160:珍しい食材を使いたいだけ
まるでバーのような雰囲気の酒場。
その店内のカウンターでリゼルは一人、鶏肉と野菜のカルピオーネをつつきながらカクテルを嗜んでいた。勿論ノンアルコールだ。
客もはけ始める真夜中近く。今日はこの店でゆっくりしようと決めていたので、予定通りの遅めの夕食だった。
「魚料理か……うちでも取り扱ってはいるが」
「やっぱり海の魚は難しいですよね」
客から“マスター”と呼ばれている店主とのんびりと会話を交わす。
アスタルニアで、産地で食べる魚の味というものをしっかり堪能してきたリゼルは早速それを恋しがっていた。食べられるなら食べたい程度で、どうしてもという訳でもないのだが。
「そんなに美味かったか?」
「それはもう」
「ならば、仕入れたいものだ」
愛想のない顔を緩めてマスターが笑う。
その後ろ、ワインが並べられた木製の棚の腰ほどの高さにある一段。奥の板が取り払われ、キッチンへと繋がっているそこから一本の腕が差し出された。その手が、トントンと棚をノックする。
店内の何処からも腕と腰辺りしか見えない上、男とも女ともとれる手。料理を担当している誰かを、リゼルは相変わらず一度も見た事がなかった。
「すまないな」
「え?」
ふいに、リゼルの前に皿が一つ置かれる。
「うちの魚料理も負けていない、だそうだ」
リゼルは可笑しそうに笑い、その皿を引き寄せた。
魚の身にフォークを差し込み、一口。身は引き締まっていてしっかりと魚の味がする。ソースに使われた柑橘類の爽やかさと繊細な味が絶妙だ。
「凄く美味しいです」
棚の向こう側へ声を投げかければ、棚板に置かれていた手がぐっと親指を立てて機嫌が良さそうに揺れた。そして料理へと戻ったのかその場を離れていく。
僅かばかりキッチンの壁が窺えるだけとなった棚の隙間から視線を離し、リゼルはふっとマスターへと視線を向けて微笑んだ。
「この店の料理は絶品だって、ずっと思ってますよ」
「そうか」
「特に、自分でやってみるとその凄さが分かります」
「……料理をか?」
「はい」
そして楽しそうにカレー作りを語りだしたリゼルに、マスターは最初こそ驚いていたものの静かに頷きながら聞いてくれた。
翌日、ギルドに顔を出したリゼルは依頼ボードで一つの依頼を見つけた。
【“忠臣望む狼”の角が欲しい】というBランクの依頼だ。然して悩まずに手にとる。
「即決じゃん」
「それにすんのか」
「はい」
珍しい、と依頼用紙を覗き込んでくるジルとイレヴンに、ちょいっと依頼主の部分を指さしてみせた。そして可笑しそうに笑う。
「昨日言ってくれても良かったのに」
そこに書かれていたのは昨晩訪れたばかりの店の名前。
依頼内容を見る限り、依頼主は姿の見えぬ料理人だろう。いつも美味しい料理を食べさせて貰っているのだから、たとえ指名依頼だろうと断らないというのに。
「ナイトウルフって初耳ですね」
「俺も知らねぇー」
魔物図鑑を読破しているのに珍しい、とイレヴンが意外そうにリゼルを見た。
とはいえギルドに置かれている魔物図鑑は、冒険者から持ち寄られた情報がほとんどだ。依頼に関係のない魔物を気に掛ける者などおらず、近辺で見ない魔物については書かれない。
ヴァンパイアの情報がアスタルニアの冒険者ギルドの魔物図鑑には載っていて、王都のものには載っていないのと同じ事だ。つまり、この辺りの魔物ではない。
「まぁ、珍しいっちゃ珍しいな」
リゼルの手元を覗き込み、呆れたように告げるジルは色々な国に行っている。
知っているのだろうとリゼルが顔を向ければ、一瞥ののち非常にざっくりと説明してくれた。
「幻覚見せてくる狼。もっと西の方の森とかにいんだよ」
「幻覚?」
「自分が仕えるに足る主、ってのを探してんだと」
つまり、幻覚が何かしらの試練なのだろう。
ジルも直接対峙した事がある訳ではないようで、知っているのは噂程度らしい。とはいえ噂でも有るのと無いのとでは大違いだ、有難いと頷いてリゼルはもう一度依頼用紙を見下ろした。
「それをクリアすりゃ角が手に入るらしい」
「は? 普通にぶっ殺して獲りゃ良いんじゃねぇの?」
「出来りゃ噂なんざ出ねぇだろ」
「あーね」
話し合う二人に嫌そうな様子はなく、リゼルは微笑んで依頼用紙を手に待ち構えているスタッドの元へと向かった。
何処までも広がる平原。
振り返れば王都の城壁が遠く見え、見回せば点在する森が視界に入る。しっかりと整備されている訳ではないが、行き交う馬車に踏み固められた街道。そこを歩きながら先を望めば、遠くに薄っすらと小さな村の影が見えた。
「こうしてゆっくり歩くのは久しぶりですね」
「いつもは馬車だしなァ」
三人は街道に沿って、のんびりと歩を進めていた。
まだ真上に昇りきらない太陽の日差しが、朝の少し冷えた空気の中では心地の良い暖かさだ。眠くなりそうだ、なんて話しながら朝露に濡れた草原を眺める。
「狼が出てくんの何処って?」
「王都から二つ目の村の、北東の森らしいです」
「西から移って来たのかもな」
「あの料理人は何でそれ知ってんの?」
リゼルもジルもそれは分からない。
だが、料理人独自の情報網があるのだろう。依頼用紙には、件の狼の角は高級調味料として上流階級ご用達扱いされているらしいと書いてあった。
以前から時折、魔物素材を所望していた料理人だ。例の狼が王都の近くに現れたと聞いて、居ても立っても居られなかったのだろう。
「狼の角を食おうっつーんだから料理人って頭おかしい」
「あいつらも大概職人だからな」
「何でも最初に味が気になるんでしょうね」
料理人への熱い風評被害を抱きつつ、三人がしばらく歩いていた時だった。
向かいから一台の馬車が近付いてくる。馬車というより荷車か。近くの村々が朝一で王都へ作物などを運ぶ事も珍しくはなく、リゼル達は道を譲るように左右に分かれようとする。
リゼルとジルが右へ。イレヴンが左へ寄ろうとして、やはり右へ。そして荷車とすれ違う。
「どうも、おはよう。冒険者さん…………?」
「おはようございます」
荷車に座りながら馬を操る御者と、すれ違い様に挨拶を交わす。非常に疑問を持たれたが。
荷車にも一人乗っていた。木箱に肘をかけ、のんびりと片手を上げた彼にリゼルもひらりと手を振る。
互いに足を止める事なく、穏やかに交わされた挨拶。すれ違えば、もはや互いを気に掛ける事もない。
「今の盗賊かなんかッスね」
何歩か歩いた時、ふいにイレヴンが何て事なさそうに告げた。
リゼルはぱちりと目を瞬かせる。馬車を振り返りはしなかった。
「そうなんですか?」
「そ。これから一仕事すんのかも」
「じゃあ、荷馬車を装ってっていう事でしょうか」
「てめぇんトコ関係じゃねぇの」
「ニィサンは直ぐそう言うー」
ジルも本気で言っている訳ではない。
だからこそイレヴンもケラケラと笑い、無い無いと手を振った。もし精鋭の内の誰かが何かしたくて動かしていたのだとしても、それはイレヴンにとっては何も関係ないからだ。
イレヴンが使おうとした時以外、何をしているのかなど興味はない。自身と、リゼルに害がなければそれで良いのだから。
「つうかお前ああいうのは気付かねぇのか」
「俺ですか?」
とある舞踏会で、何かしら不穏な目的を持つ相手を次々と指摘したのがリゼルだ。しかし彼は苦笑を返す。
「ちょっと顔を合わせただけじゃ分かりませんよ。心が読める訳じゃないんですから」
「読めねぇの」
「ジル」
揶揄うように唇を歪める相手を、リゼルは一体自分の事を何だと思っているのかともの言いたげな目で見てみた。鼻で笑われた。
「よっぽど注意して見れば分かるかもしれませんけど」
「ああ」
「あー」
リゼルの言葉に、ジルとイレヴンも思い当たる所があったように頷く。
つまり、敢えて見抜こうとした時。それ以外だと、関心を向けるべき相手と顔を合わせた時。前振りもなくすれ違うだけの相手に興味を持てという方が難しい。
変なところで周囲への関心が薄いリゼルらしい、と二人は深く納得した。
「イレヴンは良いんですか?」
「ん?」
爪先に当たった石がころころと道の端に転がっていくのを眺め、リゼルがふとイレヴンへと問いかける。
「以前の事とはいえ自分の縄張りを荒らされるのが嫌、とか」
「つっても縄張りとか考えた事ねぇし」
「餌に愛着湧かねぇんだろ」
「あ、そういう」
特定の拠点を持たず、誰にも実態を掴ませなかったフォーキ団。
その筆頭であるイレヴンや精鋭達を見れば、掴むべき実態など無かったのだと分かる。そんな彼らにとって、王都での活動も特に何か目的があった訳でもなければ、居座ったのがたまたまパルテダールであったに過ぎないのだろう。
ならば、自身らが好きにするのに邪魔にならなければそれで良い。
「あの人達は何するんでしょうね」
「裏商店で何か売るんじゃねッスか」
「運が悪けりゃ門で捕まんな」
「その方が良いんでしょうけど」
リゼル達はそんな事を話しながら、目的地に向けてのんびりと歩いて行った。
辿り着いた森は広大という程ではなかった。
少し離れた村から見れば、森の端から端まで見渡せる。とはいえ、闇雲に歩いて目的の狼を見つけられる程に狭くもないのだが。
「狼がいそうな場所って何処でしょうね」
「獣道っつってもなァ」
「森なんざそればっかだしな」
ひとまず、何かしらの手がかりを得るまでは歩き回るしかないだろう。
リゼル達は近くの村の住民らが出入りしているのだろう、申し訳程度の獣道を歩く。
「“仕えるに足る主”ねぇ」
先頭を歩くイレヴンが、木の枝にひょいっと頭を下げながら胡散臭そうに呟いた。
「どんな幻覚見せられんスかね」
「狼の主っていうのが……群れのリーダーっていう意味でしょうか」
「狼になる幻覚見せられるって?」
「ニィサン楽勝じゃん」
「あ?」
過去に迷宮によって犬にもなれば狼にもなったジルにイレヴンがケラケラと笑う。
ジルにとっては不可抗力であり、ガラの悪さを強めてそんな彼へと後ろから視線をやるその間。何故か兎にされた経験を持つリゼルは密かに、もしそうなら自分は絶望的なのではと己の限界を悟っていた。
「つうかそういうのならこいつの独壇場だろ」
「え?」
ふいにジルから寄こされた声に、リゼルは何故だと顔を横に向けて後ろにいるジルを見る。直ぐに前を向け、と指で促されてしまったが。
「従えんのは慣れてんじゃねぇの」
「あー」
納得したように声を漏らしたイレヴンとは逆に、リゼルは苦笑した。
言わんとした事は理解できるし否定もしないが、同意もしにくい。自身についてきてくれる者達を誇りには思うが、従えようと思って従えた事などないのだから。
「敢えてそうする、とかはあまり考えた事なくて」
「あー……」
「……そりゃそうか」
二人も何となくリゼルの言いたいことを察したのだろう。
イレヴンは再び納得の声を漏らし、ジルも自分で口にした事ながらすんなりとリゼルの言葉を受け入れた。
「じゃあリーダーの貴族モード……仕事モード? の時って相手の事どう思ってんの?」
「俺としては、明確に意識して切り替えてる訳じゃないんですけど」
うーん、とリゼルは考える。
そもそも仕事に臨む姿勢として、気を引き締めるのは当たり前の事だろう。貴族社会の基本として“相手に侮られないように”というのもある。それでも“相手より上に立つ”とは全くの別物だ。
立場の上下は関係なく、とにかく自分の意見を通す事を重視すると言うべきか。確かに立場が上の方が意見が通りやすい事は多いが、それを省いた議論の方が有意義だろうと思えばリゼルは自身が上位であっても容易くその立場を捨てる。
なので、リゼルにとってはそこは大して問題ではなく。
「相手がどうっていうより、よし頑張るぞって気合を入れてるというか」
「リーダーはよし頑張るぞでああなんの?」
「気楽すぎんだろ」
「俺それに泣かされてんスけど」
「ん、何て言えば良いでしょう」
何か分かりやすい言い方がないかと、がさりと揺れた茂みに視線をやりながらリゼルは悩む。
そしてふと、以前冒険者ギルドで耳にした単語を思い出した。あれならば伝わりやすいだろうと、ぱっと顔を上げる。
「マウントをとってやろうって気持ちです」
「マウントをとってやろうって気持ち!?」
「お前それ何処で覚えた」
思わず足を止めたイレヴンと、嫌そうに顔を顰めたジルに、違っただろうかと内心首を傾げる。
とはいえ、ジル達もリゼルが敢えて従えようと思った事はないと悟ったのだろう。まぁわざわざそんな事をしなくても良い立場だしなと、二人はマウント発言を引き摺りながらも受け入れて歩みを再開させた。
「俺としては、むしろイレヴンが得意そうだと」
「おい」
ふいに後ろから肩を掴まれ、リゼルは歩みを止める。
次の瞬間、今まさに通り過ぎた茂みから一匹の魔物が飛び出してきた。リゼルが銃を向けるより先にジルが剣を一閃する。
斬り捨てられた魔物はカマキリに似ていた。鋭い鎌をぴくりぴくりと地面で揺らすそれに、リゼル達は足を止める。光沢のある草陰色の体には、一輪の白い花が絡みついていた。
「ん?」
リゼルが手を伸ばし、花の茎を摘まんだ。
持ち上げようとすると、真っ二つになり少し軽くなった魔物の体もわずかに持ち上がる。
「根が張ってますね」
「寄生されたって事?」
「最初からこういう魔物、ではないですよね?」
「ねぇな」
リゼルは爪の先で摘まんだ茎の中程をちぎった。
特に固くも何もない。植物系の魔物ではないだろう。純粋な植物として特異な性質を持つものも少なくはないので、その類だろうかと少しだけ香りを嗅いでみる。
「ちょっと甘い匂い」
「あんま変なもん試すなよ」
「どれ?」
リゼルが花を差し出せば、イレヴンも鼻を近づける。
「ジルはこういうの、見た事ありますか?」
「この辺りじゃ迷宮の中だけだ」
「狼のいる西の方では?」
「花の区別なんざつかねぇよ、長居した訳でもねぇし」
魔物に寄生する花など、そこらで見られれば必ず噂が出回るだろう。
この森の固有種なのだとしても、王都から然程離れている訳ではない。それでジルやイレヴンも知らないとなると、狼と一緒に西から移ってきた種である可能性もある。
人に寄生する植物はリゼルもどんな本でも読んだ事がないので、恐らくその危険はないだろうが。
「イレヴン?」
ふいに、瞳が覆われた。
直前に見たのはこちらへと手を伸ばすイレヴン。顔の上半分を覆うように握られ、どうしたのかと名を呼んだ時だ。
舌打ちと共にパァンッと何かを引っ叩く音。次いで、「痛ッて!」というイレヴンの悲鳴。
「ガチで殴んなって!」
「ガチだったら痛ぇで済んでねぇだろ」
「そりゃそうだけど! そこまでおかしくなってねぇよ!」
唐突に視界を覆っていた掌が離れる。
目を瞬かせていれば、頭を押さえてぎゃんぎゃんとジルへと文句を言うイレヴンがいた。彼は何か眩しいものを見たかのように目を眇め、そして低く唸りながら目頭を押さえる。
「あ゛ー……なんか目ぇ変になった……」
「大丈夫ですか、影響は?」
「消えた消えた。ごめんリーダー、なんかブレた」
リゼルはぐっと自身の瞼を押さえ込むイレヴンの手を外し、手袋をとった両手で優しくこめかみを覆ってやる。疲れた目をほぐすように温め、親指でゆっくりと目の下をなぞった。
気持ちよさそうに細められた瞳は、まっすぐにリゼルを見ている。大丈夫そうだ。
「香りでしょうか、色とか」
「んー、多分匂い。変な甘さ」
ブレた。イレヴンとリゼルの視界が重なったのか。
自分の視界を閉じなかったのは、今すぐ何かが襲い掛かってくるのではないかという警戒から。ジルに引っ叩かれて平常を取り戻すあたり、肉体的にどうにかなった訳ではない。
まるで、幻覚のように。
「狼が見せてくんじゃねぇの?」
「そう聞いてる」
「とはいえ、ヒントゲットですね」
リゼルは最後に一度だけイレヴンの瞳を覗き、そして手を離した。
あーあ、と残念そうに肩を竦めたイレヴンが、ふいにふっと上を見上げる。舌でゆっくりと唇をなぞり、何かを探すこと数秒。
「こっちかも」
「また変になんなよ」
「なったら教えて」
「俺やジルも危なそうですけど」
そして嗅ぎなれない花の香りを頼りに、リゼル達は辛うじて続いていた獣道を外れて森の奥へと歩いていった。
木々の立ち並ぶ道なき道を抜ければ、やや開けた空間に出た。
立ち枯れた樹木が幾本か倒れている。それを埋めるように白い花が咲き誇り、そこだけ一面の花畑のようだ。
そこに一匹の狼がいた。
額には一本の角、爪は大きく鋭い。花畑の中程にある切り株に腰を下ろし、体を丸め、一見すると眠っているようだった。青銅色の毛並みが静かに上下している。
「男三人で花畑に突撃すんのかァ」
「微妙だよな」
「でもほら、花屋には行けましたし」
その光景を、リゼル達は木や茂みに隠れながらこっそりと眺めていた。
花の香りは、もはやリゼルにも分かるほど。しかし思い切り吸い込もうとはしていないお陰か、今の所変な影響は出ていない。
「ひとまず、幻覚を見せて貰わないと」
「見せられてる時に食われないんスかね」
「ならBランクではねぇだろ」
「“仕えるに足る主”かの判別が終わるまでは多分大丈夫です」
しゃがみながら、隠れながら、小声で会話を交わす。
きっとナイトウルフには届いているだろう。しかし反応がないという事は、強い敵意を持たれてはいないという事だ。まず幻覚で相手を試す、という噂が信憑性を増す。
「どういうテンションで行きゃ良いの?」
「斬る気以外で魔物に近付いた事ねぇな」
「普通に……いえ、主っぽくでしょうか。王冠でもかぶりますか?」
「お前意外と似合わなかっただろ」
普通にさくさくと近付いて反応して貰えるのか。いや、顔を合わせた時には既に試練が始まっているかもしれない。三人がそんな、有意義なようで特にそうでもない話し合いをしていた時だった。
ふいに、ナイトウルフが顔を上げた。
背筋を伸ばして座り、じっと三人がいる方を見ている。これもうバレてるな、いや分かってたけどと三人は視線を交わし合い、特に気負うことなく花畑へと足を踏み入れた。
すると正面から風が吹き荒れる。予想はついていた事だ。慌てないながら武器に手をかけかけた三人の視界を、舞い上がった白い花弁が埋める。
そしてリゼル達は、気付けば見知った場所に一人立っていた。
いや、一人ではない。対峙している相手がいる。
「同情してやるよ」
いつか剣を合わせた屋敷の庭、ジルの目の前には剣を構えた現在のオルドル。
「マジで……」
自身が初めて恐怖と自制を覚えたギルドの客室、イレヴンの前にはソファに座るリゼル。
「これは……どうしましょうね」
そして困ったように笑うリゼルの前には、謁見の間で王座に腰かける元教え子の姿があった。
ジルが振るった剣をオルドルが己の剣で受け止める。
ジルは今のオルドルの実力を知らないが、忠実に再現されているのなら成程。確かに騎士の名に相応しい実力を持ってはいるのだろう。
望まぬ再会の際、ジル自身が受けた印象が反映されているだけかもしれないが、それでも恐らく大きく力量が違っているという事はない筈だ。好んでいない、あるいは無関心だというだけで、ジルは相手の実力を過小評価しないのだから。
ただ、それだけだ。感嘆はない。感慨はない。
「知らねぇとこで、もう一度ブチ折られんだからな」
ジル自身がそれを望んだ事はない。だが、そうなるのだから仕方ない。
しかし剣を交わせば己が勝つのは分かりきった事だ。それに対して何も思わない。オルドル本人に対してではなく、この状況に少しばかり滑稽だとは思うが。
目の前の相手を下に置かねばならないというのなら、そうするだけなのだから。
そしてジルは振り下ろされた剣を弾き、顔を歪めて何かを叫ぶオルドルを斬り捨てた。
「問題は、どんだけやりゃ折れんのか、か」
まるで霧がそれを映したかのように背後に現れた傷一つないオルドルを、一瞥して剣を握り直した。
ソファに腰かけ、いつもと同じように微笑むリゼルを前にイレヴンはぐしゃりと前髪をかき混ぜた。
本物のリゼルでない事は確実だ。幻覚の意図を思えば、目の前の彼を明確に支配してみせろというのだろう。支配、服従、こき下ろせ、言い方は色々あるが何かにおいて自身が上に立てという事だ。
「あーあ……」
吐息交じりに呟き、盛大に溜息をつく。
例えば叩き伏せろというのなら、互いの力量差を思えば可能だろう。リゼルが魔法を使おうが魔銃を使おうが、そんなものはイレヴンにとって何の問題にもならない。
やろうと思えば、抵抗する間もなく片を付ける事は出来る。あるいは、痛みなど感じないままに。
ならば心を折ってみせろと言われれば、イレヴンはやはり可能だと答えるだろう。
彼にとっては慣れたものだ。例えリゼルが相手だろうとそれは変わらない。壊そうと思えば壊せる、というのはイレヴンにとっては特に悩む事でもない結論に他ならない。
問題は、やろうなどと、壊そうなどと思えない事なのだから。
「本物じゃないにしてもなァ」
イレヴンは手を伸ばし、幻のリゼルへと触れた。
自身がされたように目尻をゆっくりとなぞれば、本物と変わらない体温が伝わってくる。それに対し時折瞬き、微笑むだけなのはイレヴンが未だに決めあぐねている所為だろう。
どの手段で上をとるか、それが決まればリゼルはそれに相応しい行動を起こす筈だ。
「どうしよっかなァー……!」
リゼルの前に行儀悪くしゃがみ、穏やかな相貌を見上げた。
腕相撲などどうだろうか。いや、結局の所ナイトウルフの判定をクリアするものでなければ意味はないのだろう。腕相撲は博打過ぎる。
リゼルより上に立てるもの。リゼルの微妙にずれた言い方を借りるのならば“マウントがとれる”もの。
「で、“仕えるべき主”の基準?」
つまりはリーダーシップ。
そこまで考え、ふとイレヴンの脳裏にとある標語が浮かんだ。それは「知力、体力、時の運」。リゼル相手に知力は無謀。体力というか実力的なものも先の理屈で却下。ならば残ったものは。
確かに上に立つ者に必要な能力だろう。なかなかに良い考えではないかと、イレヴンは自画自賛しながら唇の端を吊り上げた。
「勝負しよっか、リーダー」
空間魔法から取り出したカードを手に立ち上がれば、リゼルは彼らしい穏やかな、しかし受けて立とうという顔でそのカードへと手を差し伸べた。
“仕えるべき主”を選出する為、“仕えるべき主”の上に立たねばならないとはこれ如何に。リゼルは広い謁見の間に立ち、数段上の王座に鷹揚に腰かけた元教え子を見ながら考える。
謁見の間はリゼルも見慣れたもの。王座も、その王座に足を上げて座る相手も。その王者然とした表情でさえ違和感はないのだから、きっと自身の意識から再現された幻なのだろう。
ならば、だとすると余計に、この幻を突破する難度は上がる。
「(考えた事もないしなぁ)」
思案するように目を伏せ、王座へと足を踏み出した。
難しいからと言って諦める訳にはいかない。何かしらの勝算を作らねばならない。
「(陛下の苦手な食べ物で大食い対決……)」
偶然にもイレヴンと同じような発想を浮かべかけ、すぐに否定する。
分野を選ばなければ、元教え子に勝る事も難しくない。それこそ些細な好みであったり、古代言語などの専門知識を仕掛ければ良い。だがナイトウルフに認められなければならないとなると、非常に分が悪い。
誰かの上に立つという点で、彼に勝る者などいないとリゼル自身が思っているのだから。
「(あ、でも、そうじゃなくても良いのかな)」
歩を進めながら思う。
幻の中で対峙した者を上回れなどという指示があった訳でもない。勿論それが最も分かりやすく、最も近道であるのに変わりはないが。
だが誰かに従う者が誰かの主たり得ないかといえば、決してそんな事はない。ようは示すべきものを示せば良いのだ。
「うん」
リゼルは足を止め、伏せていた瞳を上げた。
何歩で彼の待つ玉座にたどり着くかなど、今更数えずとも知っている。目の前で肘をつきながら座る相手を見下ろし、ふっと身をかがめた。
膝をつき、王に相応しい笑みを浮かべる元教え子を仰ぎ見る。果たして何が来るのかと交戦的な色を月色の瞳に宿す相手に、随分と彼らしい仕草だと内心で笑みを零す。
「国政について意見を交わして頂けますか、陛下」
狼だろうが人だろうが、主君に求める定番は統率力だろう。
さて十分にそれを示せるだろうかと、リゼルは笑みを深めた己の主へと微笑んだ。
ぱちり、とまるで眠りから覚めたような感覚だった。
三人の視界を埋めるのは白い花畑。その中心にある切り株に座り、じっと見つめてくる青銅色の毛並みを持つ狼。幻を向けられた時から、まるで全く時間が経っていないようだった。
十分に見定められたのだろう。ナイトウルフがゆっくりと腰を上げ、静かに切り株から花畑へと降りる。
そしてリゼル達へと音もなく歩み寄ってきた。ジルとイレヴンが剣に手を添える。
「望みながらも、主なく彷徨うのは辛かったでしょう」
リゼルはただ優しく告げて、胸ほどまである狼を眼前に迎えた。
毛皮に包まれた足が、後一歩踏み出せばリゼルの体を噛み砕ける位置で止まる。
「憂いなくひれ伏して」
何も心配はいらないと。それを受け入れるからと。
微笑みながら告げた言葉に、ナイトウルフは頭を伏せた。まるで主君に剣を捧げる騎士のように、その額からカランと角が落ちる。
そしてナイトウルフは踵を返し、何処かへと駆けていってしまった。リゼルは残された角を拾い上げる。
「何あれ、どゆこと?」
残された三人はその姿が完全に消えたのを確認し、リゼルの手にある角を見下ろした。
「予想ですけど、ナイトウルフとこの花が共生関係なんだと思います」
「幻覚は花が担当してるって?」
「はい」
ジルがナイトウルフの噂を聞いたという国の冒険者ギルドに行けば、恐らくもっと詳しく分かるのだろうが。
リゼルは足元の花を見下ろし、ふむと頷いてスンスンと角の香りを嗅いでみる。仄かに甘い香り。花の香りとよく似ていた。
「幻覚を起こす花の魔力が染みついてるのかな。ナイトウルフの主探しを幻覚で手助けして、代わりに種か花粉かを運んで貰ってるとか……あ、じゃあ調味料になるのは角本体じゃなくてその花の何かなのかも。ん、でも他の魔物には寄生してたし、相性の問題でもしかしてこれも」
「リーダーストップ」
「考え込むなら帰ってからにしろよ」
気になる、と考察に走りかけたリゼルだがすかさず止められた。
しかし“それもそうか”と気にしない。角をポーチへと仕舞い、さて帰るかと三人は来た道を戻り始めた。
「二人はどんな幻覚だったんですか?」
「すげぇ面倒臭かった」
「めっちゃ勝てて楽しかった」
ちなみにリゼルはそんな二人に「お前とその元教え子にしか出来ねぇよ」という目で見られた。
後日、とあるバーのような雰囲気の酒場にて。
「お、これ? 美味そうじゃん」
「あれが入ってると思うと微妙だけどな」
「これもメニューに載せるんですか?」
「いや、これは完全にあいつの趣味だからな……。それに、食べると良い夢が見られるらしい。それが癖になって上流階級御用達というから、うちで扱うには……ん、どうした」
幻覚という過程を踏んでいるリゼル達は、果たしてこれは安全的に食べて良いものなのかと少し迷った。
結局食べたら非常に美味しかった上、その日の夜の夢はそれぞれ良い部類だったので結果オーライだろう。




