第11話 “婚約者”とプレゼント
「これは、また……何と言いますか。ありがとう、ございます」
困惑した様子で愛理沙は紙袋を受け取った。
普段は平静を保っている彼女にしては珍しいくらい、動揺している。
もしかしたら彼女がここまで動揺したのは……初めて料理を褒めた時以来かもしれなかった。
「例え“演技”のためだとしても、嬉しいです」
愛理沙は僅かに目を細めた。
それは普段、彼女が学校で浮かべている芸術品のような笑みではなく、自然な微笑だった。
少しだけ、一瞬だけ……
由弦の心臓が跳ねた。
(……目には良いが、心臓には悪いな)
愛理沙の死んだような目や、芸術品のような、人工的で不自然な笑みは好きではない。
だが彼女の自然な笑みは本当に綺麗で、美しく、素敵だと思う。
「演技……というわけでも、ないけどね。婚約者という関係がなくても、親しい間柄なんだから、プレゼントを用意したよ」
「……そういうものですか?」
「友人同士だから。……もしかして友人だと思っていたのは、俺だけだったかな?」
由弦は思わず頬を掻いた。
もし由弦の一方的な片思い(もちろん恋心ではなく友情だが)だったら、かなり恥ずかしい。
すると愛理沙は慌てた様子で首を左右に振った。
「い、いえ……すみません。そういうの、よく分からないので。友達かどうかと聞かれると……」
「……友人がいないってことは、ないだろう?」
「そうですね。……お昼にお弁当を一緒に食べて、相槌を打つ程度の関係が友人なら、たくさんいますよ」
どこか冷め切った口調で愛理沙は言った。
そのグリーンの瞳は暗く、淀んでいた。
「同級生のお家に遊びに行くことが、今まで無かったとは言いません。ただ……ここまで親しくしていただいたのは、高瀬川さんが初めてです」
愛理沙は常にクラスメイトと分け隔てなく接している。
だから特別に仲の悪い人はいないが、しかし同時に特別に仲の良い人もいない。
他者同士の間に分け隔てはない。
だが自分と他者との間には、透明で強固な壁を作る。
それが雪城愛理沙の人付き合いのやり方なのだろう。
誕生日に興味がないのも納得だ。
それを祝ってくれるような間柄の人間は一人もいないのだから。
「初めてか……それは、名誉なことかな?」
深刻に捉えるのも雰囲気的に良くないと考えた由弦は茶化すように言った。
愛理沙としてもそちらの方が気楽のようで、明るい声で返してきた。
「そうですね。とても名誉なことです。光栄に思ってください」
それから愛理沙は由弦が渡した紙袋を愛おしそうに撫でた。
そして由弦を見上げる。
普段の凍り付いた湖のような冷たく無機質な瞳が、少しだけ暖かくなった……そんな気がした。
「十月、私の方からも何かしらの用意をさせて頂きます」
「期待して待っているよ」
由弦はそう答えた。
愛理沙は小さく頷いてから、一度紙袋を床に置いた。
が、すぐにそわそわとし始め……再び手に持ち、膝の上に乗せた。
それから由弦に尋ねる。
「中を見ても良いでしょうか?」
「どうぞ、どうぞ。むしろ感想を聞かせてくれ。今後の参考のためにも」
大学卒業までは“婚約”の関係を続けることを考えると、愛理沙の趣味を今ここで分かっておくのはとても重要なことだった。
「では、遠慮なく感想を言わせてもらいます。……これは、石鹸ですか?」
由弦が愛理沙に贈ったのは、石鹸の詰め合わせだ。
良い香りがする固形石鹸、シャンプー、リンス、そしてハンドタオルがセットになっている。
化粧水やハンドクリーム、リップクリームなんかと悩んだのだが……
これから夏に入っていく季節を考えて、石鹸類の方を選択した。
「これ、有名なブランドですよね? そこそこ高いのじゃないですか?」
そういう愛理沙の声には喜びと困惑が含まれているように感じられた。
ちょっと良い物をもらって嬉しいという気持ちと、こんな高そうな物を買って貰って申し訳ない……そんな声だ。
「それでどうかな? 感想の方は。厳しめに評価してくれて、構わない」
「折角頂いたのに、評価だなんて、そんな上から目線のことはできません。……でも、そうですね。
期待していたよりも、ずっと良い物をもらってしまったなと。そんな気持ちです。こんなに素晴らしい物を頂けるとは、思ってもいませんでした」
そういう愛理沙の声は少し弾んでいた。
表情こそは平静なままだが、頬は僅かに赤らんでいる。
「私、こういうのは貰ったことも買ったことも、使わせて貰ったこともなくて。だから本当の、本当に……嬉しいです」
愛理沙はそう言ってから、小さくため息をつく。
翠玉の瞳が少しずつ光りを失い、曇り始める。
「私だけ、なんですよ。みんな、義理の妹はもちろん、同級生とかも、持ってるんです」
少しずつ愛理沙の瞳が潤み始める。
声も上擦り、体も僅かに震えている。
サッと、愛理沙は顔を俯かせた。
琥珀色の髪で表情が隠れる。
「興味ないふりをしていたんですけど、本当は欲しかったんです。みんなが羨ましくて、でも買ってなんて言えるはずもなくて……すみません。ちょっと、感情的になってしまいましたね」
愛理沙はそう言うと、由弦に対して背中を向けた。
小さく肩を震わせている。
しばらくして、大きく息を吸い、吐く音がした。
再び愛理沙が振り向いたころには……彼女の表情はいつも通りの平静さを取り戻していた。
その瞳は……僅かに赤らんでいたが。
「今のは聞かなかったことにしてください」
「そうか。なら、そうしよう」
愚痴くらいなら、いつでも聞く。
そう言おうとした由弦だが、愛理沙の意を汲んで何も言わないことにした。
すでに愛理沙に対しては、助けを求めるならばいつでも応じると、そう伝えてある。
そして愛理沙の意思を尊重するとも、伝えた。
その上で彼女は聞かなかったことにしろと言うのだ。
ならば何も言うまい。
「取り敢えず、来年も同じような物で良いということかな?」
「はい。……お願いします」
だが……
何かと理由を付けて、彼女の希望を叶えてやる程度ならば、逃げ場を提供してあげる程度ならば、許されるだろう。
由弦はそう思った。
さて、その日の夜。
いつものように由弦は愛理沙を家まで送っていた。
「高瀬川さん、前々から思っていたのですが……」
「どうした?」
「私と部屋にいる時はTシャツなのに、外に出るときはジャケットを羽織るんですね。……この季節、部屋よりも外の方が暑いと思いますが」
そういう愛理沙の声には若干の棘があった。
由弦としては、外に出て愛理沙と並んで歩く以上はちゃんとした服装をしなければならないと考えている。
だからこそジャケットを羽織って、お洒落をする。
しかし愛理沙はどうやら、そういう由弦の態度が少し気に食わないようだ。
勿論、自分の隣をみすぼらしい姿で歩いて欲しい人がいるはずがないので……
「つまり、君と二人っきりの時もちゃんとお洒落をして欲しいと。そういうことか?」
「そうですね。人の目は気にするのに、私の目は気にしないというのは、軽んじられている気がします」
彼女が言わんとしていることは由弦も理解できた。
要するに女扱いされていないのが腹立たしいということだ。
「しかし、よく分からないな。別に君は俺のことが好きというわけではないだろう? ……にも関わらず、俺に気にして欲しいのか?」
「逆に聞くんですけど、高瀬川さん。あなたは私がボサボサの寝ぐせ頭に上下ジャージ姿で来たら、どう思いますか?」
「いや、それはさすがに嫌だけど。いや、でもそこまでではなくないか? 普通の恰好をしているつもりだし……ジャケットを羽織るだけで、それなりの恰好になるんだぞ? ……もしかして、これ、ダサい? 上下ジャージ並?」
由弦は自分のファッションセンスが特別に良いとは思っていないが、かといって悪くはないだろうとも思っている。
しかしそういう言い方をされると、途端に不安になる。
「その点はご安心を。良い方だと思います」
「じゃあ……」
「全力で上下ジャージなら、一周回って許せます。私が問題視しているのは、ファッションセンスではなく、高瀬川さんの態度です。つまりですね……外に出る時だけ髪を整えて、ジャケットを羽織るでしょう? 私の前では実力の六割で、外に出るときは八割出すみたいな、それがちょっと……腹立たしいんです」
言われてみると、確かに由弦のそういう態度は良くなかったのかもしれない。
嫌なものは嫌、不快なものは不快と言ってくれと最初に頼んだのは由弦だ。
うちに溜め込まれるくらいならば、はっきりと口に出してくれる方が楽なので、むしろ助かる。
これは反省しなければと由弦が考えていると……今度は先ほどまでの強い口調とは一転、愛理沙は弱気な声を上げた。
「すみません、今のは言い過ぎました。その……分かるんですよ。そもそもあそこは高瀬川さんのお部屋なわけで、そこでくつろぐのは高瀬川さんの権利だと思います。私の方がお邪魔させて頂いているんですから。ただ……その、ですね。私は高瀬川さんのことを、それなりに意識してはいるんです」
「……俺のことを意識しているのか?」
愛理沙にとって由弦なんてただの路傍の石ころ……とまでは言わないが、単なるビジネスパートナーくらいの存在で、男としては眼中にないとばかり思っていた。
だから今の愛理沙の言葉は由弦にとっては少しだけ、驚きだった。
「勘違いしないでください。……恋愛対象では勿論、ありません。ただ……男性であると、認識しています。……もしかして、違ったりします?」
「いや、れっきとした男だ。……君もそういう冗談を言うんだな」
「茶化さないでください。……真面目な話ですよ。私があなたを男性として扱っているのに、あなたが私を女性として扱わないのは、少し、不平等ではありませんか」
口を尖らせながら愛理沙はそう言う。
その頬は夕焼けに照らされて、僅かに紅く染まっていた。
由弦は大きく頷いた。
「君の言い分はもっともだ。すまなかった。君の親切さに甘えて、無神経になっていた。今度から気を付けるよ」
「そうして頂けると、助かります」
その日、愛理沙との距離がグッと縮まった。
由弦はそんな気がした。
デレ度:50%
好感度が50%に達したので、『異性の友人』から『気の置けない異性の友人』に変わりました
まあ、と言ってもこの状態で告白しても十中八九ごめんなさいされますが
面白い、続きが読みたい、ヒロインがかわいそ可愛い、絶対に幸せにしろよてめぇ!と思った方は
ブクマ・評価(目次下の☆☆☆☆☆を★★★★★に)して頂けると
ハッピーエンドまで描き切るための、作者の気力になりますので
よろしくお願いします




