174:防具職人はひっくり返った
昼食を詰め込んだ腹も落ち着き、そろそろ小腹も空いてくるおやつ時。
リゼル達は無事に依頼を終え、報酬を受け取ってギルドを出るところだった。近場の迷宮に向かっただけあって、なかなか早めにサルス国内へと戻って来られたのだ。
「おい、アレ寄越せ。人魚の目玉」
「どうぞ」
「それ何だったんだっけ。エレメント?」
「そうです、エレメントの核ですね」
「ニィサン何か新調すんの?」
「グローブ」
扉を潜りながら雑談を交わす。
リゼルは差し出されたジルの掌に、いつかジャッジに鑑定してもらったエレメント核を載せた。“人魚姫の洞”と名付けられた迷宮のボス素材だ。
三人の素材の扱いは欲しい者が貰っていく方式。三人共に誰に了承を得るでもなく好きに使うが、そうでなければ大抵はリゼルがひとまず受け取っておく。そして後から必要になれば今のように、互いに渡したり貰ったりしていた。
ちなみに何故リゼルが管理しているのかといえば、リーダーだからというよりは“何を持っているかを忘れない”という一点に尽きる。空間魔法は記憶力が頼りなのだ。
「ジルはグローブだけは時々変わりますね」
「縫い目緩むんだよ」
ん、と差し出された手をリゼルは歩きながら掴んだ。
表を見て、裏返して、指の股まで確認していればふいに小指側の側面が向けられた。よくよく見れば成程、きつく塞がれた縫い目が広がって微かに縫い糸が見えている。
最上級の素材を使って腕っこきの職人が作ろうが、やはり人知を超えた力を受け止めていれば綻びが顔を出すものなのだろう。何処の職人にエレメント核を持ってこいと言われたのかは知らないが、サルスでも装備を頼むに相応しい職人が見つかったのなら何よりだ。
リゼルは捕まえていた手を離し、ジルなりにサルスを堪能しているようで何よりだと頷いた。
「何処の工房ですか?」
「北の外れ」
「そういうのどうやって見つけんの?」
「勘」
露骨に返答を面倒くさがるジルに、イレヴンが不満も露に口元を歪めて天を仰ぐ。
その顔がわざとらしくも物言いたげに向けられ、リゼルも仕方なさそうに眉を落として微笑んでみせた。ジルは自分で「パーティを組んでから断然喋るようになった」と言うが、面倒になると割とすぐに流してくるのでソロ時代の口数はお察しだ。
「じゃあジルはあっちですね」
「ん」
「俺あっち」
「お出かけですか?」
「靴ほしー」
「じゃあ、また宿で」
水路にかかった橋の手前、十字に伸びた道の三方へ三人は別れていった。
リゼルはいつか見た水路図を脳裏に描きながら歩く。
目的地は近くの水門。各地区を隔てる水門の近くには、水路が広いというのもあってか一風変わった店が建つ。宿の老婦人曰く、今向かっている場所にも何やらサルスの名所らしい光景があるとか。
細い路地を右に曲がり左に曲がり、細い水路の小さな橋を渡って、再び迷路のような路地を通り抜ければ正面にズラリと並ぶ色とりどりの店舗。それらの小さな隙間からチラチラと見える水面を横目に、少しばかり歩調を速めて西区と南区を繋いでいる橋へと向かう。
そして馬車がすれ違えるほどに広い橋に足を踏み入れ、欄干に手を置いて水門の方角を見渡した。
「(ん、サルスっぽい)」
視界の両側を埋め尽くすのは水上テラス。
水上に張り出したそこには丸や四角のテーブルが置かれ、人々はせせらぎの上で思い思いに寛いでいた。茶菓子を嗜みながら、話に花を咲かせながら、水路を流れていく物売り船を横目に楽しそうに。物売り船も声をかけられては笑顔でテラスへと寄りつける。
「(雨が降ったらどうなるのかな)」
足元を通り過ぎていく物売り船を見送りながら、とりとめもなく考える。
沈んでしまいそうだが、水門に仕掛けがあるのか、それとも。のんびりと思考を働かせながら、鮮やかな景色を眺めていれば更にもう一隻。物売り船とは違うらしい小舟が橋の下から姿を現した。
何故物売り船ではないか。それは、流れていく小舟の上に力尽きているクァトがいたからだ。
「兄ちゃぁん、生きとるかぁ」
「死……」
「生きとってぇ」
「すみません、うちの子です」
一体何があったのか。
身を乗り出すように声をかければ、小舟の持ち主が困り果てたように顔を上げた。彼は眩しさに目を細めながらリゼルを見つけ、何度かクァトと見比べて、慌てたように櫂を持ち上げて欄干に引っ掛けるように船を止める。
「クァト」
「うぅ……」
「この兄ちゃん、船に足着いた途端ぶっ倒れてな。大丈夫かね」
「大丈夫ですよ。ただの船酔いです」
サルス生まれの人々にも船酔いという概念はあるらしい。
小舟の上にしゃがんだ船頭がクァトを見下ろす目は理解できないものを見る目、ではなく多大な同情を孕んでいる。
「そりゃ悪ぃことしたなぁ」
「どうしてですか?」
「俺が乗ってみろっつったんだわ。いかにも他所からきた、冒険者か? そんな奴が目ぇ輝かして船見とるもんで、ついな」
この国の冒険者は、橋まで行くのを面倒臭がって度々水路を飛び越える。
身体能力にものを言わせたショートカットだ。さらに一足飛びでは届かない水路でも、小舟だの何だのが流れているとそれを飛び石にひょいひょい渡っていくらしい。余談だが、「子供が真似をする」とお母さん集団には大変不評だという。
そんな冒険者であるはずのクァトが、憧れの眼差しで良い子に船を眺めている姿は彼の心を揺さぶったのだろう。声をかけるに至ったらしいが。
「まぁ一歩目でぶっ倒れるとは思わんかった」
「でしょうね」
船頭に落ち度はない。
「クァト、ほら、少しだけ頑張って」
「頑張る……」
「なら、岸まで」
言いかけた船頭の前で、クァトは頭をぐらぐらと揺らしながら体を起こした。
そして上体を持ち上げた体勢から音もなく跳ね上がる。まるで獣の跳躍のようなそれ。
とん、としゃがむように欄干の上に降り立つ姿を、船頭は何も言えずに見上げていた。踏みしめられた小舟は、衝撃などなかったとばかりに微かにその身を揺らすのみ。
「頑張りましたね」
「海、違う、から」
「行けるかと思ったんですか? 確かに少しでも動ける分、強くなってる気がしますね」
「かも、しれない」
クァトは欄干にしゃがんだまま、目の前に立つリゼルの肩に顔を埋める。
まだ少し気分が悪いのだろう。唸るように喉を鳴らしている彼の鈍色の髪を撫でてやりながら、リゼルはぽかんと口を開けてこちらを見上げている船頭を見下ろした。
「このまま連れて行きますね、有難うございました」
「お、おう、兄ちゃん大丈夫か」
「すぐに回復しますよ。今度は酔い止めを持っていくと思うので、その時はまた乗せてあげてくださいね」
「そりゃまぁ、全然いいけども」
そして船頭は「冒険者って凄いなぁ」と感動しきりで流れていく。
リゼルはクァトをよしよしと宥めながら手を振ってそれを見送った。リゼルの身近な冒険者は全員できるので、船頭の感動も間違ってはいないだろう。
「落ち着きましたか?」
「落ち着いた」
ふいに、むくりとクァトが顔を上げる。
船酔いになるのは一瞬だが、回復も割と早いのがクァトだ。彼はしっかりした足取りで欄干から飛び降りると、リゼルに並んでサルスらしい光景を感心したように眺め始める。
「水の上に、椅子、いっぱい」
「水上テラスって言うんですよ。あそこでのんびりするのは気持ちよさそうですね」
「する?」
「行ってみましょうか」
「行く」
「何処にしましょうか。これだけ店があると迷いますね」
そんなことを話していた時だ。
ふいにクァトが背後を振り返る。どうしたのかとリゼルもそれに倣おうとする寸前、橋を行き交う人々の中から声をかけられた。
「やぁ、偶然だ」
振り返った先に立っていたのは一人の老紳士だった。
格調のある仕立ての良いコートに身を包み、整えられたロマンスグレーをハットに隠している。コートの前面を飾るボタンの中、胸元に近い位置の一つだけが鮮やかな赤に染められているのが酷く目を惹いた。
通りがかりだろう彼は、二人の前で足を止める。手にした杖を静かに石畳についた。
「誰?」
「君は初めて会うね」
「前にお茶に誘ってもらったんですよ。この国の本も紹介してもらえて」
クァトは納得したように頷いた。
リゼルが本に思い入れがあることは彼も知っている。何せ誘拐されての監禁中に、誘拐犯に本を要求するくらいなのだ。それに同じ宿の部屋で過ごしている時も大抵は読書に励んでいた。
ちなみにクァトは、ジル達の口にする“本マニア”をリゼルの別名だと思っている。
「こんにちは。……初め、まして?」
「うん、随分と礼儀正しい子だ。そう、初めましてだね」
老紳士は幼子に向けるように柔らかく微笑み、ふいに少しばかり勿体ぶるように口を開いた。
「ここからの景色は君達を満足させられたかな?」
「勿論です。素晴らしい景色を楽しませてもらっています」
「凄い」
「それは良かった」
そして、微かに皺がれた深い声で告げる。
「サルスへようこそ、冒険者殿」
老紳士は頭から帽子をとって、歓迎するように胸元へとあててみせた。
茶目っ気のある仕草、だが酷く紳士然とした仕草は彼によく似合っている。リゼルが可笑しそうに笑って胸に手を当てながら返礼を向ければ、それを見ていたクァトも目を瞬かせながら真似をする。
まるで劇中の一幕のようなやり取り。それは戯れではあるが目を惹いたのだろう。橋を行き交う人々は感嘆に目を見張り、邪魔をしないよう無意識の内に歩調を速めて歩いていく。
「それにしても、名乗る前に冒険者だと思ってもらえたのは初めてですね」
「気に障ったかな」
「いえ、その逆です」
以前に老紳士と話した時には冒険者だと名乗らなかった筈だ。
リゼルは何時だって自分のことを疑いようもなく冒険者だと思っているが、それはそれとして周囲の反応が芳しくないことにも気付いている。二度見されるし。名乗っても信じてもらえないし。気にしないが。いや、少しばかりショックな時もあるにはあるが。
「普段は気付いてもらえないので嬉しくて」
「嬉しい?」
「嬉しいです」
嬉しいなら良いか、とクァトもよく分からないまま頷いている。
だがリゼルの喜びも一瞬のこと。申し訳なさそうに苦笑したのは、喜ばせた側の老紳士だった。
「分からない筈がない。と、言ってあげたいのだが」
彼は目元の皺を薄っすらと深め、老年らしい落ち着いた声色で告げる。
「魔法学院の騒動を聞いてね」
「噂になってるんですか?」
「いや、それほどでもないが」
彼は黒の手袋に包まれた手で手元の蜘蛛を撫で、思案するように言葉を切った。
その視線がゆっくりと水路の中のテラスへ流れる。促すというほどに強くはないが、さりげない主張にリゼルも抗うことなくそちらを向いた。杖を軽く持ち上げた老紳士が笑う。
「一緒にお茶でも如何かな。実は、次の予定まで少し時間があってね」
「クァト、良いですか?」
「ん」
「なら、お言葉に甘えますね。ちょうどどの店に入るか迷っていたんです」
「ならば行こうか。美味しいコーヒーを出す店があるんだ」
リゼル達は老紳士に先導されて歩き出した。
急かさない足取りで橋を渡りきり、並んだ店の一軒一軒を紹介されながら歩を進める。そうしてさほど歩かぬ内にたどり着いたのは、懐古的な雰囲気を持つ喫茶店だった。
老紳士がドアノブに手をかけ、まるでエスコートするかのように扉を開く。上向きの掌に促され、リゼルとクァトは小さな鈴の音を潜りながら店内へと足を踏み入れた。
優しそうな女店主が出迎えてくれる。
「あら、誰かと一緒なんて珍しい。年の離れたお友達ね」
「コーヒーの美味しい店を紹介していただけると」
「ふふ、嬉しい。それにしても、若い子連れなんて羨ましいわ」
「君の主人が泣いてしまうよ、マドモアゼル」
老紳士は二人の分まで注文を済ませ、よどみない足取りで店内からテラスへと向かった。
開け放たれた広い窓辺から足を踏み出せば、床に打ち付けられた板が微かに音を立てる。眼下に広がる煌めく水面。視線を上げれば対岸に並んだテラス。橋の上からはさほど離れているようには見えなかったが、こうして立って見てみると対岸のテラスは想像していたより遠い。
「柵、ない」
「水路にもないのに此処にはある、とかも不思議ですけど」
「全部、不思議」
「君は来たばかりだから余計にですね」
クァトと二人、水際に立ちながらそんなことを話す。
しゃがめば指先が触れそうなほどに水面は近い。あまり身を乗り出せはしなかった。
「おいで、ここに座ろう」
老紳士に呼ばれ、二人はテラスの中程のテーブルへと向かう。
「気持ちの良さそうな席ですね」
「船、見れる」
「君は船が好きなのかな」
「好き」
勧められるままに腰かけ、リゼルは足元を見下ろした。
床には隙間がないので水面は見えず、惜しい気もするが落ち着ける気もする。椅子の脚が抜ける心配もないしこちらのほうが良いのかも、と頬に落ちる髪を耳へとかけた。
「読書が捗りそうです」
「それは保証するよ。私も時々、ここで本を開いているんだ」
「今度試してみますね」
「そうすると良い。きっと彼女も喜ぶから」
床下から聞こえる水音が気に入ったのだろう。
楽しそうに下を向いているクァトを見ながら、何気なくそれを口にする。
「贅沢な環境でする読書は特別ですね」
「おや、まだサルスには馴染んでいないようだね」
「え?」
悪戯っぽく目尻の皺を深めた老紳士に、リゼルは一度だけ目を瞬かせた。
そして破顔する。成程、確かにすっかりとサルスに住み慣れたとは言えはしない。湖と共に生きる彼らにとって、リゼルが贅沢だと感じたものは全て日常にすぎないのだから。
地元民あるあるだろうな、としみじみと頷く。リゼルも幼い頃は自宅にある通称“大図書館”が特別大きいものだと知らなかった。そこらへんにあるものだと思っていた。
「いつまでも贅沢だと思っていたい気もしますけど」
「そうだろうとも。同じものでも人によって見出す価値は変わる」
「商人らしい言葉ですね」
「需要を見極められねば商人など出来はしないだろう?」
老紳士はテーブルに立てかけた杖に帽子を掛けながら微笑んだ。
商人としての自負を口にしながらも嫌味のない、柔らかな笑み。気取った様子はなく、ただの雑談であり、それはつまり彼が長年それを日常としてきたことを物語っていた。
「何、売る?」
「私かい? そうだな、残念ながら君の好きな船は扱っていない」
「ちょっと、残念」
「この国の住人は、小舟くらいならば自分で作ってしまうからね」
「そういえば前、小さな子が浮かべた木の板に乗って遊んでましたね」
「そこから嵌る者は嵌る、という趣味の範囲だが」
そうして雑談を交わしていると、女店主によってコーヒーが運ばれてくる。
それぞれの前に三つ。味わってみれば少し酸味が強いのが特徴か、だが非常に美味しかった。
リゼルがそれを堪能しながらクァトを見れば、口をつけた途端に唇を引き結んで何とも言えない顔をしていた。飲み慣れなければそんなものだ。
「ああ、そうだ。魔法学院だったね」
老紳士が女店主を呼びながら、思い出したようにそう切り出した。
女店主もクァトの渋い顔を見ていたのだろう、承知したようにミルクと蜂蜜を持ってきてくれる。それに礼を告げて恐る恐る一口飲んだクァトが目を輝かせたのを見て、彼女は満足げに去っていった。
「あの騒ぎで噂にならないんですか?」
「あそこが騒がしいのはいつものことだ」
「骨とか歩いてましたけど」
「そうらしいね、流石に骨は初めて……いや、以前に一度あったな」
朗らかに告げる姿を見れば、確かに学院内での騒動が頻発しているのが分かる。
そういえば教授も似たようなことを言っていたな、とリゼルは納得したように頷いた。あのレベルの騒動が多発しているのならそれはそれで問題な気もするが、学院の外に影響がないというのが大きいのかもしれない。
怒涛の勢いで詰め寄られたのを思い出したのか、クァトの目は若干死んでいる。
「じゃあ貴方が詳細を知っているのは」
「あそこは昔からの商売相手なんだ」
「ああ、成程。学院の発明品を扱うこともあるんですか?」
「いいや、備品の納入のほうだよ。正直、あそこで開発されたものは扱いづらい」
「それは、汎用性の問題で?」
「そう、色々な意味で尖りすぎているから」
苦笑する老紳士に、リゼルも同意するように眉を下げて微笑んだ。
リゼルも元の世界では研究者に投資する立場だったが、それはもう彼らは己の欲求のままに動くのだ。依頼した品に余計なギミックがついているのは序の口、一部の特殊な層にしか理解できない超々マニアックな品に全力を注ぎ、完成したらしたで活かそうともせず放っておいたりする。
「そうやって出入りしていると色々な噂を聞く。今回も骨が動き出したとか、その真ん中で監査がくつろいでいたとか、冒険者がそれを退治しただとか……なかなか突飛な騒動だったようだね」
「我ながら貴重な経験ができました」
「そうだろう」
老紳士は一度言葉をきり、微かに含みを込めた声色で告げる。
「さて、骨を退治したのは一人らしいが、あの場には二人の冒険者がいたという」
「俺、退治した」
「勘違いされるのは不本意なんですよ」
「宜しい。ならば君が監査に間違えられたのだという事実は私の胸にしまっておこう」
「そうしてください」
彼は胸元の赤いボタンを手で覆い、ゆっくりと二度、三度頷いた。
ちなみにリゼルは今でも監査だと間違われる。今日までに何度か学院を訪れているが、その度に知らない生徒たちから礼儀正しく挨拶されるのだ。そしてクァトは追い回される。
リゼルも最初は外からの客人に丁寧なことだと感心したのだが、教授の研究室で手伝いをしている少年から「お偉いさんだと思われている」と指摘を受けて間違いに気づいた。リゼルが冒険者だと知る者から徐々に真相が広まることを願うばかりだ。
「しかし、ふふ、君が冒険者だと知った時の驚きったらなかった」
「そんなに見えませんか?」
「気にすることはない。自分がそうだと思えばそうなのだからね」
優しく、だがさり気なく否定された。
リゼルは次いで運ばれてきた付け合わせのドライフルーツをそっとクァトに寄せてやる。自らを冒険者らしくないと思わないことへの礼だ。微妙に自作自演である気もしたが、クァトは気にせず喜んで受け取っていたので問題はないだろう。
三人はそのまま暫く談笑を続けた。
老紳士との会話は非常に有意義だ。話題のどれもが経験則に裏付けされており、その内容も多岐に渡る。深みのある声と話し方は聞き取りやすく、ついつい聞き入ってしまうこともあった。
緩やかな午後のティータイムを実りあるものに変えてくれる相手。彼にならば何でも話せてしまいそうだと思わせる。
リゼルはふと、元の世界での国王の相談役兼、自身の茶飲み仲間でもあった翁を思い出して頬を緩めた。外見も雰囲気も全く似ていないが、相手に心を開かせる在り方がよく似ている。
「貴方の商会は、サルスでも有数の大商会なんでしょうね」
「どうしてかな」
「何となくです」
「偉い、絶対」
「ほら、彼もこう言ってますし」
「褒められているかな?」
「勿論」
微笑むリゼルと頷くクァトに、老紳士は頤を引きながら苦笑した。
「二人共、人を見る目がある」
「なら、偉い?」
「偉いかは分からないが、部下はそれなりに多い身ではあるよ」
ならば、年代的にインサイのことを知っていそうだ。
そう何となくそう思ったリゼルが、ただの話題の一環として、王都一帯の交易に通じる名を口にしようとした時だった。
「おう、来てやったぞ!」
突如、力強い呼びかけが店内を通り抜ける。
聞き覚えのある声、しかしサルスで聞くとは思わなかった。考えればあり得ないことでもないのだが、あまりのタイミングにリゼルは少しばかり驚きながらそちらを見る。
「迎えぐらい寄こさんか」
「これは失礼、以前に鬱陶しいと言っていた気がしたんだ」
「寄こさんなら寄こさんで気に入らん」
「君のそういうところは本当に直らない」
ポケットに片手を引っ掛けながら近づいてくるのは、酷く目立つ長身の男。
彼は言葉遣いと矛盾する若々しい相貌で、気に入らないと一度だけ鼻を鳴らした。そのまま無遠慮にテラスへと足を踏み入れ、空いた手で適当な椅子を掴み、持ち上げたそれをリゼル達が座るテーブルの横へ置く。
そして勢いをつけて腰かけた。あまりの長身に椅子が小さく見えるのが少し可笑しい。
「はん、爺は説教臭くていかん。なぁ、リゼル」
「お久しぶりです、インサイさん」
「また変なもん連れおって」
「変、違う」
「何じゃその喋り。秘境からでも出てきたんか」
「出てきた」
「ならしゃあねぇな」
に、と豪快な笑みは彼の孫とは似ても似つかない。
ジャッジの祖父。パルテダールの流通の大部分を担う商業国、そこで随一を誇る貿易商。インサイは椅子の背に体重をかけ、浮きかけた前脚を慣れたように戻しながら笑った。
「そうか、サルスに来とったか」
「少し前に。王都には寄りましたか?」
「当たり前じゃろが。飯も三食一緒に食ったわ」
「ジャッジ君も喜んだでしょう」
「そりゃもう、爺さま爺さまとまぁ~~可愛くてな」
実際は「爺さま、サルスに行くの?」「爺さま、リゼルさんに会う?」なのだが、インサイには可愛い孫との久々の顔合わせには違いない。普段は粋を感じさせる顔が、でれでれと相好を崩して孫自慢を口にする。
「全く……」
その姿に、老紳士が少しばかり呆れたように片眉を持ち上げた。
インサイの孫自慢は飽き飽きするほどに聞いているのだろう。彼は指先でテーブルに引っ掛けた杖の蜘蛛を撫でながら、クァトを紹介しているリゼルへと微笑んでみせた。
「彼と知り合いみたいだね」
「何じゃ、知っとる癖にわっざとらしい」
「君には聞いていない」
「はぁん、猫でも被っとるんか。おいリゼル、あんまこのエセ紳士の言うこと真に受けんじゃねぇぞ。見るからに胡散臭ぇ、ほら見ろ、あのだせぇコート。いつの時代だっつうんじゃ」
長身を傾け、内緒話の恰好をとったインサイにリゼルは肩を引き寄せられた。
驚いたように手を伸ばしかけたクァトを宥め、リゼルもひとまず耳を傾けながら苦笑する。今までは目下に対するインサイしか見たことがない所為か、随分とまぁ遠慮のないことだと思わずにはいられない。気の置けない仲、というよりは腐れ縁とでもいうべきか。
声を潜めるでもない煽り文句は当然、老紳士にもしっかり届いていた。彼は手元で作り物の蜘蛛を握り締めるも、変わらぬ涼しげな表情のままに口を開く。
「私の恰好は年相応と言うんだ。若作りに必死な君には分からないだろうがね」
「儂は似合うもん着とる。流行を追う商人が心まで爺になっちゃあおしまいだろうに」
「古くとも良いものは残すべきだろう。節操のない商人は理性のない蝗のようだな」
「そんで先細りして消えてくんじゃろ。老い先も先行きも短いなんざご苦労さん、だ」
「先ほどから爺、爺と……君もまごうことなき爺だろうに」
「爺に爺っつって何が悪いんじゃ脳みそ固まりきったクソ爺!」
「我が身も顧みず何様のつもりだと言っているんだ、私は」
この間、リゼルはクァトによってインサイの腕から救出されていた。
そして二人でのんびりと話しながらコーヒーを味わう。商人談義に変に口を挟めない、もとい異なる主義主張による未来永劫収拾のつかない議論には巻き込まれたくない。
別に聞いているだけならば不快でもないので、インサイの炭酸水を運んできた女店主の「注意してあげましょうか」という呆れた視線には首を振っておいたが。
「いい加減静かにしてはどうだ。彼も折角ご馳走したコーヒーが味わえないだろう」
「何じゃコーヒーばかで得意げにしおって。おいリゼルにクァト、腹減っとらんか、メニューの端から端まで奢ったる。注文じゃ注文!」
「いえ、俺はそんなに食べきれないので」
「お前さんは!」
「食べれる」
「よしよし、なら頼んでやろうな!」
クァトはたくさん食べずとも満足できるが、食べて良いのならどれだけでも食べる。
こくりと頷いた彼に、インサイも本当に店の全メニューを注文して気が済んだのだろう。肩の凝りをほぐすように首を回し、腕を組んだ体勢で落ち着いていた。
「困らせるなと言っているだろうに」
諦めたように首を振った老紳士が、いつの間にか床に落ちていた帽子を拾いながら告げる。
「騒がしくしてすまないね」
「いえ、商談なら席を外そうかとも思ったんですが」
「ああ、気にしなくて良い。本当ならあと二時間は時間があるんだ」
「何じゃ、こいつのコーヒーは飲めて儂の飯は食えんのか」
「そんなことないですよ。クァトと一緒にいただきます」
よし、とインサイが褒めるように頷く。
約束の時間より早いというのは本当だろう。国から国へと移動するのだ、魔物の襲撃などのイレギュラーを考慮するなら早めに動くに越したことはない。
早く到着したということは、道中でトラブルがなかったという証拠だった。
「王都からの道は安全なんですね。俺達も何事もなく来れました」
「俺も」
「最近は特にそうじゃな」
揶揄するように片頬を歪めたインサイに、その真意を察してリゼルも可笑しそうに笑う。
王都近郊の治安を脅かすフォーキ団が壊滅したことを言っているのだろう。平和で何よりだ。
「どうじゃ、空間魔法使いには会えたか」
「はい、こちらに来て一番に」
「使いにくくなったか?」
「少しだけ」
揶揄っぽく唇を歪ませたインサイは、空間魔法の鞄がどのように作られるのかを見たことがあるのだろう。まぁ当然かとリゼルは内心で呟き、してやられたなと頷いた。
それに声を上げて笑うインサイへ、片眉を上げた老紳士が少し意外そうにリゼルを見る。
「随分と大きな貸しを作れたんだね。彼がそれを教えてやるなんて相当だ」
「教えてもらえるよう頑張りましたから」
リゼルの言葉に老紳士はふと、何か心当たりがあったかのように口を噤んだ。
やがて口元を隠しながら視線を外す。指の隙間から見えたのは、薄っすらと浮かべられた笑みだった。
「そうか、頑張ったのか」
「叱られながらも頑張りました」
「ふふ、そうか、素晴らしい」
そのやり取りに、クァトが不思議そうにリゼル達を見比べる。
彼には全く心当たりのない話題だろうが、全くの無関係とは言い切れないのだから面白い。
「空間魔法については、元は私が彼に教えたものでね」
老紳士はそんなクァトに、何でもないというように掌を立ててみせながら言葉を続けた。
「今の形に落とし込んで商売にしたのは彼だが、それでも随分と大きな借りを返す時に使ったものだから」
「こいつ、ガセネタ流して儂の商売相手掻っ攫いやがってな。潰し合い一歩手前だったわ」
「人聞きが悪いことを言う。私が情報を偽る筈がないだろう」
「嘘じゃねぇってだけで似たようなもんじゃろうが」
「自分にとって不利なもの全てが偽物とは恐れ入るな。商人としての信頼を失いかねない発言だ」
「そればっか吹き込んで有利なモンことごとく隠すのは信頼を失わねぇんか、あ?」
皮肉げに、あるいは豪胆に言い合う二人をリゼルはさほど心配していなかった。
さっきも今も、口調に反して空気はさほど悪くない。彼らなりの“弾んだ会話”なのだろう。
「その空間魔法についてなんですけど」
とはいえ仲良し、とは流石に少し怖いので茶化せないが。
リゼルは爺たちの前ではちょっとお行儀が良い。さりげなく話題転換する。
二人はすぐに口論を止め、落ち着いたようにリゼルへと向き直ってくれた。
「おう、どうした」
「何か気になることでも?」
「詳しい仕組みについてご存じの方を知りたくて」
「詳しい仕組みねぇ」
インサイは呆れ半分、疑問半分といった様子で炭酸水を半分ほど飲み干した。
同時に、頼んだメニューの一品目が運ばれてくる。クァトが嬉しそうに受け取った。
「あいつら自分が何やっとるか全然知らんからな……」
「量産できないからこそ価値がある、とも言えるが」
「商品の主軸にはならないですよね」
「まぁそこは趣味じゃな、趣味」
豪快に笑うインサイにリゼルは苦笑した。
単価だけ見れば最高ランクに名を連ねる空間魔法の鞄も、インサイの商売全体から見れば微々たるもの。儲けを期待しないのなら趣味に変わりないが、勿論それだけでもないだろう。
空間魔法を独占して扱っているという、それだけで商会の宣伝には困らない。
「ああ、そういえば」
ふと思い出したように、老紳士がカップの持ち手を指でなぞりながら口を開く。
思案するように伏せられた瞳に、目元に刻まれた皺が深まった。それは彼を一層理知的に見せ、それだけでこれから行われる発言の信憑性を深めるようだった。
「高名な魔法使いが一度、空間魔法を解明しようとしたらしい」
「んなもんそこらへんにおるじゃろ。結局だーれも分からん」
「いや、彼ならばあるいは、と思ってね」
老紳士は平素と変わらぬ柔らかな口調で続けた。
「なにせ相手はサルスが誇る偉大な魔法使い、“異形の支配者”だ」
「随分と大物の名前が出ましたね」
「お陰で説得力はあるだろう?」
感心するように告げたリゼルは自然体のまま。
しかし視界の端に映ったインサイは露骨に顔を顰めていた。つまり目の前の老紳士は大侵攻の真相を知っている相手であるということ。
別に不思議ではない、ヒスイだって知っていた。つまり上層部と関わりのある者ならば知ることができる情報なのだろう。勿論、固く秘匿されているという前提は守られたまま。
「彼の研究書、読んだことあります」
「私には魔法方面の学はなくてね。読めども理解はできないが」
気になるのは、何故老紳士がその名をインサイの前で出したのかということ。
ただの皮肉、という可能性も十分にある。だがもし、リゼルが元凶に深く関わったことを知ってのことなら、これまでの優しく思慮深い老紳士の姿に少しばかり矛盾が生じる気がした。
しかし彼も海千山千の商人。他意も感じないので、思慮より益を優先すべきと親切心から教えてくれたのだろう。
「支配者」
「そう、君には懐かしい名前ですね」
「懐かしい。……懐かしい?」
その時、ふいにクァトが早速一皿を平らげて顔を上げた。
その食いっぷりにインサイも非常に満足そうだ。彼は爺心から「もっと食え」とよく言うし、実際に食べたら食べただけ褒めてくれる爺でもある。
「何じゃ、会ったことあるんか」
「ある」
「滅多に人前に出てこんっちゅう噂じゃねぇんか」
「私も顔を見たことはない。気難しい、とは聞いているが」
物珍しそうな二人の視線に、クァトは次の料理を受け取りながらぱちりと目を瞬いた。
そしてリゼルは止めようかどうか一瞬考えたが、ちょうどコーヒーを味わっている最中だったのでそちらを優先した。まぁ良いかと流したとも言う。
「よう出会えたな」
「奴隷、やってた」
老練二人の表情が消えた光景はなかなか迫力があった。
その後、リゼルによる支障のない範囲の説明にインサイ達は納得したようだった。
食え食えと促すインサイのお陰で、メニューの端から端まで食べきったクァトは酷くご満悦。そろそろ商談だろうと引き留めようとする二人に別れを告げ、ついでに意地でも小遣いを握らせようとするインサイを躱し、リゼル達は夕日に染まる街並みを宿へと歩いていた。
ちなみに小遣いは革袋に入った金貨だった。恐らくジャッジに渡そうとして断られたものだろう。
「お腹、いっぱい」
「俺もです。夕食は入りませんね」
「ん」
「お婆さまに言っておかないと」
二人でゆっくりと水路沿いを歩く。
「空間魔法、探す、くれるって」
「インサイさんが言ってくれましたね」
「何、使いにくい?」
「それは忘れてもらって大丈夫です」
まじまじと見てくる視線を流し、リゼルは宿の外階段を上る。
二階にある玄関には、宿であることを示すプレート。それを何となく眺めながらドアノブに手をかけようとすれば、ふいにクァトにその手を掴まれて一歩後退する。
どうしたのかと口を開こうとした瞬間、向こう側から開かれた扉から老輩が足を踏み出してきた。
「おっと、悪ぃな」
「お急ぎですね」
「おう、久々に知り合いの爺がこっち来てるみてぇだからな。酒奢らせてやる」
皺も硬くなりきった大きな掌がリゼルの髪を強くかき混ぜる。
勝気な笑みを浮かべた老輩はそのままクァトの髪もかき混ぜ、靴音を鳴らしながら階段を下りていった。リゼルは乱れた髪を直しながら、きょとんとしているクァトと視線を合わせて目元を緩めた。
「あの三人、どんな会話をするんでしょうね」
「……貴方の、話?」
「まさか」
思わず笑みを零したリゼルに、クァトは絶対に間違ってはいない筈なのにと首を傾げた。




