182:のんびりタイムのち
海賊船の出現による興奮が冷めやらぬ翌日、その昼下がり。
リゼルは一人、のんびりと冒険者ギルドを訪れていた。
「お早い情報提供ありがとうございまぁす」
「一生懸命頼まれたので」
可笑しげに微笑むリゼルに、職員は完璧に作り上げた接客スマイルのまま一瞬固まった。
先日、見事に海賊たちの悲願を果たして帰還したリゼルたちを出迎えたのは大歓迎のギルド職員シスターズ。あの段階ではどの冒険者によって海賊船が消えたのかも定かでないはずなのに、彼女たちは真っ先にリゼルたちに駆け寄ったかと思えば深夜の飲み屋もかくやという盛り上がりを見せていた。
具体的に言えば、囲まれてひたすら称賛を浴びせられた。およそ冒険者に向けるものではない称賛もあったが、ジルが露骨に嫌そうな顔をする横でリゼルとイレヴンは素直にそれらを受け取っていた。
ちなみに研究者らも数人駆け寄ってきていた。何を聞きたかったのか大興奮だったが、姉妹たちの勢いに完全に跳ね飛ばされていたのをリゼルは密かに目撃している。見覚えのない白衣姿だったので、今度教授に本を借りに行った時にでも探してみようかと検討中だ。
「あれほど喜んでもらえるなんて思いませんでした」
「お疲れのところ大変失礼いたしましたぁ」
「いえ、嬉しかったですよ。海賊船の踏破はギルドにとって特別なんですか?」
「特別と言いますかぁ……」
うろ、と職員の視線が流れる。
訪れる冒険者も少ない昼のギルド。仕事にも余裕があり、他の職員たちは何人もリゼルたちの会話に耳を澄ましている。そんな姉たちの反応を窺い、話題的にNGではないと判断した職員が言葉を続けた。
「以前、余所の職員にこれでもかというほど踏破自慢されましてぇ」
「職員が冒険者の自慢をするんですか?」
「いえ、その……俺が育てたと、そういった系統のぉ」
「ああ」
リゼルは納得して頷いた。
職員がこれほど言いよどむということは、発言者は冗談でもなく自分本位な自慢話を披露したのだろう。その程度ならば笑って躱せそうな職員たちなので、それに加えて的外れな説教でもされたか、それとも優秀をはき違えた相手に身内を扱き下ろされたのか。
よほど嫌味な言い方をされた、あるいは今も度々されているのだろう。
「皆様には申し訳ないですが、これで何を聞いても内心で大笑いして流せるなと……」
「流すだけで良いんですか?」
「え?」
笑みのまま不思議そうに顔を上げた職員に、リゼルは何てことなさそうに告げる。
「一刀のパーティはうちが育てた、そう言ってもらっても頷いてあげられますよ」
「……お気持ちだけ大変有難く頂戴いたしまぁす!」
満面の笑みで遠慮されてしまった。
世話になっているのだから面子争いのネタにくらい使ってもらって良いのに、そう思ったが、確かに同じことをやり返してばかりは芸もなければ品もない。彼女たちならば上手くやるだろう、とリゼルは先日思い浮かべたばかりのスタッドを思う。
スタッドも何だかんだ上手く流す職員だ。流すというより、職務に関係のない嫌味に一切関心を示さないといったほうが正しいか。相手が喋っている最中だろうが普通に立ち去る。
「それで本日の情報提供ですが、魔物と迷宮内の地図について伺いたいと思いましてぇ」
「はい」
「もちろん可能な限りで結構ですのでぇ」
恒例の文言を添えたというより、敢えてそこを強調するような言い方だった。
過去の海賊船の情報提供で何かあったのだろうか、とリゼルは問いかける。
「可能な限り、というと」
「あ、そこはですねぇ、冒険者ギルドに伝わる噂話と言いますか」
「噂、ですか?」
「何せうちから踏破者が出たことがないもので確証はなく……ただ、海賊船については踏破者が敢えて口を噤む情報がある、という噂がどこのギルドにもございましてぇ」
リゼルは感心したように一度だけ目を瞬かせた。
確かに、酷く特殊な迷宮だ。昨晩に老輩から齎された衝撃の事実を思うに、踏破までの流れは誰がいつ潜ろうが然して変わらないのだろう。勿論これが正解という攻略法がある訳ではない。よって例えば、船長に会わずにボスと邂逅して勝利したパーティもいるはずだ。
それでも知っていれば随分と有利になる。そういった情報が多々ある迷宮だ。
だがジルやイレヴンの耳にも入っていない。それは確かに、かつての踏破者が意図的に情報を秘匿している証拠に他ならない。
「とはいえ、そもそも情報が集まりにくい迷宮なのでぇ。毎度同じ国に出てくれる訳ではないですし、実際に前回も前々回もサルスには現れなかったので、少しでも情報をいただければそれだけで有難いです」
「他の冒険者の方からも情報提供があるんですよね」
「ええ、昨日はそれに追われておりましたぁ」
情報提供は冒険者にとって良い小遣い稼ぎだ。
既存の迷宮で新規の情報というのは今やほとんど存在しない。よって今回、イレギュラーな迷宮が現れたことで誰もが奮起した。ああいう魔物がいた、こういう魔物がいた、どういう行動をしてこういう異能を持っていた。はたまた見たことのない罠に嵌ったなどなど。
これまでの積み重ねもあるので、全ての情報に価値がつく訳ではないのだが。
「皆さんイカ?……を片手にいらっしゃったのは驚きましたがぁ」
「あ、失礼しました」
「いえいえいえ大変貴重な経験になりましたぁ」
リゼルは安堵した。
何を隠そう、そのイカ(?)を提供したのがリゼルパーティだからだ。
言うまでもなくボスの切り身。大人が両手を回してようやく抱えきれるようなゲソの先っぽ。ボス討伐に協力してくれた冒険者たちに何か礼を、そう考えたリゼルがご馳走しようと考えたものこそ見た目イカであるボスの足だった。
ちなみに他国の冒険者には、今度会うことがあれば一杯おごるよと伝声管で伝えている。
果たしてジルとイレヴンを引き連れたリゼル相手に「海賊船の時の貸しでおごってくれ」と面と向かって言える者がいるのかは謎だ。証拠に、大抵の冒険者はそれを冗談と受け取って笑っていた。
「素材として持ち帰れるかは賭けだったんですけど、何とかなりました」
「冒険者の皆さんはよく迷宮の魔物に対してそうおっしゃいますよねぇ」
素材判定されている箇所以外を持ち帰ろうとすると消える、それこそが迷宮仕様。
リゼルも半ば駄目元でゲソを切り取ったのだが見事にセーフ。空気を読んでもらえたのか、元々そういう仕様だったのかは分からない。だが見事に魔力となって消えることなく持ち帰ることに成功した。
「冒険者さんたち、喜んでくれてましたか?」
「勿論です、最初は無言で巨大ゲソを眺めておりましたが、ひとまず焼いて食べようと動き出してからは大盛り上がりでしたよぉ。ご近所の酒場に持ち込んで焼かせる、勝手にお酒を持ち出してくる、問答無用で料理人を引っ張ってきて捌かせる、昨夜は桟橋の近辺がイカパーティーで大盛り上がりでしたぁ」
ご近所の酒場にそれなりの影響があったことは分かった。
とはいえイカパーティーは冒険者や近所の住民が入り乱れての大盛り上がりだったという。そもそも冒険者だけで食べきれる量ではないので当然だ。酒場からは途切れぬ客に嬉しい悲鳴が上がったと思えば、悪いばかりの影響ではなかったのだろう。そう考えることにする。
「ただ、味は普通でしたよね」
「私もご馳走になりましたが美味しかったですよぉ。何故かタコ疑惑もありましたが」
「なんていうんでしょう。美味しいんですけど魔物肉的な美味しさとは……」
「確かに、敷居の高いレストランで出される魔物肉は格別だって言いますねぇ」
感心したように告げる職員に、そういうものなのかとリゼルは首を傾ける。
魔物肉の全てが全て、他の追随を許さぬ美味しさを持つとは言わない。なにせジルが野営の時に狩ってくるのも魔物肉、それも焼いて塩を振っただけで十分に美味しいが美食の域には至らない。
だがリゼルがこれまでに口にした魔物肉、とりわけきちんと調理されたものは別格だった。
「もしかしたら特別な調理法があるのかもしれませんね」
「特別と申しますと?」
「アスタルニアでは、鎧王鮫っていう魔物の捌き方が漁師に伝わってました」
「漁師に、っていうのも不思議な気もしますがぁ」
「いえ、あれは冒険者じゃ無理ですよ。魚の専門家じゃないと」
「ぜひ見てみたいところですが、サルスでは無理そうですねぇ」
穏やかな昼下がり、両者共に雑談を交わすような雰囲気で言葉を交わす。
これで職員が鎧王鮫のことを知っていればこんな空気を保ってはいられなかっただろうが、アスタルニアの迷宮固有種だったお陰でそうならずに済んだ。流石のギルド職員も他国にしかいない魔物のことなど把握していない。
「インサイさん……ああ、知人の商人なんですけど、彼にご馳走になった魔物料理も美味しかったですし」
「調理法が出回れば、私たちも家で美味しく食べられるかもしれませんねぇ」
「とはいえ技術は職人の財産ですし」
「出回りませんよねぇ。そもそも魔物肉の確保にコストがかかりますし」
今すごい名前が出なかったか、と職員の後ろを通りがかった姉の一人が二度見していく。
商業ギルドに恋人を持つ彼女は何度かその名を耳にしていた。曰く、ここら一帯の物流を牛耳るすっごい爺さんがいるのだと。それが確か、リゼルが口にしたインサイという名ではなかったか。
彼女は途方に暮れながらも、何も知らずリゼルと微笑ましげにトークを交わす妹へと称賛を送った。無知は時に己の身を守るものだ。しみじみとそれを実感しながら去っていく。
「あのイカも、アスタルニアに持ち込めばもっと美味しくなったかもしれないですね」
「イ、カを持ち帰ろうという冒険者が過去にいれば、そうですねぇ……」
「強制退去が早かったので、足先を持ち帰るので精一杯でした」
「あ、ということはボス素材もなかった……ということでしょうかぁ?」
姉の感慨も露知らず、職員は少しばかり控えめに問いかけた。
情報を出し惜しむ冒険者などいないが、それでも情報提供は義務ではない。何をどう提供するのかは冒険者に一任されているので、望まぬ情報を引き出してしまったかもしれないと慎重になっているのだ。
それを察して、リゼルも気にしていないと言うように優しく告げる。
「いえ、他にもありましたよ。倒したらイカの船部分から宝箱が転がり出てきて」
「イカの船部分から??」
職員はボスの姿を“でかいイカもどき”としか聞いていなかった。
「ボスの見た目が船とイカのミックスだったんです」
「そんなサルスイヌとパルテダイヌのミックスみたいに言われましてもぉ……」
「その宝箱から瓶詰のイカ墨が三つと、イカの目玉が二つ出てきました」
「イカ墨と目玉が……」
リゼルがポーチの中からそれらを取り出し、ギルドの机の上に並べる。
一つはまるで高級なオリーブオイルを入れるような瓶。ただし中身は黒く、イレヴンが匂いを嗅いでイカ墨だと断定済み。一人一瓶で分けたので、リゼルが取り出したのは一瓶のみ。
もう一つは硬質なイカの目玉。というより、イカの目の水晶体が魔石化したものだった。
黒くて丸い水晶体は、それだけでは目玉らしい不気味さがないのが救いか。これが何故目玉だと分かったのかは、宝箱の中で眼球を模したクッションに包まれていたからだ。
こちらは二つともリゼルが預かっている。なんか持っていたくない、という意見がジルたちから出たからだ。
「この目玉、触るとちょっと柔らかいんですよ。多分腐りはしないと思うんですけど」
「おぁぁ……さ、触り心地……」
「宿のお婆様に聞いたら、イカ墨は食用にもなるみたいです」
「いかにも最高級ですし、然るべきところに売れば高値がつきそうですねぇ……」
営業スマイルを崩し、真顔でボスの目玉のミニチュアをつつく職員にリゼルは微笑ましげだ。
魔石の細かい性質までは分からないが、今度ジャッジにでも聞いてみれば良いだろう。その時に、イカ墨をプレゼントしても良いかもしれない。彼ならば至高の一品を作り上げてくれるはずだ。
「ただ、踏破報酬はなかったです」
「それは少し残念でしたねぇ」
「いえ、面白い経験がたくさんできたので」
「その経験っていうのはぁ……」
過去の冒険者が口を噤んできた秘密が分かるのでは、と職員の完璧な笑みに少しばかりの素が交じる。未知の冒険に心躍らせる子供のような笑みだった。
マルケイドの彼女しかり、アスタルニアの彼しかり、やはりギルド職員というのはこういった冒険の一端に心惹かれてしまうものなのだろう。スタッドは例外だが。
「そうですね」
期待にわずかに輝いた目を見つめ、リゼルはそれを口にした。
「秘密です」
「や……っぱり、ですかぁ?」
辛うじて笑みを保った、そんな残念そうな職員の姿にリゼルは苦笑する。
先人に倣った、という訳ではない。ただ、先人の気持ちは酷く理解できた。確かに同じ攻略法が通用するならば、踏破者のもたらす情報で攻略はかなり容易になるだろう。
当然実力は求められるが、それは言うまでもなく大前提だ。逆に言えば、そこさえクリアしているのなら誰もが踏破に手が届くかもしれない。
けれど、それでは“つまらない”。
「やっぱりロマンは大事なので」
「ロマンですかぁ」
「それに、自分たちなりの攻略が一番楽しいと思います」
やや言い訳じみた。
それに気付かず曖昧に頷く職員に、リゼルは改めて微笑んでみせる。
「ただ、地図については提供できますよ」
「ぜひお願いいたしまぁす!」
そして職員は、一階層から順に事細かに描かれていく地図に笑顔を消した。
隠し通路などを除いた迷宮“海賊船”の地図、そして船内をうろつく魔物の情報をリゼルは提供した。とはいえ魔物については既存の情報に付け足す程度であり、その補足も僅かなもの。連綿と綴られてきた魔物図鑑の情報量は流石の一言だ。
リゼルはスケルトンの衣装パターンも提供しようとしたが、それほどページを割けないという理由で断られた。魔物研究家には喜ばれそうなのだが、残念ながら冒険者からの需要はないようだ。
「(確かに、スケルトンは他と比べてもページ数が多いし)」
リゼルは情報提供の後、ギルドでのんびりと魔物図鑑のページを捲っていた。
相変わらず時間がある時に順に目を通している魔物図鑑だが、サルスのものは内容がやや詳細ということもあり冊数も多い。まだすべてに目を通すには至らず、だがリゼルは喜びこそすれ残念に思わない。
使用武器ごとにページを与えられているスケルトンの情報も、他国のものと比較しながら楽しく読み込んでいた。
その途中、一人の冒険者がギルドに姿を現した。
「……おう、助教授さん。昨日はご馳走さん」
「全て食べきれましたか?」
「深夜前にはなくなってたよ」
冒険者装備も身につけず、いかにもくたびれた様子の冒険者に声をかけられる。
腫れぼったい瞼に、眠たそうに零される大欠伸。言葉どおりに昨日は深夜まで、あるいは深夜を過ぎても続いた酒盛りに、今になってようやく活動を始めた二日酔い患者だろう。
暇つぶしにぶらついて、ついでに依頼でも覗いていくかとギルドに立ち寄ったようだ。
「……情報提供終わってんのか」
「はい、ついさっき」
「あ゛ー……なんか残ってねぇかな……」
ぶつくさ言いながら受付へ向かう冒険者に、リゼルも読書へと戻る。
情報提供で小遣い稼ぎ、どうやらそういう思惑もあったようだ。リゼルとて船内の隅々まで歩いた訳ではないので、まだまだ加えるべき情報は残っているだろう。リゼルもまた、過去の海賊船で作られた地図や、抜け目なく昨日中に持ち込まれた情報に足していったのだから。
あらゆるパーティから持ち込まれた断片的な地図を、整理して繋ぎ合わせて補足して。そうして整えた地図は職員に非常に感謝された。
「(俺たちじゃ気付かなかった道もあったな)」
視線で文字を追いながら思案する。
あんな道をどうやって見つけたのだろう。そう気になる箇所もあったが、答え合わせに向かえるのは果たして何年後か。昨晩の老輩の言葉を思うに、それは間違いなく望み薄だろう。
「(ジルが潜ったことなかったっていうくらいだから……)」
そう思いかけた時だ。
「あ」
「クァト」
ひょこりとギルドに現れたクァトの声に、リゼルも読書を中断して顔を上げる。
迷わず歩み寄ってくる姿は恐らく依頼帰り。断言できないのは、彼が何も持たずに歩いているからだ。クァトはインサイという伝手を通じ、空間魔法付きの容れ物を手に入れていた。
まるで散歩中のような姿だった。ジルやイレヴンと違って武器もないものだから余計にそう見える。リゼルはそこまで考えてふと、それは自分もだなと初めて自覚して考え込む。
初見のギルドでいまだに依頼人と間違われるのは、そういった事情もあるのかもしれない。真剣にそんなことを考えていた。
「何?」
「いえ、何でも」
不思議そうなクァトに、思考を中断して微笑んでみせる。
「依頼帰りですか?」
「違う、迷宮」
首を振ったクァトが、ふと不貞腐れたように視線を外す。
その理由を察してリゼルは苦笑した。さて、どこで話を聞きつけたのだろうか。
「海賊船……」
「タイミングが合いませんでしたね」
「船……」
「君は船が好きだから、残念ですね」
昨日は一日、宿でクァトを見なかった。
朝から、日を跨いだ今の今まで何処かの迷宮でも潜っていたのだろう。今は冒険者活動に夢中のクァトだ、夜も徹して遊びに出ていたとは考えづらい。恐らく、攻略しかけの迷宮に一直線で向かったために海賊船の情報を聞き逃したのだ。
肩を落とすクァトに、リゼルは慰めるように向かいの椅子を勧めた。
「うう」
脱力するようにテーブルに懐く姿に思わず笑みが零れる。
「酔い止め、買う」
「次の機会を逃さないように?」
「ん」
向けられた旋毛をよしよしと撫でてやった。
クァトはされるがままになっている。その後ろを、先程言葉を交わした冒険者が投げやりな足取りで通り過ぎていった。どうやら情報提供は失敗したようだ。
それを見送っていると、鈍色の髪を撫でる手の下からふと、コッコッと小さな音が聞こえた。
「それは何て言ってるんですか?」
「……残念、悔しい、落ち込む、とか」
音は、クァトが舌を鳴らした音だ。
戦奴隷の一族は、ごく最近まで昔ながらの会話方法を用いていたという。それは舌を鳴らし、十指を使って交わされる言語。エルフ用いる生粋の古代言語のような力はなく、ただ会話するためのものなので、古代言語から現代語に移り変わるうちの何処かの言語なのだろう。
「また、出てた」
「馴染みのある話し方なら自然なことですよ」
「んん……」
再会してから、ふとした瞬間にクァトはそれを零すようになった。
無意識に出てしまうのが本人としては不本意らしい。なんとなく気恥ずかしいようだ。里帰りしたら暫くは地元の方言が後を引く、それと似たような感覚なのかもしれない。
「探せば、海賊船の絵ならあるのかも」
「絵?」
「桟橋の近くで何人か見た気がするので」
海賊船に一番近い桟橋、その近くにイーゼルを構えた姿があった気がする。
専業画家なのか、趣味の絵描きか。あるいはどちらも、恐らくこぞってやってきたはずだ。
湖に浮かぶ海賊船など絶好のモチーフ。恐らく見間違いということはないだろうし、見間違いだとしても他の場所に間違いなく画家という存在がいただろう。
「探す」
「見つかるといいですね」
「ん」
「あ、俺もご一緒していいですか?」
「一緒に、行く」
一日限りの迷宮の姿、もし気に入るものがあれば買い取るのも良いかもしれない。
そう考えて同行を提案したリゼルに、クァトが伏せていた頭を機嫌よく持ち上げた。それに可笑しそうに笑い、さて何処から探せば良いだろうかと思案する。あらゆる職人の集う北都はどうだろうか、いや、絵描きのアトリエは見たことがないので南都のほうが良いかもしれない。
「行く?」
「ギルドの用事はいいんですか?」
「んん、依頼、見にきただけ。……海賊船も」
地図や魔物やらの情報だけでも、と考えたのだろう。
クァトは里帰りを経て、最低限の読み書き計算を立派に身に着けて帰ってきた。戦奴隷の集落では数少ない、唯人の祖父から教えてもらったという。おかげで依頼を選ぶのにも困らない。
そもそも読み書きが苦手な冒険者など珍しいものではないのだ。メンバー募集の声はそこらへんにあるし、パーティを組んでいるなら得意な仲間に読んでもらえば良い。職員に「こんな依頼ある?」と声をかければ紹介もしてもらえるので、不自由を感じることもない。
「依頼、見ていきますか?」
「見る。良い?」
「良いですよ、どんな依頼にするんですか?」
「外の、討伐。……あと、四人の」
「はい、良いのがあれば一緒に行きましょうか」
二人は依頼ボードの前に立ち、ああでもないこうでもないと依頼を捜す。
クァトは最近、迷宮ではない討伐依頼に嵌っているようだ。迷宮ではどうしても立ち回りを制限されるが、迷宮外では好きに戦える。虱潰しに獲物を探し、平原に罠を仕掛け、森に誘い込み、戦闘面以外の技術が求められるのが楽しいらしい。
更には直接依頼人と顔を合わせることも多い。クァトも人懐っこい性格はしているが、黙っていると無機質な印象があるために取っ付きにくいと見られがち。また交渉事もまだまだ経験不足なのだが、苦手克服に余念がないのは良いことだろう。
ジルやイレヴンなど微塵も動こうとせずリゼルに丸投げする。
「だいぶ依頼の数が少ないですね」
「あんまり、良いの、ない」
「クァトにとって良い依頼っていうのはどういうのですか?」
「ランクが一個上、迷宮、魔物、報酬」
リゼルよりも余程しっかりとした依頼の選び方をしている。
「あと、依頼人」
「ですよね」
付け加えられた一言にやや影響が滲んでいたが。
とはいえ他の冒険者からも色々と学んでいるのだろう。良いことだと微笑んだリゼルが、良い依頼がなさそうなら絵画探しにでも行くかと提案しようとした時だ。
「あ」
ふと、クァトが一枚の依頼用紙に手を伸ばす。
「良いのがありましたか?」
「違う、けど、見たことある……見覚えが、ある?」
「あ、魔法学院からの依頼ですね。依頼人の方、クァトの知り合いですか?」
「そういうのは、違う。学院、あんまり、行ったことない」
ただ魔法学院という名前が目に留まっただけなのだろう。
だが依頼自体はそれなりに興味を惹かれるものらしく、真剣な顔で依頼内容に目を通している。まだ少し読み書きが苦手らしいクァトが目を通し終えるまで待ってから、リゼルは口を開いた。
「支配者さんの下についていた時は何処にいたんですか?」
「国の、外」
「ん、成程」
確かに、生きた魔物を用いた研究を国内ではできないだろう。
支配者は湖の外にも研究所を持っていたらしい。恐らく今は閉鎖されているだろうが。
「依頼、どうでした?」
「んん、なかなか。魔物素材の、サンプル採取」
「こういうのは出入りの商人から買えないですしね」
リゼルはクァトと共に顔を合わせた老紳士のことを思い出す。
彼も自らの商会が取り扱う商品を魔法学院に卸していると言っていた。だが魔物素材を取り扱うには冒険者の協力が必須、そうして素材の仲介をしようとすれば冒険者ギルドとの衝突は回避できない。手を出すにはリスクが高すぎるだろう。
とはいえ魔法学院を出入りする商人は多そうだ。掘り出し物的に魔物素材を扱う商人がいないとは言い切れないが。
「商人、学院で、露店する?」
「いえ、研究室を一つ一つ訪ねるんだと思いますよ」
リゼルは可笑しそうに笑い、そして。
「君の依頼みたいに良いサンプルがあるけどどうですか、って」
ふいに言葉を切った。
不思議そうな視線がクァトから向けられる。だがリゼルは思案するように視線を流し、片手を向けることで彼の質問を制した。少しの間、沈黙が落ちる。
それは受付の中にいるギルド職員たちが違和感を抱かない程度の微かな時間だった。考えに沈み込むように伏せられていたリゼルの瞳が、一度だけ瞬いてふとクァトを映す。
「君の予定、俺が貰っても?」
「いい」
依頼にも海賊船にも。微塵の未練も見せずにクァトが当たり前のように頷く。
それに対し、リゼルは褒めるように目元を緩めながらギルドを出るため歩き出した。




