表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
127/216

119:そんなに甘くはなかった(再)

 まるで独り言のように、艶のある声が静寂にポツリと落ちる。


「成程、ね」


 外の喧騒など届かない書庫の中、アリムは布の中で数度頷いた。

 そしてすっと目の前で椅子に座るリゼルを見た。今まさに王宮を襲った前代未聞の魔法陣の真相を教えてくれた相手は、つい先ほどまで何と騒動の原因に監禁されていたらしい。

 自分たちの国で好き勝手してくれる、と薄ら浮かべられた笑みは何処か冷たく、しかし誰の目にも映る事は無い。


「地下通路が何処から漏れたのかも、探さなきゃ、ね」


 アリムを除けば王と一つ下の弟、そして王宮警備隊で代々隊長を務める人間しか知らない情報だ。機密性の高さゆえに一年に一度の点検でしか人が訪れないし、異常があった事など無かった。

 良く調べて来たようだと、そう思いながら書庫の扉へと視線を向ける。


「かれ、知らない、かな」

「どうでしょう。目の前でやり取りされたなら覚えてるかもしれません」


 書庫の扉の向こうでは、クァトがリゼルが出て来るのを待っている。

 アリムは彼の正体の事もすべて聞いた。流石に王族の前に騒動の原因側だった人間を立たせられないと外で待たせているので、今は見張りの兵に見守られながらぼうっとしているだろう。

 ちなみに見張りは別にクァトの監視の為にいる訳では無い。王宮の騒動に際して各王族の護衛に割り当てられている兵だ。


「かれ、は」


 ふいに、アリムは布の隙間からするりと片腕を覗かせた。

 その手は机に置かれた本の上に乗せられ、そして机へと滑り落ちる。何の意図も無く、自然に机に置かれた手の手首を彩る金の装飾がチャリッと音を立てた。


「かれは、先生、の?」


 褐色の長い指が、何かを牽制するようにトンッと優しく机を叩いた。

 リゼルは一切その手元を見ない。布越しにアリムを見ながら、大丈夫だという様に微笑む。


「もう彼には、迎えに行くまで良い子でいるように伝えてあります」

「うふ、ふ」


 抑揚のない声で、しかし楽しそうにアリムは笑った。明確な答えは貰えなかったが充分だ。

 国の立場上、確かに共犯者だったクァトを見逃す訳にはいかない。だがリゼルならば共犯だった事実など誤魔化そうと思えば幾らでも誤魔化せる筈だ。

 裁けという事なのかと思ったが、迎えに行くと明言した。ならば重要な証言者として貸してくれるという事なのだろう。


「聞く限り、かれは自分の意志で今回の事に関わってた訳じゃなさそう、だし」


 何せ奴隷だ。アリムは驚くことなく受け入れた珍しいタイプだった。


「暫く拘束したら釈放、ぐらいか、な。情報面で、協力してくれれば、だけど」

「後で言っておきますね。でも、あまり大したことは知らないと思います」

「良い、よ」


 信者の上に立つ、元凶の名さえ出ればそれで良いとアリムは頷いた。

 何せそこが一番信者たちから名前が出ないだろうからだ。その代わりそこさえ掴めれば、サルス相手に強気の交渉が出来るだろう。

 外交担当を隠れ蓑に遊び歩く弟の事を思い出しながら、アリムが立ち上がる。


「じゃあ、あいつにも報告してくる、ね」


 元々アリムは一瞬だけ頭上に現れた魔法陣のことを調べる為に、今も書庫に籠っていたのだ。実際に見てもいない上に、一瞬過ぎて誰も詳細には覚えていない魔法陣のことを調べろと無茶ぶりされた。

 実際に現れた影響から正体を図ろうと思っていたが、リゼルのお陰で目途は立った。あとは影響を受けて異変の現れた魔鳥らをどうにかしなければならない。


「あ、じゃあ」

「先生は、そのまま」


 立ち上がりかけたリゼルを、アリムはその甘く静かな声で遮る。

 隣に立つ人物の上着を羽織る見慣れない姿に、何故と問いかけるほど察しが悪いつもりはない。


「おれのベッド、使って良い、から」

「その前に、やっておきたい事があるんです」


 立ち上がったまま静かに見下ろすアリムの前で、リゼルもゆっくりと立ち上がった。

 その隣に座るジルはそれを視線だけで追うだけだ。アリムは止めようとはしないジルを少しだけ意外に思いながら、真っすぐに此方を見る視線を見返した。


「魔法陣、魔鳥に影響が出てるんですよね」

「そう、だね」

「多分、何とか出来ると思います。ちょっとだけ見てきて良いですか?」


 微笑んだリゼルに、しかしアリムは何も言わない。言葉の真意を探るように、布の中で仰ぐように視線を数多ある本棚へと流す。

 何せリゼルが出る理由が無い。国に恩を売りたいと思うタイプでも無ければ、すり寄ろうとするタイプでも無い。王族としても、今回の件に冒険者を巻き込むのは避けたい所だ。

 そう考える事さえ分かっているだろうに、何故。純粋な疑問を以って、アリムは口を開く。


「先生には、関係のないこと、だよ」

「そうなんです。だから、貴方が俺を利用して下さい」


 あっさりと告げられた言葉に、ぱちりと一度瞬いた。


「殿下は知ってるでしょう?」


 何を、と言いかけ口を噤む。その唇には徐々に笑みが浮かんでいった。

 王宮にも優秀な魔法使いはいる。それこそ魔鳥騎兵団を成立させる為の要となる魔法に関わる者もいる。例え彼らがリゼルより優秀だとしても、リゼル以上にあの魔法陣に対抗できる人間はいない。


『クエスチョンマークは、いらない』


 あの時、そう告げた。ただ一人、騎兵団の根幹へと自力でたどり着いた人に。


『少しの間、使役されました』


 あの時、そう聞いた。ただ一人、支配者の魔法を身を以って理解した人から。


「きっと、これが最善だと思います。貴方にとっても、俺にとっても」


 そして今、信者らの使用した魔法陣がどういったものかを聞いた。

 詳細に関しては予想でしかないと言っていたが、間違いなく大きく外れてはいないのだろうとアリムは確信している。間違いなくリゼルを利用することが、アスタルニアにとって最も有効な手段だ。

 ゆるりと微笑んだ姿に、布を床に滑らせながらゆっくりと近付いた。


「一つだけ、ね」


 すっと布から覗いた手が、傍の机へと乗せられる。

 徐々に体重をかけながら、覗き込むようにリゼルを見た。キシ、と小さく机が軋む音がする。

 腕の分、広がった布の隙間からはアリムの首元が覗いている。そこに滑る金糸のような髪を目で追ったリゼルが、促すように布越しの瞳を見た。


「先生の、あなたにとっての最善なんて、ある?」


 聞く限り、体調不良をおしてまで手を貸すメリットは無いように思える。

 そう思うようになったあたりアリムも普通の王族からはずれた存在なのだろう。王族としての自覚を持ちながらも、国とリゼルを対等に扱っているという事なのだから。


「勿論ありますよ。ナハスさん、その場にいるんですよね」

「確か、そう」

「なら、早く事態が落ち着かないと看病して貰えませんし」


 結局それかという視線がジルから送られるが、リゼルは気にしない。


「誘拐されたの、怒られそうなので」


 まるで当然のように、だから恩を売っておきたいのだと堂々と告げられる。

 アリムは目を見開きながら机から手を離し、そして堪え切れない笑みに口元を覆った。つまりリゼルにとってはイコールなのだ。一歩間違えれば他国からの侵略となったかもしれない騒動の解決も、ナハスからの説教も、等価で扱えるものに過ぎない。


「う、ふふ、ふふっ。その通り、だね」

「でしょう?」

「じゃあ、おれはもう少し、ここに居ようか、な」


 声に笑みを滲ませながら、ふとアリムは腕を伸ばし頭上の布を握る。

 幾重にも重なるそれが、引かれる腕と共に滑り落ちていく。髪や首を撫でながら取り去られる布を目で追っていたリゼルが、ぱちりと目を瞬かせた。

 初めて布越しでは無い視界で見たその表情に、アリムはゆっくりと口の端を持ち上げる。


「これ、必要だよ、ね」


 断定じみた問いかけに返されたのは、褒めるように微笑む瞳。

 アリムはそれを受け止めるように優しく目を細め、無理をしないでと付け加えリゼルへ布を被せていった。






 イレヴンは地面にしゃがみ、くるくると手元でナイフを回していた。

 場所は森の中、地面に蓋をするように埋め込まれている扉の前。開かれた扉の中には地下へと繋がる梯子が見え、薄暗い空間を差し込む太陽の光が照らしている。


「(今頃王宮着いたかなァ……大人しく休んでりゃ良いけど)」


 まだもう少し動くか、と王宮方面へ行ったリゼルを思いため息をつく。

 そもそも大人しく寝たいなら騒動が起きているらしい王宮方面へと行かなければ良い。森側から出て、トコトコと宿へでも帰り、パーティメンバー二人に看病されながらゆっくり寝れば良い。

 もちろん王宮医に診てもらい、最高の看病を期待するというのも本音なのだろう。しかし、リゼルが動くにはそれだけでは弱い。


「怒ってたもんなァ」


 ポツリと呟き、立ち上がる。

 どうせリゼルの思考を全て読み解けるなどとは思っていない。今は言われたことをこなし、後で甘やかして貰えればそれで良い。

 カン、カン、と誰かが梯子を上る音がする。


「はい一匹追加」

「ガッ!!」


 それに、リゼルを怒らせたものをイレヴンが許すことは決してない。

 荒く息を切らし、地上へと現れた男を見下ろしイレヴンは思い切り足を振り抜いた。男は、リゼルによって信者と呼ばれる集団の一人は、蹴りつけられ扉から投げ出される。


「ぐ、ゥ……貴様、何をッ」

「うるっせぇなァ」


 直後、信者はボキリと自らの足の骨が折れる音を聞いた。

 悲鳴は上げ損ねたようにくぐもり、ただ痛みを耐える為に指先が地面を掻き毟る。それを退屈そうに見下ろし、イレヴンは靴底で踏み壊した足へとグリグリと体重をかけた。


「ぎゃ、ぁ、あ!」

「きったねぇ声」


 嘲るように笑い、見下ろす。

 殺してやると恨みと憤怒に染まった瞳が向けられるが、何を思うことも無い。イレヴンにとっては在り来たりで、特に面白味もない瞳に過ぎない。

 その時、再び地下通路への入り口から顔を出した者がいた。長い前髪で瞳を隠す男だった。


かしら、そいつで最後」

「あ? 聞き出した人数と違ぇじゃん」

「奥の方に四人死んでたんで。あれ一刀ですね、頭蓋骨はじけ飛んでんのもあったし」


 壁に叩きつけられて、と平然と告げた男は服を払いながら地面へと降り立つ。

 それを見て、イレヴンは不満を表すように信者を踏みつける力を増した。痛みに気絶しそうになる男に、しかしそうはさせないと寸前で力を抜く。


「意外と落ち着いてんなとは思ったんだよなァ。一人だけ憂さ晴らし済みとか、ずっり」


 とはいえ、あのとにかく気が急いていた状況で遊ぶ暇は無いだろう。

 邪魔な人間を憤りのままに一掃しただけにしては、方法が随分と荒々しい。それはイレヴンがリゼルへの八つ当たりを危惧したのと同じものを、ジルも持っていたという事だ。


「リーダーの前で出そうとしねぇあたり恰好つけだよな、ニィサン」

「恰好つけ損ねたんですか」

「俺? 頭ぶっとんでたから」


 交わされる軽口は、イレヴンが踏みつけた相手の唸り声に遮られた。


「聞き出した……だと……ッ」

「そ。あいつらの……誰だったっけ」


 わざとらしく唇を笑みに歪めながらイレヴンは足を引いた。

 砕かれた足では立ち上がる事も出来ず、信者はのたうつように地面の上で頭を起こす。指さされた方向を憎しみの表情を浮かべて振り返り、そして直後驚愕に目を見開いた。

 地下への裏口の後ろ側。木々に縛られ吊るされ磔にされて、見るも無残な姿となっているのは見知った面々だった。


「ほらほらスマーイル! 嬉しいんじゃんね? じゃあ笑えるじゃんね? ねぇって言ってんだろわーらーえーよーホラァ!! 聞こえてんなら笑顔で返事ィ!!」

「ど、どうして僕の言うこと、聞いてくれないの……し、知ってる、僕のこと嫌いなんだよね、ゴミだって、あは、そう思って……う、うぅ、酷い、僕はこんな、こんなに頑張って」


 信者に分かる事は、全員が凄惨な拷問を受けているという事だけだ。

 師を裏切った憎しみを叫ぼうと開いた口は、何も言わないままハクハクと開閉される。糾弾など出来はしないと、崇拝を心に根付かせた信者に一瞬でも思わせるほどに残酷な光景だった。


「おい、アレ死にそう」

「あ、ホントっすね。回復薬もったいねぇなぁ……」


 無駄遣いするなとブツブツ言い、前髪の長い男は何かを泣き叫びながら信者にナイフを突き立てている男へと近付いていった。そして後ろから尻を蹴りつけ、信者に回復薬をぶちまける。

 口を拘束された信者からくぐもった悲鳴が森に響き渡った。


「ッ何を、お前らは、一体何がしたい!!」

「憂さ晴らし」


 気付いてみればそこかしこから聞こえる潰れた悲鳴に、地面にぼたりぼたりと染み込んでいく血の匂いに、この狂気的な空間に叫んだ信者の頭をイレヴンは蹴り飛ばした。

 その衝撃が足に伝わり酷い痛みが走ったのだろう。ひぃひぃと必死で息を漏らしながら横たわる信者を、クルリと手元のナイフを回しながら見下ろす。


「魔物が寄ってくんだろ、黙ってろよ」


 クルリ、ともう一周ナイフが回った。

 パシリと手に掴んだナイフは、一瞬前に握っていたものと違う。飲み屋の席なら喜ばれる芸が、頬を地面に押し付け見上げる信者には酷く恐ろしかった。

 細く厚みのある剣を戯れるように手元で揺らしながら、イレヴンは愉快気に笑みを浮かべる。


「てめぇらってさァ、師ってのをケーアイしてんだろ」

「ッ黙れ、貴様が軽々しく口に出して良い名では無い!」

「はいはい大した忠誠心じゃん、すごぉい」


 軽々しく流され、激昂した信者が痛みも忘れ大きく口を開いた時だった。

 イレヴンは地面に叩きつけるように頭を踏みつけ、一切首を動かせぬよう固定する。屈辱に此方を睨み上げる瞳に、目を細め嗜虐的に笑ってみせた。


「なら、そいつと同じ経験出来りゃ大喜びだよなァ」


 手に持つナイフを振り下ろす。頬から頬へと口内を貫いたそれに、信者は目を見開き声にならない悲鳴を上げた。


「あが、あ、ぁッ」

「てめぇの師も最初に猿轡つけたっけ」


 イレヴンはナイフを抜こうと動く両手を足で払い、いつの間にか取り出した新しいナイフをくるりと回す。そのままパッと手を離すと落下していくナイフは、真下にあった信者の腕ごと踵で地面へと叩き込まれた。

 痛みに叫ぶ信者の喉を蹴りこみ、強制的に黙らせる。この程度で何を叫ぶ必要があるのか、まだまだ始まりに過ぎないと言うのに。


「俺に感謝しろよ」


 告げられた言葉に、信者は踏みつけられた喉で叫んだ。

 師にも同じことをしたのかと。許されることではないと。必死で叫んでいたが、それは歪な呼吸音にしかならなかった。


「笑顔で礼が言えたら、終わりにしてやるよ」


 望むものを与えてやっているのだからと、イレヴンは声を上げて笑った。

 ここにいる信者全員に、それを課した。何処かで潰れた笑い声がする。その笑い声も心が籠っていないと、誰より笑う男に一蹴された。

 同じ体験をさせてやるなど口実だ、実際は各々好きなように信者らを甚振っている。その方が長持ちするから、そう告げているだけに過ぎない。


「つか頭、良いんですかコレ。生け捕りっつー指示じゃねぇんすか」

「最終的に生きてりゃ良いんだよ。リーダー俺に何かやらせる時は“やり過ぎないように”っつうし、それが無ぇって事は好きにしろって事だろ」

「成程」


 偉大なる師が乗り越えた試練を自らも乗り越えなければならない。人を壊し慣れた人間たちの前では、その矜持も脆いものなのだろう。

 あまり時間も無いだろうしと、唇を歪めながらイレヴンは大ぶりのナイフを取り出した。







 アスタルニアの民にとって、魔鳥が地に落ちる事は日常の崩壊に近いのかもしれない。

 羽音と共に頭上を通り過ぎる影を感じ、時折聞こえる鳴き声は海鳴りの音に似ていて、いつも空から国を守り自らを守ってくれる存在が地に落ちる光景を、恐らく平常心で見れる人間はいないのだろう。


「どうした、しっかりしろ……!」


 齎された事態に、ナハスは懸命に自らの魔鳥へと呼びかける。

 魔法陣の出現とともに明らかに現れた異常に焦る心を無理やり落ち着かせ、しかし何もしてやれない不甲斐なさに歯噛みする。訓練場のそこかしこで、同じような事態が起きていた。


「俺がついてる、大丈夫だ、落ち着け!」


 数歩先の距離にいる魔鳥に、しかし近づけないと足踏みする。見慣れたパートナーの瞳は、強い警戒を宿していた。

 平穏を崩壊させ、国の象徴を踏みにじるような信者たちの最悪の魔法。もはや消えたそれは、しかし確かな爪痕を残し騎兵団を混乱のさ中へと突き落としていた。


「おい俺の相棒が産気づいたぞ! 世話係に藁を持ってこさせろ!」

「魔力布だ! 卵包む魔力布を準備しておけ!」

「よーし落ち着け! 俺がついてるからな! 大丈夫だ、大丈夫だぞ!」

「ちょ、待て、お前オスじゃなかった!?」


 大混乱だ。

 皆自らの相棒を案じながらも、励ますように声をかけるだけで近付きはしない。産卵間際の魔鳥は気性が荒くなるのだ。

 彼ら騎兵団の目の前には、羽を折りたたみうずくまりながらプルプルと震えている魔鳥がいる。魔法陣が現れた直後、バランスを崩しながらも降り立ってから一切動かずプルプルしている。


騎兵団あいつらは本当に魔鳥が関わるとバカだよなぁ……」


 もしや他国の攻撃かと、警戒態勢で慌ただしい王宮警備隊の内の一人が呟いた。

 魔鳥が万が一にも暴走しないように訓練場を囲むよう配備されたが、あまりの勢いに口を挟めない。落ち着かせる行為自体は間違いでは無いので放置しているが、そんないきなり産気づいてたまるかと思う。


「本当ですよ、全く!」


 その兵は、一人の年若い少女が憤りながら駆けて来るのを見た。

 恰好からして魔鳥騎兵団見習い、つまり魔鳥の世話係のようだ。まだ見習いならまともかと納得する兵の横を、手に大量の布を持って駆け抜けていく。


「まず周囲を遮る様に布で囲って落ち着いて産卵できる環境を整えてやらなきゃいけないっていうのに! オロオロオロオロと役に立たない人達ばかりだ!」


 騎兵団には筋金入りの魔鳥バカしかいない事が判明した瞬間だった。

 それで落ち着くなら良いけど、と真顔で頷くしかない兵の目の前でテキパキと布が引かれていく。魔鳥とそのパートナーごとにグルリと布で囲まれたものが、訓練場に点々と出来上がった。

 布の中からは相変わらず自らの相棒を励ます声が響いている。シュールだ。


「ったく、魔法陣出した奴も何やりたかったんだか……」


 兵はがりがりと首元を掻きながらため息をつく。

 見る限りは魔鳥の腹痛にしか見えない。国の要である魔鳥が異常をきたしたとなれば一大事のはずだが、そうは見えないのだから仕方ない。

 阿呆なことをするなぁと、そう呆れていた時だった。訓練場を向いて立つ彼の後ろから近付いて来た影が、騒動の渦中へと足を踏み入れる。


「不審者……ッ……ああ、何だ、アリム殿下か」


 通り過ぎていった布の塊に咄嗟に声を上げかけたが、彼は直ぐに口を噤んだ。王宮を徘徊する布の塊の正体など一人しかいない。

 布の塊は気にすることなく、一つの布の囲いへと近付いていく。


「誰だ! あ、殿下か。失礼しました」

「怪しい奴ッ……あ、違った。すみません、アリム殿下」


 警備の兵や騎兵団らとすれ違い、驚かれながらも布の塊はとある布の囲いへと入っていった。

 それを見送りながら、しかしと兵らは思う。アリムが此処に来るのは良い。確かに危険は危険だが、国一番の学者と名高い人物が魔法陣の影響を調べるのは不思議な事ではない。

 だが彼が引き連れている人物がとてつもない違和感を周囲に抱かせる。


「何で一刀が殿下と居んだよ。おっとりさんとじゃねぇの?」


 リゼルは王宮の兵におっとりさんと呼ばれていた。


「良ーし、落ち着け、良いぞ。……そうか、お前も親になるのか」


 その布の塊とジルが入っていった囲いの中では、ナハスが自らの魔鳥へと声をかけていた。

 やはり一定の距離を取りながら、感情など無いような透き通った相棒の瞳をじっと見ている。そして、ふっと笑みを浮かべて両手を下ろした。


「お前の子は俺がしっかりとパートナーを選んでやるからな、安心すると良い」


 布の塊とジルは静かにそれを眺めていた。


「そうだな、あの見習いの少女なんか判断が的確で良いかもしれん。いや、でも魔鳥の手入れが苦手だったな。子供がメスだったら綺麗にしていて貰いたいだろう、別の奴が良いか」


 布の塊とジルは静かにそれを眺めていた。


「世話係のリーダーなんてどうだ、厩舎をいつも綺麗にしているし体力もある。んん、だがあいつはお前らを過信しているからな……無茶な乗り方をして振り回されちゃ大変だ」


 布の塊とジルは静かにそれを眺めていた。


「お、そうだ。去年現役を引退して魔鳥訓練士になった奴はどうだ。大ベテランで魔鳥の扱いも上手いぞ。ただ以前、やんちゃな小鳥の相手はもう出来ないと笑っていたし」


 布の塊とジルはその中だったらベテランが良い、若いのが良い、と勝手に話していた。


「俺が育ててやれたらな……いや、俺にはお前が一番だ! 信頼できる相手を必ず探す! だから安心して産」


 何となしに勢いよく振り返ったナハスは、いつの間にか背後に立っていた布の塊とジルを見て固まった。数秒の沈黙、それを破ったのはナハス自身の声だった。


「いつから居た!!!」

「『そうか、お前も親になるのか……』ってナハスさんがしみじみしてる所からです」

「やっぱりお前か!! 殿下はどうした!!」


 羞恥からか何時になく激しいナハスの問いかけに、布の中のリゼルは可笑しそうに微笑んだ。確かにアリムとリゼルでは身長差がある、やはり分かってしまったようだ。

 とはいえ基本は引きこもりのアリムなので、リゼルがこの格好でふらついていてもバレはしない。リゼルと交流があった故に、アリムと接点を持つ事になったナハスだからこそ気付いたのだろう。


「殿下はまだ書庫にいます。布だけ貸して貰いました」


 どうやら布を被るにも順番というものがあるらしく、アリムはせっせとリゼルに布を着付けてくれた。

 何らかの魔法効果があるのだろうが、リゼルもまだ魔力布に関しては勉強中だ。今の所は思っていたよりは軽い程度しか分からない。


「布をとった殿下は、何というか予想通りでしたよね」

「予想通りだったな」

「意外性は無いですよね」

「無いな」


 地味に気になる。ナハスはそう思いながらもハッと意識を切り替えた。


「いや、そんな事より何故ここにいるんだ。危ないぞ、書庫にでも避難していろ」

「魔鳥の様子を見に来たんです。でも、まさかの産卵騒動で驚きましたね」

「アホかと思った」

「俺達が本当に産卵だと思ってる訳が無いだろう!」


 とてもそうは見えなかったが。

 真剣に生まれて来る魔鳥のパートナーを選んでいたナハスへとリゼル達の視線が向く。ナハスはぐっと喉を詰まらせ、まぁ確かに多少動揺はしていたがと心の中で言い訳を零した。

 とはいえ、彼の言う通り本当に混乱していただけでも無い。ナハスは自らの相棒に気を配りながら、徐に口を開いた。


「……御客人が俺に聞いた事があるだろう。“人を傷つけた魔鳥はどうなるのか”、と」

「処分は免れない、でしたね」


 それは王都パルテダからアスタルニアへ向かう道中の事だった。

 魔鳥に関して興味のあったリゼルと、とにかく魔鳥語りがしたいナハスは良くそんな質疑応答をしていた。答えにくい質問だっただろうに、苦笑しながらも曖昧にすることなく答えてくれたのが他でもないナハスだ。


「空に一瞬だけ見えた魔法陣の影響なんだろう。今はうずくまって震えてるだけだが、いつ何が起こってこいつが暴れるか分からない」


 だからこそ布を使い外部から遮断する。何が起こっても、中が見えないように。

 例え魔鳥が暴走して自らを傷つけても、それを周囲が目にしないように。


「隠す理由は?」


 リゼルはゆるりと微笑んで問いかけた。その笑みが何処か嬉しそうなのは、返って来る答えが分かっているからだろう。

 ナハスが真っすぐにリゼルを見据え、そして告げる。


「こいつに向けられるものは最後まで、尊敬と愛情であって欲しいからだ」


 人を傷つけた魔物としてではなく、アスタルニアの守護者としての最後を。それはどこまでも相手の尊厳を尊重する言葉だった。

 魔鳥を庇護すべき対象ではなく、肩を並べる相棒だと誰より認める騎兵団だからこそ彼らはその時になれば迷う事は無い。己の役目に誇りを持ち、決して楽な選択肢に逃げず、しかしその時が来ないよう最後まで抗おうとする。


「貴方は強い人ですね」

「口だけだ、こんなもの」


 苦笑するように緩んだ口元を、ナハスは手で覆う様に隠した。


「それより、これで分かっただろう。早く殿下の元に帰って布を返して来い」

「ナハスさんは俺がただ布を自慢しに来ただけとでも思ってるんですか」


 正直状況を見に来るのを口実に自慢しに来たと思っていた、と後にナハスは語る。

 本当に様子を見に来るだけのような物見遊山をアリムが許可する訳が無いだろうに。リゼルは失礼なと苦笑しながら、ごそごそと前面の布をかき分けた。

 幾重も重なったそれを指先が通り抜け、そしてリゼルの両腕が露わになる。


「ジル、魔石貰って良いですか?」

「どれだよ」

「人魚の奴です。踏破報酬の」

「あぁ……」


 そんなものも有ったというように、ジルは当の魔石を取り出した。

 人の頭よりはやや小さい。しかし魔石としては異例な程に巨大なそれは、売る所に売れば金貨数百枚にもなる代物だ。

 魔石としての質も孕む魔力量も規格外、そんな魔石を軽々と持つジルは差し出されたリゼルの両手にそれを乗せる。


「落とすなよ」

「はい」


 魔石から手を離したジルは、しかし直後に下がったリゼルの両手を下から支える。相変わらず触れる手は熱く、しかし好きにしろと言うようにゆっくりと手を下ろした。


「落とすなっつってんじゃねぇか」

「思ったより力が入らなくて。もう大丈夫です」


 魔石といえど石には変わりない。大きさに相応しい結構な重さがある。

 言葉通りしっかりと魔石を両手で持つリゼルは、もう一度筋肉痛になったらどうしようかと密かに心配していた。熱の関節痛もある身としては死活問題だ。


「何をするつもりだ、御客人。見た目すごく怪しいぞ」


 ナハスは魔鳥を落ち着かせながらも思わず二度見した。

 布の塊。そこから覗く両手。そして両手に持つ完璧な球を象る魔石。誰がどう見ても、まごうこと無く怪しい占い師だ。逆にそうじゃなければ詐欺なレベルで怪しい。


「魔鳥をどうにかしようと思いまして」

「占いでか!?」

「占い?」


 しかしリゼル自身に自覚は無い。


「もうお分かりでしょうけど、この状況は一瞬だけ見えた魔法陣のものです」

「それは……そうだろうな。一体何がしたくてこうなったのかは分からんが」

「支配したかったんですよ」


 リゼルの言葉に、ナハスは顔を顰めた。

 それもそうだろう、愛する相棒を他者にかっさらわれて平常心でいられる者はいない。


「騎兵団の根幹となる魔法を上回りたかったみたいです。上書きって言えば分かりやすいでしょうか」

「そんな簡単に上書き出来るような魔法じゃないと思うが……」

「相性の問題ですし、仕方ないです。ただ命令を聞かせるだけなら友好より支配の方が簡単でしょうし」


 友好も、支配も、どちらが優れているなど無い。どちらもそれぞれに長所や短所があり、優秀な魔物遣いなどは上手く使い分ける事もある。

 ただ、大元にあるのが支配なのでそちらの方が手間がかからないというだけだ。しかし友好の方が手間がかかる分だけ命令に応用が利くので、どちらに特化するかは魔物遣いの好みと言うしかない。


「なら、こいつは支配されて……ッいや、それは無いか」

「そうですね」


 一人納得したナハスに、正解というようにリゼルも頷いた。完全に支配されていたなら、騎兵団を騎兵団足らしめる魔法は消失しているだろう。

 魔物は基本的に人間に情を抱かない。どれだけ同じ時を過ごしたパートナー相手でも、互いを結ぶ魔法が消失してしまえば魔鳥は躊躇わずに襲い掛かる筈だ。


「今は、騎兵団の魔法と魔法陣の魔法がごちゃごちゃに絡み合った状態みたいです。魔鳥もどうして良いか分からずプルプルしてるんでしょう」


 リゼルは手に持つ魔石を指先で撫でながら、ゆるりと微笑んだ。


「少なからず衝動はあるのに、耐えているのは貴方達の絆があるからです。落ち着いたら、たくさん褒めてあげて下さい」


 ナハスは目を見開き、そして誇るように笑った。

 ちなみにジルは、布の塊じゃ無ければ良いことを言っているのにと思っている。台無しだ。


「その絡み合ったっていうのが、ちょっと厄介なんですよね」


 ふいにリゼルが、魔鳥をじっと見ながら呟いた。

 良く良く見ると手元の魔石が薄っすらと光っている。そういえば先ほどから何か光っていたなと、ナハスは怪訝そうに問いかけた。


「どうしたんだ?」

「被せられた魔法を解除しようとすると、騎兵団の魔法まで取れそうで……えーと、こうかな」

「な……ッお前は!」


 ナハスは絶句し、そして口調を荒らげ何かを言いかけて止める。

 決して邪険にしている訳では無い。しかし誘拐の件を知らない彼にとって、リゼルは本当に今回の件とは全く関係がない人間なのだ。巻き込むわけにはいかない。

 しかしそう言い切ってしまうには、リゼルの恰好の意味に気付いてしまった。アリムが快く貸したというのなら、リゼルはリゼルとして関わらないという事で、アリムはそうする事が国の利益になると判断したという事だろう。


「(気付くやつは気付くだろうが)」


 ナハスがジルをじっと見る。何だとガラの悪い視線を返された。

 居場所などリゼルの隣しかないと言わんばかりの男を引き連れていては、意味など無いのではと思ってしまう。大事なのはリゼルが直接見られない事なのだから良いのだろうが。


「やっぱり俺じゃ魔力足りないなぁ……魔石から引き出す、よりは媒介にして増幅が……あ、こっちのが良いかも」

「お前その恰好でブツブツ言ってっと凄ぇ怪しいぞ」

「え?」


 ナハスは色々と言いたかったが、何とか堪えた。

 騎兵団の魔法を知ってるみたいな物言いをしているが一体どうなっているのか、そもそも空に現れた魔法陣の意図を何故悟っているのか、しかしアリムの姿を借りるならもうちょっとうさん臭さを何とか出来ないか、その他もろもろ。


「もう俺には良く分からんが」

「はい」


 ナハスは色々と考えすぎて頭痛が起こりつつある頭を押さえ、しかし仕方なさそうに笑った。そもそも彼は、頭を使うのが得意なタイプではないのだ。


「俺よりよっぽど先が見えるお前が、全て納得して動いてるならそれで良い」


 自らの相棒を助けてくれるなら喜ばしい。それどころか同じ状況に陥った同胞も救ってくれるというなら感謝しかない。それで良い。

 それがナハスの素直な気持ちで、何よりの願いだった。


「頼めるか?」

「勿論です」


 その布の向こうには穏やかな微笑みがあるのだろうと、そう容易に想像させる声と共に魔石の宿す光が強まった。ふわり、と幾重にもなった布が揺れる。


「だから、ナハスさんも断らないで下さいね」

「? 何がだ」


 魔石の表面に幾つもの緻密な魔法陣が現れ、重なり、溶け込むように消失し、それを何度も繰り返していた。分かるものが見れば感嘆の息を零すだろうそれも、魔法など良く知らないジルやナハスには全く理解が出来ない。

 魔石に向かって何やら祈るような様子のリゼルは、やはりただ全力で怪しげな占い師にしか見えなかった。


「この後、ナハスさんに全力で看病して貰おうと思ってます」


 ナハスは布の塊を凝視した。


「……具合が悪いのか?」

「見ての通り、すごく悪いです」

「見えんが」

「我慢してます」

「いや、布でだな……」


 言葉を疑う訳では無いが、言わずにはいられなかった。

 返答が微妙にずれているあたり、やはり相当具合が悪いのだろうか。我慢が出来るなら今すぐ倒れる訳では無さそうだがと、ナハスは魔鳥に視線を戻しながらも口を開く。


「別に看病ぐらい幾らでもしてやる。頼んだ側にしては図々しいかもしれんが、無茶はするなよ」

「図々しいなんて思いませんよ。それに、これは個人的な仕返しでもあるので気にしないでください」

「仕返し?」


 余りにもイメージと合わない言葉が出たことに疑問を覚えたナハスとは逆に、ジルは察したようにリゼルを見た。

 ジルはイレヴンと違い決定的な場面を見てはいない。ただ波風立たない静かな湖面のような心が揺らいでいるような、そんな印象は抱いていた。

 だからこそ、体調が悪くても好きにさせている。一言で言えば“さっさと憂さ晴らしして寝ろ”だ。


「これが仕返しっていうなら……おい、まさか魔法陣出した奴を知ってるのか!?」

「知ってるっていうか……」


 うんうんと魔石ごしに何やら作業していたリゼルが、パッと顔を上げた。


「その人達に監禁された所為で、風邪を引いたんです」


 直後、震えていた魔鳥は大きく翼を開きながら空を見上げ飛び上がる。

 その後周囲の面々が目撃したのは「そういうのは最初に言え!」などと憤るナハスと怪しい占い師と化した布の塊と一刀の三人組が、布の囲いから布の囲いへ移動しては魔鳥を飛び立たせていくイリュージョンもびっくりな光景だった。






「もう駄目です」

「だろうな」


 全ての魔鳥の妊娠疑惑を解消した後、リゼル達は書庫へと戻る為に王宮の廊下を歩いていた。まだ事態の収拾は付かないが、表向きはアリムの護衛としてナハスも同行している。

 まだ騒がしい訓練場を後にして、人通りのない書庫への道に入った時だ。リゼルは立ち止まり、ふっと体から力を抜いた。

 後ろへと倒れるだけの体は、しかし隣を歩くジルが差し出した手により背中が支えられる。もたれながら顔を覆う布を掻き分け、はふりと息を吐いた。


「んー……頭が痛くてくらくらします」

「あんだけ魔法使やそうなるだろ」

「そうなんですけど」


 抱えるぞ、と声をかけられ体が浮く感覚がした。

 リゼルは遠慮なくジルにもたれる。正直まだ歩こうと思えば歩けるが、今は楽に越したことはない。


「眠ィの」

「いえ」


 至近距離から零された低く微かに掠れた声に答えるように、リゼルはその首筋へと頭を預けた。今は自身の方が確実に体温が高いだろうに、触れた肌は酷く温かい。

 断続的なめまいを感じる頭が重く感じるも、伝わる体温に不思議と少し軽くなった気がした。


「思ったより熱が高そうだな……殿下にベッドを借りて、王宮医を手配して貰おう」


 案じるような声に、リゼルがナハスへと視線を向ける。

 リゼルから剥がした布をジルに渡されている彼は、その視線に気付いてどうかしたのかと目元を和らげた。看病を頼む甲斐があるというものだ、対病人用の優しさが全開だった。


『そういえば、皆さん魔鳥に名前って付けないんですね』


 ふと、魔鳥に対して色々と質問していた時のことを思い出す。

 正直、理由は想像がついていた。それでも質問をしたのは、それに対して騎兵団がどう考えているのか知りたかったからだ。


『まぁ、そうだな』


 あの時ナハスは、困ったように笑った。


『情が湧くだろう。いざという時に、な』


 リゼルの本質は貴族だ。

 貴族としての彼は、誇りを胸に己を律し、国に尽くす人間を好ましく思う。休暇中だろうと、知人であるナハスが最悪の事態に陥るならばと手を貸すぐらいには。

 いざという時が来なくて何よりだと、小さく微笑む。売れるだけの恩は売ったのだし、後はのんびりと看病されようと力を抜いた。今なら何でも聞いてもらえそうだ。


「他に何か欲しいものがあれば用意させよう。そうだ、薬を飲むのに何か腹に入れないといかんな」

「シャワーが浴びたいです」

「悪化するから止めろ! 後で蒸しタオルで髪と体を拭いてやろう、それで我慢するんだぞ」


 やっぱり駄目かと残念そうなリゼルを見下ろし、ジルは呆れたようにため息をついた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ここは何回読んでも泣けてしまいます… ナハスさんも、魔鳥騎兵団の皆様も、愛と覚悟がすごい。 初めて読んだ時には産卵騒動の混乱に笑いながら読んでいたけど 最後まで読んで一変し、2回目からはもう最初から涙…
ナハスの覚悟と愛情……! ケセランパサランの献身といい、動物モノに弱いです。 混乱しても人を襲わずに耐えた魔鳥さんたちも、そのパートナーにも、みんなを隠した見習いたちにも敬意を表します!
[良い点] 「こいつに向けられるものは最後まで、尊敬と愛情であって欲しいからだ」 『情が湧くだろう。いざという時に、な』 ナハスさんのこのセリフが涙腺を直撃しました。 お話全体を通してですが、言葉…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ