201.贋作師は絶望の中で光を探す
昼時、魔鳥騎兵団の野営地にて。
周辺の警戒のために空を哨戒していたナハスは、己の魔鳥がふと気を反らしたのに気づいた。
滑空しながら一方を見つめた魔鳥は、しきりに嘴を開いて落ち着かない様子を見せている。
「どうした」
問いかけに、魔鳥は何も答えない。だが気まぐれだと流すには確かな違和感がある。
ナハスは怪訝に思いながら、野営地へと降下の合図を出した。
昼時を過ぎたころ。リゼルは一人、宿の自室を出た。
そして食堂に顔を出す。目当ての人物はすぐに見つかった。
「お婆さま、有難うございました」
「あら、もういいの?」
「はい」
「部屋で魔法なんざ使ってねぇだろうな」
「魔法は使ってないです」
茶化すような老輩の言葉に、リゼルは可笑しそうに笑って視線を送る。
宿の老夫婦が並んで座るテーブルの、その向かい側に見知った顔が腰掛けていた。インサイと並ぶ大商人、または“蜘蛛”と呼ばれる情報屋である老紳士が、落ち着いた笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「すみません。会話の邪魔をしてしまいましたね」
「いいや、大した話はしていないからね。年寄りの暇つぶしだ」
老紳士が手のひらを持ち上げ、隣の席に向ける。
お茶に誘ってくれたようだ。リゼルは招待に甘え、促されるままに老紳士の隣に腰掛けた。
新しい紅茶を入れてくれるのだろう。キッチンへと向かう老婦人へと感謝を告げる。
「魔法というのは?」
「部屋で少しやってみたいことがありまして。大きな魔力反応が出るかもしれないって、さっきお婆さまに伝えておいたんです。多分お婆さまは気づけてしまうので、心配をかけないように」
「魔力だなんだってのはよく分かんねぇなぁ」
「つくづく不思議だ。君だって魔法を使うような相手と戦ってきただろうに」
「戦ってりゃ分かんだよ。動きだの何だのを見りゃあいい」
なぁと同意を求められ、リゼルは同意するように頷いた。
ジルやイレヴンも同じだからだ。平気で避けるし、斬る。予備動作を見て発動を妨害しようと先制したり、攻撃を目的とした魔法陣が現れれば即座にその場を離れたりする。つまりは視覚情報をもとに立ち回るのだ。
基本的に魔法は“溜め”が必要なので、まったくのノーモーションで食らうことはない。
「見えねぇ魔力があっちからこっちに動いてようが俺ぁ分かんねぇな」
「ああ、そういうことか。魔力が多い人間は感知しやすい、とは聞いたことがあるけれど」
「そうですね。あとは慣れです」
話していれば、老婦人がティーセットを手に戻ってくる。
注ぎ口からほんのりと湯気が立ち上るティーポットから、紅茶の甘い香りが漂ってきた。
リゼルの前に温められたカップが置かれる。注がれた紅茶は美しい赤色をしていた。
「良い香りですね」
「頂き物なの。西のほうの茶葉なのよ」
リゼルと老婦人は笑みを交わし合い、互いのカップに口をつける。
そうしていると、ふいに老輩が親指で老紳士を指さした。
「そういやこいつ、お前に用があるんだとよ」
「俺ですか?」
リゼルは意外そうに隣を見た。
年寄りの暇つぶしだという言葉を顧みるに、それほど重要なことではないだろう。話の流れで頼めるなら頼んでみようかという程度なのかもしれない。だが、それをわざわざ老夫婦の前で話題に出すのが彼らしくなかった。
老紳士は生粋の商人だ。その柔らかな物腰と穏やかな語り口調に隠れ、もっとも利益を最大化するような会話の進め方をする。だが老夫婦は彼にとってのジョーカーだ。予想以上の利益を齎すことはあるが、あらゆる言動が想定の範囲外にある。
副業で情報屋を営めるほどに万端を期す。それがリゼルの、老紳士に対するイメージだ。
リゼルに何かを頼みたいなら、旧友である二人がいない場を選ぶものだと思っていたが。
「こいつらむかーしやらかしてんだよ」
「こいつら、ですか?」
「おう。こいつとインサイな」
老輩の大笑いと、老紳士の咳払いが重なる。
「互いに商会作った時だったか。二人して相手の従業員引き抜きまくってんだ」
「有能であれば手元に置きたいというのは当然だろうに」
「インサイさんも同じこと言ってたわねぇ」
「そんで収拾つかなくなってな。俺らが仲介になって、引き抜き禁止だっつう取り決め作ったんだよ。仲介っつっても突っ立ってるだけなのに、こいつらにとっちゃそれが大事なんだと」
成程、とリゼルは頷く。
インサイも老紳士も疑いようもなく人間的魅力に溢れた傑物だ。リゼルとて二人に実力を認められ、能力を求められたら悪い気はしない。よって両者による壮絶な引き抜き合戦が行われたのは想像するに容易かった。
――ということは、だ。
「ジャッジ君ですか?」
「君は話が早くて実に好ましい取引相手だね」
「流石に、ジャッジ君を引き抜きたいっていう話は聞けませんよ」
「まさか。インサイのところと戦争をしても利益が損失を上回らないだろう?」
ようは件の引き抜き条例に引っ掛からない程度に、ジャッジに仕事を頼みたいのだ。
その証人として老夫婦が同席しているタイミングを狙ったらしい。老夫婦もその意図には気づいているだろうが言及する様子はなかった。二人にとってはこれらも含めて、ただの友人とのお喋りなのだろう。
「ジャッジ君とはお知り合いなんですよね」
「そう。何度は顔を合わせているし、優秀な商人だと目をかけてもいる」
老紳士はそう言うと、控えめに肩を竦めてみせた。
「腕の良い鑑定士が欲しくてね」
彼はテーブルにかけた杖の持ち手、そこに彫刻された蜘蛛を撫でている。
次いで零された声色は呆れているようで、しかし微かな親愛を含んでいた。
「もう何年も懇意にしている古物商がいるんだ。偏屈な相手でね。酷く目利きで、扱う品は確かだけれど、一部の人間しか求めないガラクタもあれば、しかるべき形で調査すれば国宝にすらなり得る品もある」
「アイツかよ」
「まだ現役なのねぇ」
老夫婦も懐かしむように告げる。
冒険者として依頼品を納品したことがあるのか、それともプレイべートで付き合いがあったのか。リゼルには予想することしかできないが、この三人の共通の知人ともなれば余程の人物に違いなかった。
「私も何度か商品を買い取っているが、とにかく変わりものでね。こちらが要求する品とまったく同じ偽物を並べて、どちらが本物か当てたら売ってやると――外せば、二度と商談を受けないと毎度約束させられる」
「絶対に外せない相手なんですね」
「そうだね。君は分かっているとは思うが」
老紳士が、昼下がりのティータイムに相応しい和やかさで笑う。
「国宝になり得る品というのは、ただ高額なだけではない。隠された歴史を証明してしまうものであったり、国同士の関係を変えてしまうことだってあり得るかもしれないから」
商人というのは、情勢を強く反映する職業だ。
大抵はそれを読み、舵を切ることで利益を出す。だが老紳士は、望んだタイミングで情勢を変化させられる可能性を示唆した。それだけでも莫大な利益を齎すだろう手段は、彼の情報屋としての手腕を合わせることで、物流のすべてを己の手に収めることを可能とするだろう。
もちろん理想論ではあるので、実際に運用するとなると確実性の高い方法に収まるだろうが。
そうであって、生まれる利益は彼の資産を倍したっておかしくないほどだ。
「お前なぁ、サルスの頭にも何かしてんじゃねぇだろうな」
「心外だ。この国のためになることしかしていないつもりだよ」
「だからそれだっつうんだよ」
「君たちの生活が揺らぐことは一切ないから安心しなさい」
老紳士は生粋の愛国者だ。手段がどうあれ、その言葉に嘘はないだろう。
だが水中レストランを建造した際にも、水上の航路など随分と国と連携を密にしていた。
そういう時のために、コネクションを強めることを目的として利用しているのかもしれない。
「その古物商の方との目利き勝負のためにジャッジ君が必要、ということですね」
「そうだね」
老輩の胡散臭そうな眼差しを流し、老紳士は頷いてみせる。
だが、リゼルには一つだけ疑問があった。
「貴方の商会にも優秀な鑑定士がいるんですよね」
件の目利き勝負に、これまで勝ち続けてきた鑑定士が確かにいるはずなのだ。
それが何故と問いかければ、彼は参ったように苦笑を零した。
「いるとも。けれど、腰を痛めてしまってね」
「それは……大変でしたね。今は静養を?」
「ひとまず休んでもらっているが、どうかな。そろそろ後継に役目を譲って引退かと、以前に話していたこともある。長いこと務めてくれていたから、無理に引き留めることなくできる限りの願いは叶えてやりたいものだが」
「その後継の方には任せられないんですか?」
「確実性を求めるのなら、私は任せられないと言わざるを得ないね。君もジャッジ君の鑑定の腕は知っているだろう。あれほど目が利く鑑定士はそうそういない」
その言葉に、大きな笑い声を上げたのは老輩だった。
「なんたってあのインサイの肝いりだからなぁ!」
「身内可愛さで仕事ぶりを褒める方じゃないのに、あれだけの絶賛だもの」
次いで告げられた老婦人の言葉に、リゼルは改めて思い返してみる。
インサイの孫溺愛ムーブのインパクトが強すぎて分かりにくいが、確かにインサイは素直に他人を褒めるタイプではない。これが“評価”ならば違うが、純粋な“賞賛”となると滅多にないだろう。
だが、ジャッジはそれを一身に受けている。
インサイ自身、鑑定眼はかなりのものだ。それでも己以上だと断言しているほどだった。
「ジャッジ君の鑑定眼が優れているのは同意しますけど……それほど見分けるのが難しい贋作が出回っているのは。いろいろ問題がありそうですね」
「出回ってはいないだろう」
老紳士は飲み終えた紅茶のカップをソーサーに戻し、告げる。
「件の古物商だが、あれは愉快犯なんだ。二択を選ばせるためだけに贋作を用意してね」
「ということは」
「そう、一流の贋作師でもある」
リゼルは感嘆の息を吐いた。
その古物商のやることを、ただ己の技量を誇示するためだと言ってしまうのは簡単だ。
だが日の目を見ない名品を探し出す特出した目利きがある。古物商という世界においては特に重要視される大口客、その筆頭である老紳士へ「選択肢を誤れば取り合わない」と言いきってしまえるのも違和感がある。
必ず、本物と偽物を並べる。黙って売りつけることもできる贋作を、一切世に出すことはない。
ならば、きっと反対だ。技を誇示したいのではなく、
「(多分、古物が好きなだけなのかな)」
真作と同一の贋作を作り出せる技量を持つからこそ、疑問を抱いたのかもしれない。
同じ素材、同じ形、あるいは同じ機能。再現できてしまえば、本物の価値はどこにあるのか。一流の贋作師であるその人物は、己が禁忌を犯せるからこそ、愛する古美術品の真贋が曖昧になってしまった。
だからこそ、他者の目を通して再確認しているのか――ということもあるかもしれない。
「(考えすぎかな。でもこの三人の共通の知人だし)」
根拠はないが信憑性はある気がする。
リゼルは小さく笑みを浮かべ、古物商について語る三人の会話に耳を傾ける。
誰もネガティブな感情を抱いていないようなので、先の推論も大きく外れてはいなさそうだ。
「それで、話は通してもらえそうかな」
会話がひと段落したところで、老紳士の視線がリゼルを見た。
物腰の柔らかいイメージに違わない微笑みが、目じりの皺を深めてより彼を温和に見せる。
膨大な経験を経てきたからこその知性的な瞳は、決して強要も期待も映さずに凪いでいた。
リゼルは指先でカップの持ち手をゆっくりとなぞり、微笑みを返す。
「話を通すだけなら。インサイさんに怒られそうですけど」
「安心しなさい。彼の文句は間違いなくすべて私に向くだろうから」
「受けるかどうかはジャッジ君の判断に任せます」
「当然だ。断られたら諦めるよ」
それなら手紙の一枚や二枚、どうということはない。
普段からやりとりしている手紙に一筆添えるだけでいいし、もしくは王都に顔を出してもいい。
受けるにしろ受けないにしろ、話を通した後はジャッジが直接やり取りするだろう。
やや変則的ではあるが商談なので、それ以降はリゼルにできることはない。ジャッジの本領だ。
「そういえば、直接ジャッジ君には頼まないんですか?」
「ああ、彼は……」
老紳士はふと言葉を切り、そして少しばかり悪戯っぽく目元を細めてみせる。
「私のことが、どうやら苦手なようだから」
リゼルも苦笑した。残念ながら、否定を口に出すことはできない。
途端に老輩が揶揄い始めるのを、リゼルと老婦人はのんびりと紅茶を味わいながら眺めていた。
そうして四人で、ややスケールが大きい日常会話を楽しんでいた時だ。
ふいに宿の玄関からノックの音がして、老輩が立ち上がって応対に出る。
「お客様かしら」
「それなら君が出たほうが良いんじゃないかな」
「そんなこともないのよ。確かにあの人は初めて会った方に萎縮させてしまうことが多いけど、気を許してもらうのも早いの。昔から人懐こい人なのよね」
「あの男をそんな風に言えるのは君だけだよ」
なんとなく分かるなと、リゼルはこれまでに出会った冒険者を思い出してみる。
とにかく彼らは威圧的だ。武器防具がなくとも、鍛えられた体格と荒っぽい態度で、あまり好印象は望めない。子供が近づこうとするとそっと止める親は多いだろう。
確かに印象どおり、タチの悪い冒険者は存在する。
だが大半は、荒々しさを自覚していないだけの悪意なき荒くれ者だ。普通の人間が笑みを向けるような感覚でガンを飛ばし、口論を行うように殴り合い、おしゃれを楽しむように己の力を誇っている。
つまりは庇いようもなく乱暴者なのだが、コミュニケーションの取り方が違うだけで、相手が非冒険者であっても交流を拒んでいる訳ではない。でなければ毎晩毎晩、知った顔や知らない顔の冒険者同士で大盛り上がりしないだろう。
むしろ誰が相手でも臆さず話すので、そういった意味ではコミュニケーション力が高いとも言える。よって実際に接すると「意外といい人」と安堵されることも多かった。
もちろん、人同士の相性にもよるのだが。荒っぽい相手が苦手な相手には普通に避けられる。
「ジルさんとイレヴンさんもそうよね」
「そうですね。依頼人の方に過度に怯えられるっていうことはないです」
「依頼ではそうだろう。もともと冒険者を必要としているんだから」
「依頼以外だと、そういうのはイレヴンが得意ですね。甘え上手で」
とにかく相手の懐に入るのが上手い。
自分の我儘がどこまで許されるかも把握しているので、好き放題しているように見えて悪印象を抱かせないのだ。その代わり、悪印象を抱かれても構わない相手には本気で好き勝手するのだが。
「俺にはできない距離の詰め方で、憧れます」
「そうよね、私もなの。ないものねだりって分かっていても羨ましいわよね」
「あれは馴れ馴れしいと紙一重だからね。私は君たちのほうが好ましいよ」
そんなことを話していると、老輩が戻ってきた。
後ろには一人の客人の姿がある。リゼルには見覚えがないが、宿の客でもないようだった。
「おう、お前んとこのだろ」
「ああ。何かあったかな」
どうやら老紳士の部下らしい。恐らく情報屋のほうを担当しているのだろう。
促された客人は、老婦人とリゼルにも丁寧に礼をとってから、静かに老紳士へと歩み寄る。
そしてその耳元に何かを伝えた。潜められた声、隠された口元、何を言ったのかは分からない。
老紳士がゆっくりと頷いた。
「分かった。有難う、また何かあったら教えてくれるかな」
客人は深く礼をとり、そして一切場を乱すことなく去って行った。
「なんだ、仕事か?」
「いいや、大いに関係はあるが」
老紳士は一度言葉を切り、平静のままに続きを口にする。
「王都に大侵攻が向かっているそうだ」
「あ?」
誰も何も言わなかった。
絶句してた訳ではない。誰もが思考を巡らせ、一の情報から十を得ようとしているのだ。
やがて真っ先に口を開いたのは、苦虫を嚙み潰したような顔をした老輩だった。
「あり得ねぇ」
「つまりは人為的だ」
老輩が言葉を継き、リゼルが意見を重ねる。
「支配者さんは違います」
「前例をなぞるだけだもの。知識があれば誰でもできるわ」
老婦人がそれに同意し、予測を広げていく。
支配者は、同じ実験を二度も行うような真似をしない。無駄だと吐き捨てるだけだ。
だが方法は確立してしまった。厳密に秘匿されているが、予測を立てようと思えば立てられる。
新たな発見というのはそういうものだ。道なき道に行路を敷けば、いずれ後追いが現れる。
それを危惧して、前回の大侵攻が人為的なものだという事実は伏せられていたのだが。
「マルケイドの誰かですね」
幾つかの仮説を立ててから、もっとも信憑性が高いものをリゼルは口にした。
「この短期間で再現できたのは、実際に現場にいたからでしょう」
「当時マルケイドにいた学者、および魔法使いのリストを作らせよう」
「支配者さんと同じ方法をとったなら、かなりの資金もかかるはずです」
「ああ、ならば相応の資産を持つ者と、その動きについてもだ。これについては間に合うか分からないが、どちらにしろ後々必要となるだろうからね。用意でき次第、サルスに共有しておこう」
事もなげに口にする老紳士に、リゼルは苦笑する。
こういった形でマルケイドに介入されるのを、インサイは勿論、シャドウも好まないだろう。だが老紳士ならば上手く立ち回り、マルケイドへの利を示すことで敵対を回避するだろうか。
生粋の商人同士ということもあり、シャドウと相性は悪くなさそうだというのもある。
「お爺さまとお婆さまは王都に?」
「行きてぇけどな」
「サルスから招集がかかると思うの」
普段の好戦的な姿とは異なり、二人は様子見に留まるようだ。
王都には老夫婦の娘がいる。大国の首都だからこそ脅威に対抗する術を持つが、それがどれほど頑強なものであっても心配が消えることはないだろう。
だが二人は、一切の不安を抱かないままはっきりと告げる。
「王都には冒険者も多いのだし、任せちゃうわ」
「今の奴らが生っちょろいとか思ったことねぇしな」
とはいえ、万が一にも王都が壊滅の危機に陥れば駆けつけるのだろうが。
引退していようが二人の実力は高い。現役のSランクと遜色のない働きが見られるだろう。
「じゃあギルドに行くのは俺たちだけですね」
リゼルは微笑んで立ち上がる。
裏庭に面した窓に歩み寄り、風が流れ込んでくるそこから顔を出した。
見下ろせば、紫煙を燻らせるジルが怪訝な顔をしてこちらを見上げている。
「ジル、王都に出発の準備を」
軽く煙を吐きながら、ジルは煙草を押し潰す。
「精鋭さんは……あれ」
「あ、どうも」
中庭のジルとは真反対の、窓外の柵に隠れるようにして精鋭がいた。
長い前髪で両目を隠した男もまた、しゃがんで煙草を吸っていた。見られるつもりはなかったのだろうか、立ち上がりながらも隠すように煙草を握りこんだ仕草は手慣れており、熱さなど感じていないようだった。
老紳士が来たからには近くにいそうだなと思っていたが、リラックスしていたようで何よりだ。
ただイレヴンは煙草を吸わない。吸えはするようだし、好きか嫌いかと言ったら「嫌いじゃない」らしいが、とにかく匂いがつくのが嫌なようだ。その点において、イレヴンがジルに本気で文句をつけたところは見たことがないので、他人のものは気にならないのかもしれない。
とはいえ精鋭が、今日はイレヴンに会う予定がなかったからこそ嗜んでいたなら問題だ。
リゼルは彼に向かって強風を起こし、紫煙の残滓を薄れさせながらも告げる。
「イレヴンに大橋で集合って伝えてください」
「了解です」
すでにジルが去った中庭から、精鋭も姿を消す。
ジルは何をするにも準備が早いので、すぐに顔を出すはずだ。
それまでに済ませておくべきことは、あと一つ。リゼルは老紳士を振り返った。
「何か入用かな」
「ジャッジ君への仲介代、先払いでいただいても良いですか?」
然して悩むことなく、快く頷いてくれた彼に礼を告げる。
そしてリゼルは老夫婦に和やかに送り出され、ジルと共に宿を出たのだった。
冒険者ギルドへの道中、急ぐでもなく歩きながらジルが問いかける。
「で」
「王都に大侵攻が進行中です」
「あ?」
あっさりと告げたリゼルに、ジルは明確に顔を顰めてみせた。
信じがたいというよりは、理解の及ぶ範囲にないといった反応だ。
「今言えるのは九十パーセント人為的、あと支配者さん以外が犯人くらいです」
「残り十パーは何なんだよ」
「そこはほら、迷宮なので」
迷宮相手なので九十九パーセントまでは上がりきらないのがポイントだ。
とはいえ王都に迫りつつある大侵攻が、迷宮由来のものかはまだ分からないが。
「わざわざ王都狙うのが分かんねぇな」
「このあたりでは抜群に守りが堅いですしね」
それこそマルケイドと比べても圧倒的に防衛力が高いのだ。
大侵攻をすべて思いのままに操る真似は支配者にもできなかった。よって偶然、たまたま、狙えるのが王都しかなかったという可能性もなくはない。
だが支配者がマルケイドを落とせなかったと知りながらも、敢えて更に上を狙う理由があるとするならば――。
「行動理念には支配者さんがいるのかも」
「趣味が悪ぃな」
支配者を上回りたいのか、それとも自らを売り込みたいのか。
主犯ではないとはいえ、支配者が無関係だとはどうしても思えない。
「にしてもここの奴らは気づいてねぇのか」
「そろそろだとは思いますけど」
ふいにジルが、和やかに会話をしながらすれ違う人々を視線で追う。
リゼルが先んじて情報を得られたのも、老紳士がいたからだ。交易にも手を出している商人は情勢の把握が命。特に王都という大国の首都を、これから何日か商売相手にできないとなれば先手で対応する必要があるだろう。
よって、火急に持ち込まれた情報のお零れに預かったに過ぎなかった。
とはいえ大侵攻というのは本来、隠された秘密でもなければ、言うまでもなく大規模なものだ。老紳士率いる“蜘蛛”でなくとも、情報収集が日課になっている者であれば間違いなく察知できるだろうと思われるので。
「ああ、ほら」
水路を伝い、どこからか鈴の音が鳴り響く。
水底を転がるような優しい音。普段は時を知らせるためのそれが、絶え間なく鳴り続ける。
何らかの非常事態を知らせるものだ。道を行き交う人々が、不安そうに顔を見合わせていた。
「サルスの警報ですよ」
「これ聞いたらギルドに集まれっつってたな」
ほぼすべての国で、定められたエマージェンシーコールがある。
これはギルド規定の最重要項目にも載っており、職員にも説明の義務がある。よって大抵の冒険者は、拠点を移した先の冒険者ギルドで真っ先に説明を受けるのだ。
よって「聞いていない」は通用しない。ひと言でも零そうものなら即座に職員にキレられる。
「カヴァーナでは鳴りませんでしたね」
「隣つっても距離あったからだろ」
「確かに、あそこは巻き込まれる可能性はなかったですし」
とにかくサルスは王都に近い。
何だったら同国のマルケイドやカヴァーナよりもよっぽど近いので、警戒度が上がるのだろう。
王都に向かう魔物の群れが、幾らかこちらに流れてきてもおかしくはなかった。
「ということは、ギルドに集まってもサルスの防衛に当てられるんでしょうか」
「王都行きてぇの」
「勿論です。ジャッジ君とスタッド君が心配ですし」
ようやく薄れていく鈴の音を聞きながら、リゼルは微笑んで頷いた。
マルケイドの時は行かない選択肢もあったが、今回は違う。二人ならば有事にもしっかりと動けるだろうと信頼はしているが、それが手を貸さない理由にはならない。
「何人かは送るだろ」
「他国ですし要請がないと出られない、とかないですか?」
「兵隊ならともかく冒険者だしな」
「影響力の大きい独立した組織は厄介者なのに、上手くやってますよね」
国の方針と重ならない、という部分が大きいか。
国民一人一人から困りごとを引き受けるという、地域密着かつ分かりやすい社会貢献を行うのが冒険者ギルドだ。国が担うべき治安維持や経済政策には関与せず、また組織とはいえ実際に動くのは冒険者個人であるので、勢力的に大きいとは言い切れないというのもあるだろう。
そもそも国から国へと流れていくのが冒険者。大侵攻が相手でもなければ団結しようもない。
「急ぎてぇなら直行すりゃいいだろ」
「今回は馬がないじゃないですか」
「あー……馬車も押さえられてそうだしな」
「ギルドの動きは早そうですしね」
場合によっては王都のみならずサルスも危機に直面する。
輸送関連は真っ先に各ギルド、もしくは国に確保されるだろう。個人での手配は難しい。
そうなるとやはり、冒険者ギルドに先遣隊として手配してもらうのは一番早いだろう。
もしくはあと一つ、リゼルとしては思い浮かぶ手もあるのだが、かなりの無理を通す必要があるので除外している。流石に他国の軍人を、任務中に足代わりにするのは憚られるので――、
「ああ、リゼル君ちょうど良かった。現状は分かってるよね。魔鳥騎兵に同行して王都行こう」
「はい、ぜひ」
どうやら無理を通したらしいヒスイに、開口一番つめ寄られた。そして頷いた。
リゼルとジルが冒険者ギルドに到着した直後のことだった。初動が早かった分だけ早めに出発できたりするかも、なんて話しながら扉を開けたら、ちょうど出るところだったヒスイと遭遇したのだ。
王都には彼の敬愛する“リーダー”と“姉さん”がいる。
気が気でないだろうと予想はしていたが、限界を突破した行動力をすでに発揮していたらしい。
「頷くのかよ」
「俺たちも急げるなら急ぎたいじゃないですか」
リゼルたちは、荒々しく冒険者ギルドを後にするヒスイに続く。
「獣人は?」
「大橋で待ち合わせ予定です」
「うん、いいね。もう一人は?」
「クァトですか? 彼には正規の順序で来てもらったほうが良いかと思って」
つまりは冒険者ギルドの指揮下に入り、そのうえで援軍として王都に派遣されるということだ。
そんなことを考えていたのかと、呆れた視線がジルから寄こされる。
「じゃあ俺らは非正規じゃねぇか」
「そんなことないよ。ギルドの許可は貰ってるから」
「黙って行かないのが流石はSランクですよね」
「行ってもいいけどね、ちょっと時間ありそうだったから」
恐らく魔鳥騎兵の出発までに、ということだろう。
アスタルニアはそもそも王都の同盟国。危機下において軍を派遣することもあるだろう。
だがそれは王都からの要請があってこそ。大侵攻が観測されたのは、つい先ほどだ。よってサルスに駐在している外交官兼王子に対してでさえ、要請が届いているとは思えない。
ならば、とリゼルは口を開く。
「要請を“受けに行く”んですね」
「そう。王都からの使者を待つより早いからね」
頷くヒスイに、ジルが怪訝な顔をしながら告げる。
「王都が援軍要請するかは分かんねぇだろ」
「それはそうだけど、あいつらが黙ってられると思う?」
つまりは魔鳥騎兵団、およびその上にいる外交担当の王子が「行くべきだ」と判断したのだ。
要請があろうがなかろうが関係ない。同盟国に危険が迫っている今、手を差し伸べられる距離にいながら、それをしないというほうが耐えがたい。そういう人間が、アスタルニア軍には集まっている。
だが余計な真似はするまいという意識はあるし、国交関係においては要請が必須だという認識もある。よって「要請を確認でき次第動けるように備えておこう」ではなく「こっちから要請を貰いに行ってやれ」という発想になったようだ。
「アスタルニアらしいですね」
「善人ではあんだろうけどな」
「やってること狂戦士だよね」
だがそれこそ都合が良い、とヒスイは語る。
「上から冒険者ギルドに大侵攻の警告が来た時、ちょうどギルドにいたんだけどすぐに騎兵団の野営地に行って。そうしたらちょうど外交官がいて、要請貰いに行ったほうが早いんじゃないかみたいな会話してたから、一緒に連れてってもらえるように頼んできた」
ヒスイはその外交官がアスタルニアの王子だとは知らない。
だがやけに良い身なりをした(ヒスイ基準で)非常にいけ好かない男がいたので、騎兵団の決定権を持つ人間だろうと突撃したのだ。野営地の外から大声でナハスを呼んでの強行突破だった。
「よく許可を貰えましたね」
リゼルが感心したように告げる。
有事においての軍の動きに配慮できてしまうからこそ、リゼルにはとれなかった一手だった。
「すっごいアピールしたからね」
「それで何とかなんのかよ」
「何とかしないとどうにもならないでしょ。外交官は大笑いしてたけど許可くれたし」
「魔鳥車で少し速度が落ちても、馬を走らせるより格段に速いですしね」
ちなみにヒスイは本当にアピールを頑張った。
Sランクの弓使いがいれば空での会敵は問題ない。遠距離から打ち落とせる。
王都に到着後、警戒されるだろう魔鳥の擁護ができる。何故なら信用あるSランクだから。
また王都防衛においても早期にSランクが先行して指揮をとったほうが都合が良い。
更に必要であればすぐに騎兵たちを上層部に繋げられるだけのツテがSランクにはある。等々。
二十回くらい“Sランク”を使ったあたりで大笑いされた――もとい許可が出た。はたまた出させたともいう。普段はあまりSランク扱いを好まないヒスイの本気を見た。
「多少スピードが落ちる以上のメリットは提示できるつもりだし」
「リーダーさんたち、お元気だと良いですね」
「うん」
つい先日まで現役だった元Sランク冒険者たちだ。
ヒスイも魔物の脅威は大して心配していない。彼が急いているのは憤っているからだろう。過酷な冒険者業から身を引いて、心を結んだパートナーと穏やかな暮らしを送っている大切な人たち。そんな彼らの暮らしを脅かそうとする存在のことを許せないのだ。
ヒスイもきっと、今回の大侵攻が自然発生したものではないと勘づいている。
「魔鳥車出してくれるって聞いた時、リゼル君たちのこと思い出したよ」
「戦力になれるよう頑張りますね」
「うん。一刀も遠慮せず魔物全滅してくれていいから」
「てめぇらも働け」
「そういえば、ヒスイさんのパーティは?」
「野営地の近くで待ってる」
そうして三人が野営地に向かって急ぎ歩くこと暫く。
目的地の手前にある大橋では、赤い髪をしならせたイレヴンが大きく手を振っていた。




