165:何故かピンポイントで苦言を貰った
リゼルは老婦人と二人、のんびりと朝食をとっていた。
メニューはサンドイッチ。具はたっぷりのエビと酢漬けの野菜を甘酢っぱいソースで和えたもの。塩気の効いたハムとチーズに甘いドライトマトを合わせたもの。
パンからは焼きたての香ばしい香りが漂い、それに歯を立てれば具材から溢れた汁が沁み込んだ白い生地に辿り着く。そのまま歯ごたえのある具を噛み締めて、咀嚼して、飲み込んで。
「美味しいです」
「まぁ、嬉しい。ゆっくり食べなさいね」
一つ離れた席に腰かけ、紅茶を飲んでいる老婦人が慈しむように微笑んだ。
朝の仕事が済んで一段落ついたところなのだろう。リゼルの朝食を準備した後、彼女は自らの紅茶を持ってやってきた。
もしかしたら、一人の朝食は寂しいだろうと気を遣ってくれたのかもしれない。今はもう出かけているジルやイレヴンに対しても同じようにしたのだろうかと思うと、その光景を見たかったなと少しだけ可笑しくなる。
「ご主人は?」
「今日はギルドに剣術指南に行っているのよ。帰りは昼頃になるかしら」
「そうですか」
「どうかしたの?」
「ご挨拶してないな、と思いまして」
もぐ、とリゼルはサンドイッチへと齧りつく。
具だくさんのサンドイッチも何のその。最初は上手く食べられず、具を零すたびに己の失態に思わず固まったりもしたが今では手慣れたものだ。
いや、具の量によってはどうしようもない時もあるが。それはそういうものなのだとジルとイレヴンに言い含められてからは然して気にしないようにしている。
「あら、そういえば。ちゃんと顔を合わせたのは、やんちゃな子たちだけかしら」
ジルとイレヴンをやんちゃで一括りにする老婦人は強い。
流石は王都の女将の母親だ、とリゼルは深く納得したように頷いた。
「ごめんなさいね、子供みたいに動いていたくて仕方ない人なの」
「いえ、またタイミングがあった時で」
「何か用事?」
「ぜひ武勇伝をお聞きしたくて」
リゼルが微笑めば、老婦人も目元を緩めて紅茶に口をつけた。
いまだ上位に至らぬ冒険者が、元Sランク冒険者へと抱く思いとしては順当だ。宿を営む老婦人とは違い、冒険者時代を誇るように日々を送る老爺にならば尋ねやすいというのもある。
ジルとの出会いに関しては聞くつもりはないが。気になれば本人から聞く。
「あの人、話しだしたら止まらないのよ」
「望むところです」
互いに可笑しそうに笑みを交わし、そしてリゼルはサンドイッチの最後の一口を飲み込んだ。
それを見た老婦人がゆっくりと立ち上がり、食堂を出ていく。然程しない内に戻ってきた彼女の手には淹れたての紅茶、差し出されたそれをリゼルは礼を言って受け取った。
そのまま暫くのんびりと会話を交わしていた時だ。ふいにカラン、と鐘の音が届いた。
「まぁ、どなたかしら」
扉の前に備え付けられた小さな鐘の音だろう。
慌てる様子はなく、ゆったりとした仕草で去っていく老婦人の背を見送ってリゼルは温かなカップをまじまじと見下ろした。
素晴らしい色合いの絵付けが施された陶器のカップは、この辺りではなかなかお目にかかれないだろう代物だ。リゼルが元の世界で交流のあった、というよりは国として交易の独占契約を結んでいた東の国のものに似ている。
いや、それよりも意匠が華やかだろうか。貰いものだと言っていたが、その人脈の広さは流石の元Sランクだろう。
「リゼルさん、お客様よ」
「え?」
ふいに声をかけられ、カップから顔を上げる。
食堂の扉を向けば、微笑ましそうに笑みを深めた老婦人の姿。その後ろから、少しだけ懐かしい鮮やかな翡翠色が覗く。
「久しぶり、リゼル君」
「ヒスイさん」
再会に目元を綻ばせたリゼルに、ヒスイも常の少し不機嫌そうな表情を緩めてみせた。
「サルスにいたんですね」
「最近はね。この辺りうろついてる」
折角良い天気なんだから散歩でもいかが、と老婦人に促され、二人は水路沿いを散歩しながら会話を交わす。
彼女の言葉通り、早朝を過ぎて肌寒さも薄れた時間帯だ。風もほとんどなく、雲一つない青空の映る凪いだ水路を眺めながら歩くのは非常に気持ちが良い。
その水面の青空の上を時々、滑るように小舟が通り過ぎていく。尾を引くように波打つ水面を見下ろしながら、リゼルは戯れるように口を開いた。
「眠くなりそうです」
「今まで寝てたんでしょ? 今日、ちゃんと遅めに来たんだけど」
いつかを揶揄するかのような言葉に笑みを零し、向かいから歩いてくる相手に道を譲る。
のんびりとした歩調を緩めないままに一歩分ヒスイへと寄った。流石に武器防具は外しているものの冒険者装備のままのヒスイ、そして私服のリゼルという組み合わせに、相手はすれ違いながらも盛大な疑問符を飛ばしている。
気にはしないものの不思議には思ったのだろう。ヒスイが怪訝そうに口を開いた。
「やけに見られたね」
「ほら、服装が」
「ああ、そういうの」
ちなみにリゼルは“ヒスイさんの装備が目立っちゃいますね”という意味で言っている。
ヒスイは“私服のリゼル君がお忍び中の貴族に見えるんだな”という意味で言っている。
両者はすれ違ったまま納得を迎えたが、両方正解なので問題はない。
「そういえばアスタルニア、どうだった?」
「楽しかったです。賑やかで友好的な方が多くて」
「へぇ」
ヒスイが少しばかり意外そうに小さく目を見開いた。
「そういうの、好きなんだ」
「え?」
「あんまり得意じゃないと思ってた」
ヒスイのイメージするリゼルは静かな空間がよく似合う。
騒がしい空間を嫌がるとまでは言わないが、あまり進んで混ざりにいくようにも見えなかった。ただ好奇のまま、招かれるままに応えそうではあるが。
「新鮮な体験は楽しいです」
「ふぅん。まぁ、分かるけど」
恐らくそういう事なのだろうと頷くヒスイへと、ふとリゼルは歩調を緩めないままに問いかける。
「俺達の宿、よく分かりましたね。サルスに来て、まだ何日も経ってないんですけど」
「ああ、たまたまだよ」
水路にかかる橋を渡り、すぐ隣の区画へ。
リゼルはヒスイについて行っているだけで、何処へ向かっているのかは分からない。だが迷いなく歩き出したヒスイには目的地があるようだ。
方向としては東の首都。とはいえ首都は冒険者が寄り付く場所ではないので違うだろう。
「覚えてる? リーダーが世話になった人に挨拶に行くって言ったの」
「この国の方なんですよね」
「そう。君が泊まってる宿の二人」
リゼルはぱちりと目を瞬かせ、そして酷く納得した。
ヒスイのパーティはSランク。そんな冒険者が世話になった相手が元Sランク、あるいは世話になったという当時は現役のSランクだったのかもしれないが、成程と言わざるを得ない。
「まぁ、僕もだいぶ世話になったから。話してた時に流れであの二人の子供が王都で宿をやってるって知って、それが君達の泊まってた宿っぽかったからヤマ張ってみただけ」
「会えて何よりです」
「まさか本当にいるとは思わなかったけど」
可笑しそうに目を細めたリゼルに、ヒスイも眉間の皺を緩める。
「リーダーさんはもう?」
「うん、辞めたよ」
ヒスイは随分と彼のパーティリーダーとそのパートナーを慕っていた。
きっともっと一緒にパーティを組んでいたかっただろう。しかしその言葉に悲壮感はなく、彼らしくあっさりと、しかし確かに二人の幸せを願う気持ちに溢れていた。
「冒険者としてやっておくこと全部やって、予定通り王都でギルドカードを返して、二人の家探しとかお祝いとかで暫く王都にいたかな」
「パーティランクとかってどうなるんですか?」
「僕たちは変わらないよ。主力が抜けて下がる場合もあるみたいだけど」
つまり、ヒスイを含めた残る三人で十分にSランクの依頼をこなせると判断されたのだろう。
リゼルは彼らパーティの実力をしらないが、いつか見たヒスイの弓の腕前を思えば当然か。他のメンバーも同程度の力を持つならば、疑いようもなくSランクの名に相応しいパーティに違いない。
「なら、新しいメンバー募集とかもしないんですね」
「何、入ってくれるの?」
「君達がこちらに入るなら良いですよ」
互いに本気でないのは分かりきっているので、戯れるように言葉を交わす。
「まぁ、そういうので絡まれることは増えたけどね。そこ、気を付けて」
「有難うございます。やっぱりあるんですね」
細い路地へと曲がれば、地面の端に並べられた煉瓦と鉢植え。
揺れる小さな花に微笑み、リゼルは蹴ってしまわないように気を付けながら歩く。
「いくら“Sランクに相応しい実力がある”とか言われてもね、募集してないし」
「売り込みは大事ですよ。うちのイレヴンだってそれでパーティ入りしました」
「確かに、絶対メンバーを増やしたくないとかもないけど」
路地の先、振り返ったヒスイは少し照れたように眉を寄せていた。
「でも、まだいいや」
それが感傷なのか、そうではないのかはリゼルには分からない。
しかし一番大切なのは彼らの意思。ただ「そうですか」と告げて微笑めば、ヒスイがふと肩の力を抜いたように見えた。もしかしてと口を開く。
「今のリーダー、ヒスイさんですか?」
「そうだけど」
何故分かったのかと不思議そうにしながら、ヒスイが路地から足を踏み出した。
リゼルもそれに続く。小さな石のアーチを潜って狭い日陰から開けた日向へ。路地を抜けて一気に広がった視界に飛び込んできたのは、煌めく水面に浮かぶ色とりどりの物売り船だった。
「ここは……」
そこは国中に張り巡らされた水路の突き当たりの一つ。
四角い広場に丸く広がる水面は、本来ならば別の用途があるのかもしれない。だが今や外周に沿うように小舟がひしめき合い、船を飾る色とりどりのひさしやフラッグが人々の目を楽しませていた。
そこかしこから客寄せの声や買い物を楽しむ声、幾つも置かれたベンチで賑やかに話し合う声がする。
「水上マーケット。まだ来てなかった?」
「はい、初めて見ました」
「良かった。色々あるよ、流石に本はないけど」
「残念です」
先に釘を刺された。とはいえ水気に弱いものなので仕方ない。
リゼルは然程落ち込まず、どこから見ようかと周りを見回した。それだけで工芸品、装飾品、軽食や飲み物など様々なものが目に入る。
商業国の露店広場とはまた違った雰囲気の、心躍るような市場だった。
「目線を下げなきゃいけないのが面白いです」
「何それ」
水路沿いを歩き、小舟に並べられた品々を眺める。
何せ商品が今踏みしめている煉瓦の高さと同じ、船によっては少し上だったり下だったりするものの見慣れない高さにあるのだ。それが新鮮で面白かった。
「リゼル君。服があるよ、服」
「あ、丁度よかった。もう一枚、羽織るものが欲しくて」
「リゼル君はこういうとこで買わない方が良いと思う」
ならば何故、とリゼルがヒスイを見るも、その時には既にヒスイの視線は隣の物売り船へと移っていた。
「あ、毛布だ。婆さまに一枚買ってあげようかな」
「お婆様というと」
「うん、宿の」
そうして船を次々と覗いていた時だ。
どこからかパァンッと何かが破裂したような音がした。
咄嗟にマーケットがざわつく。音と同時に魔力を感じたリゼルがその方角を向けば、破裂した魔力の残滓が北の空に煌めいていた。
あれは何だろうとヒスイを見てみれば、咄嗟にこちらへ伸ばしかけた手を下ろしながら平然とした顔をしている。周囲のざわめきもすぐに落ち着いているので、危険なものではないのだろう。
「ヒスイさん、今のは?」
「あれ、水路に魔物が侵入したっていう合図」
「ああ、成程」
感心したように頷いたきり、リゼルは次の小舟へと歩き出した。
その横顔を、今度はヒスイが意外そうに眺める。もう少し何かあるかと思ったがと彼は疑問を露わに問いかけた。
「それだけ?」
「何がですか?」
「魔物、気にならない?」
何を聞かれているのか分からないといった顔をしたリゼルが、何も特別な事はないとばかりにそれを口にした。
「ここ、支配者さんがいるんですよね。水上都市の魔物対策、彼なら片手間で済ませられるでしょうし」
ヒスイが一瞬目を瞠り、そして物言いたげにリゼルを見つめる。
“異形の支配者”。商業国への大侵攻を己の研究に利用し、一都市を崩壊させかけた男。
確かに国付きの魔法使いだ。つまり国への貢献が必須であり、要請があれば応えなければならない。それを果たしてこそ巨大な後ろ盾と莫大な資金を得られるのだから。
そんな彼の野望を挫いた者こそ、今のんびりと物売り船の店長と話しているリゼルなのだが。
「……リゼル君って主観で人の評価変えないタイプ?」
「そんな事ないですよ、身内はしっかり贔屓します」
「例えば?」
「ジルとイレヴン、冒険者の中でもトップクラスです」
「それは事実」
あれ、とリゼルは目を瞬かせた。
今まで出会った冒険者など全体の半数にも満たないだろう。それにも拘らず断言してみせた事こそ、リゼルにとってはしっかり身内贔屓なのだが。
ちなみにジル達は己の実力の位置づけに興味がないので、聞いてみても「知らねぇ」で終わる。
「まぁ良いや。なら話しておこうかな」
ヒスイがリゼルの隣にしゃがみ、果実生絞りの果実水を売っている店主へ二人分注文する。
二人に目の前でしゃがまれて呆然としていた店主が、すぐさま手を動かし始めた。リゼルも何かあるのだろうかと首を傾げつつ、ヒスイに続いて自らの分の銅貨を瓶の中へと落とす。
「その辺、座ろうか」
「はい。あ、あそこの水路とか」
「ベンチ空いてるけど?」
ヒスイは目の前で絞られ、渡された果実水の内の一つをリゼルへ手渡した。
そして何故か地べたに座りたがるリゼルをベンチへと引っ張っていく。並んで座り、賑わうマーケットを眺めながら彼は何となしにそれを口にした。
「ちょっと前、ここの上層部に君達について聞かれたよ。大侵攻関係」
リゼルは麦藁のストローを咥え、一口飲みながら“そういえば”と思い出す。
以前、アスタルニアで盗賊の精鋭が教えてくれた。サルスの要人がヒスイ達のパーティに接触したようだというだけだったが、タイミング的に大侵攻で支配者に接触した冒険者についての情報収集であると結論付けたのだった。
「ご迷惑おかけしてすみません」
「何で? 別にリゼル君には何もされてないけど」
心から不思議そうな表情を浮かべ、ストローなど使わず果実水を口へと流し込むヒスイへとリゼルは微笑んだ。冒険者として貸しにしておくのも手だろうに、有難いことだ。
「まぁ、大体君の予想通りだったかな。君達が大侵攻の黒幕を支配者だって気付いてるか、それとも“謎の強力な魔法使い”として対峙したのか、いまいち確証はもってなさそうだった」
「今もそうかは分かりませんけど」
「そうなの?」
「はい」
頷いたリゼルをヒスイがじっと見る。翡翠色の髪が一房、額で揺れた。
「アスタルニアで何かあった?」
「支配者さんの関係者と、少し」
話す気はないと悟ったのだろう。
あっさりと引き下がってくれたヒスイに、リゼルはほっと一息ついた。流石に一冒険者として「実は誘拐されまして」とは同業者相手に情けなくて話せない。
もしヒスイが同じ状況に陥ろうとも、誘拐などされないだろうと思えば尚の事。初見のクァトがSランクに完膚なきまでに叩き伏せられる姿しか想像ができない。
「警戒、されてました?」
「君みたいに国の思惑を探るなんて真似、僕はできないんだけど」
飲み込んだ果実水、その果肉を噛み潰しながらヒスイが記憶を漁るようにベンチの背もたれへと体重をかけた。適度に広げられている両膝がゆらゆらと揺れる。
時折その視線がすっと斜め上に流れるのは、変に話を盗み聞きしようとする者がいないか探っているのかもしれない。一応、というよりは無意識に近いか。
「でもまぁ、気にしなくて良いでしょ。一刀っていう有名どころがいるしね、支配者に対抗できたのも冒険者最強のお陰って納得されてるみたいだし」
「そういうつもりでジルに頑張ってもらった訳じゃないんですけど……」
「彼の場合、不可抗力じゃない?」
恐らくヒスイの言う通りなのだろう。
たとえジルが大侵攻に一人で居合わせたとしても、溢れる魔物を黙々と殲滅して最大の功労者となった筈だ。元凶の存在は露見しないまま、彼の研究を破綻させる。
そうなると商業国がサルスから慰謝料を巻き上げられなくなるし、被害を最小限に抑えたかったのもあってリゼルはその方法を取らなかった。
なにせ元々はシャドウに恩を売ることが目的だったのだ。恩を売った結果がアレだったのは気にしない。
それに加え。
「(面倒臭がりそうだし)」
一人で黙々と魔物を斬っている姿は容易に想像できるというのに、自身へと「面倒くせぇ」と言い切る姿もまた同じように想像できるのだ。
パーティを組んでいる甲斐があるものだ、と笑みを零してストローを食む。
「それに多分、敵意とかそういうのは持たれてないよ」
「そうなんですか?」
「うん」
少なくなってきた果実水、その底に溜まった果肉を集めるようにヒスイがグラスを揺らす。
「勿論、君たちがサルスの悪評流さないかって心配はしてるだろうけど」
「流しませんよ」
「そう、王都の国王はそう判断して放置してたでしょ?」
そういえば、とリゼルは吸い上げた果肉を奥歯で噛み潰しながら頷いた。
ぷちりとした食感と同時に甘酸っぱさが広がる。小舟に並べられた果物から適当に選んだのだが、一体何という果物だったのだろうか。
「あっちの今の国王は、究極の事なかれ主義なんだよね。自国にすっごい利益は出さないけど、絶対損も出さないっていう」
「優秀な王なんですね」
「そうなの?」
たしかに高い評価は抱かれにくいだろう。
だが絶対に損を出さないということは、不利な状況でも必ず五分まで持ち直せるという地力を持つということ。必然、多少の国益を積み重ねながら安定した治世を行える王であるという証明となる。
「そのパルテダール王のご判断が、そのままサルス王に通用するんですか?」
「するよ。ここの国王、人の好さそうな普通のおっさんらしいんだけど」
流石はSランク、面識があるのか近しい人物と交流があるのか。
国のトップの事情にも随分と精通しているのだろう。リゼルは感心しながらも話の続きを促す。
「人望はあるけど、優秀かはどうかな。だからそういう、“優れた誰かの優れた判断”っていうのを重要視するみたい」
「あ、成程」
非常に分かりやすい。
とはいえ国としても最低限の情報収集は必須だろう、それがヒスイ達への接触に繋がった。
リゼルとしても気持ちは非常によく分かる。よって思う存分探ってもらって良いし、気が向けば何かのついでに心配しなくて良いよと手を振り返したりもしてきたが。
「(大変だなぁ……)」
そんな善良な国王の元、己の欲に忠実に暴走した支配者とその信者。
当の国王は胃でも痛めているのではないだろうか。たとえ優秀だとしても制御できない部下など持つものではないな、とリゼルはしみじみしながら果実水を飲み込んだ。
「あ」
「ピアノの音ですね」
ふいに届いた音色に、ヒスイが果肉を呑みきるのを諦めて視線を上げた。
水上マーケットを挟んだ対岸に人だかりができている。どうやらそこから聞こえてきたようだ。
「知ってるの?」
「はい。この辺りでは初めてみました」
「そうだね。もっと西の方の楽器なんだけど」
珍しい、とどちらからともなく立ちあがった。
グラスを物売り船の店主へと返し、人だかりの方へ。何処かの演奏家のパフォーマンスか、それこそ西の楽器商人が珍しい品を運んできたのか。
リゼルは懐かしさからだが、ヒスイは何だろうか。尤もそれが身近であっただろう彼の出自を、誰より彼自身が疎んでいる事にはリゼルも既に気付いている。
しかし、そっと盗み見た横顔からは興味しか窺えない。
「演奏、好きなんですね」
「うん、よく聞いてるよ」
流れの演奏家、語り弾き、ただの趣味。
路上を歩いていると時々聞こえてくるそれを好み、足を止める事が多いという。純粋に好きなのだろう。
「ピアノ、上手いね」
「そうですね」
美しい音色に耳を澄ませながら人だかりの後ろに立てば、身なりの良い紳士が鍵盤を叩く姿が見えた。
人だかりは女性ばかり。後ろだろうが視界に不自由せず、互いに何も話さずそれを眺めていればふいに目の前で演奏に聞きほれていた女性二人組が振り返る。
見開かれた目に、どうしたのかと思いながらリゼルは微笑んで返してみせた。すかさず前を譲られる。
「いえ、ここでも」
「いえいえ大丈夫なので全然、どうぞどうぞ!」
「良いって。行こう、リゼル君」
流石に女性を押しのけては、と遠慮するも押し通された。
よほど近くで聞きたかったのだろう。遠慮の欠片もなくスタスタと前へ行ってしまうヒスイを追いかけ、いつの間にか演奏者がよく見える位置へ。
「本日は私のピアノ演奏を聞いてくださり、有難うございました!」
「あ、終わっちゃったかな」
「残念ですね」
すると、ちょうど演奏者が立ち上がるところだった。
小声で呟いたヒスイに同じように返せば、ふいに演奏者と目が合った気がした。若い男だ。
胸に手を当て、一礼を送られる。
「残念とのお言葉とても光栄です。宜しければもう一曲いかがですか?」
「良いんですか?」
「ええ、勿論」
流石、とぼそりと零したヒスイに苦笑し、それならばと口を開こうとした時だ。
「芸術の如何も理解できない冒険者よりは、よほど有意義な時間をお届けできるかと」
ん、とリゼルが首を傾げかけた瞬間にその腕を握る者がいた。
「は?」
あっと思った時は遅かった。
ヒスイは誰がどう見ようと冒険者である。リゼルも王都で城に招かれた際に彼を見かけなければ、その際の些細な仕草に違和感を抱かなければ、もしかしたら過去に上流階級の出身であると気付けなかったかもしれない。
つまり売られた喧嘩は積極的に買う。そんな彼に引っ張られるように、リゼルは人だかりの真ん中へと連れ出された。
「何だ、図星をつかれて暴力にでも訴えるか?」
「リゼル君、これ弾ける?」
煽るような演奏者の言葉に反応することなく、ヒスイの瞳がリゼルを見た。
当然のように聞く彼は、それが冒険者に向けるには異常な質問であると理解している。だが、相手がリゼルに限りそうではないとも思っている。
証拠に、ぱちりと一度だけ目を瞬かせたリゼルが困ったように口にしたのは。
「弾けますけど、人に聞かせるとなるとヴァイオリンの方が」
「じゃあ弾いて。待ってて、どっかから借りてくるから」
「あ、ヴァイオリンならあります」
「何で?」
何でと言われても、とリゼルは少しばかり口ごもる。
「宝箱から……」
「だから何で?」
「え」
そんなに変なのだろうか、とリゼルは微妙にショックだった。
腕を握るヒスイの手が離れる。ひとまず言われるがままにヴァイオリンをポーチから取り出していれば、突然の展開に呆然としていた演奏者が我に返ったようにヒスイへと詰め寄った。
「おい、どういうつもりだ!」
「リゼル君、何弾ける?」
ヒスイは詰め寄る男を簡単にいなし、ピアノへと向かっていく。
「あまり数は……“星々の守る揺り籠”、“剣舞う祭事のウタ”、あとは“風の向かう先”」
「なんか劇団が好きそうな曲だね」
「あ、そうなんです。そちらの奏者の方に聞いて」
求められているのは互いに知る曲なのだろうと、リゼルは此方に来てから覚えた曲名を挙げた。
ヴァイオリンを迷宮で手に入れてからは時々、腕がなまらないよう空いた時間に宿で弾くようにしている。最初は元の世界の曲が多かったが、とある王宮の書庫でこちらの曲を聞きこむ機会があってからは新鮮さも相まって練習する事があった。
「じゃあ“祭事のウタ”ね」
「ヒスイさん?」
「弾いて」
ピアノの椅子、その隣にヒスイが立つ。
煌めく翡翠色を揺らす彼にリゼルは微笑み、ヴァイオリンを構えた。さて、足を引っ張らなければ良いのだが。
少しの調律の後、姿勢を正して弓を構える。
「冒険者風情がそれに……ッ」
「弾ける癖に聴き方は知らないの?」
壊されては敵わないと食ってかかる演奏者に、呆れたようなヒスイが片腕を持ち上げた。
それを横目で確認し、リゼルは観衆の視線を一身に受けながらも弦に弓を滑らせる。
“剣舞う祭事のウタ”は村を襲う嵐を鎮めようと舞う祭司たちの唄。祭具である双剣を手に、黒風や天声を迎え撃たんと剣戟を響かせる戦祭司の曲だ。
始まりは厳粛に。舞を天へと捧げる誓いを。低く、高く、ヴァイオリンの音が広場の空へと響き渡り。
ヒスイの手が鍵盤を左から右へと滑った。怒涛の勢いで音が襲い掛かる。
あまりにも滑らかで力強いグリッサンド。同時に腰かけた彼の両手の指が鍵盤を激しく叩くのにリゼルは瞠目し、しかし直ぐに素晴らしいとばかりに目を細めた。
負けず強く弓を引く。始まりからこんなフルスロットルな演奏で山場について行けるだろうかという心配はあったが、ふいに視線の合ったヒスイの瞳はリゼルが合わせられると疑いもしない。
「(でも、確かに)」
ピアノが奏でるのは、超絶技巧と称されるに相応しい縦横無尽の音。
小指に至るまで力強く、しかし粗雑とは感じさせない精密さを兼ねる。冷静でありながら激情に富み、美しさを表現する芸術というよりはただただ相手を圧倒する為の手段であるかのようだった。
まさにSランク冒険者である彼を表すような演奏。それを思えば、リゼルが付いていけているのは奇跡のようなものなのだろう。
演奏は交わされる剣戟へ。
ヒスイの五指が鍵盤に叩き付けられる度、広場の水面が震えるようだった。リゼルはその隙間を縫うように弦の全てを途切れず刻み、音色を幾重にも重ねる。ネックを支える片手の指は絶えずポジションを変えていた。
激しい音色に同調するように人だかりが騒めく。広場を囲む家々の窓からは驚愕を浮かべた人々が次々と顔を出した。何も言えず立ち尽くす演奏者は何を思っているのか。
そして演奏は最後の剣戟へ。ヒスイの右手が鍵盤を叩き付けると同時に、リゼルも力強く弓を引いた。
音が裏返るかどうかのギリギリの高音が、まさに雷雨を打ち払うかのように晴天へと余韻を残す。
残るは、凪いだ空を見上げる祭司の横顔を思わせる穏やかな音色。
先程の激しさを忘れたかのようなゆったりとしたそれに、観客は無意識の内に詰めていた息を吐いた。
そしてピアノとヴァイオリンが同じ音を重ね、演奏が終わる。
「冒険者が芸術の如何も理解できないっていうのは同意するよ」
沸き起こる歓声の中、ヒスイは常の少し不機嫌そうな顔のまま立ち上がる。
手首を解すように両手を振り、唖然とした演奏者へと歩み寄った。
「僕も、僕自身がこれ弾ける事、心底くだらないとしか思えないから」
「な……」
相手の返答になど興味がなさそうに告げて、彼は演奏者を一瞥しながらすれ違う。
「けど今、君の演奏をただ聴くよりはリゼル君に有意義に過ごして貰ったと思うけど」
どうだとばかりに視線を向けられ、リゼルは苦笑しながら頷いた。
確かに非常に有意義だった。人前での演奏がというより、類まれなる才と一時でも肩を並べられたという経験が。
いや、実際に並べられていたかは定かではないが。どちらにせよヒスイにそれを告げれば酷く嫌がられそうだと口には出さない。自分自身の演奏をくだらないと称しながら、自分以外の演奏ならば何であろうと好む彼の割り切り方は非常に複雑だ。
しかし、とリゼルは構えを解いたヴァイオリンを手に周りを見回す。ヒスイと演奏者との不穏なやり取りに、演奏を聴いた高揚に戸惑いが混じり始めていた。
「ご清聴、有難うございました」
折角の演奏だったのだ。気持ちよく聴き終えてもらいたい。
隣に並んだヒスイが不思議そうにする中、ポーチへとヴァイオリンを仕舞いながらにこりと微笑む。
「冒険者はこんな事もできますアピールでした」
そして広場は静寂に包まれた。
流れ的に拍手が貰えると思っていたリゼルが首を傾げるのを、誰もが唖然とする中で唯一人ヒスイだけが心底不可解そうな目で見つめるのだった。
その後、リゼル達は何事もなかったかのように散策を再開した。
ヒスイが路地裏の隠れた本屋を教えてくれたのでリゼルは大満足だ。あれやこれやと本を漁り、やはり支配者の研究書が多いなと取り敢えず手に取り、そうして本嫌いなヒスイを存分に付き合わせてしまったのは反省すべき事だろう。
謝罪するリゼルにしかしヒスイは全く気にした様子はなく、それからも色々な場所を案内してくれた。
そして、地平線から茜色が滲み始めたころ。
「今日は有難うございました」
「別に、普通に遊んだだけだし。あ、でも美味しい肉屋が知れたのは僕もラッキーかな」
互いの宿への分かれ道で立ち止まり、ひらりと手を振る。
「じゃあまたね」
「はい、また」
どうせ暫くサルスにいるのだ。
冒険者ギルドでも停留所でも顔を合わせるだろうと、二人は至極あっさりと帰路へとついた。
ちなみに後日、広場でのアピールについてギルド職員から少しばかりの苦言を呈される事になると今のリゼルは知る由もない。
Wordの保存がWifi下かそうじゃないかで面倒なのでクラウドのリンクを切ったら、完成まじかの最新話データが飛んでったのが未だに何が起こったのか分からない。
何故…保存する時はPCのデスクトップを選択してたのに何故…クラウドとは一体…ショック過ぎて前に書いてたのとは全く違う話を書いてしまった…。
あと活動報告は最近監視されてるからこっちで言っとこ。
TOさん見てる~~??最新話どころかあらゆる書籍データが飛んでったよぉ~~!!(ダブルピース)




