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115:ただ今調教中

 硬いベッドと肌寒さ、そして昨晩は早く寝たのもあり、リゼルは朝焼けが美しい時間に目が覚めた。

 勿論その朝焼けを臨めるような窓など無い牢屋の中では時間も分からないのだが。リゼルは薄い毛布へとくるまりながら、まだ開き切らない目で両手を拘束する手錠を見た。

 片手を少しだけ持ち上げるとチャリ、と鎖が音を立てる。手錠は初めてだなと寝起きのぼんやりとする頭で考えながら、冷たいシーツに両手を押し付けゆっくりと体を持ち上げた。

 毛布が肩から滑り落ちる。薄かろうと無いよりはマシだとそれを再び肩まで引き上げ、ベッドの上に腰かけたまま天井を見上げた。


「ふ……」


 深く息を吸い込むと、冷たい空気が肺を満たす感覚に思わずふるりと体が震えた。このアスタルニアで明け方とはいえここまで冷えるとなると、やはり地下通路なのかもしれない。

 風邪をひかないよう気を付けなければと思いながらベッドから足を下ろし靴を履く。そのまま立ち上がり牢の外を見ると、昨日と同じように鉄格子の隅で此方に背を向け座っている男がいた。

 奴隷スレイヴと呼ばれ虐げられるだけあって、座りながら寝るのは慣れているのだろうと顔を俯かせている姿を見て思う。ベッドで寝たとはいえ硬いベッドに若干体が痛い身としては、どうして熟睡出来るのかが不思議で堪らない。


「(無防備だなぁ……)」


 もし今リゼルが魔法を使えれば、その背に向かい放つのは容易い。ナイフを隠し持っていれば突き立てるのも容易だろう。やらないが。

 しかし、無防備なのも当然かと頷く。“戦奴隷”と、そう名乗った彼がリゼルの知るような存在だったのならばリゼルが自力で彼を傷つけるのは不可能なのだから。


『魔力、無い。体、頑丈。だから、奴隷』

『魔力の影響って受けますか?』

『? 無い』


 まるで鈍く光る刃のような鈍色の髪をパサパサと揺らし、首を振った彼は何処まで自分の事を知っているのだろうか。知らないからこそ、今この状況を甘んじて受け入れているのだろうが。

 そんな事を考えながら奴隷の男が座る檻の傍に静かにしゃがむ。


「(あ、これ立ち上がるの絶対痛い)」


 実は今、冒険者として立派に活動しボスの補助付きで肉弾戦を謳歌した代償にもの凄い反動に襲われていた。硬いベッドとの合わせ技でリゼルは人生初の筋肉痛を味わっている。

 もはや監禁など端に置いておくほどに痛い。特に内腿と二の腕が痛くて足も腕も満足に上がらない。

 でもこういう時は逆に動いた方が早く治るとジルが言っていたので、先程からリゼルはゆっくり静かに動いていた。しかし何故ジルが筋肉痛になった時の知識を持っていたのかが地味に気になる。なった事などないだろうに。


「それに、お腹もすいたし」


 昨晩から何も食べていない所為だろう。寝起きを脱してきた胃がぐぅ、と小さく音を立てる。

 リゼルは檻に凭れかかる褐色の背中を見て、起きてくれないだろうかと思いながら石畳の床を見下ろした。石畳が欠けたのだろう、転がっている数ミリ程度の小さな破片を幾つか摘まんで片手の掌に集める。

 そしてそれらの破片を目の前の背中にぺいぺいと投げ始めた。当たっても微かな違和感かこそばゆさがあるだけだろうが、それだけで充分な筈だ。


「…………?」


 ふいにもぞりと男が動いた。俯いていた顔が上げられ、ふいっと周囲を見回した後に此方を振り返る。


「おはようございます」


 手に乗せていた小石を払いながら、何事も無かったかのようにリゼルはにこりと微笑んだ。

 男はそんなリゼルを数秒の間じっと見ていたが、不思議そうにしながら一度頷いて前へと向き直ってしまった。そのまましなやかに体を動かし立ち上がろうとするのを、リゼルはしゃがみながら見上げる。

 そして、唇を開いた。


「返事、くれないんですか?」


 薄らと微笑みを描いた唇から零れた声に、男は立ち上がりかけた動きを止める。

 それは疑問というよりは促すような色を持っていて、疑問すら抱かせず極々自然と従ってしまうようだった。男は何故か分からないままに持ち上げていた腰をそろそろと下ろす。

 座りながらも此方を振り返る様子にリゼルはゆるりと目を細め、促すように小さく首を傾げながら再び挨拶の言葉を投げかけた。


「おはようございます」

「……おは、よ?」


 此方を窺う様に返された挨拶に、褒めるようににこりと笑ってみせた。

 それにぱちぱちと目を瞬かせる男をじっと見た後、一度頷いてリゼルは立ち上がる。もれなく体中の痛みが付いてくるのに、ジルやイレヴンは当然筋肉痛などとは無縁なのだろうと思いながら見上げてくる鈍色の瞳を見下ろした。


「引き止めてしまいましたね、すみません」


 男が知らず力の籠っていた体から力を抜くのを見て、そんなに身構えなくてもと苦笑する。


「お腹が空いたんですけど、食事って出るんでしょうか」

「聞く」


 尋ねると、一言で答えながら男は立ち上がった。

 恐らく信者たちに聞きに行って来るという事なのだろう。先程も起きてすぐ何処かへ行こうとしたあたり、自分が起きたら知らせろとも言われているのかもしれない。

 ならば丁度良かったとその背を見送りながらリゼルはベッドに近付き、腰かける。


「(従順すぎるなぁ……)」


 うーん、とリゼルは何かを考えるように手首を覆う手錠を撫でた。

 そもそも魔力の影響を受けないならば魔法だって彼にとっては何の脅威でも無い筈だ。ならば自らを奴隷としてこき使う信者ら、それこそ彼らが神と仰ぐ支配者であっても怖れるべき相手ではない。

 自らの特異性の意味を知らず、あるいは物心ついた時から刷り込まれた奴隷としての価値を信じ込んでいる所為かと思ったがそれだけでは無い。いや、そもそも前提がおかしい。


「(無理矢理こじつけてみたけど、支配者さんが手のかかる子供を所有するのが有り得ないし)」


 生まれ故郷も覚えていないとなれば、相当幼い頃に家族と離れたという事になる。

 そんな自分で自分の世話も出来ないような子供を引き取り(あるいは買い取り)、世話をするような人間にはとても思えない。支配者は勿論、その下の信者たちも同様だろう。

 奴隷と呼ばれる彼がリゼルの知る存在ならば、生まれながらの奴隷というのは有り得ない。どのように現状に至ったのかは知らないが、必ず何処かで彼を奴隷たらしめる何かがあったはずだ。


「(洗脳かなぁ……そっちの方はあまり詳しくないから断定は出来ないけど)」


 魔物遣いテイマーはそれぞれ魔物を従える術を持っているが、リゼルの世界では洗脳を軸にそれを行う者がいた。魔物遣いにしてみれば割とメジャーな方法らしいので、“異形の支配者”と称され魔物遣いの最高峰と称される彼が知らない筈もない。

 魔力を用いる洗脳の方が効果は高いが、そうでなくとも可能らしいので意図的に出自を忘れさせる事も出来るだろう。自らの存在のルーツを失った相手に奴隷としての立場を分からせるのは、然程難しくなさそうだ。


「(相手を選んで従わせるのは流石に難しそうだし、俺にも従順なのが納得……ああ、でも流石に優先順位はあるのかな)」


 自分より信者たちの命令を優先するのは当たり前か。

 ただ、それは洗脳によってというよりは刷り込みが強いのだろうが。長く厳しく自分を従えて来た相手により強く従うのはおかしい事ではない。

 出自を失えば言葉も曖昧になるかと、たどたどしい話し方を思い出して一人納得していた時だった。カツンカツンと靴が石畳を叩く音が近付いてくるのに気が付き、檻の外へと視線を向けた。


「随分と早起きだ。そのベッドは気に入らないか?」

「気に入らないって言えば、違うものを用意して貰えるんでしょうか」

「失敬……無駄な質問だったな」


 そう言って口元を笑みに歪ませたのは、昨晩言葉を交わした信者の男だった。昨晩は確かにその後ろにいた筈の何人かはおらず彼一人なので、他は寝ているのかもしれない。

 なら何故彼は起きているのかと言えば、恐らく寝ていないのではないか。支配者の弟子というなら魔法使いと同時に研究者の気質も持つのだろう、数日寝ない事に慣れていそうだ。

 信者は牢の前で足を止め、此方に視線を向ける。その後ろに彼を呼びに行った筈の奴隷の男の姿は無く、何処に行ったのだろうかと思いながら目の前の信者の男を見た。


「良い檻だろう」


 信者は愛でるように太くひたすらに頑丈そうな鉄格子を目でなぞる。


「元からあった無粋な檻に、私が魔法的処理を施した。隙間から指一本出すだけで激痛が走り、触れようものなら言うまでも無い……そうだろう?」


 まるで自らの世界に入り込んだように自画自賛する様子に、弟子は師に似るというが似過ぎじゃないだろうかとリゼルはひっそりと思う。

 正直リゼルとしては本人達が勝手に弟子と言っているだけで、支配者本人が特に何を教えるでもなく雑用程度にしか思われていないんじゃないかと予想しているのだが、しかし国付きの彼の傍に居られるならば優秀な魔法使いに変わりはないのだろう。

 目の前を遮る檻も随分と自信作のようだとリゼルは微笑み、肩を滑り落ちる毛布をゆっくりと引き上げた。


「そうだろうなと思って一度も触れてないんですが、凄いのが仕掛けられてたんですね」


 捕らえられた人間なら一度は必ず触れるだろうという前提で話していた信者が一瞬押し黙る。普通ならば取り敢えず触るのだから相手が悪いとしか言いようが無い。

 リゼルからしてみれば檻だけで充分出られないのだし、変なところでこだわるなぁとほのほの思いながら檻を上から下まで眺めた。先程小石が通ることは確認したので、魔力に反応する仕組みなのかもしれない。


「……我が師を貶めたのならば、そうでなくては」


 しかし信者は直ぐに歪んだ笑みを浮かべ、ふいに檻に手を伸ばした。

 その手はしかし檻に触れる直前で動きを止める。仕掛けは無差別に発動するようで、檻の隙間から手を伸ばそうと激痛が走るというならば例え檻の扉が開こうと同じ事だろう。

 ならば仕掛けを解かない限り脱出は不可能かとリゼルは頷いた。だって痛いの嫌だし。


「貶めた、なんて人聞きが悪いですね」


 そんな思考を一切外に漏らすこと無く、リゼルが苦笑する。

 彼が事あるごとにリゼルの価値を測るような発言をするのは、間違いなく己の師の為なのだろう。彼にとって神にも等しい存在である支配者が有象無象に挫かれるような事は偶然であってもあってはならない事で、リゼルを貶めようとする事は敬愛する師を貶める事になってしまう。

 どうやら合格は貰えているようだと、膝に置いた両手の指を絡ませながらにこりと笑う。


「彼ほど優秀な人なら、早々処分出来ないでしょう? なら、貶めたというほど彼が劣悪な環境にいるとは思えません」


 そもそも大侵攻に支配者が関わっている事自体が秘匿されるべき事だ。

 ならば狂信者まで存在するようなサルスの代表すべき彼を堂々と処分する事は出来ず、表向きは健在でいなければならない。それには定期的な研究結果の発表などが必要で、そして彼レベルの研究が出来るような者は他にいないのだから本人を動かさなければいけない。


「我が師の崇高な行いを理解出来ぬ愚鈍な者達により、師は城に幽閉され研究を監視され続けるという屈辱を受けている」


 少しは師の偉大さが分かるかと信者は満足気に、そして酷く陶酔したように天井を仰いでいた彼がばしんと両手で顔を覆った。その顔は、歓喜の笑みに彩られている。


「だが何という堂々たる姿よ!! ハイエナに餌をやるのも力ある者の義務だと! この程度のことは些事でしかないと! 真に変わらず研究を進める姿は師が絶対的な存在であると――――」


 高笑いと共に賛美を続ける信者へと表向きは同意するように頷きながら、リゼルは絡ませていた指を組み変えた。流石に指先ぐらいは動かしても痛みはない。

 堂々と処分出来ないというだけであって、実のところ支配者の処分など何とでもなる筈だ。隠居などの理由を付ければ彼が突然姿を見せなくなろうと民衆は納得する。訝しがろうと大侵攻の事実を知らねばいずれ納得するだろう。

 しかし国として優秀すぎる人材を失いたくない理由は確かに理解出来るのでサルスの対応も不自然ではない。手元に置いてその魔法技術を独占できるならば最高だ、支配者の言葉を聞く限り彼もそれに気付いているようだが気にはしていないらしい。


「(国付きっていうなら元々そんなものだろうし、今までと特別変わらないから良いのかな……今までと変わらないとか、伯爵が怒りそうだけど)」


 商業国マルケイドへの被害に対し怒りを溜めこんでいるシャドウがその程度の処分で納得するとは思えないが、大侵攻の発生自体が意図的であるという証拠も無ければ全責任を支配者に被せることも出来ないだろう。

 ならばやはりこの辺りが落とし所か。レイからこっそりと聞いたが支配者に特別処分が向かない分、交易関係でペナルティを与えたお陰で多額の利益が出るのでシャドウも多少怒りを鎮めるだろう。


「(変わらない水準で研究を進められるなら、少し危ない気もするけど)」


 問題は、支配者へと付けられた監視が何処まで監視の役割を果たせるのかという事だ。腐っても国一番の魔法使いの研究内容を完全に把握出来ない事があれば、彼が隠れて何かをしようと気付けない。

 逆恨みとかされていたら嫌だなぁと、はふりと息を吐く。少しだけ気になるが恐らく目の前の信者からは何も探れないだろう、なら良いかと思う程度には興味が薄い。

 そこでとりあえず思考に切りをつけ、未だ自らの師を讃え続ける信者の男へと意識を向ける。


「そんな我が師が言っていたのが、貴様だ」


 直後、天を仰いでいた信者がぐるりとリゼルを見た。

 ようやく自分と関係がある話題になるようで、良いタイミングだったみたいだとリゼルは微笑み続きを促すように首を傾けてみせた。


「師が作りだした至高なる魔法を、不作法にも乗っ取ろうとした者がいると……」

「不作法なんて、初めて言われました」


 可笑しそうに笑うリゼルに、信者は淀み切った瞳を歪めた。


「だから、私は貴様を捕らえたんだ」


 信者がふいに勢いよく檻へと掴みかかった。ガァンッと檻が揺れると共に、バチバチと何かが爆ぜる音が牢屋内に響き渡る。

 檻を握る信者の両手の周りで白い光が爆ぜ続ける。それは見るからに激しい痛みを与えているだろうに、彼は痛みなど感じていないかのように内に秘める何かを耐えるよう手に力を込めていた。

 それをリゼルは、少しの驚愕すらなくただ静かに微笑んだまま見ている。信者の唇が愉悦の笑みを刻んだ。


「私は貴様の事を些細な事でも師に報告した。師に献上出来るものならば、何であろうと差し出すからだ。私の報告で唯一尊き研究の手を止めるのが貴様に関することだからだ」


 それはまるで、奥深くにあるものを吐き出すような声だった。

 バチバチと檻により与えられる痛みに彼の手は力を失い震えているが、それすら気付いていない様子で言葉を吐き出し続ける。歓喜か、嫉みか、怒りか、憐れみか、それはもう彼本人にすら分からなかった。


「アスタルニアに渡ったと、私が報告した時に師が何とおっしゃったと思う……不愉快だと!!」


 ガンッと信者が額を檻へと打ち付けた。


「この国の! 魔物遣いらが不愉快だと! 以前から不愉快に感じていたとおっしゃった!!」


 バチンッと額で白い光が爆ぜた反動で信者は後ろへ吹き飛ぶように後退する。

 よろよろと後ずさった信者はドンッと背中を石壁へと打ち付けうなだれた。その両手は力無くぶら下がり、壁にもたれながらも意識をはっきりさせるようにフラフラと頭を振る。

 そしてリゼルに語りかけているのか自らに言い聞かせているのか、ポツリポツリと口を開いた。


「我が師を不快にさせる存在に、今まで気付かずいたなど、許される事では無い……いや、師以外の従属魔法は全て、師を愚弄するものであり、許されるべきでは無いんだ……ああ、もっと早くに言って下されば、私は直ぐにでも……」


 信者がゆらりと顔を上げる。淀んだ目は見開かれ、真っ直ぐにリゼルを射抜く。


「だから滅さねばならない」

「何を?」

「魔鳥騎兵団を」


 透き通るような清廉な声に静かに告げられ、信者は躊躇いも無く答える。

 真っ直ぐに向けられる高貴の色を見せる瞳に自然と唇が歪むのが分かる、それは間違いなく狂喜だった。目の前の男が、想像以上の価値を持ちそうだと確信を持ったが故の狂喜。


「我が師の魔法が至上であり唯一である事を、私が証明してみせよう。ただ、その時に師の魔法を食い荒らした貴様がいると邪魔なんだ」


 彼は知っているのだろう、自らの魔法が支配者に及ぶべくも無い事を。

 だからリゼルが邪魔だった。どうやったのかは知らないが信者がこれ以上無いと思った師の魔法を乗っ取った相手が、これから彼がしようとする“魔鳥騎兵団への粛清”を妨害出来ないという事があるだろうか。

 冷静というよりは、目的への障害を排除するのが徹底されている。支配者のやり方を至上と称するだけあって、それは良く似ていた。


「だから、此処で黙って見ていると良い」


 信者は歪な笑みを浮かべて片手を胸に添え、もう片手をゆるりと持ち上げて見せる。それはわざとらしい程に仰々しい歓迎のポーズだった。


「粛清が終わり次第、貴様をサルスに招待しよう」


 敬愛する師に、最上の献上品を贈る事に対する狂喜が彼の全身を支配する。

 目の前の清廉な男を差し出せば果たして師はどうするのだろうか。殺されるだろうか、それとも生かされるだろうか。

 どちらにせよ羨ましい事だと信者は恍惚の息を吐き、その吐息のままに笑いを零しながら牢屋に背を向けその場を後にした。







「情緒不安定な人ですよね。あれだけアップダウンが激しいと疲れないんでしょうか」


 リゼルは檻の前に座り、パンを千切りながら平然と言った。

 とりあえず今すぐ殺されない事だけ分かれば良い。命の危険が無いのであれば気が楽になるもので、言いたい事だけ言って去って行った信者を余計にお腹が減った気がすると思いながら見送っていたら奴隷の男が食事を持って来てくれた。遠慮無く頂いている。

 食事は別に虐げられていると感じる程のものでも無かった。パンも柔らかくて普通に美味しいし簡単なものだが果物も付いて来て、質素だが普通に食べられる。

 それもそうだろう、人質や奴隷用にわざわざ質の悪い食材を用意するなど手間がかかるような事はしまい。


「この食材ってアスタルニアのものですよね。買いに行ってるんですか?」

「?」


 鈍色の髪を揺らしながら首を傾げた奴隷の男は、やはり何も知らないようだった。

 残念、と思いながら千切ったパンを口に入れる。イレヴンじゃないが正直これだけでは物足りないと思うものの、貰えるだけマシなのだろう。

 これで信者たちが良いものを食べていればマシなどとは一切思わず確実かつさり気なく手に入れてみせるが、研究者気質な信者らは食に執着しないだろう。腹が膨れれば良いと同じような食事をとっている筈だ。

 目の前の奴隷の男は果物が無くパンだけのようなので、多少は優遇されているのだろうか。男はその与えられたパンを二口三口で食べきっている。


「一つ、どうですか?」


 それを見て、リゼルは果物の乗る皿を差し出した。

 四等分されているのは微かな甘みとしっかりとした果肉を持つ果物で、普段は硬い皮に覆われている為に比較的保存が利くとされている。地下の涼しさを思えば傷みもしないだろうと、差し出したままの皿から一切れ手に取った。

 問いかけにピクリと体を動かし、じっと皿を見る男の前でそれを口に含む。一口齧り、もぐもぐと口を動かしながら促すように見ると男がそろそろと手を伸ばした。

 その手が檻へと差し込まれ、差し出された果物へ指先が触れる。どうすればいいか分からないというように一瞬だけ離れた指は、しかし恐る恐る一切れ摘まんで檻の外へと引き抜かれた。


「やっぱり影響が無いんですね」

「影響」

「そう、影響。檻を越えてもビリビリしないでしょう?」


 先程食事のトレーを持って檻の扉を開けて普通に入ってきた時も思ったが、まるですり抜けるような仕草でも信者が誇らしげに語っていた仕掛けは発動しない。

 慎重な割にパクリと一口で果物を食べてしまった男は、口をもぐもぐ動かしながらもこくりと頷いた。何を言っているのか分からない様子なのは、それが当然の事だからなのだろう。


「しない……」

「ん? 多分、君が魔力を持たないからでしょうね」


 つまり、この檻を越えられるのは目の前の男一人という事だ。これほど強力な魔法ならば易々と解く事も出来ないだろうし、信者曰くリゼルをサルスに連れて行こうとするまではこのままだろう。

 自らも決して出られないが、信者らも入って来れないというのは大きい。考えながらパンを千切ってはもぐもぐ食べるリゼルを見て、男は不思議そうに檻をつついている。


「魔力、無い……奴隷、だから?」

「奴隷は関係無いですよ」


 最後の一口を食べ終え、リゼルは穏やかに言い聞かせるような声で言う。

 どうにも彼は魔力が無いイコール奴隷のように思っているようだ。魔力が無いことは特異ではあるが決して劣っている証では無いのだが、周囲を魔法至上主義者達に囲まれ常識のように語られた所為なのだろうか。


「そんな事言ったら、ジルだって奴隷になります」


 使えないのなら無いのと変わらないだろうと、リゼルはほのほの笑った。

 本人が聞いていたら苦虫を噛み潰したような顔をしそうだが、いないのだから遠慮は無い。


「誰?」

「んー……そうですね」


 短い鎖に繋がれた手で水の入っている瓶を持ち、グラスが欲しいと思いながら直接口を付ける。

 冷たい水が喉を通り抜けていく感覚に目を細め、ゆっくりと唇から瓶を離した。小さく息を吐いて、さて何と言えば分かりやすいだろうかと視線を流しながら濡れた唇を指でなぞる。


「最強って言われてる冒険者です」

「最、強」


 ふいに、彼の声が孕む金属をすり合わせるような微かな音が強まった気がした。

 リゼルがそちらを見ると、男はじっと自らの手を見下ろしている。手の甲にも及ぶ鈍色の入れ墨を爪を立てるようになぞり、しかし傷一つ付かない肌を見るその瞳は何かが違うと言うように揺れていた。

 その様子をそっと眺め、リゼルは意識を取り戻すように優しく呼び掛けた。


「どうしました?」

「ぁ……」


 パッと顔を上げた男は、一瞬で我に返ったようだった。パチパチと目を瞬かせる姿に先程までの心此処にあらずの様子は無い。

 何でもないと首を振る男に、ならば良いと微笑む。そして何かを聞いても良いかと言いたげにじっと見られたので、幾らでもどうぞと頷いてみせた。


「冒険者、何?」

「自らの腕っ節ひとつで道を切り拓くような、自由と浪漫に溢れる職業です。楽しいですよ」

「腕っ節……」


 男はじっとリゼルを見た。

 清廉で穏やかな笑みを浮かべる顔から、華奢では無いものの細い首。装備を脱がされ薄着となった肩から腰までを辿り手錠に繋がれた手首へと視線が落ちる。

 楽しいですよ、と言った。ならば目の前の人間も冒険者なのだろうか。しかし耳から入って来る冒険者の情報と視界から入って来るリゼルの容姿がどうにも一致しなくて彼は微妙に混乱している。


「お前、冒険者?」

「貴方」

「?」

「貴方、です」


 リゼルの言葉の意味が分からず、男は首を傾げる。


「お前、冒」

「貴方」


 分からないのでそのまま話を進めようと思ったが遮られた。彼はどうすれば良いのかとうろうろ視線を彷徨わせる。

 リゼルは普段どんな呼び方をされようと気にしない、自分をどう呼ぼうと相手の勝手なのだから。それは数ある選択肢の内で相手が選んだ呼び方であり、自分をどう思っているのかを測る目安にもなる。

 しかし男は他の呼び方を知らないだけだ。ならばと訂正してみたが、その上でお前呼びが良いのならリゼルは何も気にせず受け入れる。


「……貴方、冒険者?」

「はい、そうですよ」


 褒めるように微笑んでみせると、男は安堵したようにパッと顔を上げる。

 彼にとっては同時に冒険者の定義が一層良く分からなくなったのだが、気にする事なく冒険者について色々話してくれるリゼルに流されて最終的に忘れた。






 時間の流れが分かり辛い牢屋の中なので確証は無いが、どうやら二時間おきに信者らが巡回で現れるようだ。

 彼らが近付く気配を察すると奴隷の男は昨晩の見張りの時と同じように、檻に凭れるように向こうを向いて座る。リゼルと話し始めて最初の巡回に来た男に激しく罵倒され、回収する筈の食事のトレーが割れる程に殴られた為だ。

 彼にとっては特に痛くも無いことだったが、怒られたなら駄目な事なのだろうと判断したようだ。命令に従うように黙ってしまう彼に、リゼルがバレないように内緒でと誘う事に成功したのは言うまでも無い。


 昨晩、連れて来られた時に見たのは傲慢な信者を中心に三人だった。

 しかし巡回の顔ぶれを見ているとそれ以上の人数がいるらしい。彼らの目的を考えれば、食材の調達や設備の整備を含め十人以上いるのではないだろうか。

 流石にそれを奴隷の男に聞く訳にはいかない。もしかしたらあっさりと話してくれるかもしれないが、その分彼が信者にも問われるままにリゼルと話した事を伝える危険性もある。

 傲慢な男がやはりリーダー的な存在のようで、他の信者も皆同じような格好をしていた。巡回に来た信者らはある者は嫉妬を剥きだしにし、ある者は一瞥の元去って行き、ある者は嘲りを隠さぬ様子だったのでリゼルをサルスに連れて行くのは全員賛成という訳ではないのかもしれない。


「(つまり、この件は支配者さんの指示じゃないってこと)」


 もしそうなら狂信者の名に相応しく一糸乱れぬ目標を持つだろうと、リゼルは抱えた本を見下ろしながら思う。昼食も食べ、さてどうしようと思っていた時に訪れた傲慢な信者相手に駄目元で頼んでみたら意外にも叶えて貰えたからだ。

 しかしこれはどうなのか、とまじまじと本を見下ろしているリゼルに相変わらず床に座り込んでいる男が首を傾げる。話す時はリゼルも床に毛布を敷いて座っているので、彼は上体を屈めてリゼルの手元の本を覗き込んだ。


「何、書く、ある?」

「何が書いてあるか、ですか?」


 どうやら文字は読めないようだ。こくりと頷く彼に、もう一度本へと視線を向ける。

 そして渡された七冊の本を毛布の上に置き、四冊と一冊ずつを三つに分けた。


「この四冊が、支配者さんの研究書です」


 四冊積まれた本達を指差す。その内の二冊はリゼルも読んだ事があるが、本が四冊とも乱暴に扱われた訳では無く幾度も繰り返して読まれたが故に傷んでいるのが気になる。

 後は、と一冊ずつ置いた本を順番にてんてんと指差していく。


「“異形の支配者と呼ばれる人”、“魔物遣いの最高峰とは”、“異形の支配者研究書考察”です」

「?」


 濃い。


「これの著者って信者さん達だったりしないんでしょうか」


 リゼルはぱらぱらと簡単にページを捲る。

 三冊の内前者の二つは支配者の偉業を讃えるものだ。主観が入り過ぎていっそ面白い、信者が書いた説が非常に濃厚になってくる。

 そして最後の一冊、“異形の支配者研究書考察”が一番面白そうだ。何せ事あるごとに添削・添削・添削、黒いインクの上を走る赤のインクが次々に考察に対して駄目出しをしている。

 これは絶対支配者に直接関係の無い人が書いた、と思いながらパタンと本を閉じる。無いよりマシだろう。


「一緒に読みますか?」

「読む、無理」

「もし良ければ俺が読み上げますけど」


 奴隷の男は本とリゼルを数度見比べ、そしてもぞりと体を揺らして少しだけ檻に寄った。

 それを見てリゼルは微笑み、“魔物遣いの最高峰とは”を手に取る。見る限り支配者に対する歴史書のようなものなので、どれ程長く奴隷として扱われてきたのかは知らないが彼にも覚えのあるエピソードがあるだろう。

 誇張してある所があれば是非教えて貰おう、そう思いながら本を開く。リゼルは檻から少しだけ離れているので、男は檻を避け本を覗くように体を傾けた。


 直後、開始一ページ目にあった支配者の自画像にリゼルが噴き出して、彼はびくりと肩を跳ねさせる事となる。

 監禁生活一日目の牢屋の午後は、何とも似つかわしくない和やかさで過ぎて行った。



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