小気味良い緊張感が生まれていた。共に多くを語ることはない性質だ。飾りなど要らない。率直な生の言葉が欲しかった。研ぎ澄まされた神経に触れる血の通った言葉が欲しかった。

(くびき)を解く備えではないのか」

 ユルスナールはミールの在り方を問うた。遠慮はしなかった。

 今回の件はミールが全くの無関係とは思えなかった。中からの手引き無しに抜け荷は難しい。組合員の監視をすり抜けてあの荷を積み込むことは不可能だろう。協力者がいるはずだ。その点、船長や船員を味方につけるのが手っ取り早いが、それを裏付ける証拠は上がっていなかった。

 ただ今回分からないのは、何らかの原因で積荷から火が出て、そこから船が全焼するまでに至ったことだ。まるでこの荷を見つけてくれ言わんばかり、狙い撃ちされたとでも言うように。単なる偶然が重なった不幸な事故と片付けるのは苦しい。何者かがこの取引を暴こうとしたのか。

 いや、今、重要視すべきはそこではない。確かめなければならないのは、ミールの行動指針を裏で支える目的だ。スタルゴラド本国に対するミールの本心が知りたい。これまで通り大国の下に甘んじようとするのか、それとも、反旗を翻そうと着々と備えを固めているというのか。

 そう思いながらユルスナールはイステンを静かに見据えた。

 この男は、この街をどこに導こうとしているのか。どこへ向かっているのか。

 ただ、そう簡単に本当の答えが返ってくるとは思っていなかった。

 ユルスナールは、ミールの抱える火種を思った。ホールムスクの支配は盤石に見えるが綻びはある。また、ミール内部にスタルゴラドを快く思っていない勢力があることには気が付いていた。この間の臨時会議参加者の態度を思い返せば、その先鋒の顔触れにも容易に想像が付いた。騎士団としては反発の度合いと彼らの本気を見誤ってはならない。


 若造の浅慮をあざ笑うかのように、イステンは苦み走った笑みを浮かべた。

「心得違いをされては困る。我らは争いなど望んではいない」

 遥か昔、300年も前の遺恨を引き合いに出すほどホールムスクの商人(あきんど)は愚かではない。彼らが生きるのは【過去】ではなく、【今】だ。商人らしい現実的で合理的な認識。その言葉は少なくとも本心だろうとユルスナールは思った。

 だが、ミールも騎士団もそれぞれ優先事項は異なる。

「喧嘩を吹っ掛けているのは、そちらの方ではないのか」

 イステンが挑むように口角を上げれば、ユルスナールは苦笑した。

「それは心外ですね。争いを望まぬのは我々とて同じこと」

 ミールの長はどこか不満げに鼻を鳴らした。

「だが、あれはそうではなかろう」

「あれ…とは?」

「丘の上の、あの男だ」

 ―あんたがたの片割れの。

 そう言って口元を皮肉に歪めながら、指をとある方角へ向けてちょいちょいと動かした。

 丘の上、騎士団の宿舎から大通りを挟んで隣に位置するのは、地方行政府の役所だ。王都から派遣された役人が、この街を睥睨するようにあの高みから見下ろしている。文字通りこの場所を監視する為に。

「…カウナスか」

 少し意外そうにユルスナールは片方の眉を跳ね上げた。

 ユルスナール自身、地方行政府長のカウナスとは掠るほどしか面識がなかった。ここに派遣されて顔合わせの挨拶をするまで会ったことはなかった。初対面の印象は、どこか落ち着きのない小太りの男という冴えないものだった。狡猾さを上手く隠した柔和な顔付きだが、あの男の本質は瞳に表れている。王都の文官にはありがちな性質(タイプ)だ。往々にして王都から派遣された役人の中には、その権威を笠に着る者がいる。居丈高な態度を取ることを恥じない者が。

 あの男もそうなのかもしれない。

 だが、中央の出先機関で、しかも一介の文官が、この地でどれほどの影響力を持てるというのだろう。ここではその存在はミールの前に霞む。そう考えていたユルスナールは、イステンの反応に違和感を覚えた。

「小者ほど無駄に吠えるとは言うが」

 そこまで言いかけて、ユルスナールはふと声を低くした。

「何か気になることでもありましたか」

 たとえば口出しが過ぎるとか。

 探るように鷹のような灰色の瞳を見たユルスナールに、だが、イステンは(いら)えを返さなかった。

 ユルスナールは肩をすくめた。

「まぁいいでしょう」

 今のところは。

 そこでユルスナールは話の矛先を変えた。

「再度、確認するが、買い手に関しては何も?」

「残念ながら」

 長は見かけ上、心苦しそうに首を振った。ユルスナールはそれを芝居だろうと思った。イステンほどの男が流通経路を調べられないはずはなかろう。武具組合の長がどのような働きをしたのかは分からないが、探られたくない腹というのはあるものだ。たとえば、ミールと闇市場の繋がりのように。

 騎士団としてはミール内部の統制問題に口を出す積りはなかった。誇り高いマリャーク(海の男)は、そのような茶々を嫌うだろう。口を割る積りがないのであれば仕方がない。こちらで独自に調べるほかない。

「そちらの意見はしかと承った」

 ユルスナールはここで自ら幕を引いた。

「我々は我々の仕事をするまで。こちらでも王都への報告はさせてもらう」

 騎士団長の言にミールの長は静かに頷いた。

 こうしてミールと騎士団の首領同士の会談は終わりを迎えた。


 帰り際、ユルスナールは戸口で振り返ると何気ない口振りでイステンに問いかけた。

「エンベル殿は引き続きこの件を?」

「ああ」

 未解決の懸案事項は他にもある。最初に協力を求められた子供の失踪案件も目立った動きがない。暫く、この共同歩調は続くことになりそうだ。

 ユルスナールは微かに口角を上げ、ミールの長の執務室を辞したのだった。


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