[挿話05].ドロシーの告白
贖罪の為の祈りは、ただの日課でもないし、生き続けていることへの許しを請う為じゃない。
ソランの今の人生が、これからの人生が、この一日が、どうか平穏なものでありますようにと願う祈りだ。
日々の祈りの中で、あたしはソランに謝罪し続けている。
マルセルの吹くイリアン・パイプスは、バグパイプの類いでは一番複雑で難解なものだ。勇猛な音色の内にも、物悲しげな旋律が後部甲板の影から伝わってくる。
随分と上手くなった……情感が良く乗っている。
ほぼファイジィな音階を、正確に吹き分ける技量は大したものだ。
幻のインディーズ・バンド、“アンサンブル・デラシネ”は、最近バグパイプだけの重奏を実験的に練習している。
マルセルは嫌いだった個人練習を、熱心に遣るようになった。
スキッドブラドニールの甲板から見上げる秋の空は、透き通るように澄んでいて、西風と共に羊雲が湧いてきていた。
髪を嬲るような冷たい風が、却って心地良い。
高い空、独特の鼻にツンとくる冷気がある。
契約している風の精霊が知り合いからの手紙を運んできたのを、読んでいた。職業訓練施設の慣れない理事長職で、ずっと頑張っているシベールからの近況を知らせる便りだった。
魅力的な女なのに、浮いた話が無くて少し心配だ。
贖罪の旅の途中で知り合った人達に、緋々色金のシグネットリングで封蝋した便りを送っている。
祝福の加護が宿った手紙は、大切に想っている人達を守って呉れている筈だ。念を込めて鋳造した緋々色金には、そう言った特別な加護がある。
偶にこうやって返事を呉れる人の便りは、風の精霊が運んでくる。
ソランからの返事は貰わないことにしている。
燕の式神が消えるのが分かるから、手紙はソランに届いている筈だったが、最初の2、3通こそ返信の術式を組み込んでいたけど、その内に返事を貰うのが怖くなった。
今のソランの気持ちを知るのが、怖かったのだ。
……責められたからと言って、あたしには嘆く資格も無いのに。
あたしは、何をどう繕おうと、古今東西類を見ない淫婦だった。
自分には懺悔する資格は無いのだと、しかし裏切って仕舞ったソランにはどうやって謝るべきなのか思い悩んできた。
贖罪の道が辛く苦しいのは当たり前だ……あたしには、もっと苦しまねばならない罪過と重い責務がある。
朝な夕な、ステラ姉達と真剣に女神に祈りを捧げても、一向に心は軽くならないし、軽くなることを望んでもいない。
術者の死を以って洗脳の束縛から解放されてみれば、卑怯な下種勇者の“魅了・催淫”は、強い意思さえあれば抵抗出来るのだと知った。
自分のさもしい心が分かって仕舞うと、ソランの前に出るのが恥ずかしくなった……謝らなければいけないのに、勇気が出なかった。
勇者パーティに選ばれたことに浮かれていた。
田舎の刺激が無い生活よりも、都会のキラキラした輝きに憧れた。
一人の婚約者だけじゃなく、他の男とセックスしてみたかった。
いけないと知りつつ、だから興奮したし、伴侶とは別の無責任な性欲に心の底から溺れてみたいって言う秘めたる想いがあった。
心も身体も、頭が真っ白になる悦楽によがり狂ってみたかった。
愛する者を裏切る背徳の禁忌に慄く淫獣に、堕ちてみたかった。
ソランにさえ知られなければ、乱交や変態セックスにだって興味があったし、してみたかった。
世間知らずの小娘の癖に、ソランに内緒のアバンチュールを楽しみたい願望が心の奥底にあったのを否めなかった。
虫も殺せないような大人し気な振りをして、イヤらしい欲望で頭を一杯にしてる馬鹿な女だった……悲しいぐらいに馬鹿だった。
本当にそんなことを考えていた訳じゃないよと、取り繕えれば楽だったかもしれない……でも、それは嘘になる。
勇者に付け込まれるのも、当たり前だった……それだけの浅ましさが心から溢れ出ていたんだ、きっと。
けど覚めてみれば、取り返しのつかないとんでもない間違いを犯したのが分かった。
裏切り……倫理的に許し難いから、人はそれを不倫と言う。
裏切りに、大きな裏切りや小さな裏切りの区別がある訳じゃない。
裏切りは裏切りだ……でもあれは、ソランにとって酷い裏切りだったと思う。
人の尊厳をかなぐり捨て、肉欲に狂った淫乱雌の凄絶な交尾をこれでもかと見せ付けた。
女なんて………そう、ソランは思っている筈だ。
だから、あたしは今日も思い悩む。
あたしに出来ることはなんだろう?
あたしに差し出せるものは?
あたしが受ける罰として、一番相応しいものは?
あたしが酷く泣き叫び、狂い死にすればソランの恨みも少しは晴れるのだろうか?
例えあたしへの恨みが消えることはなくても、あたしがこの世から消えて無くなれば、ソランは新しい人生を歩めるだろうか?
御免なさいの一言が告げられなくて、あたしはもう何年逃げ続けているのだろう?
あたしが……あたし達が罵倒し続けた、あの悪夢の日、血の涙を流して睨んでいたソランの顔が忘れられない。
終生忘れ得ない恨みが残った筈だった。それは、きっとソランの生涯を狂わせる……そう想像するのは容易かった。
せめてソランが望むなら、彼の目の前で心の底から悔いて惨めに苦しみ抜いて死んでいく姿を見て貰おう。例え許されなくても、それがあたしに出来る唯一の罪滅ぼしだから。
……あたしは、ボンレフ村を出るべきじゃなかった。
倹しさを忘れ、都に出て派手な生活に染まるべきじゃなかった。
勇者に気を許すべきじゃなかった。
勇者に手を握られて、まだ知らない他の生き方もあるなんて逆上せ上るべきじゃなかった。
貞操なんて、詰まらないものにこだわるのは田舎の古い考え方なんだって、馬鹿にするべきじゃなかった。
遊びの為のセックスなんて、望んじゃいけなかった。
複数の男達に犯される願望が心の奥底に芽生えた時、それから全力で背を向けるべきだった。
今思えば、そんな気持ちが常に心の何処かにあった。
快楽を貪り尽くす凌辱に憧れてるなんて淫乱な気持ちを、ソランにだけは知られたくなかった……だから、話せなかった。
ませていたのか、小さな頃からスケベでエロいことを考えながら、オナニーをいっぱいした。
多情な女だって思われたくなかったし、ソランの眼にはあたしはいつだって朗らかで頑固な幼馴染として映っていたかった。
スケベなことが大好きな女だって思われたくなかった。
………だけど、気が付いてみれば、あたしはしてはいけないことを沢山して、とても人様には話せない常軌を逸した変態性愛に溺れて、それを毎日毎日繰り返して、口と言わず股間も肛門も、いつもお腹の中は誰のものかも判らない牡の種付け汁で一杯だった。
真面に、誰かに嫁いでいける身ではなかった。
悪い夢を見ているようだった魅了と言う名の精神支配から覚めてみれば、その間に起こったことが鮮明に甦えってくる。
連続オルガが止まらなくて、あまりにも気持ち良過ぎて壊れて、何度も絶頂狂乱しては逝き果て、最後には精も根も尽き果てて身体中の体液を搾り尽くすように失神するのが毎度のことだった。
連日連夜朝から晩まで、夜が白み始めても飽くことなく、ドロドロの交尾中毒のようなセックスに嵌って抜け出せなくなって、頭がペニスのことで一杯になって、差し出される聳り勃った何本ものペニスに武者振り付いて……最低だった。
誰に顔向け出来ない以上に、ソランに合わせる顔が無かった。
気が狂いそうになって死のうと思ったが、卑怯な勇者の加護を失ってみれば、あたしは唯の意気地無しだった。
きっとあたしは最初から、ソランに相応しい女じゃなかった。
この世の天国にいると思っていたのは唯の勘違いで、素面に戻ってみれば、見窄らしい饐えた汚泥の腐った汚水の中に浸かっていた自らを見出しただけだった。
その時にはもう、下種勇者の言うがまま変態貴族共の慰みものになることに心の底から喜びを感じていたし、自分から望んで余興の見せ物に魔性達と交わう姿を晒しもした。
禁忌を犯すことの歓喜に狂った自分に、悍ましいまでの嫌悪感がある……ソランに会いに行くということは、犯してしまった罪を告白するということだ。
黙ったまま許しを乞うことは出来ない。
欲望に薄汚れてしまった過去の罪をひとつずつ告解することを思うと、酷く悲しく、辛く、堪え難かった。
会いに行くのが怖かった。
正直に話すのが怖かった。
後から悔いるから、後悔と言うのだろう……今更、何を言っても虚しく響く。謝罪をしたところであたしの心が軽くなる訳でも無いし、軽くなっちゃいけないし、ソランの傷が癒える訳でも無い。
良く分かっている。
ただ、けじめとして、あたしはソランの前で自らを弾劾しなくてはならない……きっと、それがあたしに出来る全てだろう。
きっとあたしは許しを請いながら、そこで死ぬ。
「なんだとぉ、ソランを、ボンレフ村を監視するなと、あれ程きつく厳命した筈だな!」
「全世界傍受システム“フリズスキャルブ2”の観測を、巧妙に擬態することで逃れている地域があることに、つい最近まで気が付きませんでした……トラップ島付近の一帯と、シェスタ王国の王都周辺が不自然なまでに不透明なのです」
「いずれも貴女の鬼門だ」
義体端末を通じて、ナンシーが詰問とは別の受け答えをする。
自分でもフリズスキャルブの作動原理を魔術に応用した結果、ステラ姉の音の神器“ミュージィ”の四又音叉を上回る能力を得た。
だから同じ網羅探知波動でナンシーが何かにシステムを集中させているのが、すぐに分かった。
「キキ様の護身衛星を含め、監視衛星網のあらゆる探知アイテムを駆使しても全く仔細が掴めないので、直接スパイ端末を送り込もうとしました」
「ところが、全ての端末の音信が途絶えました」
「なん……だと?」
正可に、ナンシーの裏を掻ける存在があるとも思えぬが、あるとすればセルダン所縁の者か、或いは………
「ふたつの地域から、定期的に空間通信で連絡が入る人物を特定することが出来ました、その人物は貴女の故郷、ボンレフ村にいます」
「貴女の元幼馴染にして婚約者だった男……ソランさんです」
「なん……だと?」
理解が追い付かない。
様々な可能性が頭を駆け巡るが、どれもこれも不確かな情報を増々混乱させるだけの非現実的なものだ。
至急、調べなければならない……だが、どうやって?
「不思議なのは、この何処からどう見てもソランさんにしか見えない人物なのですが……どうも人間ではないようなのです」
「どういうことだっ、本物ではないと言うことか?」
「分からないのです……ですが、彼の者の霊的波長は、確かに人外のものでした」
何が起こっているのか、この目で確かめねばならない。
ソランに一体、何があったと言うのだろうか?
ソランがっ、ソランがっ、ソランがっ、ソランがっ、
あぁっ、駄目だっ、落ち着かない!
不動の平常心の筈が、心は千々に乱れるっ!
あたしの大切な、たったひとつの綺麗で狂おしい思い出!
どんなに嫌われようとっ、どんなに蔑まれようと縋り付きたい、縋り付くしかない大切な者……失って仕舞った輝いていた過去の想い人で、自分から手放し、捨てて仕舞った相手だ。
あたしを、殺したいと思っている筈だ。
消せない過去もあれば、決して消したくないと思える過去も確かにあった……悔やんでも悔やみきれぬが。
許して欲しいと、殺して欲しいの気持ちが交互に揺れた………
少し唐突でしたが、ドロシー側のお話しが全然無いと忘れ去られて仕舞うかと思い、少し箸休め的に入れてみました
女性の性欲と言うか、欲望や願望を書いてみましたが、世の中の女性に対して偏見に満ちた価値観を押し付けようと言う気は、更々ありません……唯、もしかしたらそう言うこともあり得るかな、と言うレベルで解釈ください
パラドックスが発生しています
謎解きは次編で
イリアン・パイプス=バグパイプ〈Bagpipe〉の一種で、アイルランドの民俗音楽やポピュラー音楽に用いられる楽器
他の多くのバグパイプと異なり、皮袋に空気を送り込むために、演奏者の呼気ではなく、肘に取り付けられた鞴〈ふいご〉が用いられる/旋律を演奏するための「チャンター」〈chanter〉と、通奏音のための最大で3本の「ドローン」〈drone〉の他に、数個の鍵〈キー〉の付いた伴奏用の「レギュレータ」〈regulator〉と呼ばれる管を最大で3本備えており、このレギュレータの操作は利き腕の手の甲で行われる/ チャンターがオーバートーンを使用するため、リード作成に高度な技術を要し、革袋に送り込む空気の湿度が呼気を用いることによって一定に保たれる、ということがないため湿度変化でリードの状態が変わりやすい楽器である
演奏の過程でチャンターを太ももに押し付ける必要があるため立奏はできず、スコットランドのグレート・ハイランド・バグパイプ〈Great Highland Pipes〉に比べて音量が小さく、音を止めることが可能なため、室内で他の楽器と合奏しやすく、また音楽表現の幅が広いという利点がある
バグパイプ=基本的に留気袋に溜めた空気を押し出す事でリードを振動させて音を出す原理の一種の気鳴楽器で、発声原理は有簧木管楽器と同じ
送気方式として人の呼気を用いるものと、鞴のとがあるが、いずれも留気袋の押圧で音管に送る空気の量を調節し、区切りなく音を出し続けることができる/旋律を演奏する主唱管〈チャンター:chanter〉の他に、しばしば一本ないし数本の通奏管〈ドローン:drone〉が付き、同時に鳴奏される
日本ではスコットランドのグレート・ハイランド・バグパイプが最も有名であり、単にバグパイプと言えばほとんどの場合これを指すが、この他にも独自のバグパイプがアイルランド、イタリア、スペイン、ポーランド、トルコ、バルカン半島といった広い範囲に存在している
グレート・ハイランド・バグパイプ=スコットランドで最も広く演奏されるバグパイプの一種で、日本では最も知名度が高く、単にバグパイプと表記した場合、殆どこれを指す
一般的なバグパイプの構造を備え、留気袋への送気は息を吹き込んで行ない、通奏管〈ドローン〉は3本で、留気袋には牛あるいは羊の革を用い、管体にアフリカン・ブラックウッド〈グラナディラ〉が使われる/旋律を奏でる管はチャンターと呼ばれ、装飾には銀、ステンレス、ニッケル、象牙やその模造品などが用いられる/主音はB♭〈移調楽器であり記譜音はA〉、旋法はG、記譜上のG〈通称LowG〉からA〈通称HighA〉までの9音を出すことができ、アイルランドのイリアン・パイプスのようにチャンターからの音を途切れさせることはしない
シグネットリング=〈=インタリオリング〉つまり指輪印章/ヨーロッパにおける紋章で家柄を表すものは厳密な規則に従って作成され、分家や縁組などでそのバリエーションが生まれていく為、自らの出自を表すものとして一人ひとり別々のデザインで作られた/封蝋に用いられ、リング上部の紋章を押し付け、「この手紙は間違いなく自分が書いて、封をした」証し〈signet〉とされた
緋々色金=古史古伝における太古日本で様々な用途で使われていたとされる、伝説の金属または合金/日緋色金とも表記し、火廣金〈ヒヒロカネ〉、ヒヒイロガネ、ヒヒイロノカネとも呼称し、青生生魂〈アポイタカラ〉はヒヒイロカネを指すといわれ、現代の様々なフィクションにも登場する
現在ではその原料も加工技術も失われたが、太古日本〈神武天皇の御世以前=ウガヤ王朝期〉では現在の鉄や銅と同様のごく普通の金属として使用されていたとされ、特に合金としてよく出来たものは神具の材料として使われたという/三種の神器もヒヒイロカネで作られているとされる
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感想や批判もお待ちしております
私、漢字が苦手なもので誤字脱字報告もありましたらお願いします
別口でエッセイも載せましたので、ご興味のある方は一度ひやかしてみてください
短めですのでスマホで読むには最適かと……是非、通勤・通学のお供にどうぞ、一応R15です
https://book1.adouzi.eu.org/n9580he/





