閑話:彼の消えた王都での出来事
リゼルがいなくなったパルテダでの話。
読まなくても本編に支障はありません。
それはリゼルが初めて商業国を訪れた時のこと。
冒険者の間で“貴族のような冒険者がいる”という噂が流れ始めていた所為か、リゼルは自分の偽物を見た。自分の、といっても相手がリゼル本人を知っている訳では無いので噂を利用し貴族の振りをして横暴の限りを尽くそうという冒険者なだけだったが。
噂といえど人から人へと渡る内に大袈裟になったそれは、最終的には“貴族が身分を笠に着て冒険者をしている”とまで言われていた。
根も葉もない噂にしては“貴族のような冒険者”を実際に見た事がある者は多く、そして実際に見た事がある者の口から「あれで貴族じゃない方がビックリなんですけど」と語られれば噂の信憑性も増す。偽物が好き放題しようと思えば出来てしまう程度には。
それを目撃したリゼルはといえば、そんな偽物を笑って見ていただけだった。彼は自分に実害が無ければ放っておく。
ちなみに初対面でリゼルが噂の冒険者だと見抜く者はいない。装備を身につけギルドの中に立っていてようやく周囲はこいつの事かと半信半疑に思うのみだ。
何故かと言われれば貴族っぽいを通り越してマジモンの貴族にしか見えないので、例え噂を知っていようとリゼルを冒険者と結びつける者が余りにも少ないからに他ならない。
だからこそ今までは成功していた。何も知らぬ相手に行けると思えば偽の権力を翳し、貴族扱いされて良い気分を味わえた。
味を占めて次なる目的地へ足を踏み入れた彼らは知らない。自分達が今まで幸運だったのはリゼルの事を、リゼルが冒険者だと知らない者ばかりに囲まれていたからだという事を。
訪れた王都という場所で“一般人は冒険者を余り知らない”という常識が覆される事を、彼らはまだ知らない。
ジャッジは何処か呆っとしながら店の掃除をしていた。
リゼルが王都を発って何日経っただろうか。いや忘れようも無く覚えているが。
ただ得意客がいなくなるのとは訳が違う寂しさに、自然と普段から猫背気味の背が肩を落として余計に丸まる。
ジャッジ君、と名前を呼ぶ穏やかで微かに甘い声が聞こえれば良いのに。静かに扉を開けて、此方を見つけて、ゆるりと目を細めながら微笑んで名を呼んで欲しい。
行かないでと言わなかった自分が正しいとは思いつつも、やっぱり言ってしまえば良かったと握りしめた箒に顎を乗せてふぅ、と彼の人が居なくなってから数えきれなくなる程に零した溜息をつく。
「失礼する」
「あ、はい」
ふいに訪れた来客に、ジャッジは急いで箒を壁へと立てかけた。
見た事が無い三人組の客だ。恰好からして冒険者だろうが、一番前に立つ一人の男の恰好がやけに変わっている。
基本的に素材の持ち込みにより製作される冒険者装備は、冒険者の希望を組みこんだデザインになる為に個性的なものが多い。しかし実用性を欠くという事は死を意味するのでデザイン重視で軽装備などは滅多にない筈だが、男は華美でわざとらしく高貴を醸し出した装備を身につけている。
変わった人だと首を傾げるジャッジの横で、来客者から見て棚に隠れた位置の箒がすっと壁に吸い込まれるように同化したが誰にも見られる事は無かった。
「此処に中心街にも無い空間魔法付きの鞄が売られていると聞いたのだが?」
「はい、今は此方にある三点がそうで……」
「本物だろうな。貴様みたいな若い店主がまさかそんな希少品を手に入れられるとは思えないが」
「いえ……本物です」
何でこの人こんな偉そうなんだろう。不思議そうに首を傾げながらジャッジは空間魔法付きの鞄を机に並べた。
今あるのはトランク型が一つとポーチ型が二つのみ、全体の流通量を思えば高級店でもない店に三つも揃っているというのは異常だ。とはいえ値段は相応に高いが。
「(リゼルさんが来た時は財布型もあったなぁ……ポーチがあればいらないんじゃないかなって思ったけど、今思うとポーチから直接お金を出すのってリゼルさんには合わないかも。ちゃんと財布から、あの優しい手付きでお金出すのが品があって似合う気がする)」
ふにゃふにゃと崩れそうになる笑みを仕事中だと引きしめて、ジャッジはチラリと客達を見た。彼らは何処か高揚したような目でそれらを見下ろし、笑みを浮かべて互いに頷き合う。
何だか嫌な笑みを浮かべるなぁとそれを眺めていると、華美な男が一つ咳払いをした。
改めて見てみると若い男で、撫でつけられた髪が何とも冒険者らしくない。
「ならばこれを全て貰おう」
「あ、はい、お買い上げ有難うございます。えっと、じゃあお会計が金貨で」
「会計だと?」
不愉快だと言わんばかりの目で見られ、ジャッジはびくりと小さく肩を揺らした。
何か怒らせるような事をしただろうか。どうしよう、と不安になりながらも相手の様子を窺う。
「貴様、貴族に対してそのような言い方をするのか!」
「えっと、貴族様に対してはご依頼のあった商品を送らせて頂いて、後日に使いの方から代金を頂く事が多いかと……」
「お、おぉ……この店に貴族が来るのか」
「え? いえ、時たまですが中心街の店から“この商品を仕入れられないか”という問い合わせがあるというだけで、直接いらっしゃる事は無いんですが」
何故か口元を引き攣らせる相手に、ジャッジは何故ここで貴族という単語が出てくるのかと首を傾げる。何だか自分が貴族だとでも言いたげな口調だ。
しかしジャッジの優れた観察眼は彼を他と変わらない冒険者と判断した。比べたくも無いが、其処にいるだけで高貴なリゼルとは比べ物にもならない。
其処でふと以前リゼルから聞いた話を思い出す。確か商業国からの帰り道で、リゼルがほのほの笑いながら話してくれた事があった。
『そういえば、貴族っぽい冒険者がいるって噂があるみたいです』
『えっと、聞いた事があります。……リゼルさんのこと、ですよね』
『俺は普通に冒険者やってるので不本意ですけど。そう、その噂を利用して好き放題やってる冒険者をマルケイドで見たんです』
面白かったと話すリゼルに、笑って済ませて良いのかと半泣きになった覚えがある。
だってそうだろう。その冒険者が好き放題やれば噂の元ネタであるリゼルの評判に傷がつくという事ではないのか。
リゼルは全く気にしていないが自分は嫌だ。少しでもその存在を貶める者がいる事が嫌だし、誰が流したのか分からないような噂でも利用されるのが嫌だし、その程度の人間が想像上とはいえリゼルと立場を等しくしようとしているのも嫌だった。
ぎゅっと眉を寄せた自分に気付いたのか、優しく背中を叩かれたのを覚えている。
「(この人たちが、そうだったら)」
どうしよう、とジャッジはさり気なく少しだけ後ずさりした。
スタッドが居れば良いのにと思うが、生憎彼は相変わらず淡々とした仕事生活を送っている。今も至って普通にギルドの受付に座って淡々と業務を片付けているだろう。
いやでも、と内心で否定する。まだそうと決まったわけじゃない。
とても空間魔法を買えるような財力を持っているようには見えないが人は見かけに依らないし、偉そうなのも生まれつきかもしれないし、貴族とかぽろっと言っちゃったのも偶然かもしれない。
ちなみに本当に貴族かもという選択肢は端からない。何故当初からジャッジがその選択肢を除外しているかと言えば。
「先程から私に対する態度が大きいと思わないのか無礼者! 貴族の冒険者がいるという噂を聞いた事ぐらいあるだろう、それが私だ」
見下すような笑みを男が浮かべた瞬間、ジャッジが絶望と共にじわりと涙を浮かべた。
「うわぁぁん! もっと穏やかで品が良くて高貴で茶目っ気があって時々変なことしてでもそれが全然似合ってて仕方無いなぁって思えて気配り出来て近寄りがたいけど近付いてみたくて仕草が綺麗で声が頭ふわふわさせて優しく微笑んで目で褒めてくれて高価な物もさり気なく似合って雰囲気が清廉な人なら偽物でもギリギリ許せないでも無かったかもしれないのに!」
仕立てが良いように見えて安物の生地。身に付けた煌びやかな装飾品は全て偽物。
見栄っ張りな人だとのんびり思っていたが、リゼルの偽物だと言うのならば容赦なくクオリティを上げろと言いたくなる。これは酷い。
ジャッジが声を上げた瞬間、バタンッと店の扉が開いた。直後、突然の涙交じりの声に唖然としていた男達がどうやってか分からないままに店の外へと弾き出された。
そして直ぐにバタンと勢い良く閉められる扉。店内に残されたのは久々に背筋を伸ばしてぐしぐしと涙を拭っているジャッジのみ。
「……あ、でも、リゼルさんが着れば凄く本物みたいに見えるんだろうなぁ」
着せる訳がないけど、と付け足しながらジャッジはふにゃふにゃと幸せそうに笑った。
メディは低い声で唸りながら机に向かって何やら必死にペンを走らせていた。
机の上に乗せられた用紙に書かれているのは、ある計算式だ。砕いた魔石の粉末量を出す計算は回復薬一本につき一回必要となる為に楽が出来ない。
机の片隅に乗せられた自らには必要の無い眼鏡をちらりと見て、勝ち気な顔の美女はふぅと憂う様に溜息をついた。
「あー……目の前に眼鏡かけたインテリさんがいりゃどんだけでも捗んだけどな」
「ふむ、なら小生がかけてあげよう」
「あんたが男ならそこそこ好みだぜ」
そう言いきるメディに、目の前で演算を手伝ってくれている魔物研究家でもある友人は可笑しそうに笑いながら伊達眼鏡を戯れのようにかけてみせた。
長身痩躯の中性的な容姿に顔の右半分を覆う鳥の獣人特有の羽毛のような髪、研究家の名に相応しく専門分野に特化しているものの知識量の多い彼女にメディは度々演算を手伝って貰う事がある。対価として雑用は押し付けられるが。
二人で机越しに向き合い、思い出すのは今はこの国にいない一人。久々に会った際に話題に出た彼に、まさか互いに依頼で世話になっていたとは思わなかった。
「けどあの清廉さが足りねぇんだよ! あのアタシの手で汚してやりてぇ空気がまた良い。吸えば寿命が三年延びる気がする」
あの人の泣き方絶対あざとい。意識してない癖に絶対あざとい泣かせたい。
そう力説するメディに研究家は成程と考察に入った。イメージとしては絶対に限界まで泣かないイメージがあり、大声を上げて泣くようにも思えない。
ならば耐えきれず涙が零れてから数拍後にようやくくしゃりと表情を動かし、心から悲しいと訴えるような雰囲気と共に揺れる瞳で相手を見つめそうだ。何と言うか、見た人間に罪悪感を抱かせた上に“自分が何とかしてやらなければ”と思わせるような、そんな泣き方。
「……ふむ、あざとい」
「だっろ!」
本人がいれば割と必死に否定するだろうが、いないのだから仕方ない。
片や必死に、片や平常通り頭を働かせながら話題を広げていく。もはやリゼルは絶好の盛り上がりの種でしかなかった。
「小生はどちらかと言えば共にいる黒い冒険者が好みだな。どんな魔物も捕まえられそうだ」
「あんたは本当にそればっかだな」
「体を手に入れる事しか考えない君よりマシだと思うけれどね」
ふいに二人が机へと向けていた顔を上げ、視線を交差させる。
「そこが一番大事だろうが馬鹿野郎!」
「魔物より優先する事があるとでも言うのか!」
「黙って作業しねぇか小娘共ォ!!」
バンッと机を叩きながら立ち上がった二人に、工房の奥からビリビリと空気を震わせるような太い怒声が響いた。黙って座り直す。
そろそろ魔石砕きの依頼を出すか。そういえば魔物の素材が市場に出たらしい。と取り敢えず話題を変えながらそこそこ和気藹藹と作業に勤しんでいた時だった。
ふいに工房の扉が前触れも無く開かれる。ちょうど扉方向を向いて作業していたメディは、訝しげに片眉を上げながら予定の無い来訪者へと声をかけた。
「冒険者か? ウチぁ回復薬の販売はしてねぇぜ」
やけに気取った格好をした冒険者が、やけに気取った仕草で肩をすくめた。
見下すような視線を鼻で笑いながらメディは手に持ってたペンをぽいっと放る。カタンッと机の上で跳ねたそれを見下ろした研究家が、興味無さそうにちらりと肩越しに来訪者を見て何事も無かったかのように計算へと戻った。
「この工房の回復薬はそれなりに評判が良いと聞く。私に選ばれた事を光栄に思え」
「だからしてねぇっつってんじゃねぇか耳付いてんのかクソ野郎」
「私を誰だか分かっているのか?」
いかにも自分には逆らうなと言いたげな口調は何なのか。
いかにも自分は偉いと示すような格好と仕草は何なのか。
自信のある態度にメディは顔を顰め、もしや貴族かお偉いさんかと舌打ちをする。だとすれば追い出すのも面倒か、勿論契約外の人物に回復薬を売る気はさらさら無い。
仕方が無い、ジジィを呼んでくるかと席を立った時だった。
「それで良い、貴族の冒険者がいるという噂は知っているだろう?」
「ァア?」
そんなもの知りはしない。
いや、一応知ってはいる。貴族っぽい冒険者がいるというだけで貴族では無いという噂を。
むしろその噂の本人も知っている。本人に確認をとった訳ではないが見れば分かる。
それが今何故出てきたのか。大して頭の回転が速くないメディが訳分からんと煤のついた頬を擦っていると、ふいに計算作業に勤しんでいた研究家が手を止めた。
「成程ね」
「何がだよ。アタシは良く分かんねぇんだけど、要は貴族なんだから特別扱いしろっつってんだろアイツら」
身も蓋も無い言い方は勿論しっかりと来訪者に届いている。
わざとでは無いメディは気付かないし、気付いていようと注意する必要などないと結論付けた研究家が何かを気にする訳でも無い。
研究家はクルクルとペンを回しながら、もう片方の手を白衣へと突っ込んだ。体重をかけた椅子がギシリと軋んだ音を立てる。
「単純に考えると良い、仮定と検証を繰り返す必要も無いくだらない証明さ」
ざわり、と風も無いのに彼女の羽のような髪が揺れた。
「あれ程高貴な彼が貴族で無いのに、目の前の不作法な客人が貴族だとでも?」
「つまり何だってんだ」
「……彼を騙る偽物という事だよ」
余りハッキリ言うと逆上されそうだから口を濁したと言うのに、と肩を竦める研究家の口から出た真実にメディは確実に美人に分類される顔を盛大に歪めて腰にぶら下げた工具を握りしめる。
それを振り上げながら、高らかに叫んだ。
「本当にあんな肌綺麗で清潔感あって細いけど華奢じゃなくて知的だけど腹黒くなくて敬語で特別美形じゃねぇけど穏やかに整ってて露出ゼロの癖にそこにいやらしさを感じるような男だったら回復薬と引き換えにしてもアタシのベッドに連れ込んで×××して×××した上に思わず敬語とれるまで×××してやったってのにアタシのストライクゾーンに入ってから出直して来やがれ!!」
「店先で何叫んでやがる小娘ェ!!」
男達を蹴り出したメディは、直後言い訳の暇も無く鉄拳を喰らい椅子へと縛られて強制的に苦手な計算作業へと戻された。
どういう事だ、と男達は苦々しげな顔で呟いた。
どうやらこの国に噂の貴族らしい冒険者がいたらしいと、それは最初の二件で嫌という程に理解して理解した。しかし、ならば冒険者が立ち寄らないような店に行けば良いだけだ。
冒険者以外は冒険者の内情など詳しく無い。
Aランクになれば名前ぐらいは売れるし、Sランクになれば顔も売れる。しかしそれも冒険者に興味が無ければ目の前に立っていようとそれが誰かなど分からないだろう。
貴族は原則冒険者になれないと知っていても、それがどれだけ徹底されているのかも知らない。だからこそ他の国では噂をチラつかせて堂々と振舞えば騙される者が大半だったというのにこの王都では通用しない。
噂を知る者は男達を訳が分からない物を見る目で見て、噂を知らない者も貴族の冒険者の話を出せば「あー」と何かを思い出すように呟き「えー」と疑心を含んだ瞳で男達を見る。何故ただの冒険者がこれ程までに知られているのか。リゼル達を一度も見た事が無い男達には分からなかった。
「貴族さま、すっごくやさしいんだよ」
ふいに聞こえた声にそちらを向いた。
とある宿の前で三人の子供達が何やら楽しそうに話し合っている。
まさか本当に貴族と接した事があるとは思えない。噂の冒険者の事かと男たちは近くの路地で休憩をしているフリをして耳を澄ませた。
一人の少女が、どこか夢見がちにうっとりとしながら話している。
「前、べんきょうの時間になる前に貴族さまのこと呼びにいったでしょ?」
「おまえが抱っこされて帰って来たときだろ」
「うん」
同じ宿に宿泊する少女が、約束の時間である二時の鐘が鳴る前にリゼルを迎えに行った時の事だ。
普段リゼルが少女たちの勉強に付き合ってくれる事はあまり無い。しかし“また今度”などの曖昧な表現をせず、無理だったらきちんと“本を読みたいから”や“出かけるから”と理由を言った上で断る所は子供らに好評だ。
流しはするものの誤魔化しも嘘もつかないリゼルが、もうじき約束の時間だというのに現れない事に少女は忘れてしまったのではと心配になった。宿の食堂で三人集まっていたが、待ち切れず出かけていると女将から聞いていたリゼルを探そうと一人宿の外へ出た瞬間の事だ。
『金なら払うっつってんだろうがァ!』
『だから、それがどうして貴重な素材を譲る条件になるんですかって言ってるんです』
余りにも大きい怒声と感じたビリビリとした威圧感に、思わずべしゃりと尻もちを付いていた。
目の前では怖そうな冒険者達と、見慣れたリゼル達のパーティが向かい合っていた。遠巻きに見守る周囲は冒険者同士の諍いを普通ならば迷惑そうに見ているだろうが、何処か高揚を持ってリゼル達を眺めている。
尻もちをついたまま訳も分からず震えていると、困ったように微笑んでいたリゼルがふいに此方を向いた。ずっと微笑んでいたにも拘らず、どうして自分への微笑みはホッと出来たのか少女には未だに分からない。
リゼルに釣られるようにチラリと此方を見たジルとイレヴンにびくりと肩を震わせていると、ゆっくりと近付いてきたリゼルがすっと目の前で視線を合わせるようにしゃがんでくれる。
『どうしました? 時間にはもう少しあるでしょう』
『あのね、でも、でもね、貴族さまいっつもちょっと早く来るからね』
『心配してくれたんですね、有難うございます』
いつもと同じように微笑まれ、震える体を落ち着けるように優しく肩を撫でられる。
導かれるように落ち着いた体にほうっと小さく息を吐いて、差し出された手に嬉しそうに笑って土を落とすようにお尻を叩きながら立ち上がった時だった。
『人の話し中に何突っ込んで来てんだ! 礼儀の無ぇガキだなァ!』
『ひっ』
叩きつけられた怒声に肩を竦める。
思わず握りしめてしまった掌が、カタカタ震える指を落ち着けるように優しく握り込んでくれた。にこりと微笑んで立ち上がったリゼルが仕方なさそうに冒険者達を見る。
ぎゅっと思わず抱きつくように身を寄せてしまったが、優しく頭を撫でてくれた。
『俺は用事があるって最初から言っていたじゃないですか。この子達との予定に首を突っ込んで来たのは貴方達ですよ』
『テメェは俺らの事を舐めてんのか……!』
今にも武器に手を伸ばしそうな男たちに、周囲は悲鳴と非難を上げながら距離を開けた。
何故舐めてないと思うのか、とイレヴンはつまらなそうに欠伸を零し、ジルは勝手に突っかかって来た上に勝手に盛り上がる賑やかな奴らだと溜息を吐く。
ぽん、と優しく頭を叩くリゼルに少女が首を精一杯上に向けると、穏やかな微笑みが向けられた。
『時間までには行きます。中に入っていなさい』
『や、やだ……!』
『ん?』
我儘なんて珍しい、と笑われたって此処が危ないなんて事は誰にでも分かる。
そんな場所にリゼルを残していくのが不安で、自分だけ中に入ってしまうのが何だか嫌で、今から一緒に勉強するのに他の事を大切にしているようで悔しくて、友人が待つ食堂までの数歩の距離を一人で歩くも嫌で。
そして何よりも、自分に向けられた怒声が耳から離れない。
『こわいよ、貴族さま……!』
ぎゅうっと服を掴みながら懸命に見上げていると、知らず涙を溜めていた目元を拭われた。
再びしゃがみ込んだリゼルを不思議そうに見た直後、感じた浮遊感と温かい体温に自分が抱き抱えられたのだと気付く。思わず掴んだ肩ごしに、何故か呆れたように此方を見るジル達と唖然とした男達の姿が見えた。
『ごめんなさい、巻き込んでしまったのは俺の落ち度です』
耳元で聞こえる穏やかな声が、心臓を震わせるような怒声を掻き消していく。
ふるふると首を振ると、吐息のような笑い声が聞こえた。思わずくすぐったくなり、肩に顔を埋める。
そのまま歩き出したリゼルが半分開いたままの扉に手をかけた。そのまま気にせず中へ入ろうとする姿に、色々な人を外に置きっぱなしだが良いのだろうかと少女はきょとりと目を瞬かせる。
咄嗟に視線を向けてしまった先で、再び怒声罵声を浴びせようと大きく口を開いた男達を見つけて少女は身構えるようにぎゅっと目を瞑った。
『ッ何処行』
『黙らせて』
しかし、聞こえかけた怒声は穏やかな声と共に不自然に途切れる。
そろそろと目を開きかけた少女は、しかし優しい掌に視界を覆われて何も確認する事が出来なかった。
『そのまま穏便に帰ってもらうか、向かって来るようならやり過ぎないように』
『あぁ』
『やり過ぎないように、ですよイレヴン。こんな道の真ん中です』
『リーダー俺さっきの聞こえてたんスけど』
耳元で可笑しそうに笑う穏やかな声と、扉が閉まる音。
手を外されて開けた視界には見慣れた宿屋の扉が映り込んで来た。外で何やら声が聞こえるが、扉を隔てて温かい体温に包まれた今となっては何も怖く無い。
どうなったのだろうか、とは気になるが直ぐに別に良いかと嬉しそうに笑う。リゼルが向かう先は食堂で、これから一緒に勉強してくれるのだから何も問題は無い。
到着した食堂で恭しく椅子に下ろされ、少女は恐怖も忘れて酷く幸せそうに笑った。
「そういうのがあってね、貴族さま、すごく格好よかった」
うっとりしながら言う少女に、少年達は好きなのだろうかと子供らしく思った。
少年達から見て少女はリゼルに懐いていたし、勉強でもマナーでも熱心に聞いていた。ならば単純に好きなのだろうと考えてしまうのも仕方が無い。
しかしそれを聞くと少女はうーんと首を傾げ、予想に反して首を振って否定する。絶対嘘だ絶対嘘だとはやし立てる少年達に、少女はむっとしながら腰に手を当てた。
「貴族さまは好きだけど、お嫁さんになりたいんじゃなくて、貴族さまみたいになりたいの!」
思いの外高いハードルに少年たちは囃し立てていた口を閉じて思わず感心してしまった。
そしてその隣では彼らの母親達が井戸端会議に興じている。今日は何処何処の野菜が安かっただの、最近隣に越して来た誰誰はだの話し合っていたが話題は子供達につられるようにリゼル達へと移って行った。
子供たちに時々だが勉強を教え、それどころかマナーまで身につけさせ、国を出る時には皆さんへと話題の高級チョコレート店“Bouquet・Chocolat”のチョコ詰め合わせを子供越しに渡してくれた相手を直ぐに忘れるのは難しい。
「貴族様、アスタルニアに行ったのよね。何だか名物が無くなったみたいで寂しいわぁ」
「この子達の成績が落ちるんじゃないかって心配してたけど、そんな事無かったわね」
「貴族様の勉強の教え方、上手だもの。答えを教えるっていうより勉強の仕方を教えてたっぽいしね」
「冒険者なのにねぇ」
母親達も最初はリゼルが冒険者だとは知らなかった。
ただ宿で偶然勉強を教えてくれたお兄さん、という子供達の話で存在を知り、そして実際に見かけた際に貴族疑惑を持ちつつも優しそうな人で安心したわと胸を撫で下ろし、そして彼が冒険者だと知って二度聞きする勢いで驚いた。
冒険者だと知ったからには子供達を関わらせないようにした方が良いのではないかと思った事もある。冒険者による国民への被害が“冒険者被害”と名づけられている通り、粗暴な者が多い冒険者と関わる事が良い事とはとても思わなかった。
「でも良い子になっちゃったのよね、勉強もちゃんとするようになったし」
「ウチは何度教えても直らなかったスプーンの持ち方が直ったわ。むしろパパよりナイフとフォークを綺麗に使うのよ」
「この前買い物行ったら、うちの子ったら『袋いっぱいあるから一つ持つよ』って言ったの。何時の間に紳士になっちゃったのかしら」
「うちなんか、以前取引先のお客様が宿に来た時に完璧な淑女の礼をしてみせたわね。相手なんて唖然としちゃって、でも凄く喜んで貰えたから取引自体は予想以上にスムーズに終わったけど」
そう、悪影響など何一つ受けていない。
ならば引き離す必要など無く、引き離そうとも子供達の純粋な「何で?」の言葉に上手く返す事など出来はしない。しかし冒険者だしとやはり煮え切らない思いをしていた時だった。
子供達の一人が、難関である魔法学院に通う生徒を一人リゼルの元へと引っ張って行ったのだ。魔法学院の難易度は高い、それこそ大人でさえ何をやっているのか分からない計算やら理論やらが埋め尽くされたレポートが、宿から出ようとしたリゼルの手に渡ったのを近くで談笑していた母親たちはしっかりと見ていた。
宿先でいきなり渡されたレポートと、寝不足で死んだ目をしながら何かを呟いている青年を目を瞬かせながら見比べていたリゼルが、一応興味もあるしと訳が分からないままに渡されたレポートを眺める事数分。
『……あ、此処間違ってますよ。だから最後がズレて来ちゃうんです』
『え、ど、どどどどこ、どこでしょう』
『ここ、魔力の吸収・放出量の差を求めたいんですよね? なら、先に魔石の体積比じゃなくて魔力含有量の―――――――………………』
何を言っているのかは話し合っている二人以外には分からなかったが、うんうんと熱心に頷きながら聞いていた青年が死んだ目を輝かせながら狂喜乱舞して帰って行ったのだからリゼルの指摘は的を射ていたのだろう。
大人達の中でリゼルが冒険者だという事実が些細な事になった瞬間だった。名門学院の内容さえ教えられる人間、勉強が出来るというのは何時どこであっても親受けが良いものだ。
特に少女が語った絡まれた時でも、あの後リゼルは懇切丁寧に少女の両親に謝罪を行っている。見るからにリゼル達は絡まれていた側だったし、悪印象を抱く筈が無い。
「でもやっぱりパーティでいると近寄りがたいわよね」
「存在感が違うもの。こう、大物が集まってるっていうか、雰囲気があるっていうか」
「一人の時も気軽には話しかけられないけど。でも子供達の勉強見てくれてる時にいつもお世話になってるお礼を言ったら、いいえって微笑んでくれるのよ。あの微笑みが自分に向けられてるってだけで何だか嬉しいわ」
「あ、分かるー」
子供達と大人達、それぞれの間で盛り上がりを見せた話題はそのまましばらく終わらなかった。
一体何なんだと貴族の振りをする冒険者達は酒を片手に愚痴を零していた。
噂の冒険者の知名度の高さも意味が分からない、そして噂の真相は貴族という訳では無いらしいと理解したものの周囲から聞こえる評判は貴族と言っても不思議では無いようなものばかり。
噂でしか知らないとはいえ此処まで実体が知れない人物は果たして他にいるだろうか。まるでバーのような酒場で酒を持って来いと叫ぶと、用意される酒とツマミに冒険者達は気分良く食を進めている。
ようやく見つけたこの店のマスターは、彼らが自らを貴族と名乗ろうと訝しげにも疑わしげにも見なかった。黙って言われた通りの料理や酒を用意する姿に、これだこれだと酷く満足そうに振舞っている。
適当に食べるものを持って来いと注文して運ばれてくる料理に視線を奪われ、誰も裏口が小さく開閉する音には気付かなかった。
そして散々飲み食いした後、会計をと伝票を見せるマスターにいつもの台詞で高圧的に言い放つ。曰く、貴族の冒険者の噂を知らないのか、誰に向かって金を払わせる気でいるのだと。
その直後の事だった。バタンッと勢い良く開かれた扉に男達の視線がそちらを向く。
視界に入ったのはパルテダールの憲兵を示す制服、冒険者を裁くのはギルドとはいえ現行犯でならば憲兵もしょっ引く事が出来る。やばい、しかし貴族の振りで切り抜ければ時間を稼げる筈だと瞬時に成り切ろうとした彼らが耳にしたのは予想外の一言だった。
「見損なったぞ貴様ら!」
扉を開き店内へと入って来たのは、酷く真面目そうな憲兵だった。
腕に巻かれた店内の静かな光に反射する腕章が彼を憲兵長だと告げる。
「出て行ったと思いきや帰ってきて一番に狼藉を働くとは、色々予想外のことをする連中だとは思っていたが他者に無体を強いる事はないと信じていたというのに! 子爵を裏切る行為だとは思…………別人じゃないか」
「……確かに“貴族を装う冒険者”とは伝えたと思うが」
マスターがちらりと厨房へと繋がる棚の隙間を見る。
知らん知らんと振られる掌に、完全なる憲兵長の勘違いだと悟った。確かに難しい言い回しをしただろうが、真っ先にリゼル達を思い浮かべる辺り彼らの印象がそれほど強いのだろう。
無言で見つめるマスターに、憲兵長はごほんと一度咳払いした。
「ともかく、もしや無銭飲食をしようなどとは思っていまいな」
鋭い目つきで見られ、男達はぐっと言葉を詰まらせた。
当然憲兵長は外で彼らがマスターへと圧力をかけようとしたのを聞いていたのだろう。それ以前に踏み込んではいくらでも誤魔化されてしまうからだ。
誤魔化しが利かない今だからこそ、あえて断罪ではなく疑惑で問いかける。強く出て逆上されては店に被害が出るし、やはり出来る限り冒険者ギルドの管轄に手は出さない方が良い。
憲兵がと忌々しそうにカウンターに金を叩きつけて出て行った男達を見送り、憲兵長は連れていた憲兵を一人ギルドへの使いへとしながら金を仕舞いグラスを拭き始めたマスターを見る。
「ご報告有難うございました。彼らに流され無償で飲食を許す事態にならず何よりです」
「知っているからな……」
「それは、彼らをという事でしょうか」
「本物を、だ。魔鳥騎兵団を教えなければ良かったと、少しだけ思っている」
教えずとも知っただろうが、と小さく笑みを浮かべて呟いたマスターはそのままグラスを拭く手を再開させた。告げられた礼に憲兵長はひとつ頷き、彼の関係者に関わった割にはトラウマが増えなくて何よりだと店を出る。
確かに散々気苦労をかけられた気がするが、居なくなればなったで寂しい……と思う以上にレイからの無茶ぶりが少なくなった事を心底安堵している彼にとってはリゼル達の不在を喜んで良いのか悪いのか分からなかった。
すっかりと周りが暗くなり、男達は今日泊まる宿を探していた。
宿関係者は冒険者と密接な関係にある。恐らく貴族のような冒険者の噂も知っているだろうし、場合によっては本人の顔を知っているかもしれない。あまり無茶は出来ないかと思いながらも、この国に来るまでは通用した手段に期待を持ってしまっても仕方が無い。
噂を知っていようと本人の顔さえ知らなければ問題無いと、ギルドからそこそこ離れたとある宿を訪れた。
「すまないね、部屋は個室二つしか空いてないんだよ。以前、ある冒険者が泊まってた部屋なんだけどね。それを知ってる冒険者は泊まり辛いって言ってお客さんが入ってくれないから空きっぱなしだし、泊まってくれるなら大歓迎だけどね」
宿先での会話に、男達は嫌な予感がして顔を引き攣らせた。
もはや先は聞かずとも分かる。ようは例の冒険者が泊まっていた部屋なのだろう。
同業である冒険者相手にもそれ程の扱いを受けるとは一体どういう事なのか。何故同業である冒険者相手に畏れ多いなどと思う者がいるのか。
宿泊の説明をしていた女将が、ふいに視線を横へとやる。
「個室でも寝ようと思えば二人……おや、あんたは」
「お久しぶりです」
直後、男達は先程感じた嫌な予感は予兆に過ぎなかったのだと悟った。
感じたのは背筋を凍らせるような絶対零度の殺気、淡々とした抑揚の無い声が徐々に近付いてくる。足音は少しも聞こえないのがただただ恐ろしい。
思わず震えそうになる体を押さえるのが精一杯で、一歩たりとも動けず一言たりとも零せない。
「前にリゼルさんと一緒に泊まった職員さんじゃないか、どうしたんだい」
「少々そちらの冒険者に用がありますので彼らの事は忘れて宿へとお入りください」
何も映さない冷たい瞳に、女将はやれやれと言いながら宿の扉の向こうへと消える。
ギルド職員が外で冒険者に用があるなど滅多に無い。それを思えば多少冒険者に詳しい女将は全てを悟る事が出来る。
男達は行かないでくれと言いたかった。今すぐに自分達も宿の中に入れて欲しかった。異常な寒気と動かない足に感じる恐怖は今まで味わった事が無い程に強い。
「憲兵からの報告を受けました。どうやら貴族であると偽って方々で横暴な行いをしていたと聞いたのですが間違いはないですね」
否定をしたい。しかし出来ない。
バキンッと氷が砕けた音が聞こえた気がしたが、それが幻聴だったのかどうなのかも分からなかった。しかしパキパキと何かが凍りつく音に視線だけを辛うじて足元に向けると、地面から美しい程に澄んだ氷が徐々に足を這いあがってきているのが見える。
喉の奥で零した悲鳴は、誰もいない夜の街中に少しも響かなかった。
「返事はどうしました」
「お、俺達は……!」
「“はい”か“いいえ”以外は不要です殺したくなる」
彼らの一番の不幸は目の前で足を止めた職員の存在を知らなかった事だ。
知っていれば王都では大人しくしていただろう。近寄らなかっただろう。噂の張本人がこの国に居たという以上に、それは彼らの暴虐を止める理由となる。
他国で深刻な問題となっている冒険者被害が極端に少ないのがこの王都だ。その理由を、男達は今思い知った。
「ただでさえ不愉快だというのに今回はあの方を騙ってくれたようで酷く許し難い」
絶対零度の秩序が存在するのだから、それを乱す者など存在出来るはずがない。
「消えて償え」
向けられた数多の氷の刃と、一ミリたりとも動かない表情を前に男達は意識を失った。
無数に地面へと突き刺さる氷の刃と、氷に拘束されて意識を失う男達をスタッドは無感情に眺めてギルドへの帰路へとついた。隠れていた別の職員が顔を引き攣らせながら出て来てせっせと男達を回収しているので、明日にはしかるべき処罰をギルドで受けることになるだろう。
違反を犯した冒険者に脅しをかけるのはギルドの暗黙の了解だ。力には力で、それが冒険者に効く事を職員達は昔からずっと知っている。
スタッドはぴたりと一人足を止めてじっと掌を見下ろした。相当苛立ちを感じていた筈だがトドメを刺さなかった事に対し、いつもならば褒めてくれる筈の掌が無い事を今になって実感する。
「…………、……」
薄らと開いた口が、しかし何も言わないままに閉じる。
彼の人を目の前にすればどれだけでも寂しいと伝えられるだろうに、今は彼に関する感情の一欠片を零す事さえ惜しく思えて飲み込んだ。




