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64:決して諦めない

「サルスとアスタルニア、どっちが良いですか?」

「は?」


 底など見えない切り立った崖の上、唸るような風の音が響くその間際に立ちながらリゼルは言った。

 近くに木の一本も無い広がる高原、雄大な渓谷、絶える事の無い風に顔を覆おうとする髪を耳にかけながらジルに問い掛けたリゼルの視線はじっとその崖の下を覗いている。

 ジルは何故いつも唐突に質問を投げかけるのかと顔を顰めながらその姿を見た。

 その片手は伸ばすように前に差し出されており、掴んだロープが崖の下に続いている。まるで釣りでもしているのかと言う様に時折揺れるロープには普通ならば片手で支えきれない重さがかかっているのだが、余裕のある姿からは窺い知れない。


「ニィサンもうちょい下ー」

「ああ」


 崖の下から響いた声にロープを掴んでいた力を弛める。

 シュッと素手ならば火傷しそうな速さで落下を始めたロープを直ぐに握りしめた。ガクンッと物凄い反動を付けてかかった力にしかし腕は微動たりともしない。


「っぶね、もうちょい優しく出来ねぇんスか!」

「煩ぇ」

「大丈夫ですか、イレヴン。代わりましょうか?」

「リーダーはお願いだからジッとしてて」


 こちらを覗きこんで来る姿に危ないからもっと下がれと手を振り、急激な落下を崖に足を押し付けることで回避したイレヴンはブーツの底が削れたらどうしてくれるとブツブツ呟いた。

 輪を作るロープに腰かけるようにし、そこから上に伸びたそれを握り上体を起こしている。そのロープの先は勿論ジルの手にあるのだから、文字通り命綱を握られている状況に落とされないとは分かっているものの若干の不満を覚えなくも無い。

 しかし自分が拒むとじゃあ俺がとリゼルがやりたがるのは目に見えている。まさかやらせる訳にはいかないだろう。


「これで不味いもん作りやがったら店潰す……」


 岩で作られた巣の中にある手の平大の真っ白な卵をぽいぽいと鞄へと入れながらイレヴンは不穏な独り言を零した。

 今日行っているのは中心街にある卵料理専門の高級店から出された【クリフイーグルの卵調達】というBランク依頼、イレヴンも良く行く店からの依頼だ。受けたからと言って飯が食べれる訳でも無しと魅力は感じなかったが、リゼルが丁度ロープを有効活用したい気分だった為に受けた。当の本人はやらせて貰えなくてあれっとなっているが。


「イレヴン、ありました?」

「四個ッスね」

「もう少し欲しいです。後サルスとアスタルニアどっちが良いですか?」

「は?」


 次の卵の場所を指差すとジルが崖沿いに移動を始めた。リゼルもその隣を歩く。

 イレヴンは縄を手繰り寄せながらひょいひょいと数メートル上へと登り、クリフイーグルの卵を手に入れた。


「いきなり何言ってんスか……よっ」

「そろそろ他国に行ってみたいなと思いまして」

「ニィサン二メートル右。ちょい過ぎた。ストップ。リーダーの行きたいトコ行きゃ良いじゃん」

「折角だし全員で楽しみたいじゃないですか。俺も迷ってるし、参考にと思いまして」


 手繰り寄せた縄を離し、落下しながらイレヴンは平然と言った。

 ガクンッと再び伸びきる縄の反動を握った手で緩めながら三つ目の巣を漁る。ちなみに周囲には当のクリフイーグルがイレヴンを目がけて崖を削る威力を持つ嘴を突き出し突撃しているが、上から狙い撃ったリゼルによって攻撃を阻まれていた。

 撃ち落とせたクリフイーグルは手の届く範囲だったらイレヴンが卵と同時に回収している。その羽もまた上位素材といえる程のもので、他の冒険者ならば一匹も逃さず回収するだろう。

 基本的にボスの素材しか回収しないジルとは違い、リゼルは上位以上の素材だったら回収出来るものは回収している。売却目的ではなく何かに有効活用出来ないかという考えからだ。


「ジルは好きにしろとしか言わないですし」

「あんなドッキリ仕掛けられた後で良く同じ事言えるッスね。リーダー十一個」

「そのくらいですね。お疲れ様です、イレヴン」


 にこりと微笑まれ、イレヴンはだから覗きこむなと零しながら崖に足をついてグイッと縄から腰を浮かせた。

 そのまま縄をたぐり崖を駆けあがる。微動だにしないジルの腕にやはり人外だと内心呟きながら軽い足取りで崖上へと降り立った。

 ロープを回収しているジルの横で簡単に服を払っているイレヴンの、その赤い髪を微かに覆う土埃をリゼルがはらってやる。ついでにグリグリと押し付けられる頭をぽんぽんと撫でてやりながら、ゆるりと小さく首を傾げた。


「で、どっちが良いですか?」

「は? あー、どっち行くかって話? どっちかっつーとアスタルニアっすね、遠いけど」

「イレヴンは好きそうですね、イメージ的に」

「好きっつーか合うっつーか。気候的にも俺には過ごしやすいし。それにサルスって何か鼻に付く奴多くてムカツク」


 魔法学院を抱える隣国のサルス。明確な差別は無いもののどちらかと言えば魔法重視である国柄が生来魔力の少ない獣人達には合わないのだろう。

 勿論獣人がいない訳ではないし魔法を重視しているのは学院のある首都ぐらいだが、意外と人の負の機微には聡いイレヴンは気に入らないらしい。実際以前の大侵攻の元凶である男は極度の魔法贔屓だったようだし、噂には聞いていたがどうやら本当のようだとリゼルは頷く。

 片付けも済んだしと三人はさっさと帰ろうと草原を歩き始めた。逃がさないとばかりに襲い掛かる何匹かのクリフイーグルに背を向ける。


「別にリーダーがサルス行きてぇなら良いッスよ。ムカツクってだけで特に嫌じゃねぇし」

「そうなんですか? やっぱり悩みますね」

「どっちも行きゃ良いだろうが」

「それもそうなんですけど。ジルは選ぶならどっちが良いですか?」

「サルス。近ぇから」


 平然と答えながらジルがリゼルの腕を掴んで引く。

 数歩横にずれたリゼルがいた筈のその場所を鋭い風切音をたてて通り抜けていくクリフイーグルは、しかし数メートルもしない内に真二つになって地面へと落ちた。いつの間にか剣を抜いていたイレヴンがクルクルと手の中でそれを回している。


「ジルはすぐ面倒臭がりますね」

「お前に言われたか無ぇよ」


 頭上を飛び越えようとする魔物たちを見上げ、リゼルは可笑しそうに笑いながら魔銃を出現させて狙いを付けた。

 発砲音が響く度に広げていたその羽を痙攣させながら落下してくるそれを避け、綺麗な状態のものだけを回収していく。価値があるのは羽毛と嘴だが今捌くのは面倒臭い。

 金はかかるものの魔物の解体を専門としている店が幾つもあるし、持ち運び出来て依頼に関係の無い魔物の解体は店に任せる事が多かった。


「最近周りが煩ぇから面倒なんだろ」

「分かります?」

「あー、そーゆーコト」


 パーティー、貴族からの指名依頼、騎士学校。

 予想が付いた上で選んだ事だが、やはり周囲が変に騒がしくなってきて少し煩わしいようだ。

 自らが巻き込まれるのを好まないリゼルが引き際を誤ったりはしないので、元々それらを受けたのも簡単に国を離れる選択肢を持ち得るからなのだろうとジルは考えている。

 一度パルテダールから離れて静かになるのを待つのも良いかと考えたのか。この国で見たい物は全て見ただろうし、もしかしたら拠点を移すことも考えているかもしれない。


「やっぱりサルスは色々厄介かもしれないし、アスタルニアも良いですね」

「ダイジなダイジな魔法使い潰したッスもんね、俺ら。どこまで情報バレしてっかは知らねぇけど」

「どっちにしろ目は付けられてんだろ」

「ですよね」


 でもアスタルニアは遠い。何やら色々考えているようだが結局はそう言ってほのほのと笑うリゼルに、やはり人の事を言えないだろうと溜息をつきながら最後の一匹を斬り伏せた。






「(転移魔術が使えたらなぁ)」


 リゼルは夜、いつものバーのような酒場のカウンターに座りながら考えていた。

 転移魔術が使えたら一度行った場所へとすぐに行ける。一度アスタルニアを訪れてしまえばパルテダとアスタルニアの気が向いた方で好きなように活動できるのだが。

 しかし出来ないものは仕方が無いと一度頷いて諦める。以前聞いた限りでは片道馬車で二週間程、馬を飛ばせば十日程か。やはり少し遠い。


「……何か悩んでいるのか」


 考えに没頭しているリゼルに気付いたのだろう、マスターが問いかけた。

 リゼルは髪を耳にかけながら微笑み相変わらず自分好みのカクテルに唇をつける。勿論アルコールなど入ってはいない。


「アスタルニアにパッと行ける方法は無いかと思いまして」

「拠点を移すのか」

「考え中です。もしそうなら、寂しく思ってくれますか?」

「常連がいなくなるのは、少しな……」


 微かに口元に笑みを浮かべてそう呟いたマスターは果たして本心なのだろうか。

 愛想の無い人物だが情に欠けている訳ではない。恐らく本心からの言葉なのだろうと、リゼルは少しなのは残念と可笑しそうに呟いて残り少ないカクテルを静かに飲み干す。

 音を立てずカウンターに置かれたグラスを優しい明かりが照らし、カランと氷が崩れる音がした。


「次は」

「お任せします」


 二杯目はどうするか問い掛けるマスターにいつものように返す。

 慣れ切ったように作り始める動作を眺めていると、手は止めないままに視線を向けられた。


「魔鳥騎兵団は知っているか」

「ええ」


 魔鳥騎兵団、文字通り魔物である魔鳥を手懐けて戦うアスタルニア独特の兵士達。

 広い意味では魔物遣テイマーいで、卵から孵して自らの手で一から育て上げる事で絆を築き共に闘う相棒とする。

 支配ではなく友好による魔物遣いなのだが相手は当然魔物に過ぎない。ただ世話をするだけで懐いてくれる訳が無く、そこには国家機密が関わっているようなので肝心な部分の情報は流れて来ないのが残念だ。

 それがどうしたのかと問い返すほどリゼルは鈍く無い。


「パルテダに来るんですか?」

「近い内、という噂だ」

「何でしょう、友好国同士の交流戦とかでしょうか」

「……俺が知っているのはここまでだ」


 後は自力で何とか出来るだろうと丸投げされた。

 情報はとても有難いが、他国の特殊兵団と接触を容易に持てると思われているのは何故なのだろうか。未だ市井にも出回らない噂を酒場の店主でしかない彼が知っている事は疑問に思わないが、そこは気になる。

 国を挙げての交流戦なら出るのは憲兵では無く騎士か、何となく面白そうなので一般公開されれば良いのだが。そんな事を考えていると、もう客も居なくなる夜中だと言うのに店の扉が開いた。


「あ、ラッキー。リーダー居んじゃん」

「イレヴン」


 赤い髪を蛇のようにしならせたイレヴンが嬉しそうに目を細めてリゼルを見た。

 そのまま軽い足取りでリゼルの隣へと座る。すかさず頼む酒は流石と言えば良いか強いもので、相変わらずだと微笑みながら自らの前に置かれているカプレーゼを差し出した。


「上品なつまみが似合うッスね」

「前に美味しいって噂のたこわさとか食べてみたら、一緒に飲んでたジャッジ君が泣いちゃって」

「あー……」


 リゼルの前にたこわさ、違和感しかない。イレヴンは口元を引き攣らせた。

 美味しかったのにと言っているリゼルには悪いが金輪際止めて欲しい。泣くほどショックを受けるジャッジにそこまでかと若干引くものの、その気持ちは理解出来てしまう。

 納得しかけたような微妙な返事を返すイレヴンに苦笑していると、マスターによって完成されたカクテルが前に置かれた。


「酔えないカクテル飲んで何が楽しいんスか。すっげぇ似合ってるけど」

「気分ですよ、気分。バーでカクテル、いかにもじゃないですか」


 遊び心のあるリゼルらしい返答だとイレヴンは笑い、特に味わいもせずカプレーゼを平らげる。

 ちまちま食べていたリゼルとは大違いだと思いながらそれを見ていたマスターは、出来れば味わって欲しいなどと口には出さない。心の中では思っているかもしれないが。

 琥珀色のカクテルに甘い瞳をゆるりと伏せて口付けるリゼルを、イレヴンは頬杖をつきながらじっと見ていた。


「リーダー甘いモン普通に好きなのに飲むモン辛いの多いよなァ」

「そうですね、やっぱり何か食べながらだと……ッけほ」

「噎せた?」


 小さく咳き込んだリゼルに珍しい事もあるものだとその背を撫でる。

 基本的に食事中は品の良い彼が噎せるなど見た事が無い。別に炭酸でも無いのにと思いながら撫でるが、しかし口に手を当てて咳き込む姿に訝しげに眉を寄せる。

 俯いてしまった顔を覗きこむようにしながら、イレヴンは睨むようにマスターを見た。


「マジでだいじょぶッスか、飲んだもん悪かった? 何飲ませたんだよ」

「……お前が言ったんだろう」

「あ?」

「俺も無理強いしたくは無いが、あんな大金を置いていかれてはな……かなり薄めたし大丈夫だと思ったが」


 リゼルに水を差し出してやりながらの言葉にイレヴンは不可解そうな顔をしたが、ふと思い出した。

 それは大分前の事、考えを読まれているのではと思う程にリゼルに自らの策略を全て看破されていた。本人の見えていない所ですり替えようと飲みかけの所に忍ばせようと、完璧に隠したはずの自らの機微と周囲の些細な変化を見抜かれてしまう。

 ならば変化を読まれないように、むしろそれ以前にその変化を取り払ってしまえば良い。


『俺が忘れた頃にリーダーの飲み物に酒盛って。俺が一緒なら意識こっち向くし、マスターは多分ノーマークだから警戒薄い。でも警戒ゼロにはなんねぇし油断させる為にはァ……好きな色とか良いかも、今まで何色好きそうだった?』


 そうして大金を無理矢理押し付けた。

 拒否したがどうやっても返せない金に、ならば気は進まないが一応形として義理は通して諦めて受け取ってしまう方が早いとマスターが思ってしまうのも仕方が無いだろう。

 ただ拒否しているリゼルに酒を飲ますのは忍びないので本当に形だけだと、子供でさえ酔わないような薄いアルコールを作ったマスターもリゼルがそれ程に弱いとは思わなかったらしい。噎せる姿に、水を差し出す顔も心なしか心配そうだ。


「は、じゃあリーダーが今飲んだの」

「こほっ……」


 ようやく落ち着いたのかリゼルの咳き込む声が止む。

 小さく肩を上下させる姿を心配そうに、しかし多大な期待を込めて眺めながらイレヴンは背中を撫でていた手を止めた。服越しにリゼルの体温が伝わってくる。

 俯いていた顔がゆっくりと上げられ、口元を覆っていた掌が外された。


「ヘーキ? 駄目そうなら水あるッスよ」

「……イレヴンの仕業ですか」

「へ、あ、いや……そう、ッスけど……」


 もしや怒られるだろうかとイレヴンは口を濁しながら肯定する。

 果たしてリゼルは今酔っているのだろうか。ジルから聞いた情報によると酔ったら正反対になるらしいが、リゼルは翌日覚えていないが故にそれは人伝のものだそうだ。

 まさか一口で記憶を無くす程酔うとは思えないがイレヴンの獣人の勘はけたたましく警報を鳴らしている。正反対って何だ。普段優しいから厳しくなるのか。甘いから辛くなるのか。

 これは怒られるにしても覚悟が必要かもしれないと決意しながらイレヴンはちらりとリゼルの顔を窺った。ゆるりと微笑まれる。


「私の椅子になって許しを請えば許してあげましょう」

「ニィサン呼んで来い! 早く! 即行急いで今すぐ迅速にさっさとしろ!!」


 覚悟したくらいじゃ全然足りなかった。






 馴染みの店の扉の前でジルは立ち止まっていた。

 その表情は限り無く嫌そうだ。閉店時間前なのにクローズの札が出ているのも、中から聞こえて来る会話にも、呼びに来た精鋭が何か色々訳が分からない事を言っていたのも嫌な予感しかしない。

 入りたくない。入りたくないが正直酔ったリゼルが見たく無いかと言われれば見たい。ただ巻き込まれたくない。

 たまたま通りがかった酔っ払いが暗闇の中立ち尽くすジルを見て即座に酔いを醒ましていた事など全く知らないままジルは全力でガラの悪い顔をしていたが、諦めたように溜息をついて扉に手を掛けた。


「……何やってんだ」

「リーダーの椅子」


 机席の椅子の一つに腰かけたイレヴンがその足の間にリゼルを座らせている。足の上に乗せたのではイレヴンの顔が隠れてしまいやりづらいからだろう、リゼルの肩から顔を出したイレヴンは真顔だ。

 その真顔は混乱しているのだろうか楽しんでいるのだろうか。恐らく楽しめる余裕は無さそうなのでされるがままにされているのだろう、ジルは向かい側に腰かけながら呆れた視線を向けた。

 リゼルの手に酒が持たれているのに気付き、酔った人間に更に酒を渡してどうするのだと顔を顰める。


「おい」


 声をかけられ、今ようやく気付いたかのようにリゼルの視線がジルを向いた。

 普段は甘いまでの穏やかな表情は鳴りを潜め、人を見下ろすような瞳と薄らと笑みを浮かべる唇はひたすらに冷たい。絶対王制を敷くかのように横暴ながら高貴な姿はまさしく貴族。店をクローズにしたマスターの英断は称賛されるべきだ。

 しかしいつもの全てを掌握するような場を支配する清廉な威圧は無く、それだけが救いだろう。

 ジル達は勝手に貴族モードと呼んでいるがリゼルに言わせれば仕事モードなそれは、流石に酔っぱらって行えるものでは無いらしい。仕事モードではない貴族としての姿、本当に掴み所のない男だと溜息をつく。


「どんだけ飲んでんだよ」

「リーダーが酔ったのはうっすいの一口。そっからは強いの」

「酔っ払いに酒渡してどうすんだ。止めろ」


 顔を顰めるジルはすっと長い腕を伸ばしてリゼルの手からグラスを抜き取った。

 そのまま中身を飲み干し、下戸が飲むには強い酒に遊び過ぎだと眉間の皺を深める。

 リゼルは奪われた酒を目で追って気に入らないと言いたげな雰囲気を醸し出した。酔っても尚その感情の起伏は小さいが、負の感情を表に出さない普段からしてみれば劇的な変化だろう。


「不快です」

「光栄だ」

「本当に光栄だというなら傅いてみせなさい」

「とっくに傅いてんじゃねぇか」


 向けられただけで思わず跪いてしまいそうな瞳だが、リゼルに慣れていればそこまででもない。清廉高貴な威圧が無いだけで変わるものだとジルは酔っ払いの戯言を流す。

 ちなみにイレヴンはもはや反射だ、叩き伏せられ従うしかない本能が反射的に貴族なリゼルの言う事を聞いている。だって怒られたら怖いし。

 しかしそれが無くとも今のリゼルに平然と言い返せるとは思えない、流石ニィサンと内心で呟いてイレヴンは背もたれに徹しながらも望まれるがままに料理をリゼルの口へと運んだ。


「代わりの酒を用意させて」

「や、ニィサンも止めろっつってるしリーダーも明日辛いん」

「……聞こえませんか?」


 至近距離にあった顔がゆっくりと振り向く。

 合った視線に、冷たい微笑みに、ぞくりと背中を何かが駆けあがった。恐怖か歓喜かも分からぬそれはリゼルが貴族に変貌する度に感じるもので、開きかけていた口を思わず噤む。

 高貴な瞳は従わない方が許されない悪だと思わせる程で、リゼルはその瞳を細めながらコツリと互いのこめかみを寄せる。


「酒を用意しろと、私が言っているんです」

「マスター今すぐリーダーに酒持ってきてさっきと同じので良いから」


 すかさず飛ぶイレヴンの注文を受けたマスターが常の通り無言で酒を作り始めた。

 常連客の豹変に動揺しているのかどうかは無愛想な顔からは窺い知れないが、驚愕したのは間違いないだろう。今はもはや全てを納得して受け入れているようだが。

 容易に従えさせられているイレヴンをジルは呆れたように見た。


「お前チョロすぎんだろ……」

「従う以外に選択肢ねぇじゃん、逆らって自害しろとか言われたらどうすんスか。酔ったリーダー暴君すぎてマジ怖い」

「言われねぇよ」


 何故分かるのかと怪訝そうなイレヴンを放ってリゼルへと視線を向ける。

 万人を従えるような冷たく高貴な瞳、薄らと浮かべられた感情を伴わない微笑み、そして普段からは想像が出来ない程の高圧的な台詞に脳を侵食するような透き通る声。

 しかし見ていると確かにそれだけでは無いのだ。横暴な要求が通った時の満足気な雰囲気と、命令を下す時だけ微かに甘さを含む声。そして露骨ながら場に溶け込み疑問を持たせない接触が何を示すか。


「明らかに甘えてるだけじゃねぇか、そいつ」

「……は?」


 イレヴンは告げられた言葉にパカリと口を開いた。

 そのままチラリとリゼルを見ても変わらず支配者のような冷たい微笑みがあるだけだ。ジルの言葉に特に何も返す事は無く、ことんとイレヴンの肩に後頭部を預ける。

 否定しないならばジルの言葉は真実なのだろうかと考えていたイレヴンは唐突に理解した。正反対は横暴化ではなく甘えた化なのか、むしろ両方なのか何なのかもう分からん。イレヴンは思考を放棄して完全に開き直った。


「じゃあ甘やかしたら喜ぶんスか。はいリーダーぎゅー」

「椅子風情が調子に乗らないように」

「あ、スンマセン……」


 甘えていようとリゼルが貴族に徹している事に変わりはない。

 そのリゼルに逆らえないイレヴンはどう考えても好き勝手甘やかせないだろう、分が悪い。

 そもそもリゼルが普段甘やかすような相手で貴族モードに負けない者など一人を除いて居ない。止める者がいなければ何が有るか分からないし、年下とリゼルだけで飲ませないようにしようとジルは呆れながら内心頷いた。

 翌日何も覚えていないリゼルが後悔する事などあってはならない、酔っても人は選んでいるようなので大丈夫だろうが。


「(……選んでるからコレなんだろ)」


 イレヴンに分かりにくい甘え姿勢を取りながら、しかしジルにそれを向ける事は無い。

 そして周りにいるのが他人だったのならば甘えもせずにただ孤高で横暴な支配者となるのだろう。

 普段甘やかしているから甘えるようになっているのなら、普段甘えている相手に更に甘える事など無いのだろう。甘えているとハッキリと告げられた事はあるものの、まさか本当だったとは。

 そんな事を考えながら顔を顰めるジルを、相変わらずガラ悪いと思いながらイレヴンはマスターによって運ばれてきた酒をリゼルに渡した。


「おい、飲ますなっつってんだろうが」

「甘えてんなら甘やかしてやりてぇじゃん」

「甘えてきたら嘲笑って突き放すのがテメェのキャラだろうが」

「ひっで。でもまぁ否定はしねぇッスよ」


 楽しみ始めてニヤニヤと笑うイレヴンに眉を寄せ、ジルは再び手をリゼルの持つグラスへと伸ばした。しかし二度目ともなれば簡単に渡すリゼルでは無い、その直前グイッと一気にグラスを傾ける。

 ゴクリと大きくリゼルの喉が動いた。


「リ……ッ」

「おいアホ、止めろッ」


 普段飲まない人間が薄くも無い酒を一気して大丈夫な筈が無いだろう、流石に焦ったイレヴンが無理矢理その両手を押さえつけ珍しく声を荒らげたジルがグラスの底を掴んで引き抜いた。

 プハッと大きく息をついたリゼルの唇からつっと一筋零れた酒を指で拭ってやりながら、もはや僅かにしか残っていないグラスの中の酒をイレヴンは引き攣った顔で見た。いくら高貴だろうと何だろうと酔っ払いは所詮酔っ払いだ。今それが分かった。

 男らしい飲みっぷりで、と呟くしかないイレヴンにリゼルは満足気な表情を浮かべて髪を耳にかけた。ジルを見据える。


「私の世話を焼こうなんて真似を何時許しましたか。先程不快だと言ったでしょう」


 変わらない毅然とした冷たい微笑みに、ジルは今度ばかりは不快そうに眉を寄せた。

 酔うのは良い。不快だと思われても構わない。ただ自分を壊すような真似をされて黙っているとでも思ったのだろうか。

 グラスを奪う為に乗り出した体をそのままに手を伸ばす。こうなったら無理矢理水を飲ませて連れて帰ろうと伸ばした手がリゼルへと届こうとした時だった。

 冷徹とも言える表情がゆるりと溶け、ただひたすら甘い微笑みに一切の身動きが取れなくなる。伸ばされた両手が頬を包むのを黙って受け入れるしかなかった。


「だって、私が貴方の世話を焼くんですから」

「……まさかの」


 甘やかす者には甘えるのなら、甘える者には。

 茫然と呟いたイレヴンにジルは内心同意した。まさか甘やかそうとでも言うのだろうか。嫌だ。

 しかしリゼルの纏う空気が年下達に向けるものとは明らかに違うことに気付き、直後驚愕する。


「何もせず座っていなさい、私が貴方の望みを全て叶えてあげます。家が煩わしいなら国ごと潰してあげましょう、戦いたいというなら戦争を起こしましょう。食べたい肉があるなら全て揃えてあげるし、欲しい剣があるなら何本でも並べてあげるし、潜りたい迷宮があるなら持てる力全てを尽くして世界中から探してあげましょう。光栄でしょう?」


 するりと愛おしげに頬を滑る手の平の感触と、此方を見据え覗き込む瞳。脳を侵食する柔らかい声に全てを受け入れろと洗脳されているような感覚。

 そして命令するように囁かれた。


「頷いて」


 これは駄目だ、とジルは声に出さないままに唇だけを動かして呟いた。

 普段のリゼルの甘やかしは相手の成長を促すものだ。相手に気付かれる事なく手を出す事なく相手を伸ばす、そんな導きのような存在だった。

 しかし同じくリゼルにとって甘やかしているだろうこれは真逆でしかない。


「心配も不安も必要ありません。何も考えず、私が与えるものを全て享受しなさい。約束は違えないし望むもの全てを叶えてあげましょう」


 これは、相手を堕落させるものだ。

 恐らく本当に望むものは全て与えられる。願いは叶えられる。しかし身の破滅は避けられない。それに気付こうと求めてしまいそうになる程に抗いきれない力がある。

 リゼルがゆるりとイレヴンに深く体重をかけてもたれかかった。清廉ともいえる顔と口にする言葉の相違が酷く違和感を感じさせるが、それ故に酷く惹きつけられる。


「跪いて願えば、心ごと甘やかし」


 ぐ、とジルがその口を覆う様に塞いだ。

 言い切る前に遮られたリゼルの瞳がすっと細められる。それを真正面から見返しながらジルも宥める様に常よりゆっくりとした口調で言葉を返した。


「お前のもんだろうが、ブチ壊しても得にはなんねぇぞ」


 数秒の沈黙の後、甘い瞳は伏せられリゼルの体から力が抜け落ちる。


「…………うっわ、引き摺りこまれた……何コレ、甘やかし? んな可愛いもんじゃねぇだろ」

「俺は今後一切こいつと酒は飲まない」

「つかニィサン良く止めれたっつーか、止めようと思えたっつーか。あ、水飲ませてねぇ」


 イレヴンは倒れ込もうとするリゼルを支えながらその寝顔を見下ろした。

 健やかな寝顔は穏やかで、いつも見ているものと何も変わらないそれに盛大に安堵を零す。

 酔っていない時のリゼルに過剰に反応する者は先程までの自分のような心境なのだろうかと思いながら、手に持っていたものを空き皿の上に散らすジルへと視線を向けた。


「睡眠花、良く持ってたッスね」

「いつかこいつの読書週間に使ってやろうと思ってたからな」

「あー……」


 握り潰せば香りを放つその花弁を手を振って払い、ジルが顔を顰めながら言う。

 リゼルの読書週間は一応短い睡眠を挟んで行われている為に未だ出番は無い。計画的に読書に必要最低限のコンディションの維持を考え他人に何も言わせないのが何ともリゼルらしいだろう。


「俺には向けられねぇし、また飲ませてみよっかなー」

「飲ませられりゃ良いけどな」


 鼻で笑われ、そう言われればそうだとイレヴンは舌打ちした。リゼル相手に二度同じ手は通用しない。

 突破口が閉ざされたイレヴンが唸りながら悩む中、ジルはじっとりと此方を見るマスターに溜息をつきながら多めの迷惑料を含めた会計を済ませていた。





「しかしこんだけ好き放題やって覚えてねぇとかハタ迷惑な奴だな」

「面白いから良いんじゃねッスか」

「てめぇは最初ビビってただろうが」

「だから次は最初から楽しみたいなァって思ってんスよ。ニィサンも協力してくれりゃ飲ませれっかも」

「ぜってぇ嫌だ」


何がどうしてこうなったのか私にも分からない。

また今度活動報告で言い訳でも……しようかと……。

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[良い点] お酒飲んだらほんとに反対だァ [気になる点] 陛下と飲んだ時とお父さんと飲んだ時どうなったんだろ…
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