84:ちゃんと全員来てる
広大でありながら本で溢れて狭い部屋の中心、そこを避けるように唯一本棚の無い丸いスペースの真ん中で布の塊がもぞりと動いた。
アスタルニア独特の刺繍が施された幅広な布が幾重にも重なり、その中にいる人物を完全に隠している。時折布の中から覗く褐色の肌を持ち金の装飾を身に付けた腕が中に人が入っているのだと知らせていた。
「ほら、やっぱり、攻略してた、ね」
鎧王鮫を港へ持ち込んだパーティの事を知ろうと思えば簡単だった。
恐らく特別な事をせずとも目を引いてしまうパーティであるというのに、今回鎧王鮫の解体終了に際して堂々と港に現れたというのだから目立って仕方が無いだろう。本人達にその意図はなく、至って通常通り行動しているようだと噂でも流れているのだから目立ちたがりではないようだが隠れようとも思ってはいないようだ。
そんな彼らが長きにわたり未踏破が当然であった“人魚姫の洞”を踏破していたと巷では騒ぎになっているらしい。混乱と言うよりはお祭り騒ぎに近いようだが。
「おかげで、情報は入って来るけ、ど」
彼にとっては噂程度の情報で充分だった。
どうせ探ってもあの手の人物らの情報は容易に出て来ない。詳細な個人の情報に興味は無く、あるのは古代言語の読解を為し得ているかどうかの一点のみ。
古代言語を修めていればひたすらに興味を持ち、修めていなければその興味を全て失うだろう彼にとってはその点のみが唯一重要な事であった。だからこそ不可解な事もある。
「踏破を自分から告げたんじゃないのは何故、かな」
ギルド職員が気付いてようやく踏破が知れ渡ったというのだから、全く以って冒険者らしくない。古代言語が理解出来る事自体が冒険者らしく無いのだから。
もしや最深層の仕掛けを他者に協力を頼んだから後ろめたくて、とそこまで考えて小さく首を振る。噂を聞く限りそんな小細工よりは“何となく”と考えていたという方が信憑性がある。
だからこそ読みづらい相手、なのだが。
「多分、獣人じゃなくて、一刀じゃなくて、もう一人」
古代言語を解いたのは、恐らく冒険者らしくない冒険者と噂の男だろう。
知性を感じさせると、本をかなり買っていると、外で読書していると噂されている事から間違いは無いはずだ。本好きならば国屈指の蔵書数を誇るこの書庫に興味がある筈だし、自分が古代言語に通じていると知っている筈なのに接触しようとする動きがまるで無い。
同じ分野を学ぶ者同士会って話してみたいというのに。冒険者にとっては王族と繋がるチャンスだというのに。自意識過剰のつもりはないが、それが普通ではないのだろうか。
「でも、迎えとか出しても拒否されそうな気が、する」
うふふ、という笑い声と共に布の中からページを捲る音がする。
もう少し今の状況を楽しみたい。分からない事を解き明かすのが学者の本分なのだから。
思った通りに動いてはくれない相手に、どうすれば予想の範囲に収まってくれるのかと彼は思考を再開させた。
リゼルは一人、のんびりと街中を歩いていた。
昨日依頼終了の際、ギルドへと戻ったら職員からそれはもう踏破に関して質問攻めにされたからだ。迷宮帰りだしジルも何だかやけに疲れていたしで後日またという事になったので今日改めて向かっている。
本当は次の依頼を受ける時にでもとリゼルは返したのだが、お願いだから翌日来てくれと必死の形相で頼まれたので今日となった。話だけだし依頼を受けるつもりは無いので一人で充分だ。
普段より多い視線を少しも気にせず十分程歩くとギルドが視界に入る。しかしいつもと少し違う様子にリゼルはどうしたのかと思いながら歩み寄った。
「はーい見てってやー! 冒険者なら持っとらなあかん必需品! 格安で売っとるでー!」
ギルドの扉の横に出来た人だかりの真ん中から張りのある若い女性の声が響く。
どうやら冒険者相手に商売をしている商人のようだ。今まで見た事が無い為に恐らく流れの商人なのだろう、仕入れをしながら各地のギルドを回っている商人は少なく無い。
ギルド前に露店を出すにはギルドの許可が必要なので信用商売なのだが、どうやらその信用は勝ち取っているようだとリゼルは人だかりの後ろに立って人々の隙間からなかを覗きこんだ。地面に厚い絨毯を引いて商品を並べ強面の冒険者達相手に引かず商売に精を出しているのは、二つに結んだ金の長髪を揺らした元気そうな少女だった。
日に焼けてはいるものの白い肌にアスタルニア出身では無いのだろうと思いながら眺めていると、ふと前に立っていた冒険者が振り返ってリゼルに気付き驚愕でビクリと肩を揺らした。
「兄さん目ぇ高いなぁ! それ掘り出しモンやで、迷宮品やから滅多に出ぇへん! ん、まけろ? まけるかボケェ!!」
どうぞ、と言わんばかりに横にずれてくれたので一歩前へと出る。
しかしまだ並べられている商品は見えない。順番待ちというよりは冷やかしの多い冒険者だが、リゼル自身もほぼ冷やかし気分なので無理に前に出るのは憚られた。
ギルドでの話が済んでから来れば商品は少なくなるだろうが空いているかもしれない、と踵を返そうとした時だった。目の前にいた冒険者が先程の男と全く同じリアクションと共に前を譲ってくれる。
「あーそれ有ると便利やで! あの有名なSランクパーティ“ジョイアス”も使っとるっちゅう噂や!」
それを後二回程繰り返し、何故かリゼルは前列へと来てしまった。
前にいるのはしゃがんで商品を見ながら商人と購入相談している者のみ、お陰で商品が良く見えるけど良いのだろうかと振り返ると何故かやりきったと言わんばかりに意味も無くハイタッチを交わす冒険者らがいる。本人達が楽しいならば良いか、と思いながら髪を耳にかけて並ぶ商品を見下ろした。
流石に本は無い。冒険者にとって実用性のある道具が所狭しと並んでおり、中には迷宮品だろう物もある。
何故こういった迷宮品が自分には出ないのかと心底真面目に考えていると、ビタ一文たりとも値引き出来なかった冒険者が肩をすくめながら前をどいた。
「おおきにな! ほな次は誰が」
客を見送り、満足げな笑みと共に顔を上げた少女が固まった。
面と向かってみると少女という程に幼くは無いが女性という程に成熟はしていないのが分かる。まだ一人で国から国へと渡れるようには見えないので、流れの商人グループの一人なのだろう。
「こら驚いた。冒険者さん以外が来ることあんま無いねんけど、見て面白いモンではあるかもしれんしどうぞ見てったって下さいー」
少女は組んだ両手を頬に添え、可愛らしく首を傾げながら輝かんばかりの笑みを浮かべた。
明らかにリゼルを興味本位で覗きに来た金持ちだと思っている。金蔓だと考えたのかどうなのか、リゼルは苦笑しながら露店の前にしゃがんだ。
曲げた膝の上に両肘をつき、少女と同じように両手を組んでその上にゆっくりと顎を乗せて見せる。満面の営業スマイルを崩さない相手にニコリと微笑んで、同じようにゆるりと首を傾げた。
「冒険者、なんです」
「……」
びしりと、その完璧な営業スマイルが固まった。
「……嘘やろ」
「本当です」
「あんさんが冒険者っちゅうならウチかて冒険者やわ」
「冒険者です」
「嘘やて!」
信じられないとばかりにダンッと両手を地面へと叩きつけた少女に、何故それ程にと思いながらリゼルはギルドカードを取り出した。それを目にした少女は脱力したように体を起こし、そのまま後ろへどすんと尻もちをつくように座りこむ。
「世界って広いんやなぁ……」
「そうですね」
空を見上げ呟いた相手にリゼルは普通に頷いて同意して見せた。
何だか噛み合って無い気がする、と相変わらず露店を囲んでいた冒険者はその光景を眺める。これも通過儀礼だと商人の少女に思ってしまう程度には彼らもリゼルの存在に大分慣れてきていた。
「まぁえぇ、冒険者っちゅうなら客やな。どんどんウチの店に貢いだってや!」
正直な事だと微笑みながらリゼルはそれならばと並べられた商品を見下ろした。
ロープなどの基本的な必需品から消耗品まで、所狭しと並んだそれは今から依頼を受けようという冒険者が目にすれば“そういえば買っておかなければ”と思ってしまう物ばかりだ。ギルド前では良く売れるだろう、良く考えられている。
しかし見慣れたそれらの横に、リゼルには見覚えの無い道具が多数並べられていた。一体何に使うのか、と思いながら円柱状の何かを指差してみせる。
「これは?」
「そんなん折りたたみハンマーに決まっとるやろ。ゴーレム相手にする度に解体用ハンマーギルドから借りとったら高く付くで! この際マイハンマー持っとったら良いんちゃいますかお客さん!」
「そうですね、確かに持ってないですけど」
成程、素手や剣では出来ないゴーレムの解体はハンマーでするようだ。
何故知らない、という視線を前から後ろから無数に受けながらリゼルは折りたたんであるハンマーの柄を伸ばしたり畳んだりしながら一度頷いた。
「うちにはジルが居るので」
「居るから何やねん!! 何やそいつ人やんな!? 新種のハンマーの名前とちゃうやんな!?」
こんな断られ方した事が無い、何故そこで人名が出てくるのか。
少女は二つに結ばれた金髪を振り乱しながら叫び、息を乱して訳が分からんと思いながらとにかく要らないようだと結論付けた。そしてふと目の前の穏やかな男の後ろを見る。
「何やねん! 何“分からんとか素人やな俺らは分かっとんのに”みたいな顔しとんねん! そのハイタッチ苛っとするから止めぇ!」
「え?」
「あんさんや無いて! 後ろや後ろ!」
リゼルがふっと振り返ると心底真面目な顔で購入するか話し合う冒険者達がいた。
前を向き直ると全てを発散するかのようにダンッと絨毯を叩いている少女がいる。商人として冒険者らに愛されているようで何よりだ、とリゼルはほのほの微笑んだ。
「じゃあ、これは何ですか?」
「はっ、そやった商売中や……あぁそれな、これまた珍しい迷宮品やねん。暗視メガネっちゅうて真っ暗闇でも先が見える超高性能な迷宮品やで」
「真っ暗闇というと」
「まぁ月の無い夜程度なら余裕やな、ウチ試したもん」
かなり高性能な部類に入る迷宮品だろう。
実際これを欲しがる者は多そうだ。迷宮内でも暗闇の中を進まなければいけない状況に度々出会う。
しかし売れずに残っているのはその値段からか、ジャッジがいない為に正式な値段が幾らかは分からないが性能相応に高価らしく値札のケタも他の商品と比べると格段に多い。だからこそ金を持っていそうなリゼルに売りつけたいのだろう、少女は積極的に商品アピールを続けている。
しかし形は普通の眼鏡なのだから、かけてもレンズ部分以外は変わらず闇なのではないかと思いながら眼鏡のツルを持つ。思ったより軽い。
「でもうちにはイレヴンが居ますし」
「だから誰やねんて!!」
バシバシと絨毯を叩く掌に、これで何も買わずに去ろうとすれば怒られそうだなんて思う。
しかし消耗品は余り消耗されないリゼル達だし、必需品はアスタルニアを訪れる前にジャッジによって万全に準備されたので今の所不足は無い。
ハンマーを買ってみて今後解体を手伝ってみようか、いやジルが蹴り壊した方が早い。暗視メガネを買ってみようか、イレヴンが拗ねそうだなどと思いながら何か必要なものが無いかと探していた時だった。
バンッと勢い良くギルドの扉が開く。現れたのは筋骨隆々ないつものギルド職員だ。
「どうやら来たみてぇだと緊迫感を持って待ってる身にもなれ! “人魚姫の洞”の踏破証明なんて重要な用事の前に何で店を覗いてんだよ!」
若干涙目だった。
何もそこまで、とは思うものの待たせてしまっていたのなら申し訳ないとリゼルは苦笑しながら謝罪する。時間の指定は無かった筈だがと疑問に思っているリゼルだが職員が言いたいのは決して其処ではない。
どうやらゆっくりと選んでいる時間は無さそうだ、とリゼルは立ち上がった。少女が真っ直ぐに此方を見上げてポカンと口を開けているのが分かる。
「……お前かい!!」
「え?」
「今めっちゃ話題になっとる冒険者やん! 何で黙っとったんや!」
結局怒られてしまった。
わざわざ告げる事でも無いだろう、何故だと不思議そうなリゼルに少女はガサガサと商品を漁って一つの小さな布袋を取り出した。にんまりと笑い、ポイッとそれを投げて寄越す。
受け取って掌に乗せてみると、袋の中には何かの小さな粒が詰まっているようだった。断って中を覗きこむと果実を干したような小さな種が幾つか入っている。
「これは?」
「非常食で有名な木の実や、一粒で一食分の栄養とカロリー持っとる。冒険者の味方でダイエットの敵やな!」
「買うほど食事には困ったことが無いんですが」
「何やねん、迷宮じゃ食事に困るモンやろ普通。まぁ良ぇ、迷宮踏破記念や持ってき!!」
ニッと得意げな笑みを向けられ、それならば遠慮なくと微笑んでリゼルはポーチへと仕舞った。今度の読書週間にでもあれば便利だろう、食事の為の時間を丸っと読書に当てられる。
そんなジルが聞いたら呆れそうな事を考えながら、礼を言ってリゼルは職員が仁王立ちするギルドの扉へと向かう。通されるままに扉を潜る直前、見たのは金髪を輝かせてニンマリと笑う少女の姿だった。
「はいはい見てってや! 今話題の踏破不可能迷宮“人魚姫の洞”を踏破しおったパーティも持っとる非常食! 今なら何と五袋で一割引きしたるで野郎共!!」
何とも逞しい事だ、と自らを客引きに利用する商人へとリゼルは可笑しそうに笑い心の中で拍手を送った。
王都のギルドは石造りで、応接室ともなれば大理石もかくやという高級感溢れる部屋も存在した。リゼルがレイと初めて顔を合わせた時に通された部屋がそうだ。
そして今、アスタルニア冒険者ギルドの応接室へと案内されている。
ギルド自体が木造なのでこの部屋も例に漏れないが、しかし木造特有の素朴感の無い重厚な部屋だった。壁に飾られるアスタルニア刺繍の一枚布は美しく、ソファやテーブルも部屋から全く浮く事は無い。
靴が沈む程の絨毯を踏みしめ、示されるままにソファへと腰かける。固めだが座り心地は悪くは無かった。
「部屋まで用意して貰って、何だか悪いですね」
「仕方無ぇだろ、あんな場所じゃ落ち着いて話も出来ねぇからな」
時間的に決して冒険者が多く無い時間帯とはいえ、ギルドから完全に冒険者の姿が消える事は無い。そんな中でギルドが今アスタルニア冒険者の中で最も注目されているパーティの噂を確認しようなどとなれば、周りが盛り上がってしまうのも仕方が無い。
実際職員がリゼルのギルドカードの踏破記録を確認している時など、見せろ見せろと何とか覗きこもうとする冒険者で溢れた。他人のギルドカードを覗き見るなど良い真似では無いので職員に蹴散らされていたが。
あんな状態ではいつかレイラが使っていた消音器も使えない、とリゼル達は部屋へと移動した。
「確認はとれたと思いますけど、それ以上に何の話をしたら良いですか?」
本来ならばギルドから冒険者に干渉出来るのは各種確認のみ。
手に入れた迷宮内部の新しい情報をギルドに渡すのは任意であって義務では無い。でなければジルはもっと頻繁にギルドを訪れなければいけない事になっているだろう。
それが分かっているからこそリゼルは会話の主導権を握れる。とはいえ握った所で何かしようなどとは思っていないのだが。職業病だ。
「踏破を疑っている、という段階は過ぎたと思うんですけど」
「そりゃ当然だ、疑っちゃいねぇ!」
変な誤解をされては堪らない、と慌てて否定する職員にリゼルは微笑む事で了承を返した。
ギルドカードに嘘は無い。それを何より分かっているのはギルド職員なのだから。
職員は脱力するように長い息を吐き、おもむろに腕を組んで何処か言いにくそうに視線を逸らした。それは後ろめたいというよりは、どうしたら良いのか分からないという態度に近い。
「……だが、俺らアスタルニア国民にしてみりゃ“人魚姫の洞”が未踏破なのは常識でな。当たり前過ぎたから信じがたいっつうのはあるかもしれん」
「そうですね、分からないでもないです」
そう言って出された茶を飲む穏やかな男を職員は正面から見た。
今でも冒険者というのが信じ難く、魔物相手に大立ち回りが出来るとは信じられない。しかし頭が回るのだろうと容易に想像は付くものの、小賢しく口の立つ人物とも全く思えない。
ならば真実だと確信してはいるが、納得し難いのは実現不可能な夢物語を実現されてしまった心地に近いだろうか。歓喜しながらも頭の理解が追いつかない。
「なら、俺が何を言おうと貴方自身が納得出来なきゃ意味は無いと思いますが」
「あぁ、いや、そうじゃ無ぇんだ」
職員は巨体をそわそわと揺らしながら視線をあちこちへと落ち着かない様子で泳がせる。
そうじゃない。信じられるられないは別で、ある意味そんな事はどうでも良かった。
聞きたい事も、聞きたい理由も、堅苦しい職員の義務感などでは決して無い。聞きたい事が聞ければギルドにとっても有益だからなんて理由は真の理由などでは無い。
「ありゃ正真正銘未踏破の迷宮で、最深層の扉の向こうの景色を知ってんのは何日か前まで誰もいやしなかった。今でも三人しか知らねぇ場所の事を聞きてぇって思っちまっただけだ」
職員としては失格だが、とスキンヘッドを撫でながら何とも言えない顔をしている職員にリゼルは正直なことだとゆるりと微笑んだ。ギルドとして未確認の迷宮について確認を取りたいと尤もな理由を上げる事も出来た筈だが、それを良しとしないのは彼が“人魚姫の洞”に思い入れのある生粋のアスタルニア冒険者ギルド職員だからなのだろう。
「情報提供料、出ます?」
「お、おう」
迷宮に関する情報提供料は基本報酬から情報の詳細度によってプラスされる方式だ。
新規ボスの情報なら基本報酬で金貨一枚、そして攻撃方法や使用武器、使用魔法、行動形式を事細かく報告する事で頑張れば金貨三枚程度まで金額を伸ばす事が出来る。これも冒険者の貴重な収入源だが、目新しい情報などなかなか見つからないので情報提供だけで稼ごうと思うと辛い。
リゼルの言葉に話して貰えるようだと悟ったのだろう、金には困って無さそうだが何故だと思いながら職員は早速とばかりに用紙を取り出した。
「じゃあボスから。姿は皆さんが想像するような美しい人魚姫でして」
「おぉ!」
「水中エレメントがそれを形作ってました」
「おぉ……」
最初から若干テンションが下降気味になる情報を晒されたが、情報提供は滞りなく進んで行った。要点を掴んだ詳細な説明は分かりやすく、ニュアンスと勢いで話しがちな冒険者を日々相手にしている職員はそれはもう感動している。
「魔物図鑑に簡単な魔物の絵が載ってんだろ、良けりゃ分かりやすく描いてみて欲しいんだが」
「そういうの、得意じゃないんですけど」
うーん、とリゼルは机の上で寄せられた用紙を見下ろした。
絵画の良し悪しは分かるものの自分が描くとなると話は別だ。描いてみても良いが果たして出来上がった絵で魔物の説明が分かりやすくなるかと言われれば全く以ってならないと断言出来る。
意外とジルは上手い気がするし、イレヴンも器用に描き上げそうな気がするので二人に頼んでみようか。いやリーダーとして自分も力を尽くすべきだろうとリゼルはペンを受け取り数分の間用紙に向かってカリカリとペンを走らせる。
出来た、と満足げに頷いて職員に向かってパッと用紙を掲げて見せた。
「こんな感じです」
「…………お、おぉ」
いまいちだったようだ。
「ま、まぁお前の説明は分かりやすいし説明すりゃ絵師が描き起こしてくれんだろ。それから素材についてだが」
しかも無かったことにされた。
そんなに酷いだろうか、とリゼルは自分が描いた絵をまじまじと見下ろす。結構酷い。でもそこまででも無いような気もする。
まぁ良いかと頷いて必要ないので資料にでもと職員に描いた絵を渡したら、心底複雑そうな顔をされたものの流して押しつける。
「素材は三種類ですね。鱗数十枚と、エレメント核二つと、人用のサイズに小さくなった槍でした」
「現物はあるか? 一応素材引き取り金額も決めておきてぇんだが」
「鑑定、出来るんですか?」
「安いか高ぇか凄ぇ高ぇぐらいしか分かんねぇけどな」
リゼルは鱗とエレメント核を一つずつ取り出して机へと並べた。
ちなみに槍は一本しか無かったのでジルが持っている。使える人間がジルしかいないからだ。
鱗は三人で等分し、そしてエレメント核をひとつずつリゼルとイレヴンで分けた。これで等分だと三者共に納得している辺り周りから見れば良く分からない光景だろう。
職員は並べられた素材をしばらくじっと眺めていたが、難しい顔をして唸った後に匙を投げるように上を向いてしまった。検分は終わったのだろうとリゼルも素材を片付ける。
「凄ぇ素材だっつうのは分かるが、どれぐらい凄ぇかは分からねぇ。もし鑑定屋に見せる機会がありゃ結果を教えてくれると嬉しい」
「分かりました」
売る為に持っている訳ではないので鑑定するかは分からないが、機会があればとリゼルは頷いた。職員もそれで良いのか礼を言っている。
「それで、肝心の扉の解錠方法なんだが」
冒険者の迷宮踏破を阻んだ最大の要因、最深層にそびえる巨大で荘厳な扉をどう開いたのかと職員の瞳が真剣味を増す。表面に刻まれた不可思議な紋様、それを解き明かせる者が今まで現れなかったというのに一度目の迷宮探索でそれを成し遂げる事が出来たのは何故か。
一度は王族も介入しただけに、その方法はある意味ボスより重要な事であった。ついにそれが明かされるのかと急かされるように問い質そうと開いた口は、しかしリゼル本人によって阻まれる。
「先に一つだけ質問、良いですか?」
「あ? お、おう」
「扉の紋様って、入るパーティによって変わったりするんでしょうか」
迷宮での仕掛けというのは時と場合によって多種多様に変化する。
どのパーティが入ろうと決まったパターンを持つ事もあれば、同じパーティでも入る度に変わるものもある。そして大体一度のチャレンジでは無理だという攻略上必須の仕掛けに関しては迷宮を一度出てもリセットされる事が無く、恐らく件の最深層の扉もその部類に入るだろう。
後は全てのパーティに共通しているか、パーティごとに固定されているか。全てを理解するリゼルから言わせてみれば扉を開ける為の質問と回答は全てのパーティで同じかそうでないか。
職員はざりざりと顎鬚を親指の腹で撫でながら唸る。
「つっても最深層まで着けるパーティ自体が少ねぇし、水中だから満足にメモも取れねぇしな……まぁ魔法陣使って出たり入ったりしながら紋様書き写した奴らもいるっちゃいるが。それだけ見りゃ全く同じって訳じゃねぇ」
恐らく書き写されたそれを利用して、様々な者が解読に挑戦したのだろう。
リゼルは何かを考えるように顎に手を当て、ちらりと職員に視線を向ける。
「そのメモ、まだ有りますか?」
「あぁ、情報提供としてギルドで買い取ったからな」
職員が一度部屋を出て、そして木枠とガラスに嵌められた何枚かの用紙を手に戻って来る。
恐らく数年おきに最深層まで辿りつきメモを残すパーティが現れたのだろう、古い物は随分と色あせていた。机の上に慎重に並べられたそれらをリゼルは見下ろす。
髪を耳にかけながら見比べると、やはり全く同じと言う訳ではない。しかし同じパーティが何度入ろうと同じ紋様だったというのだから問いはパーティごとに固定なのだろう。
それらを眺めておもむろに頷き、リゼルはふいっと顔を上げた。
「俺も書いた方が良いですか?」
「いや、絵はもう充分だ」
「じゃなくて。この紋様の方です」
つっと指差して見せると職員は机に並べられた紋様とリゼルを見比べていた。
紋様は見た事も無い図形か文字かも分からない形をしていて、覚えようと思って覚えていられるものではない。まさかと思いながら用紙を渡すと、リゼルは並べられた木枠を見もせずに一瞬のためらいも無くペンを滑らせ始めた。
みるみる内に描き上がる紋様、並べられたものと同じ様式で描かれるそれは法則を知っていなければ描けないだろう手順で描かれていく。やはり解き明かしたのだ、と職員はこの時ようやく理解した。
「情報提供料、アップですね」
静かにペンを置いたリゼルが、折っていた背を伸ばして完成された用紙を確認するように見下ろした。そして他のものと並べるように置かれる。
それは適当に描かれたものとは全く思えない、確かな信憑性を含んだ紋様だった。
「本当に解けたんだな……じゃあこいつさえクリアしちまえば迷宮を踏破出来るパーティが他にもいるかもしれねぇって事か!」
「どうでしょう、俺がとった方法をそのまま真似ても扉は開かないので」
苦笑するリゼルに、どういう事だと職員は眉を寄せる。
筋骨隆々な巨躯と相まって異常な程の迫力が増すが、リゼルは変わらず微笑んだまま茶を手に取って一口飲んだ。相変わらずアスタルニアの茶は苦味があって美味しい。
「紋様は問い、答えを返さなきゃいけないけど問いはパーティによって違います」
「答え? 要は暗号だろ、解き方さえ教えて貰えりゃ問題無ぇんじゃないか」
「答えも問いの形式に合わせなきゃいけないので。必要なのは理解ですよ」
でも、とリゼルは言葉を切ってゆるりと微笑んだ。
「俺、二度手間って好きじゃないんです」
解き方を教える、それが二度手間だというのだろうか。
職員は目の前の男が一体何を考えているのか全く分からなかった。ただ穏やかでほのぼのとしていると思っていた男が、全く掴み所の無い人間であると思い知る。
細められた優しい瞳の中に高貴な色が見え隠れしているようで、何故か目が離せなかった。
「それに、説明するにも多少理解がある人に対してじゃないと厳しいです」
「あ?」
「この紋様に理解がある人も、二度手間になりそうな人も、ちょうど同一人物だから丁度良いですよね」
職員は何の事だと必死に考えていたが、ふと一人の人物に行きあたって愕然とした。
紋様に理解がある。という事は過去この仕掛けを解こうとして一番真相に近付いた者だろう、数ある推測の中では一番理に適った提案を出した人物は誰だったか。
そして目の前の穏やかな人物が二度手間だというのはおかしい。別に此処で話した後も頼まれようと何だろうと無視すれば良いだろうに、まるで説明を断っては面倒な事になりそうな人物が相手だと言わんばかりだ。
職員の頭に浮かんだのはただ一人。かの仕掛けの紋様を楽譜だと証明して見せた、この国の王族である一人の人物。
「おま、まさか」
「誤解されてそうなので言いますけど、ツテが欲しいって事じゃないんです」
あまりに平然とそう言いきったリゼルに、職員は拍子抜けしたように浮かしかけた腰を下ろした。リゼルはほのほのと微笑みながら半分程飲んだ茶を机へと戻す。
「もし知りたいのなら、そちらで準備をお願いしますってだけなので」
それが何を示すか、あくまでギルドがかの王族とリゼルら両者の協力を仰ぐ形になるという事だ。
本当に二度手間を避けたいだけなのか、それとも王族と知り合いたいのか、知り合いたいと思っていながら会うための面倒は全て省きたいのか。説明をするなら楽な相手が良いのか、説明をする気が無いのか。リゼルからは権力者と繋がりを持ちたいという気が少しも窺えないので余計に分からない。
ギルドとしては何を惜しんでも知りたい情報であるが、まさか容易に決められる問題では無い。
「悩ませてしまいましたね」
「そりゃ当たり前だろうが……!」
「俺はどちらでも良いので、何か決まったら教えて下さい」
軽くそう言って、にこりと笑ったリゼルに職員は盛大に脱力した。
彼にとっては全く以って軽い問題では無いのだ。それ程に“人魚姫の洞”の最深層を開き第二第三の踏破パーティを出すことは重要で、そして其処に王族が関わって来るならアスタルニアギルド全体の問題となるのだから。
「お話しできる事はもう無さそうなので失礼します」
「え、は、おう、いや待て」
立ち上がったリゼルに、思わず呼び止めたものの確かに迷宮について聞くべき事は全て聞いてしまった。
しかし此のまま帰らせて良いのだろうか。何とか呼び止めようとした言葉は続かず、最終的に何も言えなくなった職員にリゼルは微笑んで部屋から出る。
残された職員は数秒固まっていたが、直ぐにバッと立ちあがりギルド長に相談だと冒険者を恐怖させる物凄い勢いのタックルで扉をぶち破り、ギルドの奥へと走り去って行った。
遅くなってしまった、とリゼルは夜の街中をいつも通りの歩調で歩いていた。
ギルドから出た後、商人の少女と話したり書店を回ったり偶然世話になった漁師と会って夕食に誘われたりしていた為にすっかり日が暮れてしまっている。王都の夜より暗いな、と内心で零しながら人通りの少ない通りを進む。
光を零す窓の向こう側から賑やかな声は聞こえるものの、一枚の壁を隔てた空間は別世界のように静かだ。通りによってはすれ違う相手の顔すらぎりぎりまで近付かないと見えない。
今なら気配とか感じられる気がする。そう思ったリゼルは直後路地裏から出てきた人物とぶつかりそうになって即座に意見を撤回した。
「ッ何処見てんだテメェ!」
「すみません、お怪我は?」
「お、おぉ……無ぇけど……」
予想外のリアクションが返ってきて思わず出てきた男はたじろいだ。
酒が入っているのだろう、赤い顔をした男は格好からして港で働いている男のようだ。日々荷物の積み下ろしをする体は逞しく、リゼルを無遠慮に見下ろして唇をゆがめる。
「おい兄ちゃん、ちょい相談があるんだけどよ。飲み足りねぇのに金が無ぇんだよなぁ」
「なら今日は我慢して明日、働いて手に入れたお金で飲むお酒がきっと美味しく感じるでしょうね」
微笑まれ、それじゃあと平静な足取りで去られ男は一瞬固まる。
なんというか酷く納得してしまった。既に明日がちょっと楽しみでさえある。
しかしそれで良いのか。優男にそう簡単に言いくるめられて良いのか。あれ駄目なのか。いや駄目だろ。自問自答し過ぎて良く分からなくなっている。
思考は一周ぐるりと回り、結局最初に戻ってしまったのが彼にとっては不幸だったのだろう。
「ッおい待てテメェ! 舐めた真似し」
「あんまその人に絡むと消すけど」
ふいに後ろから聞こえた声、そして後ろから口を塞がれ首元で金属同士がぶつかり合うキンッという甲高い音がした。
恐る恐る視線だけで下を見下ろすと首に巻き付けたドッグタグにナイフの先端が正確に押しつけられている。少しでも動けば喉を掻き切られてもおかしくは無い。
ぴたりと動きを止めた男に去ろうとしていたリゼルが振り返り、そして男の後ろにいる人物にゆるりと目を細めて微笑む。瞳を隠す程に長い前髪には見覚えがあった。
「お久しぶりです、今日着いたんですか?」
「や、ちょい前には来てました。遊んでたんで」
「それは良かった」
自らを挟んで至って普通に行われる会話に男は戦慄した。
暗い通りでは満足に互いの顔も見えない。相手が誰かなど分からないがようやく手を出してはいけない人物に手を出してしまったのだと気付いた。
痛い程の力で口を塞がれ、ナイフは一ミリもずれず徐々にドッグタグに穴を開けていく。助けを求める事も出来ない男が微かに震えているのに気付いたのは押さえつけている盗賊であった精鋭一人だけだが、それが彼に何かを思わせる事は無かった。
「離してあげて下さい。君も、冒険者に喧嘩を売っちゃ駄目ですよ」
しかしふと夜に落ちた穏やかな声に、押さえられていた掌とナイフが外れる。
思わず座りこんだ男に、リゼルは酔っ払っていきがった若者でしかないのにやり過ぎだと苦笑した。しかし助け起こそうとはせず、何処かへ去ろうとする精鋭を手招きで呼びつける。
精鋭はぴたりと動きを止め、諦めたようにリゼルの元へと歩いた。座りこんだ男を邪魔そうに蹴りつけてどかし、見えない瞳に何も映さないままにただ見下ろす。
それだけでゾクリと背筋を震わせた男に唇を歪めるように笑みを浮かべ、歩き出したリゼルの後へと続いた。
「イレヴンには会ったんですか?」
「や、まだです」
「それって良いんでしょうか」
話しながら去って行く二人の後ろ姿を冒険者だったのかと男は茫然と見送った。
本当に冒険者なのかと、両者に対して説明しえない奇妙な違和感に疑問を感じながら。
商人ちゃんの言葉は適当です。何となくのニュアンスで読んで流して下さい。




