21. 王太子殿下の婚約騒動②
悪夢のようなパーティから五日後。
本日、宰相執務室は激務だった。
いつもはぽんぽんと飛び交う軽口を応酬する余裕もなく、ユーミリアとルディウスは各自作業卓につき、黙々と書類の決裁に追われていた。
紙の擦れる音が淡々と響く宰相室に、不意に、扉の開く音が響き渡った。
顔を上げたユーミリアは、ぎょっと目を瞠る。
「入るぞ」
「……殿下っ」
ノックもなしに入室してきたのは、第一王子クライヴ。彼は気怠げな目線をルディウスへと向けた。
「お前に仕事を持ってきた」
ご覧の通り、仕事なら間に合っています。そう口を挟みたくなるのをぐっと堪えて、ユーミリアは成り行きを見守る。
「アガーテとの縁談が破談になったことは知っているな?」
「……ええ」
結局、オルニール公爵家の意向もあって、第一王子のわがままは通ってしまった。公爵家は怒り心頭で、婚約解消に同調を示したのだ。
あのエルザという女性との婚姻が叶うかは別問題だが、公爵家と王室との婚約は双方の合意のもと解消となった。
「その件で、オルニールが癇癪を起こしてくれた。来月の式典には参列しない、だそうだ」
「……」
ルディウスの硬質な美貌は動かなかった。予想の範疇、といったところだろう。
各地から有力貴族が集まり、参列する建国記念式典。参加者の顔ぶれは、王室の求心力と権威を誇示する意味合いもある。そこにオルニール公爵が出席しないとなると、王族の威信が揺らぐ。
「オルニールほどの大物が出席しないとなると、王家の沽券に関わる。後に続く貴族が出てこないとも知れんしな。そこで出番だ、レオンハルト」
王子様は、居丈高に言う。
「オルニールを説得し、なんとしてでも式典に出席させろ」
「……王室が抱える問題は、王族自ら解決なさっては?」
「努力はしたさ。どうにもならないから、こうしてお前に命じているんだ」
あの騒動からまだ五日しか経っていない。努力という言葉の薄っぺらさといったら。
「これは、陛下の意向でもある」
ルディウスに泣きつくのは、国王も承知しているようだ。
「父上はお前に任せておけば万事心配無用だとおっしゃっておられた。貴様が出向けば、奴が求めているであろう王家の誠意とやらも伝わる、ともな」
(陛下も陛下で相変わらず、なんでもかんでもディーに丸投げするんだから……っ)
無責任な主君に、ユーミリアは悪態を吐きたくなってしまう。
「……殿下もご存知のとおり、私は革新派の対応もあって現時点で手一杯なのですが」
第二王子を擁立する革新派に不穏な動向あり。
諜報部からそう報告が上がっており、式典までに不安の芽を摘んでおく必要がある。
通常の式典準備も宰相が最終判断を下す事項は山ほどあるしで、ルディウスは多忙極まりないのである。彼が多忙なのはいつものこととはいえ。
クライヴが不機嫌そうに眉を顰めた。
「泣き言を言える立場か? 不可能を可能とするのがお前の仕事だ。当代のレオンハルトは王国の安寧を保つ歯車。王家の役に立つためだけに、お前は存在している。忘れたのか?」
まるで、ルディウスがただの道具でしかないような言い草。ユーミリアはちらりと作業卓に視線を落とした。
(……手が滑ったふりをしてこの文鎮を殿下目掛けてぶん投げたら、罪になるかしら? 無罪を勝ち取れてもいいと思うのだけれど)
割と本気でそう思った。ルディウスを物扱いされて、我慢にも限度というものがある。
「…………」
相手が王族とはいえ、ルディウスはここまで言われても反論しない。
ユーミリアとの舌戦を制するように、ルディウスは大変弁が立つ。クライヴなんかに言い負かされるはずがないのに、王族相手となると彼はなんだか弱腰だ。
忠実で従順な、クライヴが言う通りに国にとって都合のよい歯車で在ろうとするかのように。
長い沈黙の末に、ルディウスが口を開いた。
「……いいでしょう。オルニール公の説得は私が――」
――はい、と。ユーミリアは挙手した。
「その大役、私に一任してくださいませんか? 閣下」
ユーミリアだって忙しい。だが、ルディウスに比べればまだなんとか時間を捻出できる。
ルディウスにそう申し出ると、途端にクライヴが渋面になった。
「君が? 補佐官風情が出しゃばるな」
「オルニール公の王室への心象はすでに最悪なのですから、これ以上状況を悪くしようがありません。閣下である必要性はないかと」
ユーミリアはにっこりと微笑んで胸を張る。
「怒り心頭のオルニール公も、閣下の仏頂面より美人を前にした方が、態度が軟化することもあるかもしれません」
ふむ、とクライヴが一考する。
「……確かに、一理はあるか」
「閣下の手を煩わせるまでもなく、私が穏便に処理してみせますわ」
ユーミリアは恭しくスカートの裾を持ち上げてみせた。
「片付くならなんだっていい。担当がレオンハルトにしろ小娘にしろ、なんとしてもオルニールを説得してみせろ。いいな?」
高圧的に命じて、王子様は執務室を出て行った。
ユーミリアはふぅと嘆息する。
「うっかり頭をぶつけて、人格が変わってくれたりしないかしら? あの人が次期国王だなんて、グレストリアの未来はあんまりにも暗いわ」
無能な味方が一番の敵とはよく言ったものである。
「人格が善良になったところで、頭の出来は変わらないだろうからな。どちらにしろ、未来が暗いことに変わりはなさそうだ」
「……それもそうね。今以上に厄介な人になっても迷惑だから、人格矯正は諦めるわ」
「ユミィ」
改まって呼ばれて、何事かと居住まいを正す。
「オルニール公はあれで気難しい。俺が……」
ユーミリアは小首を傾げる。
「信用ない? 私」
「そうじゃない」
嘆息混じりに、ルディウスが囁く。
「……無能な王族を庇って、どんな嫌味を言われるとも知れないから」
「大丈夫よ、その時はいつも通りディーに八つ当たりするから。苛々を三倍くらい上乗せして」
ユーミリアの切り返しに、硬かったルディウスの表情がようやく和らいだ。
力が抜けたようにふっ、と笑んで。
「今度は、ケーキでも作らされる?」
「そうね。今度こそ、劇物ができあがってしまいそう」
想像して、クスクスと笑い。ユーミリアは表情を引き締めた。
「仕事に優劣をつけないと、あっというまに限界を超えて倒れちゃうわよ? 殿下の婚約騒動より、ディーが優先すべきは式典の安全確保。違うかしら?」
一理どころか、百理くらいあるはず。
「……任せた」
「任されましょう」
こんな時のために、ユーミリアは彼の補佐官になったのである。
がんばるぞ、と気合を入れるのだった。




