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134:年下の特権

 それはリゼルが王都へと帰還する前のこと。

 王都南側の門では、二人の門番が詰所の前で警備に当たっていた。昼食をとるにも少し早いこの時間は警備と言っても時折訪れる商隊の通行証と荷物に簡単に目を通すだけだ。

 王都の通行証は入手が困難なので、ほぼ顔見知りしか通らない。逆に商業国マルケイドなどは身分証明だけで入れるが、それだけに入国希望が多く検品も厳重になるので忙しないと聞く。


「そろそろ交代か」

「そうだな」


 二人の門番は白い雲が点在する青空を見上げながら会話をかわしていた。

 最も出入りする冒険者も次のラッシュは日の落ちかける頃、見渡しても馬車の影など一つも無い。勿論警戒を怠っている訳では無いが、気を張り詰め過ぎても疲れるのだから彼らも適度に気を抜いていた。


「そういや最近、冒険者が荒れてないか?」

「あいつらは基本が荒れてるでしょう」

「まぁ、そうなんだがなぁ」


 若い門番の言葉に、壮年の門番がガリガリと頭を掻きながら小難しい顔をする。

 彼なりに何か引っかかる事があるのだろう。若い門番は、また始まったよとばかりに首を振って自らも心当たりを探ってみる。


「あー、確かにそうかもしれませんね。今日の朝とかギルドカード見せて通れっつっても“顔ぐらい覚えろ職務怠慢”って言われましたよ」

「怠慢してないから見せろって言ってるんだろう」

「ですよね」


 若い門番は深く深く頷き、そして首をひねった。

 だがこの程度のことは日常茶飯事だ。冒険者というのは総じて憲兵に反発しがちなので慣れたもので、相手も気に入らないとは思えど本気で悪態をついている訳では無い。

 これで他所からは“王都の冒険者は大人しい方だ”と言われているのだから、余所は一体どうなのかと彼は常々思っている。


「あ、それより、あれじゃないですか?」


 パッと何かを思いついたように顔を上げた若い門番に、壮年の門番はまた何か変な事でも言うのかと胡乱な目を向けた。


「最近荒れてんじゃなくて、前がちょっと大人しかったとか」

「は? 何でそう……あー……」


 的外れでもない、と壮年の門番は誰も通りがからない草原へと視線を投げる。

 思い出したのは、ある冒険者の事だった。冒険者に囲まれ自らも冒険者でありながら、変わらぬままに清廉高貴であり続けた冒険者。しかし決して孤立はせず、そういう存在であると周囲に自らの存在を馴染ませた彼は。


「貴族さま、ね」

「そういう呼び方すると、騎士達に凄い目で見られますよ」

「あいつらの前で言ったのか」

「ミスりました」


 貴族出身者がほとんどで、その忠誠を王へと向けるのがこの国の騎士達だ。

 当然、その敬意は王を支える貴族らへも向けられる。それは実の親だろうと変わらず敬意を示す対象として扱い、彼らの騎士としての誇りを確固たるものとしている。

 ただ彼らが実際にリゼルを見たならば、これなら仕方がないと粛々と納得するのではと憲兵達は常々思っていた。


「そう、それで貴族さんですよ。あの人がいると奴らも行儀良いっていうか」

「いや、行儀良くはないだろ」

「それはそうなんですけど」

「まぁ言いたい事は分かるぞ」


 壮年の門番は腰に下げた剣へと手を乗せ、ゆるゆると揺らしながら苦笑いする。

 何が変わった、と明言するには難しいが確かに何かが変わったのだ。良い方向なのか悪い方向なのかも分からないそれは、少なくとも門番らにとっては笑って話せる事だった。


「今どこ行ってんだったか」

「南ですよ。アスタルニアです」

「また似合わない国を選んだもんだ……お前がそれを知ってんのも凄いがな」

「噂で聞いたんで」


 へらりと笑った若い門番に、壮年の門番は思わず笑いを漏らす。まさか一冒険者の拠点移動が噂になるなど、彼はリゼルと出会うまで思ってもみなかった。

 日々どれほどの冒険者が王都を出て、あるいは訪れているのか。印象が強いパーティでさえ暫く見なければ“拠点でも移動したのだろうか”とぼんやり思って終わり、その行く先など同じ冒険者でも交流があった者達の間でしか伝えられないというのに。


「知名度の高さが異常だろう」

「俺なんかこの間、こんなちっさい女の子に聞かれましたよ。『貴族さま、まだかえってこない?』って」


 こんな、と腰元で掌を水平にさせた若い門番はその時の事を思い出していた。

 随分と可愛らしい少女は、望まない返答にふくりと頬を膨らませていた。幼い仕草に微笑ましさを感じた途端、子供らしい礼の言葉と共に美しいお辞儀を披露して去って行ったその後ろ姿を門番は決して忘れない。思わず遠い目にもなる。


「帰って来るかも分からんのに、子供は健気だな」

「いや、帰ってくるみたいですよ」

「噂か」

「噂です」


 もはや何も言うまい、と壮年の門番は草原の彼方へと視線を投げた。

 ふと遠くで何かが動いた気がしたが、魔物だろうか。流石に国の近くまで来るような魔物は滅多に居ないが、警戒をするに越したことは無い。

 じっと見ていると、小さく馬車が見えた。こちらに向かってはいないので、何処かへ向かう途中なのだろう。


「あの人達の事だから、意外な帰り方しそうですよね」


 同じく暫く無言でそちらを眺めていた若い門番が、問題なしと判断して会話を再開させる。


「普通に馬車か何かだろう。行きはどうだったんだ?」

「そこまでは分かりませんけど」


 流石に歩きは無理なので、恐らく馬車か馬かのどちらかだろうと若い門番が頷いた。むしろそれ以外の手段など無い筈だ。

 その時、交代の憲兵二人が門へとやってきた。もうすぐ十二時の鐘もなるだろう、その二人が詰所に入り準備を整えるのを待ちながら二人の門番は空きっ腹を撫でる。

 若い門番は昼は何を食べようかと考えながら、にんまりと笑ってみせた。


「あの貴族さん達の事だから、超豪華な馬車で送迎されてきたりとか」

「ははっ、有り得そうだ」


 まさか、という声色で笑った壮年の門番がそろそろかと詰所を向いた時だ。


「待て、魔鳥だ!」


 城壁の上から降って来た警戒の声に、彼はバッと振り返り空へと目を凝らした。

 魔鳥というものはほとんどの種が人里近くを縄張りにしない。見かけても極まれに遥か上空を通り過ぎていくのみで、積極的に人を襲おうともしない。

 だが、彼らは数少ない城壁の機能を無視できる存在なのだ。その都度、憲兵らは警戒に精神をすり減らす。


「こっち来ますね」

「一羽だ。国内に侵入するようなら分かるな」

「大丈夫です」


 若い門番の重心が後ろに下がった。

 実際に魔鳥が王都内へ降り立つなどまずあり得ない。そんな話も聞いた事が無い。しかし絶対に起こらないという確証が無い限り、備えはするべきだと憲兵内のマニュアルにも存在する。

 城壁の上で見張りをしている者が警笛を鳴らし、門番の内の一人が中へ走り国民に隠れるよう伝えて回る。走り回るなら自分だろうと、若い門番は自覚していた。


「随分とでかい……ん?」


 今まさに交代しようと訪れていた憲兵らがすぐさま詰所から飛び出す中、壮年の門番は力の入っていた肩を下げながら目元に手をやった。

 遠くを見通す姿を、若い門番は怪訝そうに見る。その後ろでは、飛び出して来た二人の憲兵も額に手をやりながら近付いて来る魔鳥へと目を凝らしていた。


「武装解除! アスタルニアの魔鳥騎兵だ!」

「アスタルニアから何の用事で来たんだか。しかも一人で」


 緊張状態が霧散し、交代の二人は門の内側で不安そうにしている通りがかりの国民らを大丈夫大丈夫と落ち着かせに行った。

 魔物が近くまで来た、など度々警戒状態になる門近くなので住民らも大した動揺は無いが、しかし全く不安にならないという事も無い。ほっとしたように普段の生活を再開させる姿を眺め、門番二人は間近になった魔鳥を見上げた。


「相変わらず立派な魔鳥ですね。俺絶対勝てません」

「俺も無理だ。あんなのを従わせられるんだから、魔法ってやつは凄いな」

「何しに来たんでしょう、遊びに?」

「は、来ないだろう。何かの先触れじゃないか」


 友好国相手、しかも相手は一騎となれば門番らも特に気を張る必要もない。

 急ぎの書簡でもあったか、はたまた何かの用事で来訪の許可を貰いに来たか。そんな事を話している間に、近付いて来た騎兵が大きく一つ手を振ってグルリと一周門番らの頭上を旋回する。

 返事をするように城壁の上の見張りが手を振り地面を指せば、滑らかな下降を見せながら騎兵が地上へと降り立った。

 大きく羽ばたいた翼がぶわりと風を起こし、若い門番の前髪を揺らす。


「突然の来訪、申し訳ない!」


 少し離れた位置から声を張る騎兵に、壮年の門番が一歩前に出ながら答えた。


「歓迎しよう、こちらへ!」

「感謝する!」


 騎兵がぽんぽんと魔鳥を撫でると、魔鳥はその場でぶるりと翼を震わせて腰を下ろす。

 そのままさんさんと降り注ぐ日差しにまったりし始めるのを見て、騎兵は門までの数メートルの距離を縮めた。両者の間に緊張は無い。


「本日は入国希望で?」

「いや、公務として訪れた訳では無いんだ。先触れでな」


 公務では無い、の言葉に若い門番が遊びの可能性もあるじゃないかと壮年の門番を見た。壮年の門番はそれを流しながら、ならば何の先触れなのかと疑問のままに口を開く。


「先触れというのは?」

「ああ、これから一台魔鳥車が来るから騒がせないよう知らせに。俺達は今、こちらは公務でサルスに向かってるんだが、そのついでに王都パルテダに行きたいという冒険者も乗せてきてな」


 魔鳥車、というのは門番たちも知っている。

 若い門番は知識で、壮年の門番は実際に何度か見た事があった。それは以前にもあった合同演習だったり、アスタルニアから使者が訪れる際などは魔鳥車で訪れたりもするからだ。

 そういう事か、と納得したように頷いた門番らに騎兵も安堵の息を漏らす。


「勿論魔鳥車は門の前に降ろすし、乗せて来た冒険者の入国に関しては貴方達に一任する。魔鳥車が門前に降りる許可だけ頂けないだろうか」

「ああ、それなら問題ない。自由にしてくれ」


 それならば馬車で訪れるのと変わらないと、壮年の門番はわざわざ知らせてくれた事に関して礼を告げた。


「しかし、意外だな。魔鳥車なんて貴殿らか王族ぐらいしか乗らないと思っていたが」

「それも間違いではないんだが、今回は」


 言葉を切った騎兵に、壮年の門番はどうかしたのかと返答を待つ。

 言いづらそう、というよりはどう言えば良いのかと悩む姿に深刻な案件ではなさそうだと内心で安堵した。若い門番がほっこりと翼を膨らませて日向ぼっこしている魔鳥を興味深そうに眺める中、騎兵は妙案が浮かんだかのようにパッと顔を上げた。


「そうだ、知ってる冒険者だと思うが。やたら貴族なのと、やたら黒いのと、やたら癖のある浮世離れした三人組で」

「分かった」


 分からない筈が無かった。いっそ魔鳥車に納得感もある。普通ならば冒険者の特徴を言われても分かる筈ないと言い切れるが、今回ばかりは門番にも即行で分かった。

 やっぱり、と言いたげに深く頷いた騎兵に、他国でも変わらないままだったのだろうと変な確信すら持ってしまう始末だ。


「恐らく既に野営地からこちらに向かっているだろうし、此処で待たせて貰って良いだろうか」

「ああ、構わない」


 ならば水でも持って来ようかと壮年の門番が思っていた時だった。

 ふと隣を見れば、若い門番が城壁の上にいる見張りに向かって警笛を鳴らせ鳴らせと懸命にアピールしていた。それを二度見し、ついに焦れて門の中に駆け出そうとしているその襟首を慌てて捕まえる。


「グエッ」

「何やってるんだ!」

「ゲッホ、だって貴族さん帰って来るんですよね、報告が必要でしょう!」

「誰にだ」

「……え?」


 そこでようやく若い門番の勢いが消えた。

 しかし激しい違和感は感じているらしく、落ち着かないようにそわそわと足を動かしている。


「いやでも、必要ですよね。え、本気で俺達内で終わらせるんですか?」

「それは……そうだが。でも誰に報告するんだ」

「それもそうなんですけど……」

「言いたい事は俺も分かるんだがな……」


 ただ、一組のパーティが他所の国から訪れるだけ。事実はそれだけだ。

 しかしそれがリゼル達というだけで激しい違和感を伴うのだから、彼らに罪は無いと知りながらもどうにかしてくれと地面に拳を叩きつけたくなる。むしろ緊急事態として扱う方がしっくり来る感があった。

 言いようのない衝動に落ち着きを失う門番らが、ようやく交代の機会を得て合流してきた憲兵らにそれらを伝え、何かしなければというもどかしさが更に伝染する。


「御客人すげぇなぁ……」


 もだもだしている彼らを見ていた騎兵が一人、内心で深く同意を示しながらポツリと一つ呟いた。







 噂というのは、何処からどう広がるのか分からない。


「あんたたち、貴族さま達が帰って来るらしいよ!」

「貴族様って……えっ、宿泊亭の?」

「そうそう、もうすぐみたいよ。今ね、門の所で」


 そこで冒険者の、とならない所がリゼルだろう。

 情報のエキスパートである井戸端会議の主婦たちが、きゃあきゃあと声を上げながら興奮気味に噂話をやりとりしていく。最近は話のネタも余り刺激的なものが無かったのだろう、ヒートアップする会話は道行く人の耳を引き付けた。


「……リゼル、さん?」


 そして、得意先に向かおうと通りを歩いていたジャッジの耳にもそれは届く。

 見開かれた目は主婦らを向きながら何も映さず、手に抱えた荷物はゆっくりとバランスを崩していた。自然と止まった足に、道の真ん中で立ち尽くす長身は目を引いたのだろう。


「あらやだ!」


 主婦の一人がジャッジを見つけ、笑みのままに声を上げた。

 おいでおいでと手招かれ、ジャッジは落としかけていた荷物を慌てて抱え直しておずおずと近付いていく。途端、あっという間に詰め寄られた。


「道具屋さんじゃない、聞いた? 貴族様のこと!」

「い、いえ、その、門って……」

「帰って来るらしいわねぇ、もう直ぐじゃないかしら」

「え? あの」

「仲が良かったし、気になるわよねぇ」

「あ、え、はい……えっと」


 矢継ぎ早に繰り出される言葉攻めにジャッジは満足に話させて貰えない。

 戸惑いながら、しかしリゼルの事が聞きたいと引くことはしない。仰け反りそうになる背を耐えて、何とか止め処なく交わされる会話に混じっていく。


「昨日、もう直ぐ帰るかもって手紙が届いたので、きっと」

「あらー、貴族様からの手紙!」

「アスタルニアから此処にって高いのよ」

「流石ねぇ、どんな手紙だったのかしら。きっと紙も良い紙使ってそうよね」


 情報のエキスパートは情報収集にも余念がない。いつだって情報提供者でありたいのが主婦というものなのか。

 今度は怒涛の質問攻めにジャッジは内心半泣きだ。客層に居ないタイプなのであしらい方も分からず、ついていくだけで精一杯だった。

 ちなみに普通の手紙だったというのは言っても信じて貰えなかった。確かに一度アスタルニア王族が使用するような封筒で来たこともあったが。


「貴族様ったら、手紙を出して結構すぐ出発したのね」

「昨日届いたならそうよねぇ。意外とせっかちなのかしら」

「そ、それは無いと……」

「そうよねぇ。あんた、それは無いわよ」


 無い無い、と笑う主婦らにジャッジも深く頷き納得を示す。

 せっかちでは無いのだ。きっと何となくそろそろかなと思った時に、丁度良いタイミングで帰る手段が得られただけなのだろう。手紙だってきっと、間に合わずとも良いかとすら思っていたかもしれない。

 それでも書いてくれた事が嬉しくて、ジャッジは緩みそうになる口元を必死に耐えながらぎゅうっと荷物を抱える腕に力を込めた。


「でものんびりしてるって訳でも無いのよね」

「そうそう。ゆったりはしてるけど、ペースが遅い訳じゃないのよ」

「独特な空気? があるわよねぇ」

「分かるわぁ! 貴族様の周りだけ違う空間っていうか」


 ジャッジは一声挟む暇もなく飛び交う声の隙を何とか探そうとするが、どうしても内容が気になりそわそわしてしまう。

 誇らしいような、気恥ずかしいような、そして少しばかり優越感を抱いてしまうような。それがまた自分自身の事をリゼルの身内だと思っている証拠のような気がして、恐れ多さに縮こまりそうになりながらも酷く照れくさい。


「何て言うか貴族様より綺麗な男って他にもいるけど、貴族様はそういうんじゃないのよ」

「あの見てるだけで満たされる感って凄いわよねぇ」

「そうそう、それに絶対良い匂いがしそう!」

「します」


 即答で同意した。

 その真顔に主婦らも思わず口を閉じ、いっそ感心しながらジャッジを眺める。


「あっ、その、聞きたい事が……っ」


 一瞬だけ落ちた沈黙に、ジャッジはハッとしたように慌てて口を開いた。今を逃すと次に口を挟めるのが何時になるか分からないと、問いかける口調も早口になってしまう。


「その話の門って、何処の門ですか!」


 ああっ、と主婦らも声を上げた。そして話に巻き込んだ自身らを堂々と棚に上げつつ、こんな所で油を売っている場合かと急げ急げと追い立てる。

 リゼルと共にいる時の、ふにゃふにゃ幸せそうに笑う姿も何度も見ているのだ。微笑ましさ半分、そして話のタネ欲しさ半分で主婦らはジャッジを送り出してくれる。


「っ有難うございます!」


 そしてジャッジは荷物を抱え直しながら感謝を告げ、そして逸る気持ちをそのままに足を動かした。


「(これから急いでこれを渡して、門に……ああでも、あそこの御主人は話が長いから、何とかして)」


 出先から南門へと向かう最短の道筋を考えながら、ジャッジは時折ぶつかりそうになりつつも通りを速足で進んだ。時々、何処かでリゼルの名前が聞こえたような気がしては耳をすましてしまう。

 昔馴染みの翁には悪いが、長々した世間話は今回は辞退させて貰おう。インサイの友人でもある得意先の店主の顔を思い浮かべ、そう内心で深く謝罪した。






 ジャッジが南門付近の得意先にて、馴染みの店主の長話を必死で回避しようとしている頃。ようやく王都の冒険者ギルドにも、一組のパーティによってその噂が届けられた。


「おい、聞いたか?」

「何をだよ」

「今、外に魔鳥が居てな。ビビッて見てたら、何か門番の奴らが話してたんだよ」

「うるっせぇなぁ、だから何を……」

「貴族さん、帰って来るみてぇだぞ」


 男共の驚嘆の声が上がると共にキンッと冷たく澄んだ音が聞こえ、とあるギルド職員は恐る恐る隣の席を見た。

 受付窓口にて淡々と書類をさばいていたスタッドが、見るからに作業途中の体勢で動きを止めていた。よくよく見れば手に持っていたペンが芯まで凍り付いたように色を濃くし、触れた指の温度に耐え切れずピシリとひび割れている。


「何だ、有名な奴か? 何で貴族が出てくんだよ」

「いや、貴族じゃねぇんだよ。全力で貴族なだけで」

「貴族なんじゃねぇか」

「違ぇんだって」


 冒険者は案外情報に敏感だ。

 有名な人物らしいのに聞き覚えがない、と怪訝そうな最近王都に来た冒険者らに既存の冒険者が身も蓋も無い説明をしている。リゼルが聞けば落ち込みそうだが彼らに悪気はない。


「冒険者なんだよ、一応」

「はぁ? 貴族は冒険者になれねぇだろ」

「違ぇっつってんだろ。ひたすら貴族っぽいだけで……貴族じゃ……ねぇ……」


 うーん、と眉間を押さえながら悩みに悩んだ末の回答には一切の自信を含まなかった。


「何だよ、成金?」

「お前は貴族さん見た時に確実に後悔する」


 そんな冒険者らの会話を聞きながら職員は口元を引き攣らせ、微動だにしないスタッドを見ていた。ペンを凍らせておきながら書類は無事なのが凄い。


「じゃあ何なんだよ!」

「うるっせぇ見りゃ分かんだよ!」


 いっそどちらにも非は無いにも拘らず、両者は徐々にヒートアップしていく。

 ここで暴れられれば面倒だ。その手の事に関して容赦のない粛清を与える当のスタッドが人形のように静止している今、普段は一切心配しない冒険者の乱闘も此方に被害が来るのではとヒヤヒヤしてしまう。


「ス、スタッド?」

「……」

「良かったな、ははっ、リゼル氏、戻って来るとか、何とか……」


 何かを黙々と考えているのか、それとも衝撃に思考を放棄しているのか返事は無い。

 周囲の空気ごと凍り付いたようなスタッドと、語調を荒らげていく冒険者たちを見比べながら職員は椅子を引いた。何かあれば即行逃げる構えだ。


「だから言ってんじゃねぇか、貴族さんはなぁ! 貴族に限りなく近いだけの!」


 そんな職員に気付いた様子もなく冒険者の一人が声を張り上げ、そして一度言葉をきる。


「……貴族だ」

「そこは冒険者って言ってやれよぉおお!!」


 とある職員は逃げる事も忘れ、ダンッと両拳を机に叩きつけながら叫んだ。

 それには“やっぱり貴族じゃねぇか”と怒鳴ろうとした冒険者も、開いた口をそのままに思わず職員を見る。悲痛すら感じさせる面持ちで、職員は立て板に水の如く喋り出した。


「あの人が俺に向かって『そろそろ冒険者にも馴染んできたし』って当然のように言うこと二回、『冒険者らしくなったでしょう?』ってほのほの嬉しそうに言うこと一回、『俺も冒険者ですから』ってちょっと得意そうに言うこと一回、それに俺がどんな気持ちで同意を返してたのか分かるか!?」

「否定を返したというなら許しませんが」

「お、スタッド復活したの」


 淡々とした冷たい声に、一気に頭を冷やされた職員がすっとトーンダウンする。

 それを見た冒険者らは各々盛大に引きながら、まぁ当の人物は冒険者で間違いないのだろうと解散していった。そもそもギルドが徹底して貴族王族の加入を認めないという前提があるのだから、納得は早い。


「それで、どうすんの? リゼル氏の出迎え?」

「出来るようならしたいですが」


 淡々とした顔は冷たく変わらず、一切の感情が読めない。

 もう何年も付き合いのある職員でさえ読み取れない感情も、ここにリゼルが居れば汲み取ったのだろう。その内面すらほぼ無感情だったのは、彼と出会う前のことなのだから。


「あー、何時ごろ帰って来るかによるかぁ」

「昼過ぎっぽかったぞ」

「マジすか。あざーす」


 先程まで貴族がゲシュタルト崩壊していた冒険者が、摘み取った薬草を職員に差し出しながら言う。近場での薬草採取依頼だったからこそこの時間に終わり、帰ってこられたのだろう。

 昼過ぎ、ならばそろそろ着いても可笑しくはないか。職員がギルドカードを預かりながら横目でスタッドを窺えば、無表情がじっとこちらを向いていて思わずビクリと肩を揺らした。


「物は相談ですが」

「お、おう」

「貴方は今日半休でしたね」

「そうだけど」

「私は明日がそうです」


 スタッドの言いたい事を悟り、職員は乾いた笑い声を零した。

 まさか他にやる事もないからと休日も普通にギルドで働くスタッドが、そんな事を言いだす日が来るとは。今までもリゼルの見送りやら何やらで前もって休みの日を指定されたりしていたが、何度経験しようと驚愕は薄まらない。


「はいはい、どーぞ」

「どうも」


 変わらず淡々とした返答と共に、スタッドの手元が唐突に動き始めた。

 人間の限界速かと言わんばかりのスピードで書類が捌かれ、振り分けられていく。勿論ミスなど一切ない。

 そしてそれらを整頓し、机周りを片付け、立ち上がるついでにギルドの机に腰掛け何やら相談していた冒険者らが乱闘になりそうな所に氷のナイフを投げつけ黙らせる。その瞬間に正午を告げる鐘が何処からか響き渡り、スタッドは流れるような仕草で胸につけていたギルド紋章のピンズを取り外した。


「お疲れ様です」


 直後、姿が消えたと思わせる速度でギルドを出て行ったスタッドを、ギルドカードを差し出す職員とそれを受け取ろうとする冒険者は微動だに出来ずに見送った。






 そうして南門の前で鉢合わせたスタッドとジャッジは出迎え方で一悶着しながらも待ち続け、無事リゼルを迎える事に成功したのだった。


「見送りの時は譲ったんだから、今回はって言ったのに……ッ」

「五秒なら待ってやりますと伝えた筈ですが」

「ほら、喧嘩しないでください。迎えに来てくれたんですよね?」


 懐かしい、と言って良いのだろうか。

 見慣れたやり取りにリゼルが微笑みながら声をかければ、ジャッジ達の視線がパッとリゼルを向いた。


「お帰りなさい、リゼルさん」

「待っていてくれて有難うございます、ジャッジ君」


 嬉しい嬉しいと、隠さずふにゃふにゃと顔を笑みに緩めるジャッジにリゼルは可笑しそうに笑った。

 少し猫背の長身に手を差し出せば、照れたようにはにかんで首を傾げる。その頬を撫でてやれば、窺うようにリゼルを見ていた瞳が心地よさそうに伏せられた。

 最後にその目元を指先で優しくなぞったリゼルが、今度はスタッドへと向き合う。


「スタッド君も。出迎え、とても嬉しいです」

「はい」


 相変わらず感情の浮かばない淡々とした声だったが、リゼルは言葉通りに顔を綻ばせた。

 ジャッジを撫でていた手とは反対でスタッドの髪を撫でれば、その目元が微かに細められる。


「手紙のやり取りも楽しかったですけど、やっぱり顔を見ると安心しますね」

「リゼルさんも、元気そうで良かったです。その、危ない事とか無かったですか?」

「大丈夫ですよ」


 可笑しそうに告げたリゼルの向こうから、スタッドの視線が一瞬ジル達を貫いた。

 それは何かを探るような、見通すような、刺すような視線だ。ジルとイレヴンはそれに平静に、あるいは嘲笑してみせながら視線だけで返す。

 まさに一瞬の攻防は、スタッドの視線がリゼルへ戻ることで幕を下ろした。本当に何事も無かったのだと、そう納得するように。


「ジル達はどうしますか? これから昼食ですよね」


 会話に花を咲かせていたリゼルが、ふっとジル達を振り返った。


「良い、そいつらに付き合ってやれ」

「俺も。久々に王都まわってるッスよ」

「そうですか」


 面倒そうに溜息をついたジルとわざとらしく笑みを浮かべたイレヴンに、リゼルは平然と頷いた。

 勝手知ったる、と言って良いのかは分からないが、特に目的があっての帰還でも無いのだからやるべき事も無い。国移動の直後にこれ程早々に好き放題動く冒険者も珍しいのだが、リゼル達は知る由も無かった。


「じゃあ行きましょうか。二人とも、食事はまだなんですよね」

「まだです」

「あ、じゃあ、お勧めの店が」


 落ち合う場所を女将の宿とだけ決めて、リゼルはジャッジ案内の元に昼食を取ろうと懐かしい街並みを歩いて行った。宿が空いてなくとも、その時はその時だ。

 そんな三人の後姿を眺めながら、そして擦れ違う度にリゼルを二度見する周囲を眺めながらジルとイレヴンはどちらからともなく口を開く。


「お前にしちゃ珍しいな」

「まぁ余裕あるし」


 イレヴンが唇を愉悦に染め、適当に視線を投げた。

 もし自分が置いて行かれる立場ならば、と考えれば多少は譲ってやろうという気にもなる。勿論、それなりに再会の喜びを済ませたなら容赦なく奪いに行くが。


「にしても、リーダーあいつらには言わねぇんだ?」

「そりゃあな」


 少なからず視線を集める門前から、足を踏み出し歩を進めながらジルが言う。イレヴンも特について行く訳でもなく、同じ方向に向かいながらまぁ当然かと頷いた。

 リゼルが望んで操られた時とは違う望まぬ誘拐を、彼らは絶対に許さない。行動することに躊躇しない。その影響を顧みない。そして何よりリゼルの意図に配慮しない。


「あの二人が一番何するか分かんねぇだろ」


 ジャッジとスタッドは、リゼルの隣に立とうとした事など一度もない。

 親しくなりたい。近い存在でありたい。それは彼らにとって対等である事とイコールでは無いのだ。

 甘やかされ優しくされて時々頼られたりしたら凄く幸せで、そんな彼らは無意識の内に知っている。自分たちの我儘は許される。


「あんだけ飼い慣らしてりゃ、勝手な事もさせねぇだろうが」

「あー、言われてみりゃあいつら自己満強ぇよなァ」


 勿論、人の事など言えないのだが。

 ジルとイレヴンは微かな笑みに唇を歪め、何を言うでもなく道を分かれて歩を進めていった。







「女将さん、お久しぶりです。宿、空いてますか?」

「おや久しぶりだねぇ、リゼルさん達じゃないかい! 個室だね、二つとも空いてるよ」

「俺は!?」

「てめぇは他にあんだろ」


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