157:後日感謝の品が届いた
宿の外で昼食を終えた後。
宿に向かって歩いていたリゼルは、見知った背を見つけて歩調を速めた。リゼルと同じく装備は身に付けていないが、いつもと同じ真っ黒の、そして少しラフな後ろ姿。
歩み寄るリゼルに気付いたのだろう。ふと足を緩めて振り返る姿に小さく笑みを浮かべ、呼びかける。
「ジル」
「おう」
リゼルが隣に並んだのを確認し、ジルは歩みを戻した。
「お昼、終わりました?」
「ああ」
「これからの予定は?」
問いかけるリゼルを横目で窺う。
何処か行きたい所でもあるのか、それともやりたい事でもあるのか。どちらにせよ、支障がなければ一人でふらつくリゼルが確認をとるのだから、その目的は限られる。
装備を身に付けていないのなら、まず冒険者関係ではない。それ以外でジルが必要とされるという事は。
「裏商店、行きたくて」
「欲しいもんでもあんのか」
正解、とジルは一人内心で零す。
「ほら、君の行きつけの」
「そういや何か言ってたな」
「はい、そろそろどうかなと」
豪華絢爛な娼館で出会った、とある双子の佳人。
まだアスタルニアへ向かう前の事だ。出会った時に許しを得られたように、彼女たちの営む小さな店へとリゼルは訪れた事がある。可憐な唇から賜った命の通り、ジルへとねだってその権利を得た。おねだり大成功。
その際、店に一冊だけ置かれていた本をリゼルは手に取ったのだが、それがどうやら二冊組の片割れだったのだ。
『これの対となるもう一冊、取り扱いはありますか?』
『いいえ、無いわ』
『知らなかったわ』
『そう、二つで一つなのね』
『離ればなれでは可哀想ね』
そして彼女たちは、“暫くしたらまた来て”とだけ告げた。
探してくれるとも売ってくれるとも言っていなかったが、恐らく揃えてくれるのだろう。リゼルの為ではなく、ただ二つが一緒に居られるようにと。きっと、それだけだ。
だからこそリゼルも、手に入らずとも二つ揃った所を見られれば良いなと願うのみ。
「アスタルニアから戻って、何回か行こうと思ったんですけど」
「開いてなかったか」
「開いてなかったです」
その店が開くのは、店主である美しい双子の気分次第。これまで全くタイミングが合わなかった。
ちなみに店が営業中かどうか、リゼルは精鋭に頼んで調べて貰っている。どうやって調べているかは分からないが、店内に入ってはいないのだろう。
「精鋭さん、彼女たちに嫌われるみたいですよ」
「そりゃそうだろ」
「前に、店に入った途端に休業宣言されたとか」
「今日本当に行けんだろうな」
そして二人は進路を宿から路地裏に変更し、少し冷えた空気の中へと姿を消した。
幾つもの細い路地を抜け、時に先を遮るような布を潜り、涸れた噴水のある小さな広場へ。
昼間に、夜の異様な空気の賑わいを見る事はできない。ぽつりぽつりと絨毯敷きの露店も見えるが、店主は生きているのか死んでいるのか。座り、横たわり、動かない。
しかしすれ違う度、何を要求しようというのか。持ち上げられた顔は、ジルの一瞥で諦めの空気を纏う。力量の差を測れず、裏で長生きは出来ない。
「依頼を受けた時以来ですね」
「あー……女が殺されてた時か」
「俺は見てないですけど」
とある貴族のご令嬢、それを探せという依頼。路地裏の奥地を散策したかった事もあって受けた依頼は、捜索対象が惨殺されていたという衝撃の展開を迎えた。
とはいえ、リゼル達が特別騒ぎ立てる事もなかったのだが。イレヴンが血の匂いに気付いて先行し、部屋を覗き込み、「あーあ」と首を振っただけだった。
「あれ、結局犯人って捕まったんでしょうか」
「無理だろ」
「そうでしょうね」
リゼル達はギルドにありのままを報告し、ギルドから憲兵へも事態は報告され、簡単な状況だけ聴取が行われた。だが恐らく憲兵は動かないだろう。
裏では然して珍しくもない出来事。更に殺された彼女の親は事態を隠蔽したいのだから、きっと真相が解明される事はない。
「あれが日常茶飯事とか、物騒ですよね」
「日常でもねぇだろ。騒ぐ奴がいねぇだけで」
「ああ、そういう」
成程と頷き、リゼルは人がすれ違うのも困難な細い路地へと足を踏み入れた。
「そういえばあの時、情報屋が集まる酒場があるってイレヴンが言ってたじゃないですか」
「情報屋っつってもピンキリだぞ」
「一度利用してみたいです」
「必要ねぇだろ」
「そうですけど」
そんな事を話しながら歩いていると、目的地が見えて来た。
一見して店と見抜く事は難しい、路地裏ではありきたりな小さな一軒家。分厚い木の扉、その隣にある明かりの灯らない街灯の下に、小さなプレートが引っ掛けられている。
そこに刻まれた店名だけが、その扉が店への入り口であると告げていた。基本的に、紹介もなく初見で入れるような店ではないのだ。
「開いてんな」
「良かったです」
ジルがドアノブに手をかけ、押し込む。微かに軋んだ音を立てて開かれていく扉の向こう側、幾つものランプのみが照らす薄暗い店内が現れた。
所狭しと置かれているアンティークが、ランプの明かりをちらちらと反射している。
「あら、久しぶりね」
「随分と久しぶりね」
その奥に、彼女たちは並んで座っていた。
同じ顔に艶やかな笑みを浮かべ、くすりくすりと頬を寄せ合う。その頭には猫の耳。一人は折れ耳、一人は立て耳、それだけが彼女たちを区別していた。
しなやかな体の後ろには、ビロードのような黒の毛並みの尾がゆらりと揺れる。
「お久しぶりです、双子さん」
「アスタルニアに行っていたって聞いたわ」
「帰ってきているというのも聞いていたわ」
くすくすと笑みを交わし合う双子は、何処から情報を得ているのか。
裏商店で最も格調高い娼館の、最も高位に位置付けられる彼女たちだ。例え表の事だろうと裏の事だろうと、情報源には事欠かないのだろう。
とはいえリゼル達の動向など、調べようとせずとも出回っている事が多いのだが。
「教会の依頼も受けたんでしょう?」
「しっかり者の子がいたでしょう?」
リゼルとジルが狭い店内で商品を避けながら歩み寄れば、それを目で追っていた双子がふっと瞳を持ち上げた。机を挟み、リゼル達をじっと見ている。
気に障る事をしてしまっただろうか、とリゼルはその瞳を真っすぐに見下ろした。気まぐれな彼女たちの機嫌は、それこそ気分で簡単に変化してしまう。
「折り目正しいお姉さんでしたら、大変お世話になりました」
教会からの依頼、その依頼主である姉弟。しっかり者というイメージから姉の方だろうと当たりを付けて微笑めば、艶やかな赤の唇が二つ。つ、と弧を描く。
「そう、あの子は昔からそうなの」
「私たちにもあれこれ口煩いのよ」
「しっかりしてるでしょう?」
「とっても良い子でしょう?」
向けられた瞳の中で、大きな丸い瞳孔がきゅうっと細まった。
「「だから、酷いことしちゃ嫌よ」」
蠱惑的な笑みと共に寄越された忠告に、リゼルは可笑しそうに笑う。
手を出すなと、そう釘を刺されるほどに女遊びが激しいと思われているのだろうか。同じくその言葉が向けられているジルも、余計な忠告だとばかりに顔を顰めている。
あるいは、イレヴンの事かもしれない。彼女たちの毛嫌いする、精鋭らの頭なのだから。
「酷い真似、もうしてしまいました」
「あら、悪い子ね」
「酷い事するのね」
思い出すのはリゼルも深く反省した、酔っぱらっての依頼放棄。
しかし、それは彼女たちにとって気にする事でもないだろう。言ってしまえば冒険者であるリゼル達と依頼人だけの問題、双子が後から文句をつけるような事でもない。
証拠に、リゼルと彼女たちの間には戯れるようなやり取りしかなかった。
「大丈夫よ、あの子は全然気にしてなかったわ」
「むしろ、依頼料を返されたって気にしてたわ」
リゼルは依頼の後、菓子折りを持って依頼の放棄を謝罪しに行った。
その際、受け取った依頼料をそのまま返却している。ジルが依頼料は不要だと伝えたにも拘らず、しっかりと当初の予定通りギルドを通して渡されたからだ。
あの依頼人の姉弟なら逆に気負わせてしまうだろうと思ったが、リゼルとしても譲れなかった。
「そう言って頂けると、少し楽になります」
「まだ気にしてんのか」
「不平不満を持たせてたら申し訳ないじゃないですか」
謝罪の際に全く気にしていないと慌てたように言われたが、やはり相手の身内から話を聞くと安心感が違う。
「そういえば、何か出来たかもって言っていたわ」
「少しだけ嬉しそうだったわね、何だったかしら」
ふと、何かを思い出すように双子がお互いを向き合った。
二対の耳がくっと下がり、ゆっくりと元に戻る。細く長い尾の先端が二度三度、左右へと揺れた。
「ああ、確か」
「カミオロシ」
ふいっと彼女たちの視線がリゼルを射抜く。
そのリゼルはというと、意外そうにぱちりと目を瞬かせていた。そして納得したように数度頷く姿に、ジルが全く聞き覚えがないとばかりに眉を寄せながら口を開く。
「カミオロシ?」
「凄くマイナーな言葉が来ましたね」
リゼルもちらりとジルを見た。
マイナー過ぎて書籍でも全く目にしない単語だ。元の世界とこちらの世界とで、定義に違いがあるかの確認が出来ていない。教会関係者から出たのなら、大きな違いはないのかもしれないが。
「俺が知っている限りでは」
そう前置きすれば、ジルは察したのだろう。ああ、と頷いて先を促す。
「まず“神”っていうのが……何て言えば良いのかな、“超自然的な力”の事で」
「あ?」
「何も分からないわ」
「何も分からないわね」
そう言われても、とリゼルも苦笑する。
実態のあるものについての説明ではないのだ。言葉で伝えようとすると難しい。
「まず、教会は自然信仰ですよね」
「そうね」
「この国では大地信仰ね」
「その自然の理から外れた、超常的な力や現象のことを教会では“神”と呼びます」
ざっくりと纏めてみせれば、ことりと双子は首を傾げ、ジルは眉間の皺を深める。
完璧に理解は出来ないが、話を進めるのに支障がない程度には何となく分かった、といった所だろう。
「基本的には、教会関係者しか使わない概念ですね」
「信仰すんの」
「いえ、ある意味自然とは真逆なので……それに、信仰を向けるべき対象もないですし」
うーん、とリゼルも考え込む。
そもそも自然の理、というのも曖昧なのだ。例えば人知を超えた嵐を自然とするか神とするか、それは地域差によるだろう。王都では前者か。しかし後者を否定する事もない。
ただ、超自然を自然の上位と定義付けている所ならばあるいは。といった所か。
「奇跡っていうことかしら」
「不思議な力が働くものね」
「あ、そんな感じです」
リゼルが褒めるように目元を緩めれば、彼女たちは機嫌が良さそうに目を細めた。
本職は教師か、と思わせる教会での依頼人を思い出したのかもしれない。今も、どうやってか交流を重ねているのだから、余程気に入っているのだろう。
「だから神降ろしは、その超自然的な力をその身に降ろすっていう意味で」
「凄ぇこと言われてんな、お前」
「何ででしょうね?」
酔っている間の事は全く覚えていないリゼルは不思議そうだが、呆れたようなジルにとっては納得できなくもない事だった。
貴族モードに入ったリゼル、その瞬間を教会の姉弟は目の当たりにしたのだ。絶好のタイミングで、しかも初見だというのだから勘違いしたとしても仕方がない。
「難しいわ」
「お勉強は嫌いよ」
「じゃあ、ここまでにしましょう」
ふと、美しい彼女たちが不満そうに微かに唇を尖らせた。
本来、彼女たちの大切な相手が口にしたものでなければ、然して興味のある事でもないのだろう。まだ本題に入っていないのだから機嫌を損ねられては大変だ、とリゼルは可笑しそうに笑って説明を切り上げ、さてと店内を見回した。
以前、本が置かれていたのは小さな机の上だったか。
「あ」
重厚な表紙を持った本が、二冊。
重なり合うように置かれているのを見つけ、リゼルはそちらへ足を向けた。群青と真紅、銀の箔押しで本の名前が刻まれている。
「揃ってたか」
「はい」
リゼルが触れるか触れないかの距離で本の表紙に指を滑らせれば、その後ろからジルもそれを覗き込んだ。
以前は群青色の一冊しかなかったが、確かに以前リゼルが目を付けていた本だ。
「そうだったわね、どうかしら」
「一揃えにしてあげられたかしら」
「中を見ても?」
「「どうぞ」」
そして何かを囁き合う彼女たちから本へと視線を落とし、リゼルは真紅の表紙をそっと持ち上げた。そして、一ページ、二ページ。
慈しむように伏せられたリゼルの視線が、本を閉じると同時に再び双子を見る。
「確かに」
彼女たちは酷く嬉しそうに、ことりと首を傾げて笑みを浮かべた。
リゼルは、さて本番だと体ごと双子に向き直る。この店では、何を買うにも彼女たちが嫌だと言ったら手に入らないのだから。
この点において、いつでも煙草を売ってもらえるジルは彼女たちに非常に気に入られているのが分かる。意外と猫に懐かれるタイプだろうか、なんて戯れるように思いながら交渉を開始した。
「二冊、売って頂けませんか?」
「どうしようかしら」
「離れ離れにはさせません」
「そうね、それは大切ね」
駄目なら駄目で良いが、とリゼルは視線を流す。
だが、そうではなさそうだ。焦らしているだけのようにも思えるが、二対の瞳は瞬きもなくじっとこちらを見つめている。
出方を窺っているのか。ならば、やり方次第で交渉は成立する可能性がある。金を積むのは簡単だが、彼女たちならば金蔓の客など幾らでも持っている。価値は薄い。
「ジル、巻き込んで良いですか?」
「どうぞ?」
ジルを見れば、鼻で笑われた。
双子の唇が薄っすらと開き、まるで獲物を目の当たりにしたかのように小さな舌が覗く。ちらりと唇をなぞったそれに、リゼルは交渉成立を悟って微笑んだ。
「最近、何かお困りごとは?」
ようは、不足分は体で支払おうということだ。
彼女たちはリゼルとジルの利用価値を、しっかり理解していたのだろう。
夜に再度店を訪ねるよう言われ、訪ねたら訪ねたですぐに連れ出され、彼女たちの望むがままに服飾店で服を整えられ髪を整えられ飾られ、そして今。
何処ぞの貴族邸で行われている豪華絢爛な舞踏会、その会場の前に立っていた。
「まさかこう来るとは」
「お前の所為だからな」
リゼルとジル、それぞれの腕に美しい猫の獣人二人は己の手を添えていた。
しなやかな肢体を細身のドレスに包み、着飾った姿はまさに傾国と呼ぶに相応しい。すれ違う男たちは思わず視線を囚われ、咄嗟に声をかけようと開かれた口はパートナーを目にして即座に閉じられる。
片や、誰より高貴に見える男。片や、見るからに絶対強者である男。確かに、虫よけには最適だろう。
「嫌だったかしら」
「いいえ。一夜であっても、貴女方のパートナーという栄誉を頂けるんですから」
光栄だ、と微笑むリゼルに折れ耳の彼女もくすくすと笑った。
「俺は嬉しくねぇ」
「あら、悲しいわ」
「思ってねぇだろ」
微かに顔を顰めたジルに、立て耳の彼女も同じく笑う。
この舞踏会は、彼女たちが夜の職場の方で誘われたものだという。嫌ならば断わる二人が了承したのは、久しぶりに全力で着飾りたい気分だったからに他ならない。
刺繍の美しい、光沢のある薄い布地のドレス。シンプルなそれを飾り立てる煌びやかなアクセサリ。それらに合わせた化粧は普段のクラシカルなものに比べて華やかで、彼女たちが女性である事を全力で楽しんだのだろうと伝えてくる。
「まるで闇夜に浮かぶ弓張り月のようですよ」
「満ちるまでは届かなかったかしら」
「それでも、目を奪われるほどに美しい」
清廉と微笑むリゼルに、その腕に手を添えながら折れ耳の彼女は艶やかな唇で弧を描く。
「けれど貴女たちが二人並べば、周りの星も霞ませるほどの美しさで煌々と輝くのでしょうね」
「お上手ね。褒められるのは好きよ」
シャラン、と黒い尾を飾る金のアクセサリが涼やかな音を立てた。
どうやらパーティーを前に気分屋の彼女の機嫌を盛り上げられたようだと、リゼルも慣れたようにエスコートしながら今まさに舞踏会が開かれている広間へと足を踏み入れる。
夜の闇を忘れさせるような煌びやかな空間だ。カツン、とよく磨かれた床を靴が叩く音。会場中の視線が集まった。
「よくやる……」
「一刀は褒めてくれないのかしら」
「俺にそういうのを求めんなよ」
「一言で良いのよ」
立て耳の彼女の尾が楽しげに揺れる。
シャラリ、シャラリと耳をくすぐるその音色と、リゼル達ペアが揶揄うように笑みを浮かべて此方を見ているのに、ジルは顔を顰めながら腕に寄り添う美しい彼女を見下ろした。
「俺の弓張り月はうるせぇな」
「ずるいわ」
ようはリゼルと同意見だということ。面倒になって丸投げしたともいう。
けれど、ジルから出るにしては十分な褒め言葉だと悟ったのだろう。立て耳の彼女は満足そうに視線をジルから正面へと戻した。
燕尾に、ドレスに身を包んだ貴種らが話を止め、そして話題を二組のパートナーへと変えてざわめく。
「あの双子は確か……」
「おお、今夜の舞踏会は華やかになりそうだな」
「是非とも懇意になりたいものだ」
上流階級ご用達の娼館、その最も美しい花である彼女たちを知る者も多いのだろう。
そこを訪れたことのあるものは親しげに、そうでないものは下心をもって彼女たちを眺める。パートナーである女性たちも猫の双子を知っているらしく、あまり良い顔はしていない。
「彼らは?」
「何と、何故ここに……」
「踊りに誘ってははしたないかしら」
そして、リゼルとジルを知る者も少なくなかった。
冒険者が何故ここに、とは思うものの、全く場違いといった雰囲気を持たない二人に忌避する者はいない。猫の双子を知る者は、奔放な彼女たちにつれて来られたのだろうと納得すらしていた。
とはいえ、良い顔をしない者もいる。パートナーの視線を釘づける存在に、あるいは貴族ですら拒否される事のある女性二人と共にいる事に対して。
「視線が鬱陶しい」
「我慢ですよ」
ぼそりと呟いたジルに、リゼルが苦笑する。双子もくすくすと笑った。
「オープニングまでどうしましょうか」
「招待状を頂いたの」
「ご挨拶に行きたいわ」
「待っていましょうか?」
今回の舞踏会は娯楽を目的としている。
勿論、縁つなぎであったり接待であったり、娯楽以外の目的で来ている者もいるがそれは個人の自由だ。基本は踊りを楽しむ場なので、正式なパートナーも必須ではない。
友人同士で参加し、気が合った人間を見つけて踊る。そういった参加者も多いので、リゼルやジルがおらずとも何ら問題はないだろう。
「いえ、一緒に来て欲しいわ」
「好きじゃない方がいるの」
「絡まれるとしつこいのよ」
「じゃあジルが居た方が良いですね」
「おい」
着飾って酷く見栄えしているとはいえ、ガラの悪さは変わらない。
冒険者らしいガラの悪さから、それなりの立場のガラの悪さには変わっているが、それでもガラは悪い。そんなジルを前に変な真似をできる者などいないだろう。
リゼル達は双子の指示に従い、落ち着きのある初老の男性の元へと向かう。招待客と談笑していた彼は、直ぐにリゼル達に気付いたようだ。
「では、今日は楽しんで欲しい」
「有難う」
友人らしい同年代の夫婦へと挨拶を交わし、彼はこちらへと向き直った。
国の中心にいるような人だな、とリゼルがのんびり考えていると、折れ耳の彼女がそっと腕を引いたのを感じた。視線をやり、少しだけ身をかがめれば、赤い唇がそっと寄せられる。
「公爵様よ」
成程、とリゼルはひとつ頷いて彼女の手をとった。
そして優しく前へ。ジルも同じく腕を前にやって立て耳の彼女を送り出し、斜め後ろに控える。
「やぁ、来てくれたのか」
「お招き頂き嬉しいわ、公爵」
「素敵な舞踏会になりそうね」
「ふふ、そうだと良いのだが」
親しげな雰囲気に、娼館を感じさせる色はない。
娼館を利用する目的は様々だ。一流の接待を求め、交渉の場として利用する者。気の許せる相手と気負わず話し、肩の力を抜いて休む者。一流の店は、時にどの城や屋敷よりも機密が守られる。
「君達が楽しめるような相手がいればと思ったが、さて。その必要はなかったかな」
公爵の、目元に笑い皺の滲んだ瞳が順番にリゼルとジルを見た。
「自前の、素晴らしいパートナーがいるようだ」
「けど、踊ってくれないっていうのよ」
「貴方からも言ってあげてちょうだい」
戯れるようにゆらりと尻尾を揺らす彼女たちに、公爵は鷹揚に笑った。
そして苦笑するリゼルと、当然だろうと言わんばかりに顔を顰めたジルを眺め、仕方がなさそうに目元を緩める。彼女たちの気まぐれに翻弄される者同士、通じ合うものがあった。
それが互いに、嫌ではないのなら猶更のこと。奔放であることが魅力である彼女たちから、それを奪おうとは思わない。
「君たちも是非楽しんで欲しい」
「冒険者には勿体ないお言葉、誠に有難うございます」
リゼルの言葉に、彼はゆっくりと頷いた。
冒険者が参加している事への驚きはない。彼は知っていたのだろう。しかし、リゼルは建国祭の時に開かれた冒険者参加のパーティーで彼の姿を見ていない。
「先の大侵攻での功労者だ。後で是非、活躍を聞かせて貰いたいものだが」
大侵攻の後、何処かの公爵から宿へと騎士が送られてきた事がある。
それが誰かは分からない。恐らく精鋭らに頼めば調べて貰えたのだろうが、然して重要でもないだろうと気にしないでいた。よって、目の前の初老の男がそうなのかは分からないが。
「彼女たちからのお許しが出れば、畏れ多い事ではありますが喜んで」
とはいえ今のリゼル達は彼女たちの為にいるのだ。
彼女たちより優先すべき事などなく、それはどんな事情が絡もうが変わらない。これで双子が了承すれば言葉通り喜んで申し出を受けるが、それはないだろう。
「あら、駄目よ」
「折角つかまえたのに」
「それは残念だ」
朗らかに笑う男は、その返答を予想していたようだ。
彼女たちの人となりを知っていれば当然か。自ら飾り立てた今宵限りのパートナーを、易々他人に貸したりなどしない。
「それでは御機嫌よう、公爵」
「楽しい曲が多いと嬉しいわ」
「ああ、また」
双子の獣人がしなやかな仕草で礼を示し、そしてそれぞれのパートナーを振り返る。
そんな彼女たちに手を伸ばし、そして手をとってリゼルも公爵へと軽く会釈だけ送った。相手が頷いたのを確認し、その場を去る。
ちなみに彼女たちが絡まれたくないと称したのは先の公爵の息子であり、彼はジルの存在により父親の後ろで小さくなっていた。
そして直ぐに入場時間が終わりを迎え、オープニングへ。
代表の男女がフロアで優雅に踊る姿を眺め、それが終わると主催である公爵の挨拶を挟み、ようやく舞踏会が始まった。オーケストラのワルツの音色に、周りは次々にパートナーの手を取りフロアに集まる。
猫の獣人である彼女たちも、楽しげにくすくすと笑い合いながらパートナーを探しに行った。探すといえど、数歩フロアへ出れば声など幾らでもかかるのだが。
「これを朝までやんのか」
「体力ありますよね」
リゼル達は二人を見送り、そして壁際でフロアの流れるような人波を眺めていた。
数度、リゼル達を冒険者と知ってか知らずか女性から声がかかるも、全て断っている。ジルはリゼルに対応を任せきって一言も喋らないが。
「何か食べて待ってましょうか」
「ああ」
広間には疲れた招待客が休めるように、軽食の完備された机が幾つもある。その一つにリゼル達は向かった。
楽しげにステップを踏む人々の横を通り、少し広がったスペースへ。後ろには大きく開いたバルコニーが並ぶ、この広間で唯一開放感を抱くことができる場所だ。
席に着くとすぐに給仕がやってくる。その腕に乗せたトレーに並ぶ幾つものグラスから、ジルはシャンパンを、リゼルはアルコールのないものを頼んだ。
「知ってる方、いますか?」
「あ?」
机はダンスフロアに近く、踊っている人々もよく見えた。
その中でひときわ輝く猫の獣人二人を目で追いながらリゼルが問いかければ、リゼルのグラスをとって一口飲んだジルが怪訝そうに眉を寄せる。
「有名な方々もいるみたいですし」
「知らねぇよ」
舞踏会には様々な有力者が参加する。
国中に名を馳せる商人、貴族ご用達の有名店舗の主人、もちろんリゼル達のパートナーといった主催者が個人的に懇意にしている者もいるだろう。参加者も、すでに互いに知り合いだという人間が多い。
「舞踏会で、誰も分からないって不思議ですね」
楽しそうに笑う姿に、ジルはそういう事かとため息をついた。
「職業病」
「楽しんでるのに」
「だから余計だろうが」
三段トレーから適当なサンドイッチを掴み、呆れきったように齧りつくジルにリゼルは可笑しそうに笑った。
そしてグラスに手を伸ばそうとした時だ。一口飲んでいたとはいえ、珍しくジル側に寄せられたグラスに違和感を抱いた瞬間。つまらなそうにフロアを眺める視線をそのままに、ジルの唇が微かに動いた。
「フリだけしとけ」
広間にオーケストラの演奏が響き渡る中、辛うじてリゼルにのみ届くような小声。
リゼルは一切の反応を見せずにグラスに口を付けた。傾け、すんっと匂いを嗅いでみる。微かにフルーティな香り、特に違和感はない。
「ジルのは?」
「入ってる」
「どんな?」
「知らねぇ」
リゼルは二対の黒い耳を目で追いながらグラスを置いた。
声を潜めるのなら、まさかアルコールが入っているから止めろというのではないだろう。飲んだのがジルなあたり信憑性に欠けるが、今すぐに何かの影響が出るようなものが混じっている訳ではなさそうだ。
「イレヴンなら何が入ってるか分かるんですけど」
「ついでに他所のグラスもな」
コレが入ってる、アレが入ってる、更にはあっちのグラスとこっちのグラスもそう、と手元のグラスから給仕の運ぶグラスの中身まで看破できるだろう存在を思い出す。
本人曰く“匂いで分かる”らしいが、会場にいる他の獣人らが反応している様子はない。流石は生まれた時から毒との付き合いがある蛇の獣人、というべきか。ちなみにジルは勘で何となく気付いた。
「犯人らしい人、いますか?」
「給仕は」
「白です」
「へぇ」
リゼルの言葉に、ジルは特に疑問を抱くことなく頷く。
「他には……」
リゼルは二対の黒耳を視界に入れつつ、フロアを見渡した。挙動不審な者を探すとなると、今日に限ってはやや難しい。
二人の傾国の登場に、ただでさえフロアの面々は浮足立っている。フロアではじきに一曲目が終わるという事もあり、パートナー交代で彼女たちの相手を務めようとタイミングを見計らう者。リゼル達の周りには、声をかけられないかとそわそわと視線を寄越す者。
その中で、リゼルは目についた相手を手当たり次第にジルへと囁いていく。
「右、グリーンのドレス、結晶型のイヤリング」
「違ぇ」
「フロア、赤茶の一つ結び男性、黒のリボン」
「違ぇな」
リゼルが怪しんだ時点で、何かしら後ろ暗いものを持つ人間であるとジルは理解している。
だが、そんなものをいちいち暴いていくほど正義感に溢れてはいない。今夜の目的は猫の双子の獣人を十分に楽しませ、二冊の本を手に入れることだけなのだから。
よってジルに求められるのは、パーティーをぶち壊しかねない人間を見極めることだ。どれほど上手く隠そうが、殺気には鼻が利く。
「フロア、ブルーの淑女と踊る高身長」
もし何かの薬か毒かをリゼル達二人にのみ仕込んだのなら、リゼルもジルも直ぐに犯人に行き着くだろう。ならば、相手の仕込みは無差別に行われている筈だ。
それを、このパーティーで行う意味。気狂いでもなければ、主催者である公爵の失脚でも望んでいるのか。清濁併せ吞むことに慣れて笑顔を浮かべる貴族たち、あるいは著名人たちの中で、そんな人物を見つけるのは酷く難易度の高いものではあるが。
「本命か」
「共犯者がいなければ」
「左内側になんか仕込んでる」
それを容易に見つけ出し、リゼル達は視線を交わさないまま唇を動かす。
「どうする」
「出来るだけ、何事もなく退場頂きたいんですけど」
うーん、とリゼルは頬をくすぐる髪を耳へとかけながら考える。
その耳に入るのは、終了間際の一曲目。件の男と折れ耳と立て耳を見比べ、そして一つ頷くと立ち上がった。
怪訝そうな顔をしているジルに大丈夫と手を振ってみせ、数歩先にあるフロアへと歩を進める。円を描くようにフロアを流れていた折れ耳の彼女が近付き、リゼルはその華奢な手を捕まえた。
同時に、演奏が途切れる。彼女のパートナーに滑り込もうとしていた男たちが、視線を交わし合うリゼルと彼女を唖然と見つめた。
「喉、渇きませんか?」
きゅうと瞳孔を細めた彼女が、じっとリゼルを見つめる。ぴくりと動く片耳に飾られたイヤリングがシャンデリアの光を反射し、美しく煌めいた。
「渇かないわ」
「そうですか」
そしてにこりと笑い合う二人に周りが全くついていけない中、リゼルは優しく手を離す。
彼女はくすくすと笑い、そしてくるりと後ろを振り返った。パートナーにと望む男達へと滑るように視線を流し、そして一人の男の前へ立つ。
「貴方のリード、とても魅力的ね」
「光栄です、レディ」
手を伸ばし、腰を支えられ、フロアに戻る彼女をリゼルはほのほのと微笑んで見送った。
すぐに再開した演奏に慌てて他の女性へと声をかける男たちを一瞥し、そしてふと隣を見る。燕尾服の似合う長身の男が、何が起こったのか分からないとばかりにリゼルを見ていた。
「失礼、進路を塞いでしまいました」
「いや……」
男は直ぐに他の女性から声をかけられ、フロアの流れへと戻っていった。
リゼルは女性から贈られるダンスの誘いを柔らかく断りながら、席へと戻る。訝し気なジルの視線を受けながら、そして何故かリゼル自身も不思議そうな顔をして首を傾ける。
「何がしたかったんだよ」
「いえ、俺としてはこう、イレヴンを真似した筈なんですけど」
「あ?」
「彼なら、今の流れで全部終わらせるでしょう?」
上手くパートナーに甘えてみせ、目標に近付き、仕込んだものを誰にも気付かれる事なく拝借する。そして、いざ何らかの行動に移ろうとした男がそれがない事に気付いて動揺するのをケラケラと笑って見ている筈だ。
「何で出来ると思った」
「流れで行けるかなと。けど全然無理でした」
「だろうな」
そう、流れは完璧だった。
ただ、標的を前にして何をどうすれば左胸の内ポケットに手を突っ込むことが出来るのか全く分からなかった。危険人物をパートナーに近付けることを阻止したのだと思えば、全くの無駄骨ではなかったが。
やはりああいうのはプロに任せるに限る、と斜め上の納得をしているリゼルにジルは呆れるしかない。
「ジルはいけませんか?」
「んな手癖悪ぃ真似したことねぇよ」
「ですよね」
これが一番平和的な解決策だったのに、とリゼルは広間を見渡した。
目を止めたのは、主催者らしく次々と招待客と挨拶を交わしている姿。後で話せればと彼が告げた時、美しい双子が戯れるように嫌だと告げたのはしっかりと覚えているが。
「仕方ないです。然るべき人に然るべき対処を頼みましょう」
「あの双子は気に入らねぇんじゃねぇの」
「そうなんですよね」
だからこそ最初、話の通じる一番の権力者に告げ口するという最も楽な手段を避けたのだ。
事が起きてから対処するのも容易だろうが、それではパーティーが中断してしまう。そちらの方が彼女達は機嫌を損ねるだろうとリゼルは苦笑し、ジルと共に公爵の元へと向かった。
その後、事態を説明するだけして後を任せたリゼル達は、変わらず三段トレーの飾られた机でのんびりとパートナーの軽やかなダンスを眺めていた。
流石は公爵だ。特に騒ぎを起こすことなく長身の男を広間から連れ出し、恐らくグラスに何かを混ぜただろう共犯者も捕まえたのだろう。すぐさま“自領で作られた”というリモンチェッロを試飲という形で振舞ったのは、それに対する対抗策か。
「ジル、どうですか?」
「悪くねぇな」
「そうじゃなくて」
毒でいうところの解毒剤のようなものが入っているのかと、そういう意味で問いかけたのにと苦笑するリゼルへの返答は戯れだったのだろう。
鼻で笑い、何かしら混ざってるという言葉に、ならばこれで一件落着かとリゼルは立ち上がる。ついで仕方なさそうにジルも立ち上がり、互いに空いた椅子を引いた。
「酷いわ、いけないって言ったのに」
「悲しいわ、私たちのパートナーよ」
細身のドレスでしなやかな体を包み、尻尾に飾られた装飾をシャランと揺らしながら双子の獣人はつんと唇を尖らせる。リゼル達が引いた椅子に美しい姿勢で座り、片手に持ったリモンチェッロのグラスをくるりと回してみせた。
リゼルは苦笑し、ジルも面倒くさそうにため息をつきながら再び腰を下ろす。
「ええ、勿論。貴女方のパートナーです」
「そうでしょう?」
「今夜はずっと、貴女方のことばかり考えていますよ」
「そうかしら」
眉を落として微笑むリゼルに、双子がくすくすと笑いながら机の上に組んだ腕を置く。微かに反った背筋が、彼女たちに良く似合って酷く魅力的だ。
「いちいち拗ねてんじゃねぇよ、面倒くせぇ」
「拗ねさせたのは貴方たちよ」
「ちゃんと機嫌をとって頂戴」
彼女たちの事だ、もしかしたら全て気付いているのかもしれない。
そうでなくとも、理由もなくリゼルが自分たちの機嫌を損ねるような真似はしないと確信しているだろう。リゼルの言葉にも、瞳にも、いつだって一切の嘘などないのだから。
証拠に、彼女達の浮かべる笑みには戯れが混じる。とはいえ、ここで機嫌をとるのを失敗すれば、今度リゼルたちが彼女たちの店を利用できるかどうかは怪しいだろうが。
「是非、お二人のダンスパートナーという栄誉を頂いても?」
パーティーを台無しにしようと画策する男をどうにかするより、彼女たちの機嫌をとる方が難関だ。そう考えながらもリゼルは微笑み、口を付けていないリモンチェッロをジルへと差し出した。
「一刀は踊ってはくれないのかしら」
「踊れないようには見えないけれど」
「踊らねぇ」
そういう所よね、そういう所ね、と再び拗ねた二人はしかし楽しそうで。
さて彼女たちを楽しませるリードが出来るだろうかと、リゼルはずっと眺めていたフロアの二人を思い浮かべながら彼女たちの片割れへと手を差し伸べた。
楽しかった、と酷く満足げな二人を店まで送り、そして朝焼けを眺めながら宿へと帰った二人はそれから黙々と寝た。勿論、見事目当ての本をゲットして。
その翌日、さて依頼を受けようかとギルドの受付に並んだリゼルが何となくイレヴンにパーティーでの出来事を話した時のことだ。
「すぐ効果でなかった? あー、仕込みあり。じゃあ最近出回ってるあれじゃねッスかね、体内の魔力を乱すーとかいうの。よく分かんねぇけど。それ飲まして、動き回らせて薬まわして、魔力放出系の魔道具で一発かますと面白いくらいバッタバッタ失神するっつうの聞いたことある」
「話が早すぎんな」
「そんなのがあるんですね」
「何、リーダー飲まされたんスか。誰に? 出回ってんの潰そっか?」
滅茶苦茶話が早かった上に、その日の夜には件の男の入手ルートまで洗い出して潰し終わっていた。
神様のいない休暇世界でした。
地味に最初から決まってたので神様的な描写は避けてきたはずですが、もしありましたらすみません…。
そして、まさか休暇のコミックスが出る日が来るとは!全読者さんとコミカライズ関係者様方に感謝!




