閑話:十二の頃の間接的アレ
陛下が仮想接点作る前の時系列で元の世界の御話。過去話を含みます。
相変わらず読まなくても本編に支障はありません。
その傭兵団の名前は誰もが知っていた。
特別人数が多い訳ではない。各国の正規兵とは比べようもない小さな規模だ。
しかし戦場で戦いが始まると彼らの前に立つ敵兵は誰もが恐怖した。
怒涛の如く押し寄せる体を震わせるような闘争心に、どんな優れた戦略で挑もうと力で蹴散らされる破壊力に、かの集団を前にすれば例え味方だろうと戦慄した。
どの国も彼らを飼い慣らそうと躍起になるが誰の下につく事もなく、より多く金を積んだ国に寄る傭兵団はそのスタンスをいつまでも変えない。
だからこそ、気にいった者には優先的に手を貸す事がある事を知る者は少なかった。
「…………」
一人の男が視界を遮るものが何もない平原へと立っていた。
まるで死人のような生気の無い顔はただただ白い。濁った瞳で仰ぐように曇天の空を見上げ、生ぬるい風にその髪を揺らしている。
「隊長、この辺りの殲滅は完了ですぜ。敵、ゼロ」
「……見れば分かる」
「でしょうね」
視界を遮るものが無いのは、視界を遮ろうと向かってくる者達を彼が全て斬り伏せたからだ。
風が生ぬるいのは直前まで戦火の真っただ中にあったからだ。
夥しい程の死体の山の上に、男は血に濡れた剣を片手に立っていた。
わざわざ報告に来た部下を一瞥し、吐息に紛れるような気だるげな声で返事をしながら差し出された布を受け取って剣を拭う。白い布はすぐに赤く染まったがわざわざそれを気にするような人間は此処にはいなかった。
「さっすが傭兵団最高戦力たる第四兵団“死神”隊長、乱戦で傷一つ無いとは!」
傭兵団はいくつかの兵団で構成されていた。
その隊長を務めるのは少数精鋭の中でも更に選び抜かれた者達、しかし第四兵団の長を務める男は更に異彩を放つ存在でもあった。
傭兵団史上最年少でその地位を得て、大陸屈指と呼ばれる傭兵団の中で最高戦力の名を欲しいままにしている。まるで死人のような顔からは想像がつかない。
「そうゆうのうぜぇし……団長は」
「最前線に突撃中。援護行きます?」
「…………」
そんな男が、状況の判断を問われた際に必ず思い浮かべる顔がある。
何故なら知っているからだ。その相手ならばこういう時に最上の判断を下すのだろうと。
「それが……いきなりさぁ……ッ」
ふと濁りきった瞳に光が差す。
部下は顔を引き攣らせながら一歩後ずさりした。
「突然いなくなるとかさぁ! 信じられる訳ねぇよなぁ!!」
「た、隊長落ち着……」
「あの国王のとこ乗り込んでも知らねぇとか逆ギレされるしさぁ! 俺のが知らねぇのに何も知らねぇのに事情とか全然知らねぇのにキレやがってあの野郎ふざッけんじゃねぇよ!!」
蹴りつけられた死体が二、三個地面を転がる。
敵兵とはいえ亡骸への冒涜はいらぬ反感を買うと常々言われているのに、と部下は完全に理性を飛ばした己の隊長をあーあーと眺めた。彼の人に出会って以来格段に減ったようだが、普段は幽鬼の如く気力の無い男は昔は結構な頻度で敵兵相手にこうなっていたらしい。
それでも付いていくのは傭兵ならば誰もが焦がれるその圧倒的戦力と、ああ見えて平素は部下に対する面倒見が意外と良いからに他ならない。
「今度近くに来たら夕食でもとか言ってさぁ! 言ってた癖に何で!! ッ……、…………はぁ……」
そして割とすぐに落ち着くから特に誰も問題視していない。
ピタリと止んだ慟哭と共に顔色から生気が抜け落ちる。あまりにも急激な変化に驚くような者は此処にはいない。
「…………遊撃隊として伏兵潰す、合流はその後で良い」
「了解」
部下は慣れ切ったように散り散りになっていた兵を集めだした。その光景を眺めながら、手に持った剣を鞘へと納めてまるで命を零しているような長い息を吐く。
やはり彼の姿を思い浮かべるのは効果的だ。彼が下すであろう判断を想像するだけで、つられて良案が浮かびやすくなる。
伏兵の場所も経験から想像がつくし、最前線で楽しんでいる団長に横槍が入らなければ喜ぶだろう。
「…………」
これが最善策と思えるが、彼ならば恐らくこれ以上の策すら容易に用意してみせるのだろう。
生気の無い顔に笑みが浮かぶ。ゆるりと目を細め、小さく唇を吊り上げたそれは目の前にはいない誰かへと向けられていた。
出発の準備が整ったのか部下が肩を回しながら近づいてくる。
「隊長、準備オッケーです。あ、笑ってる珍しい。宰相サマの事でも思い出してんですか、ホント仲良しですね。俺にとっちゃ雲の上の人なんですけど」
「喋りすぎ……煩ぇ……」
「隊長喋らねぇし丁度良いですよ。それよか宰相サマ心配ですね」
心配はしているが、心配はしていない。
彼ならば何処へ行こうと自らの身を守る術を手に入れているだろう。心配いらないと分かってはいるものの、自分が勝手に心配しているだけだ。
「…………何処におられるのか」
自らの傭兵団団長以外に初めて尊敬の念を抱いた友人は、未だに所在が分からない。
最高戦力と呼ばれる男は深く長い息を吐いて死体の山から足を踏み出した。今はとりあえず戦果をあげて稼がなければ団長にどやされてしまう。
ここからは動きを悟られないようにと指示を出し、伏兵が潜むだろうポイントへと足を向ける。勘に過ぎないが恐らく外れてはいないだろう。
「リゼル……」
ふと淀んだ瞳で見上げた曇天の空に、初めて出会った時の事を思い出した。
それは傭兵団の名前がまだ今と比べて一部でしか出回っていない頃の事だった。
傭兵団の世界の中では猛者の集まりと噂されていたが国や正規軍にとっては数ある傭兵団の内の一つに過ぎず、しかし彼らはそれを気にする事無く戦場に向かっては稼ぐ暮らしに満足していた。
まだ当時十二であった未来の第四兵団の隊長は当時すでに傭兵団に所属しており、その圧倒的センスで子供だと侮る敵対者を慈悲なく切り捨てていた。その生気なき顔と躊躇無く相手を斬り伏せる姿に“死神”と称されるようになったのもその頃だ。
「おいチビ、こっち来い!」
「……」
その日もいつもと変わらず、傭兵として戦場を歩き手に入れた金で酒場を貸し切っていた。
ソファに悠々と腰かけて酒瓶を握っている酔っ払った団長に呼ばれ、当時少年だった男は素直に近付いていく。自らを拾って生きる術を教えてくれた団長を彼は尊敬していた。
招かれるままに隣へと座る。筋骨隆々な巨体を持つ団長の隣に並ぶと傭兵団の中で一番小さな少年は一層小柄に見えたが、年齢相応の背丈は持っていた。
「お前今日、一人で相手の小隊ぶっ潰したらしいなぁ!」
「そんくらいじゃ、威張れねぇし……」
「生意気な口叩くようになりやがって!!」
大きな掌がわしわしと頭を掻き混ぜる感覚を少し迷惑そうに受け入れる。
獅子のような外見に似合う咆哮のような笑い声に、周りの隊長らも笑った。まぁ飲めと渡される酒瓶を受け取り、グラスを探そうものなら根性無しだとからかわれるのが目に見えている為にそのまま呷る。
喉を焼くような感覚に強い酒だと思うものの、周りの歓声に応えるように特に問題無く飲み干した。
「そのなまっちろい顔色がちっとは見れるようになりゃ良いってのに、少しも赤くなりゃしねぇ! 酒が飲める男ぁ大物になるぜ」
「……美味くはねぇし」
まだまだ子供だと大笑いされ、眉を寄せながら空になった瓶を放る。
団長らはまだまだ酒を開けていた。明日もまだ戦争は続くというのに飲んで問題無いのかと思うが、全く問題無いどころか一層調子よく動くのだから誰も文句は言わない。
「しかしあちらさん、まだ本領発揮とはいってねぇな」
ごくりとジョッキの中身を飲み干しながら団長が楽しそうに言う。
あちらとは現在戦争している敵側の方だ。金次第でどちらにも付く傭兵に敵も味方も無いと思うが、言いようが無いのだから仕方ない。
「様子見なんだろ」
「でも明日にゃ本陣近ぇぞ」
「誘われてんなら乗ってみんのが男の甲斐性ってなぁ!」
快進撃、という程に圧倒的ではないが流れは完全に此方へと来ている。
本陣が近いという言葉には嘘は無い。何故なら今日すでに今回の目的となる相手国主要都市の城壁が見えていたのだから。
しかし浮かれるには不可解な部分が多すぎた。だからこそ隊長らは面白く思っていようと警戒は怠らない。
「相手は大陸屈指の大国、楽しむのは大いに結構だが油断だきゃするなよ。それに今回の俺らの金蔓が狙ってる都市の噂を知らねぇ訳じゃねぇ」
大陸で最も古く最も強大な国。
その中でも一番末端に位置し、されど栄える都市は他国から見れば格好の獲物だろう。
手に入れられれば敵を知らぬ大国の命綱を掴むようなものであり、豊富な資源と他国に知れ渡る程に整えられた街並みは手に入れた国を小国から大国に一気にのし上げる程のものだ。
「あの“逆鱗都市”に手ぇ出して無事で済んだ国はねぇしな」
獰猛な笑みを浮かべる団長へと淀んだ瞳を向ける。
確かその都市には以前補給で寄った事があった筈だ。しかし城壁に囲まれた都市の中は平和そのものだった。
噂に聞く限り穏やかな領主の影響か住民は全員ほのぼのと穏やかで、荒くれ者の多い傭兵にも人当たりが良く過ごしやすい場所だった覚えがある。
「……“逆鱗都市”?」
実際の都市と仰々しい程の異名がまるで結びつかない。
思わず声を零すと、団長は遠慮なく笑い周りに集まる隊長らはそういえば知らなかったかと意外そうに見てくる。どうやら傭兵の間では常識らしい。
「傭兵の間じゃ“あの都市を敵に回すな”っつうのが暗黙の了解だぜ」
「……」
回ってんじゃねぇか、とは突っ込まない。
だからこそ戦場に歓喜する団長達が大いに盛り上がりながらも明日以降の動きを話し合っているのだから。
これが雑魚相手ならば方針など欠片も話し合わずやりたいままに暴れまわる。
「あそこぁ全体が平和ボケしてるように見えて、いざ手ぇ出されたら凄ぇからなぁ!」
「二年ぐらい前か? アホみてぇな考えで手ぇ出そうとした小国の先行部隊が一晩で全滅した! ありゃ見事だったぜ!」
「つっても住民人質にとるなんてアホな作戦とったからだろうが。実際に手ぇ出さなけりゃ向こうは何もして来ねぇ……表向きはな」
ニヤリと笑った団長に、つまり裏では何かしたという事だろうかと思う。
あの都市を領地とする領主は誰だっただろうか。住民がきちんと尊敬の念を持って敬っていた覚えがあるので酷く冷酷な人物では無いだろう。
「……領主ってどんな奴」
「あの大国を率いる筆頭だなぁ、公爵サマだ。一度見た事あるが、見た目だけならまんま優男っつー面してたぜ」
その優男が治める平和的な“逆鱗都市”、まるで手強いようには聞こえない。
しかし誰もがそう思い、“逆鱗都市”という名を知りながら手を出してその名の意味を思い知る。団長がそう語るのならば嘘では無いのだろうと納得しながら、どんどんと渡される酒を嫌々飲み干した。
「…………あえて敵に回るとか」
「金払いの良い客は有難ぇだろうが」
その通りだと笑い声が上がるのを聞きながら、生気のない表情のまま深く息を吐いた。
笑えるのは当然だ。不利になり次第さっさと逃げようと決めているのだから。
「赤字じゃねぇの……」
「いつもの事だろうが! 日払いの良いトコはそれまでは毎晩楽しめるトコだな、赤字なんざ逃げた日だけだ」
傭兵相手には日払い、常識だ。
正規兵では無い傭兵を国だって誰だって信じてはいない。金や状況によって簡単に裏切るような存在だと誰もが知っている。
それでも実戦に強く報酬に直接影響があるからと戦果を上げる傭兵を重宝する国は多い。
「状況次第じゃとっとと退く準備しろよテメェらぁ! だが貰える戦果は貰っとけ!」
威勢良く返ってきた返事に団長は大きく笑い、ドサッとソファへともたれた。
大きな筈のソファがぐらぐらと揺れて不快そうに立ち上がる。
「…………」
その時ふと、酒場の扉の向こう側に気配を感じた。
少しも存在を隠そうとしている様子は無く、ただ近所の子供が好奇心で傭兵団を見に来たかのように扉の前に立っている。
放っておけば去るだろうかと思ったが、馬鹿騒ぎしている周りがそれに気付いている様子は無く一応耳に入れておこうかと座って酒を呷る団長を見下ろした。
「……誰か扉の前にいる」
「あぁ? 誰だよ」
「多分ガキだ……」
「テメェもガキだろうがチビ!」
放っておけと笑いながら告げられようとした声は、しかしノックの音に飲み込まれた。
「肝の据わったガキもいたもんだなぁ」
面白そうにニヤニヤと笑う団長に、もしや自分の言葉を信じていないのかと淀んだ瞳を向ける。酒場の中で騒ぐ男たちは誰だ誰だと賭けにまで興じる勢いだ。
開けてやれと顎で促されて扉へと向かう。
子供が調子に乗ったのなら鬱陶しい、酒場の店主に用があるなら用事だけさっさと済ませれば良い。いずれにせよ猛者達を前にすれば勝手に怯えて逃げていくだろう。
自分も幼い子供に悲鳴を上げられた事も二度三度じゃ済まされないぐらいあるし、と扉に手を掛けて向こう側へと開いた。
「夜分にすみません、貸切とあったので入っても良いか分からなくて」
あまりに普通すぎる相手に思わず動きを止めた。
しかし状況を考えるとその普通があまりにも異質で、生気の無い表情に微かに警戒が走る。
相手は同じぐらいの年頃の子供だった、背は自分の方が少し高い。被っていたフードを取り露わになった顔は穏やかで、平和な場所で生きてきたのだと一目で分かる。
「……俺らの貸切だ、諦めろ」
「いえ、酒場に用事がある訳ではないんです」
真っ直ぐに此方を見る瞳は店内も映しているだろう。
間違っても人相が良いとは言えない男共が盛大に騒ぎ、声を上げ、そして此方へと野次を飛ばしているにも拘らずその表情には一点の怯えすら無い。
すぐに扉を閉める事になるだろうと扉へと掛けたままの手をそのままに、向けられた微笑みを見下ろした。
「貴方たちに頼みたい事があって……団長さんに通して頂けませんか?」
「…………」
ざわり、と夜の木々を揺らす程の威圧が少年から放たれた。
傭兵団の面々は流石に様子がおかしい事に気付いたのだろう。皆一様に向き合う二人に視線を向け、おいおいやり過ぎじゃないかと自分達の一員である少年を見る。
「…………失せろ」
吐息を多分に含んだ、幼さなど残らない声で告げた。
「やっぱり前触れなく訪問したのは失礼だったでしょうか」
淀みを増す瞳に、しかし訪れた子供はふわりと髪を揺らしながら平然と告げた。
顎に手を当て、ううんと他の方法を検討してみたりしている。
それは大の大人でさえ逃げ出すような威圧を前にした子供とは到底思えず、傭兵団を舐めた子供が訳の分からない事を言っているようにも思えなかった。むしろ全てを理解し、此処に訪れているような。
「おいチビ、通せ」
背後からの団長の声に思わず振り返る。
そこにあったのは心底面白いと言わんばかりの笑みで、少年はすっと威圧を収めた。
通せの言葉が聞こえたのだろう、子供は良かったとばかりに微笑んで此方を見上げている。その笑みを生気のない眼差しで見下ろし、招くように体をずらすと子供は臆しもせず酒場へと足を踏み入れた。
「……」
扉を閉めながらその背を見る。
年頃は同じだろうが、その体つきは全然違う。弱そうだと内心で零した。
「俺に用だって、ガキ」
「はい。座っても?」
「座れ座れ! おら、何だったら飲むか?」
大声で笑う団長に子供は微笑み、礼を言いながらその正面のソファへとちょこんと腰を下ろした。
あまりにも場違い。この風景の中に入り込んだ異物のように違和感を感じさせる存在は、興味深そうな周囲の視線を集めながら勧められた酒を断っていた。
「団長って基本的に子供好きだよな」
「懐かれねぇのにな」
「煩ぇなぁ!」
露骨にヒソヒソした隊長らに笑い混じりに怒鳴りながら、目の前に座る子供を窺う。
落ちついた態度は子供らしくないが、これが傭兵団かと言わんばかりに周囲を見渡している様子は年相応でもあった。本当に年相応ならば怯えるのだから余程鈍感なのか肝が据わっているのか。
ただ、普通の子供で無いことぐらいは分かる。
「テメェ貴族だな」
「はい」
平然と肯定してみせた子供に周囲は感心の声を上げたり驚愕の声を上げたりしている。
にこりと笑った顔はまだ幼さを存分に残していて、隠れ子供好きの団長としては可愛らしい限りだが今は置いておく。
「ガキの遊び相手にゃ俺達ぁ向いてねぇぞ」
「そうですか? 今日の戦いぶりを見ていて、貴方達に是非頼みたいと思ったんですけど」
「おう、ジュース飲むか?」
「頂きます」
大きな手で差し出されたグラスを迷いもせず受け取り、子供は迷わず口をつけた。
貴族と宣言しておきながらその態度に貴族らしさは無い。そんな物を飲めるかと言うか、警戒を持って笑顔で受け取りながらも口を付けないか、それが傭兵達の想像する貴族だった。
余程甘い育て方をされていたのかと思うが、そうならばその落ち着きように説明がつかない。
「(掴めない……)」
少年は団長の後ろに回って子供を眺めた。
敵対すれば相手の力量が分かる、相手が此方に対して敵意を持っているのかどうかも判断出来る。しかし目の前の子供の事が何一つ分からない。
笑みを浮かべながらもザリリと親指で無精ひげをなぞる団長に自らと同じく観察しているのだろうと思っていると、ふと子供の視線が此方を向いている事に気がついた。
「今日、凄かったですね」
微笑まれ、生気の無い顔を疑問に顰める。
「私と同じ年くらいでしょう? なのにあの魂を奪うような剣技、“死神”の異名がつくのも納得でした」
「……何処で見た」
「遠くから、双眼鏡で覗いてました」
双眼鏡を使おうと離れた場所から戦場が見渡せる筈が無い。
更に貴族の子息がふらふらと戦場を歩ける筈が無く、今この酒場のある拠点となった村の領主の子供という訳でも無さそうだ。ならば一体何処から来たのか。
しかし嘘をついているようには見えず、何だか凄く甘いと言いながらジュースを飲む子供を見下ろす。
「で? 頼みってのは何だ」
団長がどしりと両手を背もたれに乗せながら言う。
ただあるだけで相手を威圧するような巨漢相手に子供はカラカラとグラスを揺らしながら、言い方を考えるように少しの間首を傾げた。
しかし直ぐにうん、と頷き変わらぬ微笑みを浮かべて口を開く。
「一人、殺めて欲しい人がいまして」
周囲は一斉に酒を吹き出し、隊長格は唖然とし、団長は歯をむき出して笑う。
「おい、止めねぇかチビ」
そして少年は一人、剣を子供の顔へと突き付けていた。
「馬鹿にしてんじゃねぇの…………こいつ……」
「チビ、止めろ」
「傭兵捕まえて暗殺者の真似事しろとかさぁ……ッ馬鹿にしてんだろ世間知らずのガキの癖してさぁ! 気に入らねぇ奴殺せって訳分かんねぇ我儘で俺ら使って遊ぼうとかさぁ! 舐めてんじゃねぇよガキ!!」
「止めろっつってんのが聞こえねぇのかクソチビ!!」
咆哮のような怒鳴り声と共に振りおろされた拳に、少年は突き付けていた剣を辛うじて落とさないのが精一杯だった。
数秒の沈黙の後、ゆらりと剣が引かれる。
「…………落ち着いた」
「たく、ガキの遊びだと思ってんならキレてんじゃねぇぞチビ」
そう言いながらも団長は自分でその言葉を否定した。
ただの遊び、そんな訳が無い。
「意外と感情豊かなんですね」
「意外じゃねぇし……」
少年の言葉に周囲はそんな生気の無い顔をして何をと内心で突っ込んだ。
感心したように言った子供は数秒前まで剣を突き付けられていたとは思えない。突き付けられながらも動揺せず微笑みを浮かべ、剣を見ずに真っ直ぐに少年を見ていた姿に団長は目の前の子供に対する認識を改める。
少年もまた、言葉を交わしながらじっと子供を見下ろしていた。平和な場所で生きてきたただの子供じゃない。
「その頼み事に俺達を選んだのは何でだ?」
「あ、聞いて頂けるんですね」
「度胸のある奴ぁ好きだぜ」
子供は嬉しそうに笑い、グラスを机へと置いた。
「今日初めて戦場を見てて、貴方達が一番凄いなって思ったからです」
「そりゃ嬉しいなァ! 酒が飲めりゃ奢ってやる所だぜ!」
その言葉に子供が一瞬ジュースを見下ろしたのを気付いた者はいなかった。
もしや奢りじゃないんだろうか。そう思っている事など知る由も無い。
「ガキとはいえ貴族だろ? わざわざ俺らに頼まなくても手なんざいくらでもあんじゃねぇか」
「相手が相手ですし、自然に戦死して貰えるのがベストです」
「末恐ろしい坊ちゃんだなぁオイ!」
自然に戦死というのなら、ターゲットは今敵対している大国側の者だろう。
ならば目の前の子供は此方側かと納得し、まぁこの場所にいるのだから当たり前かと頷く。
「貴方達が今雇われている報酬、その倍を出しましょう」
チャリ、と中身が擦れる音がする布袋を子供はローブの中から取り出した。
思わず酒場中の視線が集まる中、その袋はゆっくりと机の上に置かれる。
「前払いで同額、成功報酬で倍です」
「子供が持つ小遣いじゃねぇ筈だがなぁ」
「お父様から許可は頂いていますので」
にこりと笑う姿はただの子供だと言うのに、先程から徐々に増す空気は何なのか。
それは清廉で高貴、貴族といえばと想像した以上のそれに呑まれるような感覚すら覚えた。本物だと、訳も分からないまま納得させられてしまう。
もはや子供の戯れだと不快感を覚えるものなどいない。誰もがその取引をじっと見つめていた。
「拒否権はねぇのか」
「勿論あります、内容を聞いて乗り気じゃなければ断って頂いて構いません。その時は前払いと同額を口止め料として差し上げます」
ゆるりと微笑む子供に、団長は思考を巡らせた。
いくつもの戦場を練り歩いてきた勘は罠では無いと判断している。このまま断ったとしても黒字確定だから何より問題は無い。
しかし、目の前の子供と繋がっておくべきだと強く予感していた。その予感は本人を目の前にした今確信に近い。
「ターゲットは」
「貴方達が明日対峙する軍の中に、都市の防衛軍ではなくて国から送られた正規軍があります。それを率いる指揮官補佐です」
団長はざり、と親指で無精ひげを撫でた。
「指揮官じゃなくて補佐ねぇ……テメェにとって邪魔なのか?」
「私にとってと言うより……いえ、そうですね。私が個人的に嫌いなだけです」
微笑みながら告げられた言葉に団長はひどく愉快そうに笑った。
その言葉に、この酒場に来て初めて子供の本音を見たような気がしたからだ。
さてこの穏やかな子供に嫌われた男は一体何をしたのかと肩を揺らしながら笑い続ける団長を、少年は生気のない顔でじっと見ていた。
自らが初めて唯一尊敬した存在。彼と対等に取引を交わす子供は一体何者なのか。
「嫌いなら仕方ねぇなぁ!」
「仕方無いです」
こくりと頷いた子供に団長はニヤニヤと笑いながら身を乗り出す。
「で、何で嫌いなんだ坊ちゃん」
「だって」
子供は冷たくなった掌を感じながらもぎゅっとグラスを握りしめた。
穏やかな顔がふっと伏せられる。直後、場に広がった凛とした威圧に全員息を呑んだ。
先程少年が放ったようなものとは違う。戦場でどんな強者と向き合った時の押されるような威圧とは全く別種の、自らの意思を従わせるような威圧。
「私の大切な人を、殺そうとするから」
子供の戯言だと、笑い飛ばせない程に様々な感情を抑え込んだ声が酒場に落ちる。
少年は淀んだ目を見開いた。目の前の子供には似合わない感情だと無意識の内に思いながら、静かな酒場でポツリと呟く。
「…………それは殺す」
「でしょう?」
パッと霧散した空気に誰もが気が抜けたように肩を落とした。
何かが通じ合ったかのように頷き合う子供二人に、先程から地味にこいつら気が合うんじゃないかと考える余裕すら出てくる。
成程そりゃ仕方無ぇと笑い声を上げる団長に強い……という周囲からの視線が向けられる中、子供は笑い事じゃないのだけどと苦笑しながらジュースを飲んだ。
「何だ、随分と物騒な話だなぁ!」
「彼は絶対的な伝統主義者です。王位を継ぐべきは長子であるべきで、それ以外は国を乱す原因となると意見を曲げません」
「言わせときゃぁ良い。ってな風には行かないらしいなぁ」
「言うだけなら別に良いんです。今の所殿下に王位を継ぐ意思は無いようですし」
絶対的な違和感があった。
殺して欲しい人間は相手側だと、当然目の前の子供は此方側だと思っていた。
「でも、いくら殿下が強すぎる転移魔術の使い手だからって、反乱の芽は早めに摘むべきと暗殺計画を立てられては私だって怒ります」
何故なら幼い身で現在戦争中の敵国に現れるなど考えもしない。
今日自国の兵を散々葬った集団の中で穏やかにジュースなど飲んではいられない。
警戒心を欠片も感じさせず、剣を向けられようと穏やかなままで、しかし子供らしく笑って見せるような真似が出来る筈が無いと。
「罪を被せる隙のない身内を反感を買わないよう消すには、状況に合わせた第三者が一番でしょう?」
そう、思い込んでいた。
「…………お前」
「チビ、止めろ」
少年の手がゆらりと剣へ伸び、しかし団長によって押し留められる。
「俺と坊ちゃんとの話し合いだ」
生気の無い顔を微かに歪め、少年は天井を見上げるように視線を逸らした。
やはり団長は相手をただの子供と見ていない。対等、戯れながらも本心の取引。
同い年ぐらいだろうに自分は憧れるだけの団長と何故ポッと出の子供が並べるのか。確かに時折異質な空気を持つが彼自身が何か出来る訳じゃない。
虚ろにも見える視線で天井の木目を見ながら、両手を口に当てて深く息を吐いた。
「その坊ちゃんっていうの、何だか凄く恥ずかしいです」
「貴族の坊ちゃんじゃねぇか、変わりねぇよ」
子供はチラリと少年を見て、視線を団長へと戻す。
「そっちの王子は二人だったなぁ。テメェは第二王子派って訳だ」
「殿下が望まなければ第一殿下に王位を継いで貰うんですけど、まだ分からないので」
例え今暗殺計画を企んでおらずとも、将来的に王位を継ぐ方向になれば似たような事を起こすだろう。それに今でさえ彼を頂点とした伝統主義者たちの画策が煩い、此処でトップが消えれば不穏な動きも鳴りを潜める筈だ。
まだ幼さの残る年齢だというのに、その思考は貴族の闇さえ受け入れ理解する。
それは決して自らの利益の為に使われる事は無く、ただ一人の為に備えた知識でしかないのだろうと団長は唇を引き上げた。
「そいつの為って事か」
「いえ、違います」
「あ?」
あっさりと否定され、団長は不可解そうに声を零した。
大した忠誠心だと感心した上での褒め言葉だったのだが、どういう事だと目の前の小さな子供を見る。
「誰かの為っていうのは、誰かの所為って事でしょう? こんな浅ましい行為を殿下に背負わせるつもりはありません」
穏やかに、そして幸せそうに子供は微笑んだ。
「だから、これは私が彼を嫌いだから、私の為にやっている事です」
「ハ、ハハハハハハッ!!!」
団長が耐えきれないというように腹の底から笑い声を上げた。
それは周囲の隊長らも同様で、更には傭兵団全体へと伝わっていく。
笑い声を上げないのは、パチリと目を瞬かせ首を傾げる子供を淀んだ目で見つめる少年だけだった。
「こりゃ駄目だ! 金蔓には悪ィがこんなガキがいる国に勝てる訳がねぇ!」
誰もがその言葉に同意した。
目先の欲に捕らわれて侵攻する自らの雇い主達が酷く幼稚に思える。稼がせて貰えるのは有難いが、格の違いを見せつけられた今となっては此方側にいる理由など本当に金以外は無くなった。
「なぁ坊ちゃん、お前を育てた親っつーのは相当上の奴だろ?」
近くに立っていた隊長らの一人が、子供のソファに肘をつきながら尋ねる。
間違いなく国のトップで、国を動かす人間だろう。大国ともなるとその上層部は皆、武力が届かないような化け物ばかりだ。
子供はその隊長が差しだした瓶からグラスへとジュースを注がれながら、ふんわりと笑う。
「今、貴方達が向かっている都市の領主です」
ピタリと動きを止めた腕から注がれ続けるジュースに、子供はこれはいけないと瓶を掴んで無理やり上を向かせた。
なみなみと注がれたジュースを零さないように気を付けながら、そろそろ腹がタポタポ言いそうだと思いつつ零れない程度に飲む。
「ついでに、明日の戦争の総指揮は私です」
「総大将たぁ、テメェ良く一人で乗り込んできたなぁ!」
「箔を付けて一応軍位も持っておこうってだけのお飾りです」
まさかの告白に口に酒を含んだまま固まっていた者達は再び酒を吹いた。
「俺達が金蔓にテメェを突き出すたぁ考えなかったのか?」
「十分な利益を示せば貴方達はそんなことしないでしょう?」
「ハハハ! その通りだがなぁ、万が一って話だ」
「その時は私の見る目が無かった、というだけの事ですよ」
そう言って、しかし苦笑する。
「そう言えれば格好良いですけど、私もまだ十二ですし自分の判断なんて当てになりません。ちゃんと逃亡手段は用意してきました」
むしろ逃亡手段があるからこそ父親からゴーサインが出たのだが、流石にそれを言うのは何だか格好悪い気がすると内緒にしておいた。
可愛げのない子供だと大笑いする団長に、いやあれは相当気に入っていると露骨にヒソヒソする隊長らが怒鳴られている。
賑やかだなぁと子供は思いながら、もう飲めないとまだジュースの残るグラスを机へ置いた。
「なので、明日の作戦は丸っと分かってます。もし私の頼み事を引き受けてくれるなら、安全にターゲットを仕留められるよう助言は惜しみません」
勿論此方にも必要以上の被害を出さないようにしてくれれば有難いです、と付け加えた子供はじっと団長を見た。
団長は愉快さを隠そうともしない笑みを浮かべてその視線を見返す。今にも猛獣に食われてしまいそうだと錯覚させるような笑みを、やはり子供は一瞬たりとも視線をそらさずに見上げていた。
バッと団長が立ち上がり、声を張り上げた。
「坊ちゃんの頼み事を引き受ける事に文句がある奴ぁ言え!!」
直後、上がるのは爆発的な歓声。
元来ノリが良すぎる連中の集まりだ。大金も貰える上に、表面上は敵軍の指揮官補佐という大物を仕留める事が出来るとあれば莫大な戦果を上げたと所属国からも謝礼が積まれるだろう。
そこまで考えての申し出、互いに損をさせない取引は子供が考えるようなものではない。
「交渉成立、ですね」
「こんな愉快な交渉は久しぶりだなぁ!」
いつもならばなるべく安い金で雇いたい相手と喧嘩腰の交渉だ。
しかし今回は違う。実力を認められ、目的が達成される事が前提でそれに見合う対価を提示された。
信じられ、戦う。傭兵としてまさかそんな契約が結べるとは思わなかった。
「それが敵同士でっつうんだからお笑い草だがな」
「え?」
「何でもねぇよ。おら、テメェら明日の作戦会議だ! 机空けやがれ!」
「坊ちゃんジュースまだ飲むかぁ。違うやつとかいる?」
「いえ、大丈夫です。それよりその坊ちゃんっていうの決定しちゃったんですか?」
普段目にしないようなノリの巨躯の男達に囲まれ構われ、その距離感に若干どうしようと思っている子供の背を少年はじっと見ていた。
「おらチビ、送ってやれ。目に付かねぇ方が良いなら俺らよかテメェの方が良いだろ」
「……」
少年は話し合いを終え、乱れた髪を整えながら近づいてきた子供をじっと見下ろした。
その話し合いには少年も大いに関係した為に全貌は把握している。見て聞いたままでは無い、その実情まで完全に理解した説明を目の前の子供はしてみせた。
「外れに馬車を待たせてるだけですし、そこまでなら別に一人でも」
「別に良い……」
生気の無い顔がふいと逸らされ、扉へと歩いていくのに子供も続く。
騒がしい酒場内から出て見れば夜の静寂は耳に痛いほどで、しかし酒の匂いが充満する空間からしてみれば酷く透き通った空気が心地よい。
少年は後ろから付いてくる子供の足音を聞きながら、ふいに小さく呟いた。
「……どうやれば其処に行ける」
ピタリと足を止め、振り返る。
ローブを被って位置を直していた子供が全てを見透かすような目で此方を見ていた。
その微かな甘さを含む瞳が無ければ、ただの子供と変わらない。なのに目の前の子供は自分と同い年の癖に遠いと思っていた団長と対等になってみせた。
子供扱いはされていたものの、あの取引の瞬間二人は確かに対等だった。
「弱い癖にさぁ……ッ」
掴んだ胸倉を引き寄せた。その体は軽い。
どれだけ戦力になろうと、どれだけ剣の腕を磨こうと、自分はかの偉大な団長に並べないというのに。
至近距離にある顔は驚きも焦燥も浮かべず穏やかなままで、それが一層彼を煽った。
「何でお前が並べる! 俺がどれだけあの人の隣に立ちたいと思ってきたのか知らねぇ癖にどうしてお前が今日あの人と対等になれた! 何でッッ」
子供のフードがぱさりと落ちた瞬間、少年の言葉もぴたりと止まった。
その口には子供の手が当てられており言葉を遮っている。
目の前にある光の差さない瞳は死人のものに似ており、見つめられただけで引き摺りこまれそうなそれを子供はじっと見ていた。
「貴方が対等になろうとしないからでしょう」
少年が目を見開く。反論の言葉は出ない。
「あまり騒がれると、困ります」
何処までも冷静な言葉に、少年は胸倉を掴む手からふっと力を抜いた。
子供がパタパタとローブを整えているのを生気の無い視線でぼんやりと眺める。
「…………八つ当たり、悪ぃ」
「いえ」
何事も無かったかのように歩き出した少年に、子供も何て事無いと首を振る。
今度は前後では無く隣にならんで歩き出した子供を少年はちらりと見下ろした。深く長い息を吐いて、視線を夜空に浮かぶ月へと移す。
対等になりたい、自分を拾って生きる術を教えてくれた団長と。
その意思に偽りはないのに何も言い返せなかったのは何故だろうと、村外れの森で待っていた馬車に乗り込む子供を見送りながら考えていた。
「リゼル様、準備は済みましたか」
翌朝、リゼルは昨晩遅かった為に零れそうになる欠伸を噛みしめて殺しながら、自らへと呼びかける男を振り返った。
まるで不安から解き放たれたと言わんばかりの笑みを浮かべてみせる。
「貴方が補佐についてくれるなんて、とても心強いです」
「そう言って頂けるのならば光栄です」
胸に手を当て、頭を下げる男をリゼルはじっと見た。
相手が礼儀正しいのは自らが古くから国を支えてきた公爵家の正式な嫡子だからだ。もし爵位を継がない子息だったのならば態度はまるで価値が無いと言いたげなものに変化するだろう。
まるで、自らの主に向けられるもののように。
取り立てて失脚させられる程の不正も無ければ、不穏な計画を容易に漏らすような人物でも無い。変に優秀だからこそ面倒臭い。
リゼルが彼の計画を知れたのは他でも無い、暗躍に気付いた時に彼の思想に同調するふりをして信頼される程に近付いたからだ。
「今までは少し押され気味ですが、これからの快進撃に期待しています」
「はっ、お任せ下さい」
もし第二王子を暗殺しようというのなら、王族の信頼を勝ち取っている公爵家嫡子であるリゼルの存在は相当重要なものとなる。
水面下で繋がっているという信頼関係があるからか、何処か力の籠った視線をリゼルへと向けて男は去って行った。
「やだなぁ……」
「リゼル様?」
思わず零した声に、ふいにリゼルの後ろへと立っていた騎士が呼びかける。
彼こそがこの領地に普段から駐屯している警備軍らの一人だ。国から送られてきた正規兵が今のところ戦争に出ており、警備軍は守りを固めているだけなので未だに出番は無い。
“逆鱗都市”の名を守るのは実は正規兵ではなく彼ら警備軍なのだが、今回は相手も大量の軍を送りこんで来た為に国からも兵が回されていた。
「何でも無いです」
「そうですか? あ、そういえば前美味しいって言ってたパン屋の婆ちゃんがリゼル様にって焼き立て持ってきてくれましたよ」
「あ、嬉しいです」
差しだされたバスケットから漂う香りに、リゼルは微笑んで手を伸ばした。
ふっと消えた表情が再び笑みを形作るのを見て騎士は笑い、自分もと多すぎるパンを掴んで口に放る。
「流れは分かっていますね」
ふいに告げられた幼さの残る、しかし透る声に頷く。
「当然です。リゼル様に何かあったら領主様が怖いですし、全力でお守りします」
「有難うございます。でも、そっちじゃないんです」
「え? あぁ、昨晩の。大丈夫です」
傭兵団の所へ向かった際に同行してくれたのは彼だ。
事の成り行きはすべて知ってるし、リゼルのある種国への反逆ともとれる判断も知っている。敵側の傭兵団を使って味方の軍部上位に位置する貴族を排除しようという考えも、全て。
彼だけでは無い、この領地の警備軍の上部は突然の展開に慌てずに済むように全て知らされている。
「早くリゼル様の憂いが無くなると良いですね」
しかし領主一家へと忠誠を誓う騎士たちがそれに反論を持つ事は無い。
嬉しそうな笑みを浮かべる騎士に、リゼルもにこりと微笑んだ。
「“死神”が出たぞ!」
「…………その名前、好きじゃねぇんだけど」
自分も有名になったものだと相手の心臓へ剣を突き立てながら思う。
引き抜くと流れる血が剣先から尾を引いて、まるで魂を引き抜いているかの如く見えた。
「おらテメェら、一点突破だぞ逸れんなよぉ!!」
団長の一喝に全員で雄たけびを上げながら、傭兵団は敵兵の間を突きぬけて行った。
その動きは他と比べると俊敏すぎる程に俊敏、爆発的な破壊力は相手の守りをものともせずに突破し目的地へと突き進む。
目指す先には指揮官補佐、城壁の外に展開する軍の丁度中央に立つ男だ。
「左回り込まれるぞ! 右抜けろ!」
「いやぁ、しっかし坊ちゃんの言うとおりだなぁ!」
刻々と状況の変化する戦場で、しかし傭兵団は想像通りすぎる展開を広げていた。
『定石通りを好む人です。変則的な動きが無い分読みやすくて、突破しにくい』
『でもあなた達の破壊力があれば中心までたどり着けるでしょう』
軍を動かすタイミングも、指示も、全て子供が言った通りだ。
ターゲットはもう逃げられないのだろう。子供を敵に回した時点で男の人生は詰んでいる。
ふと近付いてきた城壁の上を見上げた。弓を構え並ぶ兵達の中に、小さな影を見つけて眩しさに目を細めながらも目を凝らす。
「何食ってんだ…………」
もぐもぐと丸いパンを食べていた。
「テメェら相手の壁崩れたぞ! 金蔓の兵が突っ込んだら紛れて本命潰せぇ!」
団長の怒号に、目の前に立ちふさがる兵を切り捨てながらふとターゲットの男に視線を向ける。信じられないと言いたげに周囲へと指示を叫ぶ姿に淀んだ目を細めた。
あれも貴族と言うのだから笑い草だ。本物を知った今だからこそ、余計にそう思うのだろうか。
「チビ、抜けろ!」
生気の無い表情のまま、団長の指示と共にふっと少年の足が止まった。
戦場に幽鬼のように立ち尽くし、淀んだ目で空を見上げる姿に敵兵の誰もが戸惑ったように攻撃を止める。
その一瞬の間で十分だった。ゆらりと揺れた体が、直後その場から消える。
「ッな……!」
何がと言いきる事も出来ず男は絶命した。
その後ろで一人、更に後ろで一人。突如命を絶たれる者は徐々に奥へ奥へと向かって増えていく。
誰もがその原因の姿を捉えられず戦場に恐怖が広まった。曰く、“死神”の出現だと。
「チビの剣にゃ俺ももう敵わねぇなぁ!!」
遠くで団長が笑い飛ばす声が聞こえた。
そんなこと言わないで欲しい。まだ自分はその存在に追いつけていないのに認められたら、どうすれば良いのか分からなくなってしまう。
「隊長にしても問題ねぇだろ!」
隊長格の一人が面白そうに言う声が聞こえる。
止めてくれと心で呟いた。隊長になってもその存在に並べない事に気付いてしまえば自分は一生追いつけなくなってしまう。
『貴方が対等になろうとしないからでしょう』
「…………その通りだ」
本当はずっと気付いていた。
並びたい隣に立ちたいと言いながら、尊敬していたいし憧れていたい自分は隣に並んでそれが失われるのが恐ろしかっただけに過ぎない。今の位置が一番憧れるのに丁度良いから自分から動かなかっただけだ。
尊敬する存在に追いつくのが怖かった、隣にたって凭れかかれなくなるのが嫌だった。甘えているだけのただのチビだった。
「アイツは違う……」
武力は持たずとも自らの持ち得るもの全てを使って道を切り開く子供の姿を思い出しながら、人と人の間をすり抜け後ろ手に剣を振るう。
駆け抜けてから繰り出される攻撃に視線さえ追いつかず、また一人後ろから心臓を貫かれた兵が崩れ落ちた。
ようやく標的へ障害が無くなった。遮るものなく見えた姿が驚愕と共に此方を見ているのを捉え、少年は何の気負いも無く剣を向けた。
「チビィ!!」
その瞬間、団長の険しい声が戦場に響いた。
ゾクリと背筋を撫で上げるような悪寒にバッと振り返った先にあったのは此方へ向かう巨大な光の塊。それが所属国から味方共々敵兵を吹き飛ばそうと用意された超級魔術だとその瞬間に気付くことは勿論無かった。
自分がいる中心地帯は間違いなく直撃する。団長達が無事で良かったと、周囲の悲鳴が響く中、少年は避けきれないかと深く息を吐いた。
「魔術障壁、展開してください」
喧しさの中、少し高い透る声が不思議と耳に届いた。
直後、強大な魔術は何かに遮られたかのように空中で爆発する。一瞬見えた透明で分厚い魔力の壁が魔術障壁なのかと思いながら、ふっと城壁を見上げた。
あの魔術でターゲットを亡き者にする目的は達成できた筈だ。周囲も巻き込まれるが、警備軍は逆方向に配置されている上に魔術が無くとも失われる勢力を惜しみはしまい。
ならばあの障壁は、誰の為に張られたのかというと。
「無事ですか?」
向けられた声にターゲットの男が返事を返しているが、あの言葉を向けられたのは彼では無い。
そう確信しながら、少年は声に釣られるようにふっと城壁の上を仰ぎ見た。
「…………」
見上げた先には先程よりもはっきりとその姿が見えた。
戦場など初めての癖に穏やかな視線ははっきりと自分を見下ろしていて、交わされた視線に気付いたのかゆるりと細められた。向けられた微笑みはまるで普通に友人の応援をしているようで、状況も忘れて少年は全く似合わない無邪気な笑みを浮かべる。
淀んだ瞳に光が差した。
「体勢を立て直せ! 伝統など知らぬ小国に我らの権威を叩きこんで」
「……敵に回したのは小国じゃねぇだろ」
馬の上で声を張り上げる男の鎧ごと、その心臓を刺し貫いた。
「そういや隊長達とか古株って宰相サマの事“坊ちゃん”呼びするけど、あれ良いんですかね」
「良いんじゃねぇの………」
「それと何で隊長って時々宰相サマに敬語になるんスか」
「……気分だ煩ぇ」
森を迂回し背後から攻め入ろうとしていた伏兵を見つけ、斬り捨てながら出会いの記憶を思い返すのを一旦止める。
あの後はリゼルの手引きで早々に離脱し、金蔓とリゼルと両方から貰った報酬を全員で喜んでまだまだ続く戦争から一抜けしたのだったか。非難されはしたが、傭兵はそんなものだと知っている雇い主らは食い下がる事はなかった。
あの後、戦況が崩れたことで現れた本命である逆鱗都市の警備軍に押されてそんな暇は無かったからかもしれないが。
「…………合流する」
「了解です」
初対面から幾度かの邂逅を重ね、徐々に絆を紡いでいった。
彼の冷静さに釣られるように理性が飛ぶほどの激昂は鳴りを潜め、団長達が面白そうにしていたのが懐かしい。最近また少し増えたが。
だから早く戻ってきてくれと、再び飛びそうになる理性をギリギリ繋ぎとめる。
「団長達も探してんのに…………」
少年だった男は淀んだ瞳で空を見上げながら深く長い息を吐き、剣へと纏わりつく魂の残滓を払った。
「あの頃は色々若かったし、無茶もいっぱいしました」
「てめぇが無茶とか想像付かねぇな」
運が良かったんです、と笑うリゼルに随分と可愛くない子供だったようだとジルは自分を棚に上げて溜息を吐いた。
時折彼の口から零れる昔話は敬愛する国王関係で無くとも割かし物騒な事が度々ある。とある傭兵団に協力を求める事があれば大抵そうで、良くぞ荒くれ者達が目の前の穏やかな男に付き合うものだと思ってしまう。
恐らく報酬がかなり良いなどのメリットは多分にあるのだろうが、それだけでは無いのだろう。
この点に関しては自分を棚に上げて話に聞く彼らに呆れることなど出来はしない。
「元気に戦争してると良いんですけど」
「それで良いのか」
ほのほのと笑った男に、傭兵団の中でも一番話に出て来るとある“死神”へと同情してしまった。
それはそれとして一度手合わせしてみたいものだと、そう思いながら。




