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85:やっぱり読み切った

 窓の外が闇に覆われ、一つの雲にも遮られない月光が部屋の中へと差し込んでいた。

 しかしそれでは不十分だと灯される光は部屋に備えられているものでは無く自らの魔力を用いて作りだされたもので、少しの明滅もなく一定の優しい光を灯してくれる。

 ベッドに腰かけ本を読むリゼルが本を読む為だけに灯した光だ。

 時折外から微かな声や音が聞こえてくるが、耳を澄まさなければ気付かないぐらいの微かな音でしかない。そんな静かな夜をゆるりと過ごしている彼は、意識している訳でも無いのに凛と背筋を伸ばした美しい姿勢のまま目を伏せ本の世界へと入りこんでいた。


「手」


 ふいに袖口が後ろから伸びた指に挟まれ、くんっと真横に引かれる。

 リゼルは集中しきっていた意識をふっと浮かせながら自らの手に視線を向けた。指先がページの隅を戯れに遊び、少しだけ内側へと丸まってしまっているのが見える。

 またやってしまった、と苦笑して未だに袖を掴む指先を褒めるように握った。指先は満足げにリゼルの小指に巻き付き、そして離れる。


「有難うございます、イレヴン」

「んー」


 リゼルの後ろにごろりと寝ころび、ほとんどベッドを占領しているイレヴンがごろりと仰向けになりながら目を細めた。

 そもそもリゼルが何故椅子ではなくベッドに座っているかと言うと我が物顔でベッドに居座る男が原因だ。ふらりと部屋に入ってきたイレヴンが、ごろごろし始めるや否や早く来いとばかりにベッドをべしべし叩き始めたので応えるように其処にいる。

 それから両者共に裏カジノに行って来ただの何だの話していたのだが、少しばかり本へと集中し過ぎたのが気に入らなかったのかもしれない。仰向けのままずりずりと移動してきたイレヴンが解放したばかりの手を捕まえる。


「なんか今回、リーダー分かりやすーく動いてんね」

「そうですか?」

「そうじゃん」


 捕まえた掌を頬の鱗に押し付けるようにすり寄りながら、イレヴンはその意図を図る様にジッと穏やかに笑う顔を見上げた。

 ギルドでの話や最近のリゼルを見る限り、露骨と言えば良いか。何とも分かりやすく学者であり王族である一人と接点を持とうとしている気がする。

 普段のリゼルならどうか、王族だろうと何だろうと見てみたいと思えば向こうから来させるぐらいはするだろうとイレヴンは思っている。リゼルが聞けば買い被り過ぎだと苦笑するだろうがそれが出来るだろうと、それが当然だろうとすら思えるのは彼が生粋の貴族だからなのだろうか。


「そんなに会いてぇの?」


 優しく頬の鱗を押される感触がする。

 蛇の獣人は本来鱗を触られるのを嫌がるのが普通でイレヴンも例に漏れない。それでもリゼルに触られるのは心地良いと感じるし、例えそうでなくともどうやら鱗の感触を気に入っている彼の為ならば耐えようと思えるのだから救いようが無いのは自覚している。

 肌と鱗の境目をなぞられる感覚がくすぐったくて、喉で笑いながら頬を指へと押しつけた。


「当然会ってみたいです。俺も古代言語の解読には十年以上かかりましたし、同じように頑張ってる人がいるのは素直に嬉しいので」

「げ、そんなにかかってんスか」

「俺はまだマシですよ、“歌が手紙”っていうヒントは伝わってたんですから。まずあれが言語だってゼロから気付ける人は凄いと思います」


 イレヴンにとっては“歌が手紙”と聞いても「へー」で終わるだけだし、イコール言語に結び付けようなどとはまず間違いなく思えないだけにとてもマシとは思えないのだが。

 ふーん、と呟きながら宥めるように頬を優しく叩く掌の感触を享受する。離れていく掌を目で追いながら仰向けだった体をうつ伏せへと戻した。

 見上げる視線に不満が含まれているのを察し、リゼルは言葉を促すように目にかかる前髪を避けてやる。


「やっぱ、イヤ」


 露わになった瞳が不快げに歪む。

 自分に向けるには珍しい事だと可笑しそうに笑い、慰めるように指の背でその目元をなぞった。


「リーダーがギルド使ってまで会いたがってるとか思われんの、凄ぇイヤ」


 もし相手がそんな勘違いをしていたら。もしそれを当然と見下すような相手だったら。

 考えるだけで湧きあがる不快感にイレヴンは眉を寄せながらシーツへと顔を埋める。零した舌打ちは布地に吸収されながらもリゼルへと届いた。

 別に会いたいと思っているのは本当なのだから良いのでは、と言えば拗ねるだろうか。ただの冒険者相手に王族がそう思う方が普通だろうに、と微笑みながら背中からシーツへと流れる鮮やかな赤髪へと指を通す。


「敏い方が相手です、それは無いでしょう」

「何で分かんの」

「王族の方って何でも噂になりやすいので良いですね。あと、これです」


 じゃん、とは言わないものの言ってもおかしく無い雰囲気で示されたのは先程まで読んでいた一冊の本だった。何となくデジャヴを感じながらイレヴンがそれを見上げる。


「“人魚姫の洞”から出た後に探してみたら、何冊か見つけたので買ってみました」


 リゼルはもう既に一回り読み終わり、読み返していたその本のページをパラリと捲る。

 今まさに話題に出していた王族であり学者である人物が書いた研究書はなかなか面白かった。とにかく本来ならば想定されないだろう仮定を立て、そして実際に証明してみせる。

 最終的にはとにかく“やってみたら出来たし間違いない”といった方向に向かう所がアスタルニアの王族らしいだろう。理論の証明も出来ているので研究書としては問題無いが、繊細そうに見えて意外と好戦的な文体をしている。

 勿論これだけで全てを知った気になる訳ではないが、参考にならば充分なる。


「多分相手も会う事を拒否したりはしないでしょうし、楽に会えるならそれに越した事はありません」

「あー、だからギルド使ったんスか」


 リゼルにとっては楽だろうとイレヴンは頷いた。それならば分かりやすいに越したことはないのだろう。

 戯れに「会ってみようかな」と告げるだけでギルドが全て準備をしてくれる。例え相手が望もうと拒もうと王宮に閉じこもる王族と会おうと思うと面倒な過程が付き物だが、それをただいつも通り過ごして待っているだけで良いのだから。

 髪を通り過ぎる指が背中をなぞりシーツへと落ちる。そのまま毛先まで辿ろうと移動する指先を捕まえ、頬へと引き寄せた。


「動いてくれんの?」

「くれるでしょう、ギルドと国は例え仲違いしていなくても明確な協力関係を結ぶ事は滅多にありません。立場上どうしても互いに不介入な関係になってしまうので、敵意は無くとも摩擦は発生してしまいます」

「確かに、どこの国でも色々面倒っつうのは聞くけど」

「そこはギルド長の腕の見せ所ですね」


 リゼルが可笑しそうに微笑む。

 王都ギルドでは会った事は無いがギルド長が上手く立ち回っていた。スタッド曰く“面倒臭がり”のようなので面倒ないざこざが起こらないよう気を配り、レイと交友があった通り下に付かずとも友好的な人物だったのだろう。

 アスタルニアではやはり国柄というべきか、流石に皆無とは言わないが水面下で暗躍するようなタイプが少ない上に基本がフレンドリーなので悪い関係では無い。噂でもギルド長は前国王と個人的な交友があったという。


「接触するには問題ないでしょうし、ギルドと王族が半永続的な協力関係を抱けるならばそれに越した事はないでしょう。現国王の代において関係悪化の可能性は限りなく低くなります」

「んぁ、どゆ意味?」

「一から古代言語を習得しようとするのはギルド側じゃ難しいし、今の所手っ取り早く習得出来るのが王族の方です。今後“人魚姫の洞”でボスに挑もうとする冒険者が現れる度に彼の力を借りる形になるでしょう?」


 それならばギルド側が王族に借りを作る事になるんじゃないかとイレヴンは思ったが、すぐにそれを否定する。ならばギルド側が今回のリゼルの申し入れを受けなければ良いだけだ。

 そうすると“人魚姫の洞”の攻略がほぼ不可能になる。しかしそれが今まで通りと言われるとそうではなく、今や一度踏破されてしまったのは国中に広がっている為に不可能が当然という意識は人々から消え去ってしまった。

 ならば気風が良く威勢の良いアスタルニア国民は、冒険者や王族を含めた国民は何を思うか。


『余所から来た冒険者が出来て、アスタルニアの民が出来ないなど情けない!』


 卑下するでもなく、自嘲するでもなく、胸を張りそう言い放つだろう。

 そうなった時、必要となるのは鍵である最後の扉に刻まれた古代言語を解読する手段だ。ギルド側はリゼルの申し入れを受け入れる以外にその手段を手に入れる方法を持たない。

 そして国民がアスタルニア国民としての誇りを持ち続ける為に、国としても“人魚姫の洞”を踏破不可能のままにしておく訳にはいかない。


「対等な協力関係っつうことね。こういうの、簡単に用意出来るトコが流石っつうか」


 互いの権力介入を極力避けた形で成立する協力関係、まさに理想的だろう。

 イレヴンは機嫌良さそうに目を細めて引き寄せた指に唇を寄せる。鋭い犬歯を覗かせながら口を開いてみせ、形の整った指先へとおもむろに歯を立てた。

 ゆるゆると肌に食い込んでは緩まる力は全く痛みを伴わず、まさに甘噛みなのだろう。本当に部屋では遠慮なく甘えるものだとリゼルは笑みを浮かべ、しかし本が読みにくいと思いながら片手で読みかけの本を広げる。

 こんなところ長年付き合いのある盗賊の精鋭達にも見せていないだろうにと思っているリゼルは知らない。実の所イレヴンは親にさえこんなに甘えた事は無い。


「あ、そういえば盗賊の子達が来てるんですね」

「何、会ったんスか。どれ?」

「以前も会った、前髪の長い子です」

「あー、あの常識人ぶってんの。俺も何日か前に被害妄想酷ぇのが酒場で暴れてんの見たし、来てんのは知ってたけど」


 ちなみにイレヴンがいう酒場はこの国に幾つかある地下酒場の一つの事だ。

 何か面白い事は無いかと訪れたら、見知った顔が泣き喚きながら大型ナイフで人間を壁にリアル磔にしてたので騒がしいのは鬱陶しいとそのまま店を出た。相手が此方に気付いていたかどうかなど全く興味は無いが、接触したなら一応まだ自分達に使われる気ではあるようだ。

 救いようが無いとは思うものの、便利だから良いかと齧っていた指を解放する。


「“もう使って貰って良いんで”って言ってましたよ、わざわざ挨拶に来てくれたみたいです」

「礼儀なんざ知らねぇ癖に良くやんなァ」


 嘲る様に笑うイレヴンに、もし彼らが聞いたら心底愉快気に笑うんだろうと思いながらリゼルは読書を再開した。






 リゼルが一人ギルドを訪れてから数日後、三人は久々に揃ってギルドへと向かっていた。

 リゼル達は冒険者にしては依頼を受ける頻度が低い、それは日々を過ごすだけの金に困っていないからだろう。よってギルド側からは彼らがいつギルドを訪れるのか分からない。

 だからこそ、中々ギルドへと訪れないリゼル達に痺れを切らして昨晩職員が宿を訪れたのだ。曰く、準備は整ったとのこと。

 筋骨隆々の男を前に宿主はリゼルを呼んでくれと言われるまで怯えまくっていた。しかもその時リゼル達は三人共運悪く宿から出ていたので、帰って来るまで待つと言い張った彼にどうすれば良いのかと茫然としていた。


魔力溜まりスポット近付いてっけど、リーダーだいじょぶ?」

「夜は何だかざわざわします、風向きもあるし仕方無いんでしょうけど」

魔鉱国カヴァーナほど濃くねぇからマシだろ」

「あそこは凄かったですね」


 濃くとも薄くとも人が立ち入れる場所ではないけど、と雑談しながらギルドの扉を潜る彼らは今から向かう先を知らないように思えた。

 しかし知らない筈が無い。その為にギルドを訪れているのだから。

 足を踏み入れたギルドは何時に無く緊張感に包まれていた。本来ならば依頼受付カウンターの向こう側にいる筈の職員が前で仁王立ちしており、その手前には見覚えのある魔鳥騎兵団副隊長であるナハスが此方を振り返っている。

 何故こうなっているのか事情は全く知らないものの、研ぎ澄まされた雰囲気にギルドを訪れている冒険者達は何が起こるのかとソワソワしていた。しかしそれもリゼル達が訪れた事で彼らに関係があるのだろうと察し、何が起こるのかと期待と緊張を孕みながら眺めている。


「副隊長さんが来たんですか?」


 容易に声も出せぬ空間に、ほのほのと穏やかな声が落ちる。

 ただの世間話のような口調にナハスはガクリと肩を落とした。心なしか頭痛もする気がする。


「お前達に面識があるし丁度良いと言われてな……いつかやらかすとは思っていたが」

「そういう言い方されると悪い事をしたみたいなんですけど」

「まぁ良い」


 ナハスは迷宮踏破に対する祝いの言葉を告げながら、一冊の書物を取り出した。

 リゼルの視線がその本を追うのを、ジルとイレヴンは横目で確認する。それはつまりリゼルの興味を引くだけの価値がある本という事なのだろう。

 そのままリゼルへと手渡された本の表紙には見覚えのある紋様が描かれていた。それは“人魚姫の洞”の最下層に存在する扉に刻まれたものと酷似しており、それを知る職員も腰に手をあててこんな本があるのかとまじまじと本へと視線を向けていた。

 くるりと本を裏返し何も書かれていない裏表紙を確認しているリゼルを見て、ナハスは腕を組みながら言う。


「それが読めたのならば王宮へと連れて来い、と言われている」


 ぴくり、とジルとイレヴンが微かに眉を寄せてナハスを見た。同時にピリッと空気が鋭さを帯びる。

 まるで試すような言い方が気に入らないのだろう、向けられた鋭い視線にナハスは口を引き攣らせながら首を振る。当然自らが決めた事では無い、それを示すことでふっと逸らされた視線と霧散した空気に分からないでもないがと溜息をついた。

 当のリゼルが平然としているのが救いか。これで彼が不快感を示そうものなら横二人が恐ろしい事になるだろう事は想像に難くない。


「んー……」


 リゼルは何かを考えるように古ぼけた表紙を見下ろす。

 どれ程に過去のものなのか。皮をピンと張った表紙は多少色あせているものの、破れもほつれもせずに表紙に書かれた金の紋様をしっかりと示している。

 指をひっかけるようにして表紙を持ち上げ、中のページを見下ろして直ぐにリゼルはパッとその指を離してしまった。パタンッと紙同士が重なる音がギルド内に落ちる。

 次の瞬間、ギルドは完全な静寂に包まれた。


「読めませんと、お伝え下さい」


 微笑みと共に告げられた言葉をナハスも職員も理解出来なかった。

 それは周囲の冒険者のように話の内容が理解出来ないのではない。彼ならば読める筈だと、国の誰もが解読出来なかった紋様でも彼ならば読めて当然だと思い込んでいた二人だからこそリゼルの言葉が理解出来なかった。

 ジルとイレヴンは意外そうにリゼルを見ている。しかしどんな理由かは分からないが彼が読めないと言ったのなら読めないのだろう、リゼルならば今を逃そうと王族と会う気があれば会えるだろうし残念そうでもないしで気にはならない。


「おいッ、読めないってのはどういう事だ!」

「言葉通りですけど」

「そりゃ俺には全然分かんねぇが、こりゃあの扉の紋様と同じもんだろ!?」


 王族に接触しようと此処数日動き続けた職員が焦ったように声を上げる。それもそうだろう、わざわざコンタクトを取って置いて今更無理だったともなれば彼の立場が無い。

 平然と肯定するリゼルに訳が分からないと頭を抱えている。本当ならば肩を掴み揺さぶる勢いで詰め寄りたいが横にいる二人のお陰でそれも出来ない。

 しかし目の前の穏やかな男が、悪質に人で遊ぶような人物には思えないのも確かだ。一体どうなっているのかと唸る。


「どうした、具合でも悪いのか? お前なら読める筈だと思うが」


 逆にナハスは心配してきた。

 組んでいた腕を解き、返されるままに本を受け取りながら怪訝そうな顔をしている。


「試すような言い方が気に入らなかったのか? あれは殿下が言った訳じゃない、冒険者を王宮の深部に入れる事への警戒として、本当に解読出来ているのか証明する事が条件だと頑固な王宮の守備兵長が言っただけだ」

「当然だと思います。王族の方は嫌がってはいませんでしたか?」

「あぁ、本を貸すのはかなり渋ったがな。許可は即答だったようだ」


 嫌がられていないようで何よりだとリゼルは微笑んだ。

 誰も嫌がられてまで会おうとは思わない。そうだと思ったからこそ接触しようと思ったのだが、とリゼルは髪を耳にかけた。

 条件を当然だというのならば、何が嫌なのだろうとナハスはそんなリゼルを見ながら考える。彼の中にリゼルが本当に読めないという選択肢は無い。


「本当に読めないのか!」

「読めません」


 ギルド職員が声を張り上げ、リゼルが断言する。


「どうしても読めないのか?」

「はい」


 ナハスが問い、リゼルが頷く。

 どうしても本を読ませようとするナハス達に周囲で見ている冒険者は何故そこまでと疑問を浮かべていた。王宮だの王族だのととんでも無い単語が出てきた事はとりあえず置いておくとして、何故そこまで彼に本を読ませようと言うのだろうか。

 確かに冒険者が本を読むなど奇妙でしかない。しかしリゼルに関してはしっくりと来るし、どの本を読んでいたとしても不思議ではない。

 “人魚姫の洞”踏破に関連付けてその本はもしや、と思う者もいたがごく少数で、周囲には二人の男がリゼルへ本を強要している奇妙な光景にしか見えなかった。


「読め、と言われても」


 その視線の先で、ふいにリゼルが困ったように顎を引いた。

 そのまま真っ直ぐに見つめられ、職員はぐぅっと居心地悪そうに前のめりになっていた体を起こしナハスは無理強いをし過ぎたかと慌てたように差し出していた本を引く。

 しかし、と言いかけた二人は次のリゼルの台詞に開きかけた口を閉じた。


「女性の日記を勝手に読むのは、ちょっと」


 ナハスと職員の視線が本へと落ちた。そして無表情のままリゼルを見て、勢い良く再び本へと戻される。

 直後ギルド中に轟いたのは冒険者達による盛大な変態コールだった。他人の、しかも女性の日記を読ませようと無理強いするなど何というマニアック過ぎる変態行為なのか。事情をしらない冒険者にはそうとしか見えない。

 しかも読ませようという相手がいかにも他人の日記を覗こうなどと下卑た考えを持たないような清廉な空気を纏った男だ、余計にそう見えて仕方が無い。面白半分の変態コールだが半分は本気の非難だ。


「いや、違ぇ、おい聞け! そういうんじゃ無……聞けよテメェら!!」

「帰るぞ」

「あーあー、リーダーがギルドと騎兵団にセクハラされたー」

「いや、違うと分かっているだろ、おい! 見ろ! 当の本人を見ろ! あの笑顔だぞ! こら面白がるな! どうしてお前らはいつもそう……!」


 全く面白がっていないかと言えば嘘だが、女性の日記を読もうとは思えないのは本当だ。

 リゼルは周りに騒がれまともな弁解も出来ない二人をほのほのと微笑みながら眺めていた。







「全くどうしてお前らは何をするにも大人しく始められないんだ」

「大人しくついてってんじゃん」

「今はな」


 ギルドの喧騒を落ち着かせた後、結局読めるのか読めないのか必死に確認された後にリゼル達は予定通り王宮へと連れられた。近くで見る白亜の王宮は大きく、城門を潜ってからもしばらく歩かなければ王宮へは辿りつけない。

 元の世界では常に城に出入りしていたリゼルは特に何も思わないし、ジルやイレヴンに関しては大きい以外の感想は特に無いので堂々としている三人は視線を引く。分かっていたが、と内心で溜息を零しながらナハスはリゼルに頼まれて支障の無い範囲で周りを紹介していた。


「あれが魔鳥の厩舎だ。専門の世話係がついてはいるが基本的に相棒の魔鳥の世話は自分たちでやる、当然だな」

「あそこで魔鳥達の餌が用意される。売り物にならない肉や魚が集められたりもするが、賄えない分は調達部隊が用意するぞ」

「魔鳥の訓練場があそこだ。とはいえ魔鳥は飛んでいる時こそ生き生きとするからな、地面に降りている事などほとんどない」

「窓の外から飛んでいる魔鳥が見えるだろう、あれはわざと騎乗せずに飛ばせて指示に従うよう訓練しているんだ」


 彼はブレない。

 自らの相棒の事では無いからかテンションが上がりに上がる事はないが、しかし入って来る情報が魔鳥関係しかない。これでナハスじゃなければ王宮の情報を秘匿したいからかと思うが、まず間違いなく彼は素で語っている。

 ジルやイレヴンはとっくに興味を失い聞いてもいない。結果、リゼルが一人でナハスの話に付き合って相槌を打っていた。普通に興味がある為に全く苦では無いが、何処か納得は出来ないような気がする。


「今から会う殿下はどういった方なんですか?」


 庭に面するように太い柱が並ぶ廊下を歩きながら、リゼルはふいに問いかけた。

 兄が国王で十二人兄弟の次男という次期国王候補だが、この国に限っては王位継承権で年功序列はあまり意味を持たない。聞く限り学者一筋のようなのでむしろ望んで低くありそうだ。

 ギルドも相当頑張ったのだろうが、それだけで王宮のこれ程奥にまで足を踏み入れられる訳が無い。ナハスが言うには彼の王族が望んだ事だと言うが、それで通るのだから流石開放的なアスタルニア国民だと感心せざるを得ない。


「人となりについては全く分からんな、ずっと書庫におられる」

「良かったな、お前の同類だ」

「俺はちゃんと外に出てました」


 面白そうに目を細めるジルに、心外なと笑いながら言い返す。

 元の世界では“大図書館”の異名を持つ自らの屋敷の書庫でひたすら過ごせればそれは心地良いだろうが、ちゃんとリゼルは働いていた。公爵家当主として宰相として彼はこれでも色々忙しかったのだ。


「外見を知る者などほとんどいないんじゃないか」

「そんな事あんの?」

「それに関しては理由があるんだが……まぁ会えば分かるだろう」


 明るい通路を通りぬけ、角を曲がり、やや日の入りにくい通路にふと存在する短い階段を下りる。階段の先には木製の大きな扉が存在した。

 恐らく此処が書庫なのだろう、本が傷むから日が入らないようにという配慮が見える。階段を下りきると扉の前へと立ったナハスが振り返った。


「武器を預けて貰う」

「げ」

「そんな声を出しても駄目だ。お前たちに関しては鞄ごと預かった方が良さそうだな……目の前でナイフを仕込み直すな!」


 例えリゼル達が無手となろうとナハスに彼らを止める術は無い。そもそも“人魚姫の洞”を踏破出来る実力の持ち主を招くのだから王族側もそれぐらい把握している。

 その上で招かれたのは王族に手を出すような馬鹿な真似はしないと判断されたからだ。アスタルニアを訪れる道中共に過ごした魔鳥騎兵団らなど判断材料はあるし、そもそもそんな可能性のある冒険者をギルド側が紹介する事など無い。


「では開けるぞ、くれぐれも変な真似はしてくれるなよ」


 ナハスの掌が扉へと当てられ、ゆっくりと開いて行く。

 まず視界に入ったのは膨大な量の本と本棚だった。目の前を遮る様に幾重にも不規則に並ぶ本棚は人一人が通れる程度の隙間を開けていくつも静かに佇んでいる。

 ジルとイレヴンは思わずリゼルを見た。心なしか微笑みが輝いている気がする。

 歩き出したナハスへと続き書庫へと足を踏み入れた。ふわりと本の香りが届くのを感じながら、足元に積まれた本を踏まないように足を進める。


「……」

「おい、進め」

 思わず気になる本を見つけて視線を固定してしまい、ジルの掌に後頭部を掴まれて前へと促される。どうやら立ち止まっていたらしい。


「……」

「リーダー、止まんないで」

 何処を探しても見つからなかった気になっていた本の続編を見つけ、思わず伸ばしかけた腕をイレヴンに掴まれた。どうやら気を取られてしまったらしい。


「薄々気付いてはいたが、相当本が好きなんだな」

「それ程じゃないですよ」


 思わずジル達の視線がリゼルへと固定された。一体何を思って否定しているのか。

 今から王族に会うというのに何故本へと意識が飛ぶのかがナハスには心底理解出来ない。それで良いのか。良い筈が無い。

 今更ながらに本当に会わせて良いのか不安になっているナハスの後ろでは、「いっそ気になるのパクッて後でゆっくり読めば」と提案してイレヴンがジルにどつかれている。良いかもしれないと一瞬思ってしまったリゼルは微笑みで完璧にそれを隠した。


「お連れしました」


 本棚と本棚の隙間を歩いていた四人だが、ふと開けた空間に辿りついた。ナハスはそれだけ告げて、リゼル達の後ろへと下がってしまう。

 しかしその空間には誰もいない、乱立する本棚の中でぽかりと丸く空いた空間には本が散乱しており真ん中には奇妙な布の塊があるだけだ。状況から言って導かれる結論は一つしかない。

 リゼルがジルを見た。冷めたような視線を布の塊へと向けながら頷かれる。

 リゼルがイレヴンを見た。訳分からんという顔で布の塊を指差しながら頷かれる。

 やはりか、とリゼルも一つ頷いた。ナハスが言っていた“会えば分かる”と言っていたのはこういう事だったのだろう。


「お目にかかれて光栄です、殿下」


 穏やかな声が静かな書庫で小さく反響した。

 その時、布の塊がごそりと動く。良く良く見ると色鮮やかな刺繍を持つ布が何重にも重ねられているようだった。

 人が振り返るように布がその場で半周回ったのは、まさしく振り返ったからなのだろう。大人一人が床に座っている程度の高さしかなかった布の塊がふいに持ち上がった。

 背が高い、とリゼルは微笑んだまま内心で零す。ジルと同じぐらいはあるだろうか、立ち上がった事でようやく見えた足元は裸足で、アスタルニアの国民ならではの褐色の肌と王族ならではの金の装飾が足首を飾っていた。


「うふ、ふ」


 まるで文字をそのまま読み上げたような、棒読みのそれに一瞬笑い声だと気付かなかった。

 数枚、地面へと伸びる程に長い布を引き摺りながら布の塊が近付いてくる。膝から上は相変わらず布に隠れて見えない。

 布の塊はリゼルのすぐ直前で足を止めた。ジルとイレヴンは微かに警戒を深めながらも動かない。


「読めた、よね」


 途切れ途切れに酷くゆっくりと話す声、低いが甘い声は布ごしだというのに心地良く耳をくすぐった。

 ふいにごそりと布が割れた。隙間から伸ばされたのはやはり褐色の肌を持つ腕で、ゆっくりとリゼルの横を通り過ぎていく。

 すれ違いざまに、シャランと手首に巻きつく金の装飾が音を立てたのを聞いた。直ぐに引かれていくその掌には後ろに立つナハスから受け取った一冊の本が乗せられている。

 布の塊の中へと戻って行く腕を見送り、リゼルはゆるりと目を細めて戯れのように唇を開いた。


「いいえ」

「嘘」


 即座に返され、リゼルは可笑しそうに笑う。


「本当です、女性の日記を読む趣味はありません」


 日記、と零して布の塊がぴたりと動きを止めた。

 パラパラと中でページが捲られる音がする。女性の日記、と告げようが彼にとっては然して躊躇する事では無いようだ。

 しばらくページを捲る音だけが部屋に響き、それがふいに止まったと思いきや感嘆するように深く息が吐かれたのが聞こえた。


「……凄い。教えて、ね、此処は」


 広げた本が再び布の塊から姿を現し、長い指がページの一端を指す。

 比較的大きく開いた隙間からは中に居る人物の首元まで見えた。揺れる金糸に、美しい黄金の髪だなと思いながらリゼルは差し出された本を見下ろす。

 他人の日記を読む趣味は無いものの、古代言語の本がこれしか無いのならば仕方が無い。リゼルは指差された文字とも模様とも見える一部分を読み上げて見せた。


「“――・-”。雨です。ご教授、許可して頂けますか」

「うふ、ふ。あなたは何が、望みか、な」


 布の塊から零れた分かりにくい笑い声に、リゼルはにこりと微笑んで見せた。

 ジルは溜息をつき、イレヴンは引いたようにリゼルの後ろへと若干下がり、ナハスは安堵している。色々な意味でインパクトのある初対面は何とか無事終了したようだった。







 書庫の主は必要無いんじゃと首を傾げていたが、机も椅子も無い書庫は不便だろうと初日は簡単な話し合いだけで終わった。明日までに色々必要なものを準備するとナハスが言っていた為に、今度書庫へと向かった際には机が用意されている事だろう。

 帰路へとつきながらジルは見る人が見れば明らかに機嫌が良さそうなリゼルを見下ろした。


「お前は結局そこだよな」

「何がですか?」

「本」


 リゼルの空間魔法には今、先程までいた書庫の本が多数入れられている。

 話し合いの末にちゃっかり本の貸し出しの許可を貰っていたからだ。古代言語を教えてくれるならば好きにして良いと彼の王族も二つ返事で了承していた。

 “人魚姫の洞”で初めて王族の存在を気にかけた時もむしろ書庫に興味を持っていたようだし、結局の所この状況へと持って行きたかったのかもしれない。確かにアスタルニアならば例え王族と関わろうと大した面倒事には巻き込まれず読書を楽しめるだろう、ギルドを巻き込むことで巻き込まれにくい立ち位置を手に入れているのもある。


「つーか王族って変なの多いんスか。あ、学者か。なら納得っつうか」

「どうでしょう、あちらでも確かに変わった方は多かった気がします」

「こっちとあっちじゃやっぱ違ぇの?」

「国ごとに違うのは当たり前ですしね。特別こちらとあちらの違いとかは無いですよ」


 ふぅん、と呟いてイレヴンはリゼルを見た。だから特に興味が無いのだろうか、彼の王族に興味を持ったのはどうやら学者としてのようだ。

 そもそもリゼルは休暇中だと堂々と宣言しているし王族としての彼に関わる理由など何ひとつとして無いのだろう。

 一人納得したように頷くイレヴンを尻目に、ジルは何やら顔を顰めている。


「あれで年上か……」

「もう三十路行ってんじゃねッスか」

「お幾つなんでしょうね」


 何やら微妙そうなジルに可笑しそうに笑う。


「時間があったらいつでも来てって言われても逆に難しいですよね。あまり時間をかけるのもあれですし、早めに終わらせた方が良いのかも」

「つっても本読み終わるまで延ばすだろうが」

「否定はしません」


 どうやらしばらくは王宮通いとなりそうだとリゼルは髪を耳にかけながら頷いた。

 しかしとりあえず明日は行く事が決まっているものの、それ以降は冒険者活動と並行して行う事となるだろう。連日王宮に通う事はジルによって禁止された。

 何故かと言われれば、もし毎日のように通えばリゼルが借りた本を一晩で読み終え次の日新しい本を借りての繰り返しとなることは想像に難く無いと判断されたからだ。そしてそれはあながち外れてはいないだろうとジルは確信している。


「今日もちゃんと寝ろよ」

「善処します」


 断言しろとジルは溜息をつき、イレヴンはケラケラと笑った。



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― 新着の感想 ―
日本人なら女性の日記を読んでる可能性が高いよね。 更級日記とか、紫式部日記とか、蜻蛉日記とか。
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