123:貴方色に染まります
アスタルニアの冒険者ギルドの中は今、異様な雰囲気に包まれていた。
冒険者たちが依頼を受けに来るような、まだまだ早朝というに十分な時間に訪れた一人の客人の所為だ。その男は恰幅の良い体をギルドの椅子に乗せ、指という指につけた大ぶりの宝石が光る指輪をカチカチと鳴らしながら厭味ったらしく手を組み、ギルド内を行き来する冒険者を見下すようにねめつけている。
その正面に座るのは、スキンヘッドがトレードマークのギルド職員だった。苛立ちを抑えるように腕を組み、自らを落ち着けるように低くゆっくりとした声で話す。
「だから、出来ねぇって何度言や分かる」
「出来ないはずがない」
男は明らかに馬鹿にするように鼻で笑った。
彼はギルドの常連で、商人だ。商売柄で国と国とを行き来する事が多い為、その度に護衛の依頼をギルドへと出している。性格に難はあるが金払いの良い客の為、ギルド側も上乗せされた料金分で当たり障りのない冒険者を選び指名依頼扱いをしていた。
「いつもと同じ普通の交易ルートを使うんなら、サバぁ読んでもBランクにしかならねぇ」
「金なら積むと言っている。私に相応しい冒険者を優先的に回すくらい、簡単な事だろう?」
「依頼の難易度でランクは分けてる。金を積んだから高ランクって訳にゃ行かねぇ」
しかしギルドからの最大限の考慮も、男には伝わらなかった。
あろうことか金を出すから自分の依頼を高ランクにしろと、つまり自分の護衛には上位ランクの冒険者を宛がえと言ってきたのだ。ギルド側は到底受け入れられない。
「全く不可能とは言わねぇ、高ランクの冒険者が低ランクの依頼受けんのは自由だからな」
最近まで正直言うと忘れていた事実を口にしながら、職員は変に歪みそうになる口元を引き締めた。
「なら、そう働きかければ良いだろう」
「依頼を選ぶのはあくまで冒険者だ。正直言や、護衛依頼自体人気がある依頼じゃねぇんだからメリットも無ぇ。断られんのがオチだよ」
「私の依頼を断る? ……流石、価値など分からん野蛮な冒険者共だな」
ざわり、とギルドにいた冒険者達から不穏な空気が上がるのを感じて、職員は痛んだ気がする眉間を揉む。
だから個室で対応しようと提案したのにと後悔するがもう遅い。最初に狭苦しい小部屋など息苦しくて敵わないと扱き下ろしたのは目の前の嫌な男だ。
どうせ自分がこの場で依頼の話を持ち出せば、周りの冒険者が尻尾を振って媚びへつらうとでも勘違いしたのだろう。確かに見栄からか報酬は高額だが、これだから彼の依頼は人気が無いのだ。
「(優越感に浸りてぇならまともな人間になってから来い豚野郎……)」
これで性格が良ければ狙った展開にもなっただろうに、と思いながらも内心毒を吐く。
依頼が入る度に受けてくれる冒険者を探すのは職員なのだ。毎回毎回苦労しているのだからそれぐらいは許してほしい。
「ッだコラオイ!! 黙って聞いてりゃフザけた事ぬかしてんじゃねぇぞ豚野郎!!」
必死に内心で留めた努力も今まさに無に帰したが。
「ひっ……だ、誰に向かってそんな口を利いている! 冒険者は躾もされてないのか!」
「豚に聞いてんだよァア!?」
「躾が必要なのはテメェだろうが! きったねぇ声で鳴きやがってよォ!!」
耐え切れなかった冒険者から向けられたドスの利いた怒声に、商人の男は思わず小さく悲鳴を上げた。それもそうだろう、命の危険さえある戦闘を日々乗り越える彼らの殺気はそこらの粋がった不良とは格が違う。
「止めねぇかガキ共ォ!」
巻き舌もフル活用で悪態をつく冒険者達を黙らせようと、職員もダンッと机を叩きながら吠える。
一応は常連だし金払いの良い顧客なのだ。繋がりを持っておくに越したことは無いし、怒らせて面倒な事になったら後始末に膨大な時間がかかる。
「クソ親父こそ喧嘩売られて黙ってんじゃねぇよ情けねぇ! この豪華な豚が下手に出る相手だっつうのかコラ!!」
「この金撒くしか能が無ぇ豪華な豚転がして金ばら撒かせりゃ依頼もちったぁマシになんだろうがァ! 誰の為に我慢して豚の相手してっと思ってんだクソガキ!!」
詰んだ。比較的冷静なギルド職員や冒険者達の心の中が一致する。
向けられた暴言についていけてないのだろう、商人の男は唖然としていた。それを見て両手でサムズアップする冷静な面々も、決して苛立っていない訳ではなかったようだ。
「っいい加減にしろ!」
飛び交う怒号を遮る様に、怒りに顔を赤くした男が叫んだ。
「冒険者が冒険者なら上も上だな! こんな野蛮な奴らに囲まれてると思うと吐き気がする!」
「……言っとくが、先に喧嘩売ったのはあんたじゃ」
「黙れ!! 貴様らの頭の悪い理論など知ったこっちゃぁない!」
男はガチガチと指輪を鳴らしながら拳を握り、その両手を机へと叩きつけた。
何度も叩きつけられる拳に、職員はつきそうになるため息を呑み込む。完全に失言をしてしまった。責任とってどうにかしろという同僚からの視線が痛い。
なにせ相手はただの常連というだけでなく、ギルドの物品購入に関わって来る商人だ。
「だから私は上位を寄越せと言ってるんだ! こんな下賤な奴らが護衛なんて耐えられるか!」
「なぁ、おい、ちょっと落ち着け」
「とはいえ、例え上位だろうと似たようなものだがな! 職員でさえこれだ、大したものじゃ無いだろう!」
「……だから、あんま周りを煽るような事すんじゃねぇ。上位に憧れ持ってる奴らも少なくねぇんだ」
「ハッ、憧れだと? 私の依頼を蹴るような恥知らずが、栄誉など知らぬ物知らずがか!」
ブチリと、ギルド中で何かが千切れるような音がした気がした。
上位ランクの冒険者は、まさに多くの冒険者が目指す目標だ。職員の言う憧れなどという綺麗な感情は持たずとも、無礼な商人に貶されれば怒りを覚える何かが確実にある。
恥を知るからこそ彼の依頼を受けず、栄誉を知るからこそ上位に立っているというのに。的外れな意見に、職員の額には憤怒を示すように青筋が浮かんだ。
「どうした、頭を下げて謝るなら許してやらん事はないぞ! 所詮冒険者なぞ力に物を言わせる低俗な生き物だ、寛大な私は暴言を吐いた者全員の謝罪で許してやろう!」
自身を落ち着かせようとする職員の態度を、男は己の優位だととったのだろう。
恰幅の良い体を無理に仰け反らせ見下すように宣言をする姿は、勝利を確信しての事だった。
「ッざ、けやがってこの豚ァ!!」
「てめぇが地面転がれクソが!!」
「マジで? 俺グッジョブしただけで何も言ってねぇわ。ラッキー」
「事態をややこしくしてんじゃねぇテメェら!」
上がる非難を一喝し、職員は男を睨み付けるように見た。
元々強面なだけあって迫力ある顔に、しかし男は厭味ったらしく笑ってみせる。もうギルドの利益など度外視してその顔をぶん殴ってやろうかと思う程度には、職員もまたアスタルニアの男だった。
そして目の前の厭らしい笑みが、嘲るように深くなる。
「ほら、早く誠意をもって私に謝らないと、今後必要な品を提供出来ない事になるかもなぁ? ああ、そうだ。冒険者の中に私に匹敵するような品を感じさせる人間がいるなら、これからも付き合う価値ありと見て許してやっても良いが」
不可能と知りながら告げる何処までも馬鹿にし尽くした態度に、ギルドの空気が一気に殺気を孕んで重く膨れ上がる。
そして誰かが、誰が行動に移してもおかしくないのだがその中でも最初に動くだろう誰かが商人の男のニヤケ面を潰そうとする、その数瞬前。
「―――……って言っても、そんなの前にジルが丸焼きで」
全く以って場違いな穏やかな声と奇妙な話題を伴い、扉が開かれた。空気読めと言われても仕方が無いタイミングだ。
もはや先程までのいつ破裂しても可笑しくない緊迫した空気はない。その名残で微妙な空気が漂う空間では、全員の視線が扉から見えた一人の冒険者を向いた。
「?」
視線を受けたのはリゼルだ。彼は開きかけた扉をピタリと止め、さりげなくギルド内を見渡し、そして何かを納得したように一つ頷く。
「……」
パタン、と何事も無かったかのように閉められた扉に、ギルドが静寂に包まれたのは一瞬の事だった。
「逃げたぞ!」
「追え!!」
そんな声が上がったのは、その場のノリとしか言いようが無い。
誰しも直前まで抱いていた不快感や憤りを忘れ、一斉に扉へと殺到していく。次々と駆け出していく冒険者に再び商人の男は茫然とし、職員は仕方が無さそうにスキンヘッドを撫でた。
「穏やかさんどっち行った!!」
「あ、居た! 捕まえ……ぎゃぁぁぁぁ一刀も居た!」
「違う違う違う、危害を加えようとかじゃ全然ッすんませんすんません!」
外から聞こえる賑やかな声に、どうしようも無い奴らだと緩んだ口元は直ぐに隠された。
取り敢えずギルドにいる豚とちょっとだけ話してほしい。何も特別なことはしなくて良い。ちょっとだけで良い。いつも通りで良い。だからお願いします。
何かの騒動が起きていて依頼が受けられないなら、また後で来ようかとギルドを去ろうとしたリゼルを何故か追いかけて来た冒険者らは口々にそう言った。正直状況は掴めないが、普段はこうも積極的に接触して来ない冒険者達なので少しだけ興味が出たのも確かだ。
まぁ話すだけならと頷いて、リゼルは改めてギルドの扉を潜る。
「(豚?)」
すっとギルド内を見渡し、目的の姿が無いことに内心首を傾げた。他人への罵詈雑言に基本的には縁のないリゼルなので、直ぐに理解できずとも仕方が無い。
しかし話せと言ったのなら人なのだろうしと思っていると、視線の先で馴染みのギルド職員が一つの席を空ける。コンコンとその椅子の背を叩くのを見る限り、そこに座れと言う事か。
「(今まで職員が対応してたなら、相手は依頼人とかなのかなぁ)」
何かを問う様に片眉を上げた職員は、どちらでも良いぞと告げているのだろう。
恐らく案件としてはギルドが責任持って対応すべき事なのだろうが、別に話すだけならば何てことない。少しばかり、状況を楽しんでいるというのもある。
「俺らいる?」
「いえ、二人で依頼でも選んでて下さい」
耳元でこそりと問いかけて来るイレヴンに、微笑んでそう返す。
そう長い話にもならないだろう。ジルとイレヴンは了解とごく自然に頷いて依頼ボードの前へと歩いて行った。
二人の事だから病み上がりの身に多少は配慮した依頼を選んでくれるだろうと思いながら、示された椅子へと歩を進める。ギルドに戻ってきている冒険者らから野次馬のような視線を感じるがリゼルは気にしない。
「何か、俺に話があるって聞いたんですけど」
「まぁ、目の前の客人が少しな」
職員が座っていた席の正面を見ると、いかにも金持ちらしい恰幅の良い男がいた。
その体型から豚と称されたのだろうかと、極々純粋に考察しながら見ると怪訝そうに視線を返される。それにゆるりと微笑んで、リゼルはちらりと職員を窺った。
男から見えない角度で、すっと親指を立てられる。何かしらの報酬はあるようだと可笑しそうに笑いながら、さてと椅子に手をかけた。
「お待たせ致しました。お話、伺いましょうか」
音も無く引かれる椅子に、腰掛ける動作に、向けられる微笑みに男は唖然とするしか無かった。
背もたれを利用しない姿勢は美しく、しかしどこまでも自然だった。紡がれる声やその唇の動きさえ浮世離れした清廉とした空気を醸し、机の上で静かに絡んだ指先の些細な仕草さえ品がある。
反応を返さない男に促すように微かに首が傾けられた事で、するりと数本頬へと滑った髪さえ視線を奪った。相手の名も地位も知らぬまま、その存在を高貴だと感じたのは男にとって初めての事だ。
「何故、ここに」
絞りだした言葉は、自然と湧き上がる疑問だった。
直前まで交わしていた会話と全く結びつかず、目の前の人間が何故ギルドにいるのか理解ができない。
「何故って」
何故そんな事を聞くのかと、当然そうにゆるりと微笑んだ顔から眼が離せない。
「依頼を受けに、ですけど」
それはつまりと男が言葉を失うのと、ギルド中の冒険者が無言で全力のガッツポーズを決めるのは同時の事だった。何事も無いように依頼を選んでいるジル達は突然の力強いリアクションにちょっと引いた。
「うちの穏やかさん舐めんなコラァ!」
「豚が調子こきやがって思い知ったかァア?!」
「そういやさっき自分に匹敵するとか言ってた気ィするけど? ん?」
「え? 何、匹敵? 匹敵? 今すぐその意味調べてひれ伏せば良いのに」
外野が煩い。男が茫然としているのが幸いか。
噛みついたり露骨にヒソヒソしたりする周囲に苦笑し、リゼルはこれで良いのだろうかと男を見る。恐らく男が何かしら冒険者に喧嘩を売り、自分が担ぎ上げられたのだろう。
その内容も、想像が付かなくはない。目の前の男のような人間が冒険者にどういう評価を下すのかなど、想像するに難くないからだ。
「今回は依頼の申し込みを?」
「は、はぁ……いや、そうだ」
リゼルはまだ依頼を選んでいるジル達を確認しながら問いかけた。
気の抜けたような回答を、しかし男は咳払いで誤魔化して鷹揚にみせながら頷く。その姿勢は無意識の内に取り繕われ、深く偉そうに座っていた姿から微かに正されていた。
「商業国に帰るのに護衛を雇おうと思ってな」
「ん、やっぱり商人の方なんですね」
「ほう、分かるか」
「ええ」
微笑むリゼルに、男は満足げに頷く。
冒険者だと知ってなお、高貴な相手に知られているというのは彼の自尊心を大いに満たしたのだろう。無意識だからこそ、偽りようのない本心だ。
「その指輪、とても質の良い宝石ですし……リングの細工は、繊細だから魔鉱国でしょうか」
「おぉ、おぉ、そうだ。魔鉱国の職人の一点ものでな、特別に誂えさせた気に入りなんだ」
「質の高いものを取り扱えて広い人脈をお持ちなのが、何よりの証拠でしょう?」
男は機嫌が良さそうにフンッと鼻で笑い、指輪を光に反射させるようにカチカチと動かす。
意地が悪そうに笑みに歪んだ唇が、まるで相手を試すように開かれた。
「何だ、最初から私を知っていた訳では無かったか?」
それに対し一切の動揺もなく困ったように微笑んだリゼルが、するりと髪を耳にかける。
「申し訳ございません。俺もまだ上位に届くランクでは無いので」
それはつまり、男が上位の依頼を出しているだろうから接点が無かったのだと。
男が依頼を出したならば上位に位置づけられるような立場の人間だと。
そういう意味なのかと、男はつい先程まで抱いていた苛立ちを完全に忘れて気分を高揚させていた。こういうの上手いよな、とはジルの談。
「ははっ、分かる人間には分かるものだな! そこに突っ立っている見る目のない職員に聞かせてやりたいものだ」
馬鹿にするように視線を向けられても顰めっ面を動かさない職員をちらりと見て、リゼルは成程と内心零した。ようやく確執の原因が見えた気がする。
ようは高ランクの冒険者を寄越せというのだろう。まだまだベテラン冒険者とは言えないリゼルだって、それが無理な事ぐらいは知っている。
「護衛任務のランク付けは複雑ですし、俺にも詳しくは分かりかねますが」
「それにしても私程の商人の護衛なんだ、AランクやSランクが相応しいとは思わんか」
Sランクの護衛など、どこぞの王族が相当危険な地に向かう時ぐらいだとジルに聞いた事がある。
流石に盛り過ぎなんじゃないかとリゼルがほのほのしている視線の先では、男の後ろで身の程を知れとばかりに無言ながら思い切り煽っている冒険者達がいた。見てると面白い。
「貴方程の商人だから、かもしれませんね」
そう思っている事などおくびにも出さず、リゼルは穏やかに微笑んだ。
「ふむ、どういう事だ?」
「此処から商業国までの護衛依頼というと、BかCランクでしょうか。そのランクの冒険者達の中には、実は上位ランクに匹敵するような実力を持つ方も少なくないんです」
興味を示した男に、リゼルは心を落ち着かせるような声で続ける。
告げた事は真実だ。周囲と全く協調しようとしないジルやイレヴンとは違い、リゼルは周囲が遠慮する事はあれど自分から関わるのは一切遠慮しない。
知り合った冒険者の中には、彼らが明言した事は無いが上位の実力を持ちながらも様々な理由でランクアップ出来ない面々もいた。
「実力はあっても固定パーティを組む気が無い方は、安定した上位依頼の受諾が出来ないと判断されて上がれません。後は一つのジャンルが得意な冒険者も上がりにくいようです」
AランクやSランクの依頼を一人で受けて達成できるのならば話は別だろうが、そんな者はいない。一部例外が今まさに依頼ボードの前でアレじゃないコレじゃないと話し合っているが。
「ランクアップには総合力が必要なので、例えば討伐系の依頼ばかり受けていても上がりにくいみたいですね」
すっとリゼルが視線を移した先で、当然だと言わんばかりに職員は頷いた。
その瞳の動かし方さえ品が良く、男はご満悦だという態度を隠そうともしない。そんな相手に自分は接待を受けているのだと優越感に浸っているようだ。
「成程、成程。ならば護衛だけなら上位に引けをとらない奴らも居るという事だな?」
「ご慧眼に感服いたします」
ゆるりと微笑むリゼルに、男は声を上げて笑った。
「何、何。この程度の事で褒めて貰ってはなぁ!」
そう言いながらも満足げな姿を、リゼルは喜んで貰えて良かった良かったと微笑んだまま眺める。
褒め言葉にいちいち逆に馬鹿にされているようだと考えるような捻くれた人間は、良い言い方をすれば思慮深い考え方をする人間だ。ギルドに自分だけ特別扱いをしろなどとは言えないだろう。
「(商人として成功しているのも、多分この人の力じゃないのかな)」
代々続く商家なのかどうなのか、回り始めた思考を何でも良いかと打ち切った。どちらにせよ、やりやすいに越したことは無い。
「ん? つまりこういう事だな? 私ならば、その冒険者を見極めることが出来ると……上位に匹敵する人材を見つける事が出来ると、そういう事だろう?」
「匹敵、どころか下手な上位より護衛が上手な方達もいるかもしれないですよ。ほら、冒険者最強の呼び声高い一刀もBランクですし」
「ほう、そうなのか!」
呼んだかと視線を送って来たジルに、微かに首を傾けてみせる。それで伝わったのだろう、ならば良いと一枚の依頼用紙を手に取る姿にそろそろ依頼が決まりそうかと男へと向き直った。
ここで最初から上位ならば手間が無いだろう、と相手が食い下がる事は無い。それはつまり、目利きが出来ないと己の力不足を認めるようなものなのだから。
「それなら、どうだ?」
ふいに、商人の男が頤を上げ笑みを深める。
「上位では無いとはいえ、下位すぎる事も無いんだろう? なんだ、Cか? ならば私の護衛依頼を受ける栄誉を与えてやるぞ?」
直後ギルド職員は反射的に開きかけた口を無理やり噤み近くの机を殴りつける事で衝動を発散し、話を聞いていた直情型冒険者らは男めがけてドロップキックを仕掛けたが、比較的冷静型冒険者にその足を掴まれてジャイアントスイングで送り返された。
断られる筈がないと確信しきっている男は、幸か不幸か背後で行われた応酬に気付くことはない。上がった喧しい物音に不快そうにするだけだ。
「お誘いは嬉しいんですが……」
賑やかな光景をほのほのと眺めていたリゼルが、困ったように苦笑する。
「ほう、断るとでも言うのか」
「そうですね。護衛依頼に関しては、あまり自分の依頼以外は受けないでと悲しむ子がいるので」
実力者パーティに唾を付けておく依頼人は少なくない。ただ冒険者側が受ける依頼を制限されるのを嫌うので、独占される事もまずあり得ない。
よってリゼルがそれを受け入れているのも、それを理由に自身の誘いを断ろうとしているのも男には理解が出来なかった。自分より優先するような人間がいるのかと皮肉を吐き出そうとした口は、しかし居心地悪そうに閉じられる。
「その子も商人なので、もしかしたら貴方もご存じかもしれないですね」
「いや……そうだな」
清廉な微笑みが嬉しそうに緩む姿に他意など無い。有ったとしても、それを疑うことが罪なのだと思わせる空気に皮肉など口に出来ようも無い。
リゼルはゆるりと目を細めながら、ゆっくりとポーチから一枚のカードを取り出した。
「有名なのは、彼のお爺様なんでしょうが」
冒険者とは思えない整った指先が机の上に滑らせたのは、商人ならば誰もが持つ紹介カードだった。男は反射的にそれに視線を落とし、そして絶句する。
そこに書かれていたのは、とある貿易商を示す紋章だった。あらゆる商人の聖地である商業国でも一、二を争う勢力で、王都周辺の交易を支配する事すら可能な存在。
「こ、これを何処で」
「以前、商業国で宿を探す時に貰ったんです。これがあれば多少は顔が利くから、と」
その通りでした、と微笑むリゼルに男の顔には冷や汗が滲む。
そもそも紹介カードは、そう簡単に他人に渡して良いものではない。自身の所属や店名があしらわれたそれは基本的には身分証明なのだから。
よって、それを持つのは余程近しい者のみ。店のトップは勿論、信頼のおける部下ぐらい。商売に関わっていなければ家族に渡す事も無いのだから。
「お世話になってる子なのでお願いは叶えてあげたくて」
「いや、いや、良いとも。気にするな。縁が無かっただけの事だろう。気にしなくて良い」
「有難うございます。無作法な真似をした冒険者を許して下さるなんて、お優しいんですね」
にこりと笑い、さてとリゼルは立ち上がった。
半ば茫然自失としながらも見上げて来る相手に、髪を耳へとかけながらゆるりと首を傾けてみせる。
「依頼も決まったみたいですし、そろそろ失礼致します」
「あ、あぁ」
「依頼、受けられなくてとても残念です。貴方のおっしゃる通り縁があれば次の機会もあるでしょうし、是非お待ちしていますね」
机の上をなぞるように動くリゼルの指先が、紹介カードにかかりそれを引き寄せた。爪の先を潜らせるように掬い上げたそれを優しい顔で見下ろし、親指でそっとなぞる。
「彼の依頼を受けた時もCランクでしたし、きっとランク不足で受けられないなんて事は無いと思うので」
自らより遥か上位の商人の護衛依頼がCランクならば、男はもう二度と自分の依頼を上位にしろなどとは言えない。むしろ下手な事をすればリゼルからその商人へと自らの悪評が流れる可能性もあった。
そんな顔色を悪くする男をもはや気にする事も無く、リゼルは楽しみにしていますと一声かけてジル達の元へと歩き去って行く。
「穏やかさん強ぇ……」
その背に完全勝利の四文字を周囲は見た気がした。取り敢えず拝んだ。
「あの人って下手に出てるように見えて傍から見てると全然出てねぇよな」
「顔合わしてる奴は気持ちいいだろうけどな」
「つか穏やかさんがガチで下手に出る事態がありゃ俺ら引っ張って来てねぇし」
その後、冒険者らは自分たちの勝利だとばかりに歓声を上げ騒ぎまくり、職員に滅茶苦茶怒られる事となる。ちなみにリゼル達はその大歓声の中、普通に依頼を受けて久々の冒険者活動へと出かけて行った。
「森族も色んな方がいるんですね」
「俺も全部は知らねぇしなァ。規模でっけぇトコもあんじゃねッスか」
久々に受けた依頼をしっかりと熟したリゼル達は、しかし宿には戻らずアスタルニアの街並みを歩いている。
今日の依頼“樹の上暮らしの森族に届け物を”は、その名の通り一日のほとんどを樹の上で過ごす森族を探して荷物を届ける依頼だった。本来ならば郵便ギルドの管轄な気もするが、厳密に分けられている訳でも無ければ依頼人が当の郵便ギルドだったのだから気にしない。
「お前木登り凄ぇ下手だったな」
「やった事ないんだから仕方ないじゃないですか」
「見てらんなくて梯子おろして貰えたッスもんね」
森族の集落に到着し、樹の下から呼びかけたリゼル達は普通に歓迎された。しかし登って来いと垂らされたロープ一本ではリゼルはとてもじゃないが太刀打ち出来ない。
両手で握って足を樹に押し付けて。違う。こう。だから違う。足こっち。違う。力入れて無いからズリ落ちんだって。もっと強く……というやり取りを五分ほどしていたリゼル達に差し出されたのが蔓で作った梯子だったのだから、心優しい森族だったのだろう。
「手だけで登れる二人と一緒にしないで下さいよ」
「手だけで登れとは言ってねぇだろうが」
揶揄うように目を細めるジルに、意地が悪い事だとリゼルは微笑んだ。
「てかさァ」
その時、ふいにイレヴンが口を開く。
普段より少しだけ低い声は、良く良く意識して聞いていないと分からないだろう。しかし当然のように気付いたリゼルは、歩を緩めないまま其方を向いた。
「知らせが来た早々迎えに行かなくて良いんじゃねッスか」
「待ってるでしょうし、あえて何日も空ける必要も無いじゃないですか」
「そりゃそうだけどさァ」
リゼルの言葉に、イレヴンは露骨にふてくされている。
三人が依頼が終わっても宿に帰らず歩いているのは理由があった。最初は久々の依頼で歩き回って疲れたからと宿に帰ろうとしていたのだが、宿について早々宿主から知らせがあったのだ。
『なんかナハスが尋問終わったとかお客さん達に伝えとけって言ってたんですけど。つか尋問って何それ怖ッ』
どうやらクァトが釈放されるようだ。
迎えに行くからその時は知らせてね、と伝えておいたので律儀に伝えに来てくれたらしい。ナハスの事だから釈放が決まって然程間をおかず来てくれたのだろうと、リゼルは思い出し微笑みながらぽんっとイレヴンの背を叩いた。
「納得したんでしょう?」
「したけど」
拗ね切った声で空を仰ぐイレヴンに、以前のような絶対拒否の姿勢は無くなったようだとリゼルは笑う。
恐らくこれは本気で渋っている訳ではなく、機嫌をとれアピールだ。自分を優先させろと露骨に伝えて来る態度に、クァトは苦労するだろうなと他人事のように思う。
しかし、これも必要なことだろう。そう微笑んだリゼルは、見えて来た王宮へと視線を移した。
「外から見てみると、あまり警備は普段と代わり映えしないんですね」
門を固める兵士と、王宮の空を飛ぶ魔鳥を眺める。
無事風邪が治って王宮から出る際には、まだ兵達は緊張感を纏っていた。警備も普段より厳重だったように思えたが、恐らく国民を不安にさせないようにという配慮なのだろう。
「今回のこと広める気は無ぇんだろ」
「ま、実際広がってねぇッスよ」
「サルスに敵対心を持ってもらっちゃ困りますし、納得ですけど」
ほぼ未遂とはいえ国の誇りである魔鳥騎兵団を害そうとしたのだ。知った国民が何も思わない筈が無く、事態が急激に大事になってしまう可能性もある。
サルスの意図が分からない内は、隠しておくのが賢明だろう。これで完全に信者たちの独断ならば、いっそサルスも被害者だと言えなくもないのだから。
「きっとこのまま、内々で対処することになるでしょうね。平和なのが一番です」
何故分かるのかなどという言葉は今更だ。リゼルが言うのならそうなのだろうと、ジル達は余り興味が無さそうに頷いている。
「こんにちは。ナハスさんに呼ばれたんですけど」
「はい、このままどうぞ」
普段は挨拶だけして通り過ぎるが、今ぐらいは一声添えるべきだろうとリゼルは門番に声をかけた。思ったよりあっさりと頷かれたので、ナハスが話を通しておいてくれたのだろう。
相変わらず気が利く人だと王宮に足を踏み入れる。
「取り敢えず書庫で良いでしょうか」
「良いんじゃねぇの。他の場所なんざ知らねぇし」
クァトが何処に居るかも分からないので、リゼル達はいつも通り書庫へと足を進めた。取り敢えず行けばアリムが居るだろう、今までに一度も居なかった事など無い。
「そういえば殿下って俺がベッドを借りてる時、どこで寝てたんでしょう」
「書庫で寝てたっぽいけど」
「え? ああ、隅の方にひっそり有りましたね。ソファ」
「あの口煩ぇのが“またそんなトコでー”とか言ってたし、結構使ってんじゃねッスか」
本人が使えと言って使ったベッドなので特に罪悪感などは無いが、菓子折りの一つでも持ってくるべきだっただろうか。
そんな事を話していると、ふいに廊下に差し込む光に影が走った。次いで聞こえて来る羽音に魔鳥が上空を通り過ぎて行ったのだと悟る。
しかし通り過ぎた筈の影は、弧を描くように傍へと戻って来た。
「ナハスさんでしょうか」
「じゃねぇの」
どれどれとリゼル達が中庭に寄ってみると同時に、鮮やかな翼を大きく広げて目の前に降り立つ魔鳥があった。羽毛の具合を確かめるようにもぞもぞと畳まれた翼の向こうから、予想通りナハスが姿を現す。
「よーし、良い子だ」
幸せそうな笑みで首元をわしわしと撫で、ナハスは魔鳥の背から中庭へと軽い動作で降りる。そしてリゼル達を見て朗らかな笑みを湛え、二度自らの相棒の手綱を引いた。
「早かったな。今日は依頼を受けてたんだろう?」
「病み上がりなので、控えめにしたんです」
「それが良い」
ナハスが手綱を離すと同時に、バサリと魔鳥が飛び上がった。ナハスの髪が風で掻き回されているが、その体がふらつくことは無い。
頭上を一度・二度と旋回して去って行く魔鳥を見送り、その方向を確認して恐らく厩舎に戻っていくのだろうとリゼルは頷いた。確か王宮内ならば、幾つかの条件下に限り魔鳥一匹で飛ばせる事が出来ると聞いた覚えがある。
「伝言は聞いたか?」
「はい。それで来てみたんです」
「そうか。どうする、このまま奴の元まで案内しても良いぞ?」
「ん、そうですね」
リゼルがちらりとジル達を窺うと、各々“好きなように”と仕草で伝えて来た。ならばお言葉に甘えようと微笑み、ナハスの誘いに乗ることにする。
「お願いします」
「あぁ、じゃあこっちだ」
「何、戻んの?」
「少しな。全くの反対って訳じゃない、駄々をこねるな」
面倒くさそうなイレヴンに仕方なさそうに返しながら、ナハスは先導するように歩き出した。
中庭沿いの廊下をそれなりに戻り、立ち入ったことのない曲がり角を曲がる。地下牢の場所など教えて良いのかと思ったが、周囲に漏らすような馬鹿では無いと思って貰えているのだろう。
それか、隠しても意味は無いと思われているか。どちらにせよ少し前までのナハスだったら教えてくれなかっただろうと、リゼルは可笑しそうに目を細める。
「何」
「何でも」
隣を歩きながら見下ろしてくるジルと軽口を叩きながら、前を進む背中に口を開いた。
「あの子は良い子にしてましたか?」
「ん? いや、俺は余り顔を出してないからな……。ただ監視をしてた奴からは従順すぎると言われたし、暴れては無いだろう」
「なら良かった」
アスタルニア側からしてみれば、クァトも決して無罪とはいかない。良い印象を与えるに越したことは無いだろう。
「むしろ襲撃犯たちに対する愚痴の方が多いぞ」
「しつっけぇなァ」
咎めるように告げられた言葉に、イレヴンは嫌そうに吐き捨てた。
相変わらず壊れた信者たちの尋問は進まないようだ。クァトの尋問が終わったというならば聞き出せることは聞き出し終わったのだろうし、それなりに情報は引き出せているのだろうが。
「信者さん達、治らないんですか?」
「や、そろそろ治ってるんじゃねッスか」
「ここ二日ぐらいでようやく、拘束を外しても錯乱しなくなったと聞いたな。まともな会話は出来んらしいが」
ナハスが立場以上に情報を持っている気がするが、その理由は想像がつく。
今回の件では全ての真相を知る者は少ない。よって話せる相手も酷く限られてくる為、ナハスも必然的に愚痴と言う名の情報を共有しているのだろう。
「此処を降りるぞ」
先導されるままに歩いていると、地下へと伸びる階段があった。
然程長くない階段を降りて、少し歩くと両側を兵で固められた扉がある。酷く頑丈そうな扉の前に立ち、ナハスが兵と軽く言葉を交わすとスムーズに扉が開かれた。
リゼル達もあっさりと入って良いあたり、既にアリムの許可も通っているのかもしれない。もしくは、アリムが取り付けた国王の許可か。
「ここから階段が続くからな。暗いから気を付けろ」
言葉通り、地下へ地下へと何度も折り返すように階段が続いていた。
通路は松明で照らされ薄暗い。興味深そうなリゼルに、後ろからこそりとイレヴンが問いかける。前を歩くジルも、その声に視線だけを動かした。
「リーダーんトコはこんなんじゃねぇの?」
「そうですね……うちと比べると、ここは少し無骨です」
味があって良い、と堪能している姿に成程と二人は内心で呟いた。
以前から何度か元の世界での城の様子を聞いた事があるが、二人の中のイメージは洗練された城で徐々に固まってきている。豪華絢爛と言われると少し違う気もするが、ようは城らしい城のイメージだ。
恐らく間違っていないのだろうと、今の言葉を聞いて余計に思う。
「あ、そこの段は気を付けろよ。少しグラつくからな」
「はい。それにしても目が慣れないと本当に暗いですよね。松明を魔道具にしないのは、脱獄対策なんですか?」
「俺も詳しくは知らんが、まぁそうだろうな。ただの魔石でも何に使われるか分からん」
それを聞いて何となく身近な魔道具で脱獄する方法を考え始めたリゼルに、幸いにも気付かないままナハスが眉に皺を寄せながら言葉を続けた。
「それに、もし魔道具だったらもっと暗かっただろうな」
「え?」
「ほら、襲撃犯どもが魔法を発動させた時に物凄い魔力が放出されて……まぁリゼル殿なら気付いただろう。その所為で城の魔道具が幾つか使い物にならなくなったんだ」
地下から衝撃波のように広がった魔力なのだから、こんな地下にある魔道具など一溜りも無かっただろう。厄介な事だとブツブツ呟いているナハスを見下ろし、リゼルは力強く頷いた。
「全く、迷惑ですよね」
ジルとイレヴンが無言でリゼルを見る。堂々と信者たちの所為にした。
「王族の一人に魔力布の研究家がいるんだが、かなりご立腹のようでな。どうやら糸に通していた魔力が吹き飛んだとか何とか」
「そんな細いものなら仕方ないです。アリム殿下も学者だって聞きましたし、ここの王族の方はそういった方面に明るいんですね」
「いや、研究家って言っても周りが勝手に呼んでるだけなんだ。趣味を極めてる、なんて殿下は良く言ってるが」
確かにリゼルは嘘をついた訳ではない。タイミングが思い切り被った所為で自らの国王の魔力が信者の魔法によるものだと、当然だが勘違いしているナハス達をそのままにしただけだ。
こうして敬愛すべき国王を甘やかして来たのだろうなと、ジルは呆れたようにため息をつく。何というか、元の世界でもこうだったのだろうと容易に想像がついた。
「ん、着いたぞ」
話している内に階段の最深部へとたどり着いたのだろう。
リゼル達の目の前には再び頑丈そうな扉が姿を現した。ゴンゴンとナハスが扉を叩くと、微かに金属が軋む音をたてて分厚い扉が開かれる。
「おう、お前か」
「例の客人をつれて来たんだが、今良いか?」
「おっ、あいつらか」
開ききった扉の向こう側に居たのは、虎の獣人だった。毛に覆われた分厚い耳と、しなやかだが太さのある尾が真っ先にそれを教えて来る。
体格の良い体と、鋭い目。縦に開いた瞳孔が真っすぐに此方を見据えた。
「よう、御客人」
「お邪魔しています」
ゆるりと微笑んだリゼルに、獣人はにやりと鋭い牙を露わにしながら笑った。
「まさかあの本、読まずに来ちまうとはなぁ」
「……あぁ、あなたが“頑固な王宮の守備兵長”なんですね」
それはリゼルが王宮を訪れる事となった時、読めるならば来ても良いとギルドで一冊の本を差し出された際にナハスから聞いた言葉だった。
見た感じ分かりやすく頑固という印象は受けないが、確かに決めた事を曲げないようには見える。あの時の彼にとっての譲れない条件が本当に古代言語を解読できるのか証明してみせる事で、条件をクリアしたならばとこれ程に自由に王宮への出入りが許されたのだろう。
「なんっつぅ紹介してくれてんだ」
「間違っては無いだろ」
ガリガリと耳の付け根を掻きながら、獣人である守備兵長は扉の前から足を引く。入れ、という言葉にリゼル達も牢屋が並ぶ空間へと足を踏み入れた。
「あ」
クァトは直ぐに見つかった。
一番手前の牢屋、しかし牢屋と言うには小綺麗に整えられている空間に彼は胡坐をかいて座っている。リゼルの姿を見つけ、いそいそと檻に近付いてきた姿にリゼルは優しく微笑んだ。
「良い子にしてましたか?」
「した」
こくこくと頷く姿に、褒めるように目を細めてみせる。パッと表情を明るくしたクァトが、どうすれば良いのかと恐る恐る片手で檻を握った。
それを見て、待っていてと告げながらリゼルは守備兵長を向く。
「このまま出して貰えるんですか?」
「まぁ、アリム殿下からも許可が出てるしな」
しかし、彼はそう言いながらも動かない。
ナハスが訝し気に眉を寄せ、ジルは何も言わず微かに目を細め、イレヴンが不快を示すように頤を上げる。リゼルはただ微笑んだまま、自分を見据える鋭い瞳から視線を逸らす事は無い。
「こいつは思った以上に何も知らねぇなぁ。まぁ、上に誰がいるのか確証がとれただけ上出来だ」
ふいに零された声は、唸り声のように低く少しの圧力を伴う。
「見てりゃ、まぁ奴隷なんつぅとんでもねぇ言葉に納得もいく。意思なんて無ぇ、言われた事するだけだ。それも今回の件の中枢はほとんど知らねぇんだから、言い方は悪ぃが奴らの道具でしかなかったんだろう」
そこで一度途切れた言葉に、リゼルは先を促すようにゆるりと首を傾けてみせた。
守備兵長の笑みが獰猛なものへと変わる。それはまるで挑発するようだった。
「だが、間違いなく俺らの国に手ぇ出した襲撃犯の一人だ。なぁ、知らねぇ筈ねぇよなぁ」
彼の無骨な掌が檻を握るのを柔らかい視線で追いながら、リゼルは何処となく不安そうにしているクァトににこりと笑みを向ける。
「余所者の言い分でそいつを自由にするなんざ、知りゃあ受け入れられねぇ奴らもいんだろう。何せアスタルニアが誇る魔鳥騎兵団をコケにしやがったんだからなぁ」
「おい、そういう言い方は無いだろう」
「あんたが引き取るにも大したメリットは無ぇ筈だ。下手な疑いを買う可能性も気付いてねぇ訳じゃねぇんだろ?」
ナハスの制止も黙っていろと手を振って遮り、守備兵長はわずかな反応も見逃さないというように目を細めた。何処か獲物を狙う肉食獣に似た視線は、気の弱い者ならば決して視線を合わせる事が出来ないだろう。
しかしリゼルは、困ったように微笑んだだけだった。思ってもみない反応に、守備兵長の両耳がぐっと持ち上がる。
「期待に応えられず申し訳ございませんが、彼を迎えに来たのはそんな難しい話じゃなくて」
穏やかな筈の瞳が色を深め、真っすぐに見据える。見る者の視線を強く引き付け、惹きつけるそれは視線を逸らすことを許さない。
「俺のものを返せ、と言えば分かりやすいですか?」
そう、リゼルは貸しているだけだ。
やろうと思えばクァトの存在などどうとでも出来る。今回の件に関係が無いと、国に気付かせる事無く隠すことも出来るのだから。
それをあえて貸しているのだから、文句を言うなという事だろう。ちなみにクァトは物凄く嬉しそうに鈍色の瞳を輝かせている。
「リーダーのああいうトコ、だいっすき」
「だろうな」
耐え切れず唇を笑みに歪ませ呟いたイレヴンに、ジルも同意を返した。
朝から何故かとある商人と話をする事となった際には、当たり障りなく掌で転がしていたというのに今は違う。向けられた挑発を正面から返してみせるのだから、随分と器用な事だ。
しかし、だからこそ二人はリゼルと共にいる。正論ばかりではつまらないし、流してばかりでも芸が無い。
「フ、ハハッ! そう来なくっちゃなぁ!」
ふいに、機嫌の良い笑い声が上がった。同時に、ナハスからため息も零れる。
「悪ィ悪ィ。最近、あんたの印象が変わってなぁ。煽りゃ牙の一つでも剥いてくれんじゃねぇかと思ったんだが」
「そうなんですか? 良い方向に変わってると良いんですけど」
「それに関しちゃ安心しろ」
守備兵長は満足げに笑いながら腰に付けた鍵の束を外し、そしてその中の一つを檻へと差し込む。
力が籠められ回される鍵の向こう側で、クァトはじっと此方を見ていた。そして扉が開かれた後もそわそわと此方を窺い動かない様子に、リゼルは可笑しそうに笑いながら手を差し伸べる。
「おいで」
パッと顔を輝かせたクァトは、こうしてようやく長い“待て”から解放されたのだった。




