121:善処した
太陽の光がさんさんと降り注ぐ昼、宿主は機嫌が良さそうに台所に立っていた。その理由はと言うと、ここ数日忽然と姿を消していたリゼルらが宿へと帰って来るからだ。
冒険者が宿から宿へと移り住むのは珍しい事じゃない。この宿に飽きて別の宿にでも行ってしまったのだろうかと侘しさを感じていた時に、友人であるナハスがリゼル達の情報を持って来てくれたのだ。
曰く、風邪を引いたから王宮で預かっているということ。何故王宮でと疑問に思うものの、良い医者もいるだろうし良い看病もして貰えるだろうしで色々な意味で安心した。
そして今日あたり帰って来るらしいので、病み上がりのリゼルに栄養満点の食事を用意しておかなければと張り切って夕食の仕込みをしている。風邪は体力勝負と言われ育った宿主の手元では、大ぶりの肉が煮込まれていた。家庭内ルールというのは時に凄まじい。
「お、帰って来た来た」
話し声と扉が開く音に、宿主は自然と浮かぶ笑みをそのままに調理の火を消す。調理台の側面にかかっていたタオルで簡単に手を拭って、いそいそと台所から出た。
「無断外泊とか全く問題ないんですが流石に数日間いないと心配になった俺ですよ。おかえりなさい」
「心配をかけてすみません、宿主さん」
扉を開けると目の前にいる懐かしき三人組に、宿主はやはり何度見ても慣れないなとしみじみと思う。最初に覚えた印象がいつまで経っても薄まらないからこそ、彼らは人目を集めるのだろう。
向けられた微笑みは記憶と違わず、風邪は完全に治ったようで何よりだと頷く。リゼル達のいる玄関のすぐ隣にある、小さなカウンターの裏から三人の部屋の鍵を取り出した。
「ナハスから話は聞きましたけど大変でしたね本当に」
「あ、聞きました?」
三つの鍵をカウンターの上に並べながら言うと、リゼルは少し眉を下げて微笑む。やはり相当辛かったようだと、宿主は今晩のメニューを肉のフルコースに決定した。
「こっちに来ても誘拐されるなんて少しビックリです」
「俺の方がビックリなんですけどちょっと待ってそれ聞いてない!!」
「え?」
「え?!」
宿主がガバリと顔を上げると、聞いたって言ってたのにと不思議そうな顔をしたリゼルがいた。冗談ではないらしい。いや、こういう冗談を言うタイプには見えないのでそこは疑っていない。
しかも“こっちでも”とかいうとんでもない言葉が聞こえたので、もしや以前に拠点にしていたというパルテダールでも誘拐されたのだろうか。そんな事を考えている宿主の思考に、何故という単語が一度も出て来ない辺りに彼がリゼルをどう思っているのかが分かる。
「それどう、え、ど………え?」
「大丈夫ですよ、怪我とかしてませんし」
「いやでもそれ、え、風邪は」
「風邪も引いたんです。手厚い看病でしっかり治して来ました」
なら良いかと、茫然としながら無意識に手元の宿帳に記載をしていく。
思えば、良く目の前の穏やかで品の良い人を誘拐できたものだと思う。何せそれは、今まさにリゼルの後ろに立つ二人から奪い取ったということだ。
勿論一人行動も多い三人なので不可能では無いのかもしれないが、そういう事ではなく奪おうと思える事そのものが凄い。犯人たちがどうなったのかは知らないが、聞く勇気は無い。怖い。
「ご無事なら何よりなんですけども……ん? あぁそっか。お疲れなら後で良いですが前払い分の宿泊期日が今日までっぽいので更新しておきますか」
「あ、お願いします」
「はいはいー」
衝撃が強すぎて現実味が無いので、宿主は割とすぐに平常心を取り戻せた。リゼル達があまりにもいつも通りな所為かもしれない。
宿帳を見下ろしていて期日に気づき、告げる。当たり前のように頷いてくれたリゼルに、実は更新を確認する度に内心ドキドキな宿主は思い切り安堵の息を漏らした。
何せ忘れがちだがリゼルは冒険者。冒険者が宿をコロコロ変えるのは珍しくない。
「じゃあこれに署名と、今回も前払い一括で良いですかね」
「はい」
カウンターの上に出した宿泊更新用の用紙に、綺麗な姿勢を微かに折って目を通していくリゼルを見た。髪を耳へとかける仕草も相変わらず整っていて、その時のぞいた手首に少し痩せたかもしれないなんて思う。
誘拐なんて縁が無いが、イメージとしては食事も大して出されないんじゃないだろうか。それにプラスしてごっつい風邪なんて引いてしまえば満足に物も食べられないだろう。宿主も引いた事がある。
やはり肉だ。肉にするしかない。宿主の決意は固い。
「お前そういうの絶対一字一句漏らさず読むよな」
「どうせ前と一緒じゃん。俺読まねー」
「読んで損はないじゃないですか」
軽口を叩きあう三人が、それぞれ代金を出している。
ちなみに宿主は普通に三分の一ずつ宿代を支払う冒険者を初めて見た。しかも特に話し合う訳でも無い、初回から当たり前のようにこうだ。
一人部屋三つなのだから間違ってはいないのだろうが、いまだに納得しがたいものがある。そんな事を思いながら少し斜めだが綺麗な字でサインされた用紙を受け取り、何ともなしに口を開いた。
「それにしても、うちのお客さんに手ぇ出すなんてどんな奴らなんですかね全くけしからん」
冒険者なのに一切値切る事など無く、部屋も綺麗に使ってくれるし玄関先を泥で汚すこともない。夜中に騒ぐことも無ければ、酔っぱらって絡んでくる事も無い。
あまり気を使い過ぎなくて良いし、かといって嫌な感じに馴れ馴れしい訳でも無いという、超優良物件な客人は出来るだけ長く居てほしいものだ。変なちょっかいを出してアスタルニアが嫌になってしまったらどうしてくれるのかと、宿主は少しばかり憤慨する。
「そうですね……」
その時、ふいにリゼルが何かを考えるように首を傾けた。もしや好奇心による不謹慎な質問にとられてしまったかと、宿主が焦って口を開こうとした時だ。
「当たり障りのない所だけ言うなら、他人を奴隷扱いしてこき使ってる人達でした」
「ドン引きなんですけど!!」
ほのほのしながら言われた時の衝撃は半端ない。
「何それホント引く! 貴族なお客さん大丈夫なんですかそれ怪我とか本当に無いんですか奴隷扱いとかされて鞭とかで叩かれなかったんですか!?」
「イレヴンと一緒のこと言ってますよ」
「えー」
心配してくれるのは有難いことだと微笑みながら、リゼルは机の上に並べられた鍵を手に取った。鍵がぶら下がる木のタグに描かれた数字を見て、それぞれの部屋のものをジルとイレヴンに渡していく。
これと一緒にされたくはないと不服そうなイレヴンの掌に鍵を乗せ、そしてジルにも鍵を差し出す。その間にも宿主はどんどんヒートアップしていく。
「後ろ手に縛られて這いつくばって飯を食わされたり風邪引くほど水ぶっかけられたりしたんですか!!」
「引く」
「変態臭ぇー」
「ストレスでも溜まってるんですか?」
「あれっ!?」
何故だと落ち込む宿主を、そっとしておいてあげようとそのままにリゼル達はその場を後にした。
リゼルはお気に入りの喫茶店で一人、アイスコーヒーに舌鼓を打ちながら読書を楽しんでいた。
宿についたのは丁度昼食時だったし、軽食でも取ろうかと本を片手に訪れていた。部屋について直ぐ出て行こうとすると、復活していた宿主にやけに心配されてしまったのだが。
また誘拐されたらどうすると言われても、そんなことを言っていたら何時まで経っても出掛けられない。気遣いは嬉しいけれど、と苦笑を零してグラスに口を付ける。
強い日差しは伸びた屋根に柔らかく遮られ、風通りの良いテラス席はとても気持ちがよかった。
「(最近はずっとベッドの上だったからなぁ)」
静かに息を吐いて、肩の力を抜く。
別に部屋で黙々と読書をすることに何の不満も無い。光源を抑えた書庫で文字を追うのは何より心地よいし、ベッドの上で下肢を毛布に包まれページを捲るのも落ち着く。
でも外で、身近に少しのざわついた空気を感じながらの読書もリゼルは好んでいた。逆に集中出来たりもするし、流れる空気に思考が軽くなる時もある。
「食器、お下げして宜しいでしょうか」
「お願いします」
「ごゆっくり」
数種のサンドイッチと冷たいスープが乗っていた皿が下げられていく。
皺の刻まれた顔を笑みに染めた初老の男性は、此処のマスターだ。これから読書をするリゼルを知っているので、目尻の皺を深くしながら歓迎するように優しく声をかけていった。
居心地の良い店だと、そう思いながらリゼルは机に乗せていた本へと手を伸ばす。手に取りページの隙間から覗く栞に指をかけ、柔らかく光を反射させるそれを引き抜いた。
繊細な細工を施された栞の角を指でなぞりながら本を開き、それを机の上に優しく置いて読書を開始した。
「あ」
ゆっくりと楽しむような読書を始めて三十分と少し経った頃の事だった。
幼いながら聞き覚えのある声が聞こえた気がして、リゼルは文字をなぞっていた視線をふっと上げた。周囲の景色をなぞる様に視線を滑らせていくと、少しだけ高く作られているテラスの直ぐ横に一人の少女が立っていた。
声をかけるつもりは無かったのだろう。リゼルが気づかなければ歩みを再開しかけていた足を止め、バツが悪そうにこちらを見ている。
「こんにちは、小説家さん」
「えと、うん。ごめんね、邪魔したかなって」
「大丈夫ですよ」
リゼルが微笑むと、小説家はほっとしたように少しだけ大人びた仕草で前髪を整えていた。
どうやらこの店に入ろうとしていたらしく、折角だからと誘ってみると少しばかり気後れした様子で近付いてくる。迷惑だったかと思ったが、そういう訳でも無いのだろう。
せめて気にせず過ごせるようにと、リゼルは彼女の分もコーヒーを注文した。その代金すら払おうとするリゼルに小説家は必死で遠慮したが、その内綺麗に流される。
「ここ、来た事ありますか?」
「ううん。美味しいって聞いたことはあるけど、来た事は無いかな」
座ると地に付かない足を揺らすことなく、足先を重ねるようにきゅっと纏めながら小説家が言う。つまりその美味しいという噂の真相を確かめに来たという事か。
リゼルとしても行き付けな上、自信を持って勧められるので素直に嬉しい。期待を以って感想を待つことが出来る。
「それにしては大荷物ですけど」
「あ、これ?」
木の蔓を編み込んだようなバッグが、小説家の座る椅子には掛けられていた。
小さな彼女が持ち運ぶには大き目のバッグは、ちょっと其処までティータイムを楽しみにというには嵩張るだろう。慣れたように肩に下げている姿を見る限り、運び慣れてはいるようだ。
「実は今、新しい本のネタ出しに詰まっちゃって」
「小説家さんって今一冊書いてますよね。団長さんの脚本もって言ってましたし、もう一冊新しいのを出すんですか?」
「あの子の奴はノーギャラだし、どんどん書いて稼がなきゃダメかなって!」
気合を入れる小説家にリゼルは苦笑し、成程と頷いた。
作家は研究家らと同じく完全に趣味の職業だ。投資者がいれば話は別なのだろうが、例えそうであってもそれ一本で食べて行こうとする人間は少ないだろう。
大抵は本来の仕事の隙間を縫って執筆を、という者がほとんどだが彼女は違うらしい。そうだとは思っていたけれどと、運ばれてきたコーヒーに小説家の方を示す。
「だから息抜きに散歩がてらこういう店にネタ出しに来て、それを書き出せるように一式持ち運んでるかなって……あ、冷たくて美味しー」
「ですよね」
コーヒーを飲んで幸せそうな小説家にリゼルも微笑み、少し氷が解けてしまった自分のグラスを手に取った。団長もそうだが、目の前の彼女も非常に仕事熱心だ。
不可抗力とはいえ、仕事を放り出して休暇を満喫している身からすれば酷く感心してしまう。冒険者になったのだし、正式に休暇中と言えるかは分からないが。
「じゃあ、俺の方が邪魔してしまいましたね。すみません」
「え!? ううん、全然そんな事ないかなって! こう、身近に居ない人と話せるのって凄く貴重だし」
「そう言って貰えると嬉しいです」
えへへと笑う小説家に、リゼルもにこりと微笑んだ。
ちなみにリゼルは身近に居ないというのを冒険者の事だと思っているが、小説家は全く以ってそんなつもりじゃない。もっと王族的な意味だったり浮世離れした的な意味だったりで告げている。
すれ違いは解消されないまま放置されたが、特に問題も無いために二人の会話は至って平和的に続いていた。
「あ、そうだ。折角だから相談に乗って貰いたいんだけど」
「小説の、ですか?」
「そう。あ、い、依頼に出した方が良いかなって」
「いえ、良いですよ。ただ、お役に立てるのかと思っただけなんです」
焦ったように付け加えた小説家は、リゼルの言葉に安堵しながらゴソゴソとバッグを漁る。
取り出された紙の束は予想に反して白紙のものは少なく、殴り書きの文章だったりメモだったりが隙間を埋めていくように書かれていた。それをどさどさと机の上に乗せ、小さなインク壺やペンも用意される。
「君だから聞きたいって思ったんだし、気にせず普通に答えてくれたら嬉しいかな」
随分と手慣れているあたり、彼女のネタ出しという名の散歩は頻繁に行われているのだろう。リゼルは小説を執筆する方には全く縁が無いが、外では違う発想が浮かびやすいだろう点には心から同意できた。
「俺にって事は、ついに冒険者ものを書くんですか?」
「え?」
「あれ」
違ったかと不思議そうなリゼルへ、何故それほど不思議そうなのかと突っ込みかけて小説家は言葉を呑み込んだ。彼女は見た目は幼いが心は大人の女だ。空気は読める。
すれ違いは多少表面化したが、小説家は根性で流したしリゼルもまぁ良いかで流したので特に何事もなく過ぎ去った。
「え、ええっと、何だっけ。あ、そうだ。今度の小説のテーマなんだけど、学院とかどうかなって考えてるんだ」
「学院……魔法学院のことですか?」
「ううん、私も魔法学院のことは名前しか知らなかったから。オリジナルの学院になりそうかなって」
確かに既存の場所を舞台にすると問題が発生することもあるかとリゼルが納得していると、小説家が身を乗り出すように一枚の紙を差し出して来た。受け取った用紙には、彼女が考えただろう設定が縦横無尽に書かれている。
自分が見ても良いのだろうかと思うが、相談に必要なことなのだろう。他へ言い触らさないと信じてもらえているなら何よりだとリゼルは微笑み、用紙へと視線を落とす。
舞台は良家の子女子息たちが通う学院で、その舞台づくりに随分と苦心しているのが端っこに描かれた落書きで分かった。貝になりたい、と言っている貝がいる。
「小説家さんは絵も上手なんですね」
「え? ……ッあぁ!」
思い出したかのように叫んだ小説家は、しかし一瞬視線を集め頬を染めながら背を丸める。
まさに貝になりたいと言わんばかりだ。そっくり、なんてイラストを見ながら笑ったリゼルが慰めるように見なかった振りをする。
「馴染みのない場所が舞台だし、難しそうですよね」
「だよね! そう思うかなって!」
早く話題を進めたかったのだろう、小説家も凄い勢いで食いついてきた。
「でも現実味が要らない分、設定は好きに作れそうかなって。色んな人に話とか聞いたけど、イメージとしては魔法学院が近いかな」
「魔法学院は俺も余り知らないんですけど、あそこって地位の縛りは無かったですよね」
「そうみたい。でも授業とか建物とか、学び舎としての色んな形は凄く参考になるかなって」
大体の地域では通常、子供たちは学び舎に通い勉強の基礎を学ぶ。
読み書き算数程度だが、それで充分だ。学び舎といっても近所の子供が十数人集まって一人の教師に学ぶ場所がほとんどで、そこに通うことも義務ではない。
小説家も例に漏れずそんな学び舎に通っていて、学院の具体的な想像が出来なかったようだ。様々な学び舎の話を聞き、ぼんやりとあった小説の舞台イメージにがっつりと嵌ったのが魔法学院なのだろう。
「良家の子息が集まるって聞くと、俺としては騎士学校が出て来るんですけど」
「私もそう思って調べたけど、ちょっと軍の色が強すぎたかな。そんな厳格なイメージじゃないし」
カラカラとグラスの中の氷を回して音を立てながら、小説家は悩むように眉を寄せて視線を他所に向ける。そもそも騎士学校は国を担う騎士を育てる場所だけあって出回る情報も少なく、あまり参考にするには向いていない。
リゼルは指先でかすかな水滴を纏うグラスをなぞりながら、うんと一つ頷いた。
「確かにあそこの雰囲気は小説家さんの作風に合わないかもしれません」
ぱっと小説家がリゼルを見て、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「えっ、行った事あるのかなって!」
「はい」
「え、え、もしかして、通……!」
「まさか。依頼ですよ、騎士学校の」
可笑しそうに笑われ、そういう事かと小説家はぐったりと力を抜いた。真っ先に依頼という発想が出るのが普通なのだが、リゼルに関しては実際通っていたと聞いても不思議ではない。
勿論通うのは貴族の中でも爵位を継がない子供達、というのは横に置いておく。場所が場所だけに似合うとはとても思えないが、しかしどんな場所でも自らのペースを崩さず快適に過ごしていそうだ。
「じゃあ、ああいう大きな学院に通ったことって無かったりするの?」
「そうですね」
あまり良い相談相手にはなれなそうだと、リゼルは苦笑しながら頬をくすぐる髪を耳にかける。
確かに元の世界では学術都市と呼ばれるような教育機関を中心とした領地が存在したが、小さい頃から家庭教師がついていたリゼルには縁が無かった。周囲にいた将来の嫡子達も同じようなものだったので気にした事はない。
意外そうな様子を隠そうともせずポカンと口を開けている小説家に、ゆるりと小さく首を傾けてみせる。
「お役に立てそうにありませんね」
「えっ、あ、ううん! これは私が調べて作らなきゃいけないことだし、全然大丈夫かなって。私こそ、紛らわしいことばっかり話してごめんね!」
ハッとした小説家が、焦ったように少し早口で言う。
どうやら聞きたいことは学院のことについてではなかったようだ。ならば何だろうと、必死で取り出した用紙の束をバサバサと広げていく小説家を見た。
「今度の小説は、そんな学院に編入した平凡な女の子っていうのを書こうかなって」
「どうやって編入するんですか? パトロンを見つけたり……は、平凡が特徴の子なら難しいですね」
「実はかなり良いトコの家出身だけど、事情があって一般家庭で育ったとかかな。まだ考え中だから決定じゃないけど」
つまり何かの拍子にそれが判明して引き取られ、そして舞台の学院へと通うことになるという事なのだろう。
しかし良家において三男以降の男児ならいざ知らず、嫁がせることで他家との繋がりを得られる女児を手放すなど相当な事情があっただろうに。それを再び引き取るなど凄いことをすると、ナナメ上に感心しているリゼルに幸いにも小説家は気づかなかった。
そんなリゼルが、ふっと何かに気づいたように資料から顔を上げた。学院に入学するまでのヒロインの境遇が完全にジルと一致する。
「……ふっ」
「え!? 変!?」
「いえ、そうじゃないんです」
小さく噴き出したリゼルに、小説家は焦ったように手元の資料と此方を見比べていた。気にしないでと小さく首を傾けてみせ、机の上に広げられた資料へと視線を落とす。
数ある資料の中から選ばれ並べられた用紙には、ヒロインが体験するだろう試練や恋愛模様が思いつくままに書き連ねられていた。しっかり文章として作られたものや箇条書きでまとめられたものもあって、いかにも本が作られる過程を見ているようで興味深い。
「恋愛小説なんですね」
「うん、書きやすいかなって」
資料が濡れないようにと、さりげなくグラスを机の端へと寄せながらリゼルが納得したように頷いた。
目の前の幼い小説家が書いた本の中には推理物や風刺物もあったが、それ専門で活動する作家たちのそれに比べるとやはり劣る。本の評価に関してはシビアなリゼルに贔屓は無い。
それを小説家に伝えたことは無いが、彼女自身も力不足を感じてはいるのだろう。色々なジャンルに手を出し本に纏め上げる力量は確かなものだが、やはり書きやすいものを書くのが一番だ。
「ヒロインが入学して……あ、この凄そうな子が相手なんですね」
「そうそう。学園で一番地位が高い家の嫡子で、勉強も魔法も剣も一番で、顔も凄く良いっていう、そんな子供に育て上げた親が何より凄いに違いないって言いたくなる子かな!」
「ジルと戦わせてみたいです」
「止めてあげて!!」
想像は自由な物語の世界の最強を以ってしても、想像上ですら勝たせてあげる事の出来ない相手を挙げられた小説家は思わず叫んだ。
リゼルは可笑しそうに笑い、確かに魔法も剣も凄かろうと子供だから難しいかと一枚の用紙を手に取る。そこにはその相手役の事が詳しく纏められていた。
「年齢が……十六。騎士学校の最上級生ですね」
「あ、そうなんだ。ああいうトコの子ってどんな感じか聞いても良いかな?」
「期待して頂いたところ申し訳ないですけど別に普通でしたよ、あ、でも皆しっかりした子ばかりでした」
ちなみに小説家はリゼルの普通という言葉を微塵も信じていない。
まぁ想像できるぐらいには貴族然としてるか騎士全開な子供が揃っているんだろうなと一人で納得している。
「そういえば、あそこは士官候補生って制度があったんです。優秀な子たちから何人か選ばれて、有事や演習では生徒たちを指揮する立場になるそうですよ」
「へぇ! そういうのって、ちょっと楽しそうかなって。生徒たちを纏める役職とか作って、そこのてっぺんに置いても良いかな!」
楽しそうにメモを取る小説家の手元は止まる事無く、役に立てたなら何よりだと微笑んでリゼルは放っておかれている他の資料にも目を通していく。恋愛小説は恐らく読まないだろうというのもあるが、基本的にネタバレは平気なタイプなので躊躇は無い。
人物設定はある程度出来ているようで、ヒロインが関わっていく人物たちは誰もが癖が強そうだ。その代わり優秀でもあるようなので、上手く友好関係を築ければ卒業後の大きな糧になるだろう。
「(ヒロインの家も大きいんだし、繋がるのに手間取りはしないはず。後はどれだけ自分の価値を植え付けられるかかな)」
ジルに聞かれれば職業病だと突っ込まれそうなことをほのほのと考えながら、リゼルは用紙を捲る。
次にはヒロインが数人いる異性と起こす恋愛事情が書かれていた。この数あるシチュエーションに小説を読んだ乙女たちは心を揺り動かされるのだろう。
深夜に勢いで考えられることが多いのか、眠気で文字が徐々に崩れて行っているのがちょっと面白い。そんな事を思いながらまじまじと資料を見下ろした。
「(こういうのって男じゃ思い付けないのも多いし、凄く興味深い気がする)」
例えば馬車の中で揺れた際に腕を掴まれて引き寄せられたり。ちなみにリゼルはぎゅうぎゅうの馬車に乗り込もうとして失敗しそうになった時にジルにやられた事がある。足が一瞬浮いた気がした。
例えば勉強をしている時に覗き込まれて肩がぶつかったり。ちなみにリゼルはギルドで魔物図鑑を読んでる時にハシャいでいた他の冒険者に軽くぶつかられた事がある。普通に謝られた。
例えば階段から落ちそうになって誰かを下敷きにして至近距離で顔を突き合せたり。ちなみにリゼルは迷宮内でイレヴンと似たような状況になった事がある。完全に罠に嵌った時に三人揃って落下した。落下距離があまりにも些細過ぎて危険が低い代わりに受け身も取れなかった。
「……あっ、ごめんね、つい夢中になっちゃったかなって!」
「ジルだけじゃなくて、俺もヒロインの素質があるかもしれません」
「!?」
物凄い顔をして静止している小説家を尻目に、リゼルは時折何かが耐え切れなくなってペン先が暴走している用紙をゆっくりと捲っていく。
「あ、ヒロインの子は料理が上手なんですね。凄いです」
「えっ!? あ、そうかな。やっぱり周りの子達との違いって出したいし!」
「平凡が特徴なのに良いんですか?」
「平凡って言っても平均値の必要は無いし、特技の一つぐらいないと寂しいかなって」
思考を再開させた小説家は、やけに料理を特別視しているリゼルに納得の視線を向けた。
何でも器用にこなすイメージとは裏腹に、料理が出来るイメージは無い。不器用という訳ではなく、当然のように他者にやらせるイメージが強すぎて料理をしたことが無いんじゃないかと思っている。
そこでふっと小説家は本題を思い出した。学院について色々と相談に乗ってくれたのも有難かったが、リゼルに頼りたいのは調べてどうにか出来る事じゃないのだ。
「だいぶ横道逸れちゃったけど、聞きたいのはそれかなって!」
「それ?」
「今回の話って、身分差……じゃちょっと違うかな、ヒロインも身分はあるし。周りとの違いっていうか、一般育ちと上流階級育ちの違いを書き切らないと駄目だよね?」
確かに、とリゼルは納得する。
でないと舞台を良家の子女子息たちが通う特別な学院にした意味がない。
「読んでくれる子達に、憧れながら読んで欲しいって思ってるかな! だから出来るだけ相手の言動とかを貴族っぽくしたいんだけど、私じゃ想像するしか出来ないし」
「はい」
「だから変なところがあったら教えて欲しいかなって!」
幼い顔をパッと明るい笑みに変え断言した小説家に、リゼルは不思議そうだ。確かに貴族出身であることは確かだが、最近は冒険者らしくなってきたというのに何故なのか。
疑問を抱きながらもまぁ良いかと流し、既に一通り目を通していた資料を小説家に返しながら苦笑する。
「貴族って言っても色んな人がいますし、気にしなくて良いと思いますよ」
「そうだよね、やっぱり分かりやすいのが一番かな」
「あ、でも」
ふいにリゼルの指先が伸ばされ、小説家が手の下に置いていた資料をなぞる。
冒険者とは思えない整った指に、彼女はパッと乗せていた手をどけた。何故か目を離すことが出来ない指先が、小説家の視線を誘導するように紙面を滑る。
そこに書かれていたのは、完璧を絵に描いたような少年が平凡であるヒロインを気に掛ける切っ掛けとなるシーンだ。嫌がらせで高価な魔道具を割られたヒロインに、気まぐれ交じりの同情で自らの魔道具を渡そうとするシーン。
『こんな高価なもの、貰えないわ』
ヒロインは困ったように断り、少年は思ってもみない反応に彼女に興味を持つようになる。
何処か変だっただろうかと小説家は首を傾げ、不思議そうに口を開くリゼルを見た。
「これ、何で貰わないんですか?」
とんでも無いこと言いおる。
そう口元を引き攣らせる小説家を気にすること無くリゼルは続ける。
「女性だったら、可愛らしく微笑んで受け取る方が好印象だと思うんですけど。少年に恥をかかせず、自分も損をしない対応にもなりますし」
「そ、そんなやり取りを水面下でする子供って嫌かなって……ッや、そうじゃなくて、ちょっと待って! 見て! ここ見て欲しいかなって!」
バッと目前にかざされた用紙でぐいぐいと指差されているのは、“高価”の二文字だった。
「適当に考えて金貨一枚ぐらいかなとか考えてるんだけど、まさかその程度じゃ高価って言わないとか……!」
「まさか、そんな事ないですよ」
戦々恐々とした目を向けて来る小説家に、リゼルは苦笑しながら否定した。所持金に対しての割合として考えた事は無いが、金貨一枚の価値はきちんと把握しているつもりだ。
金貨一枚でどれだけの物が動くのか、何が出来るのか。その上で使うことに躊躇はしないし、使う時は必ず相応のメリットを得る。
だからこそ、ヒロインは受け取った方が良いと思ったのだから。
「例え気まぐれでも、それだけの物を贈る価値があるって判断されてるって事でしょう?」
リゼルは目を細め微笑み、ゆるく指を組んだ手をトンッとテーブルへと乗せた。
仕草一つとっても不思議と絵になる人だと、小説家はふっと持ち上げていた資料を下ろす。ふわりと、潮の匂いを微かに含む風が二人の髪を揺らした。
「それを誇れる人は、それだけの自信が持てる努力をしてるんでしょう。とても、魅力的です」
それを誇れた時点でヒロインは平凡設定を失う。
読者が感情移入すべきヒロインを何処の高みへと持っていこうとしているのか。リゼルが読書の際に感情移入をしないにしてもこれは酷い。
小説家は相当貴重な意見にも拘らず、一切役には立たないリゼルの助言に力強く頷いて礼を告げた。何だか楽しくなってきた。参考にはしないが。
「あ、でも断るのも良いですよね。珍しさで興味を引くのは有効的ですし、不信感から好感に持って行ける確証があるなら良い手です」
「君たちって全然似てない三人だなって思ってたけど、全員恋愛小説読めそうにない所はそっくりかなって」
「え?」
その後は開き直って更に色々と聞き出す小説家と、何かが違ったみたいだけど何も言われないし問題は無いのだろうと気にしないリゼルによって、有意義な意見交換は続いた。
やはり本談義は良い。アリムともしていたが、人が違えば意見も違って何とも楽しい。
リゼルは小説家と別れた後、ほくほくとしながらギルドへと歩いていた。パーティで依頼を受ける予定は明日からだが、ざっと依頼に目を通して目星を付けておこうかと思ったからだ。
何日も空けてしまえば依頼も随分と変わっているだろう。一通り見ようと思うと、やはり空いている時間に限る。
装備は身に着けていないが、長居する訳でも無いし良いだろうとギルドの扉に手をかけた。押して開けようとして、しかし向こう側から引かれる感覚にパッと手を放し道を開ける。
「ったく、報酬で一々揉めんのは勘弁ッ……お、おぅ」
「こんにちは」
団長演じる魔王に恋をするという、修羅の道を選んだ冒険者の男がリゼルを見て一瞬その足を止めた。後続にぶつかられ、投げられる文句に怒鳴り返している。
送り出すように微笑み首を傾けてみせると、男はぐしゃぐしゃと襟足をかき混ぜ「じゃあな」と一声を残し去って行った。続くメンバーも扉から出てリゼルを目にする度に“おっ”という顔をしていたのは、久々に見たという意味で間違いは無いだろう。
この時間に終わったなら余程順調だったのだろうと一つ頷く。そして最後の一人が軽く手をかけて開けて行ってくれた扉が閉じきる前にと、リゼルもギルドへと足を踏み入れた。
ギルドの中は流石に人が少なかった。
応対の必要が無いために事務仕事に精を出す数人のギルド職員と、依頼が終わったパーティが一組。あとはやはり数人の個別の冒険者たちが、友人と話したり依頼について話し合ったりしている。
もれなく全員に“おっ”という目で見られたが、リゼルは特に気にしない。確かにここ何日かはジルやイレヴンさえギルドを訪れていないのだから、好奇の視線を向けられる事もあるだろう。
そう結論付け、依頼ボードへと近付く。しかしふと机に陣取っている二人の冒険者を見て、微笑みながらそちらへ進路を変えた。
「こんにちは。ご一緒しても?」
「おう、久しぶりだな」
一人は先ほど擦れ違ったパーティの内の一人だ。
今のアスタルニアには、魔法使いと呼べる冒険者がリゼルを含め三人いる。その内の一人が彼で、知り合いを見つけてギルドに残って話していたのだろう。
「一刀とかも見なかったしねぇ」
そしてもう一人が、その向かい側に座る眠そうな目をした男だった。
魔法は練習すれば誰もが使えるようになるが、実戦に通用するレベルの魔法を使えるとなるとかなり限られる。ただ剣で斬る方がよほど簡単だし早い、それ以上の成果を出せなければいけないからだ。
よって必然的に人数は相当限られるが、これだけの規模のギルドに三人というのはそれにしても少ない。だからこそ情報交換は欠かさず、そうでなくとも魔法使い同士でしか通じぬ話もあり、リゼルも時々話をしていた。
「俺が風邪を引いてたんです。ごっつい風邪って言われました」
「…………ああ、あれ辛いよねぇ」
「…………俺かかったこと無ぇなぁ」
座りながら何てことなさそうに言うリゼルに、冒険者らは一瞬固まった。
品の良い顔でごっついとか言われると相当な違和感がある。視線をそらしながら何とか返答し、そういえばと先程までの会話を思い出した。
「そういや魔力溜まりがまた近付いて来そうだよねぇ」
「あ、そうなんですか?」
「おう、一週間後ぐらいじゃねぇか」
そういえば警告ボードはまだ見ていないと、リゼルは少し体を傾けそちらを見た。
角度的に見えにくいが、確かにスポットを示す色のチョークが斜線を引いているのが分かる。
「嫌だよなぁ、魔力中毒……俺すっげぇ頭痛くなんもん」
「嫌ですよね。俺も体中が痛いです」
魔法使いトークだなぁと、周りは何となく聞きながら納得していた。
近付くとはいえ、決して国に危害を与える距離までは来ないスポットの影響を唯一受けるのが魔力の多い人間だ。ほとんどの人間は何も感じないし、言われないと近付いているのも気付かない。
アスタルニアは他国に比べ魔力が多い人間が少ないようなのでマシだが、魔法使いともなると確実に被害を受ける。苦笑するリゼルに、頭が痛いと告げた男はトントンと親指でこめかみを叩いた。
「体中? どっかの魔法使いで全身筋肉痛っつうのは聞いた事あんな」
「それも辛そうですね。俺は皮膚です、凄く敏感肌になります」
「えっ、それ服着れないよねぇ。脱ぐの?」
「脱ぎません」
何故か期待を込めて聞かれたが、リゼルは穏やかに否定する。
ちなみに聞いた男は向かいに座っていたもう一人に思い切り蹴られた。ガタンッと机が揺れる。
「痛ッて……良いじゃんかぁ、仲間見つけたかと思っただけなのに」
「仲間?」
「そう。俺脱ぐからねぇ」
魔力中毒の症状で、という事だろう。成程とリゼルは頷いた。
魔力中毒は本当に人それぞれの症状があるので、服を脱ぐくらいで驚きはしない。知らない人間はどうしてそれが耐えられないのかと思うが、頭痛などと同じく止めようとして止められるものでも無い。
理解のある反応に、男は嬉しそうに笑った。
「それって暑くなるのとは違うんですか?」
「んー、何だろ。何かもう服が嫌で嫌で仕方ないって感じかなぁ」
「てめぇ前パーティの奴らに縛られてただろ」
「理解の無いパーティってヤだよねぇ」
やだやだ、とため息をつく男にリゼルが苦笑する。
確かに服自体が嫌だというのなら、程度によっては最終的に全裸になってもおかしくは無い。身内が公衆の面前で全裸になろうとすれば、誰でも止めるだろうに。
彼もそれぐらいは分かっているのだろう。眠そうな目元は笑みを浮かべていた。
「此処は良いよねぇ、多少脱いでも面白がるぐらいだし。その代わり魔力中毒に馴染みが無いから、俺ただ脱ぐのが好きな人みたいに思われてるけど」
それは果たして良いのだろうかとリゼルは不思議そうだ。
「むしろ煽って来る奴いるよな」
「煽られると脱ぎやすいなぁ」
「お前本当にただ脱ぐの好きなだけじゃねぇの」
アスタルニアでは半裸など探せば幾らでもいる。下も脱ぎ始めなければ見慣れたものなのだろう、港に行けば大半がそうなのだから。
更に男だらけの冒険者ギルドともなれば面白がる者も多いようで、むしろ魔力中毒だと知った上で煽っているのかも定かでは無い。ちなみにリゼルがそういった場面に遭遇した事は無いのだが、理由は推して知るべしだ。
「他はそうでも無いんですか?」
「そうだなぁ……王都では放置かな。あそこって基本的に傍観姿勢だし」
「あぁ、言われてみりゃな。理解ねぇ訳じゃねぇし、普通に“またか”って流す奴多い」
我関せずでも嫌がられるでも無いらしく、印象は悪くないようだ。初めて滞在した国という事もあり、リゼルはその評価に満足そうにしている。
色々な国を転々とする冒険者だが、だからこそ郷に入っては郷に従う事が多い。行儀が良くなる訳では無いが周囲から浮いていては協力関係も結べなくなる。
それが国ごとの特色を生み出すのだろう。リゼルもアスタルニアに来たばかりの頃は、雰囲気の違うギルドに感心したものだ。
「あんたは前まで王都に居たんだよな」
「はい。確かに此処よりは落ち着いた雰囲気でした」
勿論ここの冒険者に比べると、というだけで基本は荒くれ者の冒険者なのだが。
リゼルは髪を耳にかけながら、懐かしむようにゆるりと微笑む。
「やっぱり冒険者になったばかりの時から知られてますし、ちょっと恥ずかしいです」
恥ずかしげもなく恥ずかしいと言い切ったリゼルに、会話の相手である二人以外の視線も集まった。確実に最初から今まで何も変わってはいないだろう相手に、王都の冒険者たちはさぞかし振り回された事だろう。
もはや傍観というより見守りに近いんじゃないかと誰かが思ったが、恐らくそれは間違っていない。王都の古株の冒険者達は“リゼルは俺が育てた”とか思っているに違いない。
「ジルも結構長い間いたみたいですし、やっぱり王都って活動しやすいんですね」
「そりゃな。気候も丁度いいし、店も揃ってりゃ宿も多い。依頼も多いし交通の便も良いしで離れる理由があんまねぇからな」
「逆にここは移動が大変だから、一度来たら長居するけどねぇ」
それでも何故国から国へと移動するかと言われれば、同じような依頼を受けることに飽きるからだ。実力と相性を考えるとどうにも似たような依頼ばかりを受けてしまい、同じ迷宮に何度も潜ることになる。
安定を求めるような冒険者などおらず、彼らは新たな刺激を求めて拠点を移動する。
「あ、サルスとかも面白かったなぁ」
最近よく聞く国名だと、リゼルはひらひらと片手を振る男を見た。
「俺は行ったことねぇな」
「俺もです」
「あそこはねぇ、脱ぐと凄い怒られた」
恐らく何処よりも魔力中毒に理解がある国だろうに、何を怒られる事があるのか。特別肌を見せるのが好ましくないといった風潮は無かった筈だ。
どういう事かと視線を向けられ、男はにんまりと笑う。
「魔法使いが魔力中毒を表に出すのは恥なんだって」
ぱちりと目を瞬かせるリゼルと、まるで理解が出来ないと顔を顰める男に、眠そうな目をした男は満足そうに鼻を鳴らす。
「何だそりゃ」
「理解できなくはないですけど……魔力が多い方が症状は強いんですし、むしろ表に出れば出るほど優秀なんじゃないですか?」
「だよねぇ」
けらけらと笑う男を見ながら、リゼルは納得するように一つ頷いた。
そういう考えが普及している事には、そういう事もあるだろうと特に何も思わない。国ごとに考え方に違いがあるのは当たり前だからだ。
しかしアスタルニアとは逆に魔法使いが多そうなイメージがあるし、何とも可哀想な話だろう。プライドが高い人が多いのかなと、とある支配者や信者たちを思い出す。
「じゃあ魔力中毒になったらどうすんだよ」
「部屋に籠んだって。人前に出さなきゃ良いみたい」
「ん、そもそもスポットが近くにあるんですか?」
「あそこって、川が国ん中に何本も通ってんだよねぇ。近くじゃないけど上流に結構でかいのがあるみたいで、雨とか降ると影響が出るって聞いたなぁ」
詳しい事は知らないようだが、彼にとってはそれで充分なのだろう。小難しい理屈や理論などに興味は無いようだ。
とはいえそれだけで理解が出来るリゼルは、上流のスポットとかエルフの別集落がありそうだなと平然と考えている。
「あそこ魔法学院あんだろ。休みんなんの?」
「えー、知らない」
しかしふいに聞こえた会話に思考を中断し、そちらを見た。
「お二人は学院出身じゃないんですね」
「は? あそこ出てりゃ冒険者なんかやってねぇよ」
そうらしい。
何でこの人は頭良いし膨大な知識もあるのにこういうのを知らないのだろう、と男二人の視線が向けられた。しかしリゼルに言わせれば、そういう語られない常識こそが難しいのだから仕方ない。
「じゃあ二人はどうやって魔法を習ったんですか?」
「俺はちっさい頃に学び舎で基礎ならった。教師がそっちにちょい詳しい奴だったみてぇで、後は自己流だな」
「俺も似たようなものかなぁ」
大体の人間にとって、魔法など使えても使えなくても変わらない。
ただ魔力を意識することだけは誰もが教えられるし、それが出来るようになれば魔道具も動かせるようになる。その時に魔力が多いことに気付けば色々と試す余裕もあるので、目の前の二人はそうして魔法を身に着けて行ったのだろう。
冒険者はそんな人間が多い。よってほとんどの魔法使いが自己流で、理屈も分からないまま感覚的に使っている。
「魔法学院だと皆同じやり方でやるんだよねぇ。それが一番やりやすいって事かな」
「多分、一番理解がしやすいんだと思います。合わない人はやりにくいと思いますよ」
「考えて魔法使うとか、時間かかりそうだよな」
実戦派は凄いなぁとリゼルは苦笑する。
試行錯誤の上で最短化しているリゼルにとっては、完全に感覚というのはあまり理解できない。別に問題なく実戦で使えていることに変わりはないので気にはしないが。
「別に秘密なら良いんですけど、聞いていいですか? その感覚ってどんな感じなのか気になります」
「別に良いけどよ、どんなっつうのは俺もなぁ……こう、グァァッて気合込めて一点集中でドラァッて出してる」
魔法使いは何となく言いたいことが分かる。
しかし聞いている周囲は全く分からない。そんなものだ。
「俺はねぇ、あー……ゲロ吐く感じ?」
直後、彼は二度目の蹴りを脛に受けて撃沈した。
別に本当にそんな感じなのだろうし別に良い。それは良い。しかしリゼルという冒険者がいる時にそういう事を言われると居た堪れないものがあると冒険者らは常々思っている。
肝心のリゼルが気にせず成程と頷いているのが心の底から複雑だ。
「あー……言い方からするとあんたは習ったのか、魔法。学院じゃねぇんだろ?」
「はい」
机に撃沈したまま動かない男を眺めていたリゼルは、話を逸らす様に投げられた質問に微笑む。嬉しそうな笑みは何処となく敬意を含み、それを向けられるイメージが強い人間が浮かべた表情に周りは思わず意外そうにそちらを見た。
もはや何処ぞの王族が出ても驚かない。そう思われている事など知る由もなく、リゼルがあっさりと口を開く。
「俺の元教え子の、お父様に教えて頂きました」
誰だと、ギルド内にいる全員の内心が一致した。
その後もしばらく情報交換という名の雑談は続いていたが、帰って来る冒険者たちがギルドに溢れる時間帯に同じく入って来た一人によってそれは終了を迎えた。
「リーダー」
「イレヴン」
音のない足取りで近付いてきたイレヴンに、リゼルは振り返る。
どうやら依頼を終えて帰って来た訳では無いようだ。迎えに来てくれたのだろうと、同席していた冒険者に簡単に挨拶をして席を立つ。
一声あったり手を振ったりと見送ってくれる相手にリゼルも手を挙げて別れを告げ、イレヴンを見た。こちらに向けられていた視線は、しかし何かを隠すように自然な動作で依頼ボードを見る。
「有難うございます」
礼を告げると、イレヴンがぐっと口を噤む。
リゼルは今日は夕食までには帰ると告げている。今はまだそれにも少し早い時間だし、それでも迎えに来てくれたという事はそういう事なのだろう。
嬉しいと、隠すことなく微笑むとイレヴンの視線が再び此方へと戻る。ふてくされたようなそれは、しかし本当にふてくされている訳では無いのだろう。
「もう帰る?」
「はい」
頷くと、イレヴンは満足げに笑みを浮かべた。
出掛ける時は特に何かを気にしている様子は無かったが、少し心配をかけてしまったらしい。暫く寝っぱなしだったし軽く体を動かしたいと色々歩いていたが、今日はもう帰った方が良いだろう。
「今日の夕食すっげぇ肉でるかも。肉の匂いしかしねぇし」
「ジルが大喜びですね」
「リーダー入る?」
「どうでしょう。一応頑張ってはみます」
風邪だったと知っているのに何故と話しながら、二人は並んでギルドを出た。
何か買っていこうかなどと考えはするものの、本当にやったら宿主が泣きそうだ。王宮では胃に優しいものばかり食べていたからなぁと、そんな事を考えているリゼルがふっと思い出したように言う。
「そうだ、空き部屋を一つ取れるかも聞かなきゃ駄目ですね」
露骨に嫌そうな顔をしたイレヴンが、まさかと真意を探るようにリゼルを見た。返された微笑みは“人魚姫の洞”でじゃがいもを切りたいと告げた時にそっくりで、これは絶対に説得されると口元を引き攣らせる。
恐らく自分やジルの了承を得ないまま連れて来る事は無いだろう。ならば絶対に抵抗してやろうと決意し、何時その話が出来るのかと考えを練り始めたイレヴンをリゼルはやはり微笑みながら眺めていた。




