97・俊敏で美味い獲物が居るので狩りに出ることにした
塩害地域に牧草の種を播いた翌日、妙な話を聞いた。
「素早く動く獣?」
その話によると、この近辺では時折野生の獣による食害があるのだが、相手は俊敏なので何とか追い払うのがやっとだという。付近の猟師が弓で射かけたそうだが簡単に避けていったそうだ。なんともすごい話だ。
「そうなんですよ。山に住んでるんですが、そのせいで脚が丈夫であっという間に跳んで逃げるんです。柵を造って飛び越えて入ってきますし、本当に困ったもんです」
そして、詳しく聞いてみるとどうやら鹿の仲間らしいことが分かった。他の鹿より跳躍力があって大きな沢すら飛び越えて移動するのだという。そんな鹿だから、ちょっとした柵や壕ではまるで役に立たない。
そのうえ頭も良いらしく、罠を仕掛けても殆ど掛からないという。当然、その俊敏さと跳躍力で弓矢すら避けてしまうらしい。
「そいつは旨いのか?」
鹿と言えば低カロリー高たんぱくの健康食材ではなかっただろうか。脂身が少ないので日本人好みの肉ではないが、不味い訳ではない。脂身が苦手な人にはおいしい肉だろうな。そう言えば、イノシシは食ったことあるが鹿は食ってなかった気がする。森の民にとっては脂肪というエネルギー源が多いイノシシの方が鹿より有益なのかもしれない。それに、一頭当たりの可食量でみても、圧倒的にイノシシだ。
「脂身が少なくおいしい肉だとは聞きますが、如何せん、年にごく少数が獲れる程度なので、話しに聞いたことしかありません」
そう言われたが、旨いのであれば食ってみたいと思うのは自然な事だ。
「よし、獲りに行ってみよう」
俺は熊用に持ってきた弓を担いで早速出かけようとした。
「おいおい、どこ行くんだ?」
ミケエムシに見つかって声を掛けられたのは失敗だった。
「そんな俊敏な奴が昼間っからうろついてるとは思えない。朝方か夕方を狙うのが良いんじゃないか?」
止められるかと思って身構えたが、どうやらそうではないらしい。どうやら乗り気で森の民にも声を掛けに行ってしまった。そんな大事にする気は無かったんだが。
結局昼間は牧草地の拡大に出向いて種蒔きやレーキ掛けを手伝う事になった。
収穫を目的にした作物ではないので播種機を使う必要は無いのだが、アマムの種蒔きまで滞在するのは難しそうなので、牧草の種で農家に播種機の使い方を教えることにしたらしい。
今日は馬鍬も馬に曳かせて現地の農家が扱っている。ミケエムシや森の民はその指導役だ。丘陵地でも犂を馬に曳かせているそうだから、もう数日で俺たちは帰ることになるんだろう。次に来るのはアマムの収穫時だから初夏になるんだろうな。その時には新たに改良したハーベスターを持ち込みたいものだ。
休憩を挟んで夕方近くまで種蒔きや農具の操作指導を行い、弓をもって鹿狩りに出かけることになった。
やはり、こういう時には森の民は非常に有能だった。
「この辺りの鹿は脚力があるだけでなく、大型の様だ」
どうやら足跡を発見したらしいが、それを一見しただけで淡々とそう語りだした。しかも、どうやら群ではなく単独の個体だという。どうしてそんな事まで分かるんだろうか?
俺にはまるで理解できない能力を発揮して森の民が鹿の足跡をたどっていく。
ただ、足場が非常に悪い。日が傾いて渓谷に帳が下りだす頃になると足元もおぼつかなくなってきた。
「大丈夫か?」
ミケエムシに心配されたが強がって彼らについていく。
「このくらいなら問題ない」
実際には問題大有りだが、鹿を見付けたい欲求が優先した。
先頭を行く森の民が立ち止まる。そして無言で指さす方を見ると鹿が居た。どうやら気づかれていないらしい。
森の民が静かに矢を番えて引き絞った瞬間、鹿がこちらに気づいたらしい。
矢が放たれたのを目で追っているようなそぶりを見せたかと思うといきなり跳ねて矢を避けてしまった。
「何て見切りの良さだ、アイツは」
森の民をうならせた鹿はどうやら余裕でこちらを見ているらしい。「射るなら射てみろ、すべて避けてやる」そう言ってるようにも思えた。
それの意図を森の民も感じたのか、再度射かけたのだが、また避けられてしまう。ミケエムシも鹿を射るのだが、それも危なげなく避けながら森の奥へと消えていった。どうやら俺らがこれ以上奥へ追えないと分かっている様だった。
「さすがにアイツは無理だな。あそこまで俊敏では弓では狩れそうにない」
森の民が悔しそうにそう言って帰る様に促してきた。すでに俺にはここがどこかも分からない。足元すらよく分からなくなっていた。
「そうだな、今日は帰ろうか」
そう言って歩き出した途端、俺は滑ってしまった。
「おいおい、そんなに弓の方が大事なのか?」
ミケエムシが助けてくれたが、俺が弓を庇うように持っていたせいでそう言われてしまった。確かに間違ってはいない。なんせ、この弓は精密機械だから。
俺は性懲りもなく翌日も鹿狩りに行こうとミケエムシを誘った。しかし、彼は昨日の事があって行く気が無いらしい。
「なら、私と行こう」
森の民はどうやらリベンジしたいらしい。他の個体なら仕留められるという事かもしれない。
そして、昨日よりも少し早く森へと入った。
森の民の臭覚とでもいうのか、彼は何かに導かれるようにドンドン森の中を進んでいく。俺は追いすがるのがやっとで周りを見る余裕すらない。
「あった」
彼がそう言って指さす先には黒い団子状の物体が散乱している。鹿のフンだろう。そして、足跡も見付たらしい。
「昨日の個体とは違う。しかも、数頭の群みたいだ」
そう言ってまた何かに導かれるように歩き出すが、俺はそれを早足で追いかける。この男に襲われる心配はないが、俺への配慮という点ではホッコが上な気がする。襲われる危険を考えたらどっちとも言えないのだが。
何とか彼についていくといきなり立ち止まった。俺は見失わずに済んだと安堵したのだが、彼は俺の気も知らずに微笑んでいやがった。
理由はすぐに分かった。指さす先に6頭の群が居る。そして、俺にも分かるように4頭の関係を説明してくれた。
どうやら体格の大きいのが親で、2頭はその子供、残りは群の若者って事らしい。
森の民が弓を番えるとやはり数頭が気付いたらしくこちらを見る。そして、放つとその行動を見てから避けてしまった。
俺も彼のあとから矢を放った。昨日鹿を見た印象から戦矢は必要なさそうなので狩猟用の矢を持ってきていた。
俺を見ていた鹿がひらりと避けて矢が木に刺さってしまった。
「嘘だろ・・・・・・」
何故か森の民が驚いている。そして、昨日は俺たちを小馬鹿にしていた鹿だったが、なぜか俺が矢を射た後から慌てたように逃げ出してしまった。
俺が狙った一頭は数跳びした後なぜかその場に蹲って動かなくなってしまう。
「さすが、熊を倒す弓の名手だ。あんな俊敏な奴さえ射抜いてしまうとは」
なぜか森の民は俺を見ながらそんなことを言う。
なぜか動かなくなった鹿へと森の民が駆け寄っていくので俺もそれに付いていくと、腹から血を流しているのが分かった。
ふと先ほど木に刺さった矢を取りに向かうと、鹿の血と肉らしきものが纏わり付いているのが分かった。もしかしなくとも腹部を貫通してここに刺さったのか?俺には鹿が避けたようにしか見えなかったが。




