48話:この腐敗した世界に
【クラウディウス邸 中庭】
「申し訳ありませんわ。わざわざ、このような場所まで」
「いや、気にしないでくれ」
サノア様が目を覚ました後、俺はすぐに屋敷の人を呼ぼうとしたのだが、彼女が二人きりで中庭に行きたいというので……大人しく付いてきていた。
綺麗に整えられた庭園には、沢山の種類の花々が咲き誇っており、ただ歩いているだけで清々しい気分になる。
「そう言えば……まだ、アナタのお名前も聞いていませんでしたわね」
「俺は……いえ、自分はネトレ・チャラオでございます」
「ふふっ、いいんですのよ。さっきまでのように、楽な口調でお話してくださいませ」
「いいのか?」
「ええ。その方がワタクシも、気が楽ですもの。それと、様付けも要りませんわ」
そう言って、クスクスと笑うサノア。
レイピアで襲いかかってきた時とは違い、こうして見ると年相応の少女に思える。
「そうか、それじゃあサノア。俺はあんまり、回りくどいのは好きじゃない」
「奇遇ですわね。ワタクシも同じですわ」
「だったら、単刀直入に言う。俺は……封魔剣パンドラが欲しい。ゾフマ陛下には、その条件として――」
「ワタクシと結婚しろと、言われましたのね?」
全て承知の上だったらしく、サノアに驚いた様子は見られない。
むしろ彼女は両肩を竦めながら、深い溜息を漏らす。
「はぁ……叔父様の過保護ぶりにも、困ったものですわ」
「かなり心配していたみたいだが」
「どうせ目当ては、ワタクシの子供に決まっていますわ。ワタクシが12歳を超えた辺りから、どんどん元気が無くなって……今ではシアンスカに夢中ですのよ?」
むすっとした表情からして、ゾフマ陛下に対する親愛は本物なのだろう。
あのロリコン趣味を知られても敬われている辺り、本当にその他の部分は完璧なのかもしれないな……あの変態皇帝は。
「陛下の命令はともかく、俺は……正直、お前と結婚するつもりは無い」
「……それは、なぜですの?」
「だって、この結婚には愛が無いだろ? 俺の目当ては封魔剣で、お前も俺の事を良く知らないわけだからな」
「……」
「だから、俺は……」
「いいですわよ、結婚」
「封魔剣さえ、貰えたら……って、なんだと?」
今のは、俺の聞き間違いか?
そうでなければ、確かにサノアは……
「ワタクシは決めましたの。アナタとの結婚、お受け致しますわ」
「……いや、いやいやいや! 意味が分からないぞ!」
「あら? 結婚の意味が分からないほど、初心なようには見えませんけれど」
「そういう意味じゃなくて! どうしてお前が、俺と結婚する必要があるんだ!?」
毅然とした態度を崩さず、淡々と話すサノア。
その予想外の反応に、俺は少々混乱気味だ。
「どうしてって、ワタクシがアナタを気に入ったから。それではいけませんの?」
「いけないとか、そういうわけじゃないが……普通、結婚相手というのは、もっと慎重に選ぶべきだろ?」
「私の伴侶としての適正なら、さっきのテストで試しましたわよ?」
「そうかもしれないが、あれだけじゃ……」
「それに、アナタは知らないでしょうけど……ワタクシは十年前から、アナタとの出会いを待ち侘びていましたのよ」
「十年前?」
そう言えば、テストの時にもそんなような事を言っていたな。
俺と会うのを、楽しみにしていたとか、なんとか。
「エイテの占いですわ。あの子は時々、天啓を受けたように……精度100%の占いを行えますの。それで、十年前に……私の運命の相手の事を占ってくれましたのよ」
「その相手が……俺だと?」
「間違いありませんわ。【精力の限りを尽くし、あらゆる女を籠絡する寝取りの勇者】が、いつかこのワタクシと結ばれる……運命の相手」
「……嘘だろ?」
やけにピンポイントな占い内容にツッコミを入れたいところだが、サノアの顔からして本気なのは間違いない。
「占いが全てではない事は分かっていますわ。でも、ワタクシはさっきのテストで確信致しましたの。アナタと一緒なら……この腐敗した世界を変えられると」
「……っ」
「噂では、アナタもこの世界を変えようとしているのでしょう? だったら、ワタクシとアナタの利害は一致していると思いませんこと?」
「そう、だが……本当にそれでいいのか? 目的の為に、愛の無い結婚をしても」
「……ネトレ。アナタは本当にお優しい方ですのね」
「サノア……んっ」
「ちゅっ……ふふっ、ファーストキスでしてよ?」
不意を突かれ、俺はサノアに唇を奪われる。
ほんの一瞬だが、彼女の体から漂う甘い香りに……これまでアイ達と何度も唇を重ねてきた俺でも、ドキリとしてしまう。
「貴族や皇族が、愛の無い結婚をするのは普通の事ですのに」
「貴族達にとって普通でも、俺にとってはそうじゃないからな。特に……愛の無い男女の間から産まれた俺にとっては――」
たった一晩の過ちで、母さんは俺を身籠ったという。
そこにあったのは愛じゃなく、ただの快楽を貪る為の欲望だけ。
その欲望の果てに――俺という存在がいるのだ。
「青いですわね」
「え?」
「……アナタは復讐の為に、全てを犠牲にすると誓ったんじゃありませんの? 利用出来るモノはなんでも利用し、のし上がってみせると」
「それは――」
「だったら、ワタクシの事も利用なさいな。もっとも、ワタクシもアナタを利用するのですけれど……」
言いながら、俺に抱きついてくるサノア。
柔らかい胸の感触がドレス越しに、俺の腹部辺りに押し当てられる。
「こうでも言わないと、アナタは結婚してくれそうにありませんし……アナタからの愛は、結婚してからじっくり育むとしますわ」
「え? 今、なんて言ったんだ?」
消え入りそうなほどに小さい声の上に、ボソボソと早口だったから……ほとんど聞き取れなかった。
しかし、サノアは首を左右に振って、その内容を明かす事を拒む。
「べーっ、ですわ。今のは、ネトレがワタクシの事を好きになってから、教えて差し上げましてよ」
「……本当にいいのか? 言っておくが、俺の血筋は穢れていて……」
「承知の上ですわ」
「お前の他に、愛する女が何人もいる。すでにその女達と、何十回も関係を持っているし……これからもずっと一緒にいるぞ?」
「誰と寝ようが、愛し合おうが構いませんわ。最後にこのワタクシの隣にいてくれれば……それでいいんですの」
「そうなるとは――」
「そうするのが、ワタクシの女としての手腕ですの。敗北した時は、ワタクシの努力が足りなかったというだけですわね」
これが……16歳の少女の言葉なのか?
なんという達観した考え。いずれこの国を背負うという立場が、そうさせるのか。
彼女はひょっとすると、俺なんかよりもずっと大人なのかもしれない。
「……よもや、断りませんわよね?」
「そんな風に言われちゃ、断る理由が無いさ」
「じゃあ……むぅっ……んっ、ぁっ……ちゅっ……」
俺はサノアを強く抱き寄せると、今度は俺の方から唇を奪う。
何度も何度も、啄むようなキスから……やがて、舌が絡み合うような濃厚なキスへと。
「ふぁっ……ねとれぇ……これ、んちゅっ……れろ、あたまが……ちゅる……へんにぃ……」
「……嫌だったか?」
「……もっと、いっぱいしてくださいまし」
いつの間にか、首にサノアの両手が回されている。
彼女は口を開き、赤い舌をチロチロとさせながら……俺にキスをねだってきていた。
「仰せのままに、お嬢様」
「んっ……そんな、言い方ぁ……ぁっ♪」
こうして俺は、サノアと婚約を交わす事となった。
まだお互いの間に愛は無いように思えるが……それは今後次第という事で。
ただ、この時の俺はまだ知る由も無かったのだが――
「……させんぞ。あのような者に我が娘を……私が皇帝になる為の切符を、渡すわけにはいかん」
俺とサノアの結婚話をキッカケに、サンルーナは動き出す。
そして――念願の【封魔剣パンドラ】の封印が解かれる時。
『……近いな。ようやく我が目覚め……偽りの聖剣を罰する日が来たか』
俺達は、この世界の常識を――根底から覆す事になるのであった。




