28.白猪竜(バイズーロン)と黑猪竜(ヘイズーロン):中編
羌大公が千載にひとりの英傑であると見抜いたのは蘇氏が最初であったが、渭水の南岸にある磻渓で釣りをしていた彼の者を田車に乗せて連れ帰り、師と仰いだのはシュウ王であった。
シュウ王は羌大公を尊崇し、“これを師とし、これをたっとび、これを父とす”として、“師尚父”の尊称を贈った。
「クシュンッ」、「うっ!」
どうも子供を産んでから尿道の締まりが緩い。
苦沙味ひとつで衵服の肌着襦袢を濡らしてしまう。
「こうも粗相するなんて、きっと望を手酷く足蹴にしたバチが当たったんだね」
誰も見ていないのを確認して、襖裙の裾を捲ると最後に一人だけ付き従った衣装付きの侍女にチビッたオシッコを拭いて貰う。
顔も会わせずに置き去りにした呂望が賈販の振りをして宮中に忍んで来たときも、白を使って、けんもほろろに追い返した。
宮中は難を逃れようと離散する人々でごった返していたが、奥宮は閑散としたものだ。妃嬪の多くは逃げ出した後だった。
奥付きの女官達にも、暇を出した。
有蘇氏は叛乱を平定され、祖国蘇邑の人質として宮中に出仕したものの、不遇の内に二、三祀の歳月が過ぎた。
だが、やがて白の策略が上手く嵌まり、後宮で一尊を賜る。
これで王婦の首座も夢ではなく、手の届く射程内の現実的なものになった。
商人の御世、商ことイン歴第三十代紂王帝辛との子をなし、側室の中では一番の寵愛を受けるまでになったが、政事を成す側近の臣下からは“傾国、傾城”と誹られ、後ろ指をさされる宮中生活だった。
だが、耐えねばならない。白の言う大望のために、私は何としても、正夫人になる。そう、意を決していた。
正婦として娶嫁がなれば、その発言力は、亀卜や式占を初めとする豊穣を予言し、戦の戦術を決める上帝の諮問神託にも大いに関わることができる。
祭政一致なれば、今の悪法を改め、もしかしたら王朝の体制を変革することも出来るかもしれない。
雌雞が時を告げるのはおかしいとした、インの政柄が閨室に口出しされることを皮肉る時代は、私が終わらせようと思った。
女の子を産んだ後は産道の収縮がままならず、坐月子といわれる産後の肥立ちが過ぎても紂王から閨の声掛かりは無いままに、寂しい無為の一年が過ぎた。澱んだ水のように混濁した一年だった。
我が子は無事に包囲網を抜け出せたろうか?
「私は望に討たれるのかな?」
私は何を誤ったのだろう? 白の勧めるまま、互いに好き合っていた呂望を袖にし、権力の頂点たる紂王に取り入って愛妾になる。
暴君で奇矯な振る舞いの多い王だったが、これを諫めるに聴く耳持たず、有能な忠臣は皆、離れていった。面従腹背を疑われ、君主の信頼を得られず、逆に忿怒瞋恚に触れる文官、武官は堪ったものではない。この点においては蒙昧なる支配者と言わざるを得ない。
箕子は物狂いの末に奴隷に落とされ、比干は胸を切り裂かれ、心臓を抉り出されて殺された。
九侯と鄂侯に謀反の疑いがあると知り、九侯を塩辛に、鄂侯を乾肉に処する酷刑を行った。
残った怜悧な能臣は、諫議大夫の役職にある費仲という佞臣とも、奸臣とも噂のある人物だったが、私は顔を合わせたことが無い。
苛烈な君主だった。やはり、白は選択を誤った。
だが、それを受け入れたのは私の意思だ。
あのまま恋に狂ったただの小娘であり続ければ、裏切りに胸が痛いと嘆くことも無かった筈だ。
今、大邑商の首都朝歌は武王たるシュウ公太子発の軍勢に囲まれている。この混成軍団を率いているのはおそらく呂望だろう。今は軍師のお役を頂いて、羌公と呼ばれている。
出師した蘇氏の軍勢も大挙して屯集している。恭順した属国として入朝していたとは言え、蘇邑はそれなりの大邦だ。
誅殄征伐に挙兵された兵士の数は、参集した八百諸侯の中にあっても20万とも30万とも言われていた。
ことここに至っては、父の軍勢、嘗て情を通じた男、望の校勘と策略に死するも已む無し。戦国の世の習いと諦めるしかない。
主君様、紂王は私を伴って、鹿台を上へ上へと登って行く。
天に近付けば、それだけ天帝の御心に近付けると思い込んでいるかの如くだった。
紊乱の世を招き、“桀紂は長巨姣美にして、天下の傑なり”と謳われた美丈夫も、頽堕委靡に見る影も無い。
女ばかりの宮室は退屈なばかりか、針の筵のような生活だった。
主上様の観心を買うために女達の醜い争いがある。権謀術数渦巻く女の園で曲がりなりにも上手く遣ってこれたのは、一重に白の暗躍があったからだ。
白に教わった房中術は、男女が肉体的に交接することで気を循環させる体交法の会得が前提になっている。これには秋波の発散と遠当てが含まれていて、紂王の好き心に訴え掛けるのに充分役立った。
だが、噂には聞いていたが頭の回転が早い分、独り善がりで他を見下す残虐な王だった。
これでは白の目論見だったインの建て直しなど、およそ夢のまた夢であろう。
九尾の狐が何処からともなく現れて私の眷属になったのは、蘇氏がまだ商王朝に負ける前だった。人の世は戦と戦の狭間だけが、僅かに笑って暮らせる仮初の平和を享受できる浮き草のように、果敢無いものだった。
遠く滅んだ古代ヒュペリオン大聖国の指導的立場にあった一族、ニンリルの血統が、どうも私に色濃く引き継がれているらしい。母方の血筋だという。
兎にも角にも、九尾の狐の験力、神通力は蘇氏勢力の拡大と善政施行に大いに貢献した。邑内の魔物は一掃した。
見捨ててきた呂望の男らしい笑顔が、頭の片隅に浮かんで消えた。
賈人として、父蘇護の元に出入りしていたのも偵人としての活動の一環だったのだろうが、当時すでに沈着剛毅な風格を漂わせていた。
外連味の無い気魄が好ましかった。
私から見初めて関係を持ったが、絶対に余人には知られてはいけない関係だった。人型に化身した白は、一目でその正体を見破った呂望を最初から警戒していた。
望の出自、羌族は騎馬民族という。インに一族を蹂躙され、からくも生き残った望は打倒商人の時世を、終生悲願に掲げている。
インの勢力の中に在りながら、反政府活動家を纏め上げて国家転覆を狙い虎視眈々、ついには西伯武王姫発の軍略元帥第一席の位階に登り詰めた。
シュウが血塗られた侵略に手を染めるなら、我が邑商は人肉を喰らう鬼畜の邦だ。選んだ私は共に滅びなけらばならない。
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「“クミホの北壁”とやらは、どうやら巨大な殺生石の一枚岩で出来ています、ここに白い猪竜、所謂一級討伐対象、害獣“九尾の狐”を閉じ込めたのは、残された史実を辿るとどうも太公望呂尚だったのではないか、という推論に行き着きます」
「唯一持ち帰られた並行世界のデータから組み上げた“山海経”“封神演義”は欠落を埋められず、完全ではありませんが、こちらの世界にはこれらの書物は伝えられておりません」
「この世界にも残されていた“史記”や“竹書紀年”と比較すると、どうも異世界の方で周の武王が殷を討った事情と、この世界でのシュウがインを包囲した“牧野の戦い”とでは内容が異なっているようです」
高層タワーの一画、眼下に要塞都市を睥睨する展望窓とは別に、その上下に並ぶものや羅針盤のように台座付きの魔鏡、あるいは海図台のようなチャートテーブル状になったものなどに、様々なものが映し出されては消えた。
説明コメント付きなのでそれと分かるが、木簡や竹簡だったり、亀甲獣骨文字、甲骨文だったり、その翻訳だったりするのだが、私達4人には馬耳東風で半分以上付いて行けない。
「“六韜三略”は兵法の原点として、私達も飽きるほど暗記させられたものだが、……確か“封神演義”に依れば、太公望は崑崙の道士ということになっていた筈だな?」
「コマンド・オフィサーのおっしゃる通りです、異世界では荒唐無稽な英雄譚でしたが、仙道を極めた達人という点においては、こちらの世界ではストレートに史実になっているようです」
初めて聞くような話ばかりだったが、声だけの報告者が、“九尾の狐”の過去について詳しく語るのを聴いていた。
「ところで“山海経”“封神演義”なら、あたしは記憶魔術で、間違い無く一字一句暗記しているぞ」
「失伝してる原本、“山海図経”の図版を描き出せる」
「………なんでそれを先に言ってくれないんですか? 無駄にデータ解析の手間を費やしてしまったじゃないですか」
ドロシー様の申告に、声だけの相手には、おそらくだが溜息のような気配があった。
「そうか! 師匠の魔宮図書館で仕入れた知識は、結構膨大なものがある、そのほとんどは様々な異世界の物だ、一度全部吐き出しておこう、喜べナンシー、解析材料が増えるぞ」
特殊クエストの敵対標的、“九尾の狐”の事前調査報告を聴くために連れて来られた第8簡易情報ブリーフィング・ルームは、42番艦橋というところの37フロアにあった。
さしたる理由があるわけではないが、敢えて言うならそこが御使い様方のお宅から一番近いということらしい。
案内されるまま、昇降装置や幾つかの移動の乗り物を乗り継いだが何もかもがピカピカに磨き抜かれたような質感で、緊張するほど清潔だった。
艦内の様子は複雑な構造が無機質な臓器というか、何か巨大な臓腑のように私達の目には映っていた。
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夜明け前に叩き起こされた私達は、寝ぼけ眼を擦りながら朝の祈祷に付き合わされた。
中庭に礼拝堂があり、手前には睡蓮の隙間に錦鯉が垣間見えるパティオ風の四角い泉水があった。四方からライトアップされたカスケードが優しげな水音と共に注いでいる。
ごく小振りながら幾段かの人工的に作られたこの滝で手を清め、髪を濡らす略式の斎戒沐浴を御使い様達に倣って真似すると、タオルが渡された。
気がつくと、タオルを渡してくれた銀の髪をモブキャップに包んだ銀色の瞳のシルキーが、優しげに微笑んでいた。神秘的なまでに優しい表情だった。
女の私でも惚れてしまいそうな、幻想的な慈愛に満ち溢れていた。
私達はタオルの礼を言うのも忘れて、ただ見惚れていた。
御使い様達がささやかなと仰った祈祷所は、オールドフィールド公国正教風な四方に薔薇窓のある本格的な造りだった。
昇る朝日の光がどの季節でも変わらず差し込む聖堂は、こじんまりとしているが総本山の本殿に勝るとも劣らない、見事な神殿様式の本祭壇を設えていた。
敬虔な祈りだった。
私達は、こんなにも真摯な祈りを今迄に見たことが無いかもしれない……そう思わせるだけの衝撃が、感動が、目に焼き付いた。
美し気なシルキー達に差し出されたゲスト用のチュールとロザリオを貰い受け、私達も倣って陽の光に向かって祈りを捧げるが、聖句の呟きは覚束無かった。
バハ(確かに)・スウィーン(仰られる通りです)、の意味を良く噛み締めなけらばならない……故郷の安息日礼拝のときに、司祭様がいつか説法されていたことを思い出す。
その後、朝ご飯が先だな、とおっしゃるドロシー様がまたもや用意して下さった朝餉を頂戴したが、滋養溢れるミネストローネの味を私達は生涯忘れないと思う。
「何故、これ程までに歓待して下さるのですか?」
「んーっ、別に大した持て成しをしているつもりは無いのだが、他者に優しくするのは、醜態を晒した恥多き過去を償うため……という気持ちは多少なりともあるな」
ざっくり割ってトーストしたライ麦のイングリッシュマフィンと言われるものを配られた後、発酵バターや花梨の自家製マーマレードを勧められる。
「昨晩も言った通り、5年という月日を肉欲ハーレムで過ごした、有力な後援者を増やすために貢ぎ物として差し出される機会も毎度のことだった」
「……幼馴染との身体の触れ合いというか、そう言ったことは口づけしか思い出が無くてな」
「きれいな思い出として、唇の感触を思い出してみるのだが、5年の月日は思った以上に長かったようだ、身体中のありとあらゆるところが幾十幾百の男達、あるいは女達に汚されていて、滑ったような悍ましい感触で上書きされていた……上手く思い出せないんだ」
アルスター・フライ風だというベーコン、ソーセージ、目玉焼き、ベイクド・トマトなどのプレートと、アイリッシュ・シチューという煮込み料理のココットを銘々に配られながら、ドロシー様はそう告白されるのだった。
「身体を重ねた全ての男達と女達を皆殺しにしてしまおうと、思い詰めたことも一度や二度ではない」
「だがな、クズな連中かもしれぬが、抱いてくれと、凌辱してくれと請い願ったのはこちらの方だ、奴等は据膳に飛びついたに過ぎぬ」
「……あぁ、悪い、朝飯が不味くなるな、兎に角、袖振り合うも多生の縁、至らぬ我が身を恥じれば、自然と君達にも親切にしたくなるということだ」
それきりドロシー様はこの話題に蓋をされ、言及することはなかったが、アイリッシュ・ウイスキーという酒を垂らしたエスプレッソがデミタスカップで供される段になって一言漏らされた。
「師匠に解呪して貰ったピアスや入墨だけではなく、幾度かこの肉体が再生されているのは自覚しているが、それと消せない記憶とはまた別物なんだ……幾ら刃金の心を持てたとしても、事実はそのものは無くならない」
淡々と語られるドロシー様の口振りに、逆に悲しみの深さが伺えるような気がした。
こんなにも見目麗しく、凛々しく、近寄り難くも神々しく、奇跡のような容貌と女神の如き輝きを持った御三方は、何処か静謐なる聖廟にも似た犯さざる不可侵領域とも思えるのに、生々しくも悲しい過去を持たれている。
それが、切なかった。
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「では、巨大な殺生石の岩塊、“クミホの北壁”に封じられているのは妲己、その人だと?」
「いえ、それは違います、妲己の傍仕えに蘇邑の頃から寄り添い付き従う“白”という名の侍女頭が居りましたが、おそらくこの者が九尾の狐の正体かと推察されます、妲己は言い伝えのように妖物に憑依されていたのではなく、九尾の狐は眷属として、ある種下僕のように仕えていたのではないかと思われる節があるのです」
「どうも、調べれば調べるほど、師尚父、つまり太公望呂尚と恋仲だった蘇侯の娘、妲己を別れさせたのが、この白では無かったかと思われるのです」
折角ナンシーに来ているのだから、直々に調査報告を訊いておこうということになって、要塞戦艦の体内にいざなわれ、ナンシーという声だけの存在に、冒険者ギルド西ゴート中央協会でさえも知り得ぬ調査事実を突き付けられていた。
「妲己は、太公望を裏切り袖にして、時の権力者たる商王に嫁いだというのか?」
「正確には後宮の妾姫として身を差し出したということですね」
「もっと悪いじゃないか、それを九尾の女狐が……雌で良いんだよな? 侍女に化けてたんだし、それが唆したと?」
「そうなりますね、報われぬ愛も戦国の世では瑣末事でした」
「知ったふうなことを……分からぬ、余りにも時勢を読み解くのに疎かったのか、それほどシュウとインの実力は拮抗していたのか」
「そもそも目的は何だ? 妲己を操り、商王帝辛を誑かし、歴史に残る程の度を越した享楽や、政務を顧みず、色に溺れ、悪政を布いた暴君としての悪名を残すことか? 重税や徴兵に喘ぐ良民は堪ったものではない」
「確かに紂王は暴君でしたが、愚昧な為政者ではありませんでした、シュウ公武王の功績を正当化する意図で暗愚の王として伝えたとも考えられており、寧ろ信憑性が薄い伝承も多いと言うのが現在の歴史学者の大方です」
「“酒池肉林”の元になった逸話も、事実は神を降ろすための儀式であったのを拡大解釈した、とする説が有力です」
「木造高層建築の奇跡とも思える“鹿台”が燃え墜ち、紂王は自害、捕らえられた妲己は、太公望の手で斬首になりました」
「九尾の狐の手により妲己の実子、女の子だったようですが、禄母という名の乳飲み子を朝歌から逃がしたようです」
「その後、この侍女は妲己と紂王との子を守り、各地を転々としますが、禄母の子が成人する頃は、アルメリア大陸の北方地域、インターザクセン区に部落を構えていたようです」
「普通より長生きな仙道を極めた者として、齢100歳の太公望が彼の地を訪れたのは、どうやら最初から九尾の狐の封印が目的だったようです」
「今でも巨大な殺生石、“クミホの北壁”は遥か上空まで瘴気を吹き上げているようですが、コマンド・オフィサー方であれば生身でも難無く接敵できるでしょう、何ならホバリング機能付き完全シールドの特攻多脚モービルも出撃待機中です」
「問題は正面からアクセスする場合で、太公望が設置したとおぼしき洞窟型ダンジョンを攻略しなければなりません」
「湧いてるのは何が居る……こちらが正攻法で相手をして、何かメリットあるのか?」
「足が1本で猪の尾を持つ跂踵、黒い麒麟の角端、あるいは人面馬脚の窫窳、竜神夔龍、竜生九子の狴犴、贔屓、狻猊、睚眦、人面鳥身竦斯、地獄の神獣大千頭蛇妁、その他諸々ですが……」
「これ等の生態データは極めて少なく、入手可能であれば有機体兵器の開発研究に大きく貢献するでしょう」
「却下だ、どうせ探索ついでに解析データを抜け目無く入手したに決まっている」
遥か上空を飛ぶ毒竜さえ、墜とすという“クミホの瘴気”に御使い様方は耐えられるのだろうか?
臨時の冒険者ギルド大陸連合で大規模クランを編成し、難攻不落と言われた洞窟アタックに挑戦するも全滅の憂き目にあった“クミホのダンジョン”、十数年前の悲劇の伝承は、今も多く語り継がれてはいるが、まさか人の手になるものだったとは……初めて聞く事実に、少なからず衝撃を受けていた。
それにしても、さっきから話に出ている太公望とかいう人物は何者なのだろう?
「ああっ、もう面倒臭いな……クエスト受諾の内容は、封ずるか、滅するか、だったな? いっそ、一発で仕留めるか?」
「……一度、コマンド・オフィサーには素粒子分解次元吸引砲の威力を見聞して貰わなければと思っていたのです、是非、排他的星団文明圏をただの一射で消滅させた威力をご覧になって……」
「あっ、やっぱ無しで!」
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キキちゃんの能力開発を兼ねた実戦訓練日だと言うので、いつも使っていると言う仮想フィールドの特設ユニットというところに、移動してきた。
広大な耐衝撃構造の戦闘フィールドは、見下ろすような位置に拵えられている視認観察用のオペレーター・コンソールという場所で見守ることになった。
明かりを抑えた複雑な何かに囲まれた部屋は、昨夜夜更かししてしまった元凶、テレビという四角い魔境に似たものが大きなガラス窓の上下に幾十も所狭しと並んでいて、ひっきりなしに何か複雑な数字の羅列や波形、図形のようなものを目まぐるしく映し出していたが、それはキキちゃんのバイタルデータやフィールド環境のモニタリングだということだった。
今のキキちゃんは、アーマード・スーツとかいう身体にぴったりフィットする衣装に覆われている。あんなに薄い布みたいので大丈夫なのだろうか?
「本日は高速戦闘のシュミレーションになります、ESP無効化シールドに被覆された完全自立型甲殻攻撃端末、ビット1からビット7まで様々な形態のアームド・モジュールが10機ずつ、ランダムに連携アタックを仕掛けます、従って物理攻撃でこれ等を制圧しなければなりません」
変わらず姿は見えないが、ナンシーという人の説明を聴いていた。
「仮想環境はヴァーチャル8と12に設定されます」
「真空空間と無重力状態が作り出される」
ドロシー様が補足してくださったが、よく分からなかった。
「えっ、えっ、えっ?」、「うぉおおっ!」、「……!」、「みっ、見えん!」
カウント・シグナルが最後の点灯をしたと同時に、キキちゃんも攻撃モジュールとやらも蜃気楼のように揺らぎ、目で追えなくなっていった。霞む動きは、その影さえも捉えられない。
視認できないだけで、確かに戦闘が行われている証左に光線や銃撃のような残像が弛まず降り注いでるのと、時折爆散したり、残骸を晒すモジュール?、とかでそれと分かる。
「やっぱりダメか? ナンシー、低速再生モニター」
ナンシーという人が復唱すると、コンソールポッドの上から幾面もの魔導鏡が降りてきた。
「普段は使わないんだが、スロー再生30面モニターだ、左から順番に再生ポイントをずらしてある」
初めて何をしてるのか真面に見ることができた。
キキという女の子は、その小さく幼げで非力にさえ見える体躯にもかかわらず、モジュールの攻撃を回避するため非常にトリッキーでアクロバティックな動きをしていた。
宙空で身体を複雑に捻りながら、大きくバック転宙返りをしたかと思うと、下から回り込んで錐揉みしながら、高速飛空の軌道を自在に変えている。
かと思うと床面すれすれにジグザグ飛行で、モジュール方の攻撃を翻弄した。
追いきれなくて、たまに画面から見切れる。
「今のキキは時間流を操作してるんじゃない、動体視力を含む全ての感覚や、自分の身体の新陳代謝、筋肉反応速度、神経系の伝達、体細胞の増殖、血流の流れと酸素飽和状態のコントロール……酸素の補給が無いので、あらかじめ圧縮して体内に取り込んでいる、また防護スーツの外骨格機能をオフにしているので自前の体内骨格をアダマンタイト化している、そうやってこれらの加速ブーストを、一切合切シンクロさせて常態加速を作り出しているんだ」
「同期が取れずにどれかひとつ遅れても、肉体は弾け飛んでしまうの、ごく自然に見えるかもしれないけどとても高度な技術なのよ、無呼吸なのに息切れもしていないでしょ」
ステラ様も、我がことのように誇らしげに解説された。
「難しいのは攻撃方法なんだ、キキは素粒子レベルで物質を改変できるが周囲が真空では素体が無い、サイコキネシスの打撃や圧延ではESPシールドに阻まれてしまう、運動エネルギーも含め攻撃手段の素体もアポーツで補給している、引き寄せた空気や水、何でもいい、電子を加工した電撃や加熱した高周波ビーム、充分破壊的なまでに高めた超振動など千変万化に手を加え、品を変え、物理攻撃手段として駆使している、つまりエネルギーは無尽蔵、気力と思念の続く限り際限無く戦い続けられる」
付け加えるように引き取ったエリス様は、コンソール・ルームの展望窓からジッと食い入るように下方の訓練用擬似戦闘フィールドを見守っていた。
どうやら御三方は、肉眼でこの驚異的な動きを捕らえていらっしゃるらしかった。
「……レベル07ステージを09分26秒でただいまクリア、総合評価89.5、自己ベストです」
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評価ルームとやらで、女の子の模擬戦闘について検証ミーティングに参加していたが、はっきり言って俺達如き並みの冒険者じゃ、何を言っても蚊帳の外と思われた。
上がってきたキキ、いや実力を知った後ではもう呼び捨てはできないのでキキ殿と呼ばせて貰おう。
汗など一滴も認められなかったが、エア・シャワーとかいう特殊な洗浄ポッド・シリンダーを使ってから、反省会のテーブルに着いた。
ホット用キャンティーンとかいうボトルが配られた。温かい紅茶のようだ。
「ここのところの成長は目覚ましいな、将来が楽しみだよ!」
迎えたエリス様が、先に座られたキキ殿の頭をクシャクシャと乱暴に撫ぜられた。
「改めて問おう、何ゆえ強くなりたい? おのが武力を誇示するためか? それとも……」
ドロシー様が問われた。真っ直ぐに睨み付けるかと見紛う真剣な視線が、キキ殿を射貫くかと思われた。
「孤児だった自分を世の中に認めさせたい、正しいのはあたしの方なんだって、世の中を見返したい……でも、本当に強くなれたなら、孤児の居ない世の中を創りたい」
出来る出来ないは、この場合二の次だ。なんて尊い志しなんだと厭きれもし、心から眩しく思った。俺の小さい頃なんざ、ただ棒振り遊びがしたいだけだった。
「血塗られた道程だ……辿り着けないかもしれないし、辿り着いても虚しいだけかもしれない」
「覚悟の上です!」
「過ぎたる渇望は、無垢なお前の心を青白い炎で灼き尽くしてしまうかもしれない、それでも構わない覚悟があるか?」
「無論です、絶対に退きません」
「このあたしですら、大切な誰かを守れり切れると言うほど増長していない、それでもか……」
「もう決めています、何度繰り返しても変わりません」
暫く沈思黙考されたドロシー様が再び口を開かれたときには、一段と眼の光が強くなっていた。
「いいだろう……この一件が終わったら、カーテシィの試験をしてあげる」
「見事パス出来たら、手合わせも指導も思いのままで構わない」
「やっ、やったあああっ……有難う、ありがとう、お母さん!」
「でも大陸汎用典礼は引き続き、やるんだよ」
「えっえぇえっ、あの何巻もある分厚い本、いつまでたっても終わんないよおぉっ!」
「修行が一生なら、礼節を学ぶのも一生だ」
良く分からないが、娘を直弟子にするのに諸条件があったらしいのだが、スタート地点に立つだけで最早俺達の剣と魔法に依る武勇の常識とは埒外だった。
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「それで最大掘削速度はどの位まで出せる?」
ダンジョン攻略の奇策に、土木建築の機材を使うというので専用機材の工廠に降りてきた。目の前の巨大な円筒状の構造物はトンネル掘削のシールド工法用ボーリング・マシーンだという。
「岩盤強度に因りますが、おおよそ1秒に5、6キロといったところでしょうか、ですが架装した後部ブースターで7、8キロまでは加速できます」
「切羽のカッター・ブレード自体はありふれたタングステンカーバイドを更に圧縮して超硬合金化したものに過ぎませんが、真のビットは刃先に発生する微細な異次元空間、これが障害物を破砕し、切り屑を一瞬にして吸塵します」
説明を聴いても半分も理解できなかったが、巨大なカッターヘッドと呼ばれる切断ホイール部、直径30メーターもあるだろうか、推進シリンダーの先端たる掘削部に、ローラービットという複雑な形状のブレードが何種類かに渡り、何百となく放射状に埋め込まれていた。
側面にも独立回転するベアリングパーツという構造が何重かに巻かれており、それぞれが逆回転に岩肌を削り、推進と摩擦軽減を補助する仕組みらしい。
ここにも歯車型などの形状の違うビットが取り付けられている。
「超電磁センターシャフトが毎分30000回転のフラット面板駆動を可能にします、運転席は一人乗りなので後部オプションに皆さんが搭乗できるオペレーション・コンソールを増設中です」
構内は完全自動化され、ハンドリングロボットやホイストとか言うものが縦横無尽に動き、見ている間にも次々と無人オートメーションで作業が進んでいった。
我等の知っている蒸気機関で動く工場とは全く違っている。
「遠隔視力で除いた限り、太公望が造ったダンジョン結界の術式はそれなりに複雑だったが、攻略できない程ではなかった」
「今開発中のペグシリーズ第三弾、“解呪のペグ”の呪言を使う、破魔と退魔、結界破壊の多層構造刻印を全ての刃に刻む、手分けして今から1時間以内だ」
「ナンシー、このボーリング・シリンダーを射出カタパルトで打ち出すと同時にダンジョンに転送する、設備を用意できるか? 同じく1時間以内だ」
「問題ありません、コマンド・オフィサー、全ての準備を整えるのは、45分頂ければ可能です」
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「蘇姫の首を落とした時のこと、今もまざまざと思い出すわい」
朝歌が蹂躙された日から65年の歳月が過ぎて行った。
巫祝を司どる村の神和ぎとして山麓に薬草を摘みに来た朝、遂に私は私の罪に追い付かれた。
私はこの男の恨みを買っている。
姜太公は、老いぼれて白髯を蓄え、頭はすっかり禿げ上がってしまったが、仙術士としての内功は老練なものが見て取れた。大公殿は墨麒麟に乗ってやって来た。
崑崙十二仙の力、いまだ衰えずと思われる。
「落とし易いようにと自ら髪を掻き上げた彼女のうなじは……白くて、細かった」
「……息災そうで何よりです、商の後宮で蘇姫様が安座なされた頃に賈人に身を俏して玉石錦繍を献上しに来たことがありましたが、あれ以来ですね」
亜大陸のプリッツヴァルト三山と言う山陵の麓に、落人の部落を築いて5年になる。
冬季は少しばかり、人が生きていくためには厳しい地方だったが、隠れ里としては絶好だ。
「仕えるべき主人を誤りました、身共の役目は主人の命に従うことで、主人を教導することではなかった……子、孫と仕えてきたが、どうも違ったようです」
「妲己様を焚き付けて商王に取り入らせ、召、シュウと天下を三分する妙策にて群雄割拠するこの時代が再び戦乱の世に突き進まぬよう按配する心算でしたが、今思えばとんだ下策、道化でありました」
「だからこの身を遠ざけたと?」
「許されることではないと承知しております、大公殿、貴君に対してはきちんと謝罪する必要があります、二人の仲を引き裂いてしまった仕打ちは、誠に申し訳なかった」
「結局、身共が仕えるべきニンリルの尊き血筋は、今の御世には顕現していないと分かりました、ことを急いて待つのに飽いた手前が短慮でありました」
「星霜を重ねれば過ぎ行く刻の川に、俗塵の怨讐も流れていくものと思っていたが、どうもいかぬ」
「我が師、元始天尊既になく、三百六十五の神も封じた後だ、この世の未練も少なくなる歳かと思ったが……白、いや九尾よ、お前だけは許しておけぬ」
「復讐を遂げに来た」
「……にしても、妖物は見た目が変わらんのお、初めて会ったときと寸分違わず美しいわい、歳を取らぬは自然の理から外れておるのではないか?」
「傭兵団の頃からの知己、南宮括、散宜生も最早ヨボヨボ爺いと言うによ」
旧交を温めるような語らいとは別に、崑崙神仙術の奥義だろう結界陣が紡ぎ出される。流石は奥義、守護神媽祖の霊などが風を纏って集まってくる。
「村落から民が出ぬよう告げよ! 主の身柄をこれより封印する、完全降魔調伏をせぬはせめてもの情けとしれ」
どうも村落に落ち着いてから、人型でいたせいか歳とった分の擬態を忘れていたようだ。
どうでもよかった。地母神女媧様の命を果たせず、いけ好かない伴侶と袂を分かって、仕えるべき主人様には未だ出逢ってもいない。
展開される法術陣は大きく強力なもので、さすがに当代一の仙術導師の実力は斯くの如しと言う訳か……これなら、抵抗せずに長き眠りに着けるかもしれない。
我れの浅慮で人生を狂わせた妲己様とその子孫に対して、責任を果たさなければならないと思ってはいたが、おそらくもうそれも叶わなくなるな。
受王の血を引く者を崑崙の術師が見逃す筈もない。
「仁従の者達の命はどうか……」
「分かっておるわい……、のお、この歳になって思うんじゃが、己れの大義に生きて、その他を全て捨て去った暮らしに果たして意味はあったと思うか?」
「あの時、大勢に逆らっても妲己を生かす道を模索しておれば儂の人生は違っておったろうなぁ」
「されど群黎百姓が商人憎しの趨勢の中、実の父たる蘇候がお見捨てになったのをシュウ軍参謀元帥の座にあった儂が未練を見せるなどあってはならぬ……出来ぬことよ」
「取り返しのつかない来し方だから、後悔と言うのでしょう……」
「ふっ、知ったふうなことを……」
封印が完結する。
隠れ里には念話で触れたが、皆無事だろうか?
妲己様の娘、禄母様は2年前に身罷られた。その子供達には最後までお守り出来なくて済まなかったと伝えた。
長年の逃げ隠れする生活で妲己様のような覇気は見られなくなっていた。悪く言えば劣弱だ。だが、隠れ里の中にあっては平穏な親子だった。
薄れる意識の中で、大公殿の呟きが聞き取れた。
「……そもさん、ニンリルの血筋とは何のことだ?」
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「起動サイクロン・スターター、チャージ95パーセントよし、冷却クーラント温度正常よし、次元空間固定揺らぎ無しよし、超電磁チャンバー可動オールグリーンよっし、オペレーション・ルーム気圧、気温……」
エリス様が計器類のチェックをしてらっしゃる。
「あのぉ、それって何ですか?」
「えっ、 知らないの? ああ、そうだね……これはね、指差し呼称ってやつだよ」
ニンマリ笑われるエリス様の絶世の美女振りは、普通のヒト種には破格で、眩し過ぎる。
他のお二方もそうだが、見つめ過ぎるとおかしくなってしまうので気を付けねばならない。
ドロシー様が私達も含めてコンソール・ルームの座席位置を指示されていたので、一同着座してみる。
「ナンシー、ダンジョンの3Dモデル展開をお願い」
ドロシー様の依頼に応えて空中に映し出された立体映像とやらは、これから攻略する、いや、特攻を掛ける洞窟の透過構造の縮小図ということだった。
「着弾突入ポイントはここ、射入角度はこう、直進でのダンジョンのダメージが一番大きい進行経路はこうだ」
ドロシー様が指を動かすのに連動して、投影された立体映像が回転し、予想進入路が示されたのが私達にも理解できた。
「封印されている九尾の狐はこの辺りだ、手前にダンジョン・コアに似たものがある、どうも竜核と言うものを代わりに使っているようだ、ボーリング・シリンダーでこれを破壊する……ターゲットを再封印するための“封印のペグ”は我が手にある」
作戦の概要自体は複雑なものではなかった。
ところでと切り出されたドロシー様の話は、意外や意外、戦陣訓のようなものだったが、曰くお師匠様の教えによれば“常在戦場”、つまり戦いに及ぶ者の覚悟として、いつ如何なる時に死んでもいいように準備をしておけと言う内容だった。
「無論、死ぬる心算はこれっぱかりも無い、死ねない訳も幾つかある、仲間、愛娘を守るためこの身体は不死人になった」
足掻き切って生き残ることが第一だが、戦場では何が起こっても不思議ではない……というのが、闘いの中に生きる御使い様方の共通認識のようであった。
「コナン殿とリンティアさんは、駆け出しの頃に自分の幼馴染みを手に掛けたんだったな……どんな気持ちだった?」
「復讐に狂って、取り返しのつかないボーダーラインを超えたような気はしたか? 今迄の価値観が反転して、そのまま地獄へと堕ちて行くような感覚に気分が悪くなったりはしなかったか?」
「悲願を果たして満足はしたのか、空っぽになったようで、これから先は生きていても仕方ないと思ったりしなかったか?」
突入作戦最終調整の設備点検を始めながら、ドロシー様は意外なことを問われた。
「何故、そのようなことをお訊きになるのです?」
「あたし達の幼馴染み、ソランが……、もしソランが復讐に身を焦がし、鬼と化しても希望と魂を取り戻すため、諸悪の根源たるあたし達を滅ぼそうとするなら、討たれてやるかもしれない、いや、きっと討たれるだろう」
「だが、あたし達を討った後にソランがどうなってしまうのか、それが気掛かりなんだ」
「昨夜のコナン殿の問い……」
「最後の答えだ、貴殿等の婚姻関係を否定する気も無いし、世の中の様々な性愛のあり方も理解しているつもりだ、だがあたし達3人の額にある眉間緋毫は戒めの聖なる誓約、あたし達が道を踏み外さないよう師匠が縛った、あたし達は未来永劫に渡り、清く、正しく、美しく生きることを運命付けられている」
「淫らな交わりをしようと思っても、この額の緋毫がそれを許さない、だがそれは同時に我等の心の平安を保ってもいる」
「もう二度と、二度とあのような倒錯の煉獄に惨めに堕ちたくはないんだ……堕ちたくは、ないんだ」
「察してくれようか、あたし達の味わった肉欲地獄はそれ程のものだ、人には言えない、口にしたくない変態的な行為を繰り返した日々には、メンタル鉄鋼の如き今もちょっとした心の隙間に苛まれる」
ああ、そうなのか、額の紅い御印にはそんな意味があるのか……
「何より、ソランと育むべきだった大切な5年を、ずっと陵辱肉便器として過ごしたと、純潔などとは程遠い頭のおかしなクソ売女だったと……ソランに告白しに行くのが怖い」
ドロシー様は、僅かに眉をひそめられるだけだったが、その鉄壁の心の内を垣間見た思いだった。わざと自分を貶めるような発言が心に残った。
「前を向いて生きると決めた、例え道半ばで斃れることがあろうとも、目指す約束の地カナンがあるとするならば、この額の刻印は戒めではなく、約束の地に導いてくれる祝福、道を照らすもの……道しるべなんだ」
「……あの、すいません……思いあがっていました、一端に不幸を背負い込んだ気になって、不幸の分と引き換えに強くならなくちゃって……私にも、人の役に立ちたいって気持ちはまだ在ります、精進します!」
「私も今更ですが、自分に恥じない生き方ができるよう努力しようと思います、もう亭主以外とはセックスはしません、いえ亭主ともしません!」
ピアスが何処からそういう結論に達したのか、頭の悪い極論を吐くほどテンパっていた。
「あぁ、ゴメンな、君等の貞操観念にケチをつけるようなことを言っちゃって、ただ折角知己を得た人達に、本当のあたし達を知っておいて欲しかったんだ……ただ、それだけなんだ、他意は無いし嘘偽りも無い、本当だ」
「ピアッシング君、急に聖人君子にならなくてもいいんだぜ」
「……あの日の演奏」
「あの日の演奏が、ずっと心の奥のところに響いていて、ドロシー様の深い、未曾有で満身創痍なまでに深い悲しみと覚悟が切なくて、私は自分の淫らさが堪らなく嫌いになりました」
「でも演奏が後半どんどん自由になって行って、ピアノ……でしたか、それまで腰掛けてらしたドロシー様が立ち上がって弾き続けるのに、伴奏でリズムを刻むだけだったピアノが、いきなりサ、サキソフォン? の主旋律を弾き出して、他の楽器もそれぞれ独演のパートがあって、決して叫ぶような音じゃないのに、お互いを主張し合って、悲しみに身動きできない筈なのに鳥肌が立ちました」
「あの時、私、思ったんです、望むまま誰でもが主役になって良いんだって……」
「いい加減に生きてきた半端な心構えはありません、それなりに上を目指してはいました……でも、こんなものかなって……幼馴染みを手に掛けて、故郷を捨てた自分は、何処か陽の当たらない裏街道に生きてるような気がして、こんなものかなって気持ちがきっと心の片隅にあったんだと思います!」
「私は、私の夢を、もう一度追い掛けてみようと思います」
上手く言えないけど、ドロシー様に今の私の正直な気持ちを伝えたかった。
とにかく一番TUEEE! の血沸き肉躍るハードボイルド・アクションを目指している筈なのに何故こうなっているのか分からない……次話で挽回します
創作部分を除き、主にWikipediaと宮城谷昌光先生の「太公望 下巻」を参照にしています
史実と違う……などのご意見は頂いても構いませんが、一応フィクションなので悪しからずです
どうもまたまたスピード感の無い展開になってしまいましたが、
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衵服=衵は間籠の衣の意味で間に着込める、つまり中間着である……下着の一種
襖裙=漢服の一種、「襖」というのは「ふすま」ではなく裏地のある上着を意味する、短めの上着と下に長い裙を身に付け披帛と言う肩掛けを纏ったが、一般的に漢服の着方は前襟を左側に覆う形の「右衽」であり、対して「左衽」〈前襟が右側を覆う形〉は漢族の死装束であり、蛮夷〈中国人の異民族に対しての呼称〉の様式とされている
亀卜=亀の甲羅を使う卜占の一種で亀の甲羅に熱を加えて、生じたヒビの形状を見て占う/起源は古代中国大陸で殷の時代に盛んに行われていた、占いの結果などを彫り込んだのが甲骨文字であり、漢代には衰え始め唐代になると卜官も絶えた
坐月子=中国大陸では古代からの風習として、出産した女性の健康維持のため沐浴や洗髪が禁じられ外気に体をさらさないようにしていた
箕子=中国殷王朝の政治家で文武丁の子で帝乙の弟/帝辛〈紂王〉の叔父にあたり、箕の国に封じられたので箕子と呼ばれる/名は胥余、朝鮮で箕子朝鮮を建国した
帝辛が暴君化すると比干とともに帝辛を何度も諫めるが、聞き入れられないと分かると殷の行く末を憂えるあまり発狂したため帝辛によって幽閉された
山海経=中国古代の戦国時代から秦朝・漢代〈前4世紀〜3世紀頃〉にかけて徐々に付加執筆されて成立したものと考えられており、最古の地理書とされる
古代中国人の伝説的地理認識を示すものであり、「奇書」扱いされているが、内容のほとんどは各地の動物、植物、鉱物などの産物を著し、その中には空想的なものや妖怪、神々の記述も多く含まれ古い時代の中国各地の神話が伝えられていると考えられている
竹書紀年=中国の編年体の歴史書で伝説時代から戦国時代の魏の襄王に至るまでを著述しており「史記」と共に中国古代史研究の重要資料
牧野の戦い=古代中国の紀元前11世紀に、殷の帝辛〈紂王〉と周の姫発を中心とした勢力が牧野で争った戦い/周軍が勝利し約600年続いた殷王朝は倒れ〈克殷〉、周王朝が天下を治めることになった
六韜三略=中国の代表的な兵法書で武経七書のひとつで、元々は“六韜”・“三略”と別の書であったが通常併称される、「韜」は剣や弓などを入れる袋の意味であり、一巻に「文韜」「武韜」、二巻に「龍韜」「虎韜」、三巻に「豹韜」「犬韜」の60編から成り、全編が太公望呂尚が周の文王・武王に兵学を指南する設定で構成されている、中でも「虎の巻〈虎韜〉」は、兵法の極意として慣用句にもなっている
封神演義=中国明代に成立した神怪小説で、史実の殷周易姓革命を舞台に仙人や道士、妖怪が人界と仙界を二分して大戦争を繰り広げるスケールの大きい作品である/文学作品としての評価は高くないが、中国大衆の宗教文化・民間信仰に大きな影響を与えたとされる
カスケード=連なった小さな滝、建築分野では人工的に作ったものを指す
薔薇窓=特にゴシック建築においてステンドグラスで作られた円形の窓で、一般的にマリオンとトレサリーが中央から放射状に伸びている
鹿台=司馬遷によって編纂された中国の歴史書「史記」の「殷本紀」に登場する建築物で別名南単台〈南單台〉とも呼ばれる
殷王朝31代目君主帝辛が妃である妲己の歓心をえるために建築したとされ、鹿台から周囲の国々を監視し、殷王朝の権力を誇示していたのだとされる、また鹿台の建築は帝辛の悪王ぶりを示す挿話として有名な「酒池肉林」の始まりとされ、帝辛は鹿台の建築に莫大な税金を注ぎこみ、そのために国民を重税で苦しめることになる
鹿台と楼閣群が竣工すると帝辛は臣下に命じて世界中から珍しい宝物を収集させ、鹿台の中を財で満たし、楼閣を豪奢に飾り立てて大庭園を造ったが、その美しさは「宛如海市蜃楼,恰似蓬莱仙境〈まるで蜃気楼、あたかも蓬莱の仙境のようだ〉」と詠われるほどだった
夔龍=元は殷代に信仰された神で龍神の一種であり、一本足の龍の姿で表され、その姿は鳳と共に夔鳳鏡といった銅鏡等に刻まれた/鳳が熱帯モンスーンを神格化した降雨の神であった様に、夔龍もまた降雨に関わる自然神だったと考えられている
狴犴=姿は老いた虎に似ていて威力があり訴訟を好む、故に監獄の扉や官庁の正面の広間の両側の格子窓の意匠となり監獄の異称となった
贔屓=その姿は亀に似ていて重きを負うことを好むといわれ、そのため古来石柱や石碑の土台の装飾に用いられることが多かった
狻猊=古くは「爾雅」釈獣に「狻麑」として見え、虦猫〈トラの一種〉に似て虎豹を食うとしている、郭璞の注では獅子のこととして、「穆天子伝」には「狻猊は五百里を走る」という
睚眦=山犬の首を持ち、気性が激しく荒く、争いや殺す事を好む、よって刀の環〈刀を佩びるための輪〉や剣の鯉口、武器や罪人を処刑するための鎌や矛に彫られ、三国志時代には軍旗などの図案に多く用いられた
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私、漢字が苦手なもので誤字脱字報告もありましたらお願いします





