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73:黒いから余計に

 アスタルニアは海とジャングルに囲まれた土地だが、他国との貿易は頻繁に行われている。

 その為に整備された道はジャングルの中では狭いものの、流石に国を目の前にすれば広く広がり大きく開かれた門が真正面で人々を迎え入れていた。

 長旅を終え一息つく商人の一行や、腕に覚えがあるからと確かにまともな補給を行えない道のりを踏破する実力を持った冒険者たちは笑みを浮かべながら国内へ。ジャングルに繰り出そうという地元の狩人や迷宮へ向かおうと意気揚々と歩く冒険者は国外へ。

 活気あふれる人々の行き来が国の豊かさを示しているようで、そしてその印象に違わず国は豊かだった。


「明るい内に着けたな」

「思ったより早かったですね」


 国内へと入ろうとする人々の中にリゼル達はいた。

 今いる整備された道とは違い、それこそ獣道を突っ切ってきたリゼル達だが誰もそんな事には気付かない。疲れを見せず歩く姿は勿論のこと、装備や実力のおかげで汚れ一つ無い服装を身に纏う彼らがまさかジャングルの道なき道を越えてきたとは思わないだろう。


「ショートカット使いまくったし。半日もかかんねッスよ」

「使えちゃいけないショートカットだった気もします」


 微笑んだリゼルが、ジャングルの中で通って来た風景を思い出す。

 獣道を歩き、襲いかかる魔物を返り討ちにし、川を飛び越え、魔物の巣を突っ切り、崖を飛び降り、まともに立てない急斜面を登り、急斜面を滑り降りた。確かにそれらを避ければしっかり半日かかっていただろうが、幼少の頃を思い出したイレヴン曰く“子供の頃から使ってた近道”は随分と時間短縮に一役買っただろう。

 ただ常人は確実に使えない。使えちゃいけない。そんな道のりをジルとイレヴンは悠々と踏破した。


「まぁどうしても無理な道は抱えられてたし俺は楽でしたけど」

「ニィサンいると楽で良いッスね。俺とリーダー抱えてあの崖降りれるとかマジパネェ」

「自分も通れねぇような道に案内すんじゃねぇよ」

「昔っからあそこだけが凄ぇ邪魔でさァ」


 しかし汚れてはいないものの湿っぽいし土っぽいし早くシャワーが浴びたいだの、そんな事より腹が減っただの話している内に門前へと到着する。

 門には当然見張りが立っていた。着ている服はナハスら魔鳥騎兵団と似たようなデザインだが色が違う。

 限られた人数の魔鳥騎兵団を門番にはしないだろうし、一般の兵達なのだろう。とはいえパルテダールに比べると彼らも軽装である事に変わりは無いが。

 そんな門番が、ふいにリゼル達を見て目を見開いた直後に何かを全力で納得したように頷いた。一体どうしたのかと思いながら近付き、身分証明の為にとギルドカードを見せる。


「冒険者だな、通っていいぞ」


 ジルとイレヴンが真顔でリゼルを見た。


「お前いつの間に手回しなんかしたんだよ」

「そんなに二度見されんの嫌なんスか、リーダー」

「凄く失礼な誤解をされてます」


 今まで王都以外の場所に訪れた時の門番は全員どのような反応をしていたか。

 むしろリゼルが冒険者だと知った時の周囲はどのような反応をしていたか。

 それをずっと見てきたジル達には信じられない、リゼルが二度見もされず固まられもせず冒険者だと名乗って受け入れられる事が。心底失礼。

 リゼルは微笑み、本当に冒険者らしくなってたら嬉しかったけどと言いながら取り出したギルドカードを仕舞う。


「副隊長さんから何か聞いてました?」

「副……? ああ、ナハスさんか」


 問いかけるリゼルと、その通りだと頷いた門番によって早々に謎は解かれた。

 やはり前情報が無いと絶対固まるか二度見するんだろうと話し合う二人に笑みを苦笑へ変えるリゼルを、門番はしげしげと眺めやはり納得したように頷く。


「本来なら冒険者には別室で説明があるが、ナハスさんが話はしてあると言ってたしこのまま通って良いぞ」

「説明というと、森に入る際の注意とかそういうのですか?」

「ああ」


 イレヴンが言っていた通りジャングルでは魔物の大量発生やスポットの移動など環境が劇的に変わる事がある。それに対する注意喚起の為の説明なのだろう。

 リゼルは道すがらナハスからその手の話は聞いていたし、二度手間にならないようにと気を遣ってくれたようだ。その他の細かい入国審査も飛ばしてくれるようで、宿も早く決めてしまいたいリゼル達にとっては素直に有難い。


「でもさァ、あんた達すんなりそれが俺らとか思ってるけど違ったらどうすんの?」

「いや、違う筈がない」


 赤い髪を蛇のようにしならせながら、相変わらずリゼルとその身内以外に対しては常に浮かんでいる嘲るような笑みのままイレヴンが問いかけた。

 確かにそうだろう。先程から門番はナハスから聞いていた人物が目の前のリゼル達だと確信を持っているように話しているが、もし違ったら不審者を素通りさせる所業だ。

 余程ナハスが上手く説明してくれたのだろうか、力強く頷いて口を開いた門番の瞳は自信に溢れている。


「やたら貴族なのと、やたら黒いのと、やたら癖のある浮世離れした三人組が来たらそれだと聞いたからな」


 釈然としない。







「王都とは雰囲気が違いますね」

「なんつーか、活気があるのは一緒だけどこっちのが陽気ッスよね」


 リゼルの元の世界でも温暖な地域に似たような国はあったし、其処に行った事もあるので特に驚きはしないが見慣れない国だというのは共通している。建物や人々の服装一つとっても慣れ親しんだものとは異なる光景に好奇心のままに周囲を見回した。

 木で作られた家々が並ぶ通りは石造りの家が多かった王都とは違い酷く開放的だ。イレヴンの家同様に地面から少し浮かせて建てられているからかも知れないし、緩やかな傾斜がある為か通りの正面に海が見えるからかも知れないし、人々が皆軽装だからかもしれない。

 隣を歩くイレヴンにとっても時折訪れるだけで馴染みの無い国だったし、それも幼少の頃の事なのでほとんど何も覚えていないので観光気分で見回していた。


「やっぱ暑ィな」


 着心地快適な最上級装備は勿論寒所では暖かいし暖所では枚数を着こんでも暑くならないものの、しかし涼しくしてくれる訳ではない。ジルは首元を広げながら呟いた。

 日も落ち始めるだろう時間帯だし、昼間でもうだるような暑さとまでは行かないが慣れない内は余計に暑く感じるだろう。


「じめじめしてないので、それ程不快感は無いですけど」

「お前暑くねぇの」

「暖かいな、ぐらいです」


 例え暑かろうが何だろうが涼しい顔をしているリゼルを、ジルは胡散臭そうに見た。

 ジャングルでは流石に手で扇いでいたが、それでも暑さなど感じさせない顔をしていた。まさか暑さを感じない訳でも無いだろうし、それも貴族スキルなのだろうかと思うと何故そこまで徹底するのかと思わずにはいられない。

 リゼルは熱を散らすように溜息をつくジルを見て、悪戯っぽく笑う。


「前から思ってましたけど、ジルって暑いの苦手ですよね」

「は? ニィサン苦手なもんあんの?」


 ニヤニヤと覗き込んだイレヴンは直後、顔面を襲うアイアンクローに悲鳴を上げた。


「辛いですか?」

「別に。その内慣れるし問題ねぇ」


 気遣うような視線に眉を寄せ、ジルは向けられる瞳を遮る様にパシンとその額を手の甲で弾いてやる。

 相変わらず痛くないそれにリゼルは微笑み、乱れた前髪を指でよけながら大丈夫そうだと頷いた。本当に無理そうならば気付ける程度の自負はある。

 ちなみに初めてジルが暑いのが苦手だと気付いたのは王都の迷宮“鉱石火山”での事だった。その時のジルは普段のガラの悪さを数倍にもして、魔物を倒す姿も何処か八つ当たりを彷彿とさせていた。


「つかニィサン風呂は平気じゃん」

「風呂は別だろ」


 何とかジルの掌を引きはがす事に成功したイレヴンの言葉に、ジルは当然のように返す。そういうものなのだろうか、と不思議そうなリゼルとは別に堂々と「おっさん臭ぇ」と零したイレヴンは第二のアイアンクロー襲撃に本気を出して避けた。


「三人ともほぼ初めての国だし、副隊長さんにお勧めの宿を聞いておいて良かったです。今日はもう休んじゃいましょう」

「お前そんな事まで聞いてんのか」

「長居する予定だし、ちゃんとした所が良いじゃないですか」


 懐具合と相談して宿を移り、余程気に入らない限り一つの国に留まろうと宿を固定しないのが通常の冒険者だがリゼル達は気にしない。

 リゼルは快適に本が読めれば良いし、ジルは露骨に怯えられなければどうでも良いし、イレヴンは寝心地が良くて食事が美味しくて綺麗で他の客が煩くなくて安っぽく無くて宿主が舐めた態度をとらなければ良い。つまり大方イレヴンの望みに沿えば問題ない。

 ちなみにその時同席していたイレヴンのその要望を聞いたナハスは盛大に口元を引き攣らせた。


「出来れば一人部屋が良いって言ったら凄く悩ませちゃいました」

「何で? 冒険者向けのちょい良いトコだと一人部屋あるじゃねッスか」

「お国柄ってやつですよ。皆で騒ぐのが好きな人が多いみたいで、一人部屋のある宿って少ないみたいです」


 リゼル達とて商業国マルケイド魔鉱国カヴァーナではパーティで一部屋だった。

 しかしそれは旅行程度だからで、少し長く腰を据える事を考えれば一人部屋の方が断然気楽だ。今までもそうだったのだし、楽なのは確かなのでジルもイレヴンもその意見には素直に同意する。

 リゼルはえーと、と言いながらふと店先に毛皮をぶら下げている店舗を見つける。


「門を抜けて果物の露店の並ぶ通りを直進、毛皮の卸売の店を右……これでしょうか」

「それ肉屋だぞ」


 違った。看板も出ていないのに良く分かるものだと感心し、止めかけた足を進める。

 豊かなジャングルで手に入る特産品が並ぶ露店や店が多く、本を読んで知識はある為に並ぶ王都では全く見ない果物が何かは予想出来るものの無事買い物が出来るかは別だろう。

 見る限り値切りの作法も違うし、と頷くリゼルをまた変な事考えてんなとジルは呆れたように見下ろす。


「今向かってんのが宿なんスよね」

「はい。ギルドに程々に近くて、賑やかな場所からは少し離れた場所にあるそうです」

「何で騎兵団の奴が冒険者が泊るような宿知ってんだよ」

「知人がやっている宿みたいですよ。少し値段は上がるけど、良い所だって言ってました」


 値段については仕方がない。一人部屋があるような宿は元々割高な場所が多いからだ。

 そもそも金欠な冒険者は知らない冒険者も一緒くたに寝泊まりする大部屋がある宿など、とにかく相部屋が多い格安の宿へと泊まる。あまり良い気分では無いもののそれが当然なのだから文句も言わない。

 そしてランクが上がって余裕が出てくるとパーティで一部屋。更に上がると一人一部屋になるのだから割高も納得だろう。ナハスはリゼル達が金を持っていないなどとは微塵も思っていない。


「アレの知人か……嫌な予感しかしねぇな」

「失礼ですよ、ジル。気遣いの上手い彼のことです、ちゃんとした宿を選んでくれたでしょう」

「やー、分かんねぇっしょ。そこかしこに黄金の魔鳥像とか置かれてたらどうすんスか」

「その時はその時です。違う宿を探します」


 微笑むリゼルに、ここで折角紹介して貰ったんだからとならない所がリゼルだよなとジルもイレヴンも納得した。我らがリーダーは自分達にとっても楽な人間で何よりだ。


「あ、リーダー毛皮屋」

「成程、さっきの店より綺麗な毛皮ばかりです」

「あれは剥いだやつ干してただけだっつうの。売りモンじゃねぇよ」


 広めの道が交差している通りを曲がり、足を進める。

 雑談しながら歩く事一分ほど、新顔だからかやはり視線を貰うようだなどと話していたリゼルがふっと横を向く。周囲のものより一回り大きい木造の立派な建物、それをちょいっと手で示した。


「ギルド、此処ですね」

「結構でかいッスね。王都ぐらい?」


 スタッドの居た王都のギルドは、あれ程発達していた商業国や魔鉱国と比べても大きかった。そのギルドと同様の規模なのだから、この国の冒険者活動も充分活発だろう。

 それはジャングルのお陰もあるだろうが、迷宮が多い事も示している。退屈はしなさそうだな、とリゼルがジルを見ると常よりやや気だるげな視線が少し鋭さを取り戻しながら返された。


「調子を取り戻したら、君は迷宮巡りに行ってしばらく帰って来なくなりそうです」

「んな時間かけるかよ」


 迷宮巡りは否定しない辺り楽しみなようで、付いてって良いかと尋ねるイレヴンも同様だ。

 ギルドを通り過ぎる際、一刀という言葉が聞こえたがジルは来た事が無いというのに噂は広がっているらしい。国から国へ飛びまわる魔鳥騎兵団だからこそ知っていたのでは、とも思っていたが違ったようだ。


「有名人ですね」

「“貴族っぽい冒険者”の噂は届いて無ぇみたいで残念だったな」


 鼻で笑うジルに、だから普通に冒険者で良いんだけどとリゼルも可笑しそうに笑った。







 夕暮れの差す頃、辿りついた宿は特別大きくも小さくもない普通の宿だった。

 金の魔鳥像が無くて何よりだと三人は内心を一致させながら宿へと足を踏み入れる。風が通る様に計算されて作られた宿は、しかし解放感に溢れすぎず落ち着くような作りとなっていた。

 入って直ぐ目につくのは並んだ扉。L字型に並んだ部屋が一階・二階問わず玄関から見えるようになっており、二階廊下の此方側は手摺りとなっている。

 完全な吹き抜けとなっている玄関は、宿自体の大きさの割にその場を広く見せていた。


「イレヴンとか、階段使わずにそのまま下りて来れそうですね」

「あー、楽で良いッスね」


 板張りの床を歩き、部屋の隅にあるカウンターへと寄る。

 机の上には宿帳らしきものがあった。勝手にめくろうとするイレヴンを他の客のプライバシーもあるのだからと止めて、置かれているベルを鳴らす。

 少しの後、カウンターの隣にある扉の向こうからのんびりとした足音が聞こえてきた。


「はいはーい。全員俺に跪け、そんなドエスを目指したい俺ですこんにちはー……何だこれ明らかにタイプの違う跪かせる側の人間が三人も来たぞ調子こいてすみませんでした」


 現れるなり意味不明な発言をして勝手に頭を下げる男を、三人は何処か納得を持って見下ろした。何というか、流石はナハスの知り合いというべきか。


「いや何ていうか冗談なんですよ。男ならちょっとエスッ気ある方が良いかなーなんてさっきちょっと思っちゃって」

「貴方が宿主ですか?」

「おおっとスルーされた何だろうコレぞくぞくする」

「ドエムじゃねぇか」


 ツッコむイレヴンに、いやいやそんなと店主は何故か誇らしげに首を振った。

 そんな奇妙な言動とは別にテキパキと宿泊手続きの準備を行うのだから仕事の出来る人間のようだ。更には一般人には初対面でまず怯えられるガラの悪いジルを見ても物怖じしないし、何だかんだ言いながら過度に干渉しようとはしない。

 宿も見る限り隅々まで手入れが行き届いていて清潔だし、確かにリゼル達というかイレヴンが出した条件はクリアしている気がする。


「ナハスが言ってたのってお客さん達でしょ、一人部屋三つの」

「何て言ってました?」

「やたら貴族なのと、やたら黒いのと、やたら癖のある浮世離れした三人組が来るとか意味不明だったけど超納得した。二階のあそことあそことあそこの部屋どうぞー」


 釈然としない。







 部屋は一人部屋らしく然して広くないものの、ベッドでいっぱいという程に狭くも無かった。王都で泊っていた宿と同じような部屋だ。

 リゼルが窓から外を眺めると、然程近くも無いのに丁度遮るものなく夕焼けに染まる海が見える。その手前に鎮座しているのが王宮だろう、木材の建物が多い中で白亜のそれは強い存在感を放っていた。

 王宮へと吸い込まれるように数騎の魔鳥騎兵が降りて行くのを見て、自主的に門番や宿への手回しまで気を回してくれたナハスに礼を言わなければと思う。


「(多分すぐにイレヴンが外で夕食とろうって来るから……あ、ジル行けるかな)」


 壁際に置かれている机から椅子を引っ張り、窓の近くに置いた。そこに腰かけ窓に頬杖をつきながら、見える街並みの人込みを見下ろしながらぼんやりと考える。

 何だかんだ言ってリゼルにとっても慣れない気候だ、その中をほぼ半日歩き通したのだから自覚は少ないものの疲れていても無理はない。とはいえ外に食べに行く程度なら問題は無いし、イレヴンが行きたいというならこの国の料理に興味もあるので付き合うが。

 ジルも不快感を感じているだけでそれ程辛い訳ではないようなので来るだろう、そう思った時だった。


 チリ……ッ


 ふっとリゼルは顔を上げた。

 鳴り損ねた鈴のような音、聞き覚えのある音が微かに聞こえた。


「……陛下?」


 ぽつりと呟いた言葉に返事は無い。

 リゼルはふっと瞳を閉じる。些細な音も聞き漏らさないように、外から聞こえる人込みの音すら遮断する程に彼の人物に繋がる音に集中した。


 チリリッ


 前回より間隔が短いのは一度世界を繋げた事で何かを掴んだからか。

 教え子である国王の実兄はさぞ頑張ってくれているらしい。王位を捨て趣味の魔術研究に励み、いかんなくその才覚を発揮する彼が恐らく帰還の為の研究を率いているのだろう。

 畏れ多いと思うが、望んでしてくれているというのなら有難い事だ。

 ふいに左耳のピアスが熱を持った気がした。今度は意識を手放す訳にはいかないとは思うものの、以前同様に流れ込むだろう魔力へと抵抗しようとは思わない。


 パキン ッ


「……ッ」

 

 耳元で急激に増幅する魔力は、スポットをピアスに無理やり閉じ込める事に近い。

 接しているリゼルに何の影響も無い訳が無く、襲いかかる急激な意識の混濁と魔力中毒に近い痛みを抑え込む。以前のように気を失ってしまえば楽だろうがそうはせず、身構える余裕があった為に何とか耐えきる事が出来た。


「は、……」


 痛みは当然好きではない。しかし彼から与えられたのならば何であれ受け入れるべきだと、自己満足と知りながら行っているのだから後悔などない。

 かの国王が知ればさぞかし怒るのだろう。本人としては“当然だ”と胸を張りたいのだろうがと、本人以上にその本心を知り尽くしているリゼルがゆっくりと息を吐きながら微笑む。

 まぁだからこそ彼がいない今しかやらないし、誰もいないからこそ完全に痛みを隠そうとはしないのだが。

 耐える為に知らず俯いていた顔を上げ、リゼルはあれ、と不思議そうに目の前を見る。

 以前のようにガラス越しのような空間の窓が開くのかと思いきや、目の前には曇りきった鏡のような小窓程の歪みが出現している。向こう側が辛うじて色程度のみ把握出来るそれは、前より劣化しているのではと思わずにはいられない。

 まさかそんな筈は無いと思うが、とその部分に手を伸ばそうとした時だった。


 バキッッッ


 宿中に響き渡ったのでは無いかという破壊音。

 もはや音が衝撃となったのか衝撃が実際に巻き起こったのか分からない程のそれに、気付けばリゼルの前には黒い壁があり座っていた筈の椅子はその背の向こう側にあった。


「リーダー、何?」


 腕を掴みリゼルを後退させただろうイレヴンが、少しばかりの警戒を目に宿しながら低く問いかける。

 イレヴンのその警戒が少しでしかないのは、ジルが状況を把握して呆れたように前をどいたのは、恐らく彼らも察しているからだろう。以前もその場面に立ち会った二人だ、予想が付かない筈がない。


「御心配おかけしました」


 一体どうやって部屋へと入ってきたのかと思いながら、リゼルはゆるりと苦笑した。

 その視線はしかし浮かぶ歪みに固定されている。三人の視線の先では、小窓程度の歪みを真っ二つに割らんばかりに叩きこまれただろう指先が覗いていた。

 そう、まごう事無き指先だ。指が空間にポツリと浮かぶという酷くシュールな光景だった。

 それが誰のものかなど、リゼルには考えずとも分かる。


『ちょっと、誰が手刀で空間叩き割れなんて言ったのよ!』

『テメェがあとちょっとで繋がるのになかなか先に進まねぇとか言うから手伝ってやったんじゃねぇか』

『出来る貴方がおかしいのよ、普通なら膨大な魔力を魔石が耐えられないぐらいに収縮させて』

『黙れカマ野郎。指先程度なら開くかもしんねぇなら試すしかねぇだろ、つかこれちゃんとリズんとこ』


 此方からは歪みから指先が生えているようにしか見えない。

 相手には自分の指先が歪みに埋まっているのしか見えない。

 しかしリゼルがふいに伸ばした指先でその手の先に触れると、向こう側の会話が一瞬止んだ。一番幅のある部分で止まってしまっている掌に力が籠り、触れたリゼルの指先を追う様に長く整った指が彷徨い、捕まえる。


『リズ』

「はい」


 指先を捕まえる力が強まった。


「凄いですね、実体も通るようになったなんて」

『この程度で威張れねぇよ。……くっそ、これ以上行かねぇな』

『あまり入れ過ぎると無くなるわよ、指』


 それは困るとリゼルは此方からも一瞬その指を握り、離す。

 追うように伸びた指先は、しかし向こう側から聞こえる盛大な舌打ちと共に引き抜かれた。歪みはパキリパキリと音を立てながら少しずつ収縮しているようだ。


『あーくそ時間ねぇな! 良いか、お前なら使い方知ってんだろ使えよ』

『それ通るかしら』

『通すんだよ黙ってろカマ野郎』


 一体何がと思いながら眺めているリゼル達の視線の先で、歪みの裂け目にガンッと何かが押し付けられた。見るからに穴に比べて大きい物体を通そうとしている。

 少しずつ狭くなる隙間に今通らないなら頑張っても通らないんじゃとそれを見ていると、どうやら押し付けられたまま動く気配は無い。どう考えても無理なんじゃと思っているジル達を、しかしリゼルは相変わらずだと微笑んで呼び寄せた。


「ジル、何とか受け止めて下さいね。一応国宝です」

「あ?」

「イレヴンも叩き落としちゃ駄目ですよ」

「は?」


 直後、二度目の破壊音が宿へと響き渡った。


『蹴り込む!』


 ガァンッと恐らく靴底が歪みを叩きつけた音と共に、割れ目より大きかった筈の物体が無理矢理空間を超えた。もはやリゼルには目で追えない速さで飛び込んできたそれを、此方も鈍い音をたててジルが掌で受け止める。

 手が痺れそうな程の勢いに眉を寄せたジルが受け止めたものを見下ろすと、それは小さなレターケースのようだった。国宝と言うには煌びやかさに欠けるデザインだが、あの威力の蹴りを受けて少しも潰れないあたり迷宮品なのだろう。


『リズ』


 衝撃で微かにその幅を広げた割れ目が反動か急激に閉じていく。

 それでもまだ繋がっているのだからと届けられる声に、リゼルは幸せそうにゆるりと目を細めた。


『分かってんな』

「貴方の事なら、何でも」


 どうせならその強い琥珀色を見たかったが今回は叶わないようだ。

 消えゆく歪みへと手を伸ばし、そっと指を滑らせる。


「迎えに来て下さいね、陛下」

『待ってろ』


 笑みを孕んだ声に、見えない向こう側では強気に笑っているのだろうと確信を持ちながら何も無い空間へ向かって微笑んだ。








「リーダー、ヘーカから何貰ったんスか」

「これですか?」


 リゼル達は結局外に食べに行かずに宿で食事をとっていた。

 食事を作るのもかの宿主だという事に若干の不安を覚えたが普通に美味しい。店を出せるレベルでは無いかという味に、実は国家機密をバラした当て付けでこの宿を紹介したんじゃねぇのと疑っていたジルやイレヴンも、ナハスは本当に数多のリクエストを全て叶えるような宿を探してくれたようだと納得している。


「はいはーい、相手は胃袋から掴みたい俺の絶品料理はどうでしょう。おかわりどうぞ」


 余計なひと言が付いてくるのは放っておけば良い。


「一点物の迷宮品です」

「へぇ、貴重じゃねッスか。あ、国宝だしそりゃそうか」

「価値的にはどうなんでしょう、実用性だけ考えるとそれ程の高値は付かない気がしますけど」


 ジャッジ君がいれば値段を付けて貰えるんだけど、とリゼルは受け取ったレターケースを取り出した。

 小さめの封筒が入る程度の大きさのそれは薄く、まるで本の表紙のような蓋をあけると中には何も入っていない。金属製のそれは多少の装飾はされているが、いかにも何処にでもありそうなレターケースのように見えた。


「これ、二つで一組なんです。ここに手紙を入れておくと、いつの間にかもう一つの方に移動する迷宮品で」

「それに入れば何でも良いのか」

「いえ、手紙だけです」


 微妙に融通の利かない所が迷宮品らしい。

 何処の世界も似たようなものだとジルは肉を食べながら呆れたようにそれを見た。食欲は落ちていないようで何よりだと、リゼルも微笑む。


「じゃあ凄ぇ実用性あんじゃん。高値付くんじゃねぇの?」

「入れておいても、いつ届くかはランダムなので」


 下手をすれば一月放置だ、と言うリゼルにあーとイレヴンは頷いた。

 確かに使えそうで使えない。しかし国宝だと言われれば納得できるような性能でもあるし、一点ものだと言われれば高い価値を持つように思える。

 しかしそれをホイホイ持ち出して良いのだろうか。確実に無断だが持ち出したのが国王ならば文句も飛ばないし、良いのではないかというのはリゼルの談。


「しっかし手刀で空間割るとか、流石リーダーの王様っつーか何つーか」

「最終的に力押しってトコはお前と似てんじゃねぇの。どんな教育してんだよ」

「あれは元々ですよ。正直陛下ならあのままバリーンと開通出来るんじゃないかと思いましたが、流石に無理だったみたいですね」


 アスタルニア初日の夜。

 その晩は意外にも異なる世界の一人の国王の話題で盛り上がった。




そして始まる文通生活。

ジルとイレヴンは陛下のこと知ってるけど、陛下にも二人のことを知って貰わねば。

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