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130:早々に二度寝した

 リゼル達は三人、装備を身に着け宿の前へと立っていた。

 ギルドへ向かうからではない、アスタルニアを出発する日が訪れたからだ。早朝からの出発となる為まだ空は薄らと明るくなったばかりだが、雲は少ないのできっと今日は快晴だろう。

 良い旅立ち日和だった。


「おべんどうでず」

「有難うございます」


 そして目の前には涙で顔面が崩壊している宿主がいる。

 本人的には懸命に耐えているらしく力の込められた表情筋がとんでもない形相を作り出しているも、出るものは全て出ているので何の意味も無い。しかしリゼルはそこには触れないようにして、どこまでも優しく微笑んだ。


「仮にも宿の主人が客人の出発に泣いちゃ、面目が立ちませんよ」

「だっでごんなぢょうきでどまるひどなんでいながっだでずし」


 大分聞き取り辛いが、別れを惜しんでくれているのは確かだろう。

 リゼルは渡された弁当を両手で大切に受け取った。宿主が昨晩の夕食をいつもより御馳走にしてくれたのも、その時からこの弁当を作り始めてくれていた事も知っている。


「大切に食べますね」

「いづもどおりだべでぐだざい……」

「そうですね、いつも美味しかったですから」

「ぞうやってぎぞぐなおきゃぐざんはいつもいっでぐれてだぁぁぁ!!」


 もはや地面に突っ伏す勢いで泣き喚く宿主を、リゼルは弁当を両手にどうしようと見下ろした。気持ちは大層嬉しいが、正直まさかここまでという気持ちが強い。

 リゼル達が去ってしまえば宿泊客ゼロの現実と戦わなければいけないというのもあるのだろう。リゼルが泊まっている間もそこそこ客は入っていたのだが、今はいない上にコスパの最高な長期宿泊など滅多にいない。


「なんか凄ぇ注目されてる」

「勘弁しろよ……」


 ちなみに普通に往来だ。男泣きする宿主によって注目度ダダ上がりである。


「ほら、宿主さん。膝が汚れますよ」

「ずみまぜん……」


 ズ、と鼻を啜りながら立ち上がった宿主は「あ゛ー……」とおっさん臭い声を吐きながら何とか落ち着いたようだ。充血した目がまだ若干怖いが、笑顔で送り出して貰えそうだとリゼルは微笑んだ。


「それじゃあ、お世話になりました」

「いくらでもお世話するので絶対にまた泊まりに来て下さい切実に」

「それは分かりませんけど」

「もう貴族なお客さんはそういうとこ正直だから辛い!!」


 両手で顔を覆った宿主に、リゼルは弁当をジルに渡しながら申し訳なさそうに言う。

 なにせ、いつか世界ごと退去する可能性すらあるのだから断言は出来ない。気休めを口にしないリゼルに、随分と“らしい”ことだとジルは弁当を片手で抱えながらため息をついた。


「でも、そうですね」

「はい……」

「またこの国に来ることがあれば、是非ここに」

「だからそうやって綺麗な微笑みを向けてくれるところぉー!!」


 別れの雰囲気に呑まれまくりの宿主が、男泣きを再開させながらも息も絶え絶えに送り出してくれる。そうしてリゼル達は最後の挨拶をして宿の前から歩き出した。

 向かう先は王宮だ。そこから外交担当をつれてアスタルニアから出発をする。


「ああやって、また会いたいって言って貰えると嬉しいですね」

「どう見ても本音ッスもんね」


 意外に年相応に社交辞令も使える宿主だが、その可能性など見るからに皆無なのだからリゼルも素直に嬉しいのだろう。人の機微に聡いリゼルだからこその喜び方だ。

 勿論ジルとイレヴンも悪い気はしないのだが、限度があるだろうとちょっと引いたのも確かだった。別れを惜しむにしてももうちょっと自重して貰いたい。


「君達も誰かに挨拶は済ませたんですか?」


 三人は歩きながら、屋台が並ぶ大通りへと出る。

 ふとリゼルが横を見れば、花弁の砂糖漬けを扱う屋台の店主が此方に気付いたようだ。開店準備を進めていた手を止め、にこりと女性らしい魅力的な笑みを浮かべてひらりと手を振っている。

 リゼルも微笑み、手を振り返した。何度か話をした仲だ。


「まぁな」

「ニィサン挨拶するような相手いんの?」

「てめぇに言われたくねぇよ」


 素で言うイレヴンに、ジルは特に不快に思うでもなく返していた。

 それもそうだろう、いちいち互いの交友関係を把握などしていない。リゼルもそれは初耳だったので、不思議そうにジルを見る。


「ジルって此処、来た事なかったですよね」

「昔馴染みが酒場やってた」

「へぇ、偶然の再会ですね」


 元冒険者か、あるいは故郷の知人だろうか。

 どちらにせよアスタルニアという辺境で出会うなど、ジルも思ってもみなかっただろう。それなりに交流のある相手だったようだし、良い再会となった筈だ。

 相手は恐らく一発でジルだと分かっただろうなと、ガラの悪さが主張する顔を眺める。


「何だよ」

「いえ、何も」


 胡乱な目を向けて来るジルに、可笑しそうに笑みを返した。


「あ。そういや俺、父さんに会えたんスよ」

「あ、良かったですね。何処でですか?」


 ふと思い出したかのように告げるイレヴンに、会えないだろうと聞いていたリゼルが意外そうに問う。ここで“何処”と聞くあたり、リゼルもイレヴンの父親の性質を理解しているのだろう。

 イレヴンは擦れ違う屋台に並べられた果物を手に取り、歩みを止めないままに屋台主へと銅貨を放り投げながら口を開いた。


「普通に道端で。魔力溜まりスポットから避難して来てんだって」

「そういや言ってたな」

「御実家の方に来ちゃったんですね」


 森で発生する魔力溜まりはゆっくりと移動している。

 以前に家の方に来れば避難しているとイレヴンが言っていたが、今回もそのタイミングだったのだろう。両親ともにアスタルニア国内へと訪れていたようだ。


「どうでした?」

「どうっつってもなァ。久しぶりっつって、飯時だったしそこら辺の飯屋入って、ちょい話したくらい」


 果物を食べながら思い出すように告げるイレヴンに、何にせよ会えたのなら良かったとリゼルは微笑んだ。

 そういうのに淡白とはいえ会えないよりは会えた方が良い、だからこそアスタルニアを訪れる際にイレヴンも実家に寄ろうと思い立ったのだから。親子水入らずの時間が過ごせたようで何よりだ。


「そういえばこの前、店の食料を空にして帰って行った親子の噂を聞きました」

「それ多分俺ら」

「てめぇ父親似かよ」

「そうだけど?」


 リゼルの言葉に納得を滲ませたジルへと、イレヴンはにやにやと笑ってみせる。

 母親似では無いからそうだろうと思っていたが、大食らいまで父親から受け継いだようだ。イレヴンの母がリゼルに対して食べろ食べろと会う度に言うのは、身近にいる男の食いっぷりから来ているのかもしれない。


「お母様は一緒じゃなかったんですか?」

「母さんはアレ、国入る度に知り合いんとこ行くから」


 やはり森の中に住んでいれば、久々に会う友人と話したいことがたくさんあるのだろう。

 魔力溜まりも良い機会のようだとリゼルは笑いながら髪を耳にかけ、向かい側から近付いてきた荷台を道の端によって避けた。荷台にはたくさんのココヤシの実が積まれていて、荷台が揺れる度に転がりそうになっている。


「リーダーは?」

「俺は団長さん達や、後は会える範囲でお世話になった方とかです」


 こういう所でマメさを発揮している辺り職業病くさい、とジルは思ったが口には出さなかった。


「団長さんも、そろそろ出国を考えてるみたいですよ」

「へぇ、まぁ移動型の劇団ならこんなもんスよね」

「護衛とかつけるんでしょうか」

「あんだけ大所帯だと金かかるぞ」


 アスタルニアは少し遠いが、劇団ファンタズムは王都近辺の国を行き来しているという。

 きっとまた会うだろうと言い切った彼の団長の言葉に根拠など無いが、確かに会えそうな気はするとリゼルもまた思っていた。次の目的地は聞かなかったが、下手をすれば直ぐに王都で顔を合わせる事となりそうだ。


「団員皆さんに万歳三唱で送り出されました」

「地獄じゃねぇか」


 ジルはそういうのを心底嫌がる派だった。

 ちなみにリゼルは普通に嬉しく受け取るし、イレヴンはネタだと分かった上でノリ良く受け取る。こういう所で性格というのが出るだろう。


「そういやその団長サンに夢見る奴いたじゃねッスか、冒険者」

「はい。あ、そういえば」


 団長に、というよりは団長演じる“魔王様”にと言った方が正しいのだろう。

 ジルやイレヴンを以ってして修羅の道と称された恋をした男の顔を思い出し、リゼルは微笑んで先日聞いたことを思い出す。何処の劇団でも花形というのは罪作りなものだ。


「団長さん、言ってましたよ。今度、噴水広場であるお祭りに誘われたって」

「マジで?」

「つっても正体知らねぇんだろ」

「意地の悪い言い方ですね」

「事実だろうが」


 鼻で笑うジルに、確かに正体と言っても間違いでは無いがとリゼルは苦笑する。

 事実、当の冒険者はといえば素の団長を見たのはギルドで言い合いをした時くらいなのだ。彼が心を奪われたのは気高く美しく、そしてその威厳と魅力を以って人を従わせる魔王なのだから。

 本当の団長の姿を知ってもそれが失われる事はない、というのは少々夢物語が過ぎるだろうか。とはいえ実際リゼル達は、そして団長本人もそれは多分無いだろうなと思っている。


「で、誘いに乗るんスか」

「乗るみたいですよ」


 あっさりと答えたリゼルに、イレヴンは意外そうにパカリと口を開けた。


「“随分と洒落た誘い方もされたし、良い夢みさせてやる”って不敵に笑ってました」


 リゼルにとって、それは意外でも何でもなかった。

 普段がどうであれ彼女も大人の女性なのだし、自らに向けられた好意に気付かないほどに鈍くはない。それに実力を考えれば今まで何度も魅力的な女性を演じているだろうし、好意を躱すことにも慣れているだろう。


「夢壊しに行くタイプじゃねぇのか」

「それは、ほら。随分と熱心に応援して貰えたみたいだし、嬉しかったんだと思います」


 呆れたように言うジルに、リゼルは何とも失礼なことだと笑う。

 しつこく言い寄るような相手ならまだしも、純粋なファンの夢を壊すような真似を夢を与える側である劇団員がする筈ないだろう。彼女は何処までもプロなのだから。


「じゃあ魔王サマのままで踊って、キレーにフッて貰えんだ?」

「みたいですね」

「つまんねぇなァ。正直いつ絶望すんのかと思ってたんスけど」


 つまらないの部分は別にして、正直それはリゼルもジルも思っていたので深く同意した。

 三人は大通りから路地へと進路を変える。何度も通った王宮だ、近道の一つや二つは見つけていた。


「ちなみにそれを聞いた小説家さんが、何で自分には出会いが無いんだって叫びながら地面を叩いてました」

「出会った時点で事案が発生するからじゃねぇの?」


 ジルが「それな」と言わんばかりに頷く。リゼルは小説家の名誉に配慮し頷かなかった。

 彼女は極々普通にリゼル達との別れを惜しんでくれたが、同時に徹夜続きで荒んだ眼だけは有力なネタ源を惜しむようにギラギラと光っていた。ファンタズムの出国という時間的制限がついたからか、約束の台本執筆に追われているらしい。


「小説家さんって、正直俺達のことをネタとしか見てないですよね」

「少なくとも出会いの範囲に一切入れねぇのは確かだな」

「いかにも男苦手っぽいのにそこそこ喋ってくるあたりでお察しッスね」


 色々な意味であまり女性関係に不自由したことがない三人は、そこまで除外されるといっそ潔いなと感心すらしていた。


「そういやリーダー、土産買った?」

「買いましたよ」

「何?」

「内緒です」


 路地裏とはいえ朝の澄み切った空気と、賑わいの遠い独特の静けさの中にサリサリとイレヴンが指先で壁をなぞる音が響く。それは中で暮らす人に聞こえたりしないんだろうかと思いながら、リゼルは土産を渡す先である王都の面々を思い浮かべた。

 買い忘れは無い筈だ。ジャッジやスタッドや、あとは。頭の中で数えながら、時折目元へ差し込む光の眩しさに目を細める。


「アスタルニアは良いですよね。特徴があるので、お土産も選ぶのが楽しいです」

「変なもんも多いけどな」

「あー。時々これ売れんのってやつあるもんなァ」


 アスタルニアに来たばかりの頃、これを貰って誰が喜ぶのだろうという置物の前でしげしげとそれを眺めていたリゼルを思い出しながらジル達は言う。

 流石のリゼルも用途不明なそれを買う事はなかった。後日似たようなものを迷宮の宝箱から出していたが。


「あ。あそこだっけ、出んの」

「はい」


 ふとイレヴンが指さした先へと足を進め、カツンッと靴音を鳴らしながら三人は再び通りへと出た。

 遠くに朝日を反射する白亜の宮殿が姿を現す。まだ上部しか見えないが、その更に上で数匹の魔鳥が円を描く様に飛んでいるのが小さく見えていた。





 王宮が見え始めてからも結構歩かなければならない。

 にぎわい始めた街並みを通り過ぎ、ようやく辿り着いた王宮の門では相変わらず朝の挨拶だけで中へと通された。今日出発の話が通っているのだろう、別に普段でも止められる事は無いのだが。


「ん、居ましたね」

「あぁ」


 門を入って直ぐの場所に魔鳥が集まり、そして二台の魔鳥車が見えた。サルスへ向かう一団であるのは確実で、騎兵団の者達が準備も大詰めだと動き回っていたり、それらを終わらせて自らの魔鳥をリラックスさせていたりする。

 魔鳥車は恐らく配慮してのことだろう、やや離れて置かれていた。その片方の傍に見知った姿を見つけ、リゼル達はそちらへと進路を向ける。


「ん、来たか」

「おはようございます、ナハスさん」

「あぁ、おはよう」


 傍らに魔鳥を連れ、此方を向いたナハスが唇に笑みを乗せた。

 魔鳥は退屈そうにするでもなく、ふんふんと嘴を魔鳥車へと近付けている。時折半端に開いた扉へと嘴を突っ込んでは、引き抜きブルリと羽を震わせていた。


「もうこれ乗ってて良い? 俺まだ眠ィんだけど」

「そうだな……」


 早々に魔鳥車を指さしたイレヴンに、しかしナハスは言い淀む。

 そういえば先ほどから何かを悩んでいる様子だったなと、リゼルは内心で首を傾げながらもう一つの魔鳥車へ顔を向けた。


「あっちに乗った方が良かったですか?」

「いや、一応あっちが王族用なんだ」

「じゃあ良いんじゃねぇの?」


 さっさと二度寝に入りたいのか、意味が分からないと顔を顰めるイレヴンの背をリゼルが落ち着けるように叩く。唇を尖らせ背筋を伸ばした彼は不貞腐れ、リゼルへと肩を寄せるようにもたれ掛かって来た。


「一応、っていうよりちゃんと王族用ですよね」

「見た目豪華だしな」


 やはり王族の内の誰かがサルスへ赴くらしい。そう思いながら多少装飾の多い魔鳥車を眺めるリゼルに、ジルも同意する。

 軽量化に特化されている為に装飾と言っても豪華絢爛なものでは無いのだが、そこかしこに施された細工や飾られた布がその格を上げていた。ならば何故悩むことがあるのかとナハスを見ると、難しい顔をしながら目の前にある魔鳥車の扉を開く。


「あ」

「あーね」

「そういやな」


 三人は目に入った車内にそれを思い出し、そして納得した。


「……こちらの方が乗り心地が良さそうなんだ」

「ジャッジ君、頑張りましたからね」


 ほのほの微笑むリゼルに、ナハスは眉間を揉みながらため息をつく。

 アスタルニアだって王族用の魔鳥車には十分に配慮を施している。施してはいるが、此方では滅多に見ない希少な素材をふんだんに利用し、軽量化と乗り心地を最大限まで高め見事に両立させたジャッジ改良型魔鳥車の乗り心地には敵わない。


「商人だったな?」

「商人ですね」


 改めて確認をとってしまう程に見事なものだった。


「だがまぁ、造形に関してはやはり向こうのが豪奢だしな。お前らはこっちに乗ってくれ」

「外交だと、そういう所も気を遣いますよねぇ」

「お前はもう少し冒険者らしい事を言え」


 何故か理解を示すリゼルにナハスが突っ込む横で、イレヴンとジルは背を屈めながら魔鳥車へと乗り込んでいく。扉の横に立っていた魔鳥は邪魔をしないようにか頭を引いていたが、二人が乗り込んでしまうと再び中を覗き込んでいた。


「コレ、王族に使わせたっつったらジャッジどうすると思う?」

「泣くだろ」

「泣くよなァ」


 中に入らずナハスの前に立っていたリゼルは、ケラケラと笑いを挟みながら聞こえて来た会話に苦笑した。そしてバツが悪そうな顔をするナハスに気にするなと手を振る。

 兵士として王族を立てなければいけない事も、しかし事情を知るからこそ悩み続けていた事も知っている。ジル達も普通に悪意なく話しているに過ぎないので、本当に気にするような事でも無い。


「すまんな」

「いえ、こちらこそ」

「リゼル殿ももう乗っていると良い」


 周りを見渡しながらナハスが言う。そろそろ出発なのだろう。


「王子が来れば出発だからな」

「外交担当の方ですか?」

「あぁ。国王を一番として、アリム殿下が二番目、今回同行する方が六番目の王子だ」


 何かを考えるように成程と頷いているリゼルに、確か面識は無かったなとナハスは説明を続ける。

 ここ近辺の外交を担当している事、フットワークが軽く人との交流を好む為に外交が向いていると抜擢された事。その口振りを聞いていれば、慕われる王族なのだろうと容易に理解が出来た。


「向こうの魔鳥車には王子と、近衛として憲兵が二人乗る」

「ご挨拶は良かったですか?」

「まぁ、いらんだろう。アリム殿下の方から話は通ってるから」


 その方が楽だろうと、いかにも当然そうに告げたナハスはリゼル達に慣れ切ったとしか言いようが無い。

 何処の冒険者が折角王族に顔を覚えて貰える機会を棒に振ろうと言うのか。通常ならば挨拶をさせてやろうというのが厚意だろうが、ナハスはそんな思考は早々に放棄している。


「王子は人と距離を詰めるのが上手いが、まぁ……その分積極的に関わろうとするタイプだしな。道中ずっと絡まれたくなければ、もう車内に入ってると良い」

「確かに、ジルとか嫌がりそうですしね」


 イレヴンも基本的に愛想が良い方だが、相手によっては鬱陶しがる事もある。

 ならば平穏な旅路を過ごす為にナハスに従っておいた方が良さそうだ。リゼルは扉に近付き、直ぐ隣に立っていた魔鳥の胸元をもふもふと撫でる。


「行きみたいに、時間があれば乗せて下さいね」


 微笑みかけると、魔鳥がギュゥと喉を鳴らした。

 了承か拒否かは分からないが、撫でている手は甘受してくれている。ならば期待をしておこう、と胸元を撫でる手を分厚い嘴に移して数度擽った。

 ぶわり、と空気を揺らしながら顔を持ち上げる魔鳥に笑い、身を屈め車内へと入る。


「良し、全員忘れ物は無いな」

「はい」

「んー」


 リゼルはぼすぼすと隣に座るよう椅子を叩くイレヴンの誘いに乗り、そこへと腰掛けた。ジルも落ち着く様に腕を組み、クッションの挟まれた背もたれへともたれ掛かる。

 扉の上に手をつき、問題が無いかとナハスが最終確認をするように覗き込んできた。その後ろで、ざくざくと爪が土を抉る音をたてながら魔鳥がうろついているのが見える。


「ちゃんと王都の知人に土産も買ったか?」

「はい、人数分」

「そういうのは多めに買っておけ。誰に必要になるか分からんからな」


 ナハスはそう言って、仕方なさそうに懐を漁った。

 そして取り出した手に握られたのは、鮮やかな糸が編み込まれた美しい紐。そして輪になったそれを下に辿っていくと、ぶら下がっているのは十センチほどの木彫りの人形。

 その造形は、まさに“貰って誰が喜ぶのだろう置物”そのままだった。それが三セット。


「ほら、厄除けだ。土産に良いだろう」

「やくよけ」

「こういう事もあろうかと買っておいて良かった」


 満足げに笑うナハスに差し出され、リゼルはやはりしげしげとそれを眺めながら受け取った。

 余程良い木で彫られたのだろう、微妙に重いし微妙に大きい。ジルとイレヴンが真顔でそれらを覗き込んでいる。


「何でコレ」

「しぃ」


 思わず零しかけたイレヴンを制し、リゼルは礼を言いながら受け取った厄除けをポーチへしまった。

 そういえば以前の魔鳥の空中散歩の際に、ヒスイにカジキを渡そうとして拒否されたとか言っていた気がする。せっかく気が利くのに贈り物のセンスが無いとか何とも勿体ない。


「後は……ギルドでの手続きは終わってるな? 俺じゃ代わりにやってやれんぞ」

「手続き、いらないので大丈夫です」

「ん、そうなのか」

「拠点移動する場合は、移動先のギルドで手続きが」


 色々と心配してくれるナハスに、有難いことだとリゼルが答えていた時だった。

 ギュァッという魔鳥の声にふとナハスが顔を上げ、どうしたのだろうと言葉を切る。すると、外が騒めいているのに気付いた。

 ジルがあまり興味なさそうに扉を一瞥し、イレヴンは扉とは反対側にある窓に肘をつき覗き込む。リゼルもナハスの体で塞がれている入口の隙間から、首を傾げるように外を覗いてみた。


「うお、書庫から出てるところ初めてみた……」

「いや、でも最近ときっどき廊下歩いてるって噂が」

「でも外でまさか」


 近くにいただろう騎兵団からひそひそと小声で聞こえて来た内容を理解するのと、スッとナハスが扉の前からどいたのは同時だった。

 扉から差し込んでいた朝日がスッと消え去り影に覆われる。長身を折り曲げ覗き込んできた布の塊は若干ホラーだったと、後にイレヴンは語った。


「先生」

「おはようございます、殿下」

「う、ふふ。おはよう」


 布からゆっくりと差し出された褐色の手が、立ち上がり外へ出ようとしたリゼルを制する。その手首を飾る金の装飾がシャラリと涼しげな音を立てた。


「見送りに来た、よ」

「光栄です」


 嬉しい、と隠さず伝えるよう目元を緩めて微笑むリゼルに、アリムも布の下で柔らかく笑みを零す。

 彼にしてみれば大切な本好き仲間で、対等に知識を分け合える相手で、そして古代言語を授けてくれた尊敬すべき師でもあるリゼルだ。見送りなど考えるまでもなく当然の事だった。


「殿下の弟さんと一緒なんて、少し緊張しますね」

「放って置いてくれれば良い、よ。関わると煩いだろうし、あいつにも馴れ馴れしい真似をしないよう伝えてある、から」


 アリムが彼の弟に伝えるのは、一番分かりやすいだろう一刀の名前だった。

 王宮の書庫に出入りする冒険者の噂をアリムの弟達も聞いた事があるだろう。そして今回のサルス行きの理由である魔鳥騎兵団襲撃で、表向きはアリムに一刀がついて事態の収拾にあたった事も。

 それならば懇意にしているアリムが心を砕き、王都行きを都合したのだと誰もが納得するだろう。


「孤高のBランク相手なら、あんまり突っ込むことも無いと、思うし」


 ね、と首を傾けたのだろう。布の塊がさらりさらりと音を立てて滑る。

 ジルはそれを一瞥し、面倒そうに視線を何処ともなく投げた。つまり関わりたいならリゼルの判断で大丈夫だからという事、そして面倒事はジルが引き受けろと言う事なのだろう。

 流石は王族というべきか。他者を犠牲に守るべきを守る手腕はお見事、とジルは内心で呟き微かに唇を笑みに歪める。


「殿下、そろそろです」

「そう」


 ナハスが近付いて来る声に気付き、アリムへと声をかけた。

 アリムは慣れたように答え、そして覗き込んでいた体をゆっくりと起こす。真っすぐに姿勢を正した長身は、ごそりと布の塊を一瞬だけ揺らして再びその背を折った。


「先生」

「はい」


 布からスルリと姿を現した腕が、リゼルへと伸ばされる。

 その手の指先に、淡く光を反射する金の装飾が揺れていた。アリムが手首に巻いているものの一つだろう。

 滑らかに輪を形作るそれは、一部分だけ幅が広くなっている。そこにはアスタルニア王族の紋章と、その片隅に“Ⅱ”という数字が刻まれていた。


「あげる、ね」

「これ、俺が持ってちゃ駄目だと思うんですけど」

「良い、よ。役に立つこともあるだろう、し」


 苦笑を零したリゼルに、低く艶のある声が機嫌良さそうに告げる。

 それはつまり、何かがあれば使っても良いということ。自分の名を掲げることを許し、その恩恵を甘受させることを望み、その責任を負う事を認めるという事だった。


「殿下……ッ」

「うふ、ふ」


 流石にそれは、と焦ったように声をかけたナハスを笑うだけで一蹴する。

 アリムは確信しているからだ。リゼルがそれを悪用することなく有効に活用し、そして使う時は此方に不利益を齎さず、齎すならばいっそ利益であると期待すらしていた。


「ご期待に沿えるかは分かりませんが」

「気にせず、使って、ね」


 そんなアリムの意図も気付いているのだろう。掌を差し出したリゼルにアリムは腕輪を乗せてやること無く、それを指先で固定するように持ち直した。

 元々利益など二の次で、役に立てば良いとしか考えていない。好きに使ってくれれば良いと、そう告げながら自然な仕草でリゼルの手首へと腕輪を通してやる。


「――・・―――・(私は再会を待ち望みます)」


 布の隙間から微かに覗いた唇は弧を描き、そして短い音色を零した。

 リゼルは微笑み、何も言うことは無い。しかしそれで充分だったのだろう、アリムは腕を布の中に引き入れながら背筋を伸ばした。


「有難うございます、殿下。色々とお世話になりました」

「こちらこそ。気を付けて、ね」


 アリムは一歩下がり、そして一つ頷いてそのまま去って行く。

 その時、丁度向かい側から今回同行する王子が姿を現したのだろう。驚きながらアリムを呼び止める声が聞こえて来た。


「アリム兄上!? 何故外に、ハッ、まさか俺の見送りを」

「違う、けど」

「何だ、残念至極だ」


 何だか聞き覚えのある声な気がする、とリゼルが内心で首を傾げているとナハスによって扉が閉められた。王族が到着次第すぐに出発と言っていたので、言葉通りもう出発するのだろう。

 どうやら本当に擦れ違うだけでのそのそと歩き去って行ったアリムに不平を零す声がしたが、直ぐに聞こえなくなる。どうやら魔鳥車に乗り込んだようだ。


「さっきの何つってたんスか」

「ん?」

「古代言語」


 リゼルは手首から腕輪を外し、丁寧にポーチへとしまう。

 少し大きいので、外れてしまいそうで怖い。余り見せて回って良いものでも無いだろうし、アリムも普段から付けさせるつもりで渡した訳では無い筈だ。


「そうですね」


 ふとリゼルが可笑しそうに笑う。

 周囲からは次々と魔鳥が飛び立つ音が聞こえた。コトコトと、リゼル達が乗る魔鳥車も揺れている。


「“また会えるのを、悲しみにしています”」


 ぐらり、と一度揺れた車体にリゼル達は各々窓やら壁やらに手をついた。

 飛び立つときに時々揺れるのだ。上手く行くと滑らかに飛び立つのだが、行きにも何回か揺れた事があったので驚きはしない。


「あ?」

「リーダー何て?」

「楽しみに、と間違えたんでしょうね」


 感じる浮遊感に、高度が徐々に上がっているのが分かる。

 リゼル達は外を眺め、アスタルニアの街並みを見下ろした。大きく弧を描く様に国の上空を回るのは、国民に向けて出発を告げているのだろうか。

 アスタルニアの強い日差しを遮る魔鳥の影に、いつだって彼らは誰しも手を止め上を見る。小さくなった人影はもはや顔も見えないが、何人も此方に向かい手を振っているのが分かった。


「締まんねぇー」

「殿下も文章だと完璧なんですけどね」


 窓からは直ぐ隣を飛ぶ魔鳥騎兵団の姿が良く見える。

 羽が風を切る音を鋭く響かせながら、彼らは眼下の守るべき国民に向けて嬉しそうに手を振っていた。それを見てリゼルも窓から顔を出し、誰とも無しに手を振ってみる。


「お前そうしてるとガチの貴族だぞ」

「え?」

「あー、こう、視察に来ましたって感じ」


 ただ手を振っただけなのに解せない、とリゼルは少し拗ねてみせながら窓から頭を引いた。

 此方に手を振り、そして振り返した中に見知った顔はいたのだろうか。そう思いながら。


「あ、父さん」

「え?」

「何処だよ」

「あれ、でっかいイノシシ引き摺ってんの」


 その後イレヴンの発言により窓からその姿を探していた三人は、すぐさま飛んできたナハスによって片側に寄り過ぎるなと怒られた。






「あ」


 それは、何日か後の事となる。

 書庫で古代言語について調べていたアリムは、見送りの言葉を盛大に間違えたことに気が付いた。発音となると、やはり難しい。


「まぁ、良いか」


 うふふ、と抑揚のない蠱惑的な笑い声が静かな書庫にポツリと落ちた。

 王族としては許されないほど、惜しみない好意を示していたつもりだ。言葉通りに受け取られることは無いだろう。

 そう結論づけて、アリムは手に持った本を捲る。彼にとって最も安寧に満たされた書庫の真ん中で、動かぬ布の塊はいつもと変わらぬ読書の海へと沈んでいった。




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― 新着の感想 ―
アスタルニアは明るくて陽気で、大好きな国! 布の塊殿下も、宿主さんも、ナハスさんたちも、冒険者やギルド職員も。 いずれ、少し涼しい時期に再訪できると良いなぁ。
[良い点] リゼルは権力者の身分証どんどん収集していくね笑
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