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「余所の状況見て来るーみたいな事言ってたのに、ついてって良いんスか」

「元々あの場から離れる為の口実ですし、こっちの方が大切でしょう」


 領主の元へと案内するという男の後ろに続きながら、イレヴンはふぅんと疑問を覚えながらも頷いた。

 何故あの場からすぐさま離れる必要があったのかは分からないがリゼルが言うのならそうなのだろう。

 理解しないまま納得してみせたイレヴンはツマラナイと剣の柄を指で弾いた。

 折角の大侵攻なのにやった事といえば弓で少々魔物を減らした事のみ。目の前で数えきれない魔物を斬り捨てたジルが羨ましいと言わんばかりにジロリと見ると、何だと言いたげに視線を返された。

 何も、と呟きちらりとリゼルを窺う。


「イレヴン、どうしました?」

「別にー。あいつらばっか使って、ニィサンばっか動かして、俺つまんねーとか思ってねぇし」

「思ってるんですか」


 苦笑したリゼルが拗ねたように赤い髪を揺らすイレヴンを見た。

 暴れたいのか殺したいのか。使われたいのか役に立ちたいのか。

 リゼルは穏やかな顔のまま何て事ないかのように「困ったな」と呟いた。


「イレヴンが傍に居てくれるから彼らにもジルにもお願い出来るんですけど……じゃあ、今度からはイレヴンに頼みますね」

「!」


 リゼルは基本的に自己犠牲の精神を持ちえていない。

 自己犠牲は自分を必要としてくれている主への反抗で、自分に従ってくれている者達を投げ出す行為だ。

 自分の価値を貶める事は彼らの価値を貶める事と同義なのだから、リゼルは自己を過大評価も過小評価もしない。

 此方に来てからもリゼルは色々挑戦しているが、それは全て自分が安全である事が前提であることは言うまでも無い。今回もこんな何が起こるか分からない場所で一人になるのは普通に避けたい。

 そんな意図を正しく察したイレヴンは、照れているのか喜んでいるのか良く分からない顔を隠すように誰もいない店へと顔を逸らした。


「や、別にイヤとか言ってる訳じゃねぇし、いいッス」

「新しい剣にしてから大物を斬ったのなんてエレメントマスターだけですしね、君には物足りなかったかもしれません」

「いいって」

「イレヴンの好きなようにしても良いんですよ?」

「いいっつってんだろ! ……だから、なら、よけーにアンタの好きなようにしろよ」


 勘弁してくれとばかりイレヴンは意味不明な事を唸りながら、赤く染まる顔を隠すように頭を抱えた。

 元はと云えば自分がリゼルの真意に気付かず勝手に自分だけ役に立ってないと不貞腐れただけ。明らかに自業自得だろう。

 ジルは呆れたような視線を隠そうともせず、リゼルは微笑ましげにその様子を眺めている。それが更にイレヴンに追い打ちをかけているのだが、二人は気付いているのかいないのか。

 歩は緩まないので問題は無いだろうと、しばらくそっとしておくことにした。


「しかし、さっきは冒険者に話すことは無いだの言ってた奴がお前に何の用だか」

「あれは領主様の本音では無いでしょうね。ああ見えて考え方は柔軟そうです」

「あの仏頂面が?」

「じゃなきゃ冒険者なんかにお詫びとはいえ夕食なんて奢らないでしょう。ましてや彼が直接的な原因でも無いのに」


 そう言われてみればそうか、とジルは頷いた。

 リゼルに声を掛けられた時点で「人違いだ」と無視する事も出来ただろうが、そうしなかったのは自分の正体を見破ったリゼルの情報を手に入れる為。

 今日だって部屋に入った時点で追い出す事も出来ただろうに、情報は渡さないと明言したもののリゼル達の意見には耳を傾けていたように思える。

 何とも分かりにくい人物だと言ってしまえばそれまでだが、確かにリゼルの言う通りマルケイドの為ならば手段を選ばず使えるものを使う柔軟さは持っていそうだ。貴族特有の堅苦しい面子などといった考え方とは無縁だろう。


「さっきは周りに人がいたし、簡単に俺達を受け入れる訳にはいかなかったんでしょうね。柔軟なのは大事ですけど、貴族トップとしての在り方を放棄するような手段は取るべきではありません」

「そういうもんか」

「そういうものです。大侵攻の後も統治は続くんですから、組織が揺らぐような真似は出来ませんよ」


 流石元貴族、説得力に溢れている。

 先導の男が立ち止った。早くもインサイの家に辿り着いたようだ。

 元々どうせだからと一番近い城壁に向かった御蔭もあるだろう。

 家の中を案内されて着いたのは、先程と少し離れた場所にある部屋だった。


「お連れしました」

「入れ」


 疲れていても尚艶のある声。その美貌に相応しいそれに促され、リゼル達は部屋へと入室した。

 窓もカーテンも全て閉められた部屋はしかし魔道具のおかげで明るく、机の上に広げられた幾つもの地図を照らしている。

 先導の男は部屋に入ってすぐ扉の横へと待機してしまったので、リゼル達は気にせず机の前へと歩み寄った。向かい側にはシャドウが一人座って此方を見据えている。

 その横にはインサイが立っているだけで、部屋にはリゼルを知るこの二人しか居なかった。


「ご挨拶は?」

「却下だ。座れ」

「ジル、大活躍してましたしどうです?」

「アホ」


 リゼルは一つしかない椅子を見てジルへと勧めてみた。

 復活したイレヴンが何言ってんだと言いたげにリゼルを見て、ジルは溜息を吐きながら促す。

 当然リゼルが座るものだと他の可能性など欠片も想像していなかったシャドウがそのやり取りに一瞬固まり、リゼルの後ろに立つジルとイレヴンを見てインサイは楽しそうに笑って見せた。

 二人を従えるように座るリゼルと、従うように立つ二人。その姿はまるで。


「悪の秘密結社のボスと幹部みたいじゃのう」

「え、前昼間に宿の食堂で同じような感じで座ってたら女将さんに“放浪王子と訳あり騎士”みたいって言われましたけど」

「前ニィサンにビリヤード教えに行ったじゃないスか。そん時は“カジノの元締めと用心棒”とか言われてたッスよ」

「“誘拐犯と被害者”じゃねぇだけマシだろ」


 思いのほか盛り上がった話題は、しかしシャドウの苛立ちが限界を迎えつつある事を察して収束した。

 領主様は未曽有の危機に大変なのだ。気を遣わねば。

 手遅れなような気もするが、リゼルは浴びる様に濃いコーヒーを流し込んでいるシャドウへと微笑んだ。

 胃を壊しそうと言ったらまた怒らせるような気がするので心で思うだけにする。


「ゴーレムの異常行動の件で良いでしょうか?」

「……そこから行くか。報告は来ているが詳しい話を聞きたい」

「詳しいと言っても報告と変わらないと思います。ゴーレムがウルフを投げ飛ばして城壁の中へと投げ込もうとして、そのウルフを俺が迎撃。二回目が来る前にジルが突っ込んでゴーレムを撃破しました」


 視界を埋め尽くす魔物の海を血路を開きながら突っ切り、ゴーレムを単身倒すなどジルでも無ければ出来ないだろう。Sランクパーティが居るならば何とかなるかもしれないが。

 しかし報告を受けたシャドウがその場にリゼル達がいると確信するには充分すぎる偉業だった。

 魔物の異常な行動と、「敵は魔物だけじゃない」とリゼルの言葉、弾きだされた結論はしかし情報が不足しすぎて取るべき対策も取れない。

 シャドウがインサイと物資輸送について話し合うという建前でリゼル達と会おうと判断するまで時間はいらなかった。


「結論から聞く。これは人災か?」


 敵は魔物だけじゃないのなら、あとは人しかない。

 リゼルの言葉を根拠の一つに数える自分に呆れるが、しかしそう思わないと魔物の行動に説明がつかないのだから仕方が無い。そう自分に言い聞かせる。

 しかしそれが誰なのか、目的、手段、全てが分からない。

 裏で糸引く者が居ると、信じる事すら難しいがひとつの可能性として先程まで話し合っていたにも拘らず誰もが予想すら上げられなかった。あり得ないからこそ思いつかない。


「半々、だと思います。恐らく大侵攻は元々自然発生したもの……いえ、意図して迷宮の存在を隠していたのかもしれませんが、今はどっちでも良いでしょう。大侵攻は大侵攻です。相手は発生した大侵攻の魔物たちを良い様に利用している、っていうのが一番近いかと」

「そこまで分かってんならさっき言って欲しかったの」

「お土産を渡した時はあくまで原因候補でしかなかったんです。確信したのもついさっきゴーレムの行動を見た時なんですし、否定されるのを分かっていて自信たっぷりとはいきませんよ」


 あの時この侵攻が人災だと発言したとして、誰が信じただろうか。

 魔物が国を囲んだだけでそこまで予想していたリゼルに、こうなった今誰も考え過ぎだとは言えないだろう。

 リゼルにしてみれば数ある予想の内のひとつでしかなく、しかし予想していたからこそ落ち着いて行動する事が出来る。彼の冷静さの一端は此処にあるのかもしれない。


「俺達がいた東門近くでゴーレム、他の場所では何かありましたか?」

「……東西南北各地域で同様の事態が起こっている」

「同時に?」

「恐らくだが。他の場所で貴様らみたいな真似が出来る化け物はいない、飛ばされた魔物をその都度仕留めている」


 ふぅん、と何かを考え込むリゼルが動く気配は無い。

 正直ウルフが冒険者の手を掻い潜り避難民に手を出すような事態が起こる前に何とかしてもらいたいが、シャドウがその願いを口に出す事は無かった。

 今、元凶に対して対策を取らなければよりひどい被害が出ることは想像に難くないのだ。

 冒険者によって防げている現状で更に高望みし、大局を見誤る真似は出来ない。


「貴様の言う通りなら大侵攻を止めるには元凶を捕まえるか、従来の通り魔物を殲滅し尽くすしかない」

「殲滅はどちらにせよ必要です。元凶を捕まえても魔物たちの大侵攻は残りますので」

「だが殲滅優先という訳にもいかないのだろう」

「相手を刺激しかねないし、止めた方が良いかもしれないですね」


 冒険者全員で掛かっても安全を確保しながらの殲滅は二日三日では終わらない。

 おもむろにジルを投入すれば短縮出来るだろうが、本人が恐らく嫌がりそうなのでリゼルは予想から省いて考えている。真実、先程のゴーレムもリゼルに言われなければ討伐に行かなかっただろう。

 シャドウの紅い瞳がリゼルを射抜く。全てを暴こうとする強い瞳だ。


「元凶は誰だ」

「十割の確信を持っている訳ではありません」

「何割になる」

「九割、でしょうか」

「充分だ、言え」


 口調は乱暴だが、その瞳には決して命令はない。

 恐らくリゼルが教えて欲しければ頭を下げろと言えば、インサイを部屋から出して下げて見せるだろう。

 誠意を見せろと言えば、完全に商業国予算から外れる個人財産を全て差し出して見せるだろう。

 それを恥じる事無く、誇りと高貴を保ったままこのマルケイドを守ってみせるはずだ。

 だからリゼルもそれに応える。自分を持たない相手ならば、頭を下げられようと金を積まれようと助けることなど無いのだから。


「“異形の支配者(Variant=Ruler)”」


 穏やかに部屋の中に落とされた声に、シャドウが歯を食いしばった。

 そうでも無いと口から出てしまっただろう。信じられる訳が無いという意味を孕んで嘘だと。

 インサイですら思いもよらない人物の名前に険しい顔をしている。同じく初耳だろうリゼルの後ろにいる二人からは欠片も動揺の気配がないのは決して知らないからでは無く、ただリゼルが言うのなら本当なのだろうという納得しか無いからにすぎない。

 それ程リゼルが挙げた人物の名前は知られている。知れ渡っている。


「……信じよう」

「幸いです」


“異形の支配者(Variant=Ruler)”

 それは隣国サルスのとある魔法使いの異名だ。

 魔物遣テイマーいの最高峰、国一番の魔法使い、魔法技術の開拓者、真実の名前よりも数ある異名の方が知られている。

 魔法学院を抱える隣国において、数多い魔法使いが誰しも憧れ目指すべき存在である。

 研究一筋で人前に出る事は滅多にないらしいがそれが彼の評判を下げる要因にはならず、国に召し抱えられたおかげで潤沢な研究資金を得て今でも数々の魔法理論を生み出し続けている。


 そんな高名な人物が大侵攻の元凶なのだと、誰が信じられるだろうか。

 もし今シャドウが元の重鎮たちが揃った部屋へ戻りその名を口にしたのなら、一人として同意を得られず正気を疑われるだろう。それ程に誰もが思いもしない人物なのだ。

 シャドウは良く信じたものだとリゼルは内心首を傾げる。どちらかと言わずとも疑り深い性格をしているし、未だにリゼルに対して警戒を続ける人物が何故なのか。レイやインサイに何か言われたのだろうか。

 明らかに苦渋の決断、という顔をしているし信じるまでに彼の中で様々な葛藤があったという事だけは分かるが。


「でも考えてみてください。ただ魔物が異常行動をとり続けるより元凶が人間だった方がマシじゃないですか」

「どういう意味だ」


 問われ、リゼルは逆に此方こそが不思議そうな表情を浮かべた。

 机の上に置かれたペンを持ち、広げられた地図に滑らせる。

 丸い城壁の西側、丁度西門が描かれた場所に大きくバツを書き、外から中へと矢印を引いた。


「だって魔物がどう動くかなんて分からないですけど、人が動かしているなら今後の動きも読めるでしょう?」


 目の前の唇に浮かんだ笑みを、シャドウは何も言わずただ見ることしか出来なかった。

 隣国の人知を逸した魔法使いに対し、これ程平然とその思考が読めると断言できる人間が存在するだろうか。しかも決してそれは過信故の余裕からではなく、ただ今日は良い天気だと言う様に自然に発せられた。

 リゼルが後ろを振り返った。つまらなそうにリゼルの後ろ髪を弄っていたイレヴンがパッと手を離し、悪びれる様子も無く笑みを浮かべる。


「イレヴン、二個目はすぐ壊せます?」

「ここでリーダーから指示貰って、まぁ5秒以内ッスね」

「なら大丈夫です。その時は宜しくお願いします」


 微笑み、不可解そうなシャドウとインサイを振り返る。

 シャドウも領主で時間の無い身であるし結論から行くべきかとリゼルは頷いた。

 人差し指でバツをうった西門をトンッと叩く。


「破られる可能性が高いです」


 シャドウは決してあり得ないとは言わなかった。

 信じると口にしたからにはその言葉を違えるつもりは無い。彼もまた商人としての一面を持つ為に、一種の契約染みた口約束を破るような人間ではないからだ。

 本当に信じて貰えているようだとリゼルは内心良かった良かったと頷いた。

 唐突な告白はそれを確かめる為でもあったのだが、それに気付いているのはジルだけだろう。呆れも感心もしない彼は既に慣れ切っている。


「何故西門だと分かるんじゃ」

「彼が仕掛けをするならこの門しかあり得ないからです。潜り込むなら此処を使うしかないので」

「待て、つまり奴は既に……」

「入りこんでいる、と考えて間違いは無いと思います。その方が彼にとっても都合が良い」


 リゼルの指がすっとマルケイドから離れた場所へと動いた。


「大侵攻が発生した時点では外にいる必要があるでしょう。自分の魔法範囲内……この場合はマルケイドの周囲ある程度かな、魔物たちがそこまで近づくのを確認する必要があります」


 指差した場所は魔物が向かって来た方向だった。

 大侵攻を引き起こす迷宮に目を付けていたのなら、その大侵攻がどの街を襲うかは想像がつくだろう。

 どれ程迷宮を人の目から隠していたのかは知らないが準備をする時間は充分にあったはずだ。相手はマルケイドを選んだ訳では無く、たまたまマルケイドへ向かう大侵攻を利用しているに過ぎない。

 シャドウの苛立たしげな舌打ちが鋭く部屋に響く。


魔物遣テイマーいも使役方法は人それぞれですけど、彼は友好ではなく支配に突出しているようですね。効果範囲内に収まった魔物たちを使役することに成功したら、使役していない魔物に襲われる可能性がある外にいる必要はありません。街の中に入った方が全体の動きも掴めるし勝手に情報も入ってくる、悠々と大侵攻を指揮できるでしょう」


 高みの見物ってやつです。

 そう付け加えてリゼルがぐるりと西門を示した。


「周囲の包囲が完了した頃には既に全ての門が閉まっている為に入れませんが、一か所だけ開いたでしょう?」

「あーあー、そういうこと」


 感心したように声を上げたイレヴンに、インサイは呆れたようにリゼルを見た。

 どうやら同じメンバーにも話していないらしい。秘密という訳では無いのにどうせ後で(今この場で)聞くのだから良いだろうと省略するリゼルにも、それに疑問を持たずに出された指示に喜々として応えるイレヴンにも呆れを感じてしまうのは当然か。

 信頼関係というには歪、しかし彼らにとっては当たり前なのだろう。


「国の外に繋がる地下通路もひとつだけ有りますが、使われた形跡がないのは来る時に確認してきました」

「写しをとっているなら渡せ」

「大丈夫です、覚えてただけなので」


 心なしかドヤッとしてみせたリゼルに若干シャドウは苛立つ。

 リゼルとて西門付近に人が集まっている事は把握していた。しかし避難民と共に入国せず、わざわざ暗くて湿った地下通路を使ったのは決して姿を隠して入国する為だけではない。

 もし目立ちたくないだけなのなら、少年の救出劇など決行する事は無かったのだから。


「しかし敵が西門を使ったからとて仕掛けを施すとは限らんじゃろ」

「門を一つ掌握できるなら大きいでしょう? 彼はこういった戦術じみた事が大好きですよ。自分の思った通りの美しい展開に優越感を感じ、彼にとって愚直な人間が自分の思うままに踊らされるのを見て、やはり自分が至上なのだと悦に浸るのが好きそうです」


 うーん、と考えながら彼の語る人物像は流れている噂では決してない。

 噂される最高の魔物遣テイマーいは謎に満ちている。姿を現す際はその顔を隠し、人付き合いの無い性格らしくその人格についてはどうやら高圧的らしいと辛うじて伝わっているのみだ。

 そんな彼のことを何故リゼルが理解しているのか。

 向けられる視線の意味に気づいたのか、リゼルは楽しそうに一つ笑って一冊の本を取り出した。


「机上の空論と貴方達は嫌がるかもしれませんが、意外と分かるものですよ」


 そう言って指し示されたのは本の著者の名前。

 魔法の研究書である事を示す題名の下に書かれた名前は、間違い無く今話題の中心である人物のものだ。


「すっごく読みにくいです。若い魔法使いが読めば革新的な書き方と考え方かもしれませんが、俺達みたいに魔法書を何百冊も読むような人間にとってはただ基本と常識から外れて珍しく見えるだけの書物ですよ」


 さすが本マニア、本の批評については普段穏やかな物言いが鋭くなる。


「いかにも“どうせ理解出来る者なんていない”と言いたげで、“自分の理論が何より正しく崇高だ”と言わんばかりの本です。もう文章から自意識の高さが滲みでてます」

「ボロクソだな」

「読んでていっそ面白いので、ついつい何冊か買っちゃいました」


 トントンと取り出した研究書を並べてみせながら、リゼルは小さく首を傾げた。

 いくら書物で人物像を得たとして、それを参考に相手の行動を予測する自分をシャドウはどう思うだろうか。無謀だと思うだろうか、愚かだと思うだろうか。気違いと言われてもリゼルは納得してみせる。

 しかしリゼルとて確信無く口に出している訳ではない。生まれた時から数限りない本を読んで来た。実際に著者に会うことも多くあった。その予想を元に相手の出方を窺い、そして予想を確信へと昇華させる事を可能にさせる程にリゼルの観察力と思考力は高い。

 かの国王の隣に一番近いと言われる人間が少し頭が回るだけの人物であるはずがないというだけの自負はある。


「彼にとって今の状況は実験に近いのでしょう」


 本を仕舞いながら、リゼルは穏やかに告げた。


「ウルフを数匹投げいれようと大した被害はない事を知っていた上で行うのは、街を落とすのが目的ではなく下層の魔物が同時使役でどれ程細かな命令を聞くのか知る為に過ぎないから。目的では無いものの、落とせたら面白いぐらいには思っているかもしれません。単独で国堕とし、彼の自尊心を満たすには充分すぎるぐらいの称号でしょう」


 名乗りはしないだろう、正体を明かせば追われる身となる。

 潤沢な資金と理想の研究環境を与えられ、国お抱えという実際に万人に効力を持つ名誉を簡単に手放すような人物だとは思えない。その栄誉を当然と思うような人物なのだから。

 なので国を落としたとして誰に自慢できる訳ではない。

 しかし自分が知っている。自分が証明している。最高の存在こそが己なのだと。

 その自尊心が揺らぐような事態が発生しているなどと、恐らく彼は少したりとも理解してはいないのだろう。


「今、東の魔物を纏める存在であるゴーレムが一瞬で討伐されました。その門の冒険者や憲兵も怒涛の勢いを持って討伐を進めています」


 先程までリゼルたちが居た東門付近、誰の所為かなど言うまでもないだろう。


「最下層クラスのゴーレムを瞬殺できる実力者と、かなりのスピードで魔物を討伐していく冒険者達は彼にとって望んだ展開では無いでしょう。まるで普通の大侵攻のように魔物殲滅をもって終了するなど、彼の矜持が許さないはずです」


 リゼルの指が再び西門を差した。


「だから、門を破壊するなら今です」


 西門を破壊する事で、多くの人間は街中に流入する魔物の対応に追われる事となるだろう。

 外の魔物よりも内の魔物に手一杯となる。つまり、殲滅の隙を与えない事に成功する。


「いつ門が破壊されるか分からないよりは余程良いでしょう? 兵の疲労がピークになってから門を破られでもしたら、侵入した魔物の被害は相当なものになるでしょうし」


 つまり、と全員の視線がリゼルを射抜いた。呆れや驚愕、様々な感情が向けられる。

 見世物はごめんだと言いそうなジルをわざわざゴーレムに向かわせたのは、ウルフの投げ込みを止める為ではなく。冒険者たちを焚きつけたのも、その場から離れることを邪魔されない為だけでは無く。

 全ては仕掛けの発動のタイミングを誘導するため。

 リゼルは相手の事を美しい戦術に優越感を感じる人間だと言うが、この部屋にいる誰もが思うだろう。

 優越感も感じずただ自然にやってのけるリゼルの方が余程、それこそ格が違う。


「……ならば対策は大々的に行わない方が良いな」

「はい、折角のタイミングを延期されたらまた分からなくなります」

「仕掛けとやらはお前さん達じゃ何とも出来んのか?」

「難しいですね……彼も一応魔法使いの権威ですし、簡単に解除出来るものを仕掛けているとは思えません」


 それもそうかと頷くインサイと共にシャドウが扉の横で不動で立っていた男に指示を出し始める。

 傾向と云えば魔物が流入した後の素早い対応の為のもの、それと元々避難民が集まる中心地の周辺に広げられた全方位のバリケードの強化。前者は徹底して隠されるが、後者に関しては隠しきれないだろうが行っても不自然ではないだろう。

 指示を聞き終えた男が速やかに退出するのを見届け、シャドウは眼光を緩める事無く地図を睨みつけた。


「元凶が国に入りこんでいると言ったな」

「はい」


 そう、話題の中心として上げられることはなかったが元凶は間違いなく侵入しているはずだ。

 何処に、と問うのは今更だろう。

 避難民と共に入国し、まさか自らが使役する魔物を斬り伏せる冒険者として城壁にいる訳が無く、自然と情報が集まり、安全を約束されながら東西南北全てに手を伸ばせる。

 そんな場所はこの広大な街にも一つしかない。


「領主官邸前広場……間違いは無いか」

「恐らく」


 恐らくと確定を避けた言い方にも拘らず、リゼルが告げる言葉は無自覚に周囲に確信させる。

 否定が欲しいと願っても可笑しくは無い程に最悪な場所だろう。

 領主官邸の前に広大に広がる広場。普段ならば数えきれない程の屋台が並んでいる場所でもある。

 リゼルとシャドウが初めて出会った場所は、今まさに避難民たちに溢れているはずだ。


「彼が直接手を出すことはないでしょう、正体を明かしたくない彼にとってリスクが高すぎます。ただ、そこまで魔物を侵入させてしまえば分かりません」

「魔物が人に襲いかかるのは不自然ではない」


 忌々しそうな表情を浮かべるシャドウに、リゼルが口を開こうとした時だった。

 遠くから聞こえる爆発音と、小さくビリビリと震える窓。感じた微かな振動の理由を誰もが一瞬で察した。西門が破壊されたのだ。

 理解した瞬間、リゼルはイレヴンを振り返る。


「イレヴン」

「ッス」


 ダンッとイレヴンの投げた二本のナイフが微かに感じる振動を打ち消すかのような勢いで天井へと突き刺さった。

 何処からか聞こえる鳥の声のような甲高い音に、成程連絡手段は音かとリゼルは納得する。

 頷きながら、視線をシャドウへと戻した。


「突然のことで申し訳なかったですけど、悪意からの行動ではないんです。許して下さい」

「許しを乞うのは此方な気がするのぅ」


 カラカラと笑うインサイ、苦々しげなシャドウ。

 その視線は真っ直ぐ此方を向くリゼルの向こう側、イレヴンへと剣を向ける男へと向けられていた。

 領主に護衛がついていない筈がない。何処かに潜んでいたらしい人物が咄嗟に攻撃行動へ出るのも想像に難くないだろう。しかし想像される光景とは真逆の光景が目の前では展開されていた。

 イレヴンの短剣の先が僅かに男の喉元に突き刺さっている。

 皮膚を突き破るか突き破らないかの力で宛がわれている剣に、男は完全に動きを止めていた。


「……離して貰おう」

「イレヴン」


 スッと離れた剣に男はシャドウの後ろへと下がった。

 奴らに関してはもう良い、という言葉に頭を下げて部屋から姿を消す。

 シャドウは空気を変える様に溜息をついた。その割には疲れ切った溜息だったが。


「対策はすでに伝えてある、新しい指示は不要だろう。先程の行動について説明して貰おうか」


 その視線が天井へと向けられた。

 突き刺さったままのナイフに、インサイは儂の家なのにどうしてくれると不満たらたらだ。

 えーと言いながらイレヴンが上を見上げてすぐにニンマリと笑ってジルを見る。そう簡単に掌踏ませる訳ねぇだろと一蹴されていたが。


「あれは二個目を壊して下さいっていう合図です。いえ、合図の仕方までは俺も知らなかったんですけど」

「何を壊す」

「魔力の増強装置です」


 リゼルが地図でマルケイドの周りをおおよそ均等に八ヵ所指差して見せた。

 例え最高峰と言われようとも、人間が一人であれだけの数の魔物を使役するのは不可能だ。だからこそ誰も今回の大侵攻に人の手が加わっているのだと考えられなかった。

 魔力量、各個の魔物への指示、それを可能にしているものが有るだろうとリゼルは精鋭達に頼んで周囲を探させた。大体ここらへんかも、と云っただけで見つけてくれた精鋭は正しく有能なのだろう。

 魔力補助は勿論のこと、装置範囲内ならば使役を容易とする魔法式も多く刻まれているはずだ。


「装置を壊していると悟られるのはちょっとまずいので、東方面のボスであるゴーレムを倒した直後に一つ。元々命令系統に差異が生じる損害なので恐らく気付かれないでしょう。それで、二個目は爆発直後に西の一番門に近い場所にあるものを」


 西門から指が動き、それほど離れてはいない森を指す。

 そこに増強・使役補佐装置が置かれているのだろう。


「東門で冒険者達の殲滅速度が上がったのはただやる気だけの問題ではありません。装置を破壊することで、魔物たちの動きから統率が少なからず失われた所為もあるでしょう。だから西門のやつも壊せば侵入する魔物を退治するのが楽になるかもしれないので、壊してみました」


 爆発後は魔物を門の中へ向かわせるのに集中しているでしょうし多分バレません、と飄々と言うリゼルに対してもはやシャドウは驚愕する事を放棄した。

 相変わらず美麗な顔を美麗にしかめ、心を無理矢理納得させ頷く。

 リゼルは微笑み、そしてさてと席を立った。


「どうした」

「領主様も、いつまでもこんな小部屋で冒険者と話している訳にもいかないでしょう? 門も壊れたし、重鎮の方たちも纏めなきゃいけないでしょうし」

「ッ」


 その重鎮の存在を今まで忘れていた事にシャドウは愕然とした。

 つまり彼らよりリゼルを優先し重用したという事だろう。意識せず、誰の意見よりも彼の意見を欲した。

 それが失敗だとはどうしても思わない。非の打ちどころの無い成功と言い換えても良い。

 重鎮たちを蔑ろにした訳では無く、彼らより上にリゼルを置いてしまったとそういうことだ。

 未だナイフを取ろうとジルの肩に手を置いて有り得ない高さまで跳躍するイレヴンを感心してみているリゼルの姿を麻痺した頭でただ見ていた。


「あ、そういえば」


 ようやく取れたナイフを持つイレヴンに、じゃあと部屋を出ようとしたリゼルが振り返った。

 反射のように何だと答えたが、何が来ても衝撃を受けるだろう覚悟をとっくに決めている。


「避難民の人達が襲われたら、すぐ分かる様に合図が上がるかもしれません。これはちょっと確実じゃなくて半々ですけど」


 頷き、さっさと出て行けと手で追いやる。

 もはや喋らなくなったシャドウに同情するのはジルで、ニヤニヤ笑うのはイレヴンで、そして不思議そうにしているのはリゼルだ。計算と思いきや無自覚なので余計にタチが悪い。

 静かに閉まった扉に、シャドウは机の上に肘をつき頭を抱えるように額を手で覆った。

 何故か沸き起こる笑みは何なのか。低く喉を鳴らしたシャドウをインサイがからかうように、しかし満足気に見守る。


レイあのバカも、たまには良い事をする」


 リゼルを自分へと導いた顔馴染みに対し、シャドウは恐らく初めてだろう彼に対する感謝の念を抱いた。

 立ち上がり露わになったその顔からは疲労の色が消えていた。



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