第18話 “婚約者”の香り 後
今回は愛理沙視点
「あぁ……」
愛理沙は少女らしからぬ声を上げながら、湯舟に浸かった。
手足をグッと伸ばす。
疲労回復効果がある入浴剤……の効果のおかげかは分からないが、疲れが体から抜け落ちていくような快感を覚えた。
そしてぼんやりと浴室の壁を眺めながら、呟く。
「……由弦さん、見てないですよね?」
愛理沙の鞄の中。
そこにはタオルや着替えなどが入っていたが……それ以外の物も入っていた。
「スクール水着、持ってくるなんて変ですよね……」
愛理沙はスクール水着を持ち込んでいた。
ほんの出来心だ。
水着を着て一緒にお風呂に入ろうと、そんなことを少しだけ、ほんのちょびっとだけ考えていたのだ。
「実行しなくて良かったです……」
愛理沙はほっと息をついた。
恋人同士ならばともかくとして、愛理沙と由弦はまだ正式には恋人同士ではない。
相思相愛なのは間違いないが、恋人同士であるとお互いに確かめ合ったわけではない以上……さすがに一緒にお風呂に入るのはいろいろな段階を飛ばし過ぎだ。
(早く、告白してくれれば良いのに)
愛理沙は内心で呟いた。
正直なところ、愛理沙は由弦が中々、想いを伝えてくれないことに少し焦れていた。
勿論、由弦は告白するか否かでうじうじするような人物ではない……と愛理沙は思っている。
そして由弦の幼馴染である亜夜香は、由弦は入念に準備をするタイプだから、と愛理沙に言った。
悔しいことではあるが、愛理沙と亜夜香では亜夜香の方が由弦との付き合いは長い。
その亜夜香が由弦はちゃんと告白してくれると、そうお墨付きをくれているのだから、それは間違いないのだろう。
だがそれはそれとしてモヤモヤする。
そこで愛理沙は由弦を急かす目的で、今回の“マッサージ計画”を考えたのだ。
愛理沙は自分の肢体が男性にとって魅力的なものであるということを自覚している。
そして由弦が自分に対して魅力を感じてくれていることも知っている。
故に“マッサージ”を互いにして、体と体が触れ合えば……きっと由弦は愛理沙を強く求めてくるはずだ。
……勿論、“間違い”を期待しているわけではない。
というよりも、おそらく由弦は愛理沙を襲うような真似はしないだろう……と少なくとも愛理沙は思っていた。
今にして思うと、何度も無防備なところはあったわけだが、由弦は愛理沙に襲い掛かるような真似はしては来なかったのだ。
だから今回もしてくることはないだろう。
彼の理性は非常に強靭なのだ。
「まあ……別に、私の方は……構わないことも、なくはない、ですけれど……」
中々告白してくれない由弦を急かす、と言えば聞こえは良いが、結局のところやっていることは誘惑と同じだ。
ならばあんなことやそんなことをされても仕方がない。
勿論、されたいわけではないし、断じて期待しているわけでもない。
強引に迫ってくれることを期待するような変態みたいな性癖は全く、全然、これっぽっちも、欠片も存在しない。
ただ彼ならば……好きな人に迫られたら、仕方がないと思っているだけだ。
「私は、ただ、早く想いを伝えて欲しいなと、今の宙ぶらりんな立場を、確定したいだけです。べ、別に……由弦さんが狼になることを、期待しているわけじゃないですし、誘っているわけでもないです。た、ただ……その時は仕方がないなと、どうしようもない由弦さんを許してあげようという寛大な気持ちを持っているだけです。だから……」
避妊具を用意してきたのは、あくまでもしもの時のためのもの。
そういうことを期待しているわけではないのだ。
「だ、大体、キスだってまだなんですから……」
愛理沙は顔を真っ赤にさせて、お風呂の中に沈み込んだ。
想像するだけで体が熱くなり、どうしようもなく恥ずかしくなる。
胸が切なくなり、背筋がぞわぞわと浮くような心地になり、下腹部がキュンとなる。
「や、やっぱり無理です……は、恥ずかしぃ……」
誰に聞かれているわけでもないのに、愛理沙はそんなことを呟いた。
そして立ち上がった。
「……もう上がろう」
すっかりのぼせてしまった愛理沙は浴室から出ることにした。
「……お風呂、上がりました。由弦さん」
着替えを終えた愛理沙は、ソファーで携帯を弄っている由弦に声を掛けた。
すると由弦は何故か、びくりと体を震わせる。
「あ、ああ……分かった」
どうしてか、由弦はそわそわとしていた。
そして……首を傾げる。
「随分と涼しそうだが……」
「マッサージをするなら、この方が都合が良いかなと。……冬服は別で持ってきました」
愛理沙はそう言って自分の胸に手を当てた。
愛理沙が着ているのは、着替えとして持ってきた薄い半袖のシャツとショートパンツだった。
マッサージをするならば、生地が薄く、皺になっても良いような服が良いはずだ。
「……そうか」
愛理沙は由弦の視線が……自分の胸部へと向かったのを感じた。
胸部だけでなく、丈が少し短めのショートパンツから伸びる足にも、由弦の視線は注がれている。
……別に狙ったわけではない。
以前、体育祭の時、由弦が体操服を着ている自分の特定部位に対して、時折熱い視線を向けてきたことを覚えていたわけではない。
敢えて体のラインが浮き出て見えるようなシャツや、出来得る限り足が外に出るようなパンツを履いたわけではない。
自分の胸部が男性にとっては非常に魅力的に見えることも、自分の足がいわゆる“美脚”に分類されることも自覚はしているが、それを強調するような服を選んだという事実はない。
本当にただの偶然だ。
由弦にそんな視線を向けられても恥ずかしいだけで、別に嬉しいとか……そんな感情は全然ないのだ。
「……じゃあ、俺も着替えは薄いシャツでも着ようかな」
由弦はそんなことを呟いた。
そう、由弦が認めた通り、マッサージをする上で薄い生地の衣服を着るのは極めて合理的な判断なのだ。
だからそんな姿の愛理沙に由弦が欲情しているのは、それは高瀬川由弦という人が本当に困った人だからで、変態だからで……
別に愛理沙がおかしいわけではない。
愛理沙は至って正常であり、全然おかしくないし、由弦と似た者同士の変態などという事実はない。
「じゃあ、入ってくるよ」
「はい、行ってらっしゃい」
由弦は脱衣室へと消えていく。
愛理沙はドキドキしながら、先ほどまで由弦が腰を下ろしていたソファーに座り込む。
「……ちょっと失敗しちゃったな」
愛理沙は脱衣室で衣服を脱ぎ散らかしていたことを思い出し、少し顔を赤くした。
あの時はいろいろと焦っていて、動顛していたこともあり、衣服を整える精神的な余裕はなかった。
それに脱衣室に由弦が入ってくることはなく、見られることもないと……高を括っていた側面もある。
だがその焦りの所為で着替えやタオルなどを忘れ、そして油断のせいで汚い衣服や……下着を見られてしまった。
とても恥ずかしい。
「や、やっぱり……見られちゃいましたよね……」
もしかしたら由弦がそわそわしていたのも、愛理沙の汚い衣服を見たからかもしれない。
いや、そうに違いない。
そう考えると……
「ま、まさか、由弦さん……私の服に、へ、変なことはしてませんよね?」
思い返すと少しだけ位置が変わっていたような……
そんな気がしなくもない。
いや、多分気のせいだろうけれど、可能性がないわけではない。
「……わ、私ばっかり、見られるのは、ふ、不公平ですよね」
自分に言い聞かせるようにそう言うと、愛理沙は立ち上がった。
そして脱衣室へと向かい……そっと、扉を開ける。
由弦は浴室でシャワーを浴びているらしい。
少なくともこちらに気付く様子はない。
「……」
脱衣室には脱ぎ散らかされた、由弦の体操服があった。
パンツも落ちている。
「……別に私は悪くないです。こんなところに、放っておく由弦さんが悪いんです」
そもそも、愛理沙の脱ぎ散らかした体操服を先に見たのは由弦の方だ。
……それは愛理沙が脱ぎ散らかしたから悪いのだが、愛理沙の中では由弦が絶対的な悪となっていた。
そう、先に悪いことをしたのは由弦だ。
なら、愛理沙には由弦に仕返しをする権利があって然るべきだ。
「由弦さんって……多分、匂いフェチですよね。たまに私の匂い、嗅ごうとしてますよね。本当に……変態さんですよね。あんな人が婚約者だなんて、あり得ないです。本当に……何が好き何だか、分からないです。……でも、そんな変態さんでも、私の婚約者ですし」
理解してあげないといけない。
そう、これは由弦と同じことをして、由弦の気持ちを理解するための行動なのだ。
……別に由弦が愛理沙の体操服の匂いを嗅いだことは(愛理沙にとっては)観測した事実ではないのだが、そんな細かいことはどうでも良かった。
大事なのは愛理沙には……それを実行する大義名分があるということだ。
愛理沙は指先で、まるで汚いものを扱うかのように――そう、これは愛理沙にとっては汚いものであり、別に好きでやっているわけではない。仕方がなく、仕方がなく触っているのだ――由弦の体操服を摘み上げた。
それはしっとりと、汗で濡れていた。
「……」
愛理沙は息を飲んだ。
もしかして、今、自分はとんでもないことをしているのではないか。
人として、女の子として、踏み込んではいけない領域を超えようとしているのではないか。
そんな懸念が脳裏を過ったが……
そんなことはすべて無視して、愛理沙は由弦の体操服を鼻先に付けた。
そして大きく息を吸い込んだ。
「はぁ……私、何をしてるんだろう……」
その後。
愛理沙はソファーの上でぐったりと座り込みながら、自己嫌悪に陥った。
もし三章まで書籍化できたら、特典とか何かで、混浴IFとか書けたらいいですね
そのためには一巻が売れないとダメですが
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