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72:言っても良いけど何となく

 魔鳥騎兵団による空の旅も最後の夜を迎えた。五日目の夜だ。

 恐らく明日の朝の早い時間にはアスタルニアへと到着する。リゼル達はその手前のイレヴンの家で下ろして貰うが。

 気候はもう暖かく少し湿度も上がったように感じ、アスタルニアの騎兵達は故郷の気候に気分を良くしている。リゼルやジルなどの馴染みの無い者にとっては違和感の方が先立ってしまうものの、しばらく滞在すれば慣れるだろう。

 リゼル達はナハスも交えて相変わらず賑やかな野営地で焚火を囲みながら雑談を交わしていた。


「そういえば」


 ナハスも当然のように酒に強い。羨ましいことだと思いながら、ふいに話を振られたリゼルがそちらを見た。

 四人は今丸太を横に倒して作られた即席の椅子へと座っている。折角焚火を囲むんだからと地面へ座ろうとしたリゼルに、それだけは止めてくれとイレヴンがストップをかけてジルが溜息をつきながら適当に木を切り倒し作った即席の椅子だ。

 座りやすいから良いけど、とリゼルは思わず苦笑した。


「御客人はどうしてヒスイを頼ったんだ?」

「今回のことですか?」

「ああ。確かお前達は公開訓練の間、貴族と一緒に居ただろう。そこからうちの隊長へと話を通した方が確実だと思うが」


 そういえば、とイレヴンも酒片手にリゼルを見た。

 今回は騎士との合同訓練のようなものだったが、憲兵が全く関わりが無いという事は無いだろう。それならば憲兵のトップであるレイへと頼めばヒスイとの交換条件など無く快く話を通してくれたはずだ。

 リゼルは変わらない微笑みのままゆるりと首を傾ける。


「城壁の上にも人は多かった筈ですけど、良く俺達のことを見て覚えてましたね」

「あそこだけ空気が違ったからな」


 ナハスは数日前のことを思い返した。今でも鮮明に思い出せる。

 周りがただ好奇と興奮の視線を向ける中、どこまでも冷静に此方を見据えていた五人だった。戦力として見定められていたのか、敵対した時に対抗する術を模索されていたのか、はたまた利用価値を計られていたのかは分からない。

 しかし椅子に座りながらある種の風格を醸し悠然と見物していた目の前の三人と二人の貴族に対し、ナハスは一瞬王族でも見に来ているのではと思ったほどだ。


「あの美中年の根暗な方がすっげぇ注目されてたからじゃねぇの」

「伯爵も視線に対して常に嫌そうでしたね」

「引きこもりの癖に出てくるからだろ」


 リゼル達の実態を知ってしまった今あれが彼らの通常で、結構普通に楽しんでいたんじゃないかとは思うが。


「随分親しそうだったし、護衛を頼まれたようには見えなかったぞ」

「行くって言ったら誘って下さっただけですよ。ただのご厚意です」

「それだけ親しければ頼むのも容易じゃないか?」

「そうですね」


 さてどうしようかとリゼルは一瞬考えた。

 確かにレイへと頼む方法が一瞬でも浮かばなかったかと言われれば嘘になる。しかし浮かんだそれを即座に却下したのも事実だ。

 勿論理由があっての事だが、その理由をナハスに話して良いものか。


「今回に限っては、レイ子爵へ頼むのは少し都合が悪くて」


 まぁ良いか、とリゼルはほのほの笑った。

 何故ならイレヴンも何で何でと言っているし、ジルも答えを促すように視線を向けて来ている。基本的に手間を省いた最善の選択肢を選ぶリゼルが、ヒスイとの交換条件の手間を抱えてまでレイを頼らなかったのが気になるのだろう。

 そもそも自分は休暇中なんだし、と一人納得していると“また何か余計な事考えてるな”と言わんばかりの視線が飛んでくるが気にしない。


「都合が悪いって、リーダーが?」

「俺は別に困らないんですけど」


 ジルの一閃によって綺麗な断面図を晒す丸太の上で、リゼルはすぐ横に置いてあるグラスを手に取った。勿論酒では無くただの水だ、焚火の近くは喉が渇く。


「サルスに変に勘ぐられないように、気を遣った方が良いかと思いまして」

「……ん? 話飛んだ?」

「飛んでませんよ」


 あまりにも予想外の国名にイレヴンは眉を寄せた。何故リゼルの移動がサルスと関係があるのか。

 それはナハスも同様で、しかしジルだけはしばらく考えた後に盛大に顔を顰めた。何か思い当たる事があったようだ。


「お前それもう職業病だろ」

「ですよね」


 苦笑したリゼルに、ジルは溜息をついて酒を飲み干す。

 たかが冒険者の拠点移動、リゼル自身そう言う割には気の遣い方がもはや冒険者レベルではない。しかしそれが全く的外れではないかと言われれば否定は出来ないだろう。

 その様子を見たイレヴンが不満そうに唇を尖らせる。


「えー、何? 俺全然分かんねぇんスけど!」

「俺も全く分からん」

「副隊長さんは分からないのが当然ですけど、イレヴンは分かる筈ですよ」


 ほら考えて、と告げられイレヴンは眉を寄せたまま手に持ったグラスを齧る。

 そんな事言われてもどうしてリゼルがサルスに気を遣う必要があるのか全く分からない。しかし気を遣うと言ってもリゼルが本気で気を回している訳じゃ無く、何かの“ついで”ぐらいにしか思っていない事は分かる。

 カリカリとグラスの縁を齧りながら唸るイレヴンに、そろそろ限界かとリゼルは微笑んだ。


「ヒントいち。大侵攻で俺たちは大活躍しました」

「ん? 確かにパルテダールの都市が大侵攻の被害にあったらしいな。何でお前たちが活躍……そういえば冒険者だったな」


 何だと思っていたのか。


「ヒントに。その元凶はサルスの要人でした」


 直後、ナハスはぶわりと自分が変な汗をかいたのが分かった。

 今、確実に自分は知ったら死ぬレベルの国家機密をさらりと零された。もしアスタルニアがそれを知れば国交に影響が出るレベルだろう事実だ。

 自分を落ち着けるように酒を飲み干すが、酔える筈もなければ味も分からない。むしろ今まで飲んでいた分のほろ酔いまで何処かへと飛んで行った。


「ヒントさん」


 聞かせるなと声にも出せないナハスを何て事無いように見ながら、リゼルはゆるりと微笑んだ。


「パルテダールにとって友好国でありながら遠く離れたアスタルニアは、絶好の隠れ蓑にもなります」


 えーと、と簡単に考えているイレヴンとは違いナハスの頭はフル回転していた。

 大侵攻の元凶はサルスの要人。リゼル達が大活躍したという事は元凶と深く関わったか、それ以上に元凶を叩き伏せたという事。しかし前回の建国祭ではサルスも友好の使者を送っていたと聞いたし大侵攻の件はサルスの本意ではない。敵対とまでは行かないが両国間は今複雑化している。


「どうしてそれを俺に聞かせた!!」

「だって君が聞いたんじゃないですか」

「普通に秘密とでも言ってくれれば納得したぞ!」


 頭を抱えるナハスは握っていたグラスがいつの間にか地面を転がっているのも気付かなかった。

 上げた大声に声の聞こえる範囲にいた騎兵達が何だ何だと此方を窺っているが辛うじて残った冷静な思考で何でも無いと追い払うように手を振って見せる。こんな話を誰かに聞かれる訳にはいかない、自分だって聞きたくなかった。


「あー、そゆこと」


 ふいに納得したようにイレヴンが頷いた。どうやら分かったようだ。


「いや、つか普通そんな捻くれた考え方すんの? 俺らただの冒険者なんスけど」

「何故か不都合な方向にばかり考える人は国のトップに一人ぐらい居るものです。些細な事でも自分への当て付けだと思い込んで、勝手に敵対するんだからこっちは置いてけぼりですよ」

「なんつーか、ニィサンの職業病っつーの凄ぇ納得」

「だろ」


 ナハスも考えたくも無いのに回転を続ける頭が徐々に解答をはじき出していた。

 建国祭で使者をいの一番に送ったというし、サルス側は自らの落ち度を認めているものの当然元凶と深く関わった冒険者たちを注視しているに違いない。つまりリゼル達に良い感情は持っていないはずだ。

 そんな彼らがもし貴族の手を借りて魔鳥騎兵団と共にアスタルニアまで移動したらサルスのリゼル曰く“不都合な方向にばかり考える人”はどう思うだろうか。


「まさかそこまででかい話になるとは思わないだろ……!」


 国が件の冒険者を保護してアスタルニアへ避難させたと、つまりサルスの要人を挫いた冒険者を功労者扱いしていると取られかねない。


「まぁ俺の考えすぎかもしれません。サルスの上にそんな面倒な人がいる可能性なんてほとんど無いでしょうし」

「気の遣い方が冒険者じゃないんだが! 何で国レベルで物事を考える! 職業病って本当にお前は実は貴族か王族だったりするんじゃないだろうな!!」

「違いますってば。ただの冒険者です」


 元より信じられなかった事が更に信じられなくなった。


「冒険者が国政を考えるな!!」

「あ、冒険者差別です。何だか理不尽に怒られた気がします」

「理不尽でもねぇんじゃねぇの」

「つかあの美中年の明るい方ならそれ分かってる癖にリーダーに手ぇ貸しそうじゃねぇ?」


 ナハスはもはや混乱しきった頭で酒瓶を手に取った。もう全て忘れるしかない。じゃないと自分の心の安寧は帰って来ない。そして愛しい相棒の羽毛に包まれて寝よう。

 地面に転がるグラスを忘れ去ったままナハスは酒瓶を口に突っ込んだ。喉を焼くような酒が流れ込んでいくのが今となっては一縷の希望だった。


「お、良い飲みっぷり。俺も飲もっと」

「最近飲み過ぎですよ。イレヴンって凄く酔うと寝てる間に脱ぐし、いつの間にかくっついてくるから暑いんです」

「お前昨日の夜俺に押し付けただろ」

「ジルはくっつかれた途端蹴り飛ばしてましたね」

「えー。確かにいっつも朝半裸になってっけど、くっつくとかは全然ねぇッスよ。それマジ?」


 仲が良くて何よりだ。ナハスはまともに働かない思考でそれだけを思って意識を失った。







「一面緑色ですね」

「上から見た事とか無ぇし新鮮だよなァ」


 空を滑るように移動する魔鳥車の窓から眼下を見下ろし、リゼルは感嘆するように呟いた。

 隙間なく地面を埋め尽くす樹木は決して途切れる事無く、唯一その緑色が存在しないのは森を横断する川の水面のみ。一面のジャングルは空から見下ろしてもその内面を決して見せようとはしない。

 時折一部分だけ揺れる木々に唯の風かはたまた巨大な魔物かと話すリゼル達とは違い、ジルはジャングルを歩くとか心底手間だなとロマンの無い事を考えていた。


「あ、副隊長さん」


 風に紛れて魔鳥が羽ばたく音が聞こえた。

 リゼルがそちらを見ると、体調が絶不調だと訴える顔色が此方を向く。その手はひたすら慈しむように自らの魔鳥の頭を撫でているが、若干しつこすぎて魔鳥はむずがるように時折首を振っていた。


「俺は何も覚えていないぞ!!」

「二日酔いですか?」

「はっ」


 開口一番切実な表情で訴えかけるナハスは、しかしリゼルの声に正気を取り戻した。

 これ絶対大丈夫じゃねぇよとジルとイレヴンはある意味こうなった原因であるリゼルを見る。穏やかな笑みで体調を気遣っているがそれもどうなのか。

 しかし確かにリゼルは昨晩聞かれた事を答えただけに過ぎない。その為、特に何を気にするでも無く今も本心から体調を伺っているのだろう。


「リーダーのあの開き直ってんじゃなくて割り切ってるトコ俺すげぇ好き」

「あいつは本当に自分の落ち度作んねぇな……まぁ全部分かってやってんだろうし当然か」


 好き放題言っている二人を綺麗に流して、リゼルは魔鳥車と並走するように飛ぶナハスを見た。絶好調に二日酔いっぽいのに魔鳥に乗って大丈夫かと思うが、彼にとっては魔鳥による揺れも揺りかごの様に心穏やかなものなのだろう。


「何、アスタルニアの男が二日酔いだからとへこたれる訳にはいかん。それより御客人の目的地は何処らへんだ? そろそろじゃないかと思ったんだが」

「イレヴン、何処らへんですか」

「あー……多分もうすぐ」


 イレヴンは窓枠に肘をつきながら外を覗き込み、適当に言う。

 本人も確信が持てる訳では無いのだろう。何せ家を出てから約十年、一度も家に帰ってなどいないのだから広大なジャングルの何処に家があったのか忘れても仕方がない。


「ならば少し速度を落とそう。魔鳥車を引く者と俺だけはお前達に付き合い、他はそのまま進んで貰うか」

「良いんですか?」

「ああ。もうじきアスタルニアだし、此処まで来れば問題は無い」


 ひたすら続くジャングルの先、その遥か遠くには太陽の光を反射する海が見える。

 その境目にアスタルニアがあるのだろう。まだ国自体は見えないが魔鳥でならば一時間もかからず到着する筈だ。

 リゼルが了承して頷くと、ナハスは一度ばさりと魔鳥を上昇させて隊の先頭へと向かって行った。隊長へと報告へ行くだろう姿を見送り、やはりそこそこ気も利くし実は有能だしで副官向きだなぁと内心零す。


「そういえばどうやって降りるんでしょうか、魔鳥車が降りられるようなスペースが有るようには思えないんですけど」

「ロープで降下じゃねッスか」


 ねぇだろとジルが内心で即却下するその横で、リゼルは隙間なく木の生い茂る眼下を見下ろしながら果たして出来るだろうかと割と真剣に考えていた。







「普通に降ろして貰えましたね」

「魔物避けさえ無けりゃ直接家の前に下ろして貰えたんスけどね」


 リゼル達は辛うじて道の体裁を取り繕っている獣道をごそごそと歩いていた。

 流石に自然も魔物も豊かなジャングルの中で平然と暮らしているだけあってイレヴンの実家の魔物避けの効力は強いらしく、魔鳥が近づくのを嫌がったので少し手前で下ろして貰ったのだ。

 どうせ直ぐにアスタルニアで会うのだからと別れの言葉は簡潔だった。むしろ「じゃあまた後でな」は別れの言葉に入るのだろうか。

 でこぼこした道を三人は歩きながら、時折現れる魔物を撃退していく。


「これ、ただの獣道とかじゃねぇだろ」

「え?」

「人間じゃねぇの」


 ジルの言葉にリゼルはふいと足元を見た。分かる筈がない。

 確かに普通に草木を掻き分けて進まなければいけない事は無く、踏み固められた足元は歩きやすい。しかし人間が通らずともこういった獣道がまさに獣たちによって作られるのは珍しくない。

 そもそもこんな道を通る経験がほとんど無いリゼルが分からないのは仕方がないだろう。


「多分父さんが通ってるんスよ」

「イレヴンへ狩りの仕方を教えたっていうお父様ですよね」


 少し手前で下ろして貰ったと言っても、イレヴンの実家までは歩いて十分程だ。充分に活動範囲内なのだろう。

 リゼルには感じられない魔物避けの匂いを辿りながらイレヴンはひょい、と道の脇を指差した。


「ほらそこ、罠あるし」

「ああ、狩り用のですか?」


 イレヴンが通り過ぎながら指を指した藪を、リゼルも横切りながらひょいと覗き込んだ。

 規格外に大きな落とし穴だ。獣相手でも定番な罠だが、しかしリゼルが大きさ以外に関しては在り来たりだという印象を持つ事は欠片も無かった。

 その落とし穴の中で巨大なクマらしきものが蠢いている。時折穴から覗く鋭い爪がガリガリと地面を削って行くのを、リゼルは成程と頷きながら眺めた。


「大物ですね」

「ねぇだろ」


 リゼルの後ろを歩くジルもそれを見て呆れたように言う。

 まさかクマを落とし穴で獲る人間がいるとは。光景的には酷くシュールだ。


「イレヴンも罠が上手ですし、父親似なんでしょうか」

「あんな根性悪いのが二人もいてどうすんだよ」

「ニィサンひっで!」


 イレヴンはニヤニヤと笑いながら歩を進める。

 罠も上手いし顔も似てるしでジルには第二のイレヴンしか思い浮かばないのだが、もし第二のイレヴンだとしたら自分とそっくりな子供など到底可愛がれないだろう。イレヴンが普通に父親を親として尊敬しているのは見れば分かるし、性格的には似てないんじゃないかと思いながらリゼルは地面から浮く木の根を跨いだ。

 地面が踏み固められていようと、平らと言う訳ではない。


「でもイレヴンのご両親に会うって分かってればパルテダで手土産の一つくらい用意したんですけど」

「んなもん気にする親じゃねッスよ」

「おい、足元」

「あ、すみません。どんなご両親なんですか?」

「どんなっつっても……フツー?」


 嘘つけという視線を隠そうともしないジルに、流石に失礼だとリゼルは苦笑しながらベシリとその腕を叩いた。


「あー、でも父さんはいるか分かんねぇッスよ」

「アスタルニアへでも?」

「や、凄ぇ方向音痴だから。昔っから一年の三分の一ぐらいは家にいなかったし」


 見通しが悪い上に似たような景色ばかりのジャングルで方向音痴というのは致命的では無いのだろうか。

 どうやらこういった獣道沿いに歩いている間は迷わないのだが、少し外れると直ぐにいなくなるらしい。それが分かっていて何故道を外れるのか。謎だ。

 放っておいてもいずれ勝手に帰ってくるので母親は放置していたようで、むしろ迷って帰ってくるその手には普段は見かけない獲物を持っている事が多かったので歓迎していたとイレヴンは語る。


「蛇って帰巣本能無いはずですけど」

「帰ってくんなら良いんじゃねぇの」


 ジルはもはや若干投げやりだ。


「昔っから父さんに付いて狩りに行くと何日か帰れない時があったけど、普通だと思ってたんスよ。実は凄ぇ迷ってたっぽい」


 野宿も森歩きも見た事も無い獲物の狩りも楽しめるイレヴンにとっては大して困る事でも無かったのだろう。その口調は軽い。

 しかし数日レベルで家に帰れない程の方向音痴を普通と言い張るイレヴンは何なのか。

 小さい頃からそれが普通ならそんなものなのかと思うリゼルが、ふいに木々の湿った香りでは無く何か柑橘系のような香りを微かに感じた。周囲を見渡しても匂いの元となる果実など何処にも無い。


「この香りって……」

「あ、リーダーにも分かる? もうすぐッスよ」


 イレヴンの言葉通り、数分も歩かない内に密集していた木々がふいに姿を消した。

 小さな広場程の空間は整えられ、その中心には王都では一度も見なかった様相の木造の家屋がある。地面から離すように建てられた家は決して大きく無いがしっかりした作りで、軒先に吊るされたクス玉のように木を編んだ容れ物から魔物避けだろう香の煙がふわりと立ち昇っていた。


「良い所ですね。家よりも何よりも庭に吊るされてるのが気になって仕方ありませんけど」


 リゼルの視線の先では、庭に木を組んで作られた物干しのようなものにロープに縛られた狩りの成果がずらりと並んでいた。

 巨大な熊(巨大な牙が口から飛び出ている)、巨大な魚(角が生えている)、巨大な鳥(嘴の中に牙がある)、その他色々。こんな庭を持つ家が国の中にあれば一気に観光名所になる。

 もし国の中に移り住んだとしても狩人を続ける事を考えれば、やはり此処に住み続けるのは正解ではないだろうか。果たしてそれを考えて此処に住んでいるのかは分からないが。


「お前の剣って自己流だろ。父親戦えねぇんじゃねぇの」

「そッスよ。狩りは罠オンリー」


 それでこれが獲れるのだから凄い。

 その手法をきっちり受け継いでいるのだから、イレヴンの罠が時々えげつない程にやり過ぎな理由も分かる。あれはつまり魔物も仕留められるような罠を人間相手に仕掛けていたという事だろう。

 玄関へと繋がる階段を登りながらリゼルがそれらを感心したように見ていると、一足先に登りきったイレヴンが躊躇い無く扉を開けた。


「たーだいまー」


 およそ十年ぶりの帰還とは思えないあっけらかんとした帰宅だ。

 その声が届いたのだろう。奥からパタパタと人の足音が聞こえてくる。

 再会の邪魔はしまいと数歩後ろにいるリゼルとジルは、開ききった扉の向こうに栗色の髪を見た。近づいてきた影は玄関へと近付くにつれ、徐々にその速度を落とす。

 現れたのは額に鱗を持つ女性だった。年頃はイレヴンと同じくらいで、姉だろうかと思ったリゼル達は直後それを否定される事となる。


「母さんってずっと見た目変わんねぇの何で?」

「あんた……」


 衝撃の事実が落とされ、リゼルとジルは思わず視線を合わせる。

 まさかの母親。イレヴンの言葉から見た目通りの年齢では無いのだろうが、どう見ても姉か下手をすれば妹にしか見えない。

 童顔の二十歳そこそこにしか見えない外見で母親とは恐らく誰も信じないだろう。それ程にイレヴンの母は若かった。


「イレヴンって本当に父親似なんですね」

「言いてぇのはそれだけか」


 ほのほのと微笑んだリゼルに、ジルは呆れたように溜息をついた。


「ッ何で帰ってくんのよ!」


 そんな二人は、悲痛な声に思わず声を上げた母親を見た。

 聞く限り仲の良いはずのイレヴン家族とは思えない言葉だ。まさかのイレヴンも母親から嫌悪されている状況を普通だとは言わないだろう。多分。きっと。

 何よりリゼルはイレヴンが自分を不快にさせるような事をしないと知っている。不仲な両親をわざわざ見せるような真似はしないだろうし、その程度の事でリゼルのアスタルニア行きの予定を曲げさせるような事はしない。

 という事は、とリゼルはひょこりとイレヴンの向こう側を覗きこんだ。憤怒の母親からは憎悪など欠片も見当たらない。


「帰るなら前もって連絡ぐらいしなさいよもう! アンタは小さい頃からたくさん食べるんだから、準備だって追いつかないじゃない! ほら、何が食べたいの? ちゃんと食べてるのもう相変わらず細くって……外にある分で足りるかしら」

「今日客つれて来てんだけど」

「足りないわ!!」


 客人をいつまで玄関で待たせてるのまったく、という姿はまごう事無き母親だ。

 見た目が若いだけあって肝っ玉母さん的な様子に違和感しか沸かない。蹴る様に靴を脱いで家へと上げるイレヴンへと「靴は揃えなさいまったく!」と叱りながら靴を揃え、息子曰く客人を出迎えようとにっこりと笑みを浮かべて顔を上げた。

 直後その笑みはそのまま固まる。


「ちょっとアンタこんなガラの悪い人と付き合いがあるなんて! ちゃんと良い人なの!」

「だいじょぶ、ガラ悪いの見た目だけだからそのヒト。ちょー良い人」

「なら良いわ、ごめんなさいね」


 リゼルは口元に手を添えながらさり気なく顔を逸らした。

 勿論気付かないジルではない。明らかに笑いを耐えている様子に舌打ちし、止めろとばかりに頭を掴んで逸らした顔を強制的に前へ向かせる。

 その動作に母親の視線が今度はリゼルへと向き、可笑しそうに浮かべられた笑みは直ぐに姿を消して穏やかで人当たりの良い微笑みへと変わった。そこでようやくジルの手が外れる。


「初めまして、息子さんにはいつもお世話になっています」

「あら、あらあらあらアンタこんな品の良い人と付き合いがあるなんて。てっきり冒険者になるんだろうと思ってたけど違ったのね」

「や、冒険者やってっけど」

「なら何処でこんな人と会ったのよ。こんな場所まで連れてくるんだからよっぽどお世話になってるんでしょう?」


 母親の向こう側でイレヴンはニヤニヤしているし、ジルは当て付けの様に鼻で笑っている。

 リゼルは苦笑し、ゆるりと首を傾けた。


「すみません、冒険者なんです」

「息子が冒険者なんて予想通りだもの、貴方が謝らなくて良いわ。昔っから腕っ節だけはあったから心配はしてなかったけど」

「俺もですよ」

「え?」

「俺も、冒険者をやってます。そちらのイレヴンとパーティを組んでいて、一応リーダーをやらせて貰っているんですが」


 母親はぱちぱちと目を瞬かせ、自らの息子と目の前のリゼルを見比べる。

 数度それを繰り返した後、もはや勝手に積まれた果物を手にとって食べているイレヴンへと振り向いた。


「ネルヴ! あんたイレヴンって一体どういう事!」

「えー。ギルド登録する時に遊び心っつーか何つーか」


 薄々どころか結構露骨に思っていたがやはり偽名だったようだ。

 リアクションの薄いリゼル達にイレヴンはつまらなそうに唇を尖らせて、家へと上がる様に促す。いつまでも玄関で喋っているのも変だろう。

 母親はその言葉にそういえばそうだったわと招き入れる。どうやら床に敷いてある布の範囲は土足じゃいけないらしいと、リゼルはイレヴンにならって靴を脱いだ。






「それにしても驚いたわ、冒険者ってあまり会った事が無いのだけれど中には貴方みたいな人もいるのね」

「や、リーダーみたいなのはいねぇし。おかわり」

「アンタはもう備蓄まで全部食い荒らして! 全く、後でお父さんの罠を回って獲物を回収して来なきゃ!」


 時間は正午より少し前、ちょうど昼食時だ。

 凄い勢いで量産される料理と凄い勢いで減っていく料理を眺めながら、一足先に一息ついたリゼルはお茶が美味しいと落ち着いていた。紅茶とは違い苦味のある茶はこの辺りで主流なものらしく、これはこれで悪くない。


「すみません、俺達までご馳走になってしまって」

「やだ良いのよ、息子が世話になってるんだもの。遠慮しないでどんどん食べてちょうだい」

「充分頂きましたよ。それよりお父様はいらっしゃらないんですね」

「ええ、今朝までは居たのよ。今日も狩りに行ったんだけど半日帰って来ないし、今日はもう帰らないわね」


 イレヴン似だろう父親を見てみたかったのだが残念だ、とリゼルは微笑んだ。

 来る途中に見かけた罠しかり、獲物を嵌める為の罠は恐らく其処かしこにあるのだろう。罠に捕らえてしまえば回収だけなら母親でも出来るので、数日帰って来ずとも備蓄が尽きる事は無いようだ。

 イレヴンを窺うと特に残念がりもせず「へー」と言っているだけだった。それもそうだろう、十年家を離れようと特に何も思わないのだから。

 これは特にイレヴンが薄情という訳では無く、獣人に共通する意識だろう。独り立ちしてしまえば家を恋しく思うことは無く、会えれば嬉しいものの特別執着しない者が大半だ。勿論例外もあるが。


「そういえばイレヴンは何で名前をイレヴンにしたんですか?」

「あぁ、ギルドに入る時って凄ぇ簡単な書類書くじゃねぇスか。名前とー、後は年齢、出身ぐらい? だっけ?」

「はい。俺は出身地が書けなかったし、身元も証明出来なかったのでジルに推薦者になって貰いましたけど」

「一刀が推薦者とかすっげぇ豪華ッスね!」


 楽しそうに笑うイレヴンに、そう言われてみればそうかとリゼルは頷いた。

 ギルド入会当時はリゼルにとってまだジルの知名度は曖昧だったから特にそう感じる事は無かったので特に豪華とは感じていなかった。周囲の反応などから凄く強いんだろう、有名なんだろうとは思ったが此処までとは思わなかった。

 そんなジルの推薦を受けたとなれば注目を受けるのも仕方がない。とはいえリゼルの場合ジルが関係せずとも確実に注目は受けていただろうが。


「それで間違えたんスよ、書くトコ」

「あ?」

「名前のトコに年齢書いて、“あー間違えたまぁいっか”みたいに。丁度そん時裏カジノにハマっててさァ、偽名なら偽名で都合が良いっつーのもあって」

「アンタはすぐそういう危ないトコ行って!」


 怒りながらも決して止めないのがイレヴンの母親だ。勿論愛情が無いからでは決してなく、むしろ多少他とはずれるかもしれないが立派な愛情の形ですらある。

 だからこそイレヴンは幼少期、魔物相手に血だらけになりながらも剣を振れたのだろう。


「適当だな」

「だァってそん時の受付が“字も読めねぇガキが来てんじゃねぇよ”みたいに見てくるからさァ。そのまま出したらすっげぇ確認されてウケたけど」


 ケラケラと笑うイレヴンだが、十一歳で冒険者デビューというのは相当早い。職員に追い返されても仕方が無い年齢だろうに、良くぞ登録出来たものだ。

 彼の実力ならばこれだけの時間があればSランクにも登れていそうだが、本当にランクアップに興味が無かったらしい。

 それにしても、とイレヴンは机の上に追加された焼き立てのパンを早速引き寄せながら言う。


「俺もそうだし、ニィサンはジルベルトだし」

「煩ぇ」

「リーダーのリゼルって本名なんスか」

「偽名じゃないですよ」


 何か微妙な言い方だと、イレヴンとジルの視線が思わずリゼルを見た。

 偽名じゃない。しかし本名だと肯定もしない。リゼルが嘘をつく事はあまり無いので本当だろうが、しかし曖昧な言い方はどうとでも取れてしまう。

 にこりと微笑むリゼルに言う気は無いようだと両者共に諦めた。隠そうとするリゼル相手に聞き出せる気など少したりともしない。


「貴族の名前なんざ無駄に長ぇし、どうせ略称か何かだろ」

「そんな感じです」

「合わせてもねぇのに全員偽名ってどうなんスか。犯罪者疑惑かけられそー」


 楽しそうに言うイレヴン本人がまさにそうなんじゃとリゼル達は思ったが、別に偽名は犯罪隠ぺいの為ではないから良いのだろうか。彼は盗賊時代も堂々と今の名前で冒険者をやっていた。


「ほらこれアンタが好きだったやつ! たくさん作ってあげたからね、しっかり噛んで食べるのよ」

「お、アスタルニア鳥の唐揚げ」


 しかし久々に帰省した息子に腹いっぱい食べさせたいのは分かるが、作りすぎじゃないだろうか。イレヴンが問題無く消化していく為に残りはしないだろうが。


「そういえば今日はどうするの? 泊っていくなら急いでお布団を準備するけど、アスタルニアに行くのよね?」

「今日の予定はイレヴンに任せようと思ってたんですけど」

「俺? 何で?」


 父親にもまだ会っていないし直ぐにサヨナラではあまりにもそっけないかと思い、一泊ぐらいしたいならと思ったのだが特にそういうのは無いようだ。心底不思議そうに返されてしまった。

 母親曰く、最近は日も長いので今から出ても充分暗くなるまでにはアスタルニアに到着するらしい。半日程ジャングルを歩き続けるのは、今まで魔鳥にのんびり運ばれていたのだから特に疲労も無く問題は無い。

 どちらでも大丈夫と告げると、イレヴンは咥えたフォークをそのままに頷いた。


「じゃあアスタルニア行きてぇッスね。明日雨っぽいし」

「あ、そうなんですか?」

「そういえばそうね。雨が上がるまで居ても良いけどお客さんに気を遣わせるのも悪いし、雨の中歩かせるのも何だかとてつもなく申し訳ないわ」


 母親がちらりとリゼルを見た。間違いなくリゼルの事を言っている。

 別に濡れるのも多少汚れるのも平気なんだけど、と苦笑しながらリゼルはこくりと残った茶を飲み干した。独特な風味が気に入ったが、恐らくアスタルニアにもあるだろうしまた飲む事も出来るだろう。


「食事を頂いただけで去るのは少し申し訳ないんですけど」

「やだわ、そんな事気にしないで良いのよ。ほら、この子ってこんな性格でしょ? 生きてるって分かっただけで充分なんだから。勿論死んでるなんて全く思えないんだけど」


 優しい顔で微笑む母親に、どれ程若く見えようとやはり母なのだとリゼルは微笑んだ。







「ほら、これも持って行きなさい、アンタの好きなおかずお弁当に入れておいてあげたから。見た事無かったけど空間魔法って便利なのね……そうだ、あれは何処に置いたかしら。持って行かせようと思ってたんだけど」

「何で俺の空間魔法に勝手に物つっこむ奴多いの?」


 母親の愛という名の大量の荷物をぎゅうぎゅうと腰元の空間魔法に詰め込まれ、イレヴンはぶつぶつと呟いた。

 断らないのは断っても無駄だからか、それとも無理に拒否すればリゼル達に照れてる照れてるとからかわれるのが目に見えているからか。恐らく後者だ。


「あいつ母親の前だと微妙に大人しくねぇ?」

「イレヴンって格下だと判断した相手が調子に乗っていると噛みつきたがるじゃないですか。流石に母親相手に格上とか格下は無いですよ」


 成程、とジルは納得したように頷いた。

 母親からの怒涛の土産渡しが終わり、イレヴンはじゃあ行くからと告げて平然と玄関前の階段を下りていく。母親も気が向けば顔を出せとしか言わず普通に送り出していた。

 獣人全員がこういう訳では無いが、唯人から見ると良いのかと思わないでも無い光景だ。


「あっさりしてますね」

「涙の別れが見てぇ訳じゃねぇだろ」

「そうですけど」


 鼻で笑ったジルがイレヴンに続き階段を下りていくのに続こうとして、ふとリゼルは母親に呼び止められた。

 短い階段を下りきったジルとイレヴンに少し待っていてという意味で手を上げ、母親へと向き合う。若々しい相貌が真っ直ぐに此方を見ていた。


「どうされました?」

「やっぱり息子が世話になってるんだもの。最後の挨拶ぐらいはしておきたいじゃない」


 笑った顔は何処か不敵で、あまり似ている所が無いと思っていたがその笑みだけはイレヴンを彷彿とさせた。流石にイレヴンのようにタチの悪さは感じさせないが。

 母親はちらりと階段下の赤毛を見下ろし、仕方なさそうに首を振る。


「あの子はちょっと癖があるし、対等な人を作ろうとしないから心配してたの。でも今日貴方達を見て安心したわ」

「そう思って頂けたなら幸いです」

「そう、特に貴方ね」


 母親は腰に手を当て、心から嬉しそうに笑顔を浮かべる。

 そしてイレヴンへと聞こえないようにという意図か、悪戯っぽく口元に手をあてて小さな声で囁いた。


「貴方のこと、大切で仕方無いって顔してるもの。仲良くしてやってちょうだい」


 リゼルはぱちりと目を瞬かせ、そして嬉しそうに微笑んだ。

 イレヴンがリゼルに懐いているのは周知の事実だ。それは勿論イレヴンの露骨な言動だったり他へ向ける侮蔑をリゼルへと向けない事に起因するのだが、彼女が言っているのはそういう事では無い。

 イレヴンが奥深くに隠す限りなく真実に近い感情を、久々に顔を合わせた短時間で見抜いて見せた。流石母親だと、そう思わずにはいられない。


「俺こそ捨てられないように常に必死です」

「飽き性な子だからね、確かに人に対してもすぐ飽きちゃうところはあるわ」

「飽きねぇよ!」


 階下から聞こえてきた声にリゼルと母親は笑みを交わし、そして簡単な挨拶と共に別れた。

 階段の下では呆れたようなジルと若干必死なイレヴンがいる。一体何を話していたのかという問いを流し、リゼル達はアスタルニアへと出発した。


 その後ろ姿を、木々に紛れる短時間だけだったが母親はしっかりと見送る。

 大丈夫、生よりも刺激を優先していた子供はもういない。

 それ以上に優先するものが出来た今、彼と共に居る為ならば何をしても生き抜くだろう。

 その存在に心から感謝して、さてすっからかんになった備蓄の貯蔵を始めなければと玄関を潜って行った。



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― 新着の感想 ―
「どうせ近くまで来たなら挨拶ぐらいはってイレヴンが言っていたし」との部分から、イレブンとリゼルが会話したであろうタイミングが、出発してからならば挨拶の予定は立ってなかったとしても不思議ではない...と…
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