17:翌日羞恥で悶える
「何じゃ、冒険者ならもっと豪快に食べんか」
「爺様!」
「これでも結構豪快になったんですが……」
「最初と比べりゃな」
四人で広い食卓を囲み、使用人によって追加されて行く料理に舌鼓を打つ。
大商会の主ともなれば使用人も雇えるだろう、この状況下で育ってなぜジャッジがあれ程の料理を作り出せるのか心底謎だ。
品良く食べるリゼルにインサイがいちゃもんを付け、ジャッジが慌てて諫めている。
インサイがやけに絡んでくるのはジャッジが滞在の間リゼルの話ばかりしていた意趣返しなのだが、そんな事を知る由も無いリゼルは不思議に思いながらもそういう事もあるだろうと思っていた。
「ジルの剣はインサイさんが勧めたんですよね? 俺とかどうですか」
「剣もまともに振れん体して何馬鹿な事言っとる。お前さんが戦うなら銃を今みたいに使う以上の戦い方はないわ」
「やっぱりそうですか?」
「剣を振るよか難しい事平然としおってからに……お前さん目茶苦茶な頭しとるな」
珍しいものを見るかのような視線に、リゼルは微笑んでサラダを口に含む。
インサイの言葉にジャッジが首を傾げていた。実際冒険者の知識があるインサイと違い、戦い方などはジャッジにとって専門外だ。
「頭?」
「おお気になるか! ジャッジはあやつの銃の制御は魔力操作だと言ったろう? その魔力操作は出来るのは魔法使いの中でも一握りしかおらん」
「じゃ、じゃあリゼルさん、相当凄いんじゃ……!」
「ぐぬっ、むぅ……まぁその通りだの。だがその魔力操作だがな、本を読みながら模型を組み立てるようなもんじゃ、交互ではなく完全に同時にな」
輝くような視線を向けられ、リゼルは苦笑する。
インサイは剣を振るより難しいと言ったが、逆にジル程の腕前となるとそちらの方が難しい気がする。
リゼルが行っている事は慣れもあるが、剣技は誤魔化しようが無く本人の鍛え上げた実力なのだ。
リゼルでは到底一人で地底竜を倒せないが、ジルは軽々(良い戦いはしたがほぼ無傷で)倒せるのだから、実力差は比べるべくも無い。
そう付け加えると、ジャッジの輝く視線は肉を黙々と消化していくジルにも向いた。嫌そうな顔をされ、びくっと体を震わせていたが。
「儂の孫を睨むんじゃねぇ!」
「素が出てんぞ、爺」
ジル曰く丸くなった性格が一瞬だけ過去に戻ったようだ。
ゴホンと誤魔化すように咳払いして説明を続ける。
「だがあやつがやっているのは銃の固定と位置操作、反動制御にさらに何と引き金も魔力操作で引いとる。小説四冊を同時に読んでるのと変わらん」
「?」
「同時に目を向けられるとかじゃ無いぞ。小説四冊分の情報を一気に処理出来る頭を持っとるから、目茶苦茶だと言っとるんじゃ」
ジャッジにはそれがどれ程凄いのかは分からなかったが、とにかく凄いのだとは理解出来た。
リゼルとしては褒められてるのか貶されているのか、目茶苦茶な頭というのはどちらの意味で取れば良いのかが分からない。
そんな雑談を挟みながら惜しみなく出される昼食を食べ終えると、食後の紅茶と小さなケーキが運ばれてきた。
「あ、僕、出発の準備をしてきますね。ゆっくりしてて下さい」
「最後なのに爺と一緒にデザートは食べんのか!」
「爺様がそう言ったから昼食も一緒に食べたんでしょ……!」
頼りない眉をきゅっと上げ、ジャッジは決意したかのように席を立った。
事前に使用人には伝えていたらしく、食後のデザートは三人分しか用意されていない。
インサイはがっくりと肩を落としており、大きな体が心なしか小さく見えた。
「むぅ……今まではこの手で二日は延長出来たんだがの。しっかりしたもんじゃ」
確信犯だ、同情の余地は無いだろう。
ジルの冷たい視線とリゼルの仕方無さそうな視線が送られたが、インサイの鋼鉄のハートは全て跳ね除ける。
インサイがしっかりした原因と思わしきリゼルを見ると、運ばれてきた紅茶とケーキに礼を言って受け取っていた。
愛する孫が滞在中ずっとリゼルさんリゼルさんと言っていた男は、話に聞いたよりもずっと貴族然としていて使用人に礼を言う仕草ですら似合わない。当たり前のようにサービスを受ける姿の方が余程似合っている。
あまりにも懐いている為にもしや取り入られたのではと危惧していたが、ジャッジの変化は悪い方向には全く向かっていない。甘やかしながらも育てるような接し方をするリゼルのおかげだろうと思えば、まぁ認めてやっても良いだろう。
「おい、やる」
「はいはい、折角出されたのに」
「食えねぇもんは食えねぇ」
変化というならジルもそうか、とリゼルにケーキを押し付けている姿を見る。
数年前に出会った頃では考えられないだろう、あの“一刀”が誰かと組む事になるなど。
それも頼まれて押し切られた訳ではなく自ら望んで共にいる、鍛え抜かれた商人の観察眼には疑いようもなくそう見えている。
これ程周囲に影響を与える人間も早々居まいと、早速二つ目のケーキを食べているリゼルに対して思っていると視線が合った。
「あ、そう言えばひとつ頼みごとが」
「あん?」
「これ、渡しておいてくれませんか」
四つ折りにたたまれた用紙を差し出され、インサイは手を伸ばしてそれを受け取った。
開いてみると、何かの通路らしきものが縦横無尽に描かれている。
よくよく観察して、インサイは目を見開いた。
「こういうの、出回ったら良くないでしょう?」
「こりゃ……マルケイドの地下通路じゃねぇか」
一番はっきりと描かれている通路は見覚えがあり、マルケイドの大通りを示している。
それに被るように薄く縦横無尽に描かれているのが、インサイの言う地下通路だ。
所々に丸が打たれているのは出入り口で、インサイはその内の幾つかを知っていたので地下通路だと気付く事が出来た。
地下通路の存在を知っているのは領主と、マルケイドの発展に過去関わった領主の正体を知っている今の大商家の主数名のみ。
こんなものが出回ったら確かに大問題だろう。何せ領主の屋敷に繋がっている通路もあれば、門を潜らずにマルケイド内に入れる通路もあるのだから。
「渡すって、お前さん」
「シャドウ伯爵に、です。インサイさんは御存じでしょう?」
にこりと微笑んでパクリとケーキを口に含んだリゼルにインサイは何処まで知っているのかと睨むように視線を向けた。
インサイが領主の存在を知っているなどと誰も知らない。ジャッジでさえもだ。
他にシャドウを知っている大商家も固く口を閉じ、やはり周囲と同じく見た事が無いと公言しているにも拘らず見抜いたリゼルに対して警戒してもおかしくないだろう。
老いても現役の商人の眼光は鋭くリゼルを射抜く。
「そんなに睨まないで下さい、地図を手に入れたのも偶然なんです」
「偶然?」
「オークションで落札した本に挟まっていました。随分と古い本に挿絵のように挟まっていたので、恐らく他の人にはただ意味の分からない一ページのようにしか見えなかったでしょう」
リゼルはポーチから一冊の本を出して見せた。
世界最古のミステリーの名の通り表紙は擦り切れているものの、状態は比較的悪くない。
どの世界でも紙を隠すには本が使われるらしい、とリゼルも思ったものだ。
地下通路だと分かったのは元の世界での地下通路の様式を理解していたからに他ならない。王族に必須な逃亡経路はリゼルが勤めていた王城にもしっかりと存在した。
もちろん本当に出入り口があるのかどうか、マルケイドを観光しながらも確認はしたが。
「貴方が領主様を知っていると思ったのも、まず確実に代々今の領主様の家に協力を誓っているからだと思ったからです」
「ほう、訳を聞いておこうか」
「だって本に書いてありました。あなたの商会もマルケイド開拓に一役買ったと」
「お前さん、何でそう本ばっか持ち歩いとる……」
だから冒険者らしく無いんだと言うインサイに、こればかりはジルも同意した。
趣味なのにと拗ねながら取りだしたばかりの“マルケイドの興り”をしぶしぶとしまう。
「それで、儂の先代が協力したからって今も協力しとると?」
「ええ、間違い無く」
断定するリゼルがからかう様に唇を笑みに染め、そっと目を細めて言葉を置いた。
「ジャッジ君、すごく義理固い良い子ですよ。そんな彼を育てた貴方がそうじゃない訳が無い」
「……ッはっはっは!」
膨れ上がった愉悦を吐き出すようにインサイは大きな声で笑った。
心底楽しそうな声にジャッジが慌てて顔を出すが、どうやら仲が良くなったと判断したのか、ジルが追い払う様に手を振ると安心したように再び準備に戻って行く。
まいったと両手を上げたインサイが、未だ引かない笑いを引きずりながら紅茶を飲み干した。
「なんじゃ、シャドウの名前を知っとるならお前さんあいつに会ったのか」
「ええ、夕飯を奢ってもらいました」
「たかったんだろうが」
「はっはっは! シャドウ相手にか!」
シャドウと呼び捨てで呼ぶ程度には仲が良いらしい。
シャドウよりも余程年上なのだし、そんなインサイにとって彼は子供のようなものなのだろう。
夕食を奢らせたという言葉に心底面白そうに笑う様子に、リゼルに対する非難は無い。
「了解した、この地図は確かに渡しておこう」
「お願いします」
「お前さんの名前も伝えた方が良いんか、リゼル」
「お好きなように。ただ伝えたら、間違い無く渋い顔されそうですけど」
「そりゃいかん、ぜひとも伝えておこう」
なかなか良い性格をしているようだ。
その祖父の元で良くジャッジがあれだけ純粋素直に育ったものだ、といっそ感心してしまう。
反面教師というものだろうか。ジルに対しても大剣を押し付けた祖父の事を謝っていた事もある。
リゼルは地下通路の地図をたたむインサイを見て、少し窺う様に自然と上目になる視線で問いかけた。
「もう一つ、頼みたいんですが」
「なんじゃ可愛いこぶりおって。なかなか似合っとるし、頼まれてやろう」
「流石にこの年でそれは……いえ、ありがとうございます。ジル」
リゼルが隣に座るジルを呼ぶと、肘をついてやり取りを聞いていたジルが顔を寄せた。
インサイに聞こえない様に何かを尋ねるリゼルに、緩慢に頷いている。
基本的にジルがリゼルのやる事に異を唱える事は無い。リゼルに危害が及ばないのなら、だが。
何だ内緒話かと良い年して不満を唱えているインサイの前に、ポーチから取り出したそれを幾つか並べて見せた。
「ふむ、竜の鱗……かなりの大きさじゃの、形状的に飛行竜じゃ無くて地底竜か。綺麗な翡翠色をしておる」
「流石です」
「これがどうしたんじゃ」
「買い取って貰いたくて。大々的に宣伝して売り出して欲しいんです」
多くある内の数枚とはいえ、ジルが戦いトドメをさした魔物の戦利品に違いない。
ジルの許可なくインサイに差し出すのも問題だろうと先程確認したのが、インサイ曰く内緒話の内容だ。
金に困ってるようには見えないが、と鱗を眺めながら首を捻るインサイに肯定を返す。
「つい昨日“水晶の遺跡”で地底竜を狩って手に入れたものなんですが」
「まあジルもいるし驚かんが。ん、水晶の遺跡のボスもなかなかに手強いが竜程では無かったはずじゃぞ」
「隠し部屋の隠しボス、みたいな感じでした。それで今朝地図の更新と情報をギルドに提供してきたんです」
「ほう、成程……お前さんは物事の影響ってもんを良く分かっとる」
全て言わずとも理解したインサイに、そういう事だと頷いた。
リゼルがギルドに隠し部屋の情報を持ちこんだのも、リゼルがEランクの冒険者だという事もすぐに広まるだろう。
地底竜相手に挑もうなどという命知らずな冒険者は流石にいないが、人の成功を疑う人々は何処にだって存在するのだ。
Eランクが名声欲しさにホラを吹いて、地底竜だから誰も挑戦しないのはそれを隠す為で、提出した鱗は何処かで購入したものだと思う人物も確実に少なからず存在するはずだ。
だからこそリゼルはインサイに頼んで地底竜の鱗を複数同時に流して貰い、水晶の遺跡の地底竜は本当にいるのだと宣伝して貰いたいのだ。
勝手に疑って勝手に死ぬのは流石に同情出来ないが、水晶の遺跡はマルケイドの重要な観光地だ。
迷宮の中が見られるのは此処だけという事もあり、わざわざその為に外からやってくる人々も多い。
そんな迷宮で自業自得とはいえ帰らぬ冒険者が溢れてしまえば、大問題となってしまうだろう。
この提案は自業自得な冒険者の為だと思われがちだが、遠まわしにシャドウへと恩を積み重ねる行為だと言われればリゼルは否定しない。肯定もしないが。
「ふむ、お近づき記念にタダで譲ってくれるなんぞ言われれば儂は大喜びなんじゃが」
「どれだけお近づきになれた記念です?」
「抜け目無ぇな、お前さん」
つまり自分の為にどれだけ動いてくれるか、と問いかけたリゼルにインサイはにやりと笑った。
頼んでいるのはリゼルのはずだが、あっという間に逆転した立場にインサイは久々に血沸き肉躍る商談のような感覚を覚える。
彼に目を掛けて貰える孫が誇らしく羨ましい、まだ自らの孫と言える年齢のリゼルに対してこんな事を感じるとは思ってもいなかった。
商売人として覚醒しているインサイはまるで若返ったかのようで、常から孫がいるとは思えない顔が更に老いから遠ざかる。
心から愉快だと思っているらしい獰猛さすら感じる笑みを見て、しかしリゼルはふっと肩の力を抜いてゆるりと微笑んだ。
「まあ今回はきちんと売ります。じゃないとインサイさんが“水晶の迷宮で地底竜を倒した冒険者が売りに来た鱗”っていう名目を使った時に、嘘をついてしまう事になってしまいますし」
今回の目的を考えると、その名目で売りに出さなければ効果は薄い。
インサイは(商談的に)好戦的な雰囲気を消し、残念そうに溜息を吐いた。
「まあ仕方無いの……ジャッジ! ちょっと来てくれんか!」
「爺様、僕もう少しで準備が終わる……」
「ジャッジ君すみません、ちょっとだけお願いします」
「はい!」
「この差!」
嘆いているインサイを尻目に、リゼルは速足でやってきたジャッジに鱗の鑑定をお願いする。
ジャッジ君にもあげるね、というリゼルに首をかしげたジャッジはリゼル達が自ら狩った地底竜だという答えに自力で辿り着いた。
怪我は無かったのか無事だったのかと半泣きで確認をとってくる様子を落ち着け、なんとか鑑定に漕ぎつける。
大きさと質、色や艶などどれも最上級だ。たった一枚の逆鱗では無い為それより価値は下がるが、やはり平均すると鱗一枚につき金貨十枚ほどだろう。
一つ一つ詳細に鑑定結果をつけたジャッジの髪を撫でると、照れた様子であと少しだろう準備に戻って行った。
「ある程度は何かの為に確保しておくとして……これだけの稼ぎになると、もう一回潜っても良いかと思えてきますね」
「来る攻撃分かってるしな」
「でもあれだけ熱いのはもう嫌ですし、何か対策を……」
「話してるとこ悪いが、買取金額受け取らんかい」
いつの間にかトレーに載せられた金貨が机の上に差し出されていた。
礼を言って受け取り、財布の中に金貨を入れて行く。入れた途端消えて行く金貨は今幾ら持っているのか忘れそうだが、リゼルは全て覚えているので問題ない。
ジルはどうやら全く覚えて無いようだが、あれだけ高位の魔物を狩っていれば足りなくなる事など無いのだろう。貴族のリゼルは当然だが、ジルも大概に金銭感覚が疎い。
「お、お待たせしました……」
「準備、終わりました?」
「はい……!」
先程から部屋と階段を行ったり来たりしていたので息が上がったジャッジが、そろそろと部屋に顔を出した。
インサイが用意した魔道具やら何やらを積み込んでいたのだろう。空間魔法付きのトランクに入らないものもあったようなので、此方で迷宮品も仕入れたのかもしれない。
ジャッジも商人だ、祖父に会いに来るためとはいえマルケイドに来て仕入れも何もしないはずはないだろう。
ジャッジの事だから座るスペースが無くなるという事はないだろうが、寝るスペースはあるのだろうかと疑問に思いながらリゼル達も席を立つ。
「おおジャッジ、もう行くのか」
「爺様、三日間ありがとう」
ジャッジの顔を見た途端にデレリと顔を緩めるインサイに大商人の風格は無い。
先程の商人としてのマジ顔を見たばかりではギャップが強い、と思いながら家族の語らいを邪魔しないように先に部屋を出ようと席を立つ。
だが扉へと手を掛けた瞬間、他ならぬインサイから呼びとめられた。
「孫を頼む」
「頼まれずとも、もう立派な商人ですよ。此方こそ、会ったばかりで図々しいお願いを聞いて頂き感謝します」
「儂の為になる願いじゃ、図々しいとは欠片も思わん」
年の割に若々しい顔にふっと笑みを浮かべるインサイはまさしく孫を案ずる祖父の顔をしていた。
リゼルとてインサイが頼んでいるのはその点についてでは無いと分かってはいるが、茶化すように返して感謝を口にした。インサイは真摯な顔で首を振り、そして此方も感謝するように小さく頷く。
リゼルは最後に微笑んで頭を下げ、今度こそ部屋を出た。
「あと一日おらんか! 爺ちゃんと一緒にもう一晩寝ておくれ!」
「今帰るんだってば!」
閉じた扉からしっかりと聞こえてきた声に、ジルは思い切り溜息をついてやっぱりただのクソ爺だ、と呟いた。
マルケイドを出てから半日、相変わらず豪華な夕食を食べながら物の増えた馬車の中を見回す。
ジャッジが仕入れた殆どのものが空間魔法に仕舞われている為に場所をとる事は無いが、空間魔法に入らないだろう迷宮品や何かはやはり増えていた。
リゼル達を十全に気遣うジャッジが馬車内を狭くするとは考えられないので、恐らく帰り際にインサイが色々持たせていたものだろう。
「しかし今夜、ジャッジ君とジルが並んで寝れるんですかね」
「す、すみません、爺様が……!」
「俺は座って寝るから良い」
「一度くっついて寝て下さい、面白いので」
「じゃあお前はジャッジと寝る時腕枕して貰って寝ろよ、それならやってやる」
からかう様に言うリゼルに、ジルは鼻で笑って返した。
するのは良いですけどされるのは……と楽しそうに笑うリゼルに、ジャッジが顔を青くしたり赤くしたりしている。
実際そこまで荷物が多い訳でもなく、行きよりは狭くなるが男二人で並んで寝ても少し窮屈程度でくっつかずとも眠れるはずだ。
ようやくからかわれたのだと気付いたジャッジがオロオロし始めたが、それも食事が済んで片づけが始まると見違える程にテキパキと動き始める。
相変わらず見違えるような生き生きとした動きだ。
「今日も俺が先で良いですか?」
「ああ」
せっせと馬車の中にマットを敷いているジャッジを横目に、焚火の横で話し合う。
最初の寝ずの番から変わらずリゼルは先に見張りに立候補し、しかしどの日も魔物などに襲われるような事は無かった。魔物避けが効いているのか、ジルが示す野営地の選び方が良いのか。
ジャッジが用意してくれた座り心地の良い椅子にリゼルは腰かけ、すっとジルを見上げた。
片手に持った本はマルケイドで購入したものだ。最初は実の所時々読書にのめり込んでしまっていたが、今ではきちんと役目をこなしながらの読書が行える。
「ちゃんと横になって休んで下さいよ」
「別に座ってても変わんねぇけどな」
座っていても寝れる、というのは本当だ。
ジルにとっては立っていても肉体的な回復程度の睡眠は取れる。流石に完全に疲労回復とはいかないが。
だが休める時にしっかりと休んでおく事が大事だという事も分かっているので、リゼルの言葉に承諾して馬車へと向かった。
馬車ではすっかり寝る準備を整えたジャッジが、まふまふと枕をマットに二つ並べて毛布を用意していた。先程の会話があったからか枕は露骨に離れて左右の壁際にくっつくかのような位置に置かれている。
「……おい、俺がこいつと肩並べて寝たらお前も腕枕されて寝んだな?」
「俺のがハードル高いじゃないですか。せめてジャッジ君抱きしめて寝て下さい」
「え、ちょ、それ僕どっちも辛いんですけど……! え、本気じゃないですよね! ね!」
気にされるとからかいたくなる大人げない大人二人に遊ばれ、予想通りのリアクションを返してくれるジャッジは本当にからかいがいがある。勿論本当にやったらジャッジが寝れなくなるのでやらないが。
リゼルにマルケイドで仕入れたらしいサイドテーブルと温かい紅茶を用意して、ジャッジはおやすみなさいと言いながらびくびくと馬車へ乗り込んで行った。
馬車から悲鳴があがらなかったあたり、ジャッジはあれ以上ジルに弄られないで済んだのだろう。
リゼルは隣におかれたティーポットを見て、本当に尽くす人だと微笑んだ。
そのまま二人が就寝して幾らか経ったが、まだ交代には程遠い時間。
リゼルは揺れる明かりで照らされる書物へと視線を落とし、傍らのカップへと手を伸ばした。
多少ぬるくなってしまった紅茶は香りも薄れてしまったが、火の近くにいる為に渇く喉には有難い。
パチパチと微かな音を立てる炎に、もうそろそろ薪を追加するかと本から視線を上げた時だった。
微かな違和感を感じて、しかし動きは止めずに自然体のままに薪に手を伸ばす。
リゼルはジルの云う気配や殺気は分からないが、貴族社会で培った空気の変化には敏感だ。
相手が自らに好意を持っているのか敵意を持っているのか。今の会話は相手の地雷を踏んだのか警戒を解かしたか。相手も貴族であるので隠してある感情を、しかしリゼルは察して対応を変えて見せる。
そんなリゼルが感じた違和感が、森の空気が変わった事だった。
街道から少し外れた場所、造られた馬車用の休憩所では無くやや森に入りこんだ沢に程近い場所。
見通しはやや悪いが此処一帯は開けた場所で守りやすく、魔物が姿を現わせばすぐに分かる理想的な野営地だ。
炎の中に薪を投げ入れたリゼルが再び椅子に背を預けた瞬間、微かに左面の森から何かが軋む音がした。
「……、ん?」
ギィンッと金属と金属がぶつかり合う音が響く。
ひとつは森の奥から飛来した矢、もうひとつはリゼルが咄嗟にその矢の射線上に出した全身が金属の銃。
ではなく、矢とぶつかったのは馬車から投げられたナイフだった。
リゼルはぱたりと本を閉じてサイドテーブルの上に置き、馬車を振り返る。
「きちんと寝てました?」
「寝てたっつの」
「ジャッジ君は?」
「寝てる。起きても出て来ねぇ」
音も無く馬車から下りたジルがいつの間にか馬車の後部扉の前に立っていた。
夜の間は常に小さく開けられている扉は閉められ、この小声のやりとりはジャッジに届いていないだろう。
ジルの云う通り分別のつくジャッジは起きても恐らくその扉を開ける事は無い、戦闘では自分の出来る事は無いと理解しているからだ。護衛を付けたからには、守られる方も守られ方を理解していなければ護衛を付ける意味が無い。
「盗賊?」
「弓矢なんざ人間かゴブリンかだろ」
「この辺りにゴブリンは出ないし、夜盗か何かですね」
囁くように声を交わしていると、森の奥から再びキリリ……と微かな音が聞こえた。
しかし今度は複数、ジルは余裕を崩さずに安い弓を使っていると小さく悪態をついた。
リゼルがすすっとジルの背に隠れた瞬間、風切り音が届くのが早いか矢が届くのが早いかというスピードで鋭い先端を持った矢が飛来する。
その先端もジルに数ミリも届く事無く、いつの間にか抜かれた剣でたたき落とされた。
直後、リゼルの銃が森に向かって発砲される。
それは飛来した弓矢の数と同数、そして全く同じ方向に向かって撃たれていた。
ジルの肩口から顔を覗かせたリゼルが、弓矢が射出されたであろう方向に矢の通った後を逆向きに通す正確さで撃ち抜いたのだ。
その数四発、しかし被弾の証拠である呻き声は三人分しかリゼルには届かなかった。
「あれ、一発外しました?」
「いや、方向はあってた。避けたのか、我慢強いか、即死したかだ」
「避けたかもしれないですね。ただの夜盗にしてはちょっと動きが統率じみてます」
ふいっとリゼルが手首を回すと、前方の森を指していた銃が後ろを向いた。
物音一つしない森の中に数発撃ち込み、銃弾が木の表面を削り取る。
何も居ないはずの森から「バレたぞ!」という声が上がった。
「ちょっと探っただけだったんですけど」
「慣れてる奴ならそのまま黙ってる。後ろにいるのはそこまでの奴じゃねぇんだろ」
「じゃあジルは前の手強そうな一人……あぁでも、もう居ないかも」
「あ?」
隠す気が無くなったのか、ざざざと音を立てて前方と後方から人影が飛びだして来た。
人数は合わせて十八人。その内の三人は肩から血を流しているので、彼らは先程リゼルが撃ち抜いた弓の使い手だろう。
リゼルはすっと囲んで来た人々を見回して、微笑んだ。
「逃げちゃいましたね、捨て駒にされちゃいました?」
「ハッ……此処で頭領と一緒に逃げてみろ、殺されちまう」
「どっちにしろ死んじゃうなら一緒だと思うんですけど」
「どんな死に方も頭領に殺られるよかマシだ。てめぇみてぇな優男に殺されるとは思えねぇけどなぁ! 俺らの《フォーキ団》は頭領さえいりゃ潰れねぇ!」
「…………頭領さんの名前、フォーキじゃないですよね?」
リゼルの突っ込みを煩いと一喝し、男達は一斉にリゼル達へと襲いかかった。
弓を持つ者が矢をつがえ、剣を持つ者が乱戦へと踏み込む直前にリゼル達を射抜こうとするが、それよりも早くリゼルの銃が弓を構える者達の脳天を射抜く。
どうせ此処で生かしても連れて帰る手段も無ければ、彼らの言葉が真実ならば傷を抱えて逃げ帰ろうと殺されるだけなのだ。この方が早い。
前後関係無く射抜いているリゼルに斬りかからんとする男は、リゼルの後ろに立つジルによって振り向きもせずに心臓に剣を突き立てられる。
「悲鳴を上げられるとジャッジ君が気づいちゃいますよ」
「もう起きてんだろ」
「怖がらせちゃうって意味です」
すっと血飛沫が飛ぶ範囲から離れ、リゼルは気遣う様に馬車を見た。
チッと舌打ちしたジルが音しか聞こえない一閃を繰り返すと、剣を振りかざした男数人の持ち上げていた腕と首が地面へと転がる。
重さを感じさせない攻撃が一振りで相手の首を落とす異様な光景は、まさに“一刀”の名に相応しい。
常にその背後の死角を埋めながら銃撃を繰り返すリゼルは、対人戦こそ真骨頂かと感心しながら目に付く範囲に居る盗賊の最後の一人の脳天に穴を空けた。
直後、ちょうどジルも最後の一人を切り捨てたらしい。ふっと溜息を吐く音が聞こえる。
「場所を移動した方が良いですね、魔物が寄ってきます」
「……俺が馬車を動かす、お前はもう入ってそのまま寝ろ」
「まだ交代には早いですよ?」
「あいつを甘やかすのはお前の役目だろうが」
呆れたような言葉に、リゼルは納得したように頷いた。
木に繋いでいた馬を馬車に繋ぎ直しに行くジルに後を頼み、リゼルはそっと馬車の扉を開く。
もう火も消してしまった外の光景はジャッジには見えないだろう。
最上の素材で造られた装備は汚れどころか血の匂いすら付かない、良かったと思いながら脱いだ靴を空間魔法に片づけてしまう。
恐らく今日はもう何があってもジルに任せ、リゼルが外に出る事は無いだろう。
「ジャッジ君、ちょっと移動しますね」
毛布に体を包みながら、ぎゅっと小さくなっているジャッジに優しく声をかけた。
視線を合わせるように対面して向かい合うと、涙をいっぱいに含んだ瞳がゆるゆるとリゼルを見る。
緩やかに馬車が動き始めた。ジルが移動を始めたらしい。
「怖かったですね。我慢して待っていられて、良い子」
今にも零れ落ちそうな涙をぬぐおうとする手を、ゆっくりと持ち上げる。
相手の反応を窺う様に差し出された手は、ジャッジが怯えるようだったなら罪悪感を感じさせる事もないほどさり気なく引かれるだろう。
ジャッジは差し出されたリゼルの右手がかすかに顔を覆う髪をなぞったのを見て、思わずぎゅっとその手を握った。
微笑んだリゼルが小さく首を傾げたのを確認し、くしゃりと顔を歪めた。
「ぶ、無事で、良かった……!」
「大丈夫、俺もジルも何とも無いですよ」
握られてない方の手で、今度こそジャッジの瞳から溢れる涙を拭う。
そのまま頬を撫で、くしゃりと柔らかい髪に手を差し込み、落ちつけるようにぽんぽんと優しく叩いた。
ジャッジはぐすぐす言いながら目の前にあるリゼルの肩に顔を埋める。
ぐりぐりと擦りつけられる額とその度に首筋を撫でる髪がくすぐったく、リゼルは小さく笑いながら髪を撫で続けていた。
ぎゅぅっと握られた手は小さく震えていて、それが恐怖から来たのか心配から来たのかリゼルには分からない。
「ほら、朝までゆっくり寝ましょう。眠れる?」
「……ちょ、っと」
未だにドクドクと跳ねる心臓に眠気を覚える事は無く、ふるりと小さくジャッジが首を振った。
肩に埋まったままの彼の額は暖かく、眠気が無い訳ではないのだろうがと握られた手を握り返す。
ジャッジが寄りかかる方の髪を耳にかけ、その柔らかい髪を撫でながらゆっくりと背に掌を下ろして行く。小さく丸まっている癖に広い背中の心臓の裏に差し掛かった辺りで手を止めた。
背中側にまで響いてきそうな心臓の音は、徐々にその音を小さくしていく。
「横になって。手は握っていて良いですから」
「すみません、僕、こんな、何も出来ないのに……」
「ジャッジ君はやるべき事は全部やってくれてますよ」
まだ水に濡れる瞳に微笑みかけ、毛布を肩まで引き上げてやる。
その瞳を覆う様に掌を被せると、震えるまつ毛が手の平をくすぐる感覚があった。
「目を閉じて、おやすみなさい」
しばらくそのままの体勢でいたが、ジャッジが寝息をたて始めたのを確認して静かに手の平を外す。
安眠というには少し悩ましげな寝顔だが、どうやらきちんと眠れているようだ。
ジャッジも何年も行商をしているからにはこういった経験もあるだろうに、それでもこれ程動揺したのはそれほど心配してくれたからなのか。
微かな振動と共に馬車が止まったが、ジャッジは目を覚まさなかった。
「……寝たか」
「すみません、後はお願いします」
「いいからお前も寝ろ」
小さく扉を開けて確認に来たジルに微笑み、リゼルもゆっくりと横になった。
大きな手に掴まれた片手は抜けだせそうになく、また抜けだす気も無いので自由な片手で器用に毛布をかぶる。
その一連の動作を見送ったジルが、やはり小さな溜息をついて流石に甘やかしすぎだと零した。




