90:多分某副隊長が飛んでくる
リゼルとギルドの関係は、王宮での書庫の出来事以降も特に変わりが無かった。
リゼルが王族を味方につけて冒険者を越える行いをしたのなら違っただろうが、あれはきちんと自らの冒険者としての権利を主張しただけに過ぎない。それはギルド側も分かっているし、落ち度が自らの方にあったのも理解している。
ただ正直書庫で相対したリゼルが冒険者だったかと言われれば某職員は「確実に冒険者じゃなかった」と語る。冒険者が持ち得ない筈の高貴な空気を強く纏う姿に、冒険者らしさを見出せという方が難しいだろう。
まるで従えられそうな感覚を覚えたその騒動の後に顔を合わせるのをギルド職員は多少なりとも気まずく思っていたが、それは杞憂に終わった。
「ここスライムしか出ねぇぞ」
「スライムって水中エレメントに似たようなやつですよね、ゼリー状の」
「あー……それよか、もったりした感じッスね」
「もったり?」
「もったり」
リゼル達は何も変わらずいつも通りだし、相変わらず周囲とは一線を画する雰囲気に反して二度見されるような会話をしている。もし以前の姿に呑まれて冒険者扱い出来ずに上位者に接するようになってしまったらどうすればと悩んでいたギルド職員だが、そういえばこういう奴らだったと再確認した。
真面目そうに話しているように見えて変なことしか話していない。基本的に無害。
冒険者に振り回されるなどまだまだだ、と依頼受付に仁王立ちする職員は顎鬚をざりざりと撫でながらしみじみと頷いている。その様子に今まさに依頼受付をしていた冒険者はボケたのかとゲラゲラ笑い、煩ぇと頭を鷲掴みにされていた。
「スライムって色んなタイプがいるんですよね」
そんな職員の視線など気にせず、リゼルはスライム関係の依頼を見上げる。
まだスライム種の魔物には出会った事が無い。本から知識は得ているものの、なかなかに面白そうな魔物だった筈だ。
外見はイレヴン曰く“もったり”としたゼリー状で、核を中心にまとまっている。大抵が大人の膝までの高さを持つ丸い塊だが、今までに確認されている個体の最大サイズは二メートルと相当な大きさのものも居るようだ。
「攻撃手段っつうなら多いんじゃねぇの」
「本だと自分そっくりに形を変えるとか、核ごと自爆するとかありましたけど」
「あいつらマジで見分けつかねぇ化け方してくんスよ。変身前の半透明どこ行ったっつの」
「迷宮にしかいない魔物ですし、特殊でも納得ですけど」
迷宮でしかお目にかかれない魔物は癖のある魔物が多い。
スライムの形状変化も本人だけでなく、何をどうやったら分かるのか相手が一番恐れている相手や苦手に思う相手に化けることすらある。勿論実力がそれに比例する訳ではないが、攻撃手段は形にならうようで弱体化した当人と戦うようなものだ。
他にもリゼルが言った自爆や、魔法が得意な個体もいれば壁での跳ね返りを利用して強烈な体当たりを見舞って来る個体もいるという個性豊かな魔物でもある。だが基本は床の上をのったりのったりと移動しているので、戦いたく無ければ走り抜ければ何とかなったりもする。
「同士討ちしたら大変ですね」
「喋んねぇし表情無ぇから見りゃ分かる。ただどっかのボスで完全に成りきるのがいるっつうのは聞いた事あんな」
「対ニィサンとかシャレになんねー」
ケラケラと笑うイレヴンは、後はそれとそれと、と言いながら幾つかあるスライム関係の依頼用紙をリゼルへと示していく。スライム核は魔石とほぼ同じようなものだが完全に石のような魔石と違って固めの弾力を持ち、その特殊性からそこそこの需要がある。
リゼルはどうしようかとそれらの依頼を一通り眺める。様々なランクがあるのは、やはりスライムしかいないとはいえ階層ごとに強さが上がって行くからなのだろう。
「スライムしか出ねぇってどうなんスか。相手がなんかする前に斬りゃ良いんだし、雑魚ばっかじゃねぇの」
「大体それで済んだ」
だよなァと頷くイレヴンにリゼルはそうなのかと内心で感心した。どうやらスライムが変化にせよ何にせよ行動を起こすにはそれなりのタイムラグがあるようだ。
ただ速攻で倒してしまうにはスライムはとにかく物理耐性が高く難しい。不定形な彼らはエレメントと同じく剣であろうと容易に斬り伏せることは出来ず、中を流動する核を的確に狙うには相当鋭い剣撃が必要となる。
それを雑魚と称する二人は言うまでも無くそれが可能で、頼もしい事だと髪を耳にかけながら微笑んだ。
「ただ深層で大量に上から降ってきた時は面倒だったな。床がスライムで埋まった」
「マジで? スライム責めされるニィサンとか誰得だっつーの」
「アホ」
当然囲まれようと容赦なく全て斬り伏せて進んだだろうジルは、面白がるイレヴンに顔を顰めてそろそろ依頼が決まったかとリゼルへ視線を向けた。そしてふいに真っ直ぐに此方を見る瞳と目が合い、どうしたと問いかけるように微かに眉を上げる。
リゼルはその仕草に数度瞬き、軽く握った手を唇に当てながら何かを考えるように頷いて見せる。
「スライム相手に限定しないですけど、攻められて防戦一方の一刀っていうのは見てみたい人が多いんじゃないですか? ほら、俺も苦戦する所なんて今まで見た事ないですし」
「……」
「……」
ジルとイレヴンは向けられた微笑みから無言で視線を逸らした。
何故知らない。いや当たり前だ。リゼルが読むような本にそんな単語は出て来ない。滅多に無いが、メディ相手だろうと絡んでくる相手だろうと下ネタと言われる部類の言葉にも平然と返しているから油断していた。
それならば何故二人が知っているかと言われれば、長年冒険者をやっていれば自然とそんな話題も耳に入って来るからだ。何故迷宮にしかいないスライムと冒険者では滅多にいない女性というシチュエーションが生まれたのかは男のロマンとしか言いようが無いが、冒険者の間では酒の席で盛り上がる話題の一つでもある。
ちなみに話が聞こえる範囲にいた周囲の冒険者らはただ無言で一斉に顔を真反対にそらしていた。
「(ここまで在り来たりな発言してんのにリーダーが言うと印象違うよなァ……此処でネタばらししても“そういうのがあるんですね”で終わる気がする。つかそのタイミング完全に逃した)」
「(いらねぇ知識に興味無ぇのはこいつらしいっちゃらしいか。なら知らねぇままでも良いだろ、わざわざ訂正もしたくねぇし)」
二人の視線が一瞬交差する。
「アホなこと言ってねぇでさっさと依頼決めろ。馬車混むぞ」
「スライム見てぇんならこの依頼で良いんじゃねッスか。どのスライムでも良いっぽいし」
即行話題を逸らした。というより戻した。
二人や周囲の反応に何かが違ったらしいと思っていたリゼルは当然話題を逸らされたことに気付いたが、まぁ然して重要な違いでは無かったのだろうとそのまま流す。違ってはいけない所で違っていたらジル達は遠慮なく指摘するので問題無いだろう。
イレヴンがピッと壁から破りとった依頼用紙を見下ろし、一つ頷く。
【スライム核の納品】
ランク:指定なし
依頼人:魔道具開発所所長
報酬:スライムの色で変動(詳細は裏面、またはギルドへ)
依頼:スライム核ならばどの種類のスライムの物でも良い。とにかく数が欲しい。
スライムを倒すには核の破壊しか方法が無い。
しかし核は破壊されると周囲の固いゼリー状の部分と同化し、その拍子に個体全体が凝縮され再び核として残る。迷宮では放置しておくと再び核からゼリー状になった魔力が漏れてスライムが復活するというが、時間がかかる上に一度手に入れてしまえば床に転がしておこうと復活はしないようなので特に心配する事ではない。
相変わらずの謎の迷宮仕様だが迷宮だから仕方ない。そう思いながらリゼルは依頼用紙を手にこれにしようと受付へと向かった。
「お願いします」
「おう、これか。報酬の細かい説明はいるか?」
「いえ、大丈夫です」
パーティ数組分が前に並んでいたが、ベテラン職員なだけあって順番はすぐに回ってきた。
依頼用紙とギルドカードを渡して手続きをする、ギルドカードはジルとイレヴンの分も預かっている為に三枚だ。魔道具を動かしながら少しばかり声を潜めて職員は問いかける。
「どうだ、王宮で困った事とかは無ぇか」
「はい、殿下にはとても良くして貰っています」
リゼルが王族に古代言語を教授しているのは大っぴらにしていない。
隠さない王宮通いや会話に気付いている冒険者も多いが、とはいえ堂々と公表するつもりも無い為に小声なのだろう。特に他意は無く、純粋に困った事があれば遠慮なく言えと言いたいのだろうとリゼルは微笑んだ。
アリムとの関係も良好、教授も優秀な相手のお陰で順調だし本も読み放題だしでリゼルに不満は全く無い。その言葉に安堵したように胸を撫で下ろした職員が、魔道具に置いていたギルドカードを取り出してリゼルへと渡す。
リゼルは礼を言いながらそれを受け取り、カードを見下ろしながら何気なく口を開いた。
「つい先日から“先生”なんて呼んでくれるようにもなったし、仲違いは無いと思うので安心してください」
照れますねとほのほの笑い、そのままリゼルは待っているジル達の元へと戻って行った。それぞれにギルドカードを返し、自分のものもポーチへと仕舞う。
そしてそのまま出て行く姿を唖然として見送りながら、職員はあぁこんな状況も何度目だろうかと現実逃避するように考える。どうして彼らは衝撃を与えずに去ってはくれないのか。衝撃を与えている自覚がないからか。知ってる。
王族が冒険者を師事すべき人物と認めるなど有り得ない事を信じなければいけない衝動をどう消化すれば良いのか。以前彼らが居たと言うパルテダギルドの職員は一体どうやって彼らに慣れたのか切実に知りたい。
「あいつらは一体何を目指してんだ……!」
スキンヘッドの頭を抱えた職員は、受付に並ぶ冒険者に早くしろと急かされて少しだけ逆ギレした。
アスタルニアの冒険者ギルド所有の馬車はパルテダールの物とは少し違う。荷車の上に屋根をつけたような、馬車の側面上部をぐるりと取っ払ってしまったような作りをしている。
お陰で風通しも良いし周囲も見渡しやすい。それは走行中に魔物に襲われた際、低ランクの冒険者を馬車の中に引っ込めて上位ランクが率先して相手をするという王都での暗黙の了解が此処には無い所為なのだろう。
とにかくこの国の冒険者は低ランクだろうと高ランクだろうと喧嘩っ早い。襲われる事があれば全員総出で立ち向かうのだから防御は必要ないらしい。
後はジャングル特有の湿った空気が籠らないようにだとか色々な理由があるのだろうが、恐らく一番の理由はそれだろう。
「定員オーバーでも少しだけ解放感はありますよね」
「どんくらいかかんスか」
「ジル?」
「一時間ぐらいじゃねぇの」
長いなぁと三人は馬車の後ろ面から流れて行く景色を眺めていた。
この一番冒険者の多い早朝に壁際が取れただけマシだろう。椅子は馬車の側面両側にしかなく、後は真ん中に立って過剰な人口密度に息苦しい思いをするしかないのだから。
乗れる人数ぎりぎりの位置に並んでいたリゼル達は運よく最後に乗り込み、見事上半身が開放的な一番後ろを確保出来た。背中側から押される感覚は時折あるものの、腰まである開閉口にもたれかかりのんびり外が眺められるのは素晴らしい。
乗り込む時はこれもう絶対無理なんじゃと当然のように足を止めたリゼルだが、乗れる乗れると押し込まれた甲斐があった。正直ジルに支えて貰っていなければ扉が閉まりきる前に押し出されていたが。
「お前後ろ向きだと酔うんじゃねぇの」
「ただ乗ってるだけなら酔いませんよ。ただ揺れが気になります」
何度も馬車が往復することで踏みならされてはいるものの、所詮はジャングルの中の道だ。揺れるのは仕方無いし、今運良く座っている冒険者達も尻が痛くなるのを承知で座っている。
木々の隙間からチラチラとしか見えない空を見上げ、早朝のジャングルは肌寒いなぁとリゼルが思っている時だ。重なり合う枝葉の隙間から何かが空を横切ったのが見えた。
魔鳥騎兵団だろうかと少しだけ身を乗り出したリゼルをジルの掌が馬車内へと押し戻すと同時に、ザザザッという草木を掻き分けるような音が上から聞こえる。リゼルの目の前へと何かが落下するのと、イレヴンのナイフが光を反射する事なく何かを突き刺したのは一瞬の事だった。
「何つったっけこの蛇」
「碧玉蛇です。青い鱗が綺麗ですね」
ナイフに体を貫かれ、真上からリゼルを狙った蛇の魔物はばたばたと暴れている。
いつかの黄玉蛇と同じようにその鱗は宝石に加工される事もある美しさを持ち、黄玉蛇より小さい個体が多い為にその価値は高い。碧玉蛇はイレヴンの腕に巻き付き牙を突き立て、その腕を折り毒で抵抗しようとしているものの装備によって阻まれている。
「無視して落としてきゃ良いだろうが」
「だって暇じゃん」
装備があろうと締め付けられる痛みはあるだろうに、イレヴンは平然としながら言う。そのまま流れるようにトドメを刺し、ぽいっとその蛇を馬車の外へと放った。
一連の流れをえー……と思いながら眺めていた同乗者達は思わず声を上げそうになって必死に耐えている。碧玉蛇の鱗を売れば一晩好き放題出来る金が手に入るというのに何という暴挙に出るのか。
しかし捨てるぐらいならくれなどというプライドの無い真似が出来る筈が無い。走り去る馬車により見えなくなった碧玉蛇に思いを馳せるだけに終わった。
「そういえば、蛇といえばこの前蛇の獣人の方に会ったんです」
「は? 何処で?」
「王宮の書庫で」
ふいに思い出したように告げるリゼルに王宮勤めの獣人もいるだろう、しかし蛇の獣人はアスタルニアに住む者が他国と比べ多いとはいえ珍しいと思いながらイレヴンは欠伸を零す。
別に国の中に同じ蛇の獣人とは言え知り合いなどいない。自分には王宮勤めなんて絶対無理だと思いながらリゼルの穏やかな声に耳を傾ける。
「それが多分、イレヴンのお父様だったんですよね」
「何て?」
めちゃくちゃ知り合いだった。
即行話に付いて行けなくなったイレヴンをジルは呆れたような目で見下ろしている。
「イレヴンのお父様です。短かったですけど君と同じ髪の色をしていたし」
「や、赤毛とか言う程珍しいもんでも無ぇし」
「王宮勤めっぽくない服を着てました。こう、布と皮で作られた服で君のお母様と似たような」
「母さんの服ったって特に特徴あるもんでもねぇし」
「それに、何だか大きなワニみたいな魔物を引き摺ってましたし」
「王宮ん中で何で誰も止めねぇの?」
うーん、と思い出すように語るリゼルにイレヴンは必死で否定している。
別に父親が嫌いなわけじゃない。母親と同じような関係なのでイレヴンの性根を考えてみればかなり良好な関係だと言っても良い。
ただ何故リゼルと父親が王宮の書庫で会っているのかが分からない。繋がらなさすぎて脳が理解を拒否している。
「それに、落ち着いていましたが迷子だったみたいです。国から出たかったようで門はどっちかって聞かれました」
「あ、それ父さんだわ」
家を目指して王宮内でも奥の方にある書庫に辿りつく程の方向音痴などイレヴンは自身の父親しか知らない。
小さいころから気付けば王宮にいたとか気付けば海の迷宮のイカダに乗っていたとか言っていたし、嘘だと思ってはいなかったが実際に第三者から話を聞くとインパクトが凄い。入ろうと思って入れる場所ではないのに、一体どうやって一切の騒ぎにもならずに出入りしたのか。
そしていきなり書庫に現れたワニを担いだ男相手に普通に道を教えたリゼルの怪しいの基準が知りたい。イレヴン自身には記憶が無いので恐らくジルが一緒についていた時だろう。
「えー……父さん何やってんの。相変わらず方向音痴すっげぇな」
「イレヴンは父親似ですね」
「お前の親にしちゃ人当たり良かったけどな」
自分も十年以上会っていない父親と、まさかリゼル達が初対面を済ませていたとは。
会ったら紹介しようと思っていたのにと拗ねたように風で揺れる髪を弾くイレヴンに、やはり感動の再会という気は無い。会ったとしても母親同様にあっさりと済ませるのだろう。
「俺も満足に挨拶も出来なかったし、また会いたいです。ちゃんと家に帰れてると良いんですけど」
「お前が教えた道と初っ端から逆に行ってたけどな」
「何だかんだで最終的に家に着いてっから良いんスよ」
母親に比べ年相応の外見だっただの、あの魔物を罠で獲るにはどうすれば良いのかだのと雑談で暇を潰しながらリゼル達は目的の迷宮に辿りつくまでのんびりと馬車に揺られていた。
蔦の這った門を潜り、リゼル達はスライムしか現れない迷宮である“楽園の遺跡”へと足を踏み入れた。名の通り内部にも時折植物の蔦が這い、年月を経た遺跡のような作りとなっている。
最初の部屋にある魔法陣がぼんやりと光り存在を主張しており、ジルが既にこの迷宮を踏破済みだと告げていた。リゼル達はその上に躊躇い無く立つ。
そして馬車の中で決めた今日の方針をリゼルが代表してまとめて口にした。
「じゃあ最後に確認です。狙い目は一番スライムの種類が多い中層、なるべく色々なスライム核を狙って行きましょう」
「あぁ」
「りょーかい」
「その時、出会い頭に斬るんじゃなくて相手の出方を見せてくれると俺は嬉しいです」
隠す事無く堂々と本音を口にするリゼルに、ジルは溜息をつきイレヴンはけらけらと笑った。別にスライムに興味があるのは気付いているのだし、言われなくともそのつもりだ。
この迷宮は六十階層とそこそこの長さがあるので、取り敢えず三十階層へと魔法陣を使って転移する。中盤とはいえ初期、まだまだ此方が手こずるような攻撃を仕掛けてくるスライムはいないだろう。
「スライムとか戦うの結構久しぶりッスね」
「その時はどんな攻撃をされたんですか?」
「すっげぇ数が転がって来た」
そこそこの大きさでそこそこの重さもあるスライムが怒涛の勢いで転がって来たようだ。当たれば衝撃もかなりのものだろう、出来ればそんな目には遭いたくない。
来たらどうしよう、と話し合いながら歩いていると遂に最初のスライムを発見した。のったりのったりと移動しているスライムは、時折意味も無くその場で低く飛び跳ねたりもしている。
「リーダー、オレンジ」
「オレンジは確か形態変化するタイプだった筈です」
リゼルは以前読んだ魔物図鑑の内容を思い出していた。
今目の前にいるスライムは透き通った体に橙色を宿している。スライムの攻撃手段は色で見分ける事が可能だが、その色はとにかく多岐にわたる。
オレンジは確か、と考えているリゼルの前でふいにスライムがぴたりとその動きを止めた。どちらを向いているのかもいまいち分からないが此方に気付いたのだろう、ぶるりと大きく体を震わせてぐにぐにとその姿を変えていく。
「その姿に相応しい言葉を告げれば倒せて、それ以外での討伐は難しくなるみたいです」
「斬れねぇのか」
「君なら斬れそうですね」
訳が分からんと思いながら問うジルに微笑みながら返す。全く効かなくなるならまだしも、効きにくくなる程度でジルの攻撃が通らなくなるとは思えないからだ。
そうでも無ければ、何が来るか分からないのにこうも平然と眺めてはいない。半透明の橙色の体が徐々に違う色に染まって行き、その形が完成する。
現れたのは大人の背丈ほどもある漆黒の死霊犬だった。本来の鳴き声では無いだろう籠ったような音でグルルと喉を鳴らし、今にも噛みつきそうに獰猛な牙を露わにしている。
「犬相手に相応しい言葉とか意味分かんねぇんスけど」
「そうですね、単純に“わん”とかで」
死霊犬の形が崩れ核になった。
「良いみたいです」
「適当だな」
まさか本当にこれで良いとは、と感心しているリゼルの前で残りのスライムも次々と形を変えていく。次に襲いかかってきたのは一メートル程の草原ネズミだった。
「ほらジル、来ましたよ」
「……だから何だよ」
「ニィサンほら草原ネズミ。草原ネズミだって」
「見りゃ分かる」
面白そうに急かされジルは盛大に顔を顰めた。鳴いてみせろと言うのだろうか、心底嫌だ。
肉薄する魔物にしかしリゼルもイレヴンも動こうとはしないし鳴きもしない。ジルは観念したように溜息をつき、そして直後その腰から剣を抜いた。
飛びかかった草原ネズミが核ごと斬り捨てられたのを見て残念そうな声が上がる。邪道だ邪道だと不満そうな二人を流しながらジルはさっさと歩き出した。
「折角用意してくれたんだから乗らなきゃつまらないですよ、ジル。あ、イレヴンもう一匹死霊犬です」
「“わん”。そうそう、楽しまなきゃ損ッスよ。リーダー、ツノウサギ」
「ウサギ……ウサギ? ぴょん、あ、違いました」
「ウサギは“ぶー”とか“ぴー”とか鼻鳴らすんスよ、鳴き声っつって良いのかは微妙だけど」
核になったスライムに、リゼルは成程と頷いた。流石小さい頃から獲物として馴染みのあるイレヴンの言葉は説得力が違う。
周りを見ると然して数の多く無かったスライムは姿を消していて、一段落ついたようだとリゼルは拾った核を見下ろした。薄く橙色をしているスライム核は半透明で、ぐっと握ると強い弾力を持ち押し返してくる。
「これって変身前に倒しても同じ核が出来るんですか?」
「前来た時は核なんざ拾ってねぇから分かんねぇけど、見た目は変わんねぇ」
「変身前なら俺でも何とかなりそうですし、今度見つけたら先制攻撃してみます」
リゼルはその後、有言実行とばかりにスライムが此方に気付く前に魔銃を連発した。
手に入れた核は全く同じで、しかし核だけ都合良く回収するのはやはり無理だろう。リゼルだって大分魔銃を撃ち込んだし、それ以上にダメージを与えにくい剣などでは変身前に倒しきることは難しい。
両手に核を握って成程と頷いているリゼルを見て、満足ならば何よりだとジル達は残りのスライムを掃討していた。
それから何階層か進み、下層へ近付いて来た時の事だ。
これぐらいになるとスライムも色々な色が混ざりながら現れる。凄い勢いで床を転がり始めるスライムと凄い勢いで壁という壁を跳ねまわるスライムと凄い勢いでひたすら体当たりしてくるスライムが一気に出た時など、余りの鬱陶しさにイレヴンは若干キレた。
一個体一個体が特別強い訳では無いものの、チームワークなど存在しない癖に複数で襲われると一気に難易度が上がるのがスライムの特徴なのだろう。
「おい、黄色と紫」
「あ、ついに出ましたね」
曲がり角の手前で足を止め、通路の先を覗きこむ。
複数のスライムが通路の先にある部屋のような空間で動いていた。その半透明な体の色はジルの言う通り黄色と紫で、これまでの道中で一度も見かけていない色だ。
「黄色は本人に、紫は今までで一番恐ろしかった存在に形態変化です」
「マジで? リーダー大量発生すんじゃん」
「え、怖いですか?」
「俺怒ったリーダー一番怖ぇもん」
むしろそれぐらいしか恐怖を感じた事がないとイレヴンは堂々と言う。それもそうだろう、本来ならば恐怖を感じるような相手と戦うのも刺激に変えてしまうような男だ。
何だかショックな気がする、と思いながらどうしようかと通路の先を覗きこむ。
スライムの変身が実力を伴わず動きなどはそのままの弱体化とはいえ、どれ程の弱体化なのかで話は変わる。通常のパーティならば実力が拮抗した者同士が組んでいるだけあって、弱体化した自分達と戦ってもチームワークの差もあって余り命の危険は無い。
しかしリゼル達のパーティには一人並外れた強者がいる。底の見えぬ強さを持つジルが多少弱体化したとはいえ、果たしてその実力はどれ程まで下がるのだろうか。
「黄色が全部ジルになったら怖いですよね」
「その上ニィサンが怖ぇもん来たら手ぇ出せねぇんじゃねッスか」
「怖ぇもんっつっても」
考え込むように眉を寄せたジルは、ふっとリゼルへと視線を向けた。
「俺もお前が出る気がすんな」
「君達って殺そうと思えばすぐ俺の事殺せる実力があるのに、何がそんなに怖いんですか」
「色んな意味で」
ニヤニヤと笑うジルに苦笑する。悪意からの恐怖では無いのだろうが地味にショックだ。
しかし考えようによっては有難いだろう。まさかスライムが転移魔術まで使えるとは思えないし、それならば偽リゼルなど多少魔法に長けているだけなので苦戦はしない。
そう自分に言い聞かせるリゼルはやはり微妙に根に持っているようだ。
「ベストなのは俺だけ行って、全てのスライムが変身を終わらせた後にジル達に来て貰う方法かな」
「リーダー誰怖いんスか」
「多分お父様が出ると思います」
ジル達は今まで見た事があるリゼルの父の姿を思い出してみる。
最初に出会ったのは王都の路地裏で、リゼルに似たマイペースさを持った男だったと記憶している。何やら色々見透かされたような感覚を覚えたが、とにかくリゼルが無事に楽しんでいるなら良いと伝わって来るようだった。
そして次に見たのは最悪の迷宮の幻影だった。幼いリゼルに対してとにかく甘い、これでもかと言う程に甘い、少し父親らしく諌めたかと思えばそれを上回る甘やかしが与えられる始末だ。
リゼルが貴族に有りがちな腐った性根を持たず優秀に育ったのだからそれだけでは無いのだろうが、ジル達にとってはとにかく甘いイメージしかない。
「あの父親が怖ぇの」
「怒ると怖いんです」
「リーダー怒られたんスか」
「俺に対してはほとんど無いんですけど、幼心に色々ショックだったんです」
大泣きしたなぁと懐かしそうに話す姿に恐怖など感じないが、何やら色々あったようだ。
確かにあれだけ甘く接されていれば怒りに支配される父親を見ただけで子供ならばショックを受けるか、とジル達は納得した。今では何があろうと取り乱さない男が、幼いころとはいえ恐怖して泣いたのだと思うと見てみたい気もするが。
「お父様は戦闘とは無縁の人だったので問題無いと思います」
「なら三人で行っても変わんねぇだろ」
「そうですか?」
「まぁ確かにボスじゃねぇスライムなら凄ぇ弱体化してっし、多分ニィサン出てもラクショーッスよ」
どうやらそういうものらしい。
ならばボス級のスライムはジルと互角なんじゃと少しだけ気になったが、今は気にしなくとも良いだろう。それならばさっさと終わらせてしまおうと、リゼル達はスライムの集まる部屋へと足を踏み入れた。
「無表情のイレヴンって今思うと凄く貴重ですよね」
「無表情のお前よか見ねぇからな」
「そ?」
帰りの馬車の中、リゼル達は今日の出来事を思い返しながら話していた。
馬車は朝と比べると格段に空いていて、先に数組乗っていたもののリゼル達は余裕で座る事が出来た。勿論椅子には幻狼の毛皮で作られたクッションを敷いているので腰は全く痛くならない。
スライム核も一通り種類を集めたので依頼人も喜んでくれるだろう。相変わらず量が量なのでギルドはバタつくかもしれないが。
「お父様がいなくて安心しました、やっぱりやりづらいですし」
「お前俺の脳天躊躇無く狙っただろうが」
「戦えない人相手に、って意味ですよ」
呆れたように此方を見るジルにリゼルはほのほのと笑う。
ジル相手というがジルの姿を取ったスライムだから良いではないかと思う。多分本物を間違えて狙うことなど無かった筈だ、本物なら避けるか払うかするだろうし、どの動作も見ていない。
偽物相手に躊躇う三人では無いので、同じ顔が目の前にあることに奇妙な感覚を覚えつつもさくさくと戦闘は終わった。
「ジルだって俺の首とか容赦なく飛ばしたじゃないですか」
「こいつよかマシだろ。俺のこと嬉々として刺してたぞ」
「正直ニィサン相手にすんのちょっと楽しかった」
この会話だが、当然馬車に同乗している他の冒険者にも聞こえている。
今話題のパーティの物騒すぎる仲違いにビクリと肩を揺らした彼らによって、翌日冒険者の間でリゼル達殺し合い説が流れることになるなど今のリゼル達には知る由も無かった。




