45:ぞっとする程に(怖い)
終わりを迎えた大侵攻。
発生した次の日に解決するという異例の事態と、目撃されるエルフと思わしき面々。
これから面倒事が多発するだろう事を考えると、スピード解決も良いばかりではないとシャドウが考えてしまうのも仕方が無い。大切なのは街と民とはいえ、後処理に追われてリゼルの言葉通り寝かせて貰えない夜を送るのは辛い。
民衆に大侵攻の終了を告げる為に顔見せもしたし、しばらくはこれまで通りという訳にはいかないだろう。
シャドウは手を止めないまま既にこの街には居ないリゼル達を思い出していた。
元凶を取っ払っても大侵攻が続いていては流石のリゼルも途中退場で出て行きにくい。
周囲が魔物に囲まれて居ようと地下通路があるし不可能ではないのだが、知名度が高い上に所々で目立つ真似をした“一刀”が大侵攻の最中姿を消したなどと言われればギルドの規則(大侵攻への参加協力義務)に反したと言われてしまう。
正直スタッドがいる限りギルドに関しては問題ないような気もするが、権利ばかりを甘受して規則を守らず傍若無人な真似をするのは余りにも賤しいというのがリゼルの考え。
その結果がエルフにお願いしての魔物一斉掃討だ。街に残るべき理由をすべて無くして堂々と出国していった。
「色々動いておいて後の面倒事は放置か、嫌な事はしない男だ」
「おらんかったら壊滅しとったかもしれん事を思えば御の字じゃろ。それに基本的に気遣いを忘れん奴じゃ」
「分かっている」
リゼルが国を出た後マルケイドの城壁を結界が覆った。残した魔力装置に何かしたのだろう。
エルフを招き入れたがシャドウとは一切関わらせなかった。冒険者の個人的な協力者だと言い訳が立つので、シャドウは外部から何を言われようと知らぬ存ぜぬを通せる。
捕えた元凶は魔法が使えないよう捕えているが、そもそも指先ひとつ動かせない状況なのだから何をしても無駄だろう。「はい、解毒剤。これしか効かねぇかも」と言って蛇の獣人は褒めてくれと自らのパーティリーダーへと懐いていた。
そしてどうせ普通の大侵攻でも変わらず忙しいなら、早く終わるに越した事は無いのだから結果は上々なのだろう。
「しかしお主、大侵攻からあやつの話ばかりじゃの」
「……用が済んだなら出て行け」
ニヤリと笑って部屋を出て行くインサイに、シャドウは顔を顰めて鋭く舌打ちした。
自覚はしている、そう小さく呟いたのを聞いた者はいない。
その頃リゼルは、エルフを送り届けたついでに宣言通り温泉で一休みしようと入った宿の一室でジルと向かい合っていた。
ベッドに腰かけ互いに顔を突き合わせながら、リゼルは恐らく今までで一番真剣な顔をしておりジルは無表情のまま腕を組んでいる。イレヴンはリゼルの後ろでゴロリと寝転がってその様子を眺めていた。
おもむろにベッドの上を這い頬杖をついて下からリゼルを見上げるその顔は、面白そうに笑みを浮かべている。
「今回支配者さんの先回りが出来たのは間違いなく本のお陰です」
言い聞かせる、というよりは何処か懇願を含んだ穏やかな声にジルは眉ひとつ動かさない。
ただ無言で此方を見つめ続けるその端正な顔に、リゼルは慎重に言葉を選んで口を開いた。
「常日頃から蓄えた知識が身を助けるのだから、必要でしょう?」
「そうだな」
「なら、」
「何」
低く微かに掠れた声が力を持ってリゼルを抑え込む。
口での言い合いならばリゼルは間違いなく他の誰に対してでも圧倒出来るだろう。それは豊富な知識に基づいていたり、相手の感情をコントロールする話術だったり、狙ったところに話を着地させる事が出来る先読み能力のおかげだったりする。
しかしそれ以上に、自らに非を持たない状態を常に作り上げているからだ。非が無いからこそ相手の意見に正論を返せるし、押されても流して展開に不利を生じさせない。
そんな彼が久しくない状況に追い込まれているのは、正しく自らが非を作ってしまったからだ。
「読書禁止は、ちょっときついんですけど」
「で?」
リゼルは諦めた。
「俺も今回はニィサンの味方かなー」
「イレヴン」
「そんな声で呼ばれても駄ァ目」
見下ろした先、イレヴンはごろりと仰向けになり喉を晒しながら笑った。
苦笑して揺れる喉仏を指で撫でると、くすぐったいのか直ぐに手を掴まれてしまう。そのままその手に擦り寄られ、本当に自分達しか居ない場所なら素直に甘えるものだと好きにさせた。
ジルは「後で覚えとけ」の言葉の通り元凶に支配されにいったリゼルへの罰を忘れず実行した。
カヴァーナに到着して一息ついた直後に告げられたそれは一週間の読書禁止であり、しかも書物に限らずそれに類するもの全てを禁止する徹底ぶり。
元の世界でも絶えず読書に励んでいたリゼルが一週間も禁止されるのは初めての経験で、流石に反論したが聞き入れてはもらえなかった。確かに勝手が過ぎたと思っているので甘んじて罰は受け入れるつもりだったがコレは辛い。
だがジルが絶対に折れない姿勢に入ってしまったので受け入れるしかないと諦めたのだ。
「外交とかでも絶対本は持って行ったし本離れってしたことないですし、一週間ももつ気がしません」
「そこはリーダーの鉄壁の理性があるじゃねッスか」
「鉄壁?」
「あのエルフと混浴誘われて断れる男なんて早々いねぇと思うッスよ」
欲を抱かせない程の神秘の美しさとはいえ、彼女たちに共に湯に誘われて断れる男が存在するのか。
スポットの前まで送り届けたエルフたちに「あらぁ、温泉なら私達のところにもあるわよぉ。折角だし一緒に入って行けば良いじゃない」と言われ、穏やかに「淑女が簡単に素肌を晒すべきでは無いですよ」と諭した男の理性が鉄壁では無くて何だというのか。
別に良いのにと別れを惜しむ彼女たちを説き伏せるリゼルは冷静すぎて、ジルとイレヴンはもしや性欲がごそっと抜け落ちているのではないかと思わず疑った。男としてそれで良いのか。
「無知を正さず女性を辱める真似が出来るはずないじゃないですか」
「良いっつってんだから良いのに。まぁスポットでくつろげとか無理だけど」
「例え相手が不快じゃなくても此方に下心が無くても、避けるべき行為ですよ」
女性しか存在せず、子を生す必要のないエルフ達の常識は一般の範疇から外れる事が多々ある。
だからこその誘いなのだろうが、互いに混浴が常識でもない限りあまり節度のある行為ではないだろう。
リゼルは紳士として当然だと思っているが、イレヴンは勿体無いと思っているしジルは爺臭いと思っている。
「女より本のが我慢利かねぇとか分かんねぇなァ」
「じゃねぇと本取り上げる効果ねぇだろ」
「効果はばつぐんです」
苦笑したリゼルに、さてどうなるかとジルはベッドに後ろ手を付きながらその様子を眺めていた。
恐らく此方の世界に来てからリゼルが本から離れていたのは最初の二日三日ぐらいだろう。
いや、その際に文字の差異を確認する為に目を通していた可能性はある為もしかしたら本から離れた事など無いかもしれない。改めて思ってみると無類の本好きだ。
確かに勝手な行動をした怒りはあったが今は落ち着いている。しかもジルの怒りの本質はリゼルへ対するものでは無いので、ただ同じ行動を今後も取らせないようにする為の罰だ。
リゼルは今後も必要だと思ったのなら安全を確保した上で躊躇わないだろうが、最後の手段まで出し惜しむようになれば充分だろう。
それとは別にリゼルを本から離せばどうなるのかというジルの単純な興味が含まれていないと言えなくもない。
「見えねぇとこで読むなよ」
「そうするつもりなら最初から反対しませんよ」
「なーそろそろ温泉行かねッスか」
リゼルの手に懐いていたイレヴンが暇を持て余したように言う。
イレヴン単体では相変わらず湯が熱すぎて入れない為に彼が一人で勝手に温泉に向かう事は出来ない。了承して立ちあがるリゼルに誘われるままジルも腰を上げた。
穏やかな男が多少なりとも堪える姿が見れるか楽しみだと、愉快そうに目を細めて。
一日目、疲れた体を癒す為に宿でゆっくりした後に夕食に出掛けた。
途中で気になる本屋を見つけ、ジルに許可を貰って本屋に入り背表紙だけで購入する本を選ぶと言う難易度の高い技を要求されたリゼルは何とか目当ての本を手に入れた。所謂パッケージ買い、題名だけでは何とも言えないので当たり外れがありそうだ。
「リーダー今買っても読めねぇじゃん」
「此処にしか無かったら後悔しますし、その分楽しみが増えて良いじゃないですか」
「(焦らされた上にハズレとか地味にショック受けそうだなコイツ……考えねぇの。ああ、普段焦らされねぇ上に博打に出ねぇから分かんねぇのか)」
二日目、王都への帰国の日だ。
元々あまり長居するつもりは無かったし、見るものは全て見たので問題は無いだろう。
帰りがけに魔鉱国ギルドに寄ってみたが、まだほとんどの冒険者が商業国から帰って来てはいないようでガランとしていた。ジル曰く洞窟内の石造りで出来た建物を見たかっただけなので、余所に行くたびに絡まれてるリゼル達にとっては都合が良い。
この街特有の依頼に目を通し、悠々と見学してその場を後にした。
その日の夜は野営だったが、リゼルは見張りの時に割と困った。
手持無沙汰にも程がある。貴族である為に式典への出席も多く、長時間一言も話さず立ちっぱなしであったり座りっぱなしであったりする事も多々あったが他の人の観察や交わされる会話など完全にやる事が無い訳ではない。
勿論見張りと言うからにはやる事が無い訳では無いのだが、変わらない景色の中で木々のざわめきを聞きながら暖かい火の近くで座っていては眠くなる。これで順番が最初ではなかったら寝ていたかもしれない。
「(ジルやイレヴンは何をして過ごしているのかな……)」
イレヴンを通して行われるジャッジの間接的奉仕のお陰で相変わらず座り心地抜群な椅子にもたれる。
いつもならば本を読んで過ごしている為にあっという間な時間は、何もしていないとひどく長い。
「(剣の手入れとか……あ、普段使わない銃も使ったから手入れしておこうかな)」
あまりにもやる事が無い所為で特に手入れが必要じゃない銃を取り出して布で拭く。
とはいえ迷宮品である為に分解も出来ず、ほとんど汚れてもいない表面をせっせと磨くだけなので直ぐに終わってしまう。変に手を加えるのもどんな影響があるか分からない上に、魔力操作で操る為に王宮屈指の魔導研究家に何やら細工して貰ったのでそれぐらいしか出来ないのだ。
六個目の銃を磨き終え、消す。本当にやることがない。
「(特訓とか……でもイレヴンとか分かりやすく訓練するの嫌がる子だからしてないか、格好付ける子ですし。ジルは実戦派だし、そもそも銃の訓練とか煩いし)」
時間を有効活用したいリゼルにとっては今の時間も有意義に過ごしたい。
見張り自体必要なことなので無意味に過ごしている訳ではないが、加えて何か出来るならばそれに越した事は無いのだから。
「(前に薬士さんの所で見た薬種と加工手順と演算式とか覚えてるし、回復薬の製作法を逆算してみようかな)」
基本的に各薬士ごとに秘匿される回復薬なので、リゼル達が見た工房でも全ての材料が揃っていた訳ではないだろう。道具も、演算式もごく一部だけだ。
しかし元の世界の回復薬の製作方法を把握しているリゼルは、その一部から全貌が分からないかと考えていた。それぞれの薬士にそれぞれの方法がある為に工房によって品質は異なるが、安定して固定客がついている事を思えばメディがいた工房の回復薬は品質が良い方なのだろう。
ならばやろう、と空間魔法から用紙とペン、インクを取り出して丁寧にも設置されていた机へと置いた時だった。
ガサリ
×(バツ)の記号がかかれたボードを持った、前髪で瞳を隠したイレヴンのところの精鋭がやや離れた草むらから姿を現した。
イレヴンならばともかくジルでさえ姿を現さないのだから仕掛けたのはどちらかだろう。
木々の間に佇むボードを持った一人の男、実際目の当たりにすると中々にシュールだ。
「読書じゃないですよ?」
首を振られる。読書と云うよりも、知識と関わるのも禁止されているらしい。
もしやずっと見張られているのだろうかと思い、ちらりと精鋭の方を見た。ボードを持ったままだったので、小さな机の上に用意した用紙などを全て片付ける。
それで良いと判断したのかボードを下ろし、また何処からか見張るのか暗闇に姿を消しそうになる精鋭を呼びとめる。微笑みかけると、唯一見える口元が僅かに引き攣ったような気がした。
「どうせ見張るなら、互いに有意義に過ごしましょう」
「……や、俺は見張ってるだけで有意義なんで」
「何もしてないと眠くなるんです。賭け金はこちらで用意しますし、勝ったらその分差し上げるので……ね?」
眠る二人を起こさないよう囁くような声で話しかけながらリゼルが用意したのはカードと金貨、並べられた金貨に精鋭の視線が思わず流れる。
時間と人との関係は金で買えるものではないのだ。普段あちらから自分に接触しない彼ら精鋭と話す機会が手に入るのならばとリゼルはこういう時に出し惜しみはしない。
それに丁度聞きたい事もあった事だし、とリゼルはひとつ頷いた。
「ちょっとだけ付き合ってくれませんか?」
無理強いはしませんけど、と苦笑する。
ガシリと頭を掻いて地面に腰を下ろした精鋭に、自分もその方がやりやすいかと思いリゼルが椅子から腰を下ろそうとしたら全力で止められた。
しばらく時間が経った頃、結果は別にして聞きたい事も聞けたし充分だとリゼルが次の見張りであるイレヴンを起こしに行く事を告げると精鋭は一瞬にしてその姿を消す。
ちゃっかり儲けた分の金貨を持って行ったところは流石盗賊だと笑いながらテントへと向かっていった。
三日目、馬を走らせている時に遠くに村を発見してリゼル達は寄ってみた。
行きは何日で着くか分からなかったので寄り道らしい寄り道はしなかったが、帰りの今は余裕を持って気になる場所があったら見に行っている。
一般的な村らしく、木で作られた丈夫で背の高い柵に囲まれた村だった。
見張りの憲兵に二度見されながらギルド証を見せて、村に入って数歩歩いた時に聞こえてきた声に足を止める。
「若い娘……領主……攫われ……」
「憲兵……証拠……動けない……」
即行村を出た。厄介事は避けたいと三人の意見が一致したからだ。
夜の見張りは別の精鋭が監視についていたので、リゼルは前日と同じく呼んで付き合って貰った。
そして四日目、王都に到着予定の日を迎える。
「何かリーダーしょんぼりしてねぇ?」
「してるな」
馬を並走させてイレヴンはジルへと尋ねた。
視線の先では綺麗な姿勢のままのんびりと馬で駆けているリゼルがいる。
のんびりと見える割に結構スピードは出ているのだが、リゼルの雰囲気と馬の雰囲気が見事にその空気を穏やかに変えていた。見ていて面白い。
あの馬を選んで正解だったとイレヴンは思わず自画自賛してしまう。
そのリゼルだが表面上は普段と変わらず穏やかなままだ。
変わらないが、親しい者が見れば何処となく違和感を感じるだろう。それが気落ちだと特定出来る程度には、ジルもイレヴンも彼を見てきている。
隠そうとすれば隠せるはずなので、わざと隠さないのか隠す気力も惜しいのか。
どちらにせよ彼が本心から気落ちしているのは本当だろう。悪戯に同情を買おうとはしない男だ。
「カワイソウになってきたっつー気持ちもあるけど、」
「あ?」
「正直もっと焦らして我慢出来なくなるリーダーが見てぇッスね」
真顔で言ったイレヴンにジルは引いた。
自分も取り乱す姿が見たいと思っていた事もあり反論は出来ないが、コレと一緒にされたくはないと心底思う。
溜息をつき、心なしか微笑みに煌めきの少ないリゼルを見る。
「まぁ俺らはそれで良いかもしれねぇけど、許さねぇ奴等がいるだろ」
「は?」
「覚悟しとけっつー事だよ」
その日の夕方に王都に到着したリゼル達を出迎えたのは、無表情のまま淡々と立つスタッドと彼の片手に口を押さえこまれているジャッジだった。ジャッジは半泣きだ。
「おかえりなさい怪我はありませんか」
「大丈夫ですよ、ただいま帰りました。ほら、ジャッジ君を離してあげて下さい。また喧嘩ですか?」
「愚図の癖に私より先に貴方を出迎えようなどと身の程知らずな発言をしたので」
無表情をぴくりとも動かさないスタッドは、しかし見る人が見れば一瞬何かに気付いたかのように微かに片眉を上げた。
パッと口を解放されて痛そうに口元を覆い、リゼルを見下ろしておかえりなさいと呟いたジャッジもあれ?と目を瞬かせる。
相変わらずいつの間にか先回りしていた精鋭達に馬を預けながらリゼルは何故自分が視線を受けているのか気付いて苦笑した。確かに隠してはいないものの、普通ならば気付かない程度の違和感しかないはずなのだが。
気付くかどうかを知りたかったので隠さなかったのだが、若干意地が悪かっただろうか。
「お疲れならばすぐに休んだ方が良いと思いますジャッジ宿まで付き添いを」
「え、あ、うん」
「平気ですよ、ジャッジ君お店を空けて来てくれたんですよね?」
「良いんです……!」
良いのかな、と思いながら歩き出したリゼルに続こうとしたジル達の前へとスタッドが立ち塞がった。
冷たい程の無表情が此方を向き、さりげなく振り返ったジャッジが戸惑いながら瞳に涙を溜めているのを見て、イレヴンはジルの言葉にようやく納得した。
“許さねぇ奴等”、つまりスタッドとジャッジの事だろう。ジル達がついてこない事に振り返ろうとしたリゼルはジャッジに説得されて先に宿へと帰ることにしたようだ。
馬に乗り続け疲れているのも本当だし、正直面と向かって懐いて来る二人に自分から操られましたーなんて伝えるのも嫌なのだろう。ようは二人に押し付けた、ささやかな仕返しらしい。
「説明して貰いましょうか原因が貴方達なら私はお前らを殺す」
「聞く前から殺気だってんじゃねぇよガキ」
バキバキと凍る地面にジルは溜息をついて隣で楽しそうに剣を抜きかけたイレヴンの頭を叩いた。
説明はするが責任は全てリゼルに押し付ける、そう思いながら。
五日目、リゼルはそういえばお土産を買っていたと先日出迎えてくれた二人を訪ねた。
スタッドはリゼルの考えた事ならばと淡々と受け入れた上で元凶の暗殺を目論んだが、流石にそれは止めた。露骨に不満そうだったが。
お土産を渡すと無表情で受け取り、無表情で取り出し、無表情で腕に巻いている。
しかしリゼルにだけ見えるその背景にはポンポンと花が飛び交いキラキラと輝いていたので喜んで貰えたのだろう、箱やリボンなども丁寧に仕舞っている姿を見た隣の同僚が唖然とした顔をしていた。
誰から貰った贈り物だろうと包装を無惨に破るのがスタッドだからだ。
「罰の撤回を求めようかと思いましたが貴方は受け入れたのでしょう」
「流石に勝手しすぎましたしね、でも思ったよりきついので挫けそうです」
頑張ります、と続けたリゼルに一瞬実力行使を思い浮かべたスタッドは何事も無かったかのように頷いた。惜しむらくはジルに挑むには実力不足と言う点だろう、それが無ければ昨日の時点でスタッドは撤回を押し通していた。
しかし今となっては例えリゼルが落ち込んでいようと申し訳ないが正直しばらくこのままでも良いかと思ってしまう。
「ジルも三日ぐらいにしてくれれば良いのに……いえ、それでも十日から譲歩して貰ったんですけど」
「貴方の暇は私が潰します今夜でも一緒に食事に行きませんか」
「良いですね、本当に手持無沙汰なんです」
そうだろう、と小さく頷いた。
先程から絶えずスタッドの髪を梳き、頬を撫で、手を差し出せば握って優しく指でなぞってくれる感覚にスタッドはひどく御満悦だった。表面上に変わりは無いもののどうやら落ち着かないのは確からしく、甘やかしてくれる温かい手の平の温度を存分に味わえている。
淑女のように手を握られ、巻いた時計がきつくないのかゆっくりとなぞる指の感覚が心地よい。
スタッドは限界までリゼルを引きとめ、これでもかと手の平で愛でて貰い、ギルドを出て行くリゼルの背中を満足気に見送った。
次はジャッジかとリゼルは彼の店を訪れた。
相変わらず何時訪ねても休業中にはならない店は当然開いていて、丁度出て行った冒険者に鑑定だろうかと思いながら閉じられようとしている扉に手をかけて入店する。
扉が閉じられる音が聞こえなかったことを不思議に思ったジャッジが振り返り、そしてリゼルを見つけたかと思うと動きを止める。
その瞳にじわじわと涙が溜まっていくのを見て、そしてすでに目の周りが赤くなっているのを見て苦笑する。
「すみません、悲しませちゃいましたね」
「リ、リゼ、リゼルさん……ッ何で、そんな危ないこと……!」
受け入れたスタッドとは違い、ジャッジは例えリゼルの意思だろうと危険な事はして欲しくない。
スタッドからジル達の話を聞きだした時も泣いて、スタッドに心底鬱陶しいという視線を浴びた。その所為か僅かに赤みがかった瞼をリゼルに冷やすように覆われる。
自然と引いて行く涙にジャッジはぐすりと一度だけ鼻を鳴らし、目の前のリゼルを見下ろした。
「ほら、何処も怪我してませんし。大丈夫ですよ」
「そういうんじゃ、なくて……ッ」
ぎゅうっと眼元に力を入れたジャッジは何が言いたいのか自分でも良く分からないらしくしばらくうーうーと唸っていたが、しばらくしてがくりと肩の力を抜いた。
俯いた顔が、しかし高すぎる身長の所為でリゼルには丸見えだった。
何処かもどかしそうな表情は言いたい事があるのだろう。リゼルが促すようにゆるりと首を傾げると、ジャッジは唇を震わせて小さく呟いた。
「無事で、良かった……」
そのまましゃがみ込み、組んだ腕の中に顔を埋めてしまう。
しかし罪悪感が物凄い、リゼルはふわふわとした髪を撫でながら純粋な子の威力はすごいと思わず感心してしまった。何と云うか、心にダイレクトに突き刺さる。
撫でられながら耳まで真っ赤にしたジャッジがふいにチラリとリゼルを見上げた。
「リゼルさん、まだ禁止中なんですね……」
「分かります?」
流石の鑑定眼を持つジャッジには隠していようと何となく分かるらしい。
貴族失格かと思うが恐らくそうではない。ジャッジが特殊すぎるのだろう。
その目には何が見えているのかと片目のモノクルの縁をゆっくりと撫でた。繋がれたチェーンがチャリッと小さく音をたてる。
「本、僕の店で読んでいきますか……?」
「え? でも多分監視とか付いてますよ」
「この店の中なら大丈夫です、絶対、バレません」
そういう店なのだ、とジャッジは言う。
リゼルが危ない真似をしたのはショックだったし、次同じことをしないように牽制するジルの考えも分かる。それでもジャッジはリゼルが辛いのは嫌だった。
しかしおずおずと窺った先にある微笑みに、やっぱりなぁと思う。
「折角の申し出ですけど、約束なので」
「……リゼルさんなら、そう言うと思ってました」
「正直ちょっと揺らぎましたけどね」
自分の提案に揺らいだとは到底思えなかったが、本当に本が好きなんだと思いながらジャッジは立ち上がった。
リゼルがいない間にも何冊かの迷宮品の本が入って来たはずだ、読めない今渡すのはどうかと思うが売れてしまわない内に紹介しなくては。
棚へと向かったジャッジに、本当に危なかったとリゼルは苦笑する。あって当たり前の物が無くなるというのは随分と辛いらしい。
ジャッジから差し出された数冊の本を、リゼルは良く見もせずに全冊購入を決めた。
ちなみに土産に関しては泣いて喜ばれた上に家宝にされそうになったので柔らかく宥めた。ジルの予想が大当たりだ。
邪魔じゃなければ付けてくれれば嬉しいと告げたらジャッジはひどく幸せそうに身に着けたので、恐らく明日からもその手首にはリゼルの贈った腕時計が輝き続ける事だろう。
二人とも喜んでくれたようでチョイスは間違っていなかったらしいと、リゼルは良かった良かったと頷き宿へと帰った。
それは六日目の事だった。
腕が本の重さを、指が紙の感覚を、瞳が文字の形を、書物の匂いをページをめくる音を光を反射する余白を、知識を、リゼルの全てが求める。
煙草のように、変な薬のように、決して依存性の無い本を何故これ程欲してしまうのか。
良く聞く活字中毒というのはこれ程辛いのかと思うと、同士として親近感すら湧いてきそうだ。
誰もいない部屋、もはや見慣れた宿の自分の部屋で暗闇の中ゆっくりとベッドに横たわっていた体を起こす。
「思ったより理性の無い男みたいです……」
今はいない鮮やかな赤色を持つ青年に呟くように話しかけ、リゼルはふっと小さく吐息を零した。
約束を守れないなど情けない。けれど今すぐに、読みたい。
耐えられるとしたら忠誠を誓った彼の人の命令が下された時のみだろう。そうでもなければ止められるはずがない。
湧き上がるような欲求は強すぎて、抑えるのはひどく困難だ。
リゼルはベッドから腰を上げて静かに廊下へと出た。
数歩歩いただけで到着する目的地の扉に鍵はかかっていなかった。入る。
相変わらず音を立てずに入ったのに目を覚ます男は訝しげな表情を浮かべてリゼルを見る。
今までにリゼルが夜中に訪ねてきた事も、ノックもせずジルの返事を得ないまま部屋に入って来たことも無い。どうかしたかと半身を起こしたジルに近付き、リゼルはじっと見下ろした。
微笑みを浮かべた表情はすぐに消え、何処か戸惑ったような空気を醸し出している。
「どうした」
「いえ、」
否定しようとして、止まる。
何も無い訳ではないのだから。
「……そろそろ、限界なので」
「あと一日あるだろうが」
「だから、許しを乞いに来たんです」
約束を破るような真似はしない。本来ならば守れない約束などしないものの、まさか書籍断ちがこれ程影響するなど本人にも分からなかったのだから仕方が無い。
ベッドに膝をついて此方を見るリゼルに、ジルはどうやら演技ではないらしいと目を細めた。
演技だとして見破れるかどうかは分からないが、そもそも身内との約束を反故にするような演技をする男ではない。効果は覿面だったという事だろう。
微笑みを失った顔に思わず許しそうになるが、思う壺だとその言葉を呑み込む。
「お前なら耐えれんだろ、明日一日閉じこもってりゃそんな顔周りに見せずに済む」
「どんな顔してますか」
「女が男にすりゃ何でも手に入んじゃねぇのっつぅ顔」
笑い、ようやく小さく微笑んだその頬に一瞬だけ手の甲を掠らせる。
わずかに覆っていた髪が除けられてより露わになった顔は、月明かりしかない部屋でもはっきりと見えた。余裕のある顔以外を見たいと思っていたが、想像より早く実現したものだ。
その原因が本だというのは少々物足りないが今を逃して見る機会は早々無さそうだと、ジルはしっかりと視線を合わせる。
「まぁそろそろとは思ってたが」
「なら、」
「で?」
強い言葉で遮る。
「それが、何」
リゼルはポスリとジルの布団に倒れ込む。こうなったジルは一歩だって引かないのを知っていた。
上半身を起こしたままのジルは腹の上に布団越しに頭を乗せたリゼルを弱り切ってるなと思いながら、向けられた後頭部へと視線を落とした。
なんというか意外だ。正直飄々と一週間を過ごすのだと思っていたが。
だが、それでもリゼルは耐えられるはずだという確信がある。
簡単だ、あの全てを圧倒する貴族へと変貌すれば良い。何があろうと自らを崩さない高貴な存在へと意識を区切ってしまえば完全に自分をコントロール出来る筈だ、リゼル自身があれは完全に仕事用だからと口にしていたのを確かに聞いている。
そもそもあの状態で命令すれば良い、そうしたらジルは不満も覚えず禁止を解除するだろう。
「習慣も続けば、多分本能になるんでしょう」
ふと呟かれた言葉と共に、リゼルの顔がゆるゆると此方を向いた。
顔を覆う髪を再び除けてやりながらジルは無言のままでいる。
「俺にとっては知識がそうみたいです。その手段である本も、勿論」
そう、命令すれば良いのだ。
それをしないのはリゼルが対等であろうとするから、金の契約では無く正式にパーティを組んだ時に交わした言葉を決して違わない様にする為なのだろう。
在りたいように在れば良い、そう思うものの喜びを感じないかと言われれば嘘になる。
「その感覚、忘れんじゃねぇぞ」
「……早く忘れたいんですけど」
「それが、お前を支配された時の俺らの心境だ」
あまりに意外な言葉にリゼルは目を瞬かせ、そういう事かと鋭い瞳を見上げる。
どうやら意味も無く本を取り上げられていた訳ではないらしい。しかし熱烈だ、と込み上げる笑みをそのままに瞳を逸らさないままでいた。
「じゃあ、早く解放してくれないと壊れてしまいますよ」
少し本音を零した途端に一瞬で主導権を攫われた。ジルは思わず溜息をついて天井を仰ぐ。
そう、ジルの知るリゼルはいつだって最後には彼の思う通りに動いてみせていた。
やはり勝てないのだと、ジルは喉で笑って此方を見上げる甘い瞳を見下ろした。
「お前はいつか知識を食べて生きる魚になりそうだ」
低い声で落とされた言葉はいつかのやり取りを彷彿とさせる。
リゼルは可笑しそうに笑いあの時と同じ質問を投げたが、その問いに対する答えは同じではない。
次いでハッキリと宣言された禁止期間解除の言葉にリゼルはようやく息が出来たかのように大きく息を吐き、ひどく綺麗に微笑んだ。
「何でリーダーがニィサンの部屋にいんの……ってあー! 本読んでる!」
「こいつ昨日の夜からずっと此処で読んでるぞ。動く暇も惜しいんだとよ」
「まだ一週間たってないっつうのにだからニィサン甘やかしすぎっつってんじゃねッスか!」
ぎゃんぎゃんと吠えるイレヴンに対して一瞬たりとも視線を向けずにリゼルは黙々と本を読み続けていた。
ベッドのサイドボードには既に載りきらない程の本が積み上がっている。載りきらなかった本はベッドに散らばり、リゼルが一睡もしていないのだと如実に示していた。
耐えた分の反動が凄いのだろうか。そういえばリゼルが此方の世界に来てすぐの時も大量の本を読んでいたが、あれはもしや知識を詰め込んでいるだけではなく本が読めなかった期間の反動だったのかもしれない。
「何かちょっとそろそろ限界っぽいかなーって思ったから朝から来たのにさァ! あーあ、リーダーの余裕ぶっ壊せるチャンスが台無しッスよ」
「そのチャンスは昨晩に過ぎてる、どっちにしろ遅ぇよ。折角見てぇもん見れたのにな」
は?とイレヴンが口を開けたままジルを見た。
構わず部屋を出ようとするジルに一瞬遅れたものの、すぐに追いつき噛みつく勢いで怒涛の質問を投げかけている。
それってどういう意味ッスか焦らされて我慢出来ないリーダーって事ッスかねぇ泣いた!?怒った!?泣いた!?どっち!! 騒々しい声は女将の一喝する声に一度途切れ、直ぐに再開される。
しかしリゼルは変わらず本を読み続け、穏やかに微笑んでいた。




