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81:夕飯は薄味で

 その日、港はざわめきに包まれていた。

 興奮を孕む歓声、驚愕、果ては感極まる余り茫然とする人々が集うのはとある一匹の魔物だった。横たわっても尚見上げる巨体を持ち、分厚い鱗を鎧のように変形させて纏い、死してなお恐怖を感じるような獰猛さを主張する牙を持つ“鎧王鮫オリハルコンシャーク”に誰もが視線をくぎ付けにされる。

 漁師の間で伝説のように語られる存在を仕留める冒険者が自分達の代にいるとはと、いつか来る時の為に受け継がれてきた加工法を知る、老いても尚屈強な肉体を持つ熟練の漁師は両手を合わせて目の前の魔物と倒した冒険者に感謝した。そして構えるのは、特殊な形をした巨大な解体包丁。


「良く見ておけ若造共ォ! 傑物ってのはいつか絶対現れるもんだ、そん時にアスタルニアの男が魚一匹捌けねぇなんて事が無いようになァ!」


 突き刺すように鱗の隙間に叩き込まれた包丁は、血管が浮かばんばかりに盛り上がった筋肉を持つ漁師達によって覇気ある掛け声と共に一枚の分厚い鱗をはぎ取った。






 “もし加工して貰えるなら頼みたいんですが”とのんびり微笑んで鎧王鮫を丸投げし、驚愕と羨望の眼差しを受けながら至って普通に去って行ったリゼル達は港で漁師達が魂を燃やす光景を見る事無く帰路へとついていた。

 いつもならば滅多に見る事が出来ない特殊な加工技術に興味を持つ筈のリゼルは、しかし今はもう宿に帰る事しか考えていない。何せ迷宮では興味を引かれるものが多くあったが本は一冊も読めていないし、たゆたうように眠りに就けたがベッドとは違いきちんと眠れたような気はしない。


「何でしょう、凄くだるいです」

「だるいな」

「だるいッスね」


 そして何より全身がだるい。

 身を包む倦怠感、ただ体を動かした疲労とは違うそれにリゼル達はいっそ一歩も動きたくなかった。頭がぼんやりとする眠気を孕んだようなだるさに加えるように、三日三晩水中で過ごした体が重く歩くのもままならない。

 それをわざわざ表に出しても余計にだるさが増すだけで、リゼル達はさっさと宿に帰ろうとせっせと歩を進めているが何時もより歩く速度が少しばかりゆっくりとなってしまうのは仕方がないだろう。ゆったり歩いているのは穏やかな顔を何処かぼんやりとさせるリゼルだけで、ジルやイレヴンは何も言わずその速度に合わせているだけなのだが。


「思ったより普通に歩けたとはいえ、やっぱり水の中だったんですね。もつれそうです」

「抱えてやろうか」

「魅力的な申し出ですけど」


 からかうように目を細めるジルに、リゼルは可笑しそうに笑って返す。

 ジル達が普通に歩けているのは偏に一流と呼ばれるような剣士だからなのだろう。慣れや変化に流されず自らの体を思った通りに動かすことに特化している為に、いきなり水中から地上へと環境が変わっても引き摺られる事はない。

 とはいえ二人ともだるそうではあるので、未だ夕刻前とはいえ今日はもう宿から出ないだろう。リゼルは帰りの小舟の上で大分乾いたとはいえ、まだ若干湿っている髪を耳にかけた。


「熱いシャワーを浴びたいです」

「えー、俺もう寝てぇ」


 最上級装備は迷宮から出た瞬間、リゼルが魔法で起こした突風で完全に水を飛ばした。しかし肌が湿った感覚は残っており、アスタルニアの温暖な気候で服の中の湿気が凄い事になっている気がする。

 早々に重ねている装備を脱ぎ薄着になっているジルやイレヴンはまだマシだが、上を脱いでも大して肌の露出が無いリゼルには辛い。


「リーダー、シャワー浴びたら寝る?」

「どうしましょう、本も読みたいんですけど」

「読んでても寝るだろ」


 ジルの言う通りだ、大人しくベッドに入っておけという言葉にリゼルは頷いた。椅子に座り読書を始めても今日ばかりはうたた寝してしまいそうな気がする。


「寝てぇけど飯は食いてぇし、ニィサン晩飯の時起こして」

「俺も寝んだよ」


 流石に明朝まで寝続けるつもりは無いが、わざわざ起きて食事を取りにいくつもりはない。目が覚めた時が真夜中でも外に出て何処か開いている店にでも足を運べば良いだろう。

 イレヴンはそれが面倒臭く、ちょっと起きて手早く宿で食べてまた寝たいようだ。

 二人が迷宮後に疲れているのは珍しいなと微笑み、リゼルは辿りついた宿の扉へと手をかける。


「先にシャワー使って良いですか?」

「あぁ」


 話をしながら宿へと入ると、丁度昼食を終えた宿主が食堂から出てきた所だった。

 脱ぎ去ったエプロンで手を拭いていた動きはピタリと止まり、姿を現したリゼル達を凝視している。


「今ってお風呂空いてますか?」

「一瞬幻覚かと思ってそんなに俺寂しいのかと思ったけど違った。幻覚だったら素晴らしい微笑みと共に“ただいま宿主さん”って言われているに違いない使えますよー」


 それは良かったと頷き、宿主から鍵を受け取り各々それぞれの場所へと向かう。

 ジルは階段を上り自らの部屋へ、イレヴンは喉が渇いたと言いながらキッチンへ、そしてリゼルは玄関を横切り恐らく次に入るであろうジル達の為にさっさと入ってしまおうと風呂へと向かいかけて足を止める。小さなカウンターで鍵を渡した後、何やら宿帳を覗き込んでいる宿主を振り返った。


「宿主さん。俺達これから寝れるだけ寝るので、夕飯は無しにしておいて下さい」

「はいはい了解ですってあれどっか具合悪いんですか怪我したとか」

「いえ、ひたすらダルくて」


 熱か病気か怪我か疲労かと考えた宿主は、しかしリゼルの湿って少しだけ癖のついた髪に気付く。そういえば“人魚姫セイレーンの洞”を攻略して来たのだったか。

 いつまでも未踏破という点と水の中で呼吸が出来るという特異性から彼の迷宮はアスタルニアの人々ならば冒険者じゃなくても一度は聞いた事がある。宿主は成程成程と頷いて要するにと真顔で言いきった。


「泳いだ後に凄ぇ体重くて眠くなる現象ですよね分かります」


 分かってくれて何よりだとリゼルは微笑み、今度こそ風呂へと向かう。

 湯船にゆっくりと浸かれば寝てしまいそうだ、やはりさっさとシャワーだけ浴びて布団に入ってしまおう。そう思いながら。







 誰も踏破を成し得なかった“人魚姫の洞”がついに踏破された。その情報は瞬く間に広がる、とはならずに全く知られてはいなかった。

 踏破出来ないのが当たり前の迷宮は、それが当然すぎて鎧王鮫が港に持ち込まれようとイコール踏破されたとは誰も思わない。

 本来ならばギルドで確認が出来るのだが、大抵が冒険者の自己申告と共にギルド側がギルドカードで確認をとって踏破を確認する。自分が行った功績を誇ると共にランクアップの為に申告を欠かさないのが通常の冒険者なので、ギルドも一々依頼の手続きでギルドカードを受け取る度に功績を確認している訳ではない。

 スタッドは何気にその都度ギルドカードの情報を確認していたが余程特殊な例だろう。普通ならば忙しくてそんな事をやっている暇など無いのだから、その手際の良さに彼の優秀さが窺える。


 迷宮踏破から二日、未だ一度もギルドを訪れていないリゼル達ならば尚更の事だろう。知るのは一部の人間に限られる。

 一人はリゼル達が“人魚姫の洞”へ踏破目的で向かったのを見送ったナハス。彼はリゼル達から直接話を聞いた訳ではないが噂でリゼル達が帰って来た事を知った瞬間に踏破を悟った。

 一人は宿主。迷宮の攻略に向かったと言付けを貰い帰って来たのだから普通に攻略してきたんだなと思っている。一度も踏破された事のない迷宮とは知っているのだがそれが何だと疑いもしない。

 そしてもう一人が、リゼルの目の前できつい程の炭酸飲料をストローで吸っている劇団“Phantasm(ファンタズム)”の団長である女性だった。


「“鎧王鮫オリハルコンシャーク”だったか、ありゃ凄ぇなコンニャロ。あんくらい迫力ある魔物との戦闘が舞台で出来りゃ文句ねぇんだが」

「魔物、となるとどうしても難しいですからね」


 リゼルが愛用する喫茶店ではなく、もう少し大衆向けの料理店で二人は向かい合っていた。

 団長は椅子の上であぐらを掻きながら頬杖をつき、原稿を机の上にバラ撒いて難しい顔をしながら炭酸を飲んでいる。リゼルはその真剣な姿を見て微笑み、グラデーションが美しいトロピカルジュースを一口飲んだ。

 未だ加工が終わらない鎧鮫のまるで鍛冶屋のような加工風景を見物に行った際、同じく何か劇の参考にならないかと見に来ていた団長と鉢合わせた為にリゼルがお茶に誘い今に至る。顔を合わせた瞬間、団長が鎧鮫を狩ったのはお前らかと詰め寄り次の劇の参考にと話を聞きたがったからだ。


「水に沈んだ世界、魅力はあるが舞台じゃ何処まで表現できるかだなコンニャロ」

「観客の皆さんは迷宮の仕組みなんて知りませんし、“迷宮だから仕方ない”の暗黙の了解も分からないでしょう? 難しいですね」

「私もそこら辺全然知らねぇからな。いちいち息が出来る理由だのまともに歩ける理由だの説明すんのは趣味じゃねぇしなコンニャロ!」

「物語の世界に理屈や理由は必要ない気もしますけど、気になる人は気になるでしょう」


 世界観を独特にすればする程に必要な説明は増えてくる。目の前の女性ならば上手く劇中に組み込むことが出来るんじゃないかと思うが、本人的に嫌なのだろう。

 団長はリゼルから聞いた“人魚姫の洞”の内部の様子を殴り書きした用紙を睨みつけ、ガシガシとペンを滑らせた。しかし聞かれるままに答えているのだが不思議と踏破が済んでいる事が前提なのは何故なのか、ちなみにこの時点で一度もリゼルは迷宮を踏破したなどと彼女に話してはいない。


「そういや人魚姫ってのはボスの事だろ、誰もボス見て無いっつうのに“人魚姫の洞”なんて名前がついてんのが気になんな」


 人と人魚姫の禁断の愛、そうメモしながら団長が問いかける。

 やけに魔物に興味を持っているのは次の劇の題材にしたいからだろうか。確かに国から国へと移動するとはいえ劇団員が魔物と関わる事などほとんど無いだろう、聞ける機会に聞いておくつもりのようだ。


「迷宮内部に人魚の像もあったし、その所為かもしれませんね」

「実はもう攻略済みってのは無ぇのかコンニャロ」

「それは無いです。ちゃんと踏破報酬があったので」


 迷宮の初踏破ではボス討伐後に迷宮からの報酬が有る。

 小部屋へ繋がる扉が出現したり、魔法陣の光と共に宝箱が現れたりと報酬の出現方法は様々だ。扉を開けた先の部屋の床に金貨が点々とばらまかれていたアイン達の例もあるので、その演出は当たり外れがあるようだが。

 その点リゼル達は比較的盛り上がりのある演出だっただろう。ボスを倒した直後、いかにも人魚姫が腰かけていそうな巨大で美しい貝殻が開いて中の報酬を晒したのだから。

 惜しむらくは折角の素晴らしい演出を見た三人が“もし本当に身が詰まってたら食べ放題”などと話していた事か。情緒が無い。


「真珠でも入ってたかコンニャロ」

「似たようなものですよ。貝の大きさに相応しい魔石が一つ入っていました」


 こんな、と手で大きさを示したリゼルの両手の幅は顔より大きい。

 手の平で握るような大きさでさえ特大と称される魔石だが、リゼルが示したそれは恐らく世界でも一、二を争うような大きさだ。元の世界でも教え子が似たような大きさの魔石を何処かからかっぱらって来たので見た事があるが、あちらでも思わず国宝指定されそうな程に貴重なものだった。

 喜んで手に入れようとしたリゼルだが魔石も石の仲間には違いない。大きさ相応の重さがあり持ち上げられるものの容易にポーチへの出し入れが出来なかった為、今はジルが持っている。


「登場シーンには良いなコンニャロ! 舞台の真ん中に貝殻置いて、ライトは下から煌めかせて、中から美しい人魚姫が! ベタこそ最強にウケが良い!」

「団長さんが人魚姫を?」

「胸の無ぇ人魚なんざとんだガッカリマーメイドだろうが!」


 胸を張って言い放つ団長にリゼルは苦笑する。

 そんな事は決して無いと思うが、確かにどれ程演技でカバーしようと外見的なイメージだけはどうにもならない。彼女が求める人魚像は自らと重ならないようだ。


「お前らが戦った人魚はどんなんだった! 美女か!」

「何て言えば良いでしょう……水中エレメントの親玉って感じでした。高濃度の魔力の集合体が丸い炎のように見えるのがエレメントで、それが水と同化して何故かゼリー状になったのが水中エレメントです」


 ふんふん、と団長は真剣に聞きながら頷いている。

 劇に関係の無い知識には基本的に興味の無い彼女だが、逆に劇に関係さえあれば貪欲に吸収しようとする。特に魔物に関係する劇を考えている今、常に魔物に対峙している冒険者から得る生の情報はとても貴重だ。

 魔物の普段の歩き方という些細すぎる、しかし劇で演じるにあたり最も基礎的で重要な情報すら本には書いていないのだから。


 そして団長のその貪欲な程の真剣さは、常にリゼルの前でも秘かに発揮されている。

 髪を耳にかける仕草、グラスを手に取り口元へと運ぶ動き、語り方や聞き方や微笑み方など小さな動きを。むしろ小さな動きだからこそ団長は手に持つペン先へと視線が固定される時以外は見逃さないよう観察していた。

 普通ならば気取っていると取られがちな仕草だがリゼルがすれば嫌味無く品が良いとしか思われない。それは元来持っている清廉な空気と見事に合致している為でもあるが、普段は全く意識しないような仕草でも洗練されているからなのだろう。

 こいつ本当に冒険者かと思うが、役を演じる上で大層参考になるのだから関係ない。実際、魔王役を演じる上でリゼルをイメージに取り込んだ部分もある。

 恐らく観察はバレているだろうが放っておかれているならば問題無い、団長はそう思いながらもはや習慣付いている観察を続けていた。


「その水中エレメントが女性を形作ってるって感じですね。人魚らしく下半身は美しい七色に輝く純白の鱗を持った尾でしたよ」

「じゃあ意思疎通なんざ出来ねぇじゃねぇかコンニャロ!」

「意思疎通出来る魔物なんかいたら怖いじゃないですか」


 だからこそアスタルニアの魔鳥騎兵団がどうやって魔鳥を従えているのかが知りたいのだが。人に懐く程の感情や愛情など持たない魔物と何故友好が築けるのか。

 とはいえ魔鳥も例外なく意思らしい意思を持たず感情らしい感情はほぼ無い。それはこの国に着くまでに観察して確信していた。

 リゼルはいつか知れれば良いのだけど、と思いながら残念そうに荒ぶる団長へと微笑む。


「あ、でも凄く凝ってました。瞬きとかしてましたし」


 戦闘中に何処を見ているのか。

 こいつ余裕だなコンニャロと思いながら団長は噛みつくようにストローを咥えた。


「やっぱ魔法ばっか使ってくんのか!」

「そうですね、持っていた綺麗な装飾の三又の槍から魔法が飛んで来ました。あとはその槍を使った物理攻撃と、尾を使った攻撃でしょうか」

「隙が無ぇじゃねぇかコンニャロ」


 魔法による遠距離攻撃、槍による中距離攻撃、そしてそれらを掻い潜り近付けば尾による強力な近距離攻撃。戦いになど縁がない団長でも手強い相手だと分かる。

 しかも水中を泳ぎ回る機動力は相手を容易に捉えさせず、逆に此方は水中という事で動きが制限されるのだから難易度は言うまでも無い。


「そんな強敵相手に勝てるような奴が舞台設営の依頼なんて受けてて良いのか! 有難いけどな!」

「それなら良かった」


 素直に感謝を示され、リゼルは微笑んでそう返す。


「実力ある方達のお手伝いが出来るならば喜んで受けますよ。好きでやっているんですし貴女が気に病む必要はありません」


 それはつまり実力が無ければ二度目は無かったと、そういう事だ。

 リゼルが王都パルテダで一度目の依頼を受けたのは舞台の裏方という立場が珍しかったから。ならば一度目と同じ依頼内容で二度目を受ける必要は無い。

 それなのに受けたという事は、公演に招待された事で劇団Phantasmの演技を気に入ったのだろう。だからこそアスタルニアでも依頼を受け、手伝おうという気にもなる。

 劇団員として他者からの評価は良くも悪くも慣れている。しかし目の前の高貴な男に認められたと思えば悪い気はしないのは何故なのか。


「ならもう一度魔力補充の指名依頼出すから受けろコンニャロ!」

「まだ余裕があるでしょう?」


 笑われ、団長はふんっと得意げに笑いながら組んだ胡坐を崩した。

 そのまま足を下ろし、片足をもう片方の膝の上に乗せる。女性が足を組むというよりは男らしい足の組み方は腕を組んだ姿と良く似合っていた。


「しかし魔物と人間の恋っつうなら人魚よかヴァンパイアの方が良いかもな! 恋愛物も定番だろ!」

「ヴァンパイア……聞いたことはありますけど」


 どうやら魔物に興味が出た切っ掛けがそのヴァンパイアのようだ。魔物と人との恋というのも最初はそれで考えていたようだが、人魚という存在があるならばそちらも候補にと思ったらしい。

 リゼルが名前しか知らないのも無理は無い。ヴァンパイアはアスタルニアにある迷宮の一つにしか出現しないからだ。

 余所の国での知名度は皆無に等しく、魔物図鑑にも滅多に現れない。

 リゼルが数々読破した魔物図鑑にも今のところ二冊しかその名は載っていなかったし、説明も酷く簡潔だった。情報などほぼ種族名だけと言っても良い。


「そのヴァンパイアと村娘の禁断の恋って本がアスタルニアでは流行ってるっぽいからな。許可貰って劇にすりゃ女性客大喜びだろコンニャロ!」

「あぁ、見た事はあります」


 アスタルニアの書店は書物が少ない。それは種類が少ないという意味だ。

 本は知識を得る手段では無く完全な娯楽という考えがアスタルニアにはあるのだろう。流行りの本が店先に多く並べられている為に書籍自体の総数が少ないという訳ではないが、リゼルが好むような書物は他国と比べて比較的少ない。

 しかもメジャーなものばかり取り揃えられているという事もあり、他国でも見る事が出来るようなものばかりでリゼルは既に読破している。立地的に仕方無いとは思うし、国柄により実用書が多いので退屈はしないが。

 その流行りの本の中に、団長の言ったヴァンパイアが出てくる本がある。リゼルは読んだ事が無いが、確か若い女性を中心に圧倒的人気を博している筈だ。


「でもヴァンパイアって魔物ですよね? 禁断の恋っていうのは……」

「フィクションだフィクション! あいつが使った設定は名前と特性だけでオリジナルの魔物作ったようなもんだコンニャロ! でもそのお陰でヴァンパイアの知名度が爆発的に広がって中には本当にそんな魔物がいるとか思ってる奴もいるみたいだけどな!」


 あいつ、との言葉に知り合いだろうかと疑問を抱きつつもリゼルは成程と頷いた。確か話題の小説の表紙には美麗な黒髪の男が描かれていた筈だ。

 そんな魔物が迷宮内に出てきたら二度見する。そんなロマンの欠片もない事を思ってしまうのはリゼルが冒険者に近づいたからだろうか。

 その時、団長がごそごそと一枚の用紙を取り出してバンッと机の上に叩きつけた。


「見ろコンニャロ! この国で一年に一回出てる魔物の人気投票の結果だ!」

「そんな事やってるんですね」

「ギルドが親しみやすさを出す為に国民相手にやってるらしいぞ!」


 それで本当に親しみが生まれるのだろうか。


「一位がヴァンパイア、二位がレディマリオネット、三位が人魚姫!」

「一位と三位はイメージが先行してそうですね。これ、ほとんど一般票でしょう?」

「そうだ!」


 冒険者も参加しているかもしれないが、しかしほとんどが冒険者では無い人々の票だろう。

 一位のヴァンパイアは話に出た小説の影響が確実にある。それ程に国民に浸透した小説だ、劇に出来ればこの国での成功は約束されたようなものだろう。

 子供も楽しめる純粋無垢な人魚姫にするか、女性が楽しめる色気あるヴァンパイアにするか団長は悩みに悩んでいるようだ。


「ああでも致命的な問題が発生したコンニャロ! ヴァンパイアをやる上で女達が夢見るヴァンパイア像を壊さねぇような美形がうちの劇団にはいねぇ!」

「そうですか?」


 リゼルは覚えている劇団員全員の顔を思い出す。

 人前で視線を集める職業だからか各々自分磨きは怠らず、劇に入ればガラリと雰囲気を変えて別人のようになる人間も多かった。余程ひどく無ければ役柄と演技で壮絶な人気を博することも出来るだろう。


「本読めば分かるコンニャロ! とにかく美形で色気が有って艶やかな黒髪で血のような赤い目で孤高な雰囲気を纏いつつ何処か危うげで美声で身長高くて足が長くて紳士で品があって悪の雰囲気もそこはかとなく有るとにかく美形な奴だぞコンニャロ! “ぼくのかんがえたさいきょうのびけい”かっつうんだコンニャロ!」


 それはハードルが高い。

 リゼルは苦笑し、ふと何かを思い出すように視線を流す。店内では不思議といえば不思議な組み合わせのリゼル達へとちらちらと視線が寄越されていた。

 聞き覚えがある、というかイメージにまんまピッタリ当てはまる人物に心当たりがある。


「……っふ」

「何噴き出してんだ!」


 唐突にすっと顔を背け耐えられない笑みを浮かべるリゼルに団長は驚きながら問いかけた。

 しかしリゼルは引かない笑いを耐えるのに必死だ。“ぼくのかんがえたさいきょうのびけい”、成程面白い。

 今度顔を合わせた際に笑ってしまいそうだと思いながら、何とか落ち着いた笑いを完全に沈めるように甘酸っぱいジュースを飲む。


「その条件に合いすぎる人を一人知ってるので、つい。外見だけですけど」

「お前から美形認定出ると凄そうなイメージあんなコンニャロ……」


 まさか誰からも文句が出ないような超絶美形がいるとは。


「一度見てみてぇな! 参考にはなるかもしれねぇし!」

「どうでしょう、あまり人前に出ない人なので。マルケイドの領主様なんですけど」


 それで無理とかではなく「どうでしょう」とか返せる所が凄い。

 会おうと思えば会えるという事か。むしろ今すでに顔見知りという事か。

 でも少し年が上過ぎるかなぁとほのほの言う相手が冒険者だと言う事を余計に信じられなくなる。これでランクがSならば分かるがCだ、普通ならば貴族どころか有力者の一人にも知り合いなどいない筈なのにどうなっているのか。

 まぁ良い、と団長はペン先をぐりぐりと用紙に押しつけながらじっとリゼルを見る。


「お前も充分出来そうだけどな。雰囲気で相手呑むのは得意だろコンニャロ、役者じゃねぇのが惜しい」

「まさか、俺が出ても観客の方がガッカリするだけですよ。ジルとかの方が喜ぶんじゃないですか?」


 そうだろうかと思い、団長はガシガシとストローを噛みながら炭酸を飲み干す。

 確かに華のある派手な美形ではない。しかし左右対称に整った顔は清廉で穏やかな微笑みが似合い、向けられる瞳には時折ふと高貴な色が覗き合わせた視線が離せない。

 以前港で成りきって見せたリゼル曰く“悪徳貴族”も普通ならば不快感を与えるキャラだというのに周囲の視線を引き付けるものだった。団長も酷評はしたがわざとらしくもガラリと雰囲気を変えてみせた時には酷く感心したものだ。

 雰囲気で人を呑み、己を示し、相手を惹き付ける。惜しい、と思いながら彼女は空になったグラスを机に叩きつけるように置く。


「あのガラの悪ぃの出してどうすんだコンニャロ! あいつ絶対ぇ演技とか出来ねぇぞ!」

「自分に正直ですからね」


 可笑しそうに笑い、リゼルもジュースを飲み干した。

 何となく舌がかゆい気がする。新鮮かつ濃厚な果汁は少しばかり刺激的だったようだ。

 そろそろ出るかと席を立ち去って行く二人を、店内にいる人々は一体どういう関係なのかと疑問を抱きながらも見送った。







 リゼルは宿につき、早速とばかりにジルの部屋の扉をノックした。

 確か今日は水中で過ごした事で体がなまった気がすると言いながら何処かへ出かけていたが、早ければ帰っている筈だ。間を置かず中から此方へと近付いてくる足音が聞こえ、良かった居るようだと微笑む。

 扉が内側へと開かれ、濡れた髪を拭きながらジルが現れた。暑さに弱い彼はこの国に来てから外で動いて帰って来る度に冷たいシャワーで汗を流している。


「どうした」

「ちょっと質問があって」


 入れ、と足を引きかけてジルは眉を寄せる。

 ふいに差し出した手でがしりとリゼルの顎を掴み、頬にあたる指に微かに力を込めた。口を開くように加えられた力に抵抗する事無く広げられた口内で舌だけがやけに赤い。


「お前舌かぶれてんじゃねぇの」


 先程から地味に痒い痒いと思っていたがやはりかぶれていたようだとリゼルは苦笑した。

 放された掌に口を閉じ、舌を上顎に押しつけたくなるようなピリピリとした痒みを耐える。絞りたて濃厚新鮮果汁が駄目だったのか合わない果物の果汁が入っていたのか、マスターの所で飲んでいた果実水は平気だったというのに。

 部屋に入って行くジルに続きながら、もし合わない果物があるならば食べないようにしなければと心当たりを探る。


「食べたことの無い果物は入って無かった筈なんですけど」

「何食ったんだよ」

「飲んだんです。アスタルニア名物トロピカルジュース、あまり好みじゃなかったけど美味しかったですよ」

「濃いもん飲むからだろうが」


 やっぱりそうだろうか、とリゼルは部屋に備え付けられている一人用の机の椅子へと腰かけた。しかし名物というからには一度は試してみたいのだから仕方がない。

 ジルはどさりとベッドに座りながら使っていたタオルを放ってベッドサイドへと掛ける。


「質問があんだろ」

「そうでした」


 リゼルは水を飲んでいるジルを見た。

 まだ全ての迷宮を制覇してはいないようだが、結構な数の迷宮を攻略している筈だ。それならばヴァンパイアの出る“黒き影の館”も行った事があるかもしれない。

 団長から話を聞いたリゼルは地味に気になっていた。特定の迷宮にしか出ない魔物というのは多くは無いが決して珍しくも無い、とはいえ恋愛物語の主役にされるような魔物など確実に他にはいないだろう。


「“黒き影の館”なんですけど、行った事ありますか」

「あぁ」

「どんな感じでした?」


 平然と頷いたジルは、何故それ程気になっているのかと思いながら最近攻略したばかりの迷宮を思い出すように顔を顰める。相変わらず考え中の顔はガラの悪さが三割増しだ。


「どんなっつってもな。薄暗くて気味の悪ィ館としか言いようが無ぇだろ」

「あそこ、ヴァンパイアが出るんですよね」


 ジルもヴァンパイアが迷宮の固有種である事は知っている。だからか、と納得した。

 本など暇つぶしにしか読まない彼はリゼルが本関係で興味を持っている事など知らない。正直魔物など現れれば斬るだけなので何が何処で現れたかなど覚えてはいないが、一種類見た事の無い魔物がいたのであれが噂のヴァンパイアだったのだろう。


「種族的にはゴーストですけど、人型なんですか?」

「あー……人型って言われりゃ人型だな。全身マントで中がモヤみてぇな闇」


 美形どころか実体すら無かった。


「斬ったらマントが吸血コウモリになってバラバラになった。離れた場所でまたマントに戻って闇が湧くの繰り返しで、コウモリ全滅させりゃ倒せたが」


 それどころかマントが本体だった。


「ちょっと残念ですね」

「あ?」


 良く良くジルから話を聞けばゴシック調の仕立ての良いマントらしいので、リゼル的には良いビジュアルだなとは思うがどう考えても村娘と恋愛など無理だろう。

 本当に作者の創作らしい。団長曰く作者本人もそれを公言しているようなのだが、それでも小説通りのヴァンパイアがいると信じてしまう少女達は多いようだ。

 彼女達がヴァンパイア会いたさに冒険者になって彼の迷宮に突撃する日が来ない事を祈る事しかリゼルには出来ない。しかしそれも見てみたい気はするが。


「行きてぇの」

「いえ、気になっただけです」


 微笑んでゆるりと首を振るリゼルを見て、ジルはどうやら本当に良いようだと思いながら大剣を引き寄せて手入れを始めた。



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