閑話:その頃元の世界では(リゼルの家族編)
元の世界の陛下達のお話。
相変わらず読まなくても本編には支障はありません。
時間軸はちょうどこの位置らへんです。
我らの王は孤高であるが孤独ではなく、それは夜空に浮かび圧倒的な存在感を誇る月が星々を従える姿に似ている。それは太陽のようだと言われる彼の、その容姿が持つ月の色が唯一納得させた。
彼を慕う人間は多く、それゆえに彼に従う人間も多い。並び立つのではなく従うのは王としての立場がそれを許さないのではなく、ただ彼の存在が周囲に並び立つのは叶わないと刻み込む程に強大なだけだ。
王はそれを憂う事無く、むしろ彼自身の意思を持って実現させている。愉快気に笑い、獰猛に笑い、そして悠然と笑いながら自らの前に膝をつく者を受け入れるのだから生まれながらに上に立つ事が決められていたのだろう。誰かの下につく姿など欠片も想像がつかない。
誰しもがそう納得し敬愛する王が、しかし唯一隣に置くのを望んだ人物が書記官である私の直属の上司になるリゼル様だ。
「面倒だからと手柄を主張しない子だからね。だからいなくなって残された周りは、穴を埋めようにもどうしたら良いのか分からない」
「リズが表に出てくる前に戻っただけだろうが。ラク覚えて甘えてた奴らが悪ィんだよ」
「そうだね。あの子の恩恵を受けていたと、気付くのが遅い連中が多いのが親としては受け入れがたいかな」
「そりゃ同感」
そのリゼル様の御父上が今、執務室を訪れ陛下と話し合っていた。
リゼル様がいない間、代理で公爵を務めているのは今や先代である御父上だ。元々リゼル様が宰相に就いたのは数年も前だが公爵位はつい最近継いだばかりだったという事もあり、御父上はほぼ問題無く仮復帰を果たしている。
数度顔を合わせた事があるが、良く似ている親子だと思う。穏やかでマイペース、だが御父上のマイペースに関しては周囲への配慮が一切ないので其処は決定的に違うのかもしれない。
しかしいつも思っているが何故この方は王に対してタメ口なのか。臣下でありながらタメ口が許されているのを私はこの方以外に知らない。
「でも優秀な奴は気付いてんだから良いだろ。無能に価値なんざ説いても無駄だ」
「あの子もあの子でそれを楽しんでる所があるからね」
手元で書類の受け渡しをしながら交わされる会話は微妙に物騒だ。
他に誰もいなくて良かったと思いながら自分に回された分をひたすら仕分けしていく。本来ならば書記官程度である私が目を通してしまってはまずい書類もあるのだが、知らない振りをするのももはや慣れたものだ。
その時、扉の向こうからカツカツと此方に歩み寄って来る靴音が聞こえた。話し合う二人は聞こえているだろうに特に反応していない。
「失礼致します、国王陛下!」
ノックの後、警護している騎士によって開かれた扉から一人の青年が姿を現した。
見覚えのある姿に立ったまま作業をしていた手を止めて直立する。自分とは比べ物にならない家柄を持つ彼は、律儀に王の許可を得てから距離を詰めた。
その目がちらりと此方を見て、そして眉が顰められる。
「補佐でしたら私がすると以前から申しておりますのに。貴方と共にあるような人間が下位貴族などでは相応しくありません」
「良いんだよ、使えるから」
「何でしたらアイツがいない間……いえ、いたとしても私が宰相として御傍に侍ると申しておりますのに!」
「リズの為に作った役職なんだからてめぇじゃ意味無ぇだろ」
先に言った通り国王を敬愛し心酔している者も多い。彼はその筆頭で、同年代としての対抗心もあるのかいつも王の隣にいるリゼル様に事あるごとに突っかかっている。
地位はリゼル様と同様の公爵家直系、しかし爵位はまだ彼の父が持っていて継いではいない。爵位を継げば共に国の財政を一手に担う財務のトップも受け継ぐだろう、将来の国の重鎮の一人でもある。
今も既に似たような事をしているので、彼の父親もじきにその爵位を明け渡すのではないかと噂されていた。
「やぁ、私には挨拶が無いのかい」
「失礼致しました。お久しぶりです、叔父上」
そして、リゼル様の従兄弟だ。
リゼル様の御母上の兄の子なのだが顔立ちは余り似ていない。リゼル様は御父上似なので当然なのだが。
「丁度良い、叔父上の意見も聞かせて頂きたいのですが」
「うん?」
「これについて御説明頂きたいとこの度は伺わせて頂きました」
従兄弟様が手に持つ用紙を広げて見せた。
何だ仕事の話かと面倒そうにそれを覗きこんだ国王は詰まらなそうに身を起こす。
「ただの予算案じゃねぇか。何が問題あんだよ」
私も秘かに視線を向けてみれば、大体ひと月ごとに出される大まかな予算案だった。
大まかと言っても項目は細かく、先月との比較までついているのだから目の前の彼の几帳面さが窺える。何だかんだで心酔しながらも言うべきだと判断すれば言うし優秀な人物だ、でなければ国王もわざわざ相手にはしない。
「ここです、アイツの帰還手段の研究費が国費の二パーセントというのは明らかに多すぎます! 叔父上もそう思われるでしょう!」
「それであの子が帰って来るなら何も問題は無いと思うけれどね?」
尋ねる相手を確実に間違えている。
御父上はリゼル様を連れ戻す以上に優先するものは無い派だ。貴族として国に仕えるし役目を果たすのは義務だと理解していようとそれはそれ、これはこれと完全に別問題にしている。
従兄弟様は穏やかに微笑む彼から助け舟は出ないと悟ったらしい。聞かなかった事にして国王へと詰め寄っている。
「アイツの失踪は一応国家機密扱いなので広まる事は無いでしょうが、国王が国費を私事で使うには過ぎた金額だと失礼ながら申し上げたく」
「私事ねぇ」
国王は獲物をいたぶる捕食者のように目を細めながら笑った。
重厚に艶めく机へと片肘をつき、頬杖をつきながら目の前でグッと口を噤む男を見据えている。
「テメェが俺に跪いていてぇなら、テメェにとっても私事じゃねぇの」
座っている為に相手を見上げる体勢になって尚、見下ろされると相手に思わせる琥珀色の瞳は決して見た通りの淡い色では無くただただ強い。
王にとってリゼル様がいないなら国王をやっていないと常々口に出している言葉は決して冗談ではなく、それは彼がどの立場であってもやる事が変わらないという事なのだと思う。国王の立場だろうが王弟の立場だろうが好き勝手やる事に変わりはなく、そしてそれが許されるのもきっと変わりがないのだろうから。
彼はいつだって、唯一人の為に王座に座って国を治めている。
「ッ……!」
何かを言おうとした従兄弟様は、悔しげに顔を歪めながら何も言えず膝をついて了承を示した。
私的にはリゼル様がいない損失を考えるとむしろ二パーセントでは少ないのではと思うが。リゼル様の帰還研究の為に必要となる一番金がかかる魔石を国王が調達しているからまだマシだろう。
この前など某国で国民を恐怖に陥れたドラゴンの魔石を丁度良いとばかりに討伐して持って帰ってきて、某国から感謝状と膨大な謝礼が届いた。いつもならリゼル様が片手間に色々と円満に解決してくれるのに、主に外交官らを中心に大混乱したのは記憶に新しい。
「どうして、あんな奴が……ッ」
苦々しげに呟かれた言葉が、ぽつりと部屋に落ちる。
従兄弟様の床についた手に握られている予算案がぐしゃりと音を立てて握りつぶされた。普段ならば不敬だと咎められる行為も、リゼル様への批判を許さない二人も、そして苛立ちを覚える筈の私もただその光景を眺めている。それには明確な理由があった。
「この子は本当にうちのにそっくりだね」
「リズの母親な」
咎めるどころか何処か面白そうに目の前に膝をつく従兄弟様を見ながら話す理由は唯一つ。
それは、リゼル様の母親の血を色濃く継いでいるからだ。
「領地回りっつうのも面倒だけどリズんとこが最後なのは良いな」
「順調な旅路だったようですし少しくらいなら滞在が長くなっても問題ないと思います、ゆっくりしていって下さい」
まだ俺が王位を継いではいない十代後半の頃、自国の領地を大まかに見て回った事がある。
主要な都市の領主に顔見せしながら一か所につき数泊しては次へ、移動時間の長さも有り結構な長旅だった。王族としての通過儀礼か何かで転移魔術を使ってはいけないという決まりがあったらしく、リズもいないし馬車に揺られている間ひたすら暇だった覚えがある。
それも最後の都市までで、広く領地を持つ癖に王国の末端に位置するリズの領地に到着してリズに出迎えられれば退屈など感じない。
「しかしあのおっさん接待する気ねぇな」
到着して早々、勿論一番にやるべき事は領主への挨拶なのだがリズの父親は五分で済んだ。
他の領主は御機嫌伺いだの長ったらしい挨拶だの儀礼的にも色々気を回していたと言うのに「やぁ、お久しぶりです。ゆっくりして行ってね」ぐらいで後は放置だ。楽だから良いが。
「私が殿下のご案内をさせて欲しいって言っちゃった所為かもしれませんね」
「良いよ別に。今更謙られても気持ち悪ィだろ」
用意されたのは広い客室で、椅子に腰かけながら馬車内で凝りきった腕をグルリと回す。
メイドによって運ばれてくる紅茶は不思議と少しの香りも損なう事無く冷えていて、喉も渇いていたので一気に飲み干した。すぐに新しい紅茶が用意される。
リズのは普通に熱い紅茶だったから自分用にそう頼んでくれたのだろうと思うと気分が良い。
「今日はゆっくり休んで貰おうと思っていますけど、明日から何処か見たい場所はありますか?」
「あー……逆鱗都市名物の警備軍とか見てぇかも」
「名物って言うのも変ですけど」
苦笑するリズに笑いながら、小腹が空いたので机の上に置かれている三段トレーからサンドイッチを鷲掴んで食べる。
美味い。当たり前だ、好みの具しか入っていないんだから。
「あと書庫。“大図書館”とか呼ばれる書庫がどんなもんか見たい」
「良いですよ。それは今日の内に行けそうですね」
嬉しそうな顔をしているリズの屋敷には他国にも名を轟かせる程の蔵書数を誇る書庫がある。
膨大な本の海と屋敷の中に塔があるような書庫は、個人が所有する書庫じゃないと一部でやけに有名だ。此処に行けば手に入らない本はないという噂に入りたがる研究者や本マニアは多い。
そんな事を話していた時だった、ふと客室の扉がノックされた。壁際で待機していたメイドが薄らと扉を開いて向こう側に立つ人間と静かに言葉を交わしている。
「失礼致します、リゼル様」
「ん?」
用件を聞いたメイドはリズへと近付き何かを耳打ちした。
その表情が少し困ったように笑うのに思わず眉が寄る。すっと身を起こしたメイドが再び定位置へと戻って行くのを一瞬だけ追って、しかし直ぐにリズへと視線を戻した。
「リズ」
「どうやらお母様が殿下に御挨拶をと此方に出向いているようで」
促すように名前を呼ぶと、苦笑と共に告げられた言葉は意外なものだった。
リズの母親といえば何度か社交界で会った事がある。顔はきつめの美人、スタイルが滅茶苦茶良くてパートナー同伴必須の時にはリズの父親の隣で笑みを浮かべて挨拶をしていた。
公爵家出身ということもありいかにも上流階級出身の女という感じで、上手く作っている笑みだよなというのが第一印象。リズの母親と言う感じは余りしなかったのを良く覚えている。
「本来ならお父様と一緒に御挨拶の予定だったんですけど、お父様があれだけで済ませるつもりだったので無しになったんです。数日滞在するなら顔を合わせる機会もあるかもしれませんし、改めて御挨拶にと思ったんでしょう」
「ふぅん」
リズの口ぶりから、特に嫌がっている訳では無さそうだと判断して頷く。こいつが嫌がるなら幾らでも拒否するけど、そうじゃないなら困ったような顔の理由を知りたい。
まさか俺一人の時に公爵夫人が挨拶に来る訳にはいかないし、夫婦揃うには今更大袈裟すぎる。だからリズが共にいる今なのだろうと思えば納得出来た。
通すように告げると、既に此方に向かっていたのだろう。然程時間を置かずに扉は開かれた。
「お久しぶりです、殿下」
開かれた扉から現れたリズの母親は相変わらず美人だった。
艶やかに笑い、完璧な仕草でスカートを摘まみながら軽く膝を曲げて一礼。こういった仕草が整っている所は似ているかもしれない。
座ったまま軽く手を上げるとその背筋はすっと伸ばされた。スタイルの良さが際立つ。
「御挨拶が遅れて申し訳御座いません。あの人と共にお迎え出来れば良かったのですが、何分ああいった方なので」
「気にしない」
「お気遣い有難うございます」
ちらりとリズを見る。
先程まで正面に座っていたが今は俺の斜め後ろへと立っていた。浮かべられているのは常と変らない笑みで、見ている事に気付いたのか此方を見下ろして深まる微笑みは柔らかい。
それに満足げな笑みを返すと、其処でようやく母親の目がリズを向いた。そう、入室から今まで一度もその目は息子を映していなかったとその時初めて気付いた。
「相変わらず人に媚びるのが上手ね、誰に似たのかしら?」
「お母様」
冷たい声に、リズがその笑みを苦笑に変える。
俺はというと一瞬その言葉が誰に向けられたものか分からず、しかし理解すると同時にひやりと頭の中が酷く冷えた。リズが俺に向ける感情を、例え他者であっても偽物だと軽んじられるのは酷く不快だ。
「私ではないわよねぇ。似ている所なんて一つも無いのだし」
「そんな事……」
「嬉しいわよ、リゼル」
否定をしようとしたリズを遮る様に、突き放すような声が被せられた。
母親に浮かぶのはただ笑みで、作られたものでは無く本心からの笑みで、それは真っ直ぐにリズに向けられている。それは告げる言葉が真実だと何より鮮明に示していた。
「貴方のような子と血が繋がっているなんて私、元々信じたくはないもの」
「お母様、もう」
止めてくれと、耐えられないと震えるように伏せられた瞳が下からは良く見えた。
頭の中で何かが焼き切れる感覚がする。俺以外の誰が、こいつにこんな顔をさせている。
「殿下!」
直後、爆発するように高まった魔力を制御する気も無くそのまま母親の直ぐ横を薙ぎ払った。
床にひびが入り、ぶつかった壁には巨大な爪痕のような傷が刻み込まれる。しかし俺が消そうとした人間は、吹き荒れた風に髪を大きく揺らしながらも場違いな美しい姿勢で未だ其処にある。
その原因は明確で、留めるように肩に置かれた掌と珍しく声を張り上げた穏やかな声の持ち主を怒りの余り見開いた瞳のままに睨みつけた。
「……何してんだてめぇ」
「殿下、落ち着……ッ」
「何してんだっつってんだろうが!!」
肩に触れる手が離れた瞬間、此方から手を伸ばしその胸倉をつかみ上げる。床に叩きつけるようにして力のままに引き寄せると、膝を床に打ち付けて小さく声を上げていた。
促すように胸倉をつかむ手に力を入れると、その顔は逆らわずに此方を見上げる。既に痛みなど感じさせない顔をしながら、しかし手はまだ何かを訴えるように俺の膝の上へと乗せられて布地を握りしめてくる。
「俺と相対してる奴を庇う事が、どういう事か分からない筈無ぇだろ」
それはつまり俺以上に優先する者がいるという事。
どんな状況だろうと、どれだけ一瞬だろうと許される事じゃ無い。俺にとっても、それはリズにとっても。
襟元を握り込んでいた手を離すと、締まっていた気管が解放されたからかリズは深く息をしていた。その目がずっと此方を向いている事に衝動が収まって行くのを感じながら、掻き上げるように前髪をゆるく握ってやり微かに下がる顔を再び上げさせる。
「躾けられてぇか、なぁリズ?」
恐らく自分の顔は獰猛に笑っているのだろうと、気付きながらもそのまま告げる。
リズは穏やかな顔を変えず、いつものように微笑んだ。
「私はもう、これ以上ない程に貴方に躾けられてますよ」
「ハッ、良く言う」
「本当です。いつだって貴方を優先して、いつだって貴方の為に私は動いています」
知っている。知っている上で苛立ったのだから仕方が無い。
立てと口に出す代わりにその顎を押し上げてやると、リズは意図を理解しているように真っ直ぐ立ち上がった。乱れた髪を耳にかける仕草を眺め、そのまま目の前に立つ母親へと視線を向ける。
此方の反応を窺う様に少しの動揺も見せず真っ直ぐに立っていた母親は、視線が合うと相変わらず作りきった笑顔で微笑んだ。
「仲が宜しいですわね、殿下。とても羨ましいわ」
「入れてやんねぇよ、とっとと帰れ」
「拝謁出来て光栄でしたわ。良い滞在となるよう願っております」
そして一通りの非礼を詫び、母親は恭しく部屋を出て行った。
何処かが歪んだのか少し嫌な音を立てる扉が閉まりきり、今まで黙って待機していたメイドが一斉に動き出す。今まで一度たりとも恐怖も動揺も浮かべなかったメイド達は、せっせと破壊の跡を片付け始めた。壊したの俺だけど。
新しい部屋の準備やら何やら指示しているリズを呼び止め、先程同様に向かいに座らせる。素直に座ったリズは何を言われるのか分かっているのか苦笑を浮かべていた。
「母親だからって理由は許さねぇ」
「はい」
「消させねぇ理由は」
「生家がうちと同じぐらいに大きいですし……それに」
言葉を切り、リズはすっと指を一本唇へと当てながら視線を流す。
その先には先程閉じられたばかりの扉があった。一体何がと思いながらリズを見ていると、ふいに去った筈の人間の声が聞こえた気がした。
「殿下自らが直々に御手を下すような理由なんて無いんだと思うと、勿体無くて」
耳を澄ませば扉越しに此方まで音が届く。
『あぁぁぁぁあん! うちの子可愛いいぃぃぃぃ!』
全てを吐き出すような雄たけびの如き声が聞こえた。
無言でリズを見る。慈悲さえ感じる穏やかな微笑みが無言で頷き返して来た。
『私に似ないで愛想も人当たりも良い天使を褒めようと思ったのにどうしてあんな言い方しか出来ないのかしら! 本当に私に似なくて良かったと毎日神に感謝して、そのお陰であんなに……あん……っあぁぁぁぁん! 可愛い可愛い私のリゼル! 天使! あの子は私の天使! なのに……ッ』
『奥様、しっかりなさって下さい!』
『クズよ! 私はクズ! 殿下のお力で消え去れば良かったのよ! あぁでも駄目ね……殿下の御手を私如きが煩わせるなんて過ぎた事だわ。あんなにうちの子と仲良くしてくださってる素晴らしい殿下の御手を汚す訳にはいかないもの……あ、でも最後にちょっと羨ましいって言っちゃったわね。あんっ、リゼルってば聞いてたかしら恥ずかしい!』
確実に嫌味にしか聞こえなかったが、まさか此れでもかという程に本心だったとは。
作ったような笑顔もその通りだろう。あんな本心を持ちながら不本意だろうと真反対の事を口にしていれば笑顔も作らなければ出て来ない。
悶えながら愛を叫ぶ声が遠ざかって行くのをドン引きしながら最後まで耳を澄まし、聞こえなくなったのを確認してリズへと視線を戻す。もはや聞き慣れているのだろう、親に褒められた子供そのままに少し嬉しそうに笑っている。
「この年になって親に甘やかされてるのを見られると、ちょっと恥ずかしいですね」
「お前……凄ぇ母親持ってんな」
「お父様にもあぁなので、お父様から“お母様は顔を合わせてる時は嘘しか言えない病気にかかっちゃったんだよ”って幼い頃に言われてなければ嫌われてるって思いこんじゃったかもしれませんね」
つまり幼い頃からリズは目の前で嘘しか言えない母親相手に本心を探していたと言う事か。しかも扉から出た後にこっそりと正解が聞けるオマケ付き、こいつが人の感情に敏い理由が分かった気がする。
母親はリズに強く当たれば当たる程に後々開放される自虐が激しくなるらしく、リズもなるべく言わせないようにしたいが難しいようだ。紛らわしい。
椅子の背もたれに思いきり体重をかける。椅子は少しの音も立てず俺の体重を受け止めた。
「私が原因の勘違いで名家に殿下への不信感を抱かせてしまうなんて、とても耐えられません」
ふいに告げられた言葉は、先程尋ねた“理由”の解答なのだろう。
自分の母親だからという配慮はあるだろうが、自分の母親だからという理由にはなりえない。それだけ聞ければ充分だと、新しく注がれた今度は熱い紅茶を口に含む。
きっとリズは実際に俺が母親を手にかけていようと何も変わらない。揺るがない。
「あの母親が本気でお前の事を貶して傷つけんなら、俺は今度こそ殺すぞ」
「それが殿下のご意思なら」
それ程に想って貰えて嬉しいと、隠す事無く微笑むリズに唇を吊り上げた。
「あんないつだってホノホノ笑ってるような奴をどうしてそれ程までに傍に置きたがるんですか! 誰が相手でも何を言われても微笑んで流せるようなマイペースですし、いざという時には私の方が動けますし護衛にもなると申しておりますのに、アイツなんていつも座りっぱなしで周りを的確に動かして事が解決したらどれ程立派な事でも“そう”で済ませる謙虚で無感動な奴ですよ!」
私はリゼル様の御母上には会った事が無いが、どうやらこんな感じだといつも従兄弟様を指して国王がおっしゃるので親子仲は悪くは無いのだろう。良い事だと思う。
常にこんな感じなので国王も御父上も、そして私も彼の言い分は何も気にした事が無い。従兄弟様はしばらく非難しているのか褒め称えているのか良く分からない言葉で王に訴えていたが、そもそも何を言った所で王がリゼル様を離すつもりは無いのは分かっているだろう。
それでも諦めきれないのは同年代のライバル意識と言うものか。敵対心では無いだろう。リゼル様と従兄弟様が話している所は度々見かけるが、遠くから見ると言い争っているように見えるものの近くで聞いていると決して仲が悪く無いのが分かる。
「ッとにかく、やはり二パーセントは多過ぎるので少々削らせて頂きます。その分私の家の私財から不足分を補うようにしますので、どうか削減に御了承下さいますよう宜しくお願い致します!」
膝をついたままキッと国王を見据え、そう言い放って従兄弟様は部屋を出て行った。
律儀に退室の礼まで最初から最後まで行うのはいつもの事だ。真面目ですよね、というのはリゼル様の談だった。
国王はハイハイと適当に挨拶しながら頬杖を付きっぱなしでその姿を見送る。そしておもむろに呟いた。
「あいつ本当にリズのこと大好きだよな」
「小さい頃から遊んでいるからね。もっとも小さい頃は彼も素直だったけれど」
仲が悪くないどころか、リゼル様と従兄弟様は普通に仲が良い。
知らないのは従兄弟様本人だけだろう、彼はリゼル様と仲が良いと言われると「普通だろう」と素で返す。その返答からして既に仲が良いと言っているようなものにも拘らず。
「まぁリズの母親に比べりゃぬるいか」
「彼女も頑張っているんだけどね、あの性質は根強いようだ」
ちなみにリゼル様の御母上は今何処にいるのかと言うと、数年前から遠方にあるという僧侶が集まる神殿で彼らの力を借りて精神修行に励んでいるらしい。時折必要があれば帰って来てその都度リゼル様と顔を合わせているようだが、話を聞く限り改善の兆しは見えないようだ。
従兄弟様さえぬるいと称される、美しいと噂の御母上を一度拝見してみたいものだと常々思っている。
「そういやリズ消えたの知ってんの?」
「知っているよ。出来れば彼女がいない間にリゼルが帰って来てくれるのが一番だったんだけど、あれは月に一度は必ずリゼルの顔を見に帰ってきているから」
「てめぇの前でぐらい素直になったか」
「見ていて振動しているなと分かるぐらいに震えながら、何を言っているのか分からない涙声で無理やり悪態をついていたね。笑顔を作ろうと思って全く作れていないんだから、いっそ泣いてしまえば良いのに」
どうやら大分素直では無い方のようだ。従兄弟様だってリゼル様が消えた時は普段以上に本音がぽろぽろと零れていたと言うのに。
ちなみに私の城内大激走は今でも時々噂される。我ながら速かった。
さて、と御父上が王に署名を貰った書類を整える。仕分けした書類の束も手渡せば有難うと礼を言われた、その笑みはリゼル様と少し似ている。
「そろそろ行こうかな……、ん」
話が主な目的で書類はついでだったのだろう。公爵がわざわざ書類運びなどしない。
情報交換も済んだしと立ち去ろうとした御父上は、しかし踵を返しかけた足を止めた。その視線の先には国王の執務机の上に乗せられている美しい装飾が施されているレターボックスがある。
リゼル様と手紙のやり取りが出来るようになったそれを、王は常に近くに置いている。時折ペンで蓋を持ち上げては舌打ちをしているが、そうじゃない時はすぐさま出して全てを放りだして手紙を読み始めるのでリゼル様は元気なのだろうと確認出来た。
「何となくだけど、あの子からの手紙が来ている気がするね」
「あ?」
いつ来たかなど分からないというのに、平然とそう言った御父上は王が止める間もなくひょいと蓋を開けた。私も与えられた机(椅子は無い)から微かに身を乗り出してレターボックスの中を見る。
そこには確かに王が使用する公用の封筒は無く、酷く品の良い封筒が置かれていた。国王はすぐさま持っていたペンを置き、乱暴な動きの割に丁寧な手付きでそれを持ち上げる。
「元気そうかい?」
「黙って読ませろ」
子供を心配する親の言葉を容赦なく切り捨て、王は黙々と手紙を読み始めた。
しばらくは政務が止まるな、とそれを眺めていると王の目の前で御父上が手に持つ書類をパラパラを捲り始める。最終確認でもしているのかと思っていると、ふいに書類と書類の間から一通の手紙が取り出された。
一体何処にと茫然と眺めている前で、特にこっそりではなく堂々と自然にその手紙は開いたレターボックスへと置かれる。細く長い指は静かに手紙をボックスの底へと横たえ、蓋の縁をトンッと押した。
パタン、と音を響かせ閉じられたそれに国王の視線が鬱陶しそうに手紙から外れる。
「何してんだよ、壊すなよ」
「壊さないよ、少し指が当たってしまった」
御父上の指が再び閉じられた蓋へとかけられた。
ゆっくりと開かれていく蓋の隙間から見えたのはボックスの底。入れた筈の手紙は一瞬にして姿を消していた。
そんなまさか、と唖然としながら蓋が元に戻されたボックスと御父上を見比べる。御父上は何事も無かったかのようにリゼル様の新しい情報があったら知らせてくれと王に頼み、返って来た生返事に頷いて改めて退室しようと踵を返した。
ふと、そんな彼と視線が合う。
「………―――」
ほんの一瞬、すっと微笑んだ口元で立てられた指の意味が分からない筈も無く。
ああ本当にリゼル様は御父上似だと酷く納得の息を吐いてしまった。
宿の一室にリゼル達はいた。
いつの間にか三人が一室に集まることも決して珍しいことでは無い。
「リーダー手紙来た?」
「はい、お父様からですけど」
「は? ヘーカじゃなくて?」
「お父様からの手紙は嬉しいけど珍しいですね……あ、やっぱりお母様を驚かせたみたいです。不可抗力とはいえ申し訳ない気がします」
「これは仕方無ぇだろ」
「そうですけど」
「貴族っつーと政略結婚? とかあんスよね。リーダーんとこもドロドロ?」
「いえ、うちは確かに家の釣り合いもあって顔合わせがあったみたいですけど違いますよ。初めての顔合わせの時、お父様はお母様に散々言われたみたいで嫌なら止めようかなと思ったみたいなんですけど、帰ろうとした瞬間にお母様のお兄様に引きとめられたみたいで」
「俺の妹貰ってやってくれーって?」
「噴き出す寸前みたいな顔で屋敷の庭に連れていかれて、言われるままに木陰に隠れてたら二階の窓の一つをお母様が勢い良く開けながら空に向かって『滅茶苦茶好みー!』って叫んだのを見て婚約を決めたみたいです」
「どこで決まったんだよ」
「リーダーんとこの親凄ぇ」




