46話:悪役令嬢の過去
【十年前 クラウディウス邸】
「よいか、サノアよ。お前はいずれ、このクラウディウス家……いや、サンルーナ全てを背負う女にならねばならん」
「はい、お父様!」
「強く、賢く、優しい……誰もが認める淑女となるのだ」
幼い頃。ワタクシは父から毎日のように、そんな言葉を投げかけられてきた。
叔父様と同じ、皇族の血を唯一受け継ぐ存在。
今は亡きお母様に代わり、サンルーナの切り札とも呼ぶべき【封魔剣】の封印を唯一解ける者として、次期皇帝として。
ワタクシは……日々、努力してきましたわ。
「おい、お前も混ざれよサノア」
「何を、していますの……?」
「何って、奴隷を蹴って虐めてるんだよ。コイツ、顔がムカつくからさ」
ある日、お父様から……ワタクシの許嫁となる少年の存在を聞かされた。
そして、その少年と仲を深めるようにと……少年の屋敷が開いたパーティへと参加した。
そこでワタクシが見たのは、笑いながらメイドを蹴りつけている……許嫁の姿。
「その子は奴隷ではなく、メイドでしてよ。それに、奴隷制は叔父様が即位された時に撤廃して……」
「んなこと、関係ねぇって。貴族以外の民なんて、奴隷と同じさ」
ワタクシの将来の伴侶となるかもしれない少年は、そう言ってメイドを再び蹴る。
ワタクシは周囲を見た。この場には、他にも多くの貴族達が集まっている。
誰かがこの少年を注意してくれるはず。
そう、思っていたのに――
「なんで……?」
誰も、少年を咎めようとはしなかった。
たまにチラリとこちらを見ては、微笑ましいものを見るかのように微笑を浮かべ、また歓談へと戻っていく。
1人のメイドが嬲られている事など、どうでもいいといった様子で。
それは、子供も大人も変わらない。誰もが、少年の行動を正当なモノだと思っているのだろう。
「……おい、サノア。聞いているのか? 俺の女なら、お前も大人しく……ぶべぁっ!?」
「うるさいですわね。そのくっさいお口を、二度とワタクシの前で開かないでくださいまし」
ワタクシは少年に強烈なビンタをお見舞いした。
そしてうずくまるメイドに、そっと手を差し伸べる。
だが――その手は払いのけられる。
「余計な事をしないでくださいっ!」
「……え?」
「こうして我慢していれば、生活できるんです! もし、今のでご主人様がお怒りになったら……!」
メイドは震えていた。自分の身が助かった事よりも、その後の報復を恐れて。
彼女の心には、貴族への恐怖が根付いている。
それはもう――手遅れなほどに。
「サノア! 貴様っ、覚悟は出来ているんだろうなぁ!? これは問題だぞっ!」
後ろでは、クソ貴族の少年がぎゃーぎゃーと喚き立てている。
そして、騒ぎを聞きつけた大人達も……その全員がワタクシの事を責めるような瞳で見つめていた。
ああ、そうなんですのね。
ワタクシが将来支えるべき国は――こんなにも腐りきっているんですのね。
「謝れ! 頭を垂れて深く謝罪するなら、許してやるぞ!」
「謝罪? どうしてワタクシがそんな事をする必要がりますの?」
だからワタクシは決意した。
周囲からどう思われてもいい。嫌われたって構わない。
悪人だと、なんだと言われてもいい。
ワタクシはどんな手を使ってでも、この国を変えてみせる。
そう――誓いましたの。
【翌日 クラウディウス邸】
「この大馬鹿者めが! 貴族の子息を、理由なく殴りつけるなど!」
「理由はありますわ、お父様。あの男は……」
「黙れ! 言い訳など……!」
翌日。先日の騒動の事で、お父様はワタクシを激しく叱りつけた。
ワタクシの弁明など一切聞かず、その手を振り上げ……ワタクシの頬を叩こうとした、その時。
「やめんか、ザーク」
「これは、陛下……!?」
部屋に入ってきたのは、この国の皇帝である叔父様だった。
ワタクシが理想とする、強く、賢く、優しい……皇帝陛下。
「話ならば余が聞いてやろう。お前は少し、席を外せ」
「し、しかし……!」
「二度は申さぬ。下がれ」
「……はい」
叔父様の言葉に従い、渋々といった様子で部屋を出ていくお父様。
そして、残った叔父様はワタクシの前まで近付いてくると……ぎゅっとワタクシを抱きしめてくださいましたわ。
「良くやったな、サノアよ。流石は余の姪……姉上の娘よ!」
「陛下……?」
「はっはっはっはっ! 二人きりの時は叔父様でよい! なんなら、おいたんと可愛らしく呼んでくれても構わぬぞ!」
ワタクシを抱きかかえ、叔父様はおおらかに笑う。
その優しい笑顔が、ワタクシは昔から大好きでしたの。
「叔父様は……怒っていませんの?」
「ん? 何を怒る必要がある? お前は正しい事をしたのだ」
そう言って、ワタクシの頭を優しく撫でる叔父様。
「余は嬉しいぞ。お前が……この国のクソ貴族共とは違う価値観を持っている事。その眼があれば、きっと――国宝の正しい担い手を見極められよう」
「うぅっ、ずびっ……! うえぇぇぇぇぇんっ! おじざまぁ……!」
「こらこら、泣く奴がおるか。可愛いぷにぷにの頬をこんなに濡らしおって、ペロペロしたい衝動を必死に抑え込まねばならぬではないか!」
叔父様は時々、信じられないくらい気持ち悪い事を言いますけれど。
それでも、ワタクシを唯一認めてくださる方。
「サノアよ、これから先……お前の進む道は茨に覆われているであろう。しかし、決してめげるではない。その茨の先には……きっと、お前の求める答えがある」
「答え……?」
「信じるのだ。己が道を信じて進めぬ者に、夢を語る資格は無い」
「……はいっ!」
ワタクシはこの日の叔父様の言葉を胸に、生きてきましたわ。
誰になんて言われようとも、正しいと思う事を成し遂げる。
貴族の腐敗を正す。この国のシステムを根底から覆す。
そうした結果、悪役令嬢だなんて呼ばれるようになってしまいましたけれど。
そんなの、些細な事ですわ。
大切なのは――この道を信じて、まっすぐ進み続ける事ですもの。
【現在 クラウディウス邸】
「んっ……ここは?」
ぼんやりとした意識の中、ワタクシは見慣れたベッドの天蓋を見つめていますわ。
たしか、ついさっきまで……ああ、そうでしたわ。
あの人に恐れをなして、ワタクシは意識を――
「あっ、目を覚ましたか?」
「……?」
隣を見ると、ベッドの脇で椅子に腰掛けているあの人がいましたわ。
心配そうな顔で、こちらを覗き込んでいるようですわね。
ふふっ、急にあんな真似をしたワタクシを案じてくださるなんて……どれだけ、お優しい方なのかしら。
「すぐに他の人を呼んでくるよ」
「待って、くださいまし」
「え?」
「その前に……先程の無礼を、謝罪致しますわ」
ベッドから上半身を起こし、ワタクシは彼に頭を下げる。
そんなワタクシに対し、彼は笑いながら首を横に振る。
「気にしないでくれ。どうしてあんな事をしたのかは、お付きの占い師さんから聞いたからさ」
「……あの子、また余計な事を」
「こっちこそ、あんな風に脅して悪かったな」
呆れるワタクシの元に、彼は近付いてくると……その右手を、ワタクシの頭に乗せる。
「あっ……」
よしよしと、ワタクシの頭を撫でる手の感触。
剣士特有の硬い手は、叔父様の手とはまるで違う感触の筈なのに。
どうして、かしら……?
この心地よさは叔父様と同じ。いいえ、もしかするとそれ以上の――
「お前のお陰で、俺は前より強くなれた。ありがとう」
「っ!?」
ああ、エイテ。
アナタの占いはやはり、当たっているみたいですわ。
こんなにもあっさりと。単純に。いとも容易く。
ワタクシは、未だに名前も知らない彼の事を……
「はぅ……」
好きになってしまったようですわ。




