26:一発蹴られはした
ジャッジの店には昼休みがある。
昼食の為だけに作られた休憩時間は然程長くなく、もっとも客として多い冒険者が一番少ない時間帯をあてていた。
日も頂点に登る時間は大抵の冒険者が依頼に赴いている為、元々それ程忙しくない店にほとんど客が来なくなるからだ。
とはいえ、休憩時間といっても客が来てしまえば対応してしまうのがジャッジなのだが。
しかし最近はその休憩時間は、本当に店を閉めてしまっている。
「はぁ……」
弱々しい溜息をついたジャッジが店の扉に鍵をかけて、“所用により出掛けております”の看板をかける。
今日もまたまともに話を聞いて貰えない商業ギルドへと向かうのだ、気が重くなるのも仕方が無い。
面倒そうなのも、迷惑そうなのも、そう思われている空気を感じるだけで気が引けてしまう。
だが泣き寝入りして済む問題ではないし、納得できる訳が無い。
それに、盗まれた品がもし万が一これから先リゼルが欲しがらないとは限らないじゃないか、と気を入れ直す。
「良し……!」
しかし、その気合も歩き出してすぐに何処かへと飛んで行った。
悪い意味ではないが、良い意味かどうかは分からない。
商業ギルドに近付くにつれ向けられる視線と聞こえて来る会話に頭が完全に混乱している。
「商業ギルドも落ちたものだな……ほら、彼だろう。被害にあったと気付いたのは」
「ああ、最近ギルドに訴えていた。彼が気付いてくれて良かったよ」
「まさか上級スタッフがねぇ……しかもギルドは隠そうとしてたらしいし」
あれ、これ何か解決してる気がする。
ジャッジはクエスチョンマークを頭からポンポンと飛ばしながら、迷いつつもギルドへと向かう。
一体何があったのか、と恐る恐る扉を開くと、扉の向こうは凄惨たる有様だった。
詰め寄る商人、対応に駆けまわり頭を下げる職員、思わず帰りたくなる程にギルドの中は慌ただしかった。
どうしよう、と思いながら最近被害を訴え続けて、しかし邪険に扱われた職員へそろそろと近付く。
「あの、」
「はい! 少々お待ち……ッッ」
何やら書類をひっくり返していた職員が顔を上げ、ざっと青ざめた。
ガタリと椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がり、直角に頭を下げる。明らかに謝罪の姿勢だ。
今までの突き放す対応とは明らかに違うその様子に、ジャッジは眉を下げてオロオロと周りを見渡した。
集まる視線に、見渡さなければ良かったなんて思うがもう遅い。
「今回の件は誠に申し訳御座いません! 貴店の盗品は回収が出来ましたので直ぐに返品いたします、正式な謝罪はギルド長から対応を……!」
「あ、あの……」
ジャッジとしては盗品を返して貰って、今後同じような事が無ければそれで良い。
周囲からは問題のスタッフを出せ、だの自店にもそのスタッフが入った事があるのにどうしてくれる、だのと盛んに声が飛んでいる。
こういった場合問題のスタッフの名前は公表されないものだが、どうやら既に広まり切っているらしい。
ギルドがわざわざ広めるはずが無いのに何故、と思っていると急かされる様に別の部屋に移動させられる。
中心人物であるジャッジとの会話を周囲に聞かせ続けるのは拙い、というギルドの判断だろう。
別室で勧められたソファに戸惑いながらも腰かけ、ジャッジは職員が持って来た盗品を受け取った。
過剰な程に包装がされたそれを確認すると、確かに自分の店から無くなった四つの迷宮品だ。
斜め前に立つ職員に頷いて見せると、職員は安堵の息を吐いて部屋の扉へと向かう。
入れ違いに入って来た人物は王都の商業ギルド長であり、ジャッジは畏まりながら向けられた謝罪に眉を下げた。
「その、一応、商品が返って来た経緯を聞いても……?」
「勿論です」
大事になってしまった、と此方も薄ら顔を青くしながらジャッジは今日の早朝にあった出来事を聞いた。
ギルドの営業時間中にやってきた冒険者達が、声を上げてギルドのスタッフと組んで盗品を売りさばいていた事を告白したらしい。
一瞬音が消えたギルド内だが、冒険者達がスタッフの名前と盗品を出した為にその場は騒然となった。
ギルド長が至急冒険者ギルドに知らせると、すぐに来た冒険者ギルド職員は軽く事情を聞いただけで情状酌量など無いとばかりに問答無用で冒険者を引っ張って行ったようだ。
何となくスタッドっぽい、なんて考えているジャッジの前でギルド長は苦悩した表情を浮かべる。
「情報を秘匿しようとしている訳では勿論ありませんが、しかし異常な早さで噂が広まり現状の騒ぎとなっております」
「その……スタッフの人は……?」
「騒ぎに気付き逃走しようとした所を不審に思った憲兵に捕まりました。処罰の方は当ギルドと憲兵の方との話し合いで決定する事となりそうです。決まり次第ご連絡を……」
「い、いえ! 僕は商品が返ってくれば良いので……!」
手で制しながら首を振ったジャッジに、ギルド長は疲れをみせる表情で微笑んで見せた。
いくらギルド長とはいえ支部のトップに過ぎない。上と下の板挟みで事に追われているのだろう。
彼はじっとギルドから去って行くジャッジを見た後、一人きりの部屋で小さく呟く。
「これが彼の祖父の耳に入ったらどうなるのか……」
自分の首だけでは全く足りない。商業ギルド自体に大打撃を与えかねないだろう。
ギルド長は小さく溜息をついて、この惨状の対応の続きへ身を投じんと背筋を伸ばして部屋を出て行った。
「そんな事があったんですね。元気が無いから心配しました」
「す、すみません……っ」
事態が解決したからだろう。
最近の事情についてようやくリゼルへと話して良いと判断したのか、ジャッジは恥ずかしそうに語った。
店の主として商品が盗まれた事を恥じているのだろうが彼に責任はない。
照れたように笑ったジャッジに、リゼルはいつも通り微笑んで褒めるようにその頬を撫でた。
ちなみに真横からジルの呆れたような視線を感じるが、気にしない。
「それで、その……?」
「あ、俺?」
頬に当てられた温かい温度にふにゃりと笑いながら、ジャッジは見慣れない客人に視線を向けた。
鮮やかな赤い髪を揺らす相手は、何となく怖い。自然と対応も恐る恐るになってしまう。
愛想良く振舞っている自分に対して少しの恐怖を感じる相手を意外に思いながら、イレヴンはにっこりと笑って見せた。
「この二人のパーティに入れて欲しいなーつってアピール中のイレヴン、どーも」
「え!?」
「えって何!?」
「だ、だって……」
顔を引き攣らせたイレヴンに、ジャッジはジリジリと彼から遠ざかる。
頬を撫でていた手を掴まれたリゼルも自然と店のカウンターの向こうへと連れて行かれた。
充分に離れたことを確認し、びくびくしながらジャッジは腰を折ってその高い身長を丸める。
耳元に近付けられた唇に、内緒話かなと思いながら耳をすましてみせた。
「ジャッジ君?」
「リゼルさん、本当に、その、あの人のことパーティに……」
接客業らしく人当たりの良いジャッジから出た意外とも言える言葉にリゼルは苦笑した。
鑑定眼に優れた彼は人を見る目にも優れているのだ。
今回の事件を引き起こしたスタッフもジャッジの人選では無いし、ギルドから送られた上級の人員を交換でなどと言えるはずが無い。
イレヴンに恐怖を感じたあたり、勿論盗賊だとは思ってもいないだろうが彼の本質も薄々勘づいているらしい。
「嫌ですか?」
「イヤ、っていうか……」
ジャッジは思わず言い淀んだ。
自分が感じたものをリゼルが知らないはずが無いだろう。決して“良い人間”では無い彼のことを、リゼルが知りながらも傍に置いているのならばジャッジがわざわざ口を出すことではない。
それなのに今こうしてリゼルを留めているのは何故かと言われると、それはやはりリゼルが言う通り嫌だからなのだろう。
ジルは良くて、イレヴンは嫌な理由。ジルだって決して良い人間では無いのに許せる理由。
それは多分、ジルがリゼルを他の何より優先しているからだ。
本人に自覚があるのか無いのかは分からないが、ジルはいつだってリゼルの存在を念頭に置いて動いている。
あれ程吸っていた煙草だってリゼルの隣では決して吸わない。一度ジャッジが怯えながらも尋ねた時には当たり前の様に「あいつに煙草の匂いは似合わない」と返された事もある。
煙草を吸わないジャッジの前でさえ平気で吸っていたジルが、相手がリゼルというだけでそれを止めた。
だからこそジャッジは、偉そうな言い方をするならばジルが隣に居る事を許している。
「だって、リゼルさんのパーティに入るなら、もっと、こう……」
言い方を探しかねているのか、おろおろと顔を寄せたまま上目で見るジャッジにリゼルは苦笑した。
何となく考えている事は分かる、と下がった頭を優しく撫でながらイレヴンを見る。
拗ねながらも、どこか愉快気に此方を窺う相手ににこりと笑って見せた。
「大丈夫、まだパーティ入りの許可は出してませんよ」
「そ、そうなんですか……なら、良いや」
「ジャッジ君がどうしても嫌って言うならキッパリと断っちゃいますけど」
「ちょ、待っ……ジャッジ? っつったっけ? え、本気で俺のパーティ入り嫌なわけ? 何で?」
見るからに相性が悪そうな相手に詰め寄られ、ジャッジは涙目で助けを求めるようにリゼルを見た。
しかしジルの元に戻ったリゼルは何かを話し合っていて此方を見ていない。失敗に終わる。
口調は必死ながらも何処か楽しそうに唇をゆがめる相手を見下ろし、そう言う所だなんて言う勇気はジャッジには無かった。
完全に腰が引けているジャッジは、どうしようと混乱する頭で混乱とは無縁な友人の顔を咄嗟に思い浮かべた。
「ス、スタッドに聞いて!」
かくしてイレヴンは店を駆け出ていった。
「それで、もし……あれ、本当に行っちゃいましたね」
「馬鹿なんだろ」
凄い勢いで姿を消したイレヴンを、リゼルはジルとの話を中断して見送った。
イレヴンもなかなかに隙の無い性格をしている割には、その場のノリで動く事が多い。楽しんでいるのだろう。
肩で息をしていたジャッジがゆっくりと肩の力を抜くのを見て笑いながら、そういえばと思いだしたかのように口を開いた。
「マルケイドって、商業ギルド無いんですよね?」
「あ、はい、あそこは自治体みたいなものなので……」
商業国という割に商業ギルドを置いていないのは、偏にギルドが無くても管理する領主がいるからだ。
勿論全くの無関係という訳では無いが、しかし普通ならば出店の際必要なギルド登録がマルケイドではいらないのだ。
ギルドの登録に必要となる資本や実績がいらないおかげでどんな店であっても始める事が出来るし、ギルドの規定に縛られない。しかし潰れた時は自己責任で保証もない。
それぞれ異なる利点がある為、どちらを選ぶのかは人それぞれだろう。
「インサイさんはギルド登録は?」
「あ、してます。貿易業なので色々な国で幅を利かせる事が多いし、ギルド登録は必須なので……」
「じゃあ、きっと伝わっちゃいますね」
ふんわりと微笑んだリゼルに、ジャッジは首を傾げながらも釣られて笑いかける。
直後、その笑みは凍りついたが。
「ジャッジ君が元気なかった日、好きなものでも奢ってあげようかと思ってインサイさんへ好物を尋ねる手紙だしちゃったんです」
速達です、と付け加えられたが確実に駄目押しだ。
手紙は郵便ギルドを通じてやりとりされる。
対象の国に対する手紙の量が一定を越えると配達されるので急ぎの用事には向かないし、そもそも結構な値段がするので利用する者は多くない。
しかし王都ならば王都全体の手紙が集められる為、数日に一回は配達が行われる。
ちなみに配達は他国専用で、同じ国の中でのやりとりは行っていない。会いに行った方が早いからだ。
リゼルの言った速達とは、値段は格段に高いが頼めばまだ既定の量に達していなくても直ぐに送ってくれる特別待遇の事だ。
一定の量とはいえ手紙なので大きなリュックひとつで充分足りるおかげで、馬車を使わずとも馬で運ばれるそれはかなり速い。恐らくマルケイドならば二日三日で到着してしまうだろう。
つまり、確実にもうインサイの手に手紙は渡っている。そしてこのタイミングで落ち込んだジャッジと、不思議な程広まっているギルドの不手際など簡単に結びつけられるだろう。
「うぅ……店主として情けないって思われるかも……」
「余計なことしちゃいましたね」
「いえ! 心配してくれたのは、その……す、すごく嬉しい、です」
頬を染めて喜ぶジャッジに、ジルはそれどころじゃないとあらぬ方向を見ながら溜息をついた。
誰から見ても孫馬鹿なインサイが、盗みを働いたスタッフやギルドの舐め切った対応を聞いて何も思わないはずがない。
下手をすればギルドから抜けてギルドを介さない独自のルートに流通を切り替えるし、この辺りの流通を一手に仕切るマルケイドの一大商会を敵に回したとなればギルドから離れる商会もあるはずだ。
そうなれば最悪ギルドが崩壊する事態もあり得るだろう。
余計な事をしたと謝りながらもインサイに手紙を送った上に、ギルドの不正をどうやってか国中に広げさせたのもリゼルだし、恐らくインサイへの手紙の内容もジャッジに話した事が全てではないはずだ。
基本的にやることに容赦はないのだが、そんなリゼルを心底優しいと思っているジャッジは何なのか。
何故自慢の鑑定眼はこういう時に作用しなくなるのか、ジルは心底疑問に思っている。
気付いていながら甘えているのなら恐ろしいが、ジャッジは恐らくそこまで器用ではない。はずだ。
「元々奢ろうと思ってたし、折角なので解決祝いに今夜何か食べに行きませんか?」
「良いんですか……! い、行きたいです! あ、でも奢りは……ッ」
穏やかな会話を続ける二人に水を差そうとは思わないので、ジルは呆れながらも口を閉じてその様子を見守っていた。
ジルとリゼルはジャッジの店の前で別れた。
元々受けた依頼で迷宮に潜った際、手に入れた迷宮品を鑑定に来た為に同行していたのだ。
当然依頼にはイレヴンもついて来た為に此処まで同行したが、彼が完全にリゼルのプライベートな時間もくっついている事は無い。それを見越してスタッドの元に駆け出して行ったのだろう。
夕方と言うには明るい時間帯に依頼が済んでしまうと、なんとも中途半端に時間が余るものだと思いながら歩く。
宿に帰って読書でもするかと絶賛引きこもる計画を立ててみたが、目に入った喫茶店にティータイムには良い時間かもと予定を変更した。
室内とテラスがあるらしく、リゼルはテラスを選んで腰かける。
適当な紅茶を頼んで人通りを眺める。リゼルがテラスを好んで選ぶのは、人通りを観察できるからという理由があった。
茶が運ばれて来るまでには少々時間があると結局本を開き、視線を落とす。
頬に掛かる髪を耳にかけながら陽だまりの中で読書をする姿は相変わらず人目を引くが、リゼルは全く気にせずに活字を瞳に映していた。
紅茶を運んできた店員に微笑みながら礼を言い、薫るそれに唇をつけた時だった。
「あ、」
見覚えのある姿に、ひらひらと手を振ってみせた。
相手は一瞬顔を引き攣らせたが、すぐに何事も無かったかのように足を進める。
リゼルは優雅に振っていた手を止め、今度は来い来いと手招いて見せた。
足を止め、自らを指差して此方を見る相手に微笑みながらゆったりと頷くと、観念したように近付いて来る。
「どうぞ」
「……や、頭に殺されそうなんで」
向かいの席を手で指し示したが、すぐに拒否された。
立ったままでは目立つと言うリゼルに、じゃあ間をとってと隣の机へ腰かける。言ってしまえば斜向かいだ。
店員を呼びとめて、彼の分はリゼルの勝手な想像で炭酸水を頼む。
「払います」
「別にいいですよ、俺が勝手に頼んだんですし」
「や、土下座するんで払わせて下さい」
もしイレヴンにリゼルに奢って貰ったなどと言えばどうなるのか。
想像しただけで浮かび上がる恐怖に真顔のまま首を振った男は、きっちり飲み物代を運んできた店員へと渡す。
なら好きなものを自分で頼んだ方が良かったか、と思ったが炭酸水で全く問題が無かったようだ。
喉の渇きを潤すようにごくごくと飲んだ男は、微妙にリゼルから視線を逸らしながらグラスを置いた。
前髪で隠れた眼元は全く見えないし、服装も昨晩とは全く変わってしまっているが、確かに間違い無いだろう。
リゼルが招き寄せた男は昨晩ちらりと見たイレヴンの盗賊団の一員だった。
彼がリゼルの監視なのだろう。いつもなのか今日だけなのかは分からないが、昨晩顔を覚えておいた甲斐があったとリゼルは笑みを浮かべる。
逆に言えば顔を覚えていなければ分からなかった、と感心しながら開いていた本を閉じた。
「昨晩はありがとうございます、きちんと寝られました?」
「……心配するのソコなんですね、大丈夫です」
冒険者の事など全く気にかけないリゼルに、盗賊もビックリだと内心呟いた。
品の良い優しい顔立ちをしている割に、心から聖人君子では無いらしい。
「や、それより、俺に何か聞きたい事でもあるんですか」
「初めて監視を見つけたから嬉しかったので、ついつい呼んじゃいました」
それと、と付け加えられて盗賊はリゼルを見る。
細められた瞳と笑みを浮かべる唇に一瞬視線を囚われ、此処が穏やかなテラスだと忘れさせられる。
まるで何でも答えなければいけない空気は、しかしすぐににこりと笑ったリゼルによって霧散した。
わざとなのだとすれば、タチが悪い。これでもう男はリゼルに対し嘘を吐けないだろう。
「君達の首領について、ちょっと教えて貰いたいです」
「何を……」
「何でも。最近の様子とか、ちょっと良い子になりました、とか」
良い子、という言葉に渋い顔をする盗賊を見る限りそれは無さそうだ。
リゼルが把握している限りでは最近盗賊活動はしていないはずだが、それでも良い子と云えない何かをやらかしているのか、素で手遅れなのか。
ちなみに盗賊は渋い顔をしながらも内心では冷や汗を滝のように流している。
自分の意見でもしイレヴンがパーティ入りを拒否されたのならば、確実に命は無いと言いたげだ。
リゼルは見透かしたように微笑んで、促すように首を傾げてみせた。
「や、良い子とかは無いですけど、何日か前からアナタ達に対する態度は変わりました。まぁ、分かってると思いますけど」
イレヴンが墓穴を掘ってリゼルに忠告された日のことだろう。
当然だが、彼は部下に何も話していないようだ。あれだけ瞼が腫れたくせに良く隠し通せたものだと思う。
うん、と頷いたリゼルの反応を窺いながら、盗賊は言葉を選ぶようにして続ける。
「それからは、アナタに対しては監視っていうより警護って感じでして」
「警護?」
「あー、や、アナタが困るのは嫌だから、とか言ってましたんで」
本当はもっと生意気な物言いだったのだが、盗賊は自己判断で都合がよい部分だけを抜き出した。
見透かすようなリゼルの視線を、瞳を覆う前髪に感謝しながらさり気なく逸らす。
ごくりと飲み込んだ炭酸水が喉で弾ける感覚に、頭がスッとした気がしてフッと息を漏らした。
優雅にカップを傾けるリゼルは動揺する様子をまるで見せない。
「昨晩の事については何か言ってました? 少し簡単に任せすぎちゃったかなと思ったんですけど」
「や、むしろ嬉しそうな感じです。変化があった日以来パーティ入りする方法を色々考えてましたけど、昨日は純粋に頼りにして貰って喜んでた感じで」
「君は彼と付き合いは長いんですか?」
「まぁ、一応、頭の盗賊入りからの付き合いですけど」
イレヴンの感情の機微をとらえた盗賊の物言いを疑問に思っていたリゼルが、その答えに納得したように頷いた。
感情すべてを素直に表に出すように見えて、それが全て嘘という事も珍しく無いイレヴンだ。
そんな彼の気分を確信を持って読み取れるなら、それこそ相応の付き合いがあるのだろう。
これ程付き合いのある相手がいながら、全員殺そうと簡単に口にしたイレヴンを思い出して苦笑する。
リゼルの反応を見る為の台詞だと判断したが、どうやら当たっていたようだ。本当にやりかねない所が肝だろう。
しかし、とリゼルは考え込んだ。
イレヴンの事、目の前の盗賊青年の物言い、もう少しかと思っていたがそろそろだろうか。
しかしどちらにせよ最後の駄目押しは必要だろう、と紅茶を飲みながらノンビリと考える。
その様子を窺いながらも、盗賊はまるで他人のように振舞っていた。今この瞬間をイレヴンに見られても言い訳が利くように。
無駄かもしれないけど、と思う盗賊をリゼルがふと見た。
「一つ質問です」
「? はい」
「君達精鋭じゃなくて、大勢の下っ端たちが俺に全員殺されたらどう思います?」
俺を恨みますか、と微笑んだリゼルに、穏やかな顔から出た話題にしては物騒だと違和感を感じる。
が、それだけだ。その言葉を聞いても思うのはそれだけ。
常識的に話しているようにみえる彼だが、実に生粋の盗賊だ。増えたり減ったりする下っ端盗賊に興味は無く、名前すら覚えていない者が大半を占める。
更に手をかけるのが目の前の男だと言うのだから、下っ端に対しては勿体無い。立候補して自分が手を下した方が良いのではないかとすら思ってしまう。
「や、むしろアナタに殺されるなら、下っ端風情はむしろ光栄に思うべきだと」
この十数分の邂逅で毒されたのか、浄化されたのか。分からないままリゼルを見る。
隠された目でまっすぐ此方を見つめる男に嘘は無く、リゼルはやんわりと微笑んだ。
それを見て、男は自らの頭が何故彼に固執するのかが分かる気がした。期待に添えた時の褒めるような眼差しが向けられた瞬間の、満たされる感が半端じゃないのだ。
思わず動きを止めた盗賊から視線を離し、リゼルは横を通り過ぎる人混みの中の一人に声をかける。
「少し良いですか?」
「はい、私ですか」
歩いている所に声をかけられ、近付いて来た男に盗賊は思わず正気に返った。
男の身を包むのは憲兵服。盗賊の彼にとっては天敵だと言っても良いだろう。
僅かに警戒を滲ませる彼を安心させるようにリゼルは微笑み、そして憲兵の男に向き合う。
今日は朝の商業ギルドの一件で街を行きかう憲兵が多い。どうやら被害店舗の調査に入っているようなので、リゼルが探さなくともテラスに座ってさえいれば、それ程待たずに捕まる。
「憲兵長は出てきてますか? 名前は分からなくて……。すごく真面目そうで、でも要領が悪そうで、世渡りが下手そうな正義感が強いひと」
物凄い言い草だ。
思わず噴き出しそうになった盗賊とは別に、憲兵は何人かいる憲兵長の中でピンポイントで思い当たったものの、特定してしまって良いのか一瞬固まってしまっている。
恐る恐る肯定した憲兵に、リゼルはそうと頷いた。
「近くにいます?」
「は、この先の商店で確認作業を」
「じゃあ、呼んで貰って良い?」
憲兵は再び固まった。
これが唯の一般市民だったら偉そうだと思いつつ忙しいからと後に回って貰うが、目の前の男はどうみても一般市民ではない。
見たままの印象を答えるなら紛うことなく貴族だが、しかし貴族に似た冒険者の噂も最近は良く聞く。
目の前の男が噂の張本人かどうかは分からないが、仕事中の憲兵長を呼びつける発想は明らかに上に立つ存在だろう。
実際、リゼルは自分が貴族に見える事を利用しているだけだが、直接貴族だと名乗らなければ詐欺じゃない。
「今すぐ、でしょうか」
「駄目ですか? レイ子爵と知り合いの貴族っぽい男って言って貰えば伝わると思うけど」
「ただちに!」
子爵という雲の上の存在である自らのトップの名前を出され、憲兵は即座に駆け出した。
子爵と知り合いとは、もう疑うとか疑問を持つどころでは無い。
普通ならば嘘じゃないかと思うが、リゼル相手に疑いの感情は欠片も浮かんでは来なかった。
「……や、本当に知り合いとか凄いですね」
「君が見張ってる時も子爵とは接触したじゃないですか」
「あの時は遠くからだったので会話までは、」
盗賊は言いかけ、ふと言葉を止めた。
自分があの時リゼルを見張っていた事は知らないはずだ。目の前の男は普段の監視でさえ全く気付いていないのだから。
全く気付いていない、はずだ。
カマかけかと思うにはさり気なく放たれた言葉に盗賊がリゼルを見ると、にこりと微笑まれただけだった。何処までも掌の上で転がされる感覚はいっそ清々しい。
リゼルが前髪の向こう側で考え込む相手を朗らかに見ていると、見覚えのある顔が近付いて来た。
「来た来た。お忙しい所すみません」
「私を呼びだすなど貴殿は冒険者で……! いや、お前は冒険者でして……ッいや違う、貴殿は……!」
「毎回混乱させてしまうのもすみません」
駆けてきた所為で軽く息が跳ねるまま何か言いたげな相手に、可笑しそうにしながらもどうぞとリゼルは紅茶を差し出した。
息を整えたらどうかと差し出した紅茶だが、しかし生真面目に職務中だからと手で制される。
思った通りの真面目具合、リゼルは忙しい中呼びだしたんだからさっさと用件を済ませてしまおうと文句を言いながらもピシリと立つ憲兵長を見上げた。
「少し子爵に伺いたい事があるので、アポイントメントを取って貰いたくて。出来るだけ近いうちに訪ねたいのですがと、そう伝えてくれませんか?」
「は、いや、私程度ではそうそうお目通り叶う事は……」
「今回の報告、するでしょう?」
憲兵長とはいえ、全体から見れば決して上位の存在ではない。
しかしリゼルを直接知っている彼が伝言を届ける事で、確実にレイの耳に伝わるだろう。
憲兵長はあのレイがリゼルからの申し入れを断ることなど断じて無いと確信している。むしろ喜んで歓迎するはずだ。
以前レイが彼の事を“リゼル殿”と呼んでいたのだ。貴族が冒険者に敬称を付けるなど聞いた事が無い。
自由奔放ながら人を見る目は確かなレイが、敬称をつけるに相応しい存在だと判断したのだ。自分はただ伝言を伝えれば良いと頷いた。
生真面目だし要領は悪いし世渡りも下手だが、しかし彼は融通が利かない訳では無い。
「……了解した、返答は以前の宿に持って行けば良いだろうか」
「お願いします。お仕事お疲れ様です」
労いと共に送りだしたリゼルに、悩みながらも敬礼を返して憲兵長は去って行った。
別に上司では無いのだけど、と思いながらそのキビキビとした背を見送る。
その背が視界から消えたのを確認し、くるりとリゼルは盗賊を振り返った。
「という訳なので、明日の朝俺のところに来るように伝えて下さい」
「や、うちの頭突き出されると困るんですが」
「じゃあ、来るか来ないかはそちらの判断に任せます」
確実に行くだろうなと思いながら、盗賊は諦めたように了承した。
リゼルから与えられる選択肢は選択権がない。どちらを選ぶかなど彼はとうに知っているのだから。
紅茶を飲みほしたリゼルがさて、と立ち上がる。
連れでも無いのに同じように立ち上がるのも変だろうとしばらく座ったままで居ようとする盗賊だったが、ふとリゼルが近付いた事に気が付いた。
面白そうに笑みを浮かべた清廉な顔が近付くのを、盗賊は飲もうとした炭酸水を口元に運んだまま思わず動きを止めて見る。
「君は多分本気で言ってるんでしょうけど、」
手に持ったままの炭酸水、その全く使われていないストローをリゼルがゆっくりと咥えた。
僅かに傾げられた顔と、伏せられた視線。ストローを咥えた際に小さく見えた歯まで、まさに目の前の至近距離にある。
グラスを口元に運んだまま動きを止めた手は、やはり縫い止められたように動かない。
ごく、と小さく鳴った喉の音を聞きながら、ストローを離して小さく開いた唇と、支えを失って揺れるストローを何処か茫然としながら見る。
「殺されませんよ、絶対」
笑みを浮かべたままそう言い残し、歩み去って行ったリゼルを盗賊はただ黙って見送った。
リゼルが残した言葉の意味を上手く回らない頭で考えて、やばい居る絶対居ると自らの命を諦めた。
直後肩を組むように乗せられた手と、肩口から顔を出した鮮やかな赤い髪にぎしぎしと軋んだ動きで視線だけを向ける。
自らの組織のトップ、盗賊の首領、頭、現実逃避のようにどう言い換えてもイレヴンに間違いは無い。
「ずーいぶん、仲良くなってんなァ。話して良いとか言ったっけ」
「……や、呼ばれたんで」
「アノ人に? わざわざ? 顔見せて? 昨日の夜会ったからって? 調子こいてんじゃねぇぞオイ」
盗賊は死を覚悟した。
這うような声が実体を持って首を絞めている感覚に、先程とは違う意味で体を硬直させる。
もはや縋れるものは先程のリゼルの言葉のみ。本当に殺されないのか殺されるじゃないか嘘つきと内心で念仏のように罵っていると、イレヴンの腕が動いた。
首を絞められるように巻き付けられた腕に絞殺か……なんて来世に思いを馳せたが、その腕は男の予想を裏切って自らの手から炭酸水のグラスを奪っただけだった。
ストローを咥えたイレヴンがズコーッと凄い勢いで炭酸水を飲み始めた。
僅かに首に巻き付いた腕は口元にグラスを運ぶ為に僅かに絞めただけで、男を殺してやろうなどという意思はない。
イレヴンは炭酸水を全て飲みほすと、男から腕を外してグラスを机へと叩きつけた。
綺麗な程にタンッと音を立てた机とグラスを見て、座ったままイレヴンを見上げる。不機嫌そうな顔が此方を見下ろしてはいたが、それだけだった。
「帰ったら一字一句報告しねぇと死なす」
「や、あの……はい」
自分のことなど捨て駒だと考えていると思っていたが、どうやら違うようだ。
普通の下っ端がすれば即殺されることをしようと、こうして自分は生きているのだから。
照れたのか安堵したのか自分でも良く分からないままグシャリと前髪を掻き混ぜ、盗賊は歩き出したイレヴンの後ろへと続いた。




