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79:でもやっぱりやらせない

 リゼルは最近、ようやく読書に向いた場所を見つけ出した。

 宿から歩いて十分ほど、人通りの多い道から一本外れた通りにある店は静かで落ち着いた雰囲気の喫茶店だ。国柄あまり紅茶は飲まれない事もありメニューには並べられていないが、その代わりコーヒーが美味しい。

 相変わらず人々が眺められるテラスをリゼルは好むが、強い日差しは伸びた屋根に遮られ風通りも良く作られている。そしてアイスコーヒーでも飲んでいるのなら決して暑いという事は無い。

 頬をくすぐる髪を耳にかけ、柔らかな手つきでページをめくる。本の中では恐怖に打ち震える少年が涙を流し、嗚咽を堪えながら迫りくる実の父親から逃げ続けていた。


「(何だか懐かしいような、少し違うような)」


 コーヒーへと手を伸ばして、そんな事を思いながら口に含む。

 果たしてあれはいつの頃だったか。恐らく十に満たない年齢だっただろう、リゼルは一度誘拐された事があった。それはもう色々な不運とタイミングが重なった為に誘拐される事が出来てしまった。

 今思っても不思議な程に様々な事象が重なり合い不可能を可能にしたのだから、あれはいっそあの一瞬一瞬だけ此方が相当不運かつ誘拐した敵対貴族が相当幸運だったのだろう。奇跡的と言っても良い程、守られたリゼルが誘拐されるなど有り得ない事だ。


「(お父様を憎悪した人が、プロの暗殺者? 盗賊? みたいなのを雇ってその人達に誘拐された筈)」


 記憶が所々曖昧なのは感じた恐怖ゆえだろうか。

 貴族の子供は幼い頃から誘拐対策などを教えられるが、リゼルも当然父親から教えられている。親の言う事を良く聞く素直なリゼルはそれをしっかりと実践して良い子で助けを待っていた。

 手足が縛られたのは痛かったけど大人しく縛られたし、父の政敵と思わしき男が狂ったように延々と何かを喚いている間にお腹が減ったけど話はちゃんと聞いていたし、脅すように近くの壁を蹴りつけられてびっくりしたけれど泣かなかった。

 誘拐されながらも何処かのんびりとしていたリゼルが相手を逆撫でしない筈が無く、今ならば健気に怯えるフリぐらいはしてみせるが当時の年齢でそこまでやれというのは酷だろう。


『お前も私を馬鹿にするか……流石はあの男の息子だなぁ!!』


 狂ったような笑みを浮かべた相手に胸倉を掴まれ、床へと引き摺り倒された時だった。

 突如壊れんばかりの勢いで開け放たれた扉から暗く広い部屋へと光が差し込んだ。


『ごめんね、待たせてしまったねリゼル。怖かっただろう?』


 躊躇いも無く部屋へと踏み込んで来た靴音は聞き慣れた父のもので、リゼルは今まさに男に首を握り絞められんばかりの体勢のまま、ほっとしてそちらを向いた。

 しかし向いた先にある助けに来てくれた人々を前にリゼルはあれっとなった。数歩の距離を開けて立ち止まる父と、その周囲を固めるように立つ公爵家直属の領地の守護者である警備軍の馴染みの姿が全く知らない空気を纏って逆光を背負い此方を見据えていた。

 当時のリゼルが見た事のある父は(今も変わらないが)とにかく何時でも穏やかだった。目を合わせれば微笑んで手を伸ばしてくれて、声をかければ撫でながら話を聞いてくれる穏やかで優しい父だった。

 警備軍も気さくでのんびりとした者ばかりだった。人懐っこい笑みを持つ青年が率いるその集団は、白い軍服を翻し朗らかに街中を歩いているような存在だった。

 そんな彼らが剣を眼前へと立て構え、笑みを消した顔は鬼神のように静かに恐ろしく。彼らに囲まれた父の笑みがいつもとは違い少しの温度も持たないことに気付いたリゼルは。


『汚い手で触れられているだけで不快だ、今すぐあれをあの子から離し』

『…………、ひぅ』

『リゼル!?』


 泣いた。何というかビックリしすぎた。

 誘拐されようと縛られようとすぐ横を蹴りつけられようとマイペースだったリゼルが泣いたのは実の父に対してだった。今思い出せば結構シュールだなと思わないでも無い。

 確かあの後は誘拐犯やら敵対貴族やらそっちのけで全員総出で慰められたのだったか、普段の見知った姿に戻った親しい人達を前に安心したのを覚えている。今は別に何とも思わないのだから、自分も成長したものだとしみじみしてしまう。


「なーにしみじみしてんスか」

「イレヴン?」


 常に浮かべられている何かを企んでいそうな笑みが、ひょいっと此方を覗き込んだ。

 リゼルが朝に宿を出る時には恐らくまだ寝ていたイレヴンの登場に、それ程長い間本を読んでしまっただろうかと太陽を見上げる。気温が上がる前の涼しい時間帯に読もうと思いそれなりに早く宿を出てきたので、時間帯で言えばまだ昼前だ。

 イレヴンはリゼルの向かい側の椅子へと軽い仕草で腰かけ、飲みかけのアイスコーヒーを手にとり遠慮なく飲み干した。微かに眉を寄せたあたり苦かったのだろう、リゼルは特にミルクもシロップも入れていない。


「迷宮行こうと思ったら此処らへんにリーダーいるっぽかったから寄ってみたんスよ」

「迷宮というと、海にある方の」

「ん」


 ガリ、と氷を齧りながら頷くイレヴンは冒険者装備を着ている。

 今いる喫茶店はギルドや国の出入り口とは宿から反対方向だし、わざわざ自分を探していた訳では無いのなら行き先は分かりやすい。この道の先にあるのは港だ。

 森と海に囲まれたアスタルニアの迷宮は、森側と海側に区別される。森側は言うまでも無くジャングルに点在する迷宮、海側というのは海のに点在している迷宮の事を示している。

 まるで水面に立っているように門が存在する迷宮は、波に揺れることなくその場から動かない。港からギルド所有の小舟が出ているので、冒険者はそれに乗って迷宮を目指す。


「何か気になる迷宮でもありました?」

「あー、何つったっけな……“人魚姫セイレーンの洞”?」


 イレヴンの気を引くような迷宮だっただろうかとリゼルは自らが知っている情報を思い出す。門のある場所とは全く無関係な場所に繋がっている迷宮が多い中、数少ない海にある迷宮できちんと海に関連する構造を持つある意味珍しい迷宮のはずだ。

 “人魚姫の洞”の内部は海、それはもう常に水中を移動する迷宮だが不思議と呼吸は出来るらしいのでリゼルも一度行ってみたいとは思っていた。迷宮だから仕方無いが、相変わらず何でも有りだ。


「それ、俺も一緒に行って良いですか?」

「俺は嬉しいけど、リーダー泳げんの」

「ゆっくりで良いなら泳げます。あの迷宮って歩けるって言うし、多分大丈夫です」


 大丈夫だろうか。

 イレヴンはそう思いながらも、まぁ良いかと頷いた。リゼルは自分で出来ない事をやりたいとは言わないので問題は無いのだろう。

 じゃあ早速と普段着から冒険者装備へと着替えに店内へと部屋を借りに行ったリゼルを見送り、目当ての魔物が出れば良いがと最後の氷を噛み砕いた。







 リゼル達が港へと向かうと、冒険者用の小舟の前には一組のパーティと一人しかいなかった。

 小舟は名の通り大きく無いので一度に乗れるのは迷宮に潜るにあたって最良かつ最大数と言われる六人、海にある迷宮は数自体が少ない上にどれも一癖二癖あるものばかりなので向かうパーティはそれ程多く無い。

 更に今は一番混む朝一の時間帯から外れているので空いているようだ。先に待っていたパーティが船を操る船頭に運賃を払い、残るは待っていた一人のみ。


「…………何してんだ」

「ジルと一緒ですよ。俺より早く宿を出てたと思うんですけど、今からですか?」

「別んとこ潜ってた」


 相変わらず黒ばかりの冒険者装備を身に付けたジルが小舟を待っていた。

 先日時間的に攻略しきれず、ボスだけ残してあった迷宮へと先に潜って来たらしい。ボスを倒す事が出来れば手に入る素材からの大金や負傷などから上位ランクの冒険者でもしばらく休むというのに、ソロで倒して来たジルはじゃあ次と海の迷宮を目指したようだ。

 相変わらず規格外と言う言葉すら控えめな表現に感じてしまう存在だが、そんなジルによる冒険者教育を受けたリゼルは凄いな以外に何も思わないし、イレヴンは人外人外とニヤニヤして終わる。


「ニィサン、多分目的地同じっしょ」

「そうなんですか?」


 “人魚姫の洞”と聞き、同意したジルにリゼルは微笑んだ。


「折角だし、依頼も受けて来ちゃえば良かったですね」


 これでわざわざ別々に潜る必要など何処にも無い。

 パーティで潜ると知っていたら依頼を受けて探索ついでに依頼達成できたのだが、今日は迷宮踏破を目指しても良いかもしれない。何故なら“人魚姫の洞”は新しい迷宮という訳でもないのに未踏破・・・の迷宮なのだから。

 呼吸が出来るとはいえ水中、動きの抵抗もある上に魔物も襲いかかって来る。本来の難易度の高さもある上に、何より最深層に存在するボスを誰も討伐する事が出来ずその迷宮は未踏破のまま存在するのが当たり前になっていた。

 リゼルは迷宮の初踏破というものに立ち会った事がない。その際に手に入る初踏破したパーティにのみ与えられる財宝というのも金に限定されないようなので興味がある。


「踏破しようとしたら出来そうですか?」

「ボスによる」


 ジルは決して慢心はしない。会った事の無い魔物より自分の方が強いなどと思う事は無い。

 ボスと対面して無理だと思えば素直に引くが、今まで全く敵わないと判断するような相手が特に居なかった為に踏破を続けてきただけに過ぎない。

 謎に包まれる最深層とボスを問題無いと判断出来るのは実際に行ってからだろう、今この場では賛成も反対もしないようだが迷宮に潜る事に関しては自らも行こうとしていただけあって問題無いようだ。


「じゃあとりあえず最深層を目指すとして、あの迷宮だとどれくらいかかるでしょうか……全部で五十階層でしたよね」

「一階層がどんくらいの規模かにもよるけど、泊まり込みで三日ぐらいッスかね」


 今までリゼル達が一日で踏破してきた迷宮は、本当に短い所か相性が良いだけに過ぎない。

 一階層が丸々広大な砂漠という迷宮もあるし、規模が大きければ一階層につき一日というのも珍しくは無いのだから。イレヴンが言う三日というのも通常ならば無謀な日数だ。

 しかし魔物に全く足を止めず、複雑な道筋を全く違わず、様々な仕掛けに足をとられなければ可能な数字でもある。それが出来れば誰も苦労しない、と突っ込む人間は此処にはいない。


「あ、泊まりって良いですね」

「お前まだ諦めてねぇの」


 何気にリゼルは未だに迷宮内での宿泊を達成してはいなかった。

 アスタルニアで迷宮に潜る時も、凄まじいスピードで迷宮を攻略していくジルのお陰で攻略済みの迷宮を選んで潜る事が多い。やはり転移魔法陣が使えると使えないでは大きく違い、使えた方が楽だという理由で全員が入った事のない迷宮へと潜る事は最初の迷宮以来一度も無かった。


「じゃあ今日の迷宮で試せば良いんじゃねッスか」

「でも宿主さんに何も言ってませんし」


 何も言わず数日いなくなったら迷惑だろうと告げるリゼルに、準備無く迷宮内で夜を明かそうという男がどうしてそういう所ばかり常識的なんだと言わんばかりの視線がジルから向けられる。まず避ける事を考え無ければいけない所を、わざわざ楽しみにしている所からしてずれているのだが。

 準備無くとはいえリゼル達は空間魔法付きのポーチやら何やらを所有しているので、全て其処に入っている事を思えば大部分は問題が無い。


「どうしましょう、一度宿に帰るのはちょっと」

「あ」


 イレヴンがちょいっと港のとある方向の上方を指さした。

 其処には見回り中か見回りを終えたのか、少し離れた場所にある王宮へと低空飛行で飛んでいるナハスがいる。のんびりと飛んでいる姿はただの散歩なのかもしれない、あの魔鳥愛に溢れた男ならば休日だろうと出勤して愛鳥とデートしていてもおかしくは無い。

 バサリと羽ばたく音が聞こえそうな程に距離が近付いてくる。太陽が反射して見にくいが、今彼の顔は蕩けきっているのだろう。


「あいつで良いか」

「え?」


 ふいに聞こえた声にジルを見ると、額へと手を翳された。

 眩しくない、そう思った直後に聞こえたのは魔鳥が風を切る鋭くも心地良い音ではなく、慌てふためいたように不規則にバタつく羽音と慌てたようなナハスの声。直ぐに離された手の平から開けた視界では、地面に立って落ち着きなくソワソワしている魔鳥とその上でしがみつきながらグッタリしているナハスがいた。

 何となく予想は付くが一体何が、と思っていると地面に降り立ったナハスが片手で必死に魔鳥の機嫌を取りながらバッと此方を見た。


「殺気を飛ばすな!」

「あ、副隊長さんも殺気とか分かるんですね」


 リゼルは未だに気配も殺気も分からない。


「こいつ宿主と顔見知りだろ」

「ええ、知人とか言ってましたし。あ、そうですね」


 魔鳥を驚かせてすみません、と微笑んだリゼルにナハスは怪訝そうな視線を向けた。

 謝られた以上はこれ以上とやかく言うつもりはない。しかし手段はかなり強引だったとはいえ用事があるのは確かのようだ。

 非番だし別に良いが、と考えるのは人が良いのかヒスイから頼まれているからか。それとも動向に目を配っておきたいのか、目を離すと何をするのか分からないからか。


「ちょっと今、“人魚姫の洞”を出来れば踏破したいなって決まりまして。数日帰れないので宿主さんに伝えておいてくれませんか?」

「ちょっと待ってくれないか」


 いきなり話について行けなくなった。

 ナハスは押しとどめるように片手を上げ、今告げられた言葉をまとめる。“人魚姫の洞”の踏破。今まで誰一人として成し遂げた事のない踏破を軽く告げられた、いや彼らならば出来そうな気がするが。これは良い、突拍子も無い事だが彼らに関しては突拍子が無い事も無い。

 数日帰れない、何故数日帰れないのか。次の魔法陣まで辿りつけない訳ではあるまい、夜までに彼らならば五階層踏破出来るだろう。

 ナハスは軍属ゆえに冒険者の詳細になど詳しくは無いが、それでもそれが相当難しい事だと知っている。それでも彼らならば可能だろうことも。


「数日、帰れないのか?」

「流石に一日で踏破はちょっと」


 つまり迷宮の全ての踏破を、数日で。

 良く分からなくなってきたが無理やり納得する。リゼル達が戦っている所などまともに見た事は無いが出来るのか、いや出来るというなら出来るのだろう、そんな気がする。

 ここまでは理解出来た。あと分からないのは。


「今、決まったのか」

「はい。さっき偶然三人揃ったので、宿を出る時に何も言っていなくて」

「それで今丁度あっちから来ている小舟に乗って出発すると?」

「あ、良いタイミングですね」


 小舟の数はそこそこあるものの、スピードが出ない為に次々に往復しているとタイミングによっては中々来ない事が有る。少し待ったが丁度良かったと船着き場に寄って来る小舟をリゼル達が眺めている時だった。


「準備はどうしたんだ。迷宮内で夜を明かすんなら不可欠だろう」

「ポーチのお陰で普段から野営の準備は持っていられるので」

「あぁ、そんな便利なものもあったんだな。食料がかさ張らないというのは有難い」


 ナハスの言葉にそういえばとリゼルがイレヴンを見た。イレヴンが指を一本立てる、今日の昼飯として持って来ていた一食分だという意味だ。

 次いでジルを見ると首を振られた。元々数日かける予定など無く、普段から栄養補給の為に軽い食事は持ち運んでいるが数日分となると心もとない。

 リゼルが何故失念していたかと言えば、元の世界では基本的な準備は全て周囲に任せる地位にいた上に、今までは何処からともなくやってきたジャッジが色々準備してくれたというのが大部分の理由だろう。


「食料、いるんですっけ。現地調達かと思ってました」

「どうしてお前たちは変な所で変に抜けてるんだ……何とかなるしという顔は止めろ! ほら持って行け!」


 いつの間にやらナハスの手には食料がぎっしりと詰まった袋が握られており、全く仕方が無いという顔をしながら差し出されている。彼が生粋の世話好きだと確定した瞬間だった。

 今までならば周りが“あの三人なら何とかするか”とスルーする所にも気付いて手を貸すのだから、彼にとっての世話をする対象である客人扱いがまだ続いているのだろう。野営の多い騎兵団らしく用意された食料もそれに相応しいもので、流石だと思いながら礼と代金を渡して有難く受け取る。

 その時、近付いてきた船が小さく波の音を立てながら桟橋へと止まった。


「じゃあそろそろ行きますね。宿主さんに言付けお願いします」

「あぁ、分かった。お前らも無理はするなよ」


 魔鳥の手綱を引きながら騎乗し、空に飛び立つナハスを見送る。それが宿の方角だったので早速言いに行ってくれたのだろう。

 どうやら休日のようだし友人と話に花を咲かせるのかもしれない、などと話しながらリゼル達は小舟へと銅貨を渡して乗り込んだ。








「小さい船って結構揺れるんですね」

「リーダー酔わねぇから良いじゃん、前に馬車で酔ってたの何なんスか」

「普通に乗ってりゃ酔わねぇんじゃねぇの」

「元々あまり酔う方じゃ無いんです」


 リゼル達は小舟から下りて、今は迷宮の門へと固定されるように結ばれているイカダの上に立っていた。

 海にある迷宮には全て足場としてそれなりの広さのイカダが固定されている。門が波に影響されずに動かず立っているからこそ作る事が出来た足場だろう。

 イカダには一本の街灯のようなものが立っていた。その天辺にぶら下げられているのはランプで、帰りはこれを灯すと船が迎えに来てくれるらしい。色つきのランプは迷宮によって色が違い、昼間でも分かりやすい色の光となっているようだ。

 ついでにランプの下には鐘がぶら下げられているので、鳴らす事で船頭達は何処かでランプが灯った事に気が付いて光を探し迎えに来る事が出来る。


「門は陸にあるものと変わりませんね。迷宮ごとにデザインが違うので少し海っぽい感じはしますけど」

「開いたら真っ黒っつーのも一緒」


 イレヴンが片手で扉を押すと、両開きの扉がゆっくりと開く。


「じゃあ行きましょう。迷宮の中は全部水中っぽいので、入ってすぐ水の中でも驚かないように」

「あぁ」


 門の中を埋める黒に手を埋めて、三人は躊躇わずに迷宮へと足を踏み入れた。

 ざぶりと、水中で腕を掻くような感覚と感じる浮力。しかし不思議と足はしっかりと床を踏みしめていて、数歩前へ歩くと多少の抵抗は感じるものの驚くほど普通に歩く事が出来た。

 ふわりと浮く髪を耳にかけ、リゼルは無意識に止めていた息をゆっくりと吐く。吐いた分の泡が立ち上るという予想は外れて、微かに小さな泡が口から洩れただけだった。

 そして、躊躇わずに吸う。知識で知っていようと水中で呼吸をするのは酷く抵抗がある筈だが、そんな事は微塵も感じさせない普段通りの呼吸。


「凄い、普通に息が出来てます」


 呟いた声は水中らしく微かに反響して聞こえたようだった。

 水が口内へと流れ込むかと思ったがそれも違う。本当に普段と変わらない呼吸だ。

 リゼルは振り返り、大丈夫と微笑んだ。眉を寄せていたジルと片手を口に当てて微妙な顔をしていたイレヴンが、その噤んでいた口を開く。


「お前は躊躇い無ぇな」

「すっげ、これ水中なのに何で?」

「分かりません。迷宮って凄いですね」


 触れる水の温度は冷たくは無い、ほぼ外気と同じだ。

 しかし此処は確かに水中だった。白い石を組んだ水中遺跡の中のような風景は何かに照らされているように明るく、時折石の隙間から立ち上る泡がある。ひどく透明度が高い水は思う程体の動きを妨げないものの、しかし戦闘となれば激しい動きに確実に抵抗が働くだろう。

 泳ごうと思えば泳げる筈だ。普通に歩けるのならばそちらの方が早いが。


「こんな迷宮で魚の魔物が出るなら難易度がかなり上がりそうです」

「え、出んじゃねぇの?」

「出るみたいですけど、簡単には出て来ないと思います」


 魚の魔物と水中戦、そんな事になるならばこの迷宮はとうに立ち入り禁止になってもおかしくはない。

 しかし少なからず潜っている冒険者はいるようだし、しょっちゅう出てくるという事は無いのだろう。でなければ入る冒険者はみな全滅している。


「だって。ニィサン」

「テメェもだろうが」

「そんなに戦いたかったんですか?」


 微笑み、リゼルは確かに完全な水中戦は初めてというのもあるかと納得した。

 以前魚の魔物と戦った時は腰までの水位で、何故か水中と言うアドバンテージを捨てて水面から躍り出てきた魔物を斬っては先へと進んでいた。ジルとイレヴンにより次々と水面から斬り捨てられた魚が飛んでくるのを眺めながら、思わず熊の狩りを想像して和んでいたのは此処だけの話だ。

 この中で剣を振るうのは相当な力や鋭さが必要だろうに、と思うが二人に関しては問題無いだろう。そう思いながら歩き出す。


「普通の水中ほどでは無いですけど、少し歩きにくいし疲れそうですね」

「泳ぐのは?」

「そっちのが疲れんだろ」


 魔法陣の上を通り抜け、真っ直ぐに続いている通路を歩く。

 水中という点以外は他の一般的な迷宮と変わりが無い。しかし上下移動があるのが最大の違いだろうか。

 壁に突き当たり、真っ直ぐに上へと伸びる道を見上げながらリゼル達は流石水中の迷宮だと納得した。他の迷宮ならば梯子や出っ張り、ロープやそれを引っかける場所、規則的に上下している板などが配置されている筈だがつるりとした壁は登る為の手段が何処にも無い。

 それはつまり泳げという事だろうと、リゼルが床を蹴ろうとした時だった。


「掴まってろ」

「え?」


 手首を掴まれ、その腕を首に運ばれる。水中では例え腕一本で持ち上げられようと痛みなど欠片も無く、掴まる様子を見せない事に怪訝そうなジルを思わずまじまじと見てしまった。

 その様子に何か気付いたのだろう、眉を寄せたジルがまさかと言わんばかりに此方を見返してくる。こぽりと小さく唇から零れた泡を一瞬目で追っていたが、すぐに心底意外そうな顔を向けられてリゼルは彼の言いたい事が分かった。


「お前泳げんのか」

「何で二人とも俺の事を泳げないと思ってるんですか」


 思わず真顔になった。


「泳げねぇっつうか泳いだことあるように見えねぇ」

「ニィサンに同意」

「ありますよ、一応」


 リゼルは苦笑しながら今度こそ床を蹴った。

 危なげなく登って行く姿に、成程確かに泳げるようだとジルとイレヴンも続く。ゆっくりならば泳げるという言葉は本当らしく、ゆったりと上昇する様子は特に急ごうとした事が無いのだろうと思わせた。

 いざという時はやはり腕を引っ張りながら泳ごうとジルとイレヴンは思いながら、遠方に見えた四角いゼリー状の魔物を魔銃ライフルで撃ち抜くリゼルを見ていた。







 どうなっているのかは知らないが、全ての迷宮で朝晩がある。

 こんな空も何も見えない白い石に囲まれた迷宮でもそれは同じで、何かに照らされているように明るい迷宮内が徐々に光を失っていく。迷宮外に合わせた時間の経過で、外と全く同じように暗くなる。

 しかし完全に真っ暗になる事は無く、やはり月明かり程度の明るさは残るのだから随分と助かる。迷宮の親切設計は細やかな所にまで行き届く。その代わり絶妙な嫌がらせ設計も些細な所まで徹底してはいるが。


「野営ですね」

「迷宮内でも野営っつーの?」

「なら何て言うんですか?」


 そう言われると分からない、とばかりに「えー」と言いながらイレヴンがジルを振り返った。呆れたように零された溜息が少し大きな泡を作るのを見て、助けは得られないようだと諦める。


「普通に泊まりで良いんじゃねッスか。決まった呼び方とか無ぇし」

「そうなんですか?」

「迷宮内で一泊とかあんま無ぇもん」


 そんなものか、とリゼルは頷いた。そして準備を始めているジルに何か手伝う事はないかと歩み寄る。

 此処で良いかと選んだこの場所は、ただ平らで開けた場所というだけに過ぎない。迷宮内で絶対安全な場所は無く、何処に居ようと魔物に襲われる可能性はある。唯一絶対安全なのがボスを倒した後の空間だというのだから本末転倒だ。


「迷宮内で夜を明かす時って、何を準備すれば良いんですか?」

「火ィつけてボサッとしてるだけだし、特に準備も必要無ぇだろ」


 夜の魔物は積極的に此方を襲って来ないが、その分強化されている。

 よって通常は見張りで一人が起きており、魔物を発見次第全員で一気に片を付けるか見つからないよう隠れるように場所を移動する。決してボサッとしていて良い訳ではないのだが、そもそも夜を明かすというより休憩目的であるジルは体さえ休めていられれば良かった。

 休憩さえ終われば夜だろうと強化されてようと魔物を斬り伏せ攻略を進めていたので、それこそ準備らしい準備は必要が無いだろう。


「テントとかは使わないんですね」

「大抵が雑魚寝ッスね」


 迷宮内でテントを使う冒険者はいない。

 まず熟睡する事など無いし、いざという時に素早く逃げだせない。襲われた際に一々テントを畳んでいる暇など無いので結局テント一つ無駄になる事が多いからだ。

 ちなみに以前、ジャッジが迷宮で泊まるかもとリゼルから聞いた時にイレヴンの空間魔法へと野営セットを詰め込んだ中にはしっかりとテントも含まれている。冒険者がお得意様のジャッジが迷宮内でのあれこれを知らない筈が無いので、その上でリゼルを床で寝かせるような真似はするなという事だろう。


「テントの方が落ち着くんなら用意すっけど」

「いえ、このままで良いですよ」


 そして“王座”によって監禁されて一晩それを叩きこまれたイレヴンも当然のようにその方が良いかと思う。正直リゼルと雑魚寝の単語が結び付かないというのもあるが。

 しかしリゼルはそれを微笑んで断った。浮力も働いているので例え床の上で寝ようとそれ程体は痛くならないだろう。

 ジャッジには悪いがと内心で付け加えるあたり、彼がそれを望んでいない事は知っているのだろう。しかし折角なのだから迷宮での夜の過ごし方というのも経験してみたい。

 思わず三人が同時に思い浮かべたジャッジは半泣きになりながらも「リゼルさんが良いなら」と情けない顔をしていた。彼はぶれない。


「じゃあ、後は火ですね」

「水中だぞ」


 半日程過ごして慣れたとはいえ、此処は忘れようも無く水中だ。声は反響するし話すと小さく泡が零れる。

 しかしリゼルはジルの言葉に不思議そうに目を瞬かせた。


「点かないんですか?」

「あ?」


 差し出すように掌を広げ、リゼルは揺れる髪を耳にかけながら一度瞬きする。

 一瞬の後、掌に現れたのは間違いなく火だった。水中にも拘らず消える事の無い火は、しかし水と接している個所から煙を上げる事もない。

 水が揺らいでいるのか火が揺らめいているのか、水の外と変わりなく姿を変える火を見ながらおもむろにイレヴンが指を伸ばした。チッと火の端を弾いてみる。


「あっつ、本物じゃん」

「何となく点きそうかな、って思ったので」


 何故点きそうだと思うのか。しかし本当に点いてしまうのだから何も言えない。

 ジルは呆れたようにリゼルを見ながら、溜息をついて火の準備を始めた。


「リーダー何食べてぇ?」

「どうしましょう。確か副隊長さんが水中の影響を受けない食料を買ってくれてた筈ですけど」


 リゼルは手渡された時の食料が詰まった袋を思い出す。

 見える部分だけしか覚えていないが、入っていたのは干し肉など濡れても問題が無い食料ばかりだった筈だ。“人魚姫の洞”へ行くと告げていたので気を遣ってくれたのだろう、流石だと感心してしまう。


「水ん中で食べるって微妙ッスね」

「美味しくなさそうですよね」


 イレヴンが適当に取り出した干し肉を齧る。水ごと入って来る訳ではないし味も変わらないのだが、やはり水に浸かりっぱなしだと思うと微妙だ。

 炙ってみれば変わるかと、摘み食いを咎められながらもイレヴンは指で干し肉を挟んでジルによって用意された焚火で炙る。ほぼ冷めないとはいえやはり口に入るまでに濡れるというのは微妙だと思いながら少しは味がマシになったかと再び齧った。


「……」

「イレヴン?」

「濡れてなくねッスか」


 炙った所が炙ったままだ。

 手渡された干し肉をリゼルも齧ってみると、イレヴンの言った通り全く濡れていない。表面の焼き色も香ばしさもそのままに食べられる。

 焼けば大丈夫、どういった理由かは分からないが美味しくご飯が食べられるならばそれに越したことはない。三人は顔を見合わせて頷き合い、早速火を通して食べられるものを食料袋から取り出し始めた。


「あ、凄ぇ団子ある団子。焼いて食おう」

「肉だろ」

「あ、ジャガイモもありますよ」


 リゼルは身が引き締まった掌大のずっしりしたジャガイモを持ちながら、そうだと頷いてイレヴンを見た。


「イレヴン、ナイフ貸して貰って良いですか?」

「んぁ、何で? あ、切んスか。貸して」

「はい、俺が切ります」


 あっさりと告げたリゼルに、イレヴンとジルの動きが止まった。

 さて果たして目の前の元貴族は料理などした事があっただろうか。いや無い、何せ本人が言っていたのだから。

 今までも何だかんだ言ってやりたそうな事は言っていたが、此処まではっきりと告げられた事は無かった。ジルとイレヴンのやけに真剣な眼差しが一瞬だけ交差する。


「お前団子ぜってぇ焦がすだろ、忍耐ねぇから」

「んな事ねッスよ。あ、でもリーダーとか向いてそうかも」

「いえ、俺はこれを切らなきゃ駄目なので」


 にっこりと微笑んで告げられた言葉に、二人は視線を逸らしながら鋭く舌打ちする。

 使いなれないナイフを握らせるよりは日ごろ魔法で使っている火の方が危険が少ないと判断したのだが、二人の完璧な演技はリゼルには通用しなかった。

 どうやったって誤魔化される相手では無い。そして穏やかで控えめな印象に反して、リゼルは今まで誰に何と言われようとやりたい事は全てやってきたのだ。

 言葉からして既に決定事項だ。リゼルに引く気は無い。


「……俺の凄ぇ切れ味良いし、ニィサンの方が」

「似たようなもんしか無ぇよ。それにお前のが数持ってんだろ」


 つまり一番安全そうなものを渡せという事か。

 イレヴンは渋々という態度を隠そうともせずに一本のナイフを取り出した。刃渡りが短めで握りやすく片刃、言うならば一番包丁に似ているデザインだ。

 はい、とナイフの刃を摘まんで渡されたナイフを嬉しそうに受け取り、リゼルはさてとポーチから迷宮品である“いくら使っても擦り減らないまな板”を取り出して膝の上に置いた。


「リーダー、最初は俺。俺やるから。ほらジャガイモ丸いし」

「見れば分かりますよ」

「切る! 指切る!」

「え? ジャッジ君はこうやって……」

「お前あれと自分を同列に並べんなよ」


 彼は野外の焚火であってもフライパン一枚で完璧なフルコースを作りきる男だ。

 そんな玄人の手つきを初心者が真似てどうするのか。一体その自信は何処から来るのかとジルは常々問いたいと思っている。

 どうやら付きっきりで見ている事にしたらしいイレヴンに取り敢えず任せ、ジルは焚火の方を向いて他の準備を始めた。何と言うか、見ていたら全て取り上げたくなる。


「ん、あれ、イメージではもっとこう……スムーズにトントンといける予定だったんですけど」


 完全に料理をしない人間の言い分だ。

 随分と固そうなジャガイモ相手に素人がスムーズにいける訳が無いだろう。ジルもイレヴンも切って焼ければそれで良い、味も自分で作るのならば食べられれば良い人間なので偉そうなことは言えないが、しかしリゼルにならば言っても許される気がする。

 ジルは決して振り返らないようにしながら黙々と肉を焼く。


「ちが、リーダー手! 猫! 猫に成りきって!」

「にゃー」


 思わず振り返った。


「いやそうじゃなくて! 真剣な顔して何言ってんスか危ないっつってんだろ!」

「あれ、今」

「手元見る!」


 リゼルは最初から最後まで真剣なのだろう、むしろ今まで余り見た事が無いぐらい真剣だ。言われた通りにしたら怒られて何故だと思っている姿をジルは呆れたように見た。

 確かに猫の手と言われても全く分からないだろう、リゼルでは猫の手も借りたいという慣用句が出てくるぐらいだ。本から取り入れる料理に関する知識にも猫など全く出て来ないのだから、直前に手という単語が出ていきなり猫に成りきれと言われても訳が分からないに違いない。

 しかし口を出すと酷く疲れそうなので突っ込もうとはしなかった。とりあえずイレヴンが見ているなら怪我はしないだろう。


「だから手ぇ猫の手にしろっつってんのに! 指、こうして」

「あぁ、そういう意味だったんですか」


 イレヴンによってぐにぐにと指だけ曲げられた手に、成程と頷いている。

 どうやらすれ違っていた会話は噛みあったようだと、背中越しに会話を聞きながら今後は絶対に料理などやらせないとジルは心に決めた。

 やらないと上達しないとかそんなものは知らない。別に上達などしなくて良いのだから問題ない。






「見て下さい、ジル。どうですか?」

「……お前基本的に器用だよな」


 出来上がったジャガイモは、苦戦していた割には美しく等間隔に切られ並べられて水の中で煌めいていた。




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>王都周りの迷宮で、ジルが行ったことのない迷宮は知恵の塔だけですよ。 アスタルニアで、という意味だと思います。 →74:勿論寂しがってる
〉使えた方が楽だという理由で全員が入った事のない迷宮へと潜る事は最初の迷宮以来一度も無かった。 王都周りの迷宮で、ジルが行ったことのない迷宮は知恵の塔だけですよ。 参考:60:無いなら仕方ない
[良い点] 誘拐犯より身内に「ひぅ」と泣いた幼リゼル様(泣き方可愛い!)、水に腰まで浸かっての魚魔物狩りにクマーな光景を連想して和むリゼル様、小芝居打ってまで芋に対するリゼル様の情熱を逸らそうとしたジ…
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