58.ベナレスは遠く……
その日、惑星インぺリウムの首都ミナ・ブラヴァニアはその人口1億3000万人と共に消滅した。
それだけの質量が一気に消滅すると、大気変動で今後の気候に影響が出るだろうし、海抜も上がる。もしかすると地軸にも微妙な狂いが生じるかもしれねえ……だが、最初はこの星ごと抹消して遣ろうと考えていた俺達には、そんな先々のことまで親切にシュミレーションしてやる気は更々無かった。
宇宙から見たその星は蹂躙して仕舞うには惜しい程、碧く美しく、幻想的に輝いていた。
遥か成層圏から帝都を俯瞰してみれば、偉大な文明の証しか、巨大な構造物が見て取れた。
首都近辺だけでも1億数千万と言う人々の生活があり、今日も夜明けと共にいつもと変わらぬ営みが始まっていた。
イングマル・ブラヴァン皇国の文化圏並びに勢力圏は、帝都のある惑星“インぺリウム”を中心に、資源調達のために緑化フォーミングされた植民惑星と7箇所のスペースコロニーと、そして母星から切り離されて宇宙空間に浮かんだ、皇国の運営には欠かせない官僚制機構、人工に造られたそれぞれの省庁本部スペース基地とも言える各種フロント・ベースがある。
その内の幾つかが今まさに最期を迎えんと、未曽有の終末兵器に吞み込まれつつあった………
穀物の物流を中心としたグレイン・ロジグループなどの経済コントロールを初め、イングマル・ブラヴァン皇国金融業界の統括は、衛星軌道上に築かれた都市機能と自給自足のインフラすら有する巨大な人工宇宙ステーション、“ユニバーサル・フロント”が担っている。
仮想通貨が6割、流通用の実貨幣が4割を占め、電子マネーの管理は素より、惑星の紙幣は総てここの造幣局が供給している。
バンカー組合の本部も、国立金融庁も集約されているし、法人保険取引ギルド、総合証券取引所デパートメントなどほぼファイナンス業務の中枢が集中していると言っても過言では無い。
ユニバーサル・フロント大蔵局は、貴族系財閥や産学協同プロジェクト、宗教系法人を初め各政財界へのパイプを連綿と確立してきた古い歴史を持っている。
クーデターの一件も、事前に情報は掴んでいたのでなんとか損失を出さずに凌ぐことが出来た。
優秀な証券マン達の尽力があったからだが……非常に身元保証審査が厳しいとされる、中央星系の無限責任を請け負う有名なアンダーライター再保険組合との契約に成功していた。
アイリーンは今、多層構造ステーションの表層域にある展望レストランで夜勤明けの夜食スナックを突つきながら、独り黄昏ていた。
シフト制の勤務に異動してから身体が中々慣れない。
金融特区は26時間、夜も眠らないがナイトシフトの半分は自動のモニタリング・システムだ。
店内に人影は少なく、他に客は二組だけだ。
貴族の家系とは言え官吏として就職し、大蔵局に着任してしまえば業務中は職員スーツだから然程目立たない。官舎のクローゼットには社交用のフォーマルドレスが3着と付随するパニエやコルセットの用意はあるが、なかなか一人で着るのは難しい。
勝機を逸した……帝立公共証券取引所の国家公務員デイトレード部で主席トレーダーだったアイリーン・リディア・キャンベル伯爵令嬢は、皇室御用達薬草園運営財団の債券売り抜けに失敗し、総支配人の座から転げ落ちて今や窓際に追いやられていた。
クーデター終息のタイミングを見誤った為だ。
元々透けるような白い肌なのにすっかり血の気の失せた顔を俯けながら、アクアマリンのような澄んだ青緑の瞳は力無く、虚ろに彷徨いつつサービスプレートに載ったココットを見詰め続けていた。
挽き肉と澱粉質の根菜を重ね焼きにして発酵乳製品と卵のソースを掛けたブラヴァニアのソウル・フード、“グリドル”だが、まだ二匙しか口にしていない。
所長に一週間程の謹慎を言い渡された日のことを思い出していた。
一度転げ落ちれば、挽回するのは至難の技だ。
政略婚姻の道が無かった訳ではないが、自立したくて婚活以外の道を選んだ……身ひとつで独立した生活にも慣れた。今更、実家に援助を仰ぐ訳にはいかない。
大蔵局情報省の金融商品値動きのデータを常時映し出すディスプレイは、店内にも何箇所か設置されていた。
ここ数ヶ月ですっかり耳に馴染んだ緊急報道のジングルが流れる。株価の乱高下はここのところ、急激に落ち着きつつあった。
だが局の報道部アナウンサーは職業柄冷静沈着な筈なのに、今迄見たことが無い程に動揺を隠せずにいた。
(きっ、緊急速報をお伝えします、本日未明剣座標準時04:00時、第5惑星トロント付近のアステロイドベルト星域で大規模な戦闘が勃発した模様です!)
(繰り返します、本日未明………)
画面は大蔵局諜報部の独自情報収集システムの端末……自由軌道で巡回している幾多のスパイカメラの一台が超望遠で捉えた映像を映し出している。
ビジュアル補正ソフトの効果が追い付かない程の距離があることを想起させる、そんな粗い画像だった。
幾隻もの軍艦が火を噴いていた。
宇宙空間において、燃え上がる爆発は在り得ない。
おそらくだが、エネルギー転換炉が露出して素の原子線や熱線モジュールが噴出しているのだろう……だが、それこそ在り得ない。戦闘不能状態での投降はあっても、装甲とエンジンルームや動力炉の隔壁のベッセンベニカ製特殊鋼は破壊出来ないからだ。
何が起こっているのだろう!
(大蔵局公式見解では、嘗てより内定していたベッセンベニカ防衛軍と帝立ブラヴァン皇国宇宙軍、広域戦略旅団ノンアル・ユージンが会敵と同時に開戦の火蓋を切ったと見られています)
情勢分析班の解析では、戦闘が起こる可能性は20パーセント台だった……何か状況の見落しがあったのだろうか?
思わずきつく手を握り締め、知らず知らずのうちに立ち上がっていた。嫌な感じだ。
攻撃の余波を受けたのだろうか、カメラの画像は不意に途切れた。
多分何千万キロも離れていた筈なのに………
チカチカするものを感じ、スカイラウンジ風の全面展望にした硬化多層構造の分厚い放射線遮蔽硝子の外を望むと、無数の点が見えたと思ったら一瞬で視界は光で埋まった。
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(ヘドロックのクローンが創造したオー・パーツはごく小型のものが多いらしい、極端な話、携帯出来る程のものだ)
(手の内にある四つの内のひとつだけ、同じものが俺達の全ナイトメアにも実装してある……こいつは対象の空間も物質も、溶融させ揮発させる劇的な効果がある)
(カタストロフ級終末兵器の一種だ………)
「このような大量殺戮兵器が、人道的に許されてもいいものなのでしょうか?」
討ち取った全銀河ナンバーワン撃墜王、原型を留めぬ肉塊と化したシューティングスターことボールジーン司令官の骸を打ち捨てて、再び進路を惑星インぺリウムに向けました。わたくしは、シンディさんのナイトメア-4の後部座席に収まっています。
驚異が進軍して来るのを示す為、透明化迷彩は解除され、超弩級要塞戦艦“天翔けるコフィン”が随従しています。
(特段、人殺しが好きな訳じゃねえ……厭いもしねえがな)
(ただ嘗められたまま、これから先ずっと幼稚な連中がはしゃぎ続けると思うと、お前は腹が立たないのか?)
「金融システムの中枢を失って、この星はこの先、立ちゆかなくなって仕舞うのではないですか?」
惑星攻略の第一弾として、ファイナンシャル業務全般をコントロールする“ユニバーサル・フロント”を駆逐して仕舞った。
主計局財務部関係の従業員だけでも9万人からが、業務に従事していた筈です。
その他にも幾つかのフロントが塵と消えました。
(軍事ツァーリズムや絶対君主制が失脚したとき、次に政権を奪取しようとするのは経済界だ)
(自由競争の適正な金融活動を補佐するよう帝国銀行が適正に政策運営出来ればいいが、封建主義下で貴族べったりの時代が長かったから中身は腐っている……だったら一度潰して仕舞った方が善い)
(今回粛清するのは帝都に限った……地方領主が残れば、経済活動の真似事ぐらいは可能な筈だ)
自分で最終的に決断したことながら、人の生き死にを裁定する自らの傲慢さは、少なからずわたくしを打ちのめしました。
首都ミナ・ブラヴァニアの第一総合公共放送、“帝立テレビ・インペリアル”は26時間稼働の巨大なメディア発信基地で、制作局には外部委託の報道マン達がそれぞれの制作会社のブースを与えられて詰めていた。娯楽や教養番組、サブ・カルチャー、エンターテイメントと全般の番組編成に関わり、ケーブルやネット配信、衛星放送も含め全部で42チャンネルを提供していた。
だがなんと言っても、主力はニュース部門だと自負している。
帝都守護騎士団や帝宮殿皇室付きに取材メンバーの常駐を許されている数少ないメディア局としては、譲れない部分だ。
だが体制の変換期だったクーデターに関しては未だに軍部からの圧力で、表面的なプレスリリース以外は報道管制が掛けられていた。
今日も今日とて、帝国陸軍帝都守備部隊の大型MEに取り囲まれ、装甲指揮車や大型の住居コンテナがテレビ・インペリアル前の広場を埋め尽くし、大型の監視ドローン達が空を覆っている。
陸軍兵士の常駐の為、局内部の我々外注の制作業者のブースも半分以上が召し上げられていた。巡回の武装兵士が局内に目を光らせているので肩身が狭く、遣りづらい。
自宅待機やテレワークに切り替えられたメンバーが多かった我がデュッセルデバイン本家資本の制作子会社、“エンパイア・プロダクション”でも自分は現場チーフを束ねる責任者なので、毎日の出社が義務付けられていた。
親会社のデュッセルデバイン・ホールディングスの伝手でなんとか事実の真相に近づけないかと画策したが、この件に関しては分厚いベールに覆われている。
「ここのところ皆さんの雰囲気が変わられましたが、帝宮殿の方に何か変わった動きがありましたか、ソルバイン准大佐殿?」
「……准大佐代理だ、えぇと、ビースト・プロのホフマン君」
「申し訳ないがノーコメントだ、話せることは何も無い」
宇宙軍程じゃないが、端末持ちはエリート意識が強い。なのに、ここのところ鼻持ちならない特権意識は鳴りをひそめていた。
仮の士官室に割り当てられた局の50階にあるスペースラウンジは接収される以前、職員の社員食堂だった。今は、下士官も含めたサロン兼オープンオフィスとして運用されており、我々取材陣への広報部機能も兼ねている。総監部第7歩兵連隊のサイボーグ兵士に守りを固められているのが、物々しい。
幾つかのライバル会社のチーフ・ディレクターを束ねるデスククラス達が今日も張り付いていた。ここの責任者のソルバイン准大佐代理にたかっているのは、大きな広告代理店を母体とする制作会社ビースト・プロのキャップ、ホフマン女史だ。
大柄で黒人種の肌を持つ、彫りの深い顔が精悍さを感じさせる遣り手で、俺とは腐れ縁だった。ホフマンの言う通り、ここのところ出動している兵隊達にピリピリした気配があった。
不思議なのは緊張していると言うよりは、何かに怯えているような雰囲気が感じられることだった。
それが何故なのかは皆目見当もつかなかったが………
異変が起こったのは、そんないつもの局内風景のまだ朝早い時間だった……モーニング・コーヒーの香りが朝の気配を引き摺っていた。
サロン・ホール幾箇所かのマルチビジョンが突然人の顔を映し出していた。スペース・パイロットとおぼしきヘルメットのバイザーは開けられており、むさ苦しい装備なのに一眼見て見目麗しき絶世の美女なのは間違いないと言う顔立ちだった。
(吾々は“天翔ける厄災”、星間指名手配犯のならず者集団、デビルズ・ダークを名乗る者である)
大音量で響き渡るその声は、不思議と天上の女神か天使かと思われる美声だった。
メディア・ジャックだった!
報道局員だから知っている……何重もの厳重なセキュリティは絶対に突破出来ない堅牢なものだ。あり得ない事態が起きている!
周囲を確認すれば軍部の事務処理用端末のディスプレイも、局内の案内板に使われている壁埋め込みのモニターも、コマーシャルが流しっぱなしにされている液晶広告板も、全て同じ映像が流されている。
特に軍部が使用するのは、無線LANの傍受を避ける暗号化有線の軍事スペック仕様でECM対策もしてるごついパーソナル端末だ。
あり得ないだろう!
「何が起きてるのっ、ボドニーッ!」
心細いのか普段冷静沈着な筈のホフマンが俺の名を呼んで、傍らに寄って来る。俺より背が高い癖に、声が震えていた。
それだけこの変事は前代未聞だった。
(今回はトラブルシューターとして仕事を請け負った、依頼主はこの国を追われた第三皇女アンネハイネ・アナハイム……だが、彼の者の本来のファミリーネームは“ブラヴァン”と言う)
(クーデターで不当に簒奪されたのは、正統なる血筋に依る国家元首の座だ……秘されていたが、成人すると共に正式に戴冠式が執り行われる段取りじゃった)
画面には古代ブラヴァン皇国からの帝室の系譜がスクロールされて行き、失われたミッシング・エイジの時代にも連綿と絶えることなく引き継がれていることが示された。
信憑性は兎も角、今を生きる現時代の国民にとっては寝耳に水の真実だろう。
(デュッセルデバイン旧公爵家は、己らの面子と覇権の為に主流派皇家を根絶やしにした……まぁ、それ自体は上位者を引き摺り降ろす権力構造の習いかもしれぬ)
(然るに、一族郎党を血祭りにされ、命を狙われる日常と共に過ごさねばならぬ当事者にとっては、黙って座している訳にはいかぬ)
(皇女アンネハイネは、帝都を見捨てる覚悟をした)
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50年もの歴史がある“ベストカップル・ユニバース”の本選は今年も10月7日に幕が開き、今日はコンテスト三日目だった。
伝統ある行事は毎年開催され、本選会場もここ帝都の美容と淑女教育に長年に渡り貢献のあったヘリテイジ・グループ財団法人のフェスティバル・ホールが使われる。ヘリテイジ・グループの傘下には、全惑星淑女の憧れ、乙女の殿堂“ブラヴァニアン・セレブリティ学園”があり、審査員にも理事長が名を連ねていた。
他にも化粧品メーカーの世襲オーナーや、国内随一の高名なファッション評論家などが今年の審査員に招かれている。
「タイムス、やっぱりその礼服おかしくない?」
「大丈夫だって、これでもヘリテイジのコンチネンタル・ブランドが今年のファッションショーで打ち出したスタイルだぜ、僕のセンスを信用してよ」
タイムスとは、地元のデビュタントでダンスのカップルを組んで以来、ユニバースを目指して色々と努力を重ねてきた。
勿論、家同士も認めた婚約関係だ。華族としてタイムスの家は伯爵位、私の家には子爵の官位がある。
三日目はソシアルダンスの競技で審査があり、隣接するドーム付き野外ステージに会場を移していた。
イングマル・ブラヴァン皇国には68の統治権を与えられた大小の属領があり、それぞれに領主が居たが、中でも大きな封土を持つ有力な所領は州を名乗ることを許され、今は17の属領が州として認められている。
私達は実家のある5番目に大きな州、クローネンモルゲンの予備審査から勝ち抜いて、今この場に在る……昨年度は予選落ちに甘んじて悔しい思いをした私達は、一年真剣に自分達を磨いてきた。
歌劇のデュエットでは世界的に有名な声楽家のトレーナーに師事してレッスンに励んで来たし、楽器は鍵盤楽器の連弾演奏を週に3回は欠かさなかった。
「ねぇ、今踊ってるデイズ・タオ州の代表カップルの娘、昨日の控室で私のメイク道具に何か仕込もうとしてたでしょ?」
「出場選手の公式レポートに拠ると、タオ州の可成り裕福な有力貴族の令嬢らしいな」
「だからよ、絶対運営事務局の監視員を買収してるわよっ」
「じゃないとおかしいもの、不正が無いよう見張ってる監視カメラに映らない筈ないもの」
ステージでフォックストロットのステップを刻む、紅い光沢のあるエレガントなシフォンスカートで踊る女を見詰めていた。悔しいがダイナミックな彼女の競技ダンスは本物で、レベルが高い。
アリーナの観客席には、“静かに”のサインが出ているにもかかわらず、最前列から喧騒の波が広がっていた。
誰もが、タオ州の代表カップルが高得点を叩き出すと信じて疑わない……そんな雰囲気が会場を満たしている、そんな瞬間だった。
突然、アリーナの観覧席に向けた4面の巨大スクリーンが、ステージ上の模様以外を映し出していた。
凄く大きな声の女が映っている。吃驚する程綺麗な女だった。
大写しになったフルフェイス・ヘルメットから覗く美貌は、高解像度スクリーンにもかかわらず、木目細かな肌には毛で突いた程の僅かな瑕疵も無い。
ひょっとすると、ユニバーサルにノミネートされてる誰よりも綺麗だった……女の私でも惚れ々々するぐらいに。
(皇女アンネハイネは、帝都を見捨てる覚悟をした)
(今の帝国を牛耳るのはデュッセルデバインの搾り滓のような連中だ、早晩行き詰るのは目に見えているが、このような不出来な者共に付け狙われるのは女が廃るとアンネハイネは言った……たった一人の小娘相手に国を挙げての大捜索は片腹痛い)
(寄ってたかって幼気な皇女を弑せんとするならば、吾等が代わりに意趣返しをする)
(今日を限りに、帝都は跡形も無く滅びる)
何を言ってるのだ、この女は……静かな憤りが、お腹の底から湧き上がるのを感じていた。
なんで、なんでよ! やっと本選まで来れたのに!
今が人生の晴れ舞台なのに、邪魔をしないでよ!
私達が優勝して、マスコミデビューする壮大な計画が台無しになっちゃうじゃない。
「おい、しっかりしろ、失禁してるぞ、アイビスッ!」
「何言ってるのっ、淑女がそんな見っともない真似する筈ないじゃない…………」
気が付くと私の股間はお漏らしした小水に下着もドレスも濡れそぼっていた。死の恐怖を前に、本能的に身体が小刻みに震えている。
怒りの感情と生存本能は別物だった。
それ程迄に、スクリーンの中の“死の天使”の言葉は真実だと分かって仕舞う。荒唐無稽な絵空事だと一蹴出来ない。
ステータスやら名誉、脚光やら何も彼も失ってしまうことより、逃れられない死の方が恐ろしかった。
どうやら身体は正直に反応しているようだ……死にたくないと、淑女の体裁を掻殴り捨てて、滂沱の涙と啜り上げる鼻水できっとメイクは滅茶苦茶になっている。
「なんで、なんでよ、なんで無関係な私達迄犠牲にならなくちゃいけないのよ!」
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ピジョンドヌール広場は、ダウンタウンのひとつ、帝都庶民の為の繁華街ロンギン・スクエアのランドマークだった。
スクエア・ガーデンでもマンモス校で知られる7番街ゼネラル・ハイスクールのあたしのクラスは、午前中は選択科目ばっかりだったから、クラスメイト達とティーン向けのセレクトショップに立ち寄る予定で、一緒の学生寮を出た。
朝ご飯を寮の食堂じゃなく、最近評判の新しいライフスタイルのフード・コートで食べようって話になった。
地元のコミューンから進学して全寮制の学園に越境してきたのは其れなりに編入試験の成績が良かったからだが、お風呂も洗濯も便利に自動化されてはいても共同だ。
出身コミューンは厳格な規律を重んじる共同体だったけど、親役をやるペアレント・チームは常時一緒に居る訳じゃないし、一人一人に専用の住空間が与えられていた。
だけど寮に来たら4人部屋だったので、最初の内は子供の頃から癖になっていた全裸オナニーが中々出来なくてがっかりした。
高等学校教程も4年目となればプライベート空間の少ない寮生活にも慣れたけど、帝都風のブレックファーストには未だに馴染めずにいる。発酵させた穀物の粉を焼き上げるベイクド・グレインが主流なのは、どうもあたしには味気ない。
評判のお店は、世界中のブレックファーストを提供するスタイルで人気になったチェーン店で、あたしの故郷の朝食、卵料理と魚介系スープの麵料理がメインのプレートも勿論味わえる。
オープンしたての頃は、懐かしくって足繁く通ったものだ。
クラスメイトそれぞれが出身地の朝食に満足して、良質の化粧品や文房具、ちょっとしたアンティーク調のカトラリー類を品揃えにするセレクトショップに向かう途中、ピジョンドヌール広場の9層構造の空中立体交差点に差し掛かる。
この街のランドマーク……象徴として有名になった隙間無く立ち並ぶ高層ビルを跨いで設置されたスーパーマルチ・ハイビジョンは、街区を一区画独占している。
いつもはニュースやコマーシャルを流している筈のマルチ・ビジョンは、気が付くと大写しにスターノイド・パイロットのようなヘルメットを冠る大変な美人が映っていた。
凄く……凄く、美人だ。
(……ネメシスと言う、お前達に引導を渡す者の名だ)
何を言ってるのだろう、この人は?
(歌って踊れるお茶目な死神だ……まぁ、もうすぐ死ぬのだから覚える必要も無いがな)
(断罪の魔女………魔女と言うのはそうじゃのお、悪魔の囁きに魂を売った女じゃ、おっと、悪魔というのもお前達の概念には無かったのお、悪魔と言うのは人を悪徳と堕落の淵に誘う者、まっ、そんな感じじゃ………)
何を言ってるのだろう、この人は?
お茶目な要素など1ミリも感じさせない表情のまま、まるで世間話をするように帝都を蹂躙すると言っている。
間違いじゃないよね?
何かの悪戯か愉快犯じゃ無いのか調べようと、SNSのグローバルチャットに使う携帯端末を取り出すと驚いたことに待ち受け画面の筈がアクティブ解除になっていて、目の前のマルチ・ビジョンと同じ映像が映っていた。
(……死の厄災を齎す、不吉なる者と知って呉れればよい)
(衛星上の採掘ベース、コロニー1から7と惑星インペリウム上の全人口172億ごと、全て抹消しようかと思ったが、アンネハイネはそれはやめて呉れと言った……生き残った者共も、楽な道が待っている訳では無いが、子々孫々まで、このアンネハイネの温情に感謝することだ)
携帯端末からも同じ美声が漏れて来る、一緒に居たクラスメイトも皆んな同じように自分の携帯を見て唖然としていた。
なんてこと、やっとコールガール紛いの真似までして堕胎費用を捻出して、親に内緒の妊娠に決着がつくと思っていたのに!
生理が来ないと真っ青になってから、あたしはここまで辿り着くのに人生イチ頑張ったのに全ては水の泡かよ!
男子校の生徒とリアル乱交擬きのトリップ・パーティで、誰のものとも知れぬ子種を孕んだと気が付いたのが2ヶ月前。薬でぶっ飛んでいたから避妊を忘れていたのが最悪だった。
人生一度の女子学生時代に肉欲に溺れてみようって友達の誘いに乗って、ヴァーチャルでもリアルでも会員制秘密クラブの際限無い乱痴気騒ぎに参加するようになったのが2年生の時だから、もう結構場数をこなしてきた筈なのに最後の最後に失敗した。
3年制の女子短大へ進学を決めて、もう馬鹿騒ぎからは卒業して真面目なお嬢様に……親達や地元の町内会市民連合が期待するキャリアへの道を目指そうと思っていたのに、もう激オコだよ!
(アンネハイネに懇願され、彼の者がこの地にありし時、世話になった者でまだ生き長らえている者、クーデターで葬られた旧皇帝派の華族、官僚で今は禁固刑の憂き目にあっている者、市井にて倹しく暮らし死ぬ程の罪を背負わぬ善良なる市民を選別し、周囲が騒ぎ出す前に3日間の短期決戦で地方の属領に退避させた)
(その数、およそ500万……お眼鏡にかなった良民は実に微々たるものじゃった)
何よそれ、何よそれ!
じゃあ、あたしらが生きるに値しないゴミカスだって言いたい訳!
そりゃあ、清く正しくってのとはちょっと違うけど皆んな似たようなものじゃん!
………そうかっ!
一昨日田舎に帰るからって退寮して行った学生達が居た!
あれは、そう言うことなのか!
女子寮の近くの人気のベーカリーが急に店を畳んだのも、エアボードのレンタル屋が昨日閉店したのも、ひょっとしてそう言うことなのか……急に現実味を帯びてきた通告が、怖くて堪らなくなった。
気が付くとクラスメイト達は座り込んでボロボロと涙を流していたんだけど、目線が同じ高さなのはあたしも腰が抜けて蹲み込んでいたからだ。
惑星インぺリウムはアンネハイネが、残してくれと懇願した。
しかし今回の皇帝弑逆に加担した謀反の首魁、デュッセルデバイン一族が占拠し、銀河コングロマリットの内の3大巨頭が進駐している帝都“ミナ・ブラヴァニア”に未練は無いと言う。
あれ程固執した民を導くとやら言う義務を放棄して、悪徳の街、権力の強奪者の許で変わらぬ安寧を享受し続ける民草を帝都ごと滅ぼす意志を確認した。
その後は何処かに隠遁すると、アンネハイネは希望している。
どう言う心境の変化か、守り統率するべき首座が誅罰を与えたその手で、民を治めてはいけないと、アンネハイネは言った。
国を捨てるしかないと、離れるしかないと。
母との触れ合いの思い出も少なく、帝宮殿室内のハイソなプライベート教師陣に教導を受けた身なれば年頃の令嬢が通う学び舎のような場所での記憶も無い。
マナーや貴族達が好む楽器、詩の朗読と嗜みとしての香油の調合など習得するも、総てが個人指導なので友達と言う者が居なかった。
遠出をしても恩寵森林での鷹狩りやゲームハンティングでの乗馬がせいぜいで、外に出る機会が少なかったが女だてらに馬術を習ったのにはそう言った訳があったらしい。
唯一の楽しい思い出は、彼女の婚約者であった将来の王配、デュッセルデバイン公爵家のロドリゲス・ジュニアとの逢瀬らしいが、帝宮殿と公爵家互いのレセプションルームやサルーン、薔薇園、温室、パーゴラやガゼボでのお茶会なども常に取り巻きの数名に渡る侍従、侍女長を筆頭にお付きの者がずらっと取り巻いていたらしい。
御料林の植樹祭や春季皇霊祭、皇霊殿御神楽他の公式行事なども一緒する機会だったが、厳密な祭祀式に則って世の安泰を祈願する場では愛を育む隙などある筈も無い。
先方には降嫁としてしか伝えていなかったが、アンネハイネの氏素性はどうやらバレていたようだ。
だが結局、ロドリゲス・ジュニアは家の再興と覇権を取ってアンネハイネを裏切る。
「大気圏再突入用移送次元シーリング、各機展開!」
「帝都上空対流圏界面25000メートルで対空、各機は攻撃機ネメシスを守備する、アザレア機、ビヨンド機、カミーラ機は帝都空軍のスクランブル防空システムが上がって来るのを蹴散らせっ!」
「光速戦闘を許可する」
(了解ですっ)(イエス・サー)(承りました……)
うちは軍隊じゃねえから拝命の復唱は決めてねえが、どうも締まらねえな……今度決めておくか。
ヘルメットを冠る機会が多くなって、女共は短めのヘアスタイルに変えた……流石にスキンヘッドや5分刈りはねえが、俺も村を出て以来編み込んでいた裾の尻尾を切り落とした。
ローリング・ストーンって訳じゃねえが、転がり続ける石には特にこだわるスタイルがある筈もねえし、その時々で見せる顔も変わる。
(……ソランさん、しつこいかもしれませんがお願いした件は滞りなく終わっているのでしょうか、縁者はもう無理かもしれませんが、わたくしの小間使い達で生き残っている者が居れば、帝都を落ち延びさせて救いたいのです、何卒)
しんがりを任せて、そのまま上空警戒に就かせたシンディ機に同乗したアンネハイネが、最後にまた確認を繰り返した。
「心配性だな、退避させたメンバーのリストは確認したろう?」
副侍女長のセイラ、筆頭ガヴァネスのリーゼロッテ、小間使いのアンジェリカ・ルーシーとナタリアなんかの名を確認して、胸を撫で下ろしてた筈だろう?
「救う奴等の選別は、要塞バッドエンド・フォエバーのナビゲーション演算装置、“天の御柱”の一部のリソースを割いた」
「地方や多星系からの一時滞在者はどうしようもないカスを除き、強制的に退去させた、帝都ミナ・ブラヴァニア近辺の住人1億3000万を精査するのに丸一日を要した……個々の深層心理まで潜るのに2000万のインセクトAIを投入したからな」
「選別基準は今迄の生き方が、他人に親切だったか、押し並べて善良だったか、原罪を感じた時に罪を悔いたか……まぁその他諸々だ」
「例えば、お前達の星は一部婚姻制度を採用していたが、夫婦者の片方が内緒で不倫してたとしても、どちらも二人の関係を一番に大切にしていたら不問とした」
「周囲に気取られぬよう時間を掛けての誘導は出来ないから、手荷物は最低限になったが、当座の生活資金はそれぞれに持たせた」
「今回協力を仰げた善良なる地方領主で滞在していた奴等は、タウンハウスごと自領に強制転移で送り返してある」
(……苦しむのでしょうか?)
「帝都民か? それも説明したろう?」
「“存在の揮発”を具現化するオー・パーツは、苦しむ間も無く一瞬で帝都を無に帰す、しかしだ、死に怯えず、己らの愚かさを悔いることもせずに滅びるのは俺達の本意じゃねえ」
「これから始めるネメシスの放送は、全惑星に向けられている」
「ネメシスは極薄く、惑星全体にテラー・アタックとアストラル・スナイプを掛けている、帝都のみならず惑星を丸ごと破壊出来るなんて戯言だと取られても困るからな」
「恐怖心を煽る魔法だ」
「……恐怖に駆られてパニックにならない程度に抑えちゃいるが、こちらの言ってることが掛け値なしの真実だと思って貰わないと、唯予期せぬ突然の死があるだけだ」
「そいつは、俺達の意図するところじゃねえ」
魔法の無い世界だ。アンチ・マジックもレジストも、そんな概念はねえ。キャンセラー関係の対抗手段なんぞある筈も無かった。
何も指示しちゃいねえが、おそらくネメシスは俺達が非合法な仕事をするときのマスクを外して素顔を晒す筈だ……これから大量殺戮を犯す相手への、せめてもの礼儀だと、
そう出撃前に洩らしていた。
狂える邪神……こいつほど矛盾してる奴はいねえ。
最高にイカれた女だって自他共に認めてるし、これ以上ねえって迄に穢れてるくせして、
……それでもなお美しい。
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(ソランと言う男は徹底している……口には出さないけれど、仲間を失わない為にはなんでもするだろう)
(例えば手ずから鍛え上げた、今一緒に乗ってるシンディ・アレクセイ君には最初に戦いに於ける心構えを徹底的に叩き込んだ、それこそ脊髄反射のように身に染み込むまで)
(曰く、敵を侮るな、嘗めるな、油断するな、絆されるな、一度敵対したら殺すまで遣れ、と言った絶対に死なない為の信条だ……ある意味、過保護ですらある)
(蟻を踏み潰すようになんの躊躇いも無く人の命を奪えるまでに、メンタルは叩いて延ばしてを繰り返し、鍛えられる)
アリと言うのはなんだろう、よく分からない?
語り掛けているのはメシアーズと言うゴッドレベル・インテリジェンスの中に残された、エルピスと言う開発者の記憶だ。
わたくしだけが初めてコンタクト出来たデータの海に溶けている広範なメモリー……意思と言ってもいい。
(ある種の宗教には不殺生戒と言って、虫のような小さな命も故意に奪ってはならないとの戒めがある……蟻はとても小さな虫だ、気が付かずに踏み付けて仕舞う程の)
(悲しみも怒りも、或いは達成感も、彼の中では同列だ……自らの罪を良く理解してもいる)
(だからかな、暴挙も善行も彼にとっては大した違いは無い)
(許されたいとも思っていないし、生き永らえたいとも思っていない筈だ……本人は意識していないかもしれないが)
(いつも、いつでも暗闇の中で踠いているような……ソランとはそんな男だ、常に側で見ているから良く分かる)
(ソランさんのこと、好きなんですか?)
言葉に出さず、頭の中で念じてみた。
(う~ん、好きと言うのとはちょっと違う、気になるんだよね、彼が何を成し得るのか、それとも何も成し得ない道を選ぶのか……頗る興味がある)
「興味……ですか?」
「ん、アンネハイネ、何か言った?」
「いいえ、なんでもありません」
つい声に出した呟きが操縦席の音声装置に拾われて仕舞いました。
(その……このナイトメア一体でも世界を滅ぼせると言うのは本当ですか、到底信じられませんが?)
(……可能だよ、この効果は基本減力しない、時間は掛かるかもしれないが全宇宙を喰い尽くすことが出来る、稼働エネルギーもさして必要としない)
(寧ろその制御の方が大変なんだ、効果範囲を定点的に固定する技術が確立するまで実用化は出来なかった、だが飛躍的に精度を上げた今なら数万光年先のピンポン球を撃ち抜ける)
(存在の揮発化と言うオー・パーツはとても哲学的な思想の理論と複雑な方程式の上に成り立っている、もしかすると僕達の元居た世界が魔術や魔法が普遍化された環境だったからこそ、生み出せたのかもしれないね)
(創出者のクローンは僕の友達だったけど、とても思索的な奴だった、正可異世界のバトル・マシンに世紀末級戦略兵器として組み込まれるとは思っていなかったんじゃないかな?)
(ナイトメアには射出系とは別に指先にスポット・タイプのものが仕込んである……ベッセンベニカ鉄鋼は分子カッターも空間次元切断ブレードも歯が立たない)
(だが、存在の揮発化なら突き刺さる)
(機体の手の平には魔王級術式、“切り裂くもの”と言う空間絶対断裂の魔術刻印が刻まれている、二の腕には“剛腕”、手首から肘に掛けては“悪魔の呪い”の魔術式がある……ソラン達はこの機甲式攻撃手技に、悪夢に登場する雌蟷螂の怪物、エンプサーと名付けた)
(そしてカミーラの研究開発筆頭、マクシミリアンが苦心の末に生み出した魔核、魔素のパッシブインジェクション・システムは“プレゼント”と命名されてナイトメアの魔力面をサポートしている)
エルピスの記憶が語る通り、途中インペリウムの衛星面警戒ベースから出撃して来た迎撃ME群を、シンディさんはたった一人で目にも留まらぬ早技で絶対不可侵の筈の装甲を引き裂いてみせました。
90機余りを全滅させるのに、僅か7分しか要していません。
(君の持ってるロスト・パーツ、亡き父君に下賜された宝刀はベナレス……つまりサイコニューム原産の地への道筋を示すヒント、或いは座標そのものが隠されていると推論している)
(だが問題はその先だ……鉄鉱石に配分するだけで、世にも稀な堅牢性を発揮するベッセンベニカ鉄鋼を生み出すサイコニュームなる鉱石は、実は人工的に創り出されていると睨んでいる)
(ソランも同じ考えだ……ベッセンベニカ鋼板の製法は、あまりにも不自然に過ぎる)
ソランさんに案内されて目の当たりにした、秘密裏に異次元亜空間に築かれた巨大な特殊精錬所の音波電解溶鉱炉が連なる光景を思い出していた。
この奇跡のような超高度な空間操作技術は、わたくし達の世界のディメンジョン理論では不可能とされているものでした。
正確な温度管理に加え、湿度、気圧も一定に保たれ、常時変わることなく厳密に調整されている……ただオートクレーブのように極端に気圧を高めることも無く、また溶融温度は普通の金属溶解温度に比べても非常識なまでに低かった。
唯々、正確性が必要なのだと言う。
加えて熱気が籠る溶融炉から何段階ものスラグ分離の炉、その後の精錬工程や射出整形ラインまでが密閉区画として環境維持の為に、まるで無菌室のように閉鎖空間として独立している。
そして響き渡る大音響の音楽……聴いたことの無い幾つもの楽器による音楽が流れ続けていた。
「このマスター音源を盗み出して来るのに苦労した、1音でも違うとサイコニュームと鉄鉱石は溶け合わない」
「そして一度整形が完了すると、もう二度とこの方法では溶融は叶わない……再整形にはまた別の音源が必要だった」
「メシアーズの解析によると、大昔の大楽団……今は廃れてしまった大規模な室内交響楽団の演奏だろうと言うことだった」
「なんでもストリングスって大小の弦楽器だけでも、200本以上あるそうだぜ」
ソランさんの説明を聴きながら、この秘密に呆気にとられていた。
つまりそれは、ベッセンベニカ製鋼の製品はこの音楽によって精錬され、加工されていたと言うことなのだろうか?
「不自然だろう? この演奏の元でしか触媒として反応しねえサイコニュームと言う鉱石……絶対、自然の産物である筈がない」
(最初、この世界は元々魔素が少ないのだと断定していたが、このサイコニュームと言う摩訶不思議な物質を知ってからは、他の可能性もあるのではないかと彼等も考え始めた)
(きっとベナレスにその秘密があると、今彼等はその秘密に迫らんとしている)
(……無論、君と言う運命に翻弄される女の子を知って肩入れしたくなった、って言うのも嘘じゃないよ)
失業保険失効後の社会保障制度給付金のチケットで、最低の酒を飲ませる労働支援センターの鑑札があるバーは、今日も朝から碌でもない連中が屯していた。
公共機関下請けの一般ゴミ収集の業者に5年勤めて、その後コンテナ陸送の運転手の仕事をした。ゴミ収集事業は市街整備評議会の広範エリア自動ダストシュート化が進むと、需要が徐々に少なくなって縮小を余儀なくされたからだ。
大体、個配サービス自体が高度に自動化された現代では、地場便の物流サービスなど斜陽もいいところだ。
最下層の陽も差さないような貧民街の学校を卒業して、すぐに働ける口は限られていた。ドライバーなら稼げると言った同級生の口車に乗せられて決めた仕事なのに、一緒に就職した同級生は疾っくの疾うにリタイヤした。
風の噂によると、最低限の医療費給付金も貰えなくて膵臓癌で死んだらしい。一般ゴミ収集に偶に紛れ込むラジウムなどの放射線物質との関連性は立証出来ず、労災認定は却下されたって話だ。
「兄さんよう、アッパー系は今、品薄なんだ……最近出回ってる薬で“ジェット”って奴が質は悪いが習慣性は無いのは保証するぜっ」
「給付チケット2枚と交換で、どうだ?」
馴染みの薬の売人が擦り寄って来るが、こちとら明日の飯代にも困る程、素寒貧だった。
通勤に使っていたイオノスクーターは売っ払っちまった。今は失職者救援ベッドハウスってとこで寝泊まりしている。
呑んだくれる他はねえと、明らかに内臓にダメージが蓄積されるだろうアルコール度数だけが高い、劣悪な合成酒を瓶ごと、最後のチケットで買った……もう、俺の呂律は回ってねえ。
他人のゲロの臭いと、饐えた便所の臭いが充満する人間様相手の店とは到底思えねえ最低の酒場だったが、へべれけになった俺には天国だったから、なんの痛痒も感じねえ。
「大体飲酒運転がなんらってんだっ、酒でも飲まなきゃ20時間連続運転なんてやってられるきゃ……」
「姿勢制御用のスペア・バーニヤの脱落らって、整備課が部品交換をケチるかららろおおぉっ」
出発前点呼のドーピング検査で、引っ掛かって解雇予告の最後通牒を言い渡された。よしゃあいいのに長時間運転の為の覚醒剤のリバウンドを抑えるのに、強い蒸留酒を呷って酒気帯び運転で検挙された。
会社からの解雇通知は留置場で受け取った。
いい加減にしろよ、人の弱みに付け込んで無理な運行を付けやがった会社とマネージャーは合法で、底辺労働者の言い分は通らない。
法律は弱いものに味方しねえ。
挙句の果てにポイッだ!
逆さになったグラスや酒瓶が釣り下がったカウンターのバーテンダーの後ろや、そしてボックス席の何箇所かに下品なエロ動画を流し続けるディスプレイがある。天井から釣り下がったひどく鮮明なモニターにはアダルトの動画再生サイトの際物めいた映像が流れていた。
一年前まで一緒に暮らしていた女によく似た素人女優が、画面の中でけだもの染みたヨガリ声で喘ぎ続けている。ぐるぐる回る酔っ払った頭の中で、幻覚のようにアンジーが俺を嘲笑っていた。
アンジーってのが元恋人で、一緒に住んでた頃は再生回数でアフィリエイト広告収入を得る小遣い稼ぎに、ヴァギナに色々突っ込む異物挿入ものを動画公開してた。
細長い生きた魚とか、太い瓶とか色々だ。
その内に愛想を尽かされて、勤め先のおさわりバーの若いマネージャーと逃げやがった。
「おいおいっ、これ本当かよ!」
「この世の終わりだってよっ、ギャハハハハッ!」
俺を騙そうとした売人や店の従業員、馬鹿笑いする酔っ払いの客供が騒ぎ立てるのを余所に、俺はモニターを占拠しているこの世のものとも思えない美人に見入っていた。
綺麗だ……本当に綺麗だ。
今迄お目に掛かったことも無い程の美人だった。
夢見心地で、俺の意識はグンニャリ歪んでいった。
そうか、俺達は死ぬのか……それもいいかもな。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
現代の超福祉社会で老人の孤独死と言うのは珍しい。
だが、福祉サービスの恩恵を剥奪された前科者となると話は違う。
60年前にハッキング防止法で摘発されて30年の禁固実刑で服役し、満期釈放されてみれば、もう真面な仕事にはありつけなかった。
ネットへのアクセス権は、IDを特定されブロックされている。
幾ら裏アカウントを作ろうとしても素人同然だった知識では現代のセキュリティに太刀打ち出来なかった。30年ものブランクは、最新のブロック技術が理解出来なくなっていた。
メモリーメディアに依るポルノ動画販売の取り次ぎを始めた。
利幅は薄いが細々と需要はある。
その内に、往年の名女優の古い作品を発掘して好事家に高く売るのが楽しくなった。もう死んでしまった、一時代前のこの世に居ない女達が股を開いて変態セックスを披露するのが可笑しかった。
人々は今も昔も変わらず、この手のあからさまに猥褻なものが大好きらしい。
自分でも様々な作品をコレクションし始めた。
廃棄された性能の劣るモニターをゴミ処理場からくすねてきて、いつからか壁一面に複数台ものLCDモニターが連なる環境を整えた。
映っているのは肉体を両性具有に改造したバイセクシャル達の複数乱交や、プロ競技としての集団でのオナニーマラソン大会の模様、拳を用いた女同士の肛門自慰とか、ネクロフィリア、ある種の軟体動物との獣姦などゲテモノのラインナップだった……老いらくの煩悩ではもう普通のセックスは見飽きて仕舞い、興奮しない。
寂しい人生だったかもしれないが、少なくとも孤独を良き隣人と割り切れば老い先短い歳まで生きて来れた。
時代遅れのポルノ動画販売の老人、テルモナ・サビスは3日前に帝都の片隅にある自宅兼販売店舗で亡くなっていた。
プライドとか倫理観とは無縁の人生だったが、こうして死んでみれば変態動画に囲まれた死に様は有り体に言って無様そのものだった。
しかし当の本人は、おそらく気にしていないのだろう。
民生委員アンドロイドのケアも受けていないので、遺体が発見されるのは当分先になりそうだ。
今どき心筋梗塞なんかで死ぬのも珍しいのだが、刑務所帰りの身分では充分な医療介護は受けられなかったのだろう。
老人の棲家にも、突如現れたインフルエンサー、“断罪の魔女”を名乗る謎の女の惑星全域に向けた放送が流れていたが、当然の如く老人がそれを視ることは叶わなかった。
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「お嬢様、生きてらっしゃるのですね……」
謎の協力者が用意してくれた長距離リムジン型静音エアクルーザーで、受け入れ先のナボナ領の領主館を目指していました。
クーデターで帝宮殿を追われた皇女アンネハイネ様付きの侍女は散り々々になり、市井の裕福な商人の館などに職を得ていました。
わたくし達下級侍女や小間使いは、まだいい方でした。
高位侍女の何名かは投獄され、司法裁判も無いままに処刑されて仕舞ったと聴いています。
まだ生きて牢獄にあった副侍女長、コミナン伯爵家のセイラ様と再会出来たのは、思ってもみなかった僥倖でした。
慣れない監獄暮らしに衰弱されたセイラ様は、今もリムジン後方に用意された集中療養室で静養なされています。カサカサになった肌や髪の艶も戻りつつあるので、何か高度な治療が為されているのは間違いないのですが、見たことも無い医療設備なので良く分かりません。
「これ本当なのかな?」
以前の同僚だったナタリアが、わたくしの手許の万能タブレットを覗き込んで震えています。
貸し出された高性能タブレットは鮮明な画像を映していました……愁いを秘める神秘的な紺碧の瞳と、真っ赤な唇なのに高貴な品性が漂う不思議な口許に二人して魅入られていました。
嘗ての帝宮殿の美姫達を見慣れたわたくし共でさえ、耐性の無い人外の美しさです。
……お仕えしていたアンネハイネ様の宝飾品を手入れする係りだったわたくしと、二人して相方だったナタリアとは、離れ々々になってから実に9ヶ月振りの邂逅でしたが、相変わらずの怖がりのようでわたくしに縋り付かんばかりにしてガタガタと震えています。
わたくしの肘を握り締めたナタリアを宥めながら、遠い別大陸に用意された安全地帯、反クーデター派の領主の許まで送ってくれると言うトランポーターを乗り継いでの、爆心地になる帝都から遠ざかる逃避行……今此処に至る迄の奇妙な脱出の旅路を思い返していました。
一昨日の晩、不意に何処からともなく現れた、理解が及ばない奇怪な浮遊する機械の言葉に導かれ、半ば強制的に、半ば催眠誘導のようにして勤め先の館を後に着の身着のまま、身の回り品を鞄に詰めて集合場所の倉庫街に集まったのが深夜に近かったかと思います。
チューブを走るフラッシュ・ウェイは少なからず人混みに紛れることが出来ましたが、人気の無いここ迄歩いてくるのにどう言う訳か誰にも見咎められること無く、理屈は分かりませんが監視カメラにも記録されていないらしいのです。
これまた理屈は分かりませんが、わたくしを守護し誘導する常に姿を変容する小さく不可思議な機械は、わたくし以外の人々には見えていないようでした。呟くような機械の声に導かれ、帝都の中心街から郊外へと退去して来ました。
懐かしいナタリアの顔を見て思わず涙し、嘗ての朋輩達が三々五々集まって来るのに抱き合って旧交の想いに喜びを分かち合いました。
御髪やお肌の手入れをしていたお化粧賄い役達は儚くなって仕舞ったと風の便りに聞き及んでいましたが、筆頭ガヴァネス役だったリーゼロッテ様に再び生きて相見えることが出来たのは、神様の思し召しと思わず跪いて祈りを捧げました。
過酷な監禁生活だったらしく、非接地自走の車椅子姿なのがおいたわしくも、わたくし共と再開を懐かしむ言葉を交わすまでは回復されたご様子でした。
リーゼロッテ様は厳しいながらも目下の者には優しく接っして頂けるので、淑女の斯くあるべき姿としてわたくし共の憧れの的でした。
途中から合流した護衛役とおぼしきアンドロイド達に案内されて、海岸べりに出てみれば、大型の桟橋にベッセンベニカ合金の外殻を持った大きな潜水艇が浮上してきました。
眩しい程のライトに照らされたタラップを登り、艦内にいざなわれたわたくし達に、当座の備品と先々の生活費だと説明されたキャッシュカードが配られました。表示を見ると、吃驚したことにウェブ通貨で100万リラもあります。
緊張で空腹も気にならない程張り詰めていましたが、パッケージング化されたトレイで暖かい食事が支給されてみれば、可成り消耗しているのが分かるほど滋養がお腹に染み込みました。
「美味しいね、ルーシー、……これ、帝宮の夜会料理より美味しいかもしれない」
美味しいものを食べると素直に頬が緩むナタリアが、ニコニコと笑っていましたっけ。
トレイに小分けに乗った四角い幾皿もの料理は、異国のもののようで味に馴染みはありませんでしたが、空腹と言う調味料を差し引いても絶品と思えました。
割り振られたシングルの仮眠室は寛げるよう配慮された小振りのドレッサーと珈琲テーブルが備え付けられた豪華なもので、音声案内付きセルフオートのルームサービスや全自動洗濯乾燥仕上げプレスのクリーニング・システムまで付いていました。
女中に寝酒の習慣はありませんが、昂る神経を沈めるのにと思い、軽い果実酒のリキュールを頼みました。
熱いシャワーで汗を流して、アメニティのクレンジングクリームで化粧を落とし、オールインワンの基礎化粧を塗り込めると幾分硬いベッドに横になりました。
無音ドライヤーも寝巻きも全て用意されていますし、非常にベーシックですけど明日の分の下着もありました。
潜水しての海路移動は、どれ程の速度があったのか監視衛星網システムの各種探知を振り切って、翌朝には開発途上領が多くを占める亜大陸に到着していました……朝日を浴びた水陸両用の大型潜水艇は、陸路を滑空し、一路内陸を目指しています。
昨夜とは打って変わり、朝食はビュッフェ・スタイルで好きなものをチョイスする仕組みでしたが、旧皇帝のサロンに仕えていたガーデン・デザイナーの一家や、宮廷室内楽団の方々、内蔵寮大膳部の調理人の方々など嘗ての馴染みだったメンバーの懐かしい顔触れに巡り合いました。
同じ船に乗っているとは思わなかったので、職を追われてからはどうしていたのか近況報告の交換に花が咲きました。
一旦船を降りて、それぞれ大型のリムジン・シャトルに分乗することになりました。500万人からが帝都外に脱出、嘘のような大移動をしているので、目的地の受け入れ先も様々になるらしく、折角出会えた昔の仲間とも再び別れを惜しまねばなりませんでした。
この場所へも他の大型潜水艇が集まっていたので見知った顔を探してみようと試みましたが、誘導整備をする案内役のアンドロイド達に時間が無いとせかされて他の集団の所へは行けませんでした。
代わりにと、避難に選別されたそれぞれの疎開先が分かるデータを自前の携帯端末に送って貰えました。
わたくし達、下働きの小間使いや侍女クラスの女達は領主館での滞在が許されるとのことで、座席に余裕のあるサルーンタイプのリムジンバスに分乗しました。帝都では有名なコンチネンタル・トレイルバスより、更に大型です。
ハイグレードのワイドリクライニング・シートは、スペース・シャトルのファーストクラス並みです。潜水艇と違って外の景色が見れるのは、多少なりとも気分が晴れるような気も致しました。
フランゴン茶の車内サービスが配られた後に、座席ごとのモニターやニュースを見ていたタブレットに、前以って聴かされていた帝都粛清の攻撃開始を告げる一斉放送が流れました。
(あぁ、何千年もの歴史ある帝都が今日で滅びるのですね………)
痛い程にきつくわたくしの腕を握り締めるナタリアにも、離れて暮らす近親者が帝都に居た筈です。
コミューン出身ではないわたくしにも自立するまでに世話になった係累があり、あらかじめ一緒に暮らせる許しが出ていることは聴かされていましが、選別されなかったケースもある故、きつく口外は戒められていました……訊くに訊けないもどかしさは、さながら身を削られるが如き辛さがあります。
「嫌な目にも合ったけどさ、思い出深い街が無くなるのはやっぱり悲しいかな………」
泣きそうな顔のナタリアの唇からは、血の気が失せて見えました。
お救い下さったアンネハイネ様の思い遣りの深さに心から感謝すると共に、一族郎党を根絶やしにされた怒りと悲しみの大きさに周りの皆んなも戦慄しているようでした。
あぁ、帝宮殿の奥の院、離宮御用邸の記念公園にあった名も無い泉水は時節になれば羽虫の飛び交う気持ちの良い場所だった。何か悩みがあるときに訪れた思い出がある……あの場所は今も変わらずにあるのだろうか?
他に選択肢は無かったかは別にして、世話になった奉公先の御用商人菓子舗経営者一族には特に恩義を感じている訳ではありません。
唯短い間でしたが、役目として面倒を見させて頂いた商会惣領兄妹には多少の思い入れがあリました……死ぬ程の悪人とも思えない人達も、皆んな、皆んな死んでしまうのかと思うと、色々な感情が押し寄せ心は千々に乱れました。
着袴の儀、参内朝見の儀、納采の儀、他にも様々な皇帝一族の仕来りに沿ってアンネハイネ様のご成長と共に過ごさせて頂いた宮中での生活が、走馬燈のように巡っていました。
気が付けば、ナタリアもわたくしも、周りの朋輩達も、声を発することもなく黙って啜り泣いていました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
宮中内の牢獄は、禁裏北溜にある皇城警備の近衛騎士団本部庁舎の地下にある……入牢の身になって初めて知ったのだが、何千年前の施設を補修して使っているらしく、所々傷んだ部分が有る。
実際、上に建っている内宮合同庁舎は鎮魂祭が行われる綾綺殿の古い建物が転用されているらしい……知らなかったが。
クーデターと言う大規模な暗殺で、葬られた暴風帝クロード・ラインハルト・レガリアンの勢力と考えられた者達は、ことごとく捕縛され投獄されて、超党派的措置として司法機関の手を経ずに次々と粛清されていた。
斯く言う私、今は亡き正室皇妃ミソカヘレーネ様の一子、第一皇子ウォルト・リット様付き第二秘書官サルタナ・ビューラックも処刑の順番を待つ無為と憂懼の日々を過ごしていた。
婚約者だったノーストン家令嬢のストロンドベリー・ロレッタは、実家がレガリアン体制の重鎮だった為に、既に処刑されて仕舞った。
もう自分の死に怯えるのにも慣れたと言うか、飽きた。
どうせ助からないのなら、こんな生殺しの状態は早く終わらせたいと、体力維持の為のスクワットや腹筋もどうでも良くなった。
通常の犯罪者向けの留置場なら、勾留中の間に運動場へ出る時間はあるものだが、ここにはそんな最低限の人権も無い。
自動の食事のディスペンサーがあり、食器の返却も同様だから人に会うことも無くデジタル表示の時計が無ければ、今日が何日かも分からない……自暴自棄になるのにそんなに時間も掛からなかった。
(……01000、三日後に帝都は消滅、110010)
突然何処かから湧いた浮遊するガジェットを目前にして、遂に幻覚を見るに至ったかと……自分の頭がイカれたかと、疑った。
(……011000、現在存命中のレガリアン帝派、010110、アンネハイネ皇女縁の収監メンバーの帝都脱出作戦を遂行中)
何か不穏な情報、いや思考が、頭の中に流れ込んで来る。
明晰で強力な思考は、それが否が応でも現実なのだと自我を喪失しつつあった私の頭脳に楔を打ち込んだ。
その立体パズルのように回転し、変転し、位置を入れ替える奇妙なガジェットは次々と圧縮された情報を脳内に送り込んできた。
それに依ると、旧皇帝派の係累唯一の生き残りにして、ごく中枢の者にしか知らされていなかった事実としてミッシング・エイジ以前の他の惑星にあった皇国の正統なる血筋、アンネハイネ様のストライクバックが始まると言う。
(0011、ソランが受諾した)
「ソラン、ソランと言うのはなんだ? 何かの組織か?」
(……我等の盟主だ)
皇家の血筋などにこだわって同族殺しを繰り返してきた愚かな世襲独裁者の一族が、その長い歴史に終止符を打とうとしている。
変転する浮遊装置の姿を借りたイノベーション・メーカーは、各種の監視装置やコントロールシステムを難無く掌握してみせた。
ロック隔壁は自在に開閉され、監視網は無効化されて記録も残らないとのことだった。人目の無い脱出ルートが設定されているようだったが、何故か看守兵のいる場所でも我々の姿は視認されなかった。
我々と言うのはここに収監されていた他の旧皇帝派宮内省内部部局所属だったメンバー達が、同じように誘導されていたからだ。
自分はまだ自力で歩けたが、中には長い投獄生活ですっかり衰弱して仕舞った者もいて、イオノクラフト・ストレッチャーで運ばれている姿もあった。
言葉を交わすことは禁じられていたが、そんな中に万遍無く窶れ果て変わり果ててはいたがアンネハイネ様の家庭教師役の一人だったレイモンド子爵家のサンダン女史や、侍女長以上に信頼の篤かった筆頭ガヴァネスのリーゼロッテ様を確認した。
薬で眠らされているのか、生命維持装置付きストレッチャーに横たわる人々に意識は認められなかった。
光速戦闘に耐えられるよう既存の人工神経網を強化する薬剤が投与されると、感覚は人の領域を大きく凌駕して行きました。
光の速度は約秒速30万キロ程だったと思います……この速度で瞬時に移動出来る戦闘なんて、誰が考えると言うのでしょう。
きっと相手方は、こちらが見えたと感じる以前にヤラれている……完全なオーバースペックかと思うのですが、ソランさん達が見据えているのはどうやら、その先の闘いのようです。
シンディさんの攻撃は、わたくしには神業であると共に、情け無用の冷酷残忍なものとして映っていました。
帝都防衛の迎撃機が上がってくるのに呼応して、滞空エア・ベースを発進したME編隊60機が背後に迫るのを迎え討ち、相手の威嚇射撃が始まる前に接近します……光速移動は相手方の感覚では、十中八九認識さえ出来ないでしょう。
突き入れたナイトメアの指先を減り込ませ、腕と掌で相手の機体を文字通り引き裂きます。ベッセンベニカ装甲のMEが引き裂かれる事態を、誰が予測し得たでしょうか?
シンディさんの操るMEマーシャルアーツは、とてもトリッキーな動きをします。まるで猛獣か何かのように四肢を躍動的に伸ばし、軟性の有機体のように相手の背後に上下逆さに回り込み、脚部に依るフット・チョークで相手の自由を奪いざま、逆反り投げの要領で相手の機体をぐるんと回転させ(光速での回転はそれだけで相手機の内部構造に致命的なダメージを与えます)、同時に両脇腹に手刀を突き入れて、冷血な捕食者が噛み千切るように引き裂いていきました。
力任せにコックピット・コアを引き抜いて握り潰す行為は、ナイトメアの性能もさることながら、最早人ならざるものでした。
常識外れの速度を別にしても、わたくしが専属教官の許で訓練していた徹甲格闘術とは何もかもが違い過ぎます。
特に光速で与える破壊は、相手機に予測不能の慣性運動を与え、バラバラになった機体が物凄い速度で四散して行きます。
迎撃MEは引火性の物質は搭載していない筈ですが、炸裂タイプの小型ミサイルでも積んでいたのか、あり得ない筈の誘爆で、何機かは連鎖して誤暴発しました。
爆散するME機の爆炎が広がるよりも速く、シンディさんは次の敵機の場所へ移動します。
まるで瞬間移動のようです。
スピード酔いの感覚の中で、メシアーズと呼ばれる超AIのデータの海の中に残された、エルピスの記憶が話し掛けていました。
(メシアーズへの順応が異常に早いね、僕が補佐しているとは言えこの速度域の感覚に付いて来れている)
(よく見ておいてね、これがナイトメアの真価だから)
(対オー・パーツを目的に僕が生み出した究極のブースト支援型パワードスーツ、“救世主の聖鎧”の無限に成長する拡張型AIは、異世界の文明を貪欲に取り込み、急速な進化を遂げた)
(超高度テクノロジーと超絶級魔術のハイブリット機体……このナイトメアはメシアーズが最高傑作と自負して世に送り出したものだ)
(超加速する伝達系と駆動系にタキオン粒子理論を基礎に開発した奇跡の回路が組み込まれている、膨大な加圧に耐えられるよう新たに創造した特殊な被膜がタキオンエネルギーの循環系をコーティングしている……この“シャドウ・ダークネス”と呼ばれるシステムに依り、ナイトメアは光速域戦闘が可能になっている)
(シャ、シャドウ・ダークネス?)
(光速を超える移動の場合、視覚的に赤方偏移が起こる……これを補正する為の光吸収フィルタのことでもあるが、こちらの世界の言語では“暗闇の影”、とでも言った意味だ、なんの捻りも無いネーミングセンスの場合、得手してネメシスの仕業である場合が多い)
(深くデータ言語にリンク出来る君なら、この時間流感覚の中でもより多くのものが見れるかもしれないね……でも、それが却って辛くなる場合もある、これから君が見届ける君の故郷の最期のように)
「ハッ、ハンガー司令、これはっなんですか! 何が起きているのか皆目情報がありませんっ!」
「……見た通りだ、未知の不確定要素“デビルズ・ダーク”の情報はあまりにも少ない、20分前にブラヴァン皇国宇宙軍の識別コードが全てロスト、通信途絶前の最後の緊急連絡では“正体不明の敵奇襲に遭遇”、だった」
「インペリウム軌道上に配置されたベッセンベニカの戦略攻撃衛星群が破壊されたとの不確定情報もある……敵の作戦行動が速過ぎる」
「規模も分からん……」
「理論上撃沈する筈も無き外宇宙戦闘艦隻がコアと連動した信号をロストする状況に、お前達は予測がつくか?」
「そっ、それは……」
「我等が遭遇しているのは、そう言う未知の脅威だ」
帝国宮殿内に設けた我々の拠点、行動作戦集中司令室で全惑星に向けたと思われる事前告知放送を聴いていた。
現行デュッセルデバイン政権の首謀者の首を差し出せば交渉の余地はあるか試算してみたが、相手へのアクセスさえままならなかった。
帝宮殿の他部署執務エリアも、次第に騒がしくなっているようだ。
「どういたしましょうっ、何か出来ることがあるでしょうか!」
「現地スタッフ部隊に、治安維持行動を指示しますか!」
側近の部下が口々に対応を問うが、全てが後手に思える。
「通信が遮断されている以上、星間弾道粒子ビームの要請は間に合わない……第一、有効打を与えられるかも分からない」
「詰んでる………」
突然現れたネメシスと名乗った美しい死の女神が、演説を続けていた。いや、これは単なる演説などではなく、彼女の言う通り“断罪”なのかもしれない………
少なくとも、これは死の宣告だったから。
(罪が有りしは権力を簒奪したデュッセルデバイン一族だけだと思うなかれ、何も知ろうともせず、自分達の市井運営を他人の手に委ねて、唯安穏と平和を享受していた帝国市民全てにあると知れ)
(世襲封建制の膝元なれば参政権が無いのは仕方ないかも知れぬ、だがそれになんの疑問も抱かぬ、見て見ぬ振りをして檻の中で飼われる羊には……生きる価値は無い)
辛辣だな、だが一面真理ではある。
(話がなげえぜ、ネメシス)
顔こそ映らなかったが、突然割って入る男の声は何とはなくこれが一連の騒動の主犯格だと思わせる威があった。
ミステリアスな声だった……正直、震えた。
(惨禍、痛哭は……なんの前触れも無く、唐突に訪れるものだぜ)
(例えば間抜けとか、覚悟の足りねえ奴は戦場では最初に死んで行く……どうせこの世は火宅、運が悪かったと思って諦めてくれ)
(……じっくり反省して貰おうと思ったが、ボスが焦れているようだから端折らせて貰おう)
(この惑星インぺリウム自体は、アンネハイネが残してくれと懇願した……お前達はもし無事に生き残れたら、孫子の代までアンネハイネを慈母神と崇めることだ)
(出師せしは大義にあらず、唯の私怨と知りおくがよい……吾等は勝手御免と押し通るのみ)
(己等の愚かさと増上慢を悔いて死ぬがいい……さらばだ)
映像の中の死の女神は、思わず見惚れてしまう程の見たことも無い極上の笑顔で微笑んだ。
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ネメシス機がオー・パーツ兵器の拡散型主砲を撃つのを加速された感覚域の中で捉えていました。
降り注ぐ“存在の揮発化”が次々と帝都市街区と言わず、広範囲に渡って質量自体を消滅させていきます。
もどかしい超スロー再生を見ているように、ゆっくりと首都部の摩天楼が、多層構造になった住宅街エリアや、地下50階層にも及ぶ繁華街が、まるで虫喰いのように消失していきます。
帝宮殿が……わたくしが12年間生きて来た思い出の場所が消えていくのが、超知覚の中でしっかり見えていました。目眩く多くの視覚野が、とても沢山、同時に脳内を駆け巡っていました
母上との思い出は少ないのですが、小さな頃に絵本を読んで頂いた私室のパヴィリオンの窓辺の陽溜まり、よく散策したグロットと呼んでいた人工の洞窟、一緒にハーブを育てた温室の一画、お茶をする為のコンサヴァトリー、皆んな皆んな消えていきます。
淑女のマナーと皇宮典礼を教わったサンダン先生に、厳しく指導されたフープスカートでの美しい歩き方を練習した長いロング・ホールでは、顎を引いて頭の上に分厚い本を載せたものでした。
個人指導の教壇では、古来の仕来たりを重んじる典礼方がしつらえた黒板のチョークと黒板消しの臭いが、授業の記憶と共に甦って来ます、リーゼロッテ先生の笑窪の似合う横顔が懐かしい……総ては消え去る直前の灯火のように、刹那に瞬いては消えていきます。
宮廷雅楽の練習に使った音楽室、ロドリゲス様と轡を並べた恩寵森林、植樹祭でロドリゲス様と鍬を握った御料林、催事用神事の奉納御神楽を一緒に見た皇宮正殿の一般参賀舞台、中院の庭園でお茶をご一緒したロトンダ式のガゼボ、レセプションルーム、サロン……数々の思い出の場所が消えて行きます。
短い間、ロドリゲス様と通った帝立ホロドロス学園の学友で、救出セレクションに残れた者は少なかったと聞きました。
末席と偽った皇女としての社会見聞で企業職場を訪問し、公務としての慰問と視察に各地方都市への巡回慰労キャラバンがあったとしても、市井の生活を知る場は極端に少ない事情がありました。
それでも学園都市や酪農郡の協同組合などでブーケを呉れた少女達は印象に残っています……あの子達は心からわたくしのことを慕ってくれたのか、唯代表に選ばれたから権威ある皇帝一族を敬ってのことなのかは計りかねました。
考えていた通り、以前に交誼のあった皇帝派の高位貴族や高級官僚達で、デュッセルデバインに迎合するを良しとしなかったメンバーの主だった者は粛清された者が多かったようです。
しかし奇跡的に生き残り、幽閉や禁錮刑の憂き目に遭っていたメンバーを解き放って帝都を脱出させる為に、ソランさん達が尽力くださいました。
壮麗な帝宮殿と広大な杜が、帝都が、消えていきます。
消えてしまうとなれば思い出は決して少なく無いと知って、愕然としました。けれどそれも帝都市民1億3000万の犠牲に比べれば、果敢無く虚しいものでしょう。
自分が選択した道とは言え、本当にこれで良かったのかと……取り返しの付かない、とんでも無いことをして仕舞ったのではないかと言う気持ちが強くなってきました。
(故郷を喪失するのは、辛かろうのお……)
どう言う理屈か分かりませんが、先程迄の間延びした、殆ど静止して見えていたネメシスさんの意識がこちらのリアルタイムで流れ込んできます。
(ましてや己れの手で、過去との繋がりを断ち切り、決別しようと言うのじゃ……12歳の身空では、涙して当たり前)
言われて初めて気が付きましたが、わたくしは声を偲んで、啜り泣いていました。
(アンネハイネ、吾のことを何処まで聴いておるかは知らぬが、吾は……ソランの世界に前世持ちと言うステータスの秘密を抱えたまま戦乙女のホムンクルスとして転生した、奇矯にも望郷の念抑え難き第二の人生を得た稀有なる存在だ)
(百何十万年を流離い、多くの出会いと別れを経ては数多くの間違いを繰り返してきた、しかし遂に吾は)
(ソランと出会った)
国を捨てる覚悟をしていました。
ストライクバック……たった一人の巻き返しに帝国民の行く末を巻き込んで仕舞う勝手さに、一時の怒りと血の気の退く戦慄がわたくしの中で鬩ぎ合っていました。
帝政秩序の頂点として、自分のあるべき姿がはっきりとわたくしにもありました。ですが、それは帝都民の血に手を染めた姿とは両立しません。
これを機会に惑星インペリウムの長かった帝政統治時代を、終わらせようと思いました。
帝国の繁栄と未来を担うべく教育された、皇帝に成り損ねた皇女としての最後の罪滅ぼしです。
帝都を粛清したわたくしに最早帰れる場所は無く、恨みを買わない筈も無き大罪人が戻れる場所はこの星にはありません。
ましてや社会構造の改革に、わたくしと言う存在は邪魔なだけで、例え象徴として居座るだけでも百害あって一利も無いと思えます。
始末を付けた後は、見知らぬ遠くの星でひっそり隠れ住もうと思っていました。
実際に手を下す役を買って出たネメシスさんは、共に行こうと諭してくれます。
1億3000万人の人を、なんの躊躇いも無く笑って殺せるようになるには、どれぐらいの地獄を見ればいいのでしょうか?
(闘って、闘って、闘い抜いたその先に、何が在るかは未だ吾にも分からない……唯、前に進んでいる間は懺悔や悔恨に囚われことは無い……思い悩めば、そこで死ぬからだ)
人はそれ程迄に変われるものなのか、わたくしにはまだ良く分かりません。ただ自分自身も、これから先何かを見て、何かを感じるのだとしたら、それはわたくしの魂を救うものではあり得ないでしょう。
人殺しには人殺しの、ジェノサイダーにはジェノサイダーの責任が伴うと、ネメシスさんはおっしゃいます。
今はまだ良く分かりませんが、わたくしの決断で亡くなられた方達の菩提を弔いながら生きて行こうと思います。
これまでにも血で血を洗うような世継ぎの争いは幾度となく繰り返されてきた。そんな長かった皇家の呪われた歴史と系譜を終わらせようと……そう願ったのは思い上がりだったのかもしれませんから。
お母さんは浮気をしていた。
私を産んで子育てもそこそこに、結婚生活と伴侶と娘を捨てて男と余所に逃げた……元々、帝国ではコミューンの中の希望者には婚姻を許可していた。
お父さんがお母さんを見初めて公費負担で結婚式を挙げた。
強引に一緒になったらしいんだけど、付き合う前からお母さんは男癖が悪かったらしい。
母親の年代はコミューンのフリーセックスが一番乱れていた世代らしくて、市の条例が発布されるまで女の方も相手をとっかえひっかえだったんだとか。
違法媚薬を乱用したバーチャル・セックスの洗礼を受けていたせいだろう、もっと強い刺激と興奮が欲しくてリアル乱交をしてみたが満たされないまま、求婚された父親となんとなく一緒になった。
結婚した後も内緒の男遊びは続いていたらしい。
失踪した後、お父さんはコミューン内での外聞を憚って跡を追うことは無かったが、籍は抜いたんだって。
「若い頃のあたしは何も考えていない馬鹿な尻軽でね、そりゃあドスケベな穴女だったものよ」と、帰って来たお母さんは言った。
「爛れたプジィと肛門の治療で、よく婦人科にも行った……家を出た後に一緒になった彼氏に言われて排卵を止める手術をしたから、もう子供も産めないの」
年頃の娘にそんな告白をするのは一般的な良識としては如何なものかと思うのだが、性欲が強かった昔の自分を正直に話すことに依り、せめてもの罪滅ぼしをしている心算のようだった。
聴かされるこっちは堪ったものではない。
「不倫セックスが大好きで、貴女の面倒をみなかった……ダメな母親で御免なさい」
そりゃあ私だって人並みにオナニーぐらいはするし、バーチャル・セックスで交際した男もいたけど、この女の淫蕩な血が流れてるかと思うと嫌な気分だった。
奔放な男遊びも一段落してみれば、憑き物が落ちたように捨ててきた家族が大切に思えてきたと、殊勝にも詫びを入れてきたときは呆れ返って自分の耳を疑った。
でも、お母さんは本気だった。
おさんどんでも下女としてでもいいから、側に居て娘の成長を見守りたい。過去の罪を償う為ならなんでもするし、身を粉にして仕えるからと、日参して玄関前で座り込むこと一週間……根負けしたお父さんが家に上げ、一緒に暮らすようになった。
どう言う心境の変化かは分からないが、男よりも家族の温もりの方が大切に思えるようになったとお母さんは言った。
正直、小さい頃の思い出も覚えてなくて、お母さんの顔は卓上のデジタル・フォトスタンドでしか知らなかった。
だから、戻って来た母親は、血は繋がってはいても見知らぬ他人も同然だった。フォトスタンドの映像と同じ、派手な造りの顔と肢体をした女が目の前に居るのが不思議だったのを覚えている。
コミューンでは計画的な人口管理体制だったし、夫婦者でも代理出産や冷凍保存の染色体からのエレベーター式人工子宮育児で子供を授かる家族計画が主流だった。
今日では希少頻度になったリアル受胎で私を出産したにもかかわらず、子供をないがしろに男に熱を上げるだらしない母親でご免なさいと、お母さんは何度も謝った。
済し崩し的に始まった同居生活だったが、お母さんとお父さんが夫婦生活をしてる気配は無かった……本当のところは分からないが。
宣言したようにお母さんは、陰日向なく額に汗して働くようになって、銀行からの借り入れで大きな学校の女子寮がある街でパン屋を開けるようになったのも、お母さんに負うところが多かった。
今では身なりも必要最低限の地味な目立たぬものに変わり、化粧っ気も無く素っぴんで暮らすのがスタンダードになったけど、ずっと昔からそんなだったって思えるようになった。
けれど許せる許せない以前に、見知らぬ同居人に心を開ける筈もなかったし、母を“お母さん”と呼ぶことは無かった。
私がこの人を呼ぶときは、“ねえ”とか“あの”とかだ。
自分の自堕落な過去を悔いているからだろうか、いつからかお母さんは見知らぬ他人が困っているのに手を差し伸べるようになった。
近所の若者が新しい職場に馴染めず悩んでいると知れば、本当に親身になって相談に乗ったし、町内会のホスピスや老人ホームへの慰問活動などに積極的に参加した。
それが故なのか昨晩、謎の組織が帝都殲滅にあたり事前に善良なる市民を被害から遠ざける脱出行にいざなった。
コンタクトがあったとき、何故うちの家族がとも思った。
同じようにお母さんも思ったらしく、最初は行かないと言っていたのを、“娘の行く末を見届けないのか、この無責任ババア”となじって無理矢理同行させた。
友達、知り合いへの連絡は一切ダメと言う胸が締め付けられる状況だったが、愚図るお母さんを連れ出すことが出来たので、まぁ良しとしよう。
お父さんが大枚をはたいて購入した麵麭焼き窯に別れを告げている時、お母さんも一緒に泣いていた。
「ねぇ、貴方、この子達をうちの養子に出来ないかしら……」
帝都から逃げ伸びて来る途中で一緒になった貧民街出身だと言う幼くも、傷付き希望を失った姉妹を慈しむように世話をしていた。
海中を航行するリゾートホテルのような大型クルージングボートで食事の席が一緒になって以来、なんとなく行動を共にしていた。
豪華なメイン・ダイニングはなんだか晴れがまし過ぎて、隅の席を選んだら彼女達が居たのだ。
貧民窟に放置された廃棄クローンだと言う姉妹は、クローニング技術研究所で生み出された実験体で、化学産業廃棄物回収業者に下げ渡された後、殺処分になるところを実行する係りの者が偶々不憫に思って逃がしてくれたらしい。
普通、実験用クローン体は1年以内に自壊するよう調整されているらしいが、これも偶々違法実験を行ったらしく、スラム街で3年は暮らしたと言う……そう、本人達が身の上を申告していた。
従って二人は帝国のIDナンバーを持たない。
社会保障どころか、人間と認められていない……つまり最低の人権すら無い状況で彼女達が生き残る為には、身体を売るしかなかったらしい。
最初の内は残飯を漁る生活だったが、やがて身を寄せる孤児達のグループに拾われて窃盗を繰り返すようになるが、定期的な児童保護組織の巡回でグループは壊滅する。
誰の庇護も受けられなくなった二人はスラムの男達相手に、食べ物と引き換えに性的な悪戯に応じるようになる。
本当の年齢は分からないが、下の子は見た目14、5歳に見える。
栄養失調と言う程ではないが、瘦せている。
クローン体ならば、成長した肉体で活動をするものと思ってたが、実験内容が特殊なのか、子供の姿のクローン体は可成り珍しいのではないかしら?
それと、問題は上の子の方だ。
同じ遺伝子から造られたのか顔は似ていたが、ブロンドの髪に少し癖があり、睫毛が長い。
異常性癖のサディストの相手をしたと言っていたが、酷く損傷した身体を診療してくれた治療部支給のバイタルモニター付き外骨格アームに支えられている状態だった。骨折もあったらしい。
脱出を介助する不思議な組織が彼女達を救出してから緊急救命の処置の後、看護システム、生命維持機能も備えたマッスル・スーツが貸し与えられた、と語られた。
腰や背中を中心に全身に纏ったパワー・アシストで日常的な移動は問題無く、外傷も全て綺麗に治っているが、助け出されたときは瀕死の重篤状態だったと言う……衛生状態も最悪だったらしく、一月以上風呂にも入らず、二人とも疥癬が出来ていたと聞いた。
姉妹共に帝都からの逃亡をバックアップしてる医療部のケアが功を奏し、ごく短期間にもかかわらず健康を取り戻していた……身体が必要としているからか食欲も旺盛で、血色も良い。
「いえ、お世話になっては、却ってご迷惑をお掛けするかもしれません……わたくし共は、人間じゃありませんから」
彼女にだけ治療患者向けの流動食セットメニューでサーブされた、擂り潰されたポタージュ状のチャウダー・スープが供されていた。
姉の方が身体中を覆った筋力サポートの助けを借りて器用に掬っていたスプーンを止めて、答えた。
母の申し出は、やんわりと固辞されていた。
「馬鹿なこと言わないでっ! 笑ったり、泣いたり、一緒にご飯を食べたり……貴女達の何処が、人間じゃないと言うの!」
母のお節介は今に始まったことではないが、相手に迷惑がられても退こうとしないのは、もう少し考え直した方が好いと思う。
ほら、お姉さんの方が目を丸くして驚いているじゃない。
でも、お母さんの暑苦しい親切心が、私は嫌いじゃない。
結局、血の繋がりが家族を造るんじゃなくて、一緒に暮らして、そこから家族になって行くんだと思う。
まだまだ“お母さん”と呼ぶにはわだかまりがあるが、母はもう私の立派な家族だ。
これから先、何処かのコミューンやファミリーの傘下になることがあったとしても、私達は母娘であり続けると思う。
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天翔けるコフィン、“バッドエンド・フォエバー”の一番大きな作戦立案用のオペレーティング・エリアに、ソランさんの眷属の主要メンバーが参集していました。
わたくしの所持していた宝刀、悲運のクーデターに憤死した父君から下賜された小振りの短刀を、今回の依頼の代価としてお譲りしてから三日程が経っていました。
「マクシミリアン、始めて呉れ」
ソランさんが促したのに呼応して、研究開発筆頭としてのマクシミリアン先生が手中のリモコンを操作すると、空中に精緻な立体ホログラムが音も無く浮かび上がります。
拡大された宝刀の3D映像は静かに回転して、見事な荒沸の照り返しを魅せていました。
「最初、メシアーズに解析を依頼したのは正しい判断だったと小生も思いました……ところが、光、振動レーザー、音、電磁波、放射線や重力子その他諸々、もしくはその組み合わせのあらゆる周波帯を試し、隅々を分子レベルまで精査しても結果は出ませんでした」
立ち上がったマクシミリアン先生は、一度一同を見回すような素振りで、映像の元になっている本物の宝刀を手に翳していました。
マクシミリアン先生は爬虫類みたいな口をしているので、ちょっと声が籠もります。
「小生に分析の話が回ってきて、最初に推論を立てました」
「……試されていないものはなんだろう、そして我々の追い求めるものは?」
答えを口にするのに、先生は一拍の間を擱きました。
「答えは、魔力です」
「魔力を構造分子に流し込んでみると、このように共鳴現象が起こり、データがイメージ映像として投影されました……想像が当たっていると分かったときはゾクゾクしましたよ」
翳された短刀にマクシミリアン先生が自身の魔力を注いでいるのでしょう……ほんのりと明滅する輝きを発しながら、まるで霧が晴れるように現実世界を塗り替えていきました。
それは決して投影像などではなく、縮小された現実の大銀河団のように見えました。
ゆっくり回転する大銀河団が見え、ぐんぐん大きくなり、ダークマターの濃い部分を乗り越え、やがてひとつの銀河系、ひとつの星系を示しました。
「おそらく、此処に“ベナレス”があります」
「……遠いな、殆ど大宇宙の反対側じゃねえか」
星図を把握してるのでしょうか、ソランさんは即座にその場所を言い当てました。
「“ベッセンベニカ”と“セイント・マーチン教団財閥”はこんな遠隔地からパイプ・ルートを牽いてるとおもうか?」
「ショート・カットがあるのかもしれません……まだ謎が残されていると言うことでしょう」
「いずれにせよ、一歩前進です」
「魔力が全く枯渇したこの世界に、魔力を注がないと反応しないロスト・パーツが残された理由は何でしょう……次の着眼点、論点はおそらくそこになると思われます」
そう言って、マクシミリアン先生は耳まで裂けた口から、牙のような歯並びを見せて笑われました。
「アンネハイネッ、何か変わりはねえか? ……古い古いデリリアン銀河歴から続く血統に、ベナレスへの道筋を示すトリガーが仕込まれていると睨んでいる、それが遺伝子なのか、細胞レベルの憶……」
「どうした、今更悔やんでいるのか?」
わたくしの酷く落ち込んでいる様子に気が付いて、言葉を途切れさせたソランさんが訝しげに問われます。
ゆっくりわたくしの方に向き直り、そのひとつしか無い黒い瞳に見詰められると、まるで深淵に呑み込まれるような錯覚に囚われます。
「いいか、アンネハイネ、テロリストにはな、センチメンタルになってる暇はねえ」
「俺達は……俺はな、裏切られた者の行く末と言う運命に抗ってここまで来た、その為に多くの犠牲たる死を以って命を糧に、魂を贄にして、大勢の人生を狂わせた……だから」
「退く訳にはいかねえのさ」
普通に諭すようにお話しくださるのですが、わたくしにはこれ以上無い程、悲しい声に聴こえていました。
「天に代わって悪を成敗なんて気は更々ねえし、第一、どう贔屓目に見ても俺達ゃあ人殺しの人非人、神を冒涜する最低の変態供の集まりだ……悪の巣窟、そこに巣食うは信条のしの字も持たない無慈悲の権化と言ってもいい」
「自分が正しいと信じる狂信者は例外なくエゴの塊りだ……自分の身を犠牲にしても間違いを正そうとする」
「そういう奴等と俺達は一線を画す……つまり、自分達が正しいとはこれっぱかりも思っちゃいねえ、誰彼構わず何処迄も自分勝手で横暴な我を通そうとするアウトロー、正しいか正しく無いかなんざ、はなっから眼中にねえ」
自分を悪人だと嘯く人は今迄も見てきましたが、ソランさんは全く違います……心の底から、自らを反正義だと思っているのが悲しい程に分かるのです。
「唯々気に入らねえものを蹴散らしてえ、ルール無用の悪党だ……自慢じゃねえが、俺達の性根はとことん腐ってる」
「とりま、人殺しには人殺しなりの責任が伴う……俺達は、それを充分理解しておく必要があるし、復讐者は常にハングリーでストイックであるべきだとも思っている」
「満たされてしまえば焦燥感は死んでしまう……だが、それをお前に強要する気はねえ」
「一緒に来る気が無いのなら、それでも構わねえ……だがな、ベナレスまでは付き合って貰うぜ」
「俺の中に在るベルゼビュートの意識がな、そこへ行けと囁くんだ……そこにこの世界の秘密があると」
ベルゼビュートと言うのは誰でしょう?
多くの謎に包まれているのは、ベナレスやわたくしなどではなく、貴方だと思うのです、ソランさん。
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大筋、行動計画が決まりました。
わたくしも、降りれないところまで来ているようです。
次のベナレス攻略ルートとして、ベッセンベニカ製鋼の本拠地を叩いて、あの遠隔地からどうやってサイコニュームを物流に載せているのか……秘密の時限式ジェット・ストリームと言ったようなものが存在するのか、確たる情報を奪取しようと言うのです。
無茶苦茶な目論見ですが、ソランさん達なら遣るでしょう。
「どうして今日はネメシス達と行かねえ?」
アザレアさん方にお昼を誘われたのですが、もっと簡素なデリ・コーナーで済ませたいからと自動ホット・ディスペンサーが立ち並ぶデリカテッセン・ダイナーの区画に来たのはいいのですが、使い方が分からなくて戸惑い腰が引けてるところに、ソランさんに声を掛けられました。
……なんのことはなく、コンシェルジェ案内装置を初め全て音声案内と点滅する液晶表示などで、無人のフード・コーナーは何も分からなくても、ちゃんと食事にあり付けるようになっていました。
「このラザニアとトマトコンソメのクラムチャウダー、ターキーとパストラミのサンドウィッチのコンボセットはお勧めだぜ」
沢山立ち並ぶフード・ディスペンサーの一角で、偶々ここをよく利用すると言うソランさんと出会い、使い方を教えて貰えました。
「ヘルシーなのが好けりゃあ、家鴨のコンフィと、トマト、ズッキーニのラタトゥイユ、和布蕪と海蘊の牛骨コンソメでカロリーを抑えた美容セットもいいぜ、女共にゃあ人気だ」
ネメシスさん達と一緒すると必ずエッチな話になるので遠慮したのだと言い出せなくて、言い淀むわたくしに皆まで訊かず色々と説明してくれるソランさんに、いつもの打っ切ら棒さはありませんでした。
「デザートと珈琲のディスペンサーはあっちだぜ」
既に単品メニューを手際よくチョイスしたソランさんは、ひとつのパッケージングトレイにセットされたのを立食カウンターに運び、握ったフォークで指し示します。
「あの、お隣、ご一緒しても?」
無難なセットメニューを選んだ私も四角い樹脂製のトレイを手に、相席をお願いしてみました。
「ングッ、……あぁ、別に構わにぇぜ」
イングマル・ブラヴァン皇国を追われてから庶民の生活も色々見聞きしてきましたが、口に入れたまま喋る無作法はあまり見ませんね。
一口、二口味わうと、これが本当に繊細に調整された極上の妙味なのが分かります。どれもが行儀作法を忘れて、本気で堪能したいと思わせる逸品でした。
吃驚する程食べるのが早いソランさんは、既に好い香りのフランゴン茶を手に、偶に見掛ける細長く小さな棒を口にします。
「あのぉ、口にされているそれは、なんですか?」
「……パチモンの煙草だ、大昔の人間の廃れちまった悪習慣」
「おそらく今となっちゃあ、俺しか嗜む奴は居ねえ」
見ているとソランさんは、食後の一服だと、口に咥えたものを吸っているように感じられました。
「人は何かに依存するものだが、こいつは俺に僅かに残された人間性かもしれねえな」
「……お前はどうだ、国を捨て、民を捨て、俺達と来る覚悟は出来たか……俺達と来るってことはな、人間を捨てるってことだぜ」
そう言ってひとつしかない瞳を眇めるソランさんの声は、いつもの恐ろしい酷薄なものでした。
「俺はなあ、別に英雄や伝説になりたかった訳じゃねえぜ……ただ昔の知り合いに裏切られて、仕返しがしたかったばかりに暴走してきただけだ……なんの因果か異世界に飛ばされて寄り道を喰らってる」
これは、ソランさんが過去を語っているのでしょうか?
「あの日……運命が嘲笑うように、俺を翻弄したあの日に気が触れてからずっと、狂気の渦の中に蹲っている」
「復讐の女神ネメシスの甘言に乗って、成就と共に“喜怒哀楽”の感情を対価に差し出す契約をした、力と引き換えに、眠りを失い、瞬きを失い、咽喉に絡む痰を失い、笑顔を失い、阿修羅の日々に人間らしさを失った」
「見た目も普通じゃねえ……声が嗄れてるのは常軌を逸した慟哭に咽喉を潰したせいだが、殺伐とした流浪の中に傷付いた顔の半面を占める仮面は完全に皮膚に癒着し、同化している」
「……額のこの印な、おめえ等は知らねえだろうが、ハエと言って死肉や糞にたかる最低の害虫だ、こいつがベルゼブブの暗黒魔力を抑え込んでいる」
今迄気に留めてはいなかったのですが、ひとつずつに壮絶な闘いの歴史と謂れがあるのでしょうね。
そう言えば、ほくそ笑むでもなく、苦笑いするでもなく……この人の笑ったところは、確かに一度も見ていません。
「裏切られた事実、知りたくはなかった望まぬ事実を突き付けられたときに、俺は壊れて、心は千切れた……幼馴染みだったと言う過去も捨てて、封印して、忘れた」
「俺達の世界の宗教は女神を崇めている、だが俺はそれ以来、神に祈るのはやめた……神聖魔法は使えても、何処に出しても恥ずかしくねえ、誰憚ることねえ立派な無神論者だ」
「ゾンビやゴキブリのようにしぶとく、蛭や寄生虫のように小狡く生き残る処世術を信奉している……鋼のメンタル? 糞食らえだ」
「俺達はな、例え他人の命を犠牲にしても自分達だけの目的を優先する……目指せ、外道畜生のメンタル……そいつを座右の銘に、俺達は小汚い手を使っても、」
「例え銀河を翻弄してでも、例え全人類の命運と引き換えにしてでも、必要なものは手に入れる」
「いちいち他人の魂の重さを秤に掛けるなんて、七面倒くせえ真似は俺達のセオリーにはねえ」
そう口にした時のギラギラとしたソランさんの気配は、触れれば切れる剃刀の刃のように冷たく、鋭く、そして無情に感じられました。
「てめえら、もう一度言うぞ」
気が付けば、何故かアザレアさん、ネメシスさん、カミーラさん、スザンナさん、シンディさん一同がフード・コーナーに顔を揃えていました。皆さん、通路側からこちらに近付いてきます。
「俺達は、何がなんでも還り着くっ!」
この方々の望郷の念がただならぬものなのが、部外者のわたくしにも犇々と伝わってきます。
あえて妄執と呼んでも構わないかと思います。
「しかし、ソラン、ベナレスは未だ遠い………」
単独行動の多いスザンナさんが珍しく一緒でしたが、シビアな状況分析を自負する彼女らしくネガティブファクターを口にしました。
美しい眉毛を片方だけ顰めると、なんだかこの人が憂いを秘めたお姫様みたいに見えるんです……不思議ですね。
「だったら、無理矢理にでも引き寄せるまでだ」
寿命をまっとうするなんて真面なことは、全然考えていない人の声だった。命の重さなんてまったく眼中に無い。
人間一皮剥けば……と言った視点のエピソードをオムニバス的に鏤めて、滅びてしまう側、運良く生き残って脱出する側の悲喜劇の一幕を綴って見ました
上手く書けたかは分かりませんが、悪を標榜するソラン一行がどのように大量殺戮を犯すのか、また正しく無いと豪語しながらも退かない姿勢がなんなのかを表現してみました
ひとつの惑星の都市に壊滅的ダメージを与えようと言う回です
今更ながら読み返してみても、お笑いの要素は1ミリもありません
スペースコロニー=宇宙空間に作られる人工の居住構造物で、全体を回転させる遠心力によって擬似重力を得る
構築物の回転によって発生させる疑似重力は計算によってほぼ正確に求めることができ、例えば直径約6kmの円筒形のスペースコロニーの外周部に地球と同じ重力1Gを得るには、1分50秒で一回転すればよい
グレイン=もともとメソポタミア地方において大麦の穂の中央からとれた種1粒の重さとして定義されたので、今日でも"grain"には穀物という意味がある
アンダーライター=英米の保険業界で契約引受の可否、条件の決定などの全権を与えられている個人や法人で海上保険の取引から17世紀末にロンドンのロイズコーヒー店に創設されたロイズの個人引受業者が著名
ロイズ保険組合はブローカーとアンダーライターを会員とする自治組織であり、通常の保険会社と異なりロイズ保険組合自体が保険引受業務を行うのではなく、保険を引き受けるのは無限責任を負うアンダーライターであり、ロイズ保険組合はロイズ保険ビルを所有し、取引の場と保険引き受け業務に関する事務処理サービスを会員に提供するために存在している
パニエ=スカートを膨らませるスタイルは17世紀に一時衰退するものの18世紀に復活し、イギリスからフランスの宮廷に伝わった/鳥かご〈panir〉に形状が似ているため、フランスでは“パニエ”と呼ばれるようになった
当初パニエは木や藤の、後に鯨鬚の円形の枠を何段かに分け、木綿、毛、絹などの布地に縫い込んで作った円錐形のものであったが、華美を競うに従い膨らみを増すようになり、不自由さを軽減する為に前後へは広がらなくなる一方で左右へと拡大し楕円を連ねた釣鐘形になった
結果として重量が増したためパニエは左右に分割され、日常用としては小型のものが着用されるようになり、2つに分割されたものはパニエ・ドゥブルと呼ばれた
パニエはあらゆる社会階層で流行し、フランスの宮廷ではフランス革命まで着用が義務付けられたが、被支配階級の身につけるものは実用的な質素な作りのものであった
ココット= 小型の円形または楕円形の耐熱性陶器でラメキン、スフレ皿・スフレ型・スフレカップとも呼ばれる
グリドル=異世界の食事情の創作だが、トルコやギリシャ、ルーマニアで食されるムサカをイメージしている
ホールディングカンパニー=他の株式会社を支配する目的で、その会社の株式を保有する会社を指す/他の会社の支配のみを行い、自社での事業活動を行わないものを純粋持株会社と呼ぶ
フォックストロット=4分の4拍子または2分の2拍子の社交ダンスだが……異世界で同名の呼称はない筈なので脳内変換して頂きたい/19世紀末、アメリカでジャズの前身であるラグタイムと呼ばれる音楽が生まれ、これに合わせて生まれたダンスの中のひとつで、これ以前にもターキートロットやバニーホッグなどの動物の名を冠していたダンスが流行っていたが、この踊り自体は狐の動きとはなんの関係も無く、当時のフォックストロットは今日のクイックステップやジルバに近く、スピーディーでアクションの激しいダンスだった
コールガール=本来は娼婦のうち、電話で依頼主の自宅や宿泊先へ呼び出されて依頼主への売春に応じる者のみを指すが、語感の良さから娼婦の代名詞として用いられる場合もある
パーゴラ=もともとイタリアで葡萄棚をさした言葉で、派生してテラスの上部に組む棚をさす意味となり植物をはわせることによって日陰をつくり、ティータイムなどを楽しむ場となったりガーデニングの立体的な景観を楽しむものとなった/屋根の形は一般的に長方形であることが多いが、まれに正方形や扇形、台形、菱形、円形などの形も見られる
ガゼボ=西洋の庭園、公園、その他公共の広場などによくみられるパビリオンの一種で、庭園の外周壁に取り付けられたものを除いてほとんどのガゼボは自立した建築物で、屋根があり、柱があるだけで外の空間に開けており、平面から見れば八角形のものが多い/休憩用や装飾用に庭に置かれる構造物の一つで、パゴダ〈東洋の仏塔を模した西洋庭園内の建物〉、パビリオン、キオスク、ベルヴェデーレ:展望台などの仲間で、これらは南欧や中東などの温暖な地に起源があり、古代から日差しの強い地方では日陰から庭を楽しむためにこうした建物が作られた
エンプサー=もしくはエンプサはギリシア神話に登場する怪物の一種で、その名は“雌蟷螂”を意味する/冥界の女神ヘカテーにモルモーと共に仕えていて、片方の足は青銅で出来ており、もう一方の足はロバの足で出来た女の姿をしているとされ、男を誘惑して交わった後に食い殺したり、眠っている男には悪夢を見せながら血を啜る
オートクレーブ=内部を高圧力にすることが可能な耐圧性の装置や容器、あるいはその装置を用いて行う処理/工学では炭素繊維強化プラスチックなどの複合材の成形や人工スレートなどのコンクリートの養生のためなど、さまざまな分野でそれぞれ目的に応じて使用される
インフルエンサー=世間に与える影響力が大きい行動を行う人物のことで、その様な人物の発信する情報を企業が活用して宣伝することをインフルエンサー・マーケティング〈SNSマーケティング〉と呼んでいる/ブログ利用者が急増した2007年頃から頻繁に使用される言葉になったが、ブログ利用者の中には数千~数万の読者を持つカリスマブロガーなどと呼ばれる人物が現れ、その人物が発信した情報が数十万人単位に広まり、大きな宣伝効果を持つようになった/そのことが、購買行動に影響を与えるようになり、2010年頃には企業側がインフルエンサーを活用した宣伝、インフルエンサー・マーケティングに取り組むようになっていった
ガヴァネス=本作にも何回か登場するが、上流階級の婦女子を教育した女家庭教師/主に学童期の児童が対象だが、中流婦人に期待される教養もその生徒たる若いレディに教えた/それは例えばフランス語その他の外国語でありピアノなどの楽器であり、また絵画などであった
ビュッフェ・スタイル=料理が並べられたビュッフェテーブル〈ビュッフェボード〉に自由に移動して自らが食べる分だけ皿に取り分け、来客者が全員着席して給仕人が料理をそれぞれに運ぶ形式のランチやディナーに比べるとインフォーマルな形式とされる/アメリカやヨーロッパのホテルでは高級化されたビュッフェ・レストランを設ける例が増加しているといわれ、日本のホテルではレストランでの朝食サービスなどに採用されている
タキオン=超光速で運動する仮想的な粒子/特殊相対性理論では、タキオンは空間的な四元運動量および虚数の固有時を持つ粒子で、エネルギー運動量グラフの空間的な領域に制限され、光速以下の速度で運動することができない
タキオンに対して、静止質量0で真空中を光速で運動する粒子をルクソン、正の実数の静止質量を持ちどんなに加速しても真空中の光速には達しない粒子をターディオンと呼ぶが、現代の物理学ではタキオンの存在自体は否定されている
ロトンダ=円形の建物を指し、通常その上部はドームになっていて、円形建物または円形建築物とも訳される/建物の中にあるドーム状の屋根を持つ円形の広間を指すこともあり、この場合は円形広間のように訳される
中世の中央ヨーロッパでは9世紀から11世紀にかけて多数の教区教会が建設されたが、その頃の円形の教会はハンガリー、ボヘミア、ポーランド、クロアチア、オーストリア、バイエルン、ダルマチア、ドイツ、チェコなどに多数現存する/ローマのパンテオンを原点とする見方もあるが、その多くはローマ帝国版図外にあり、一般にその室内の直径は6mから9mで、アプスは東を向いている/中心の円の周りに3つから4つのアプスを備えたものもあり、それらはカフカースのものとも関係がある
パストラミ=コンビーフ同様、現代のような冷蔵技術がない時代に牛肉を塩漬けにしてから燻煙することによって保存性を高めるために作られた/食塩水に漬けた赤身肉を少し乾燥させ、燻煙した後、粗挽き胡椒、大蒜、コリアンダー、パプリカ、オールスパイス、マスタードなどの香辛料をまぶすのが一般的/主にデリカテッセンで製造販売され、薄く削ぎ切りにしてサンドウィッチやベーグルサンドの具材などとして食用される/本来は牛のかたばらを用いるが、豚肉や鶏肉、鴨肉、七面鳥の肉を材料に用いたものもパストラミと呼ぶことがあり、そのため牛肉を材料としたものをパストラミビーフ、ビーフパストラミと称する場合がある
北アメリカではパストラミサンドウィッチにライブレッドを使うことが多く、シンプルにパストラミをはさんだパストラミ・オン・ライと呼ばれるサンドウィッチや、ザワークラウトなどを加えてトーストしたルーベンサンドイッチがよく知られている/イスラエルでは七面鳥や鶏の胸肉のパストラミの人気が高く、フランスパンやピタ、フォカッチャ、クロワッサンにはさむこともある
コンフィ=各種の食材を風味をよくし、なおかつ保存性を上げることのできる物質に浸して調理した食品の総称で、主に南西フランスで用いられる/コンフィにする食材は肉と果物であることが多く、肉の場合は油脂を、果物の場合は砂糖を用いて調理するのが通例である/食肉をコンフィに加工する場合、油脂に素材を浸し、揚げ物にするよりも低い温度でゆっくりと加熱して調理する
鵞鳥のコンフィおよび家鴨のコンフィは、通常これらの鳥の脚で作るが、肉に塩とハーブをまぶして油脂の中で低温で加熱した後、そのまま冷やして凝固した油脂の中で保存する/七面鳥や豚肉でも同様で、肉のコンフィは南西フランスの料理で、カスレなどと共に供される
ラタトゥイユ=玉葱、茄子、ピーマン、ズッキーニといった夏野菜を大蒜とオリーブ油で炒め、トマトを加えて、ローリエ、オレガノ、バジル、タイムなどの香草とワインで煮て作る/旨味を出すためにセロリ、唐辛子を用いる工夫もあり、そのまま食べるか、パンと共に食べる
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私、漢字が苦手なもので誤字脱字報告もありましたらお願いします
別口でエッセイも載せましたので、ご興味のある方は一度ひやかしてみてください
短めですのでスマホで読むには最適かと……是非、通勤・通学のお供にどうぞ、一応R15です
https://book1.adouzi.eu.org/n9580he/





