61.渇望、根元符……闇鏢客、“蟣蝨”の生きた世界
気持ち悪いもの、怖気を震うものも沢山見てきたが、こんなに奇妙なものは初めてだと、“蟣蝨”は言った。
それは尸解仙達を操る寄生虫の全てを統べる、女王蟲……人体よりも遥かに大きくなった、不気味な寄生虫だった。
陽春二月、三月
楊柳がいっせいに花を咲かせる
一夜にして春風、寝室に吹き込む
楊の花、南の家に舞い落ちる
恋情胸に迫るも、行くことかなわず
楊の花を手に取り、涙を流す
旧時代の胡皇后とか言う不義密通で物議を醸した女が、懸想した若い男に逃げられて詠んだ歌だと言う。
亭主が死んだ後に美少年を侍らせようとしたってんだから、風情を通り越して嗤える。美少年の名を楊白花と言い、だから楊柳だ。
どちらもこの世界の珍竹林な姿、風体なんだろうな。
「儒家の貞節を重んじる思想は“性養生”を指南する房中術と決して相反しないようだ……この性典てか、春宮画入りの半分艶情小説みてえな“素女秘陰経”に拠ればな、性交体位だけでも実に豊富でほぼ禁忌が無い」
「その体位は幾つか吾も試してみたいと思うが……お前、古文書を買い漁っていたかと思えば、カテゴリーに随分偏りがあるのではないか、考えておることがゲスいぞ?」
「やることはやった、ベナレスの解析はまだ報告待ちだ」
「……大丈夫だ、強化版フリズスキャルブでこの世界の実態を大方は把握したが、この星の四十六国並びに同じ惑星軌道上にある兄弟星でもほぼ似非中華系の習俗で統一されている」
「でな、騎乗位だけでも色々とバリエーションがあって、この背飛鳬てえのと鵾鶏臨場……闘いに挑む軍鶏ってんだがな、何が違うかってえと………」
「ふむふむ」と言って覗き込むネメシスは、根っからの助平だ。
「……性欲旺盛で淫蕩好色な女の代名詞として登場する夏姫ってのは、“乱国淫女”として“春秋左氏伝”に故事来歴があるが、開牝丸と言う仙薬で花園の中の滑りを良くした、とある」
「また奇書、艶笑演義に記述のある王六児って女は、常態的に正常位を好まず肛門性交か手淫だったそうだ……実在の人物かどうかは怪しいが、彼女は四つん這いになった尻臀を向け、男の陽物を肛門に抽送させること二、三百回、自ら陰核を弄りながら快活な淫声を響かせた、と通俗史には書き残されている」
「女性の臀部は明月、玉樹と例えられ、古来この世界の住人の間では肛門セックスはタブー視されていないようだ……まぁ、民族性の違いかな?」
「民族性の違いとは便利な言葉じゃの……それより、吾なら千回でも二千回でもバッチこいじゃ!」
いや、昼間っから絶世の美少女顔で迫られてもな、それにヴァーチャルでこいつのケツの穴は何百回と拝んでるし……お前の方がよっぽどゲスいぞと、言おうとしたが飲み込んだ。
ネメシスと歩きながら、この世界の閨房に関する学術的な検証に耽っていると突然、辺りが騒がしい。
「おいおい、お嬢ちゃん、見ない顔アルなぁ?」
「ひょろっとでかい図体で通りを闊歩しようなんて、余程腕に覚えがあるアルか?」
「あまり大都を舐めない方が良いアルな」
「老屁眼、爛汚毬(ケツの穴の汚ねえ尻軽女)!」
お国柄って言うか、この世界の国罵と言う相手を口汚くののしるときのセクハラ・ボキャブラリーで、これが常套句と知るまでは随分とドン引きしたもんだ。
あぁ、だからあれ程通りの真ん中を歩くんじゃねえって注意したのに、シンディはほんと人の言うこと聴かねえな?
二人組のズングリムックリの背の低いマッチョに絡まれている。
絡んで来たのは現地のなんちゃってチャイニーズの……多分、これは大都の“符侠連盟”、八大鏢局の市中見回りだろう。
最初、梁山泊みてえな侠気の武侠の集まりかと思ったが、どうもそうでもねえらしい。どっちかってえと、冒険者ギルドみてえなニュアンスの方が近えかもしれねえ。
早い話が強請たかりのチンピラだ。
モラルもロマンも何処へやらだ。
皇帝殿のある、この国、馬灘朝第五十七代の皇都にやって来たが、お膝元の“符侠連盟”とやらの連中は、どうやら虎の威を借りるなんとやらで、威張り散らかすのが常態化してるらしい。
とまれ、揉め事は極力避けたい。
「連れが失礼したアルね、旦那、これで勘弁して欲しいアルね」
一瞬で距離を詰め、素早く袖の下を握らせて(こう言うのって万国共通だな?)、認識阻害と洗脳で、害意は無いよと刷込む。
途端に予想通りの手の平返しだったが、一言余計だったばかりにこの二人は命を失う羽目になった。
「良く分かてるアルね、兄ちゃん、早くお仲間のスベタを連れて立ち去るといいアルよ」
俺は生来気が短え、分かっちゃいるが、人間どうにも我慢ならねえことは在る。スベタのひとことが俺の琴線に触れた。
俺を中心に、その場の温度は一気に下がって行った。
「……誰がスベタだって? 良く聴こえなかったからもう一度言って呉れねえか?」
だが、相手はそれどころじゃなかった。既に空気圧縮に押し潰されてミシミシいいながら、血液は逆流、心臓は止まる寸前だ。
「かはっ、たっ、助け……」
「うん? 良く聴こえねえな……長生きしたかったら、今度からは相手を見て凄むことだぜ」
「もっとも、お前がもう一度生まれてこれるかは知ったこっちゃねえがな」
ドワーフみたいに筋肉質の癖に矮躯で辮髪の片割れが、潰れて血飛沫を撒き散らし、襤褸雑巾のように捻じれて死んだ。
取り残された相方は真っ青な顔を両手で挟み、女々しい悲鳴を上げていた。
「俺達に絡んだ運の悪さを呪いながら、相棒と仲良くあの世で反省しな……血反吐を吐きながらな」
残った方を、血液を沸騰させ体内から焼き尽くした。
(ネメシス、後始末を頼む、見てた奴の記憶を消去、事実を隠蔽して痕跡を残すな)
(俺達は一足先に、ここからずらかる)
(尻ぬぐいの代価は高くつくぞ?)
汎用万能小銃を胸前で特殊スリングに吊るしたネメシスが、認識阻害を解いて、辺りを睥睨し出した。
全てを掌握し、支配する為だ。
(借金はまとめて払う)
言い置いて、俺とシンディは目立たぬよう残像を残しながら人気の無い路地裏に転移した。
「妾のこと、スベタって言ってた」
「シンディ、そこそこ可愛いよねっ!」
「あぁ、可愛い、可愛い」
「そんなお座成りじゃなくってえぇっ、もっとこう心の底から褒めて……おだてて欲しいよぉ!」
「美醜はな、その土地土地の価値観てもんがあるんだ……仕方ねえじゃねえか、それに普通の娘は殺気立ってスローイングナイフを握り締めたりしねえ」
「大体あれ程何度も言ったのに、大通りのど真ん中を歩くお前がそもそも悪い……油断し過ぎだ」
「だってえ、初めての大都だしい、物珍しくってぇ」
「……お子ちゃまでした、ゴメンナサイ!」
昔っからこいつは、好奇心の塊りのような奴だからな……だが、仕方ねえで済ませていたら、こいつはいつまで経っても危なっかしいまんまだ。
及第点を遣れるまで、俺はずっとこいつの面倒を見続けるのかな?
でもまあ、俺はそれが不思議と嫌じゃなかった。
……直ぐに謝れるのはシンディの美点だが、早過ぎだ。
も少しゴネてもいいんだぜ?
「おめえは空元気だけは人一倍だな……ついぞ、凹んでるのを見たことがねえ、弱気は俺達には鬼門だが偶には泣き言のひとつも見せた方が可愛げがあるってもんだ」
「だってぇ、ネメシス姐さんもカミーラ姐さんも、スザンナ姐さんも鉄面皮メンタルなんだもん、弱音は吐けないよっ」
「さっきだって姐さん達なら、どんな侮蔑だって眉ひとつ動かさず平然と流せたもん……妾は躊躇いながらも、結局我慢出来なかった」
シンディは握っていたナイフを、チェストリグのシースホルスターに戻した。
「……妾の為にキレたソラン師匠が」
「嬉しかったよ」
ひどく小さな呟きだった。
俺は唯、スベタと言う単語がドロシーを連想させて頭が沸騰しただけなんだがな。
仲間をそれと同等と貶められるのは、堪らなく嫌だった。
剣の天界泰山符を手に入れて、次の札廟を目指し東征していた。
無丘の皇帝監察持ちの名人から得た古伝に依れば、東海の果ての離れ小島にそれはあると言う。
途中々々、郡城や県城の城郭のある大きな邑都に立ち寄ってこの世界の一般常識などを収集していった。
で、東征ルートの途上に偶々あるのが馬灘王朝暦1798年の御世にある馬灘帝国“睡虎”の大都、国郷“洛墨”である。
ここには東都修文殿と称する朝廷の秘書府たる官書庫、所謂文書蔵があった。噂に依れば、禁術指定された闇の術札や古代の霊害に関する術式符などが山と収蔵され、保管されている。
一度お目に掛かっておこうと、洛墨に足を踏み入れていた。
「老板娘、この茶は美味いな、大都でも名のある茶葉屋の品であろうか……何処に行けば買えるかな?」
「はいな、宮中への献上茶も商う西湖龍井茶館の熟成普洱餅茶の切れ端を安く譲って貰ているアルな」
若い賈飯屋の女将は、屈託無い笑顔でテーブルを片付けながら愛想良く教えて呉れた。
「茶壺や茶海、茶盤なんかの茶道具も一揃い欲しいんだが?」
「大丈夫アルね、龍井茶館さんなら東西南北世界中の名品、骨董品が揃ているアルな」
(身体が大きいと、アソコも大きいとでも思ったのであろうか?)
(この女将、お前に気があるかもしれんぞ……何せこの世界の女給ときたら、大概が木で鼻を括ったように無愛想で、突慳貪だからな)
静かに茶を喫しながら、立ち去る包子屋の女主人に目をやるネメシスが評した。
(アンダーソン様、わたくしが淹れるフルーツ・ティーにはもう飽きてしまわれたのですか……プーアル茶に浮気なさるなんて?)
(そう言う、ドッ、ドンファンみたいなのはいけないと思います)
(いやいやいやっ、そう言うんじゃないから、アザレアさん……てか、大体なんの話!)
無事、隠蔽処理を終えたネメシス達と合流し、宮中の漏刻水時計に和して昼時を告げる太鼓が鐘楼から聞こえてきたところだった。
焼餅や烙餅を食べさせる包子屋で昼飯にした。
立ち去り際、親切な女将に心付けを渡したらアザレアさんに脇腹を抓られた……なんで?
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厳重な警護役人達の監視の目を搔いくぐり、国家レベルの文庫収蔵館に潜入を果たしていた。
時間停滞の結界を造り出し、貴重で珍しい古代符や強力な戦略級術札を次から次に撮影記憶に収めていく。
物のついでと、正確な多重構造解析のエックス線透過技術で歴史書や伝記、雑記、典故などの故事来歴、経典諸々の古文書をOCRや解析拡張ドキュメントでデータ化していく。
(ソラン、結界を突破して誰か来る、始末するか?)
いつも冷静なビヨンド教官は、いつも通り冷酷だった。
(チッ、想定外だな……よしっ、作戦を変更する、読み取れてない書棚は全て掻っ攫う、ストレージ他なんらかの収納スキルのある奴で手分けしろ!)
目立たないよう、敢えて薄い結界にしたのが裏目に出たか。
「怪しい奴等、動くなアルよ!」
武官の格好で踊り込んで来たのは、平均身長の低いこの世界の住人には珍しく巨躯の美丈夫だった……でも、俺達より低いけどな。
動くなアルよってのはあっちこっちで聴くな、定型句なのかな?
この世界の口語体って、何故かボキャブラリー少ねえんだよな。
「その顔は、宮中禁軍十二衛を束ねる領侍衛府長官、耶律勝、字は大虎だったか?」
「これはっ、なんたることね!」
「貴様ら一体何したアルねっ……ここを封印された呪符や貴重な法具符を保管する蔵と知っての狼藉アルか、禁書指定の秘密古文書や国宝級の史料を、何処やたアルねぇ!」
太い眉を顰める武官は、吉祥文朝服の姿だからきっと宮中からやって来たのだろう。龍袍に近い官服は可成り朝廷に近い地位を示す。
既に粗方、未収録の書棚は俺達が無限収納スキル他に掠めて収蔵庫からは紛失している。
馬灘帝に仕える者にとっては大失態にして、天地狂瀾の大惨事だろう……事実、耶律は我を忘れる程に取り乱していた。
胆力が無けりゃあ、引き付けを起こさんばかりだ。
相手は問答無用で帯剣を抜いた。
寸足らずの癖に、焦れた猛禽類のように眼光が鋭い。
「修めた剣は鉄魂寺原典教派の必死剣法、武術は神通掌、内功は華蟲無碍心経を学び、符力、大にして馬灘随一だとか?」
「得意は幻惑系の符術で、洛墨程度でも都ごと煙に巻くと聞く」
この世界の神霊力とやらを術理的に操るには、内丹気功の功夫が密接に関係してくる。名のある符術使いなら、尚更だ。
「何故、寡人のことを色々と知ってるアルねぇっ!」
「俺は耳もいいし、眼もいい、おまけに何でも知ってる……あぁ、アンネハイネ、ちょっと相手をしてみろ、但し銃は無しだ」
ストックを肩付けする気配を制して、アンネハイネに飛び道具使用禁止の縛りを掛ける。
多機能式高性能ライフルで撃った日にゃあ、一瞬で終わっちまうだろうが……俺の意図を良く読めよ。
「ビーム・ソードを使っても?」
「許可する」
まだ認識阻害の効力内なので俺達の爆発的な神霊力は、相手には分からない。ライフルを背中にピッタリ背負い直したアンネハイネは、ミリタリー・コマンドベルトに吊り下げていた自動で手の平に吸い付くオートグリップのビーム・ソードを両手に握り込むと、光る刀身を伸ばしざま、無拍子で肉薄するのを一瞬で遣ってのける。
相手の大剣は、既にものの見事に斬り飛ばされていた。
こうしてみると耶律はアンネハイネと同じぐらいの背丈だな。
(矢張りこうなったか、如何に霊的に強化された刀身でも圧倒的な物理損壊の前には一溜まりもない)
とは言え闘い巧者、アンネハイネの桁外れの技量の前に及び腰ながらも怯むことなく術札を取り出す、だが遅い。
幾ら練功の達人と言えど、イメージだけで空中に術符そのものを展開出来るスピードには敵う筈もない。
アンネハイネが一瞬で繰り出した“術式無効”“金縛り”の符式が無数に取り囲む中、ぐっと身を沈めたアンネハイネが刈り取らんばかりの素早さで後ろ足払いを掛ける。
ここまでざっと2秒、したたかに背中を打ち付けた耶律の首許をアンネハイネが踏み付けた。
蛙が踏み潰されたような声で、禁軍の長官は呻いた。
「殺すな! こいつは多分皇弟の近親者だ、後々面倒だ」
止めを刺す光の切っ先を耶律の眉間に突き付けたアンネハイネに待ったを掛けると同時に、別の侵入者の気配があった。
「耶律、何処あるね! 入り口の子鼠は仕留めたアルよ、そっちに逃げて来なかたアルかっ?」
ドタバタなのか、チョコマカなのか、遅れて登場する珍竹林は……こいつも背が高えな、耶律勝よりも更に背が高え。
毛むくじゃらの頬髯……こっちの世界じゃ髭さえ生やしてりゃ、好い男みたいな共通認識があるから馬鹿々々しい。
俗に言う鍾馗髭って奴かな、髭茫々の如何にも大侠風の男は洛墨の八大鏢局を纏める鏢頭、離莫撰だ。
……鏢局に籍を置く鏢師、保鏢と言う人種は、怪仙、妖魅、物の怪が跋扈する荒野を旅する大規模隊商などの護衛や、貴人の警備業を稼業とする、所謂用心棒だ。
鏢局は、その組織された斡旋組合……ギルドみたいなもんだ。
だが、何故鏢局会頭、離莫撰がこんなところに出張って来る?
俺は昼間の破落戸との揉め事に足が付いたのかと、ツーハンド・ホールドにハンドガンを構えるネメシスを見遣る。
ブンブンと顔を振り、後始末に落ち度は無かったと主張するネメシスに嘘は無さそうだ。だとすれば、別の線か?
“蟣蝨”は密命を帯びていた。
元は太陰星君“姮娥”と称する墉宮玉女第一位階の仙女だったが、主たる太元聖母、“至尊金女”に請われて野に下った。
以来、失われた根元符を求めて地上を這いずり回ること6000年に及ぶが、未だ目的は果たせずにいる。
幾度か、戦が起こり国が興っては消えて行ったし、下々の暮らし振りや言葉も移ろう。
その内、求める根元符などは最早この世に無いのではないかと疑念に囚われるも、神たる至尊金女の言葉に偽りのあろう筈も無いと思い直すこと何百たびかに及ぶ……そんな来し方だった。
九天玄女の高位の身が、黑鏢客にまで身を堕とし市井を流離う流浪は、終わりの見えない苦難の旅だった。
今度こそはと当たりを付けたそれらしき風評を追って、なんたび空振りしただろう……800程は数えただろうか、その後はもう覚えてもいない。
如何に虚しく愚かな行脚だろうと、蟣蝨に神の命に背くと言う選択肢は無かった。
流れ流れて馬灘と言う国の皇都、洛墨に在った。
いつしか渡りの闇鏢師が普段の生業になっていた。黑社会に身を置くことで怪しげな情報を得易かったからだ。
闇鏢師と言うのは金を貰って人を呪殺したりする裏稼業だ。
従って真っ当な鏢客達からは、忌み嫌われて蛇蝎の如く目の仇にされていた。
大都の門をくぐった途端に、この地の鏢局の監視が付いた。
存外、この地の鏢局の横の繋がりは良く機能しているらしい。
洛墨には、馬灘帝国睡虎の全ての鏢局を統括する局長、離莫撰が居た筈だ。その勇名は、大陸中に轟いている。
……などと考えて、暫く大人しく大都に滞在し、阿片窟などに寝泊まりしては目立たぬように探りを入れていたのだが、この頃、離莫撰その人が尾行に付くようになった。正体はバレてはいないと思うが、余程警戒されている。
提灯屋や古着屋を素見す振りをして店を通り抜け、追っ手を躱したが、気が付くと東都修文殿の近くに出た。
ふと気になって遠見の術を使ってみたら、何故か瞞しと人払いの結界が張られている。見たことの無い術式だったが、ちょっと見た目は平易で単純な構造なので、深く浸透してみなければその真価に気が付かず、騙されるところだった。
見たことも無い強固な結界だった。
これ程のものは、天界でもお目に掛かったことは無い。
緻密な目眩しに気付く者は、この皇都にはおそらく居るまい。
正直、心が打ち震えた……結界の中を覗いてみれば、現存する神々ですら霞む、圧倒的に巨大な霊力が渦巻いていたからだ。
根元符そのものかは分からなかったが、きっとこれを追えば今度こそ根元符に辿り着ける。
そう思わせるだけの、不思議な力が確かに感じられた。
その中心にいる人物は人外かと思わせるような妖気に包まれているのだが、これを巧妙に隠蔽している。
時間を掛けてその内側に入ってみようとしたが、目が潰れるかと思う程の巨大な霊力が煮え滾っていた。
闇よりも暗く黒い霊波と言うものを、初めて見たように思う。
どろどろと黒く燃え滾る黒い瘴気……いや、これは怨念だろうか?
あまりのことに周囲の警戒を怠った。
気が付けば皇都の禁軍十二衛の官兵に取り囲まれていた。
ここで雑兵にかかずらわっている場合じゃないと、躊躇わずに複雑な結界を解きほぐしだす。
油断があった。
結界の内側に侵入し、空虚遁甲の法で姿を消す寸前、振り切ったと思った離莫撰が何処からともなく現れ、一太刀喰らった。
穴を穿った結界からは、わらわらと符術で武功を強化した宮中官軍が雪崩れ込んで来た。
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「面倒だな、焼き尽くせ!」
いい加減、屍の山が邪魔だ。
重い明光鎧を着込みながら軽功で飛び越えてくる兵は全て狙い撃ちだったが、不毛な殺戮で煩わしい。
ちまちま、対人インパクト・レーザーの銃撃で削っていくのも飽きてきた俺は、後先考えず使い慣れた焼却魔術を繰り出す。
どうも符術の練習をしようと思うのだが、人間使い慣れた方法を選んで易きに流される。
洛墨東都修文殿は天からの目映い業火に押し潰されるように、燃え散り崩れて、灰になった。
滅却の炎の轟音は、おそらく大都中に鳴り響いた。
人に殺すなと言っておきながら、結局耶律勝も、離莫撰も消し炭に変えた……こうも兵隊を送り込んでこられたら、秘密裏にことを運ぶのは無理ってもんだ。
だったら誰の仕業か分からないように、全ての証拠を抹消しちまえばいい……その方が手っ取り早い。
外であぶれていた待機の援軍が、蜘蛛の子を追い散らすように敗走していった。
宮裏の武装兵卒に号令を掛け、手練れの鏢師を率いてきた耶律勝と離莫撰は確か同門の兄弟弟子の筈だ。大輪寺での修行時代に義兄弟の契りを交わしている。
だがこの場に示し合わせて突入してきたのは、どうやら俺達が目的じゃねえようだ。
「耶律共の技量で結界を抉じ開けたにしちゃあ、やけに洗練されていたし……早かった」
「隠れて高みの見物は、手傷を負ったせいか?」
発勁の要領で凝縮した魔力を四方に発気した。
声無き苦悶と共に、ブスブスと燻り舞い散る灰と煤煙の中空から、どたりと床に投げ出されたのはこの世界には珍しいスマートな八等身の女だった。体格も俺達に近え。
襤褸布のような手甲脚絆を手足に巻いて、丈が短い袖無しの単衣と言う、まるで人足みてえな格好だ。
だが、陽に焼けちゃあいるが鼻筋の通った目許涼しげな顔は、稀に見ると言っていい程の美貌だった。
背丈もあるし……これで昼日中、市中を歩き回るには何らかの隠蔽術式が要る筈だ。
「……カミーラ、手当てをしてやれ」
進み出たカミーラは口をアングリと開けて、中から鳥の卵ほどはあろうかと言う一匹の大蜘蛛を吐き出した。
「縫い蜘蛛じゃ、此方の眷属で刀創の縫合には重宝しておる」
左脇の下を斬られている女に放られた蜘蛛は、吐いた糸で器用に傷口を縫合していく……と見る間に深く割られた傷は、元の滑らかな肌へと治癒していった。
負った霊障も同様に、その効力は消えていた。
「俺達に悟らせない技量は大したもんだったが、もうその手は通用しねえと思え……堕天して受肉した仙女、“蟣蝨”と言う稀有な存在を知って、逢ってみてえと思っていたんだ」
正体を言い当てられた女に、驚きの気配があった。
「“根元符”についての話が訊きてえ」
これ以上洛墨に留まり大都を荒らすのは国威の低下に繋がると判断した俺達は、早々に街を離れることにした。
腐っても元天女、臭くはないが長く身体を洗っていないと言うのでバスタブ付きの大型クルーザー装甲車両、“砂漠鬣犬6号”で東へと進んでいた。
沈む夕日を背に、早くも砂漠地帯を爆走する。
女共が寄ってたかって元天女の女鏢客を洗い上げていたが、捕虜は大切に扱えよ……何をされたか知らねえが、バスルームからは悲鳴に近い、甲高い嬌声が上がっていた。
伸縮性のフィッティングスーツを着させたら、程良い括れで悩殺力が半端ねえ。そんなことを考えて別に鼻の下を伸ばしてた訳じゃねえのに、またアザレアさんに脇を抓られた……なんで?
今度から防弾プロテクター着とこうかな。
不整地用のデザート・ハイエナは渡渉や登攀向けの変形も行うのでボディ自体は小回りが効くようコンパクトになっている。
車内の空間を有効活用するため、4層構造の多重空間拡張システムを採用している……大型パントリーと冷蔵庫を併設する、少し手狭だが便利な調理器具満載の高機能業務用キッチンだってあるんだぜ。
まっ、この頃は忙しくって殆ど使ってねえんだけどな。
……夕餉もセントラルキッチンの作り置きをあっためるだけの、日替わりプレート・ディナーだ。
今晩のはタンシチューとクラムチャウダーの煮込み料理2品付きの豪華版だった。
普段は交代で飯を喰うが今日は客人が居るんで特別と、晩餐は皆んなで囲むことにした。皆んなで座るとちょって窮屈だ。
メインの献立はフレッシュ・フォアグラのソテーを載せたテンダーロインステーキに野菜のテリーヌと、鮟鱇と子羊のレバーペーストの付け合わせ、エンダイブのクリーム煮、キャビア載せプロシュートやパンチェッタのコールドミートと割りとがっつり系だ。
「それで、“天臨四神”……四つの天界泰山符の存在は巷間にも細々と伝わっているのに、“根元符”の話は皆目聞かねえ」
「……何故だ?」
ぽっつら、ぽっつら身の上話で、今迄の流浪の苦労なんかは語るんだが、肝心な部分になると口が堅い。
「無理矢理魂の内側を掻き回してもいいんだが、ガードしているお前の器が壊れちまう……いい加減、胸襟を開いたらどうだ?」
「飯まで振る舞ってやってるんだぞ?」
「全てを見通す聖者だと言うなら、そのフ、フリズスなんとやらで調べてみればいいではないか!」
「ありゃあ、リンクするにも神経を消耗するんでな……例えばこの星、“華胥”老官台と、ほんの少し外側の惑星軌道上にある同等の兄弟星、龍山“雷沢”併せて68億の人間に、それと倍する魑魅魍魎の全ての記憶を追体験するんだ、その負荷がどれ程のもんか分かるか?」
機能を追求し、より親和度を高めた結果、強化版のフリズスキャルブはとんでもないことになっていた。
もう少し概略を編集する機能とフィルタリングを追加する為に、マクシミリアンが改造を始めていた。
「こっ、このフォークとナッ、ナイフと言う奴はつっ、使いづらいものだな……」
使い慣れぬカトラリーに悪戦苦闘する天女様は、もぐもぐ口を動かしながらへこたれていた。
「……おい、誰か箸持ってきてやれ」
雲か霞を喰ってると思った元仙女様だが、普通に腹はすくようだった。まっ、テーブルマナーは駄目だけどな。
「特濃フレッシュバターがあるのに、わざわざマーマイトを好むとは、お前は善く々々貧乏性だな」
「煩えよ、人の好みにケチ付けんじゃねえよ」
「ネメシス、お前は俺のお袋か?」
焼き立てのパンド・カンパーニュに、銀のキャニスターからお気に入りのマーマイトをたんまり掬って、これでもかと親の仇のようにベタベタ塗り付ける。ビール酵母から作られるマーマイトは独特の風味と粘度があり、上手に塗り伸ばすのはコツが要る。
仕舞った、幾らなんでもこいつはバランスが悪い……塗り過ぎだ。
詰まらねえ反発心から、つい遣り過ぎるのは俺の悪い癖だ。
喰う分だけ塗りゃあいいのに、パンが真っ黒だ。
仕方ないから上からルバーブのジャムを塗り重ねた。
心なしか皆んなの目が冷てえ。
「ガーリック・ペーストは何処じゃ?」
「お前、吸血鬼の癖に大蒜が好きなんて、おかしかねえか?」
銀の薬味入れを渡しながら(デザート・ハイエナのダイニングは、シルバーのテーブル・ウエアで統一されている)、カミーラを窘めてから仕舞ったと思った。
「此方にそれを問うか?」
「その件は一日中でも語れるぞ……また、聴きたいのか?」
ん、いいんだよ、好きにしてくれて、吸血鬼もそれぞれだもんな。
「ソラン、クレイジーソルト取って」
「マスタードをくれ、マスタードが無いと僕は死ぬ」
「おめえらの舌は、どうしてそうジャンキーなんだ」
「「「「……お前にだけは言われたくない(のお)」」」」
(((貴方がそれ言っちゃいますか?)))
ん、いいんだ、飯ぐらい自由に喰えば……人それぞれだもんな。
傍から兎や角言うのは、筋違いってもんだ。
……どうやら俺達には元仙女擬きに、マナー云々を語る資格は無さそうだと、皆んなの突っ込みを聞きながら思った。
それ以前の問題だ。
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機能優先のメシアーズの質実剛健さを嫌って持ち込んだ、緋色の絹織りテーブルクロスの上で、銀の燭台の灯りが揺れていた。
デザートと珈琲、アルマニヤックなど強めの食後酒の時間になって元仙女様は少し軟化を見せた。
密命を以って世界を流離う影の女保鏢(実は元仙女)を、行き掛かり上助けた訳だが、幾つかの地で国主、為政者お抱えの符術師団などと揉めて今も追われ、付け狙われる身だと言う。
憎まれ、疎まれてもめげない不屈の魂だ。
仕える聖央精霊天帝“至尊金女”の命を受け、行方を追う逸失した根元符とは、嘗て太元聖母宮にあり、あまねく世の平定にその神秘力を降り注ぎ続けたものだと言う。
太古の昔に天界の霊獣にスタンピードが起こり、鎮める為に神力尽きるまで振り絞った根元符は、千切れて下界に散ったらしい。
時が満ちれば根元符は復活する、そう“至尊金女”は言ったそうだ。
徒らに人の世を紊乱させぬよう、根元符喪失は天界でだけの知るところと定められた。
根元符とは天界泰山符の更に上に位置する、世界の根源を操る謂わば万能のオンリーワンだと主張した蟣蝨……当然、この女も天臨四神の札廟には訪れている。
根元符に繋がる手掛かりを求めてのものだったが、見知った場所への案内は出来ると言う。
今、俺達が目指している東蓬莱海に浮かぶ孤島……絶苛島にあると言う札廟、“月琴殿”への案内を買って出た。
現在、まったく眠らずに活動出来るのは対価として眠りを奪われている俺、強い生命力で脳を休める必要の無いホムンクルス体のネメシス、カミーラ、そしてペナルティ・イスカの能力を引き継いだアザレアさんだが、元仙女の癖に蟣蝨って女保鏢は、与えた寝床で爆睡していやがった。
初めて触れたハイ・テクノロジーの洗礼に軽いカルチャーショックを受けていた筈だが、高鼾と迄はいかなくとも寝息を立てて寝入る様は存外人間らしい。
夜明けと共に洗面と歯磨きをさせるが、何分自動化されたサニタリーやトイレは初めての体験だろうから、思いも掛けぬハプニングが続出したりする……便器に歯ブラシを落としたりとかだ。
お陰で朝から騒々しい。
誰だ、用足ししながら歯を磨くものぐさな遣り方を教えたのはっ!
その後、シンディに軽く化粧をされていたが流石は元仙女、吃驚する程美人なんで惚れそうだ……なんて考えていたら、脇を防御していたのに、アザレアさんに右のほっぺを抓られた。
……なんで?
砂漠の中に小さな邑を発見したので立ち寄ることにしたが、実際に行ってみると立派な高層楼閣を擁する邦だった。
言葉は通じるようだが、装束は砂漠の遊牧民みたいでゆったりした陽射しを避けるようなものだ。
日干し煉瓦を積み上げた家屋と、パオと呼ばれる組み立て式テントが混じりあった街並みだった。石積みの縣山頂や中庭のある四合院の形もあるが、そんなのはごく稀だ。粗末な小屋掛けの方が多い。
定住というよりは半遊牧……きっと少ない草原を求めて移動しながら暮らす、そんな男衆も居るのだろう。
同行する蟣蝨には、誤射されても困るから武器こそ持たせなかったが、予備の防護プロテクターを装着させた。
一応軽く説明もしたが、素人向けに機能思念案内のイージー・モードにしてあるから多分大丈夫だろう。
今朝もダイニングで充実したブレックファーストを鱈腹満喫していたが、いざ人混みに足を踏み入れてみると蟣蝨の気配の消し方は半端じゃなかった……6世紀近くに渡り、裏家業に生きた実力は伊達じゃないと言うことだ。
もっとも異邦人として警戒されないよう、個々の認識阻害に加えネメシスの張った全体認識疎外の結界は、目抜き通りでカーニバル・パレードでもしない限り、滅多なことで怪しまれたりはしねえ。
「妙じゃのお、ここの住人は皆、見たことの無い霊符、符籙を使うようじゃが………」
「道術だろう」
昔の妖精戦争時代に抱朴子流神仙術を極めた一派が何処かに自分達の国を築いたのは、強化版フリズスキャルブで得た知識だ。
道術士達の使う札符の神字は皆、小篆体で書かれている。
「天山南路の華陀高原を発祥の地とする攻城戦に秀でた陰陽墨家の宗派が、流浪の末に術理研鑽の地を得た……邦の名を“道”と言う」
「多分、ここがそうだろう」
だとすれば拙いな、抱朴子流は門外不出にして外への流失を極端に嫌う。旅人の受け入れなど以ってのほかだろう。
いざとなれば国ごと燃やすか、と短絡的なことを考えていると官憲らしき制服の格好の数人に取り囲まれる。矢張り背は小さく、辮髪の尻尾を垂らしているが、頭に赤幘と言う紅い布切れを巻いているから多分士吏とか街卒と言った身分だろう。
「宗主殿が会いたいと申されてるアル、御同道願いたいアル」
集団の長らしい人物が低い声で告げるんだが、どうもその巫山戯た語尾が、半分おちょくられているんじゃなかろうか、と感じるのは果たして俺だけだろうか?
6000年を人間界の更に最下層で流離い、ただ当ても無くこの世でただひとつとされた究極の札符を探し求めた。
生きるのが辛いとは思わなかったが、正直虚しい使命と言って仕舞えば足は止まる。
“根元符”と言うものが本当にあるのだろうかと疑わなかったかと言えば、嘘偽り無く本当のところ再三再四慟哭した……それが自分の人生だった。
人を呪い殺すような悪事に手を染め、名を捨て、汚れない仙女だった過去を捨て、闇保鏢“蟣蝨”を名乗り、ドブ泥のような苦海を渡る内に幼い者の命を奪いさえした。
のっぴきならない状態に追い込まれ、生き残り、生き続ける為になんの罪も無い人達を殺めたこともある。
きっと私は使命を達成しても、行き着く先は地獄だ。
使命の為に生き、使命の為に死す、そうと定めた報われぬ人生と思っていた……昨日までは。
マウスウオッシュとか言うものを口に含んだときに、あまりの刺激と痺れるような味わいに、思わず噎せて吐き出した。
口臭を抑える鶏舌香の苦さや、歯木の味わいとも違う。
私の口はそれ程、臭いのだろうか?
下界に堕天して肉の身を得てみれば、生き物というものは従来匂いを放つものだと知った。
いつしか糊口を凌ぐのに、黑鏢で金子を稼ぐようになって、職業柄匂いを絶つ仙術を使うようになってはいたが……
「あぁ、ご免ね、慣れないとピリピリしちゃうもんね」
「はいっ、超微振動歯ブラシ、あんたの分……気にする程、口は匂ってないよ、でも女の子の朝の嗜みだからね」
面倒を見てくれるシンディと言う娘が更衣で歯を磨くのを真似してそう言うものかと思い、続いて隣の更衣に入ると言葉を失う程の清潔さに吃驚して、我知らず喪心した挙句、歯ブラシというものを便壺に落として仕舞った。
教えるのを諦めたシンディは、洗顔や朝の洗髪などの身だしなみとやらを甲斐甲斐しく遣って呉れた。
驚いたことに髪を乾かす、温風を吹き出す道具がある。
遥かな昔、天界にあった頃には身の回りの世話をする女官玉女達に傅かれていた筈だが、もう良く覚えてはいない。
もう長いこと構いつけなかった髪は、昨晩のヘアケアとやらで、灰色の見た目から、従来の艶のある銀色を取り戻していた。
面倒なので単純に巻き上げて団子にしていたのだが、折角だからとシンディが編み込みの捩じり髪にして呉れた。
丁寧なのに素早いのには感心した。
見たこともないピカピカの鏡の中で見た髪型は、何か宮廷の女官のような優雅な髷をしていた。
そして化粧道具だと取り出した小振りの文房箱ぐらいの入れ物を開けたシンディは、なんの道具だろうか、先っぽに硝子玉のようなものが嵌った何とは形容出来ない用具を取り出すと、私の頬に当てた。
ピッ、と言う音がして間もなく、化粧箱が何かを吐き出した。
「蟣蝨の肌質に合わせた基礎化粧オールインワンと、顔の色に合わせたコンシーラーとマイクロ・パウダー、アイブロウとリップ一揃いだよ、無香料って言うか消臭効果を加えてる」
「コンパクトパッケージになってるから」
「マスカラは射撃精度を妨げるって理由で妾達は禁止されてる、それと暫く一緒に居るのなら覚えておいて欲しいんだけど、作戦行動で出動する際はメイクは無しね」
「遣り方は教えてあげるけど、瓶のここ……」
「QRコードを読み取るとチュートリアル動画も見れるよ」
なんだろう、薄べったい手の平に載るぐらいの四角い板でカシャッと、何かをすると板に絵が映った……異人の女だろうか、金色の髪に青い目の女が何かを流暢に喋っている。
「音声が翻訳出来てないのは堪忍して、妾達はこの世界に来てまだ1ヶ月だから……下の方に字幕が出てるでしょ」
不思議な技術だった。確かに下の方に小さく化粧粉の使い方が流れていた……これが、昨日聞いたテクノロジーとか言うものだろうか?
娘が言った“この世界”と言う言い回しが妙に引っ掛かった。
まるで違う世界から来たような言い方に聴こえた。
「専用クレンジングクリームと各種洗顔フォームは共用だから、ここに置いてあるのを使ってね……クレンジングってのは寝る前のお化粧落としのことだよ」
そう言うとシンディは、さっき各種常備薬が入れてあると説明のあった戸棚になった鏡の前に私を立たせると、解説しながら私の顔を整えていった。
「闘いの日常を生きる妾達は立ったまま素早くメイクアップ出来るよう訓練されている……だから、化粧品は殆どが速乾定着になってるから暫くすると絶対に落ちなくなる、注意してね」
「そうそう、肝心なこと忘れてた」
「持ち物は少ないみたいだけど、肩掛けカバンじゃ戦闘に不向きでしょ、このタクティカルベストに詰め替えといたから使って……ただ刃物は数打ちの鈍らみたいだったんで、このダガーとスローイングナイフをあげる……ベストのシースからはこうやって抜けるからね」
抜き方まで丁寧に教えてくれた。
「妾の知る限り、宇宙一硬いベッセンベニカ鋼で出来てる……絶対折れない」
「それと紙符は全部撮影して、このアーミースペックの汎用携帯端末に入れといたから……72枚ほどあったけど全部この中に入ってるんで、後で検索の仕方と発動の遣り方を教えてあげる」
そう言って、先程の四角い板を渡された。
……美味い。
昨晩に引き続き朝餉も馳走になったが、これ程の質の高い美食は何処の王侯貴族だろうと口にしていないのではないだろうか?
市井の底を這いずり回るような生活で、つい粗食に馴染んだが、遠い記憶の天界での神饌ですら及ばないように思える。
鹿肉のベーコンとかを使ったエッグ・ベネディクトと言う卵と麺麭の料理は、深く濃厚な味わいの中にざっくりとした歯触りの初めて知る噛み応えが新鮮だった。
火腿や香肠詰、奶酪の類いも多彩で素晴らしいし、澄んだ白湯は、蛙と鶉のブイヨンと言うらしい。
箸も散り蓮華も無い食べ方には最初は困惑したが、慣れれば何程のこともない。
あぁ、昨晩最後に食べた巴旦杏のブラマンジェと言う菓子の味が忘れられない……思い出すだけで恍惚と陶酔するのも初めてなら、私に取って、また食べてみたいと思えるのは初めての経験だった。
詩は嗜まないが、今ならブラマンジェの為に五言絶句だって詠めるかもしれない。
朝食のメイン・ディッシュはお代わり出来ると言うので貰ったが、意地汚かっただろうか?
それにしてもこの乗り物は九卿軒車よりも数倍以上大きく、攻城用兵器の雲梯よりも頑丈そうだ。
絡繰り人形と同じ機械仕掛けで動くと言われても、ちょっと理解が追いつかない。
連れられて中に乗り込んでみれば、金属とも磁器とも違う不思議な材質で出来ていて、何故か見た目よりも内部は可成り広かった。
六足馬が曳いている訳でもないのに、モニターと言う外を映し出す道具だと言われたものを見れば、景色は流れるように飛び去って行った。塞建陀の術法でもこうまでは疾く走れない。
微かな振動は感じるのだが、どうして揺れないのか訊いてみると、亜空間サスペンションと反重力ショックアブソーバーだと言う……なんのことかさっぱり分からない。
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「我が邦に客人が訪れたは、何十年ぶりアルね」
「“惑いと瞑眩”の結界で、旅人が此処に紛れ込むことは滅多に無い珍事アルよ……あぁ、別に敵意は無いアルから安心するヨロし」
宗主と名乗った男はでっぷりと太って、一族の指導者と言うよりは砂漠の国のサルタンみてえな印象だった。矢張り背は低い。
禿頭にちょこんと簾みてえな糸を垂らした冕冠を乗せて、暑いのに汗を掻きながら天子袞衣だか黄袍みてえなキンキラキンの絹装束で着飾っている。
高楼建築は名を“烈震殿”と言い、上に登るに従って邑内を遠く見渡せて、その先が照りかえる陽射しの砂原が延々と連なる緩衝地帯なのが分かる。
これならば、大挙して大軍が押し寄せにくかろう。
城郭都市のように邦を城壁で囲まぬは、いざという時にその方が融通が利くから……と言う判断なのか?
中央省庁を兼ねているのか、建物の足許には高床と言うか干闌式の櫓殿が蝟集しており、それぞれに朝堂、丞相府などの様々な役所らしき扁額が認められた。
入るときに通った烈震殿の門には亀と蛇の形を模した、でかい円環把手があり、おとなう者を威嚇し続けていた。
……籠冠を被る侍衛と、金細工や珊瑚の笄をこれでもかと何本も挿した沢山の侍女だか女官に取り囲まれてる御大層な宗主の間まで、刑部省の連中に連行されてきたが、割と扱いは悪くない。
足の疾い鉄軒車は貴人用に設えた、巫術で浮くものだった。軒車で移動するほど、どうやらこの邑は見た目以上にだだっ広く、そして人も多いってことだろう。
見渡す宗主の間の、どちら様も背は低いが頭は辮髪じゃねえな。
普段は一段高え宗主の座は御簾で目隠しされてるらしいが、取っ払われてるところを見ると余程俺達は歓待されてるらしい。
貴人の前で礼を執らず、名乗りもしない俺達を、不敬と咎めることもない様子だ。
「実は墨家鄧陵氏派第五十二代鉅子、禽滑釐としてお手前達に折り入って頼みたいことがあるので、聴いて欲しいアルな」
「諸子百家が筆頭、道教墨子の隠れ里に辿り着いたは、さぞや名のある符侠とお見受けするアル」
「前置きはいいから、用件を先にしてくれ……堪え性の無いソランが焦れておる」
いや、堪え性の無いのあんただろ、ビヨンド教官!
太っちょが話し出してから、まだ3分も経ってねえぜ!
俺よりも偉そうに踏ん反り返るの、やめてくれねえかなっ?
「これは失礼したアル」
禽滑釐と名乗った当代党首は、武官、臣下の前だと言うのに軽く頭を下げた。こいつは信用ならねえ、腰が低過ぎだ。
拝謁する郎中、侍中、家臣には残忍なまでに君臨する……それがこの世界の上位者だ。
一旦詔書が発せられれば、それに答申、奏上、意見するのは命懸けの筈……いつしか、そんな慣習が不文律になっちまってる。
腹に一物無ければ、こんなに低姿勢の訳がねえ。
「尸解仙と言うものを存じているアルか?」
そう言って切り出された話は、世にも奇妙なものだった。
もともと守城のための兵器工学や戦術学に秀でた技能集団であった墨家の一族は、自分達の技術向上に熱心なあまり戦のある地を転々と移り住んだ。
だが、道教聖仙思想と鬼神信仰もありいつしか自分達の神仙符術を自由に磨ける場所……修行と研鑽の場を求めるようになった。
幾多の紆余曲折の末、名も無い砂漠の地に約束の地を得たのは彼此970年ほど前だと言う。
以来、各国の為政者達に請われるまま攻城戦の依頼があればその地に訪れて城を防備し、或いは城攻めに加わるなどの仕事を請け負う出稼ぎを活計としてきたが、秘匿技術の職能の里は治外法権、部外者の干渉を一切跳ね除けてきた。
墨子道術の究極は、仙道を体得し不老不死の神仙に至ることだ。
ここ、墨家系道士達の邦でも日々の仙術修業は盛んである……と言うよりは、勇往邁進はこの国に生まれた者の使命であり、総ての暮らしは仙術を究める為にある、と誰一人疑っていない。
古来、天上に昇って仙人になる者を“天仙”と呼び、白日昇天は道教の究極的な到達点である……みな邪累を除き去り、心神を洗い清めて修行を積み、功を立て、徳を重ね善を増してゆけば、やがて白日に昇天すると教え、諭す。
一方、仙道を得てはいるがまだ昇天せず地上の世間に留まって長生きする者を“地仙”と言う。
「そして、体道者が肉体の死を迎えた後に、蝉や蛇の脱皮のように魂魄が死骸から脱け出て、後日その肉体を取り戻した神通仙としてこの世に蘇える者を“尸解仙”と言うアル」
「ところがここ何年か、我が邦では男も女も若死にする者が多くなたアルな……そして奇っ怪なことに、若死にした修行者の遺体が墓場からたびたび失せるアル」
「確か、尸解仙になるには、それなりの手順を踏む筈だが?」
「……それアルなぁ、誰も指導する素振りも無く、人をやって調べさせても尸解仙を沢山造る策謀の実態がある訳でもなかたアルよ」
「ただ、見た者がいるアルなぁ、死んだ筈の者達が夜空を飛んでいたとか、家畜小屋で生きたままの羊に齧り付いていたとか」
(カミーラ、お前の同族……吸血鬼の気配はあるか?)
(いや……何も感じんの)
「俺達に何をして欲しいかの前に、何故俺達を選んで招聘したのかを知りてえ……俺達も其れなりにカモフラージュしていた筈だ」
「……星見の役が居るアルね、三日前からお手前達が来るのは分かてたアルよ、宿曜経二十八宿をつかさどる天文館黒曜宮の巫女に託宣があったアルよ」
「分かった……頼まれごとを聞いてやるのは別に構わねえが、最初にひとつ断っておく」
「俺達は俺達のルールに則った方法で解決し、決着を付ける、だからそれが必ずしも依頼者の望む結果とは限らねえ、と言うことだけは承知しておいてくれ……無論、報酬は頂く」
俺は少しだけ遮蔽を解いて、本来のオーラの片鱗を示して見せた。
精神力の弱い奴は、痙攣しながら倒れた。
「名乗ってなかったが、俺達は“天翔ける厄災”……デビルズ・ダークと言う」「生粋の破壊者だ」
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「その盆の窪にあるものはなんであろうか?」
「いゃん、エッチぃ………あっ、嘘、嘘、これはね」
困惑する蟣蝨が可笑しくてついつい揶揄いたくなる。
6000年を生きたって言うけど、根が純なんだろうな。
一杯人も殺したらしいけど、17年しか生きてないシンディの方が殺した人の数はきっと多いよって言ったら吃驚してた。
「ダイレクト・マンマシーン・インターフェイス、通称DMI端末って言う電脳環境の基本ツールだよ」
ちょっとイメージチェンジで髪の色目を明るくして、ピンクブロンドに近い見た目にした。長さも今はボブカットぐらいだ。
割と自由度の高いフレキシブル・ボディの人工植毛は、ネメシス姐さん達みたいに武器にこそならないが、少しの仕様変更には対応するし、丈夫さも超高張力鋼並みだ。
小さかった頃は、ソランが髪を梳かしてくれたり、手入れをして呉れたものだが、最近はとんとご無沙汰だった。
いつだったか、――俺は木樵じゃなかったら髪結になってみたかったって漏らしてたことがある程、手先は器用だった。
……後ろをアップにして、おつむの天辺でお団子にしてある。
脰を剥き出しに、首に掛かる襟足の後れ毛も綺麗に纏め上げたので蟣蝨の興味を引いて仕舞ったと言う訳だ。
「妾達は、搭乗タイプの人型戦闘兵器、モビル・エクステンディッドなんかとリンクする為に肉体改造をしてる……これは、汎用共通規格のコネクティング・インターフェイスで、大方の宙域戦士達の間では“ビルトイン・ジャック”って呼ばれてた」
「妾の強化スタイルはパワー特化じゃないけど、それでも最終的にチューンナップすれば1億トン……んーとね、一千億斤の膂力を叩き出す性能があるの」
あっ、駄目だ。この顔は、きっと半分も理解出来ていない。
何か実践出来るものはないかな?
あっ、あれでいいや。
広場の真ん中に巨大な、蟠螭文を一面に描く青銅製の方鼎がおかれている。蟠螭文と言うのは複数の水龍が絡み合った文様で、他の邑でも見たが、防火用水の水甕に描かれてるものだ。
だが、ここの水甕は2階家屋ぐらいの大きさはあり途方もなく大きく、長い4本の柱で支えられていた……砂漠で水は貴重だもんね。
つかつかと水甕の下に回り込むと、日陰になっててヒンヤリする。
方鼎の太い脚の一本の角を右手に握ると、ギリギリと持ち上げる。
なんなく地切りするけど、掴んだ脚柱は指が喰い込んだ部分がひしゃげて千切れそうだ。20トンぐらいはあるかもしれない。
「ちょっとコツが要るけど、力点の自動補正が掛かるからこんなことも出来る……超強力な“金剛符”を用いれば似たようなことは出来るかもしれないけど、妾達はこれが素だから」
少し離れて見守る蟣蝨に大きな声で語り掛けると、なんだか莫迦みたいに口をあんぐりと開けて、目を見開いていた。
方鼎を上下に上げたり下げたりしたら、バシッバシッ水が零れて、付近の住人が悲鳴を上げて逃げ惑った……仕舞ったな、ソランには調査は目立たないように、隠密裏に遣れって言われてたんだっけ。
あっ、足許の古い石畳に亀裂が入っちゃた。
こっそり修復しておこうっと。
暫く歩くと昼近く、旧市街の神殿の丘とかにある礼拝堂の方角から銅鑼がなった。
真空、降り注ぐ放射線、絶対零度のような宇宙空間でも生存出来る妾達と違って、横に並んで歩く生身の蟣蝨は、かんかん照りの日中の暑さに結構参っているようだった。
迂闊にもスーツの体温調整機能を、妾達用に設定したままだったのを忘れていた。謝って、さっき再設定したばかりだ。
道行く人々が銅鑼を合図に、次々にその場に蹲る。
何、何、お祈りの時間?
そう言えば、禽滑釐って名乗ったサルタン擬きのおっさんが、邑内の住人は一日5回の祈祷を行うけど驚かないで呉れって言ってたな。
何に驚くのかその時は分かんなかったんだけど、声明や梵唄みたいな奇妙な節の付いた経文が唱えられだした。
知識でしか知らないけど、なんだか踊り念仏みたいなトランス状態に至るような祈りだった。
「嘘っ、なんだか服脱ぎだしてるよ!」
周りの住人皆んな、女の人も袴児って、この世界の下穿きまで取って下半身も剥き出しに隠しもしない。
蟣蝨を振り返ると、両手で顔を覆っていたが指の隙間からはしっかり見開かれた両目が、好奇心に揺れていた。
あれよと言う間に祈りの最中だった筈の男も女も、衣服を脱いで、互いの身体をまさぐり合って、口を吸い合い遂に交合を始めて仕舞ったじゃないか……あっちこっちから、祈りの代わりに、アンアン、オゥオゥと淫らなよがり声が木霊のように唱和する。
中には4人、6人、それ以上と複数で絡み合うグループが出来ている、さながら肉山脯林、肌色の肉地獄の様相だ。
なんだこれ? もしかして今、国中が集団乱交してるってこと?
何万人の男女が居るのか知らないけど祈りが5回あるってことは、一日にこれ5回もやっちゃうってこと!
これは余りにも破廉恥過ぎて、余所からの望まない訪問者は一律敬遠される訳だ。
「墨家道教の抱朴子流は、どうやら房中術で己等の神域を創ることに、道を踏み外したようだ」
分かれて市中探索に出たチームの内、ソランとエレアノールの班が合流してきた。
「古来、仙道は陰陽の二極の交わりで万物が生成されると説く……男女和合に、精を惜しみ気を蓄えることで延年益寿・不老長寿を目指す、それが房中術だ」
「だが抱朴子流は、男女が肉体的に交接することで気を循環させる体交法、つまり陽の気の男と、陰の気の女で内丹を練り上げて高純度な神丹を創り出そうとしている、罰当たりな快楽に溺れた彼岸に、未だ見ぬ神仙を生み出そうとしているんだろう」
だから、太っちょの宗主は驚くなと言ったのか。
なんだか颯爽としたカッコいい、求道的な職能集団のイメージはどっかに行っちゃったな。
極めてるのは、“道”じゃなくて、快楽の絶頂だった。
宗主殿で夜は歓待の宴になった。
どうも暑い地方に美味い酒は無いな。
薄い乳酸発酵酒は、一口飲んで後は放置だ……なんだか混ざりものもあるし、最近お気に入りの煙管と刻んだ煙草を取り出して一服着けることにした。
暮食の宴は羊料理がメインで、煮餅と言う麺料理や雑穀の水団みたいな水溲餅、黒糯米の蓮の葉包みと言ったところが主食で、家鴨肉と里芋の五穀煮こみって料理もあった。
いずれも芍薬の根や菖蒲の和え物を加えた醢や豉と言った古代の調味料で味付けされているので、馴染みが薄い。
別に美味いもんでもないので、俺達はもっぱら乾し杏や棗、茘枝と言った果物類を摘まんでいた。
ところ変われば品変わるで、美醜と同じく味覚もその土地々々や時代で補正が掛かる……俺達にはいまいちな料理が、ここの連中には極上の馳走なのかもしれねえな。
なりは小せえが、出るとこは出た踊り子達が薄物を着てベリーダンスのような舞いを披露していた。
城攻めの職能集団にこんな煽情的な芸能がとも思ったら、女間諜として敵陣に潜入する技術の一環らしい。
「で、邦を挙げての日々の房中術で集められ、練り上げた気は一体何処に行く?」
高楼、烈震殿の最上階にそれが集められているだろうことは察していたが、敢えて宗主に問うた。
「黒曜宮の巫女のところアルな」
「どうやら隠すつもりも無えようだが、蟲の卵入りの酒を振舞うのは頂けねえな……」
すっとぼけているのか、太っちょ宗主の表情は変わらなかった。
“黒曜宮”とやらが英霊を祀る祭祀聖堂で、この高楼建築の最上階に位置してるのだとは分かった。
(ソラン、この砂糖黍ジュース、拓漿とやらにも奇妙な寄生虫の卵が検出される)
既にビヨンド教官が、皆に飲み物に手を出さないよう、無言のままに指示している。
(携行錠剤のCセットは持ってるか?)
(……あるぞ?)
(お前らは、スーパー・マクロファージや絶対抗体を造れるナノマシーンの免疫システムがあるから病原体だろうが妖魔の憑依だろうが平気の平左だろうが、蟣蝨には虫下しを飲ませてやれ)
(分かった……)
ビヨンド教官は直ぐ様立ち上がった。
(ネメシス、例の蟲だか分かるか?)
俺の意を汲んだネメシスは、砂糖黍の絞り汁をおもむろに口に含むと転がすように矯めつ眇めつしたが、最後は嚥下した。
(象皮住血吸虫に似ておるかの……よく分からんが、里中で検出されたものと同じじゃ)
お前、寄生虫のティスティングなんかするんじゃねえよっ!
気色わりいなっ!
仕方なく俺は、その觚と呼ばれる青銅製の細長い器をネメシスから引っ手繰ると、即座に過去視と鑑定を始めた。
矢張り里の飲料水にバラ撒かれていたものと一緒だ。
尚食局司膳と言う役回りの侍女が、俺達の酒や飲み物に卵を混入した犯人とすぐに知れたが、既にこの女は尸解仙擬きだ。
「英菁と言う女を、ここに呼べるか?」
「英菁がどうかしたアルか? 先程具合が悪いと申し出たので、宿下がりを許したアルよ」
この受け答えに嘘は無いと因縁眼が、判定した。
してみると、この宗主様はどうやら蚊帳の外だ。
舐められるのは好きじゃねえ……相手の術中に黙って絡め捕られるのも同様だ。侮ってくれる。
「黒曜宮を急襲する、目的の巫女の身柄確保最優先!」
即座に飛んだメンバーは、そのまま轟音と共に天井を突き破り、上層階を次々と刳り貫いていった。
崩れ去る瓦礫や椽に宗主の間の官僚、官女、警護兵が逃げ惑い、逃げ遅れて潰された。弱々しい悲鳴と共に涙と血を流す姿に、墨家道教抱朴子流の気概はない。
救護手当の札に念を通し、治癒の符術を施す姿があちらこちらで見られた。宗主様は青息吐息だ。
「蟣蝨、ゆっくり行こう」
「臨場を競うのは妾達の本能みたいなものだけど、安全最優先だからね……周囲の安全確認、これ大事」
飛翔能力の無い蟣蝨を抱えるように、ゆっくり上昇するシンディが居た……結構、面倒見いいよな。
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「妾達は真っ正直に狡賢い……つまり生き残る為には方法を選ばない、殺すべきを殺し、そうでない者は手に掛けない」
「嘗てソランは言った、定めの運命を捻じ曲げてでも復讐を成し遂げると……事実、その為には立ち塞がるものは全て叩き潰してきた」
「生きている価値が無いと判断した者、生きていちゃいけない害毒や殺してでも奪いたい力を所持する者、皆んな皆んな殺した……或いは見ていると倫理的なモチベーションが下がると言った理由だけででも、多くを捻じ伏せ、排除してきた」
「自分が傍若無人に振る舞っても構わないんだと豪語する勘違い野郎……自分は強いんだ、権力があるんだと思い違いする天狗野郎の鼻っ柱をへし折る為に随分と鉄槌をくだした」
「そうしたときは大抵、殲滅戦になる……こうと決めたら唯の一人も生かしちゃおかないってのが、妾達“デビルズ・ダーク”の冷酷非情な作法にして、唯一の真情だ」
うっかり口にした酒に怪しげな蟲の卵が混じっていると知らされ、ビヨンドと言う女に、無害なものに分解する駆虫薬だと渡された丸薬を飲み下したときは、卑劣な遣り方に目の前が暗く陰るようなを怒りを覚えた。
だが、行き成り天井が崩れる惨状に、これ程の報復は流石に遣り過ぎなんじゃないかとも思えた。
「例え相手が小悪党だろうが、神様だろうが、行く手を妨げるものがあれば、ソランは等しくこれを蹴散らす」
何故ここまで容赦無いのか、私を抱いてゆっくり上昇するシンディに訊いてみたら帰ってきた言葉は、人を人とも思わない惨くも冷血なものだった。
「成る程、ここには日夜集められた房中術の気が満ち満ちている、寄生虫の神を飼育するには持って来いの禍々しい仙力だ」
巫女とその世話係の別式や侍女数名が、縛鎖の符術に絡め取られていた。細く頑丈な手鎖に雁字搦めだ。
床に数十名分の腐乱死体が散乱する惨状は何事かと思えば、既に浄化された尸解仙だと言う。鼻を衝くすさまじい迄の腐臭は、死してなお仙人たらんとしたのか、将又魂の無い僵屍なのかは語られずともはっきりと分かる……そんな暗喩だった。
「あんたが巫女殿か……寄生虫を使った尸解仙擬きの騒動、総ての黒幕は、あんたってことでいいのか?」
既に黒曜宮と言う祈祷の場には、ソランがこの奥宮に住まう主人に対峙していた。
「フリズスキャルブ強化版から得た知識だが、超古代に“怪神”の方術と言う禁術があったそうだ……寄生虫の神を創るって、気色悪い儀式方術だが、里の見境無い連中は肛門でもやっていた、不埒な房中術が寄生虫の卵を媒介していたのは間違いねえし、相当贄も集まった」
「もしかして尸解仙擬きは、贄だと言うのか?」
あまりのことに、思わず声に出して問うてしまった。
「この大掛かりな禁術を秘密裏に実行出来るのは、為政者の庇護を得られる立場の人間しかいない……“怪神”と言う蟲神を産み落とす為には多くの贄を必要とする筈だが、おそらくこのままいけば、間違いなく寄生虫の神が生まれた」
「痴れ者、清浄な斎の場を荒らすは何処の慮外者じゃ!」
「てめえが陥れようとする相手の顔ぐらい、知っとくもんだぜ」
対峙した麗々しい衣装は熱砂の国とは思えぬほど煌びやかで、翟衣の上に薄絹の水干と裳状のものを身に着けた女は、鮮眉亮眼の美女と言っていいほど美麗な見目だった。
だが、その下半身がおかしい。
象嵌細工の見事な羅漢床から、ぶよぶよとした昆虫の腹にも見える白く大きな臓器? 腹?
なんだろう、巫女の上半身よりも遥かに大きい芋虫のような嚢胞のような何かが、はみ出して床に広がっていた。
「ほほう、“亡国虫”と言うのか……遥か昔に封印された禁忌術式を復活させて何を企む?」
「下賤の者に語ることなぞ、何も無い!」
「……洛墨で手に入れた“明鏡止水”と言う符術を使ってる」
「この世界では相性が好いのか、お前の考えてることなぞ手に取るように分かる、だからお前の馬鹿げた野望は阻止する」
(野望……野望とはなんであろうか?)
「この女は自分達の部族のプライドに狂って仕舞ったんだろうね」
(長い年月に鬱屈した墨子一族の実力を世に問わんと、嘗て大陸を滅ぼし掛けた怪物を生み出す為、この女は己れの身体を宿主に捕食寄生の女王虫を着床した……元々自ら望んでこんな僻地に隠棲した民族だろうに、随分と自分勝手な話だね)
(この女は、邦を率いて大陸に侵略戦争を仕掛ける気だ)
心の中に浮かんだ疑問に答えられたのにも吃驚したが、言葉とは別に、同時に重なるように頭の中へシンディの考えが、沢山の意思が一瞬にして沁み通るが如く送り込まれた。
「以心伝心か、シンディも他者の心が読めるのか!」
(うぅん、こんなの大したことないよ、妾達は誰でも出来る……本当に凄いのは師匠だよ、物理攻撃で先手を取るのに相手の考えを読む簡単なものから、対象自身が知らない過去の因縁、前世の記憶まで全てを読み取る驚異的なものまで、全部で98種類の技を使える……これで99種類になったけど)
(ネイティブじゃなかったソラン師匠は無理矢理に魔術の素養を底上げした結果、魔導も精霊術も何も彼も神の領域に到っている……秘密を暴くだけなら一遍に1000人でも2000人でも読み取れるばかりか、その気になれば同じ人数だけ相手の意識を自由に操れる、覚醒してる自我がいくら拒んでも術に嵌った相手は逆らえない)
「里を見回って生活用水に寄生虫の卵が混入されてるのはすぐに分かった……防火用水を溜めた幾つかの方鼎で培養されていた」
「サンプルを採取して時間を加速、孵化させ、成虫にして生態とその危険な能力を観察した」
「黙って尸解仙の餌食になっておればよいものをっ!」
喚く女はしかし、ソランの手下の女達の濃密な殺気に囲まれて、惨めに怯えて見えた。
「生憎だったな……俺達が来ることが分かっていても、俺達がお前の計画の致命的な障害になることが何故予想出来なかった?」
「星読みの眼も、その点は節穴だったか?」
まるで女は蛇に睨まれた蛙のように、唇は細かく戦慄いて、視線は右に左に彷徨った。
「……宿主を衰弱させ死に至らしめると、回虫のように脳幹に移動する性質が確認出来た」
「そして死体となった魂の抜けた宿主の器を乗っ取る……似非尸解仙の出来上がりだ」
「主様よ、墨家仙術の集大成は75部1335巻の道術書として全てここに収蔵されているようじゃ」
周囲を調べたカミーラと言う女が報告していた。
「よし、手筈通りマクシミリアンのところへ直接転送しろ」
命が下るや、黒曜宮に隣接した収蔵庫に取って返すカミーラが書棚を何処かに送る気配がした。
それが分かると巫女一行からは金切り声の罵倒が上がった。
黙らせるのにソランは、別式女の一人を平然と縊り殺した。
片手で咽喉を握り潰された女の遺骸は、まるで糸の切れた唐繰人形のように無残に投げ捨てられた。
「宗主殿がまだ生きてたら伝えてくれ、望む結果じゃなかったかもしれねえが対価は頂いていくと」
「一宿一飯の恩義があるから、邦は燃やさずに残してやる……でもまあ、道教墨家の職能集団として存続するのは難しかろうな」
そう言うと、ソランの身体からギュッと圧縮された黒い炎のようなものが噴き上がるのが分かった。
「あぁ、お前にじゃねえ……この場から生き残るだろう、お前の手下とも言える下僕達に頼んだ伝言だ」
「お前はここで、腹の中に育てた“黑仙道亡国虫”と共に灰になる」
「女王虫が滅びれば、尸解仙も、街に蔓延る尸解仙を作り出している寄生虫も、全て効力を失う」
相手に反応する間すら与えずに、眩い光と高熱が辺りを満たしたと思ったら、そこにあるのはもう余熱を残した灰の山だった。
尸解仙達を操る寄生虫の全てを統べていた女王虫……人体よりも大きく育ったそれは、神として覚醒する前に宿主の野望と共に滅びた。
右往左往する烈震殿の人混みを押し除けて階下に降り、表門を出るとそこには丁度、街並みを薙ぎ倒してデザート・ハイエナと彼等が呼んでいる巨大な戦車が、音を立てて横付けになるところだった。
「これで良かったのか?」
あまりの呆気ない結末と、非情な報復のやり方に茫然と見ていることしか出来なかったが、最後にこの男に訊いてみたかった。
問わずにはいられなかったのだ。
ソランは私に真っ直ぐに向き直ると、私を見詰めている筈の冷たく光る片方だけの黒い瞳は何処か遠くを見つめているような風情で、今までより更に低く、嗄れた声で告げた。
「巫女の名を“花南”と言うそうだ、神からの恵みとか贈り物と言った意味があるらしい……大陸全体が動乱に巻き込まれれば、多くの死人が出ただろう、だが俺は、あの女はそんなに悪女じゃなかったって思ってる」
「遣り方は間違っているが、彼女は自国の威勢を多くに示したかっただけだ、自分の部族はこんなに優れてるんだって、大勢に知って欲しかっただけなんだ」
「なら、何故?」
「部族の信頼を裏切り、他者の命に手を掛けたなら、自分も死んで償うべきだ、それはあの女も覚悟していたと思う……出来るだけ苦しませずに殺したのはせめてもの情けだ」
「……俺の知ってる女に、ドロシーと言う奴が居る」
そこからのソランの声は更に低く、小さくなって行った。
「勇者パーティの剣帝として村を出て行った2年後には立派な淫乱売女になっていた……なんの気紛れか、村に舞い戻ったあいつは俺に縁を切る仕打ちを見せつけた」
「見知っている筈の女は、口では語れないほど色に狂った、見知らぬスベタになって帰ってきた」
「王国兵に縛り上げられた俺の目の前で、あいつは畜生見てえに勇者や王国の兵士と変態に成り切って、まぐわって見せたんだ」
「幼馴染みで将来を誓った許嫁の俺の顔に、唾を掛け、育んだ絆をものの見事に切り捨てて、俺を裏切った」
「農民で木樵の俺なんかには、道端の石塊程の価値も無いと散々殴る蹴るの大盤振る舞いに気を失わなかったのは、俺の頭が怒りで沸騰していたからに過ぎなかった」
「あの晩、ネメシスと出会わなかったら五体満足で居られたかも怪しい惨状だった、ひょっとしたら、あの責めで片端になってたかもしれねえ……いや、この声はあの日の慟哭のせいなんだ」
「だから……裏切り者のドロシーに比べれば、あの巫女様の志しは立派なもんだ、間違った方法だったが尊くさえある」
「ドロシーって名前はな、神からの贈り物って意味なんだ」
そこまで噛んで含めるように語ると、ソランは軽く目を伏せた。
「“人間にあらず”って環境に身を起き続けると、他人の痛みが分からなくなる……俺も、俺が手に掛ける命も何ひとつ違わないんだって当たり前のことを忘れる」
「……だが、それがなんだってんだ、俺は既に暴虐の限りを尽くしてここに立っている、ここは俺にとっての無限地獄だ」
そう言ってソランは、拳で自分の胸をひとつ叩いた。
後になってだが、ソランは自分を裏切った幼馴染みへの復讐の為に生きているのだと知った。
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「ジノリと言う窯元の茶碗とソーサーです、ポットやミルクピッチャーも、茶葉用のキャニスターや細々したものまで、メシアーズが精密焼成装置で復元してくれました、他にも色々シリーズがあるんですよ……ヘレンド焼きだとシノワズリーとかアポニー・グリーンとか、沢山魅力的なのがあります」
「シスたそ様の究極賢者のスキル、本当に凄いですよね」
そう言って薔薇と草の冠で統一されたデザインのシュガーポットを勧めるアザレアさんは、外連味の無い笑顔でニコニコ笑っていた。
前から思ってたんだけど、凝り性っていうか……色々と取り揃えるの好きだよね、アザレアさん?
この間まで現地調達の白茶や青茶を嗜む俺に対抗して、しかも俺が実用的な日常の生活雑器レベルで満足してるのに、一級品の各種茶葉と言わず、茶壺も公道杯も、茶盤、茶荷、品茗杯、聞香杯、蓋碗と全て骨董の美術価値のある銘品であれもこれもと買い揃えていた癖に、いつの間に準備したんだ?
もといた世界から持ってきたお気に入りのサモワールとかは、孤児院に置いてきちまったからな。
「キッチンには精粉装置やクリームとバターを精製する分離装置もありましたので、購った材料でスコーンが焼けました……故郷のシェスタの味に近いと思います」
「今日の茶葉はウバのブロークン・オレンジペコーと言うそうですけど、素敵な風味ですよ……これもシスたそ様の正確な再現能力のお陰ですね」
平素と変わらぬ取り澄まし顔の癖に、その実ネメシスが鼻高々なのが分かった。
「知ってるぜネメシス……お前が俺とヴァーチャルSEXしてる時に憑依体の感覚共有を使って、犯される自分と、犯す側の男としての俺の快感と、二重で味わってた肉欲の亡者だってのはな」
「バッ、バラさんでもええじゃろ、皆んなの前でええっ!」
「いけずうぅうぅぅぅっ!」
お前、何処時代の人間だよ?
「蟣蝨、お前には少しバタ臭いかもしれんが、俺達の居た世界の紅茶だ……好みに応じて砂糖を入れて飲む、一緒に呼ばれろ」
「俺達の世界じゃ、農民もしばしば仕事の合間に茶を飲んだ……もっともお貴族様みてえな気取った飲み方じゃねえがな」
勝手が分からず戸惑う蟣蝨のカップに、紅茶用の角砂糖をふたつ入れてやる。
こいつ甘いの好きそうだもんな。
大陸の覇者、馬灘帝国睡虎を後に、海路を巨大海蛇3号で進んでいた。向かう先は、天臨四神の札廟、“月琴殿”があるとされる大海の孤島、絶苛島だ。
何年振りかで久々に乗船したシーサペントは、使っていなかったから住環境の改善は進んでいなかったが、アイスクリームの自販機はそのままでシンディも懐かしがった。
蟣蝨もよく利用してるようだ。
時代背景とか滅茶苦茶です
道教も墨家も一緒くたの出鱈目さですが、もしかしてあるかもしれないパラレル・ワールドの冒険活劇とご理解ください
見てきたような嘘を生み出すイマジネーションって、結構想像力必要ですよね……私は七転八倒します
文中、出てきてすぐ死んじゃう登場人物“耶律勝”と“離莫撰”は、金庸先生の武侠小説「神鵰剣俠」に出てくる“耶律斉”、“李莫愁”からもじっています
拼音表記だとまた違いますが、日本語ルビにした時の語呂の良さが気に入ってます
楊白花=楊華:楊大眼の子として生まれた/若くして勇気と力量を備えて、その容貌は雄偉であったが、北魏の霊太后〈胡皇后:宣武帝側室〉は彼に迫って私通した/楊華は禍が及ぶのを恐れて、楊大眼の死後にその部曲を率いて南朝梁に降った/霊太后はかれを追思してやまず、「楊白華歌辞」を作って宮人に歌わせた
儒家=孔子を始祖とする思考・信仰の体系で紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上に亘り強い影響力を持つ/その学問的側面から儒学、思想的側面からは名教・礼教ともいった/中国では、哲学・思想としては儒家思想という/東周・春秋時代に魯の孔子やその後の儒者によって自覚される/主な教義として、堯舜・文武周公の古の聖賢の政治を理想として「周礼」を復活させることや、家族や君臣の秩序を守ることなどが挙げられる/春秋時代の周末に孔丘〈孔子〉は魯国に生まれた/当時は実力主義が横行し身分制秩序が解体されつつあり、周初への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げた/孔子の弟子たちは孔子の思想を奉じて孔子教団を作り、戦国時代、儒家となって諸子百家の一家をなした/孔子と弟子たちの語録は「論語」にまとめられた
春宮画=中国の春画を指す一般的な呼び名で春宮図、春意児、春宮秘戯図、春宵秘戯図とも呼ばれる/明時代に流行したが、起源は前漢の景帝の末裔が男女交接の図を部屋に描かせたものと言われている/古代の黄帝と素女に仮託する男女交媾の房中術の流行によって上層階級に解説図の需要があったと見られているが、伝存するものは明代以降で、絹本、紙本の彩色画冊のほか「金瓶梅」「肉蒲団」などの好色小説に取材した画帖や刻本が伝わっている
素女=中国道教における女仙で、音楽または房中術に精通したとされる/「素女経」は、古代中国の仙道・房中術に関する有名な性書で、周国の性典/実際に現存していたのかは定かではなく、現在の内容は実在せずインドの「カーマ・スートラ」、アラブの「匂える園」と並ぶ世界三大性典の一つである/また「素女経」は黄帝と素女の問答という対話形式による養生を目的とした性技の奥義書で、さらに葛洪の「抱朴子」怯惑篇では「玄素の法〈玄女と素女の法〉」は房中術にて射精を抑え、女性の体液を吸収し、精を還して脳を強めることによって長寿を得るという
夏姫=鄭の穆公と少妃姚子のあいだの娘として生まれ、子貉の妹にあたる/古くは「詩経」が“淫なるか夏姫”と謡い、「列女伝」は“そのすがたかたちは美しいこと比類なく、男性を籠絡する多くの手管を持っていた”とし、“このような人は閨のことばかり考えて誠実さがなく、色にふけって命を落とすことを知らない”といって非難している
春秋左氏伝=孔子の編纂と伝えられている歴史書「春秋」……〈単独の文献としては現存しない〉の代表的な注釈書のひとつで、紀元前700年頃から約250年間の魯国の歴史が書かれている
王六児=ストーリーの中心となっている3人の女性、潘金蓮、李瓶児、春梅〈龐春梅〉の名前から1文字ずつ取った明代の長編小説で、四大奇書のひとつ「金瓶梅」の登場人物/「金瓶梅」は「水滸伝」の 第二十三話から二十七話までの武松のエピソードを拡張し、詳細にしたものであり、「水滸伝」からのスピンオフ作品/ストーリーが「水滸伝」から分岐した後は、富豪の西門慶に金蓮も含めて6人の夫人やその他の女性がからみ、邸宅内の生活や欲望が展開してゆく
鏢局=中国に存在した運送業と警備業と保険業を兼ねた商売のことで正確な歴史的起源は不明だが、清代に民間で隆盛した/金品や旅客の護送を請け負い、鏢師、鏢客と呼ばれる用心棒が派遣され、貨物が紛失、盗賊等により強奪された際には委託主への賠償責任を持つ/一般には沿道の顔役にみかじめ料を払って、道中の安全を図ることが多い/業務を走鏢と呼び、陸路の護衛を路鏢もしくは陸鏢、水路の護衛を水鏢という/また、保鏢も警備業、用心棒を指す語である
梁山泊=中国の山東省済寧市梁山県に存在した沼沢で、この沼を舞台とした伝奇小説「水滸伝」では周囲800里と謳われた大沼沢であった/「水滸伝」での意味が転じ、“優れた人物たちが集まる場所”、“有志の集合場所”の例として使われる
餅茶=丸餅を模した緊圧茶で表面はやや盛り上がった丘陵状、裏面は中央部にくぼみが作られている/ばらばらな状態の茶葉を散茶と呼ぶが、製茶の過程で茶葉を圧縮し固めたものを緊圧茶といい、茶が製造されだした当時の輸送技術では散茶を運ぶとその途上で湿気を吸ったり、運搬中揺られるうちに少しずつ砕けていくなどの問題が発生し、長期保存も難しい/そうした課題を解消し、保存や運搬を容易にするために圧縮成形されるようになった/現代でも製茶の過程に圧縮成形が含まれている黒茶に多く見られ、麹菌により数ヶ月以上発酵させる後発酵製法により作られるプーアル茶などが適している
茶壺=いわゆる急須で、中国において茶は香りを重視しており、その時すぐに飲む量だけをその都度抽出するのが美味であるとされている/そのために、すぐに飲みきる量の茶を抽出できる小さなものが主流で、使用されている材質には、磁器、陶器、耐熱ガラス等があるが、その中でも特に紫砂泥で作られる紫砂壺は青茶や黒茶を煎れるのに適している
茶海=茶壺から茶を一端注ぎ入れる、いわゆるピッチャーの役割を担うもので、茶海に茶を出し切ることで複数の茶杯に注ぐ茶の濃度を均一に保つことができる
茶盤=茶壺や茶杯などに湯をかける際、こぼれた湯を受け止めるための箱/上部がすのこ状になっており、廃棄する湯が箱の中に溜まるようになっている
包子=中国の点心の一種で小麦粉の生地を蒸して作る伝統的食品/通常、中に具を包んでいるものを“包子”といい、中に具のないものを“饅頭〈マントウ〉”と称して区別する
プーアル茶=普洱茶は雲南省の西双版納州、普洱市及び、臨滄市の3つが主な生産エリアで、加熱によって酸化発酵を緩めた緑茶をコウジ菌で発酵させる「熟茶」と、経年により熟成させた「生茶」に大別される
漏刻=容器に水が流入または流出するようにして、その水面の高さの変化で時をはかる装置で、砂時計のような点滴式のようなものもあった/中国でも工芸的な水時計が製作され、北宋の燕粛は水量を一定に保つために余分な水は排除する平水壺を導入し、沈括らがこれに改良を加え、その後の漏刻の基本的な形となった
焼餅=北京などの華北地方で小麦や大麦の粉を使って作られる小ぶりの丸いパンの一種/比較的水分が少なく、表面に胡麻を振ることが多い
烙餅=華北地域の一部で広く食されているフラットブラッドの一種で“中国のパンケーキ”と称されることもある/食感は生地が固く、歯ごたえがあり、塩、小麦粉、水を捏ね、丸めて層状にした種無しの生地をフライパンで揚げる
禁軍=君主を護衛・警護する君主直属の軍人・軍団や、直属の護衛のこと/隋朝581年~618年では禁軍として、十二衛が置かれ、2代皇帝・煬帝は宇文化及らが率いる禁軍によって殺害された/唐朝618年~907年では禁軍として、皇帝を護衛する北衙禁軍〈左右羽林軍・左右龍武軍・左右神武軍・左右神策軍〉と首都を警備する十二衛が置かれ、この他に皇太子を護衛する六率府もあった/明朝では、首都に駐屯する京軍のうち上十二衛を侍衛親軍として永楽帝は禁軍を増強し、侍衛親軍は12衛から22衛に増強したほか、投降したタタール人を基盤に編成した騎兵部隊である三千営や火器を運用する部隊である神機営を設置した/清朝では、領侍衛府が紫禁城の警備を担任し、その他北京八旗が警備に当たった
嫦娥=淮南子覧冥訓によれば、もとは仙女だったが地上に下りた際に不死でなくなったため夫の后羿が西王母からもらい受けた不死の薬を盗んで飲み、月に逃げ、蟾蜍になったと伝えられる/道教では嫦娥を月神とみなし、「太陰星君」と呼び、中秋節に祀っている/古くは姮娥と表記された
墉宮玉女=班固の「漢武内伝」によれば、前漢の武帝が長生を願っていた際、西王母は墉宮玉女たち〈西王母の侍女〉とともに天上から降り、三千年に一度咲くという仙桃七顆を与えたという
九天玄女=戦術と兵法を司る上古の女神で、「天書」を持っている/戦術の神と正義の神の性格を併せもって、道教の神統譜では西王母に次ぐ地位にある女天神と言及され、上元夫人と同一視されることもあった/西王母の副官役として英雄たちの守護神であり、道教では旧暦2月15日を九天玄女の誕生日として祝っている
明光鎧=後漢末期に登場し、南北朝時代から唐代にかけて広く使用された/胸部と背部を楕円形の鉄板で保護した鎧で、中国では小札を繋ぎ合わせた鎧が主流であるが明光鎧は急所となる上半身を一枚の鉄板で作ることで防御力を高めている/胸の前と背中には「円護」と呼ばれる鉄製の大きな丸い保護カバーが装着されており、その表面は錆による腐食を防ぐ目的で漆が塗られたうえで磨かれていた/そのため円護の表面は鏡面のようで、日光をよく反射して光ったといい、これが鎧の名の由来となった
軽功=中国武術においての体を軽くする功夫またはその技で、「軽身功」とも言う/軽功を得意とする者は、常人の何倍もの速さで疾駆する他、草や木の葉を足掛かりに宙高く空を跳ぶ、水面を渡る、垂直な壁を伝い登ったりする
タンシチュー=赤ワインやトマト等をベースに牛肉、ジャガイモ、人参、セロリ、玉葱などに香味野菜を加えて煮込むイギリス発祥のビーフシチューは用いられる肉の部位は脛やバラが多いが、タンを煮込んだものは特に「タンシチュー」と呼ばれ人気が高い
フォアグラ=世界三大珍味として有名な食材で鵞鳥や家鴨に沢山の餌を与えることにより、肝臓を肥大させて作る/他の料理の調味料のような使い方も可能であり、アレンジの幅が広い/脂肪含有量が60パーセント以上といわれ、常温で放置すると柔らかくなるため切る時や焼く時は冷蔵庫から出してすぐに行い、テリーヌを作る際の下処理では柔らかくして用いるとよいとされる
テンダーロインステーキ=牛の上質な部位の精肉で、筋繊維の走行に対して垂直にカットされた比較的厚切りの肉片のフィレと呼ばれる部位/骨盤の内側にあって大腿骨と脊椎骨を結ぶ一対の棒状で結合組織が少ない筋肉であり、肉の部位のなかでは最も運動しない箇所であるため非常に柔らかく脂肪のほとんどない赤身肉である/採れる量がわずかな、最高級の部位とされる
テリーヌ=パイと同様に中世ヨーロッパで料理の保存技術として発展してきた伝統的なレシピのテリーヌは、具材と敷き詰める脂の比率が2:1程度となり、大量のゼラチンと脂が具材の変質を防ぎ調理後1週間は食べられる/型にバターや豚の背脂を敷き、挽肉や擦り潰したレバー、魚肉の擦り身、切った野菜、香辛料などを混ぜたものを詰めてオーブンで焼くか湯煎で火を通す/焼きあがった後、冷まして型から取り出し1cmほどの厚さにスライスし、コース料理の前菜として供されることが多い
レバーペースト=欧米では哺乳類や鳥類の肝臓をレバーのペーストにし、パンに塗って食べることも一般的で、瓶詰め、缶詰の製品も多く市販されている/またハムやソーセージなどのように、レバーペーストをケーシングに詰めて調理したものもある
エンダイブ=東地中海沿岸原産とされるキク科キクニガナ属の野菜/和名はキクヂシャニガチシャ、同じキクニガナ属の多年生野菜チコリーと同様に独特の苦みがあるが、見かけはチコリーと違い非結球レタスに似ている/味はチコリーとよく似ているため混同されることが多く、単にアンディーヴというと普通はチコリーを指す
キャビア=チョウザメの卵巣をほぐしたものの塩漬けで、オードブルなどで供される高級食材/主な産地はロシアで特にカスピ海と中国国境沿いのアムール川が有名だが、チョウザメの種が同じでも餌としているプランクトンが異なるとキャビアの味にも違いが生じるため、カスピ海産のキャビアの価値は相対的に高い
プロシュート=豚のもも肉のハムを表すが、特にイタリア式の燻製しない生ハムのことを指す/豚のもも肉を塩漬けにした後、乾燥したところにつるし、熟成させる
パンチェッタ=俗に生ベーコンとも呼ばれるイタリア料理に使う塩漬けした豚バラ肉/バラ肉の塊に荒塩をすり込み、1ヶ月以上熟成と乾燥をさせて仕上げる/細かく切ってフライパンで炒め、にじみ出た脂と塩味でパスタ料理にしたり、そのまま薄切りにして生ハムのように食べるが、ベーコン に比べてやや酸味が効いているのが特徴
マーマイト=ビールの醸造過程で増殖して最後に沈殿堆積した酵母、いわばビールの酒粕を主原料とし、主にイギリス及びニュージーランドで生産されているビタミンBを多く含む食品/本家イギリスのものは濃い茶色をしており、粘り気のある半液状で塩味が強く、独特の臭気を持ち、主にトーストに塗って食されるほか、クラッカーに塗る、スープに溶かすなどの利用法もある/他に類を見ない味と香りのため外国人には理解できない味とされることが多く、日本や米国などでは悪評が高く普及してはいない
クレイジーソルト=アメリカ・ニュージャージー州で製造する岩塩をベースにスパイス・香草等を調合した調味料
アルマニヤック=フランス南西部、アルマニャック地方で醸造されるブランデーで、コニャックと肩を並べるフレンチブランデーの二大銘酒のひとつである
四合院=中国伝統住宅の様式をさし、名前のとおり四つの辺に建物を置き、中央を庭園とする/方形の中庭を囲んで、1棟3室、東西南北4棟を単位とする北方中国伝統的家屋建築で、道路〈胡同〉に面した建物の壁と接続して高さ2メートル近い煉瓦壁が築かれ、南側に大門〈表門〉を構える
小篆体=広義には秦代より前に使用されていた書体全てを指すが一般的には周末の金文を起源として、戦国時代に発達して整理され、公式書体とされた小篆とそれに関係する書体を指す/小篆の起源は、一般的には中国最古の石刻である戦国期の「石鼓文」に用いられた書体・大篆が直接の起源と言われ、「大篆」は西周の宣王の時代、太史・籀が公式文字・籀文を定めた際に編纂した書物の名であると伝えらる
鶏舌香=丁子の果実を乾燥させた薫香
歯木=木の枝・根の片側をほぐして歯磨きのように使用し、またもう片方は爪楊枝のように使用される/虫歯や歯周病を予防する口腔衛生用のツールである
コンシーラー=主に目の下のクマや顔のシミを隠す際に用いられ、ベース・メイクとしてファンデーションやフェイスカラーの代わりに使われる場合がある一方で、ファンデーションを塗る前後に使われる場合もある
神饌=神社や神棚に供える供物で、調製は竃殿〈へついどの〉、大炊殿〈おおいどの〉など専用の建物がある社はそこで調製を行い、あるいは特別の施設を持たない社では社務所などを注連縄を用いて外界と分かち、精進潔斎した神職や氏子の手で作られる/火は忌火が用いられ、唾液や息などが神饌にかからないよう口元を白紙で覆う
エッグ・ベネディクト=イングリッシュ・マフィンの半分に、ハム、ベーコンまたはサーモン等や、ポーチドエッグ、オランデーズソースを乗せて作る料理
ブラマンジェ=本来は砕いたアーモンドからアーモンドミルクを抽出して牛乳に香りを付けて作り、名称は古フランス語で「白い食べ物」という意味の「blanc manger」に由来する/ババロアやパンナコッタと似ているが、多少材料や作り方が違う/19世紀にアントナン・カレームが自著でブラン・マンジェを扱う頃には、すでに甘いアントルメとしてのみ供されるようになっていた/カレームのブラン・マンジェはアーモンドミルクとグラニュー糖、ゼラチンで作られ、ラム酒やマラスキーノ、レモン、バニラ、コーヒー、チョコレート、ピスタチオ、ヘーゼルナッツ、イチゴで味付けしてもよいと勧めている
雲梯=城壁を乗り越えるために台車の上に折りたたみ式のはしごを搭載し、これを城壁にとりつけて兵士を突入させた古代中国の攻城兵器/「戦国策」「墨子」においては公輸盤〈公輸班、魯班とも〉が開発したと記されている
塞建陀=ヒンドゥー教の神スカンダが仏教に入って仏法の護法神となったもので、義浄訳の「金光明最勝王経」「大弁才天女品」第十五に塞建陀天として、また「金光明経」「鬼神品」第十三に違駄天として記述がある/道教の韋将軍信仰と習合して韋駄天と称されるようになった
冕冠=皇帝から卿大夫以上が着用した冠/冕板と呼ばれる長方形の木板を乗せ、冕板前後の端には旒を垂らした形状で、旒の数は身分により異なり、皇帝の冕冠は前後に十二旒、計二十四旒である
天子袞衣=唐風の天皇衣装、及び中国皇帝の専用漢服・礼服の一種で「天子御礼服」とも言う/中国の袞衣は「冕服」と「袞服」、二つのタイプに分かれていて、中国の漢服の中では最高のランクとされており、中国の皇帝は自分が支配するそれぞれの民族の臣下に対して、この二つの中に相応しい皇帝衣装を選んで着ていた
古代の中国人は「玄衣纁裳」というように青黒い衣に赤系統のスカートをあわせたものが多く、「冕」は宝石付きの冠ことで、「袞」は首を曲げた竜のことを指す
扁額=建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額、看板であり、書かれている文字はその建物や寺社名であることが多い
籠冠=武弁大冠と呼ぶ系譜で、諸武官、とくに侍中と中常侍の武冠での形状を言うが、後世では2本の鵜尾を挿し、蝉文の黄金瑶を付け、前に紹尾を挿したりと装飾が華美になってく
刑部省=律令制下の八省のひとつで、主な職掌は、司法全般を管轄し重大事件の裁判・監獄の管理・刑罰を執行する
二十八宿=天球を28のエリア〈星宿〉に不均等に分割したものであり、またその区分の基準となった天の赤道付近の28の星座〈中国では星官・天官といった〉のこと
蟠螭文=龍文の一種で春秋時代半ば頃に登場する/「螭」は幼龍の意で複数の龍が互いに複雑にからみ合って複雑なパターンを描くもの、一見すると単なる幾何学文のように見える/水龍云々は当作の創作である
方鼎=通常、龍山文化期に登場した鼎という器は鍋型の胴体に中空の足が3つといった様式だが、殷代中期から西周代前期にかけて方鼎といって箱型の胴体に4本足がつくものが出現した/殷代、周代の青銅器の鼎には通常は饕餮紋などの細かい装飾の紋が刻まれており、しばしば銘文が刻まれる
声明=古代インドにおける五つの学科のひとつで、サンスクリットなどの音韻論・文法学を指す/中国で仏教声楽を指した「梵唄」という語が用いられた:梵唄の成立の詳細は不明ではあるが、「法苑珠林」などの記述から魏の曹植に始まるというのが通説となっている
醢・豉=醢は魚介類の身や内臓など、獣肉や鳥肉を加熱すること無く塩漬けにし、素材自体の持つ酵素及び微生物によって発酵させ、高濃度の食塩により保存性を高めた発酵調味料、豉は大豆または黒豆に塩を加えて、発酵させ水分を減らした調味料で秦の時代に製造されるようになったと考えられている
棗=クロウメモドキ科の落葉小高木で果実は乾燥させたり〈干しなつめ〉、菓子材料として食用にされ、また生薬としても用いられる/大棗には強壮作用・鎮静作用が有るとされ、甘みがあり、緩和、強壮、利尿の薬として、漢方では多種の配剤があり、葛根湯、甘麦大棗湯などの漢方薬に配合されている
茘枝=ムクロジ科の果樹レイシの実で果実をライチと称する/上品な甘さと香りから中国では古来より珍重されたが、保存がきかず「ライチは枝を離れるや、1日で色が変わり、2日にして香りが失せ、3日後には色も香りも味わいもことごとく尽きてしまう」と伝えられる/唐の楊貴妃がこれを大変に好み、華南から都長安まで早馬で運ばせた話は有名である
觚=飲酒器で殷前期からみられ、殷後期に流行するが西周時代前期には他の器種に取って代わられる/爵とセットで出土することが多いが全体に細長く、口縁部・胴部・脚部に分かれ、口縁がラッパ状に開く
尚食局=中国の古代官制の殿中省のひとつで、殿中監、殿中少監、殿中丞の下に尚食、尚薬、尚衣、尚舎、尚乗、尚輦の6局が設置され、皇帝の衣食住を管轄した
翟衣=「尚書」にある虞の衣服のぬいとりにした紋様は「日・月・星辰・山・龍・華虫・宗彝・藻・粉米・黼・黻」の十二紋章で、冕服は祭祀や即位や朝賀の儀などに、十二旒冕冠とともに用いられた/中国の冕冠は、古代から明朝まで基本的な形状はほとんど変わらないが、明の万暦帝が着用した冕冠が定陵から出土している/王・皇帝に君主号が変遷して後、后はそれに次ぐ称号とされ翟衣は祭祀や朝賀の儀などに、花釵十二梳とともに用いられた
水干=狩衣に似て盤領〈丸襟〉のひとつ身〈背縫いがない〉仕立てになり、ただし襟は蜻蛉で止めず、襟の背中心にあたる部分と襟の上前の端につけられた紐で結んで止める・胸元と袖には総菊綴〈ふさきくとじ〉の装飾がある/袖口部分には袖括りがあり、刺し貫いた長部分を「大針」、短部分を「小針」と言い、下に出た余り部分を「露」と称した
裳=唐衣を羽織ってから最後に腰に結ぶ/大腰を唐衣に当てるようにして固定し、小腰を前に回して形よく結ぶ/単、袿、打衣、表衣を固定するベルトとしての役割がある
回虫=ヒトをはじめ多くの哺乳類の、主として小腸に寄生する動物で線虫に属する寄生虫/最大25万個の回虫卵は小腸内で産み落とされるが、そのまま孵化する事はなく、糞便と共に体外へ排出される/排出された卵は気温が15℃くらいなら一ヶ月程度で成熟卵になり、経口感染によって口から胃に入る/卵殻が胃液で溶けると、外に出た子虫は小腸に移動するが、そこで成虫になるのではなく、小腸壁から血管に侵入して、肝臓を経由して肺に達する/この頃には1mmくらいに成長していて数日以内に子虫は気管支を上がって口から飲み込まれて再び小腸へ戻り、成虫になる/子虫から成虫になるまでの期間は三ヶ月余り/こうした複雑な体内回りをするので「回虫」の名がある
ジノリ=1735年にトスカーナ大公国のカルロ・ジノリ侯爵が自領であるフィレンツェ県ドッチアに磁器窯を開き創業/当時マヨリカ陶器全盛のイタリアにおいて、マイセンやウィーン窯に対抗すべく、鉱物学に造詣が深かったジノリ侯爵は自ら原料土を捜したり、ペーストの生成や発色等の磁器の研究を行い、イタリア初の白磁を完成させた/開窯当初はマイセンのような豪華で精緻な芸術作品に力が注がれていた/1896年、ミラノのリチャード製陶社と合併して現在のリチャードジノリとなる/1956年、ラヴェーノのイタリア陶磁器会社と合併し、イタリア最大の陶磁器メーカーとなった
ジノリ最古の代表作である「ベッキオホワイト」は不変の定番として親しまれている/また、1760年頃にトスカーナのとある貴族の為に造られた「イタリアンフルーツ」は現在でも新鮮さに満ちあふれ、不朽の名作として愛される
ヘレンド=1826年に、ハンガリーの首都ブダペストから車で2時間のところにある静かなヘレンド村で、ショプロン出身のヴィンツェンツ・シュティングルにより創業/以前から焼き物の盛んだったこの地帯は、16世紀からマヨルカ陶器の産地としても知られているが、シュティングルは質の高い磁器生産に向けて試行し、その事業を1839年に引き継いだタタ出身のフィッシェル・モールが発展させ現在の基礎を築く/そのころヘレンドの顧客はハンガリーの貴族たちであったが、18世紀の磁器コレクションの補充をヘレンドに依頼し、そのため磁器製品の高い技術や芸術性をヘレンドが獲得し、以後新作を発表してゆくことになる/1842年にはヘレンド磁器製造所として帝室・王室御用達と承認され、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の庇護を受ける
茶荷=茶葉を茶壺や蓋椀に投入する前に、茶缶などから茶葉を移し替え、茶葉を鑑賞したり取り分けたりするための道具
品茗杯=茶を飲むための小さな器で、大きさは一口で注がれた茶をすべて飲み干せる小さなものから様々
聞香杯=茶の香りを楽しむための茶器で、煎れた茶を一端聞香杯に注ぎ、聞香杯から茶杯に茶を移した後、聞香杯に残された茶の香りを楽しむ
蓋碗=蓋のついた茶碗で日本の一般的な湯飲みと違い、蓋は蓋椀のなかに配置するようになっている/茶杯と同じように茶を注ぎ入れて飲むだけでなく、茶葉を蓋椀に入れて茶を抽出し、蓋を少しずらして茶杯に茶を注ぎ入れたり、直接茶を飲んだりする
ウバ=スリランカのウバ州の高地で生産される高級茶であり、ダージリン、キーマンと並び、世界三大銘茶のひとつに数えられる/セイロンティー〈スリランカ産の紅茶〉において、最も標高の高い地域で栽培されるハイグロウンティーに区分され、中でも、香りと風味がしっかりしたウバ茶はその代表格をなすもの
スリランカ産の紅茶の通例にしたがい、細かくきざんだ茶葉形態〈ブロークン等級〉をしているものがほとんどであり、このことが、濃い味わいの紅茶の抽出をいっそう助けている
ブロークン・オレンジペコー=紅茶の取引において使用される等級で〈オレンジ・ペコー等級〉……OPと略されるが、茶葉の形状としては一番大きい茶葉を指す/これに対し茶葉の形状を残し、針状にまとめたもの〈リーフタイプ〉が一般的なのに比較し、揉捻の際茶葉を磨砕し細かくしたもの〈ブロークンタイプ〉があり、ブロークン・オレンジペコー〈略称:BOP〉はオレンジペコーと同じ茶葉を細かく砕いたものを指す
一般に紅茶の等級区分というが、それは茶葉の「大きさ」と「外観」を表すだけで、品質の良し悪しを表したものではない……したがって味や香りを保証するものではない
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私、漢字が苦手なもので誤字脱字報告もありましたらお願いします
別口でエッセイも載せましたので、ご興味のある方は一度ひやかしてみてください
短めですのでスマホで読むには最適かと……是非、通勤・通学のお供にどうぞ、一応R15です
https://book1.adouzi.eu.org/n9580he/





