112:癒されたのとブチ折った
パルテダールという国を代表する王都パルテダ、その南には国の名を持つほどの大都市がある。古今東西あらゆる品が集う商業国は、今日も商人たちの客引きの声で賑わっていた。
その中を、周囲の魅力ある品々に一切気を取られること無く歩く壮齢の男がいる。艶やかな闇色の髪と思慮深さを感じさせる赤い瞳、濃い隈の居座った目つきは決して良くは無いが、それすら完璧なパーツの一つと思わせる程に彼の相貌は美しかった。
だが、確実に目を引くだろう彼へと視線を向ける者はいない。全くいない訳ではないが、それら全てがただ何となくすれ違う人間へと向ける視線に過ぎなかった。
「……」
そしてそれらを当然と受け止めながら、シャドウはかけていた眼鏡を押し上げた。
仕事に追われる彼の唯一の息抜きがこの視察だ。眼鏡のお陰で大侵攻の際に姿を現したと言うのに以前と同じように動けるのだから、口には出さないものの感謝している。
時折見渡す町並みはシャドウが思い描くものと差は無く、不法な出店などが無いようだと事務的に確認を終えた。そして今日は迷宮通りを通って戻ろうかと路地を曲がる。
迷宮通り、というのは様々な商品が集まる商業国において迷宮品を扱う店ばかりが集まった通りだ。売り手にも買い手にも比較的冒険者が多いのが特徴で、必然的に治安が悪化する可能性もある為に注意しておかなければいけない。
「……、……ッ!!」
ふいに怒鳴り声が聞こえたような気がして、シャドウは微かに眉を寄せ足を止める。
わざわざ自分が関わり合う必要など無いのだが、遭遇したのならば見ておいても良いだろう。とはいえ、この通りでは買い取り交渉で声を荒らげることなど珍しくない為に野次馬もおらず、商品を眺めるフリ程度はしなければいけないが。
迷宮通りには憲兵の巡回を増やした方が良いか、しかしそうすると冒険者ギルドからの反発が来るかと考えながら喧騒の聞こえる店へと歩を進める。そして数々の絵画が並ぶ棚の前に立ち、言い争っている冒険者と商人へ意識を向けた。
「商業国なんてのはこんな節穴な商人ばっかかよ、ァア!?」
聞こえた声と目に入った物に、聞く価値はありそうだとシャドウは素知らぬ顔で並べられた絵画へと視線を落とした。
アインのパーティは今、勢いに乗っていた。彼らがそうなれたのには理由がある。
元より若いながら力のあるパーティで先が楽しみとも言われる事があったが、しかし力量に比べるとその評価も高くはなかった。その理由を周囲の冒険者は「あいつら馬鹿だからなぁ……」と言う。
今は“知恵の塔”と呼ばれるかつての新迷宮の初踏破を成し遂げようと、迷宮の踏破は彼らの持ち味であるノリと勢いと根性で奇跡的な幸運が舞い降りたのだと思われている程だ。ようは、謎を解かずともひたすら身体を動かせばなんとかなる系の仕掛けが続いたのだろうと判断された。
しかし彼らが今勢いに乗っているのは冒険者ならば悔しながらも誰もが認めている。
元々それなりの実力はあるが若い冒険者にありがちな力押しの戦法は、初踏破で手に入った金貨の山で揃えた上級装備によって有効な戦法となった。深層で戦うにはまだ実力が足りないが。
また頭で考えるより前に先に身体を動かしていた彼らが、一応は考えるようになった。考えた結果ナナメ上に突っ走る時もあれば、結局は動いた方が早いと言う結論に達する事も多いのだが。
その為、少しばかり無茶な依頼を受けようと達成することが可能になる。そうなるとランクアップも望めるようになる。アイン達のパーティは既に全員がCランクへと上がっていた。
これほどの勢いに乗る切っ掛けは、ただ一人によって齎された。今思えば分かりやすく導くような取引を、迷宮踏破のカギとなる知恵を、そして良く分からない迷宮品を自分達に与えてくれた人。
「リゼルさんが載ってる絵画が金貨十枚とか舐めてんのかゴルァァアア!!」
が、載っている絵画を手にアインは店の店主を脅していた。
アインにとっては決して脅してはいない。正当な主張をしている。だが周囲から見ればどう見ても脅しているようにしか見えない。
「いやでもお客さん考えても見て下さいよ。絵画の相場、聞いた事ないですかね? 大体は下は銅貨一枚から上は金貨一枚、一刀と珍しい蛇の獣人もいるっつうからその十倍まで上げてやったでしょう?」
商人はそんな冒険者の主張に慣れているのか、難しい顔をして絵画を見下ろす。
商人としても目の前の絵画に価値があることぐらいは分かる。何せ冒険者の中では最強と呼ばれる一刀がほとんど顔の見えない角度だが映り、その存在自体が滅多にいない蛇の獣人が頬の鱗をこちらに向けた横顔で映っている。それだけなら金貨五十枚でも売れそうだ、だからこそ仕入れは金貨十枚程度が望ましい。
しかしその真ん中で一刀を向いている、絵画越しにも品が感じられそうな穏やかな男が分からない。場所は迷宮内に違いはないのだが冒険者でも無いのに何をしているのか。それがプラスになるかマイナスになるか、そもそも高値がつく迷宮絵画は危機迫る迫力を持つものばかりなのだから、穏やかさを感じられる男は完全な場違いとして迷宮絵画としての価値からは外れるのでは無いだろうか。
「そうなると、金貨十枚でも赤字覚悟ってとこもあるんですよ」
「赤字になる訳無ぇっつってんだろうが、分かってねぇなぁ! 見ろオラ!」
ビッとアインが絵画を指差す。その指先が絵画に押し付けられそうになり、商人は駄目にされては敵わないと急いでその腕を引きはがした。
「全員濡れてんだろ、何でか知らねぇけど頭から水被ってんだろ、これだけでその倍は行くだろ普通!」
「普通冒険者が迷宮内で水被っても汚ぇだけなのにこの人達色気凄ぇだろうが!」
「俺らならドロッドロだぞ! マジベッタベタだぞ!」
共に来ていたパーティメンバーも納得がいかないとばかりにアインを擁護する。
ちなみにアインがこの絵画を見つけたのは罠の宝庫“不可侵の迷路”だ。リゼル達は普通に罠にかかって水を被ったのだが、アイン達はまさかそんな筈無かろうと何故か分からないがなどと言っている。
握る度に水の染み出る手袋をジルは不快げに脱ぎながら片方を口に咥え、水を含んだ服を嫌そうに搾るイレヴンは腹が丸見えで、濡れて張り付く装備を剥がすように苦笑したリゼルが襟元を指で広げている。迷宮絵画は髪から滴る水滴や肌を伝う水すら詳細に写し出し、アイン達同性から見ても色気があると断言出来るような三人になっていた。
「しかも見ろオイ! リゼルさんの服ちょい襟元緩んでんだぞ、俺あの人の寝起きだろうと服が乱れてるとこ見た事無ぇからすげぇレア! これだけで更に倍だろうが!」
「そんな無茶言われてもねぇ」
商人は迷宮絵画を取り扱っているだけあって、冒険者の事もそれなりに知っていた。絵画に映る冒険者が有名な程に絵画の値段も上がるのだから当然だ。
しかし目の前の男が自信を持って主張するリゼルという冒険者のことを彼は知らなかった。冒険者というのなら最近良く聞く貴族のような冒険者であるのだろうか、ならば知名度的にそれなりの値段は付くだろう。
「なら金貨十五枚で買い取りますよ」
「舐めんな百枚じゃねぇと売らねぇよ! こんのド素人!」
「なっ……」
アイン達もただ金が欲しい訳じゃない。いや金は喉から手が出る程に欲しいが。
しかしそれ以上にリゼル達の絵画を安くやりとりしたくはなかった。彼ら自身もどう言って良いのかは分からなかったが、言うならば“それ相応の扱い”をするべきだと思っている。
相手が何をどう思って金貨十五枚と言っているのかなど分からないが、本当に十五枚だと思っているならばド素人にも程があると一発殴ってやりたいし、本来の価値を知った上で自分達を騙し安く買い取ろうと思っているのならば、まるで価値を分かっていないとやはり一発殴ってやりたい。
恩人を蔑ろにされて黙っていられる程にアイン達は大人しくないのだ。
「あのですね、お客さん。親切で言っとくけど、うち以上の値で買い取ってくれるようなトコは商業国に無いですよ。それならうちで」
ならばもう良いと、アインが苛立ちを露わに怒鳴ろうとした時だった。
「節穴だと言われても仕方が無いな」
ふいに挟まれた声に、アイン達と商人は弾かれたように隣を見る。
そこには眼鏡を外し、胸に差し込む一人の男がいた。すっと絵画に向けられる視線は研ぎ澄まされ、その相貌は壮齢ゆえの色気を孕む美貌を湛えていた。
そんな人物が今まで隣にいた事に気付かなかった事に驚愕の視線が向けられる中、男は――シャドウは絵画に向けていた視線を商人へと移す。その刺すような視線に、商人は節穴と言われた事に対する文句で開きかけた口を閉じた。
「優秀な者ばかり集める気も無いが、この街の名を傷つけられては不愉快だ」
忌々しそうな鋭い舌打ちと共に零された言葉に、商人は何かが引っ掛かった。
ここまで彼が気付かないのも無理は無い。大侵攻の際にシャドウが顔を見せたとはいえ、それは激戦区であったこの街の西門で非戦闘民は完全に人払いをされた場所だったのだから。
噂でその相貌が出回ろうと、実際に見た事がなければ目の前にいるその人物がこの街を統治する領主だとはすぐには思い付かないだろう。
「おい」
「な、何だよ」
ふいにシャドウが呼び掛けると、アインは負けじとガンをつけるように睨み返して来た。
それを気にせず懐から一枚のカードを取り出す。それはギルドカードに似ていた。
「今は百枚など持ち合わせがない。用意させて置くから後で取りに来い、通行証だ」
押し付けるように渡されたそれを、アイン達は全員でまじまじと覗き込む。
話について行けてないが、何だか本当に金貨百枚で買い取ると言っているように聞こえるのは気の所為だろうか。アイン達とて百枚に相応しい絵画だろうとは思っている。思っているが、まさか実際に金貨百枚を手に入れられるとなると頭がついて行かない。
というかカードにマルケイド領主館と書いてあるのが理解出来ない。
「案内役に金を持たせるから絵画と交換で受け取れ。それまでに決して傷は付けるな。全く……商人より冒険者の方が見る目があるなど笑えんな」
忌々しそうにそう呟き眼鏡をつけながら去って行くシャドウを、アイン達はただポカンと口を開けて見送る事しか出来ない。数秒遅れて真相に気付いた商人は、憧れるべき商業国の領主を見た興奮と晒してしまった失態に顔を赤くしたり青くしたりしている。
アインは手に持つ絵画を取り敢えず慎重な手付きで仕舞いこみ、そして再びカードを見下ろした。普通ならばまさか本物の領主だとは思わないだろうが、しかし今回ばかりは納得せざるを得ない。
「リゼルさんの知り合いっぽいしな……」
「あの人なら領主に知り合いいても不思議じゃねぇし」
「いっそ領主じゃねぇと納得できねぇ感がある」
アイン達はそう口々に自らを納得させ、さて金貨百枚でどう遊ぶか女だ女だと全力で盛り上がっていたが、リゼルの絵画を売った金で遊ぶことに全員もれなく罪悪感を覚えた為に最終的に装備を充実させる方向に落ち着いた。
その頃のリゼル達は。
「行くぞ、野郎共! ……あ、書庫に戻されました。一字一句ノーミスだった筈なんですけど」
「盛大に役がミスってただろうが。凄ぇ楽しそうだったけどなお前」
「海賊の船長役とかリーダーじゃ無理っしょ。あ、でも衣装は意外と似合ってた気もする」
「それを言われると俺じゃどうしようもないんですけど」
“人ならざる者達の書庫”において十階おきに置かれている巨大本の攻略に苦戦していた。
その店は王都パルテダにおいて大衆向けよりもう少しだけ良い立地にあった。
店先では“鑑定に自信あります”と自信なさげに書かれた小さな看板が穏やかな風に揺られ、今も鑑定を終えたらしい冒険者らが満足げにその扉を潜り去って行く。
有難うございました、と声をかけそれを見送ったジャッジは小さく息を吐いて背筋を伸ばした。鑑定は集中する分、肩がこる。
さて荷物の仕分けも陳列も済んでしまったし、今日の予定は後何があっただろうかと考えながら鑑定台の上を片付ける。その時、ガンガンと扉を蹴りつける音が聞こえた。
いや、攻撃として蹴りつけている訳では無く恐らくノックなのだろう。知り合いにそんなノックの仕方をする人はいない筈だがと、ジャッジは眉を下げながら扉を開いた。
「まいどー、回復薬お届けに………」
そこにいたのは、ツナギの似合う美女だった。職人らしくその頬は何かで汚れている。
女性にしては逞しい腕で回復薬の入った木箱を片手で肩に担ぎ、もう片手には配達票なのか届け先のメモなのか何かの紙束を握っている。両手が塞がっていたのかと少しだけ安堵するジャッジを目をかっ開いて見ているのは、肉欲系女子の名を欲しいままにするメディだった。
「あ、有難うございます。でも、いつもの親父さんは……あの……?」
「敬語……モノクル……鑑定……知的……」
何かをブツブツ呟く姿にジャッジはびくりと肩を跳ねさせる。
ガン見されたまま荷物だけを手渡され、恐る恐る回復薬を受け取った。扉の前で仁王立ちし続けるメディがひたすら恐ろしいが、とりあえず納品の確認だけを終えて鑑定台の上に回復薬を置く。
後は伝票にサインしなければ、と恐る恐る振り返るとメディの瞳がカッと限界まで見開かれた。再びジャッジの肩が跳ねる。
「でも背がでけぇ!!」
「えっ、ご、ごめんなさ……っ」
「でかすぎても体格良すぎても駄目なんだよ、押し倒しにきぃから……でもアタシより低くても細すぎても駄目なんだよ、泣かせた時に弱いモン苛めしてるみてぇだし……惜しいなぁちくしょう、久々の知的穏やか系だと思ったのに!」
上から下まで舐めるように見られながら悔しげに吐き出された言葉にジャッジはもはや半泣きだ。
しかし、ふとその涙の溜まる瞳を瞬かせた。もはや何を言っているのか分からないメディの言葉を必死に反芻すると、そうしたくも無いのに一人の人物が浮かびあがって来る気がする。
大体このくらい、と喉元に掌を水平に構えてその身長を思い出す。知的、と綺麗な姿勢で本を読む姿を思い出す。穏やか系、とその高貴な色を孕む優しくて甘い瞳を思い出す。戦慄した。
「(リゼルさんに、会わせちゃいけない……!)」
ジャッジは固く決意した。
「インテリさんドストライクだったのになぁ……金積んでも良いから帰ってきたら一晩好きにさせてくんねぇかなぁ……」
会ってた。
「(一晩って……ひ、一晩、って……え、そういう……)」
まるでロマンを追い求める男のような目をして、店の中だというのに堂々と何処か遠くを見るメディにジャッジは視線を彷徨わせる。言い方からして彼女の言う“インテリさん”がリゼルだということは疑いようもなく、もはや冷や汗すら浮かぶ顔は赤いやら青いやら白いやらで不思議な色になっていた。
知らず肩をすくめ腰が引けてしまっていたが、しかしキッとメディを見据えて気合いを入れる。リゼルは自分が守らねば。
「リ、リゼルさんはそういう俗世の欲とか一切持たない人だから無理です!!」
「凄ぇこと言うなオイ!」
メディにまともな突っ込みを受ける貴重な経験をしたジャッジだった。
リゼル達が聞けばほのほのしたり呆れたり爆笑したりしそうだが、彼は心から真剣に言っている。実はまだ微妙に混乱しているのかもしれない。
「だが知り合いなら丁度良い……インテリさんのパンツの色を……教えて貰おうか」
「い、嫌です……」
じりじりと近付いてくるメディにジャッジはじりじりと後退する。
ぎらついた目がひたすら怖い。もはや女性不信になりそうな程に怖い。しかしふいにハッと何かに気付いたような顔をするメディに、我に返ったのかとパッとジャッジが顔を輝かせる。
「おっと、アタシとした事が重要な事を聞き忘れてたぜ……まずノーパンかそうじゃないかだ! あの清楚な面した男がノーパンならアタシは好きじゃねぇ白飯をいくらでも食える! いいか、着衣なんてもんは結局少なけりゃ少ない程いやらしいんだよ!! これが真理だ!!」
「うわぁぁぁん! 助けてリゼルさん!!」
ついに限界を迎えたジャッジが涙ながらに助けを求めると同時に、メディは何かに引っ張られるように店の外へと追いやられた。たたらを踏みながらバランスを取って顔を上げると、その寸前で勢い良く店の扉が閉まる。
一体何が起こったのかと茫然とそれを眺め、パンツの件を教えて貰っていないことに気付き地面に蹲り拳を叩きつける程に悔しがり、そして手元に落ちた配達票にサインを貰っていないことに気付く。
「おい開けろ! ならお前のパンツの色でも良……違った。サインだけ寄越せ!」
「む、無理です、無理っ……!」
扉を挟んで繰り広げられる二人の攻防は、メディが工房の親方により帰りが遅いと鉄拳を喰らい引き摺られていくまで続いた。
その頃のリゼル達は。
「“貴方は商談を成立させなければならない”……成り切るんじゃなくて、登場人物相手にオリジナルの交渉をしろってことなんでしょうか。流石に深層にもなると要求の難易度が上がるみたいです」
「力押し出来ねぇ迷宮ってちょいちょいあるけど、ここも相当面倒だよなァ。依頼出るようになったら報酬良さそッスね」
「つかこの本、お前が前言ってた“マルケイドの興り”だろ。嫌な予感しかしねぇな」
「伯爵のお爺様の若い頃の話が中心ですし、会えるかもしれないですね」
本の中に入ったら本当に商業国の先々代領主であるシャドウの祖父(若い頃)との貿易路を巡る交渉が始まり、リゼルは条件的に不利な交渉を久々の緊張感を楽しみながら円満に成立させた。ちなみに先々代領主はシャドウにそっくりだった。
ナハスは今、魔鳥用の厩舎で自らの相棒である魔鳥に癒されていた。
魔鳥は良い。澄んだ瞳。艶やかな羽毛。鉱石のような嘴。鋭い鉤爪。流線形をした体。全てが美しい。最高だ。ふわふわとした胸毛をもふもふもふもふと撫でながらナハスは恍惚とした息を吐く。
これこそが至福の時間だとしみじみと思いながら、厩舎に備え付けられているものではなく自らの相棒専用にオーダーメイドしたやすりを取り出した。それは随分と無骨なものだったが、魔鳥の爪を整えようと思うと余程頑強なものでないと削れない。
ぼすんと藁の上に胡坐をかき、床を踏みしめるいかにも獰猛な魔鳥の足へと触れた。
「よーし、足を上げてみろ……良い子だ、じっとしてろよ」
魔鳥の武器でもある鉤爪は、しかし伸び過ぎると自らを傷つける事もある。
通常の魔鳥は樹や岩の上で暮らすので自然と削られていくのだが、騎兵団の魔鳥はそうもいかない。細やかな手入れが必要なので、騎兵団の者は空いた時間に自らのパートナーの世話に精を出す。
それを面倒に思う者は当然おらず、ナハスほどに顕著な者は極一部とはいえ嬉々として世話をする者がほとんどだ。その所為で他の兵達からは“奴隷根性の持ち主”やら“魔鳥バカの集団”やら陰ながら囁かれている。国民の憧れを一身に受ける騎兵団だというのに身も蓋もない。
「お前は素直な良い子だな。はッ、悪い、子供扱いしている訳じゃないんだ! お前は自慢の相棒に決まってるだろう、俺の命を預けるに相応しい強く美しき魔鳥さ」
一人と一匹の空間に酔いしれ全開のナハスだが、ちなみに彼の視界には一切入っていないだけで厩舎には他にも人間はいる。
しかし今のこの早朝よりも早い時間にいるのは同類でしかなく、彼らも各々に自分達の愛の空間を繰り広げて同じく自分以外の姿など視界に入っていないので問題は無い。後は慣れきった世話係が、賛美の言葉を受けても関係なく藁をふんふんしている魔鳥に可愛いなぁと思いながら横から餌を与えているぐらいだ。
「最近言う事を聞かない奴らばかりを相手にしていたから、ついに言葉に出てしまったんだよ。お前だけが俺の味方だ、マイパートナー」
恭しく持ち上げた鉤爪を丁寧に削りながら、ナハスはうっとりと言う。
思い出すのは彼曰く言う事を聞かない奴らの顔だった。彼らに出会ってからやけに日々が慌ただしい気がする。
例えばサルスとの事もあり一応目を配る必要もあるのだろう、本来ならば関わりを持つことなど無かった筈の王族らに時折リゼル達に関する質問を受けるようになった。アリムなどリゼル達の事で何かあればナハスを呼び付ける。
『ナハス、先生の宿、連れて行って』
『他の人? 頼んだら、おまえが担当って、言っていたけど』
何の話だ。担当って何だ。ナハスとしては何時の間にそんな事になったのか知りたい。
それに国が干渉することのないギルドとの関わりも強制的に増えた。リゼル達が何かやらかす度に、冒険者に関する事の管轄はギルドだとは知っているものの口を挟んでしまうからだ。
その度に後々ギルドに釈明をしに行くのだが、越権行為だと問題になった事が無いのが救いか。国の干渉を嫌がるのが普通だろうに、ナハスが邪険に扱われた事は無い。
『おう、あの三人だな?』
『良い良い、あいつら問題起こしても自分に非ィ作らねぇからあんまギルドは言えねぇし、こっちも私生活の事まで世話出来ねぇからな。しっかしお前の言う事は一応聞くだけは聞くよなぁ、俺が何言おうとあいつら何も気にしねぇのに……』
訪ねる度にリゼル達関連だと決めつけられるのは何故か。確かにそれ以外の用件で訪れた事は無いが。
しかしギルド職員の言う事さえ聞かないような奔放なリゼル達だからいけない。だが言う事を聞かないというだけでルールを守らないという訳では無いようで、職員からの印象は悪くないのは良い事だと思う。ナハスは数度頷いた。
そんな彼らだからか、それとも各々浮世離れして人々を浮つかせる存在だからか、あの三人を相手に堂々と叱りつけるナハスに、それを目にした人々は魔鳥騎兵団にもなるとあんな人達相手にも物怖じしないようになるのかと感心の目を向ける。
「よーし、反対の足を見せてみろ。ハッ、美しい爪が少しささくれている……! 削った後に磨いてやるからな、気付かなくてすまなかった」
削り終わった足を下ろしてやり、もう片方の足に手を添えるとひょいと持ち上げられる。
良い子だ素晴らしいと褒め称えながら爪にひっかかる藁を取り除き、こりこりと再び爪を削り始めた。
「全く、奴らの所為で王族と関わりが出来た上、ギルドに顔が利くようになるし騎兵団の評価は上がるしでお前と愛を育む時間が減って敵わん。もちろん俺の愛が薄れることなど決してないから安心すると良い、俺の天使!」
良い事じゃないか、と餌やりをしていた世話係が次の魔鳥へと移ろうとした時だった。一人の憲兵が勢いよく厩舎の扉を押しあける。
「魔鳥騎兵団に伝令、沖で海賊船が出た! アスタルニアの商船が積荷を奪われ帰還、海賊船はすぐさま逃走、頼んだぞ!」
でれっでれに崩れていたナハスの顔が瞬時に真剣さを帯びる。
跳ねるように立ち上がり、流れるような手付きで自らのパートナーへと手綱を巻き付け飛び乗った。その重みを受け止めるようにグッと頭を下げた魔鳥がそのまま体を沈め、バサリと大きく翼を広げる。
ぶわり、と広がる風に地面に敷かれた藁が宙を舞った。
「準備が出来た者から飛べ!」
ナハスの号令に勇ましい了解の声が上げられる。先程まで魔鳥を愛でていた者達は鋭い戦意と微かな高揚を抱きながらナハス同様既に準備を終えていた。
そしてパートナーに手綱を引かれた魔鳥が短く鳴き声を上げ、力強く羽ばたく。グンッと体を引っ張られるような感覚を乗る者に与えながら、大きく開かれた厩舎の屋根から空へと舞い上がった。その急上昇に、見習いである世話係は状況も忘れただひたすらに憧憬の瞳を向ける。
「先行してるだろう巡回組と合流次第、敵船に攻撃を仕掛ける。魔鳥騎兵団、出るぞ!」
「「オォッ!!」」
そして彼らは最高速度で空を駆ける。追いつくのは容易なことだった。
先に船を追っていた者達と合流し、敵船を捉えた騎兵団らは上空で留まりながらその船を見下ろしていた。
眼下では商船から奪い取った品を手に大声で笑い声を上げている海賊たちがいる。通常の速度にまで落とされた船からは、もはや誰も自分達には追いつけないだろうという余裕が見て取れた。
確かに普通ならば無理だ。海賊船の逃げに特化した速度に、襲われた船はすぐさま追いかける行動には出られず気付けばその姿を見失っている事だろう。
だが海賊たちは知らなかった。アスタルニアの商船を襲う、その意味を。
「誰から逃げられたつもりでいる」
そう言葉にしたナハスの瞳には魔鳥に対する溺愛も、リゼル達に対して仕方が無いと受け入れるような深い許容も存在しなかった。そして彼は片手を上げる。
それは合図だった。バサリと羽ばたく魔鳥に乗りながら騎兵団は片手で槍を構え、その槍先を敵船へと向ける。
鍛えられた体は真っ直ぐに背筋が伸ばされ、飛行の揺れに微かたりともバランスを崩さない。長さゆえの重量を持つ槍でさえピクリと揺れることも無く、ただ張りつめながら今からそれを振るう相手へと向けられていた。
そして、ふいに魔鳥らの羽ばたきが一瞬止まる。一瞬の浮遊感、内臓が浮く感覚、騎兵団はそれに確かに高揚を感じながら真下にある敵船へと急降下した。
アスタルニアに住む者ならば誰もが知っている魔鳥の声を、鳥の声だと気にしない海賊らにその襲撃を逃れる術は無い。不意に降りた陰に上を向いた時には既に遅かった。
アスタルニアの民を傷つけ逃れられた者が誰一人として存在しない所以を、彼らは思い知る事となる。
その頃のリゼル達は。
「あ、多分あそこ隠し通路ですよ」
「またかよ」
「多過ぎるっつーのも有難みねぇよなァ」
「……なら、良いです」
「リーダー? ……あッ、嫌とかじゃ全然無ぇんスよ!」
「良いです、先に進みましょう」
「おい、拗ねんな。こっち向け、おいって」
「もう良いですってば」
別に二人が嫌がってる訳じゃないとは分かっているものの、一つ前の隠し通路では喜んで見た事のない魔物と戦っていた癖にとリゼルはちょっとだけふてくされた。
その日の夕暮れ時、アスタルニアの街は茜色に彩られていた。
新迷宮からの帰路についているリゼル達は、何処か興奮気味な人々の中を悠々と歩いている。昨日今日と迷宮に一泊して攻略をしていた三人は知る由も無いが、頻繁に騎兵団と海賊という単語が飛び交っている為に予想はついた。
お勤め御苦労様です、などと思いながらリゼルはそういえばとナナメ前にある郵便ギルドを指差す。
「レターセットが無くなりそうなので見て来ますね。先に帰ってて下さい」
「ああ」
「リーダー、ジャッジの爺さんから凄ぇの買って貰ってたじゃん」
「あれは陛下用です。ジャッジ君とスタッド君には色々な手紙の方が楽しんで貰えそうですし、インサイさんに伯爵にも送ってやってくれって言われたので」
そういう所マメだよな、という視線をジルとイレヴンから受けながらもリゼルは郵便ギルドへと入った。手紙を扱っている店は他にも少ないがある、しかしどの店も三つ四つ種類が有れば良い方だ。
郵便ギルドならば様々な種類の手紙を販売している。冒険者ギルドに比べれば圧倒的に狭いが活気が有り、独特の制服に身を包んでは慌ただしくギルドを出たり入ったりしていた。
そんな中、リゼルは手紙売り場へと歩を進める。女性二人が何やら選んでいるだけなので、ゆっくりと選ぶ事が出来そうだ。
「(ジャッジ君とスタッド君には封筒が一つになっちゃうし、このツートーンで手紙もこの二色をそれぞれに……ん、ストライプの方が良いかも)」
うーん、と悩みながら封筒を手に取る。リゼルはこういう所で手を抜かない。
「(手紙だと元気そうだし、何か問題がある訳じゃなさそうで、良かった)」
髪を耳にかけながら、リゼルはうんと頷いた。
ジャッジが肉欲系女子の襲撃を受けて色々ショックを受けたことなど知らない。
「(伯爵には良いやつじゃないと、手元まで届かないかな……アリム殿下に貰った封筒、は外交問題になりそうだし。あ、レイ子爵にも書こうかな)」
シックな模様が刻まれた封筒を手に取り、しかし内容は何を書こうかと考える。
迷宮で彼の祖父相手に商談したことを書こうか。いやそれはシャドウがペン先をぶち折りそうな気がする。
屋台で競売をしてみたらいまいち上手く出来なかった事を書こうか。いやそれもある意味ペン先をぶち折りそうな気がする。
「(返事が来るかは分からないけど、もし貰えるならどんな手紙が来るのか気になるし質問とか……あ、無難に最近で一番高い買い物は何ですかとか)」
それが自らの載った絵画で、流石に飾れないと執務室の棚に隠すようにして仕舞われた事実をリゼルは知らない。最も強烈にペン先がぶち折られそうだ。
そんな事を考えながらリゼルは納得がいく組み合わせのレターセットを選び抜いて購入し、ギルドを出る。そこには先に帰ったと思っていたイレヴンが、退屈そうに欠伸をしながら壁にもたれかかっていた。
「待っててくれたんですか? 有難うございます」
「んー」
微笑むと、イレヴンは満足げに目を細める。
そして並んで歩き始めた。
「イレヴンは何処か寄りたいところ、ありますか?」
「別に無ぇスけど。あ、でもちょい覗いてきたい武器屋あるかも」
「鎧鮫の? そろそろ出来そうって言ってましたね」
「危ねぇモン触んないように」
「何ですか、それ」
可笑しそうに言うリゼルに、イレヴンもにんまりと笑う。
今となっては抜け穴まで塞ぐ必要は無いだろう。選んだ抜け穴が危険かそうで無いか、どんな抜け穴だろうと彼には先の先まで分かっているのだから。
二人がそんな雑談をしながらのんびりと歩いていた時だった、ふいに前方から見知った顔が近付いてくる。二人を見つけたのかすれ違う予定の進路を直しているあたり、特に探していた風ではなく偶然見つけたのだろう。
「迷宮帰りか、御客人」
「こんにちは、ナハスさん。今日は大活躍だったらしいですね」
「知っているのか?」
「海賊を相手にしたって事だけですが」
ナハスは噂でも聞いたのだろうと頷き、全くと顔を顰める。
「そうだ、海賊が出てな。一人残らずしょっぴいてやったが、人の物を奪おうなどとけしからん」
「だよなー」
「そうだろう」
悪びれず同意したイレヴンにナハスは満足げに頷いている。
リゼルは気にせずほのほのと笑いながら、お疲れ様ですとナハスを労った。今もまだ仕事中なのだろう、手には奪われかけた積荷と関係のある商店のリストが握られている。
ちらりとそれを見て、リゼルはたった今出てきた郵便ギルドの名前を見つけた。何処行きの船が襲われたのかは知らないが、海賊が手紙を狙うようには思えないのだが。
しかし船で運ぼうと思えば湿気に弱い紙を守る為に厳重に包まれるだろうし、間違えて運び出される事もあるだろう。元の世界にもあったが、此方の郵便ギルドも遠方とのやり取りに船を使うこともあるようだ。
「手紙、間違われたんですか?」
「ん? あぁ、良く分かったな。なるべく奥に置いていたから金目のものだと思ったらしい」
雑ァ魚、と嘲るように小さく呟いたイレヴンに苦笑する。
確かにイレヴンが現役だった頃にはそんなミスを犯した事など無いだろう。むしろ目に付く積荷全てを運び出すなどといった時間も手間もかかるような事はせず、ピンポイントで高値の物だけを奪っていく圧倒的な効率の良さを見せた筈だ。
「濡れないよう運んだつもりだが、職員に確認に来て貰おうと思ってな」
そしてふと、ナハスはリゼル達を見て何てことない事のように口を開く。
「お前らも王都にいた頃に世話になった人がいるだろう。たまには手紙でも書いたらどうだ」
ひたすらタイミングが悪かった。何故こんな最悪のタイミングを突けるのか。
イレヴンはにやにやし、リゼルはわざとらしく拗ねてみせる。
「今丁度書こうと思った所だったのに、ナハスさんの所為で書く気がなくなりました」
「あーあー、たった今ちゃーんと手紙買ったのに可哀そー」
「な……す、すまん、悪かった」
焦ったように謝るナハスはしばらく経って別にそれ程自分が謝る事でも無いなと気付き、「全くお前らはああ言えばこう言う! ちょっとは素直に頷けんのか!」と説教する事となる。
その瞳は少しの面倒も不快も映さないのだから、彼が言う程この時間を苦労と思ってはいないのは明確だった。
ここまでで恐らく書けるリクエストは一通り書かせて頂きました。ご協力有難うございました!
後はこれから書く予定があるのと……書けなかったものに関しては誠に申し訳御座いません…!




