第29話 “婚約者”への気持ち
「由弦が……」
「弁当、だと……」
信じられないものを見た。
明日、世界が滅ぶかもしれない。
とでも言うような表情を浮かべたのは、宗一郎と聖の二人だ。
「別に良いだろう。俺が弁当持ってきたって」
由弦はそう言いながら、今朝愛理沙から受け取った弁当箱を開けた。
保温タイプなので、まだ中は温かい。
弁当箱は二つ。
片方には梅干し入りの白ご飯。
もう片方にはお洒落なおかずが詰まっている。
さすがは愛理沙というべきか、冷凍食品の類は入っていない。
……これも負けた気がするからだろうか?
取り敢えず、唐揚げを口に運ぶ。
味は濃過ぎず、薄すぎず。
作られてから時間が経っているにも関わらず、衣がサクサクしている。
噛み締めると思っているよりも柔らかく、肉の旨味が口に広がる。
(やっぱり美味いな)
明日の朝、美味しかったと伝えようと由弦は決めた。
ちなみに弁当箱は三つあり、それをローテーションする形式となっている。
「雪城さんか?」
言い当てたのは宗一郎だ。
一人暮らしである由弦が母親から弁当を受け取れるはずがなく、かと言って由弦が弁当を作るはずがないので、当然の推理だろう。
「まあな」
しかし本当に美味しい。
出来立ての愛理沙の料理は格別に美味しいが、冷めても美味しいおかずも作ることができるようだ。
そして美味しいだけでなく見た目も色鮮やかで、そして栄養バランスにも気を配っていることが分かる。
本当に頭が下がる気持ちだ。
「美味いのか?」
「当たり前だろ」
「……味見させて貰えないか?」
「俺にも少しくれ」
少し食べてみたいという宗一郎と聖。
愛理沙の弁当を独占したい気持ちと、愛理沙の料理を自慢したい気持ちで由弦は葛藤したが……
少しだけ分けてあげることにした。
宗一郎には唐揚げを。
聖には出汁巻き卵を渡す。
二人は由弦に返礼のおかずを渡してから、愛理沙の作ったおかずを口に運んだ。
「美味いな」
「思っていたより、イケるな」
宗一郎と聖は驚きの声を上げた。
由弦は別に自分が作ったわけでもないのに誇らしい気持ちになった。
「何だ……これで俺だけか。学食派は」
宗一郎は母親の作った弁当を持って来ている。
今までは由弦と聖の二人が学食で宗一郎だけが弁当だったが、それも今日までだ。
「しかし、高校生で愛妻弁当か」
「もう、結婚したらどうだ?」
宗一郎と聖が揶揄い半分、本気半分という調子で言った。
ちなみにすでに聖に対しては“婚約”のことは愛理沙の許可を得た状態で話してしまっている。
勉強会とハロウィンの件で、愛理沙の方は天香と仲が良くなったらしい。
友人に隠し通すのも悪いということで、聖と天香には話してしまうことになったのだ。
由弦としても隠し通すのは少し気を張るので、気分的には楽だ。
「一応、材料費は支払っているけどな」
「普通は材料費だけで作ってはくれないと思うが」
「俺が頼んだら、雪城は俺にも作ってくれんの?」
「まあ、無理だな」
愛理沙は弁当屋ではないのだ。
手間は同じ、とはいう物のそれなりに時間は掛かるだろうし、材料費だけで弁当を作ってくれるのは相応に由弦に対して好意を抱いているからに他ならない。
それが友情なのか、恋情なのかは……分からないが。
「真剣な話、付き合わないのか? ……まあ、婚約しているからすでに付き合っていると言えるが」
「話を聞く限り、お前ら、仲睦まじい恋人同士にしか見えんぞ。このまま、ゴールインする予定はあんの?」
「あー、そういうことを聞いちゃうか」
由弦も自覚がないわけではない。
当初は「婚約者として振舞うため」にデートをしたりしていたが、最近は普通に楽しくなってきている。
愛理沙もそれは同じだろう。
「……まあ、愛理沙のことは好きだよ」
「だよな」
「前から思っていたが、ああいう洋物っぽいの、お前の好みのタイプにド直球だよな」
「いや、顔だけじゃないけどな」
聖が言う通り、愛理沙の容姿はその素晴らしいスタイルも含めて、由弦の好みに直球だ。
加えて性格も良い。
優しいし、気遣いができるし、由弦を立ててくれる。
愛理沙は自分のことを性格が悪いというが……あれはあれで可愛い。
加えて料理上手だ。
そして何より、ハロウィンの一件から分かる通り、意外にノリが良いところもあるし、冗談も言えたりと……
一緒にいて楽しい。
「ただな……恋心があるかと言われると、それは分からないと言うか」
「友人として好きということか?」
「異性として、好きじゃねぇの?」
「いや、異性としても好きだけど。……好きだからと言って、強い恋情があるかどうかは別だろう?」
男なら誰だって気になる女の子の一人や二人、いるものだ。
妻や恋人がいる男性も、不倫や浮気はしないにせよ、美人で優しい女性には「良いなぁ」と思ったりはするだろう。
「要するに。俺は今の関係が心地よいと思っているから、このまま無理に進めたいとはそれほど思わない。何より……」
この世の全ての恋人たちや夫婦が、焦がれるような強い思いを抱いて、その関係を成立させたわけではない。
むしろ、「なんとなく」で付き合い始めたことの方が多いだろう。
だから由弦が愛理沙と恋人になることは何一つおかしなことではないが……
「俺は……俺が愛理沙に対して恋をするのは、あまり良くないと思っている」
由弦と愛理沙は対等に見えて、実際は対等な関係とは言えない。
由弦はその気になれば愛理沙との結婚を断れるが、愛理沙は断れないからだ。
由弦と愛理沙の“婚約”は、由弦側に結婚する気がないからこそ、成立している。
つまり……言い方は悪いが、由弦は愛理沙の生殺与奪の権を握っているに等しい。
だから由弦が愛理沙に恋をしたら、つまり由弦が結婚しようとしたら、愛理沙はそれを断れない。
と、由弦は宗一郎と聖に自分の考えを説明した。
「まあ、そういうわけだ。……だから今のところ、俺はこの関係を維持する。彼女に俺の気持ちを押し付けてまで、恋人になりたいとは思わない」
そう言ってから、由弦は自分の父親の顔を思い浮かべる。
(父さんは手段は選ばない人だからな。多分、愛理沙の気弱な性格はとっくに見抜いているだろうし……注意しないと)
高瀬川和弥は一見、温和そうに見えるが実際はかなり冷静で、冷徹で、そして冷血な男だ。
勿論それは仕事での一面であり、私事では家族には優しい、普通に良い父親なので、由弦も父親として敬愛しているのだが……
息子を政略結婚の道具に使う程度の割り切りなら、あっさりと出来てしまうのも事実。
息子を使うことに躊躇がないのだから、赤の他人に対しては言うまでもないだろう。
愛理沙を“天城”から守るのも勿論だが、“高瀬川”からも守らなければならない。
というよりも“高瀬川”の方が大敵だろう。
冷静で冷徹で冷血。
目的のためには手段を択ばない。
謀略や根回しを得意とする狡猾な一族。
それが世間からの“高瀬川”の評価であり、そしてそれは決して間違ってはいない。
“高瀬川”という一族の脅威は、“高瀬川”の人間である由弦が一番知っている。
父親や祖父からしたら、とんだ反抗期の息子だなと由弦は内心で苦笑した。
「「……」」
一方で、由弦の言葉を聞いた宗一郎と聖は顔を見合わせた。
そして由弦に尋ねる。
「じゃあ、本気で恋をしたら、無理矢理にでも欲しいと思ったら、どうする?」
「雪城の方からお前を求めて来たら、どうすんの?」
それに対し、由弦は肩を竦めた。
「まあ、その時はその時、だな」
由弦君は反抗期も手伝って、父親と祖父を警戒していたりします。
高瀬川の男は熱しにくくて冷めにくいのです。
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由弦君の本気度:50%




