110:誰が一番高く買うか
アスタルニア王宮の書庫は決して広くはない。
しかし使いやすさや探しやすさを放棄し、隙間を埋めるように存在する本棚が異色の蔵書数を誇っている。入る時に階段を下りる造りというのも、扉を開けはなっておいてもアスタルニアの力強く照る太陽光が決して本へと当たらないようにする為と、床を下げて天井を高くする為でもある。
その高さを出した壁はというとびっしりと敷き詰められた本により姿を見せない。必然的に到底どんな長身でも手が届かない位置まで本で埋め尽くされているので、上の方にある本を取る為の梯子が点々と存在する。
その梯子はスペース確保の為か傾斜などほとんど無い。しかしリゼルは器用に落ちたら怪我をする高さまで登りその場で読み始めるし、アリムは布の塊のままスルスルと登ってスルスルと降りてくる。
その梯子が階段のような姿をしており、本棚にピタリと側面をつけるように置かれているのが元の世界にあるリゼルの家の書庫だ。此方は見た目にも配慮されている。
城のホールのような書庫は広く吹き抜けになっており、中央から伸びる豪奢な階段により二階部分へと上がることが出来る。二階と言っても壁に隙間なく並べられた本を選ぶのに充分な足場と、時折存在する読書の為の机と椅子を置くスペースしかない。
一階には間隔や角度も一切乱れることなく整然と並べられた本棚が数多存在し、ジャンルで分かりやすく分類されている。誰もが必然的に口を閉じる静寂の空間は、あちらの人々に言わせればまさに“大図書館”の名に相応しい。
しかしその空間が氷山の一角であることを知る人間は多くはない。地下に広がる幻想的なまでの本の為の空間は、リゼルにとって一番落ち着ける場所でもあった。
両者に共通するのは、とにかく視界を埋め尽くす本の数だ。
リゼルはとにかく本を読む。勿論読んだことの無い本は喜んで読むが、読んだことのある本だって読み返すに足るに相応しい本に出会えた喜びを感じながら再び読む。
ナハスにパイプ役を頼み書庫の本を持って来て貰う方法の方が許可を得るのが楽だというのに王宮の書庫へと通いたがるのは、空間魔法という手段が元の世界でも使えたとしても本の収納には使わないだろうと思うのは、自らの本が並ぶ光景もそれらに囲まれる空間も好んでいるからに他ならない。
「生殺しです……」
しかしそれは、それらの本が読めることが前提だ。
「あいつ落ち込み過ぎだろ」
「リーダー凄ぇ楽しみにしてたからなぁ」
リゼル達は今、とある迷宮へと訪れていた。
それはつい先日新しく発見された迷宮だ。迷宮は一つの国につき大体二、三年にひとつのペースで増え、同じように既存の迷宮が一つ消えたりもする。その時潜っていた冒険者は全員門のあった場所に戻されるので危険はない。
パルテダに続きアスタルニアでも新迷宮出現があるとはタイミングが良いが、とはいえ国々を行きかう冒険者らにとっては時折ある。特別珍しいという程でもない。
冒険者ならば誰もが初踏破を目指し、連日通う新迷宮。以前は興味を引かれなかったリゼルが何故訪れているかといえば、早速迷宮の攻略を始めた冒険者が攻略初日にとある情報を持ち帰ってきたからだ。
『めっちゃ本だらけで頭痛くなりそうな迷宮だった』
行くしかない。
「予想はしてましたけど、本当に読めないなんて」
「お前動かなくなんだろうが、読めねぇ方が良い」
“人ならざる者達の書庫”、それが新しく現れた迷宮に付けられた名前だ。
歴史を感じさせる造りの書庫を彷彿とさせる内部は、その通路であっても両側にずっと本棚が並んでいる。本棚にはびっしりと、あるいは隙間があり過ぎて倒れたりしながら本が詰められていた。
その本を引っ張ったり押したりして何とか読めないかと試していたリゼルが、諦めたように手を離す。読もうにも微動だにしない。
「折角あんなに並んだのに」
「馬車もすっげぇ混んでたスもんね。新しい迷宮ってんならあんなモンだけど」
新規の迷宮はとにかく混む。
踏破報酬はボス討伐一番乗りのパーティが手に入れられるし、些細なことでも情報提供料を手に入れられるチャンスは早い者勝ちだ。何より周囲と競い合って攻略を進めて行くというのもあり、早く攻略を進めている者こそが優れたパーティであると認められるからだ。
よって朝一で馬車乗り場に向かったというのに長蛇の列で、馬車の中もぎゅうぎゅうだった。乗っていた全員この迷宮で降りたので、門の前でも順番待ちで並ぶはめになった。
「ジルが新しい迷宮は混むから嫌だって言ってたのが分かりました」
「だから言っただろうが」
「でも、来たかったので」
呆れたように言うジルに、リゼルはほのほのと笑う。
最初ジルは新しい迷宮を面倒臭がったが、リゼルが行きたいと主張することは分かりきっていた為に早々に諦めた。本に関する事でリゼルは引かない。
「リーダー、なんか本の題名おかしくねッスか」
「見てても規則性は無いし、暗号じゃないと思います。多分適当です」
本の背表紙をつつきながら問いかけるイレヴンに、リゼルはそちらを振り返り答えた。
並ぶ本たちの背には題名のように文字が書かれている。本の題名とはとても思えない“あれ”“家”“悲しい”“旅”“横取り”“すべった”などの単語が無造作に一冊ずつ割り振られており、何も書いてないよりマシだろうという意図が伝わって来るようだ。
迷宮だから仕方ない、そう思いながらイレヴンは本から指を離した。
「入口でこんだけ立ち止まんのリーダーぐらいだよなぁ……」
「楽しいなら良いんじゃねぇの」
一冊ぐらい読めないかと諦めきれないリゼルが倒れた本の裏表紙を捲ろうとしている後ろ姿を、ジルとイレヴンは飽きてきたと思いながら眺めていた。
他の冒険者が一階層でも周りより先にと競い合う中、読書欲求を満たそうと奮闘するリゼルは何なのか。だから冒険者もどきだと言われるんだとジル達は決して口に出さない。
そして最後のチャレンジのつもりだったのだろう、ページの隙間に指を入れようと表紙を持ち上げようと開かない本に少しばかり残念そうに微笑みながらリゼルはジル達を振り返った。
「お待たせしました、行きましょうか」
「もう良いのか」
「はい、先に進めばまた何かあるかもしれませんし」
希望を捨てきれないリゼルにジルは溜息をつき、それならばさっさと行くぞと言わんばかりに足を進めた。
「“人ならざる者達の書庫”、納得ですね」
巨大蜘蛛の魔物を撃ち抜き、リゼルはすっと視線を横へ流した。
そこには白いマントを纏う何かがいる。その何かは迷宮の所々でポツリポツリと存在し、あるいは本を探すように音も無く歩き回り、あるいは動かせない筈の本を抜き取りパラリパラリと紙がめくれる音をたてては最初のページに戻っていた。
それらは、彼らは皆一様に白いマントを身に付けていた。腕を通す袖はなく、上からスポリとかぶり足先までも隠してしまう。
唯一開いた顔の部分は、黒い闇に塗りつぶされていた。目も口も無いただの漆黒と、ゆっくりと滑るように移動するその姿は人ではないことを伝えてくる。
「最初聞いた時は魔物のコトかと思ったんだけどなァ」
「てめぇは名付けた奴が絶対ドヤ顔してたって大爆笑だったな」
すれ違う様に通り抜けて行く何かを切り裂くようにイレヴンが剣を振るう。相手を薙ぎ払うように繰り出された剣撃は、しかし何にも当たらずに振り抜かれた。
背景の本棚が見えるような薄らと透き通った彼らには実体が無い。こちらから干渉は出来ないが、向こうも干渉してこない。
「何の為にいんスかね」
「雰囲気出し、とかでも納得ですけど」
リゼルは本を読む何かの手元を覗き込んだ。本はその何かの前でピタリと固定されたかのように宙に浮かんでおり、規則的なペースで捲られている。
その本には何も書かれていない。それに残念に思いながら、取り敢えず進もうかと倒した巨大蜘蛛を跨ぎながら歩みを再開させる。
「空飛ぶ本、巨大蜘蛛、後はゴースト系、書庫のイメージって感じですね」
「深層行くとフルアーマーとか出てくんじゃねぇの」
「あー、ありそう」
大体の迷宮では迷宮の環境に合わせた魔物が襲いかかって来るので、ジルの予想も有り得ない事では無い。後は何が出てくるだろうかと予想しながら三人は魔物の名前を次々に口にしている。
時折何かとすれ違い、何回かの戦闘を挟み、時には分かれ道に出会いながらこの階層は歩き尽くしたのではと思える程には進んだ時だろうか。相変わらず本が並び続ける光景を進んでいるとふいにリゼルが足を止めた。
その視線はじっと横にある本棚へと向けられている。
「どうした」
「何かちょっと違和感があって」
罠か、と思いながらジルとイレヴンがその本棚を眺めようと何も違和感は無い。
リゼルはゆっくりと書庫に歩み寄り、一冊の本へと手を伸ばした。その題名を指先でなぞり、その本棚の上から下まで全ての本を確認するように目を通していく。
「んー……罠、なのかな」
「どしたんスか」
「ほら、これです」
これ、と言われてもリゼルの指が示す本が他の本と違うようには見えないのだが。
顔を近付けまじまじと見ているイレヴンに可笑しそうに笑い、トントンとその題名を指で示した。
「この本棚、これ以外の本は同じ本です」
「は? あ、ほんとだ」
一冊を除き、他の本は全てその題名が“秘める”と示されていた。しかし本の形や厚み、色は統一されておらず良く気付いたものだと呆れているのか感心しているのか分からない顔をしながらジルはリゼルを見た。
そしてリゼルが示した本に書かれているのは“扉”、罠の可能性も大いに有るがいかにも隠し扉がありそうな仕掛けだ。その背表紙のてっぺんに指をかけながら、さてどうしようとリゼルは二人を見た。
「罠の可能性は低いだろ」
「お好きにどーぞ」
何があろうと関係はないと言うようなジルと、にこりと笑って見せたイレヴンに微笑み指先に力を込める。傾くようにゆっくりと手前へと引き抜かれた本は、奥から聞こえたカチリという音と何かを引っかけたような感触と共に動きを止めた。
やはり読めないのかと、そんな事を思うリゼルの前で本棚が小さく軋んだ音を立てる。立ち位置を一歩前へと移すジルとイレヴンの前で本棚はズズ、と重い音と共に奥へと押し込まれ扉のように直角にその身をずらした。
その向こう側には、今いる場所から少し暗さを増した通路が奥へ奥へと伸びている。
「隠し通路じゃん、当たりっぽい?」
「奥に強敵とかいるんでしょうか」
「そりゃ良いな」
地底竜が待ち構えていた“水晶の遺跡”の隠し通路を思い出しながらからかう様に見てくるリゼルに、ジルは目を細め愉快気に言う。強敵でも良いし宝箱でも良いと話しながら三人は隠し通路に足を踏み入れた。
少しだけ薄暗い空間は先程より狭く閉塞的だが、等間隔で存在するランプのお陰で暗くはない。ランプから零れ落ちる光の残滓がどこか幻想的な光景を見せていた。
「うちにあった書庫にちょっとだけ似てます」
「ホームシック?」
「そうかもしれません」
にんまりと笑い覗き込んで来たイレヴンに微笑み返し、一本道を奥に奥にと進んでいく。
やはり時折白いマントの何かが本棚の前に立ち白紙の本を読んでいた。パラ、パラ、という音だけが彼らの存在を示すようで、その音は近付いてくる時も遠ざかっていく時も一定の速度を崩さない。
「お前、良く気付いたな」
「あ、それ俺も思った。ニィサンとかのが目ぇ良いじゃん」
「慣れですよ、慣れ」
最初は何とも無しに眺めていた本棚も、暫くすればただの風景と化す。
見えてはいるが意識を向けていないそれらに本来ならば気付く人間などいないだろうが、それでも気付いたのは本人が言った通り慣れだと言うしかないだろう。常日頃から隙間なく本の並ぶ本棚を眺め、一冊の目当ての本を探す為に左上から順番に目を通していかなくなったのはいつの頃だろうか。
すっと目を通すだけで並べられている本を大まかに把握する程度は容易だし、何となく違和感に目を止めることが出来る程度には多種多様の本棚を見て来ている。
「お前はこの迷宮と相性良すぎんな」
「良いことじゃないですか」
「コレぜってぇ他の冒険者とか気付かなさそう。情報料ゲットっすね」
とはいえ、この先にあるものの価値で情報料は大きく変わって来るだろうが。
三人は狭い通路の先へと視線を向けた。これまで続いて来た一本道が途切れているのが見える。
そこに近付くごとに向こう側の光景が露わになった。広がるのは塔の中のような広く高い空間と、その壁一面を埋め尽くす本とそれに沿う様に存在する細い螺旋階段だった。
「ステンドグラスと……オルガン?」
その空間に足を踏み入れたリゼルの目が一番に映したのは、広い空間の真反対にある光景だった。壁の本棚と本棚の間に挟まれるように置かれたオルガン、その上の空間を埋めるように細く長くステンドグラスは幻想的な色を浮かびあがらせている。
やはり所々に存在するランプにだけ照らされる壁の本以外何もない空間に、ステンドグラスから静かに差し込む光が伸びていた。それは月明かりに良く似ている。
ステンドグラスの優しい煌めきが光の粒子となるようにオルガンへと舞い降りているようで、何とも美しい光景だとリゼルはそれを眺めた。
「絵画になったら高そうッスね」
「ボスでもいりゃ倍は行くだろ、勿体ねぇ」
身も蓋も無い。
「つかこれ以上進めねぇじゃん、何も無ぇの?」
「どうでしょう、また隠された入口でもあるんでしょうか」
リゼルは何かを考えるように周りを見渡した。
ステンドグラスの絵は特に何かを示しているでもなく、その足元にあるオルガンの蓋は閉まっている。広い空間を横断しそれを開けようとしようにも鍵がかかっている為、開かない。
相変わらず白い何かがゆっくりと滑るように螺旋階段を移動し、時には螺旋階段を上下に繋ぐように存在する梯子をどうやっているのかやはりゆっくりと移動している。その動きは今まで見て来た他の何かと変わらない。
並ぶ本もその背表紙を埋めるように単語が書かれているだけだ。もしや膨大な本棚の中から、隠し通路を見つけた時のようなギミックを探さなければいけないのだろうか。それは面倒だとジルとイレヴンが顔を顰めた時だった。
「……探してるんでしょうか」
「あ?」
差し込む光を掌で受け止めながら、ふと上を見上げるリゼルへとジルは訝しげに声をかける。その視線を追うとその先には螺旋階段を音も無く登る白い何かがいた。
「隠し通路に入ってから見た彼らは皆、本を読んでいましたよね」
「あー……言われてみりゃそうかも。じゃあアレは読む本探してるっつーこと?」
「探してあげれば良いのかも」
微笑んだリゼルが髪を耳にかけながら近くの本棚へと歩み寄る。
何冊かを指で追い、ゆるりと首を傾けた。
「今までは並びが不規則でしたけど、ここにある本は順に並んでるんです。AからZまで」
「探してる本は分かってんのか」
「多分、大丈夫です」
「何? 何処で?」
リゼルがそれを理解していることにはジルもイレヴンも今更驚かない。
気になるのは何処でそれを知ったのか、答えは何なのか。二人も冒険者として迷宮を攻略する手段は純粋に気になっている。
そんな二人の前で、リゼルはパッと片手を広げてみせた。
「隠し通路にいた白い彼らのこと、何人いたか覚えてますか?」
「えー、そんなん一々気にしてねぇからなァ……八?」
「おしい、七です。その彼らが読んでた本の名前が、一人目から」
広げられた指が、一本ずつ畳まれていく。
「“赤”、“橙”、“黄”、“緑”、“青”、“藍”、“紫”」
全ての指が畳まれ、二本だけ戻された。
何も知らない段階から何故それを確認し、何故覚えているのか。リゼルをそれなりに知るものはそんな事は聞かない。思いはするが。
「探す本は、“虹(Rainbow)”です」
手を下ろしながら微笑んだリゼルに、ジル達は思わず成程と納得した。
普通は一度通路を通って来ただけで分かる筈が無い。恐らく行ったり来たりしながらヒントを探せるように、隠し通路には魔物がいなかったようだ。
とはいえ冒険者ごとに内容は変わるのかもしれないが、今回のような内容ならば例え仕掛けに気付こうと冒険者は正解に辿りつけないだろう。
「あー、そゆこと。つか虹ってそうなんスか」
「そうですよ、今度見てみて下さい」
ほのほのと微笑んだリゼルは、まずはRを探さなければと天井高く並べられた本棚を見上げた。恐らく中程にあるのだろうが、そう考えているとジルが溜息をつきながら近くにあった梯子を掴んだ。
「お前は休んでろ」
「そッスね」
「分かりました」
頷いたリゼルを確認し、ジルが二段飛ばしだったり三段飛ばしだったりで軽々と梯子を上って行く。イレヴンもそれに同意し、ひょいと体重を感じさせない動きであっという間に螺旋階段へと上がってしまった。
二人してそれぞれの方向に別れるのを見上げ、リゼルは少しだけ嬉しそうに笑い梯子に腰かける。一番低い位置にある梯子だけは、少しばかり傾斜がついているので座りやすい。
特別疲れている訳でもないが、歩き回った分は確かに疲労しているのだろう。座ると少しだけ足に重さを感じて、頭脳労働した分だけ休ませて貰えるなら何よりだと口元を緩める。
背筋を伸ばすように視線を上げると、向かい側の螺旋階段の上で本棚を眺めるように少しだけ足を止めている白い何かを見つけた。
「(本を……そのまま渡せば良いのかな。向こうがこっちを認識してる素振りは無かったけど)」
時折コツコツと木の梯子とジル達の靴がぶつかる音が何処からか聞こえるのに耳を澄ませながら、リゼルは考えていた。少しだけ反響して聞こえるそれに、静かだしなと直ぐに動きだした白い影を目で追いながら思う。
イレヴンの言った通り、ホームシックになりそうだなんて一人で微笑み上を見上げた。読めないと分かると読みたい本が多いのだからと、実家の書庫に思いを馳せる。果たしてそれがホームシックなのかは不明だが。
「あ、Rみっけ」
ふいにイレヴンの声が聞こえ、パチリと目を瞬かせ周りを見渡す。螺旋階段がそれなりの高さになる三周目ほどで本棚へと向かって立っていた。
そしてゆっくりと横に歩いて行くこと数歩、腰をかがめて一冊の本を手に取る。手の中で裏表を確認し、振り返ったイレヴンがひらりとその本をリゼルへと示すように振ってみせた。
見つかったのかとリゼルが梯子から立ち上がると同時に、その隣へとダンッと音をたてながらジルが落ちて来る。どうやら真上辺りにいたようだと、先程まで彼がいたと思われる螺旋階段を見上げた。
「それって足痛くないんですか?」
「全然」
少しの痺れも感じていないらしいジルの足元を見つめ、本当に大丈夫そうだと感心する。
イレヴンのように降りてくるなら逆に平気そうなのだがと、やはり螺旋階段から飛び降りている姿を見た。鮮やかな赤い髪を揺らしながら音も無く着地する姿は、ただただしなやかだ。
小走りで近寄って来たイレヴンが、素晴らしいと言いたげに頷くリゼルの姿を不思議そうに見ながら本を差し出す。
「リーダーこれ?」
「俺の予想があってれば、ですけど」
こういう時に間違っていたことなど無いだろうとジルが呆れた視線を寄越したが、そう思われようと時折ナナメ上を突き進む迷宮相手に確実とは言えないのだから仕方が無い。リゼルは苦笑し、ゆっくりと移動している白い何かに向かい歩き出す。
彼は丁度一つ梯子を下りて、螺旋階段を下りている所だった。三人は広い空間を真っ直ぐに突っ切って、正式に階段が始まる螺旋階段の一段目へと足をかける。
「あれってこっち気付かねぇじゃん、どう渡すんスか」
「そこなんですよね。取り敢えず普通に渡してみようかと思って」
得体の知れないもの相手に普通とは何かと内心で突っ込むジルの隣で、リゼル達はああでも無いこうでも無いと話し合っている。
「おい、止まってんぞ」
「あ、渡しやすいですね」
螺旋階段を一周もしない内に、白い何かに追いついた。
彼は滑るようにゆっくりと階段を下りていた動きを止め、顔だろう面を本棚に向けて止まっている。リゼルが眺めている時に何度も見た本を探すような動き、恐らくこちらに気付いて止まった訳ではない。
自然体のままジルとイレヴンは微かに警戒を強める。そんな二人の前で、リゼルは数歩前に出て手に持つ本を差し出した。相手に向け、題名が見えるよう表紙を上にして。
そして柔らかく微笑み、語りかけるように唇を開いた。
「あなたの本当に読みたい本が、これでありますように」
何かは、止まったまま動かない。ずっとマントの下の闇を本棚へと向けている。
数秒の沈黙の後、もしや本か渡し方が違ったのかとリゼル達が考えようとした時、ふいに何かのぴたりと床についているマントの裾からズルリと黒く半透明の手が現れた。
ゆっくりと持ち上げられるそれにリゼルは動かない。両隣で武器を抜いたまま立つジルやイレヴンの姿など見えていないように、長く歪な三本指を持つ手はリゼルへと伸ばされた。
その手が、本へと触れる。何かは相変わらず本棚を向いていた。
「手のトコなら斬れんのかな」
「無理だろ」
「余りそういう事を言わないように」
苦笑するリゼルの手から、何かはゆっくりと本を引き抜いて行った。
黒い手がその本をマントの正面へと運び、そして手を離す。離された本は今までに何度も見てきた通りに宙に浮かび、やがてパラパラと捲られ始めた。
その手はそのまま、すぅっと螺旋階段の外側へと向けられる。三本の内の二本をぎこちなく折って指差したのは、ステンドグラスの光に照らされる一台のオルガンだった。
リゼル達がそちらを見下ろした時、静寂な空間にカチリと小さな音が響く。オルガンの鍵穴から響いたその音が完全に静寂に溶けるころ、微かに木の軋む音がしてオルガンの蓋がゆっくりと開かれた。
「弾けってことでしょうか」
「近くで見てみりゃ分かんだろ」
するするとマントの下に隠れていく黒い手を眺め、そしてそれ以上何も起こらない事を確認してリゼル達は開放されたオルガンへと向かう。螺旋階段を下り、近付いて行くと真っ白な木の鍵盤が優しく光を吸収していた。
開いた蓋の裏、楽譜立てには一枚の古ぼけた楽譜が額に入れられ固定されている。何列もある五線譜に書かれているのは、四小節だけの短い曲。
「何これ、押すと音が出んスか。リーダー弾けんの?」
「オルガン、見た事ないですか?」
「無ぇッス」
「あんまここらじゃ見ねぇな。もっと西の方の国じゃそこそこ見る」
とりあえず迷宮を巡って色々な場所をブラついたジルとは違い、イレヴンはここ一帯から遠出した事が余り無い。大体の冒険者が馬車の行き来出来る範囲にある三つ四つの国を回りながら活動することを思えば、それが普通なのだが。
ちなみにジルが以前飛竜と戦ったのはその西方での話だ。リゼルは正直ジルの事をもはや西方で伝説の存在として恐れられているのではと思っている。
そしてジルはリゼルの事を貴族も大変だなと考えつつも貴族スキル自重しろと思っている。
「俺が習ったのはピアノなんですけど……ヴァイオリンに比べると齧った程度ですし」
「ピアノって?」
「オルガンの親戚です」
音楽に携わる人間から言わせれば全然違うのだろうが、分かりやすい方が良いだろうとリゼルは大分はしょった。イレヴンは納得しているのだから問題は無い。
オルガンは触った事が無いなと、リゼルはその鍵盤をなぞる。戯れに一つ鍵盤を押してみれば、透き通る厚みのある音が広い空間へと反響して広がった。
「でもこれだけなら弾けるでしょうし、弾いてみましょうか」
リゼルは椅子に腰かけ、目の前の楽譜を見つめる。
たった四小節とはいえ、ただ機械的に鳴らすのは聞く人間が二人いる以上許されないだろう。何度か頭の中で曲を反映させ、姿勢を正してそっと鍵盤に指を乗せる。
ステンドグラスの光は柔らかく、色ガラスを通り色づいた光の粒子が静かに上から降り注ぐ。それらの下でリゼルは目を伏せ、ゆっくりと演奏を開始した。
幾重にも音が重なり反響する。本と棚の隙間すら埋め尽くすような重厚な音が、空間を上から塗り替えるように広がる。音が尾を引き、リゼルが鍵盤から指を離した後も残滓を響かせるようだった。
そして訪れた再びの静寂は、演奏前と同じものでは決して無い。リゼルが小さく息をつくのに、ジル達は終わりを悟った。
「……絵画になったら凄ぇ高そう」
「売りに出す奴がいりゃぁな」
後ろから聞こえた会話に苦笑し、さて何があるかとリゼルが振り返った時だった。
差し込む光により床に映し出されたステンドグラスの模様、丁度床の真ん中に位置する紋章のようなそれがふいに強く光った。その光の中から、クリスタルを削って造られたのかと思わせるような宝箱が姿を現す。
「凝ってますね」
「今更だろ」
所々に散らされた宝石が何とも美しい。どんな中身が入っていようと宝箱の方が価値がありそうだが、残念なことに持ち帰れないのだから勿体ない。
そんな事を話しながら三人は宝箱に近寄り、それを開ける。一番に目に入ったのは敷き詰められている宝石でも、装飾過多の煌びやかな短剣でも、散らばる金貨でも無い。
リゼルは目を瞬かせながら手を伸ばし、宝箱の一番上に乗せられているものを手に取った。大判の本ほどの大きさのそれを両手で持ち、少しばかり複雑に思いながらも言う。
「記念、ってことでしょうか」
「言い方微妙すぎんだろ」
「おー、俺自分のやつ初めて見た」
本の海に埋まるように存在するステンドグラスとオルガンが広がり、そこには演奏するリゼルとそれを眺める二人の後ろ姿が確かに描かれていた。
「お、本当だ。色の題名」
「でしょう?」
リゼル達は通って来た隠し通路を再び引き返している。あれ以上は行き止まりだったからだ。
隠し通路もそれなりの長さがあったのでリゼル達はちょっと面倒だよなとか言っているが、他の冒険者からすれば手に入れた宝箱の狂喜乱舞するほどの中身を思えば少しも面倒だとは思わないだろう。
相変わらず本棚を向いて読書をする白い何かは、先程と全く変わらない。一人、二人とすれ違い本の題名を確認したイレヴンが納得したように言うのに、リゼルも微笑んで返した。
「つかあれ他の冒険者どうすんスかね。辛うじて仕掛けに気付けてもあんなん無理っしょ」
「どうなんでしょう、あれが俺達のパーティ用って可能性もあるんでしょうけど」
しかし全パーティにあれを仕向ける可能性も否めない、そんな事を考えながら所謂一人目であり今は七人目の何かとすれ違った時だった。もはや隠し通路の出口は目の前だが、ふいにリゼルが足を止める。
「どうした」
「何か違う気がして」
声をかけたジルにそう答え、リゼルはちょっと待っていてと手を上げ何かの本を覗き込む。
相変わらず中身は全て白紙だったが、構わず先程微かに見えた表紙を確認した。そこに書かれているのは“赤(Red)”の筈だ。
しかし今そこに刻まれている“さようなら(Bye-Bye)”の文字に、リゼルは可笑しそうに笑った。何かあったのかと尋ねるジル達にそれを教えてやりながら、二人へと歩み寄る。
足を動かしながらも何となく振り返り、返事をするように小さく手を振ってみせた。何かは読書する姿から変わらない。
「あ」
「え?」
何故か目の前で開いていた筈の隠し扉が再び閉まる。
まさかこれが罠だったのだろうかと三人して「えー……」と思っていると、しかし直ぐに扉は開き直した。その向こうにある光景は、隠し通路が存在した通路では無く次の階層へと繋がる木製の階段。
「おまけして貰えましたね」
「お前そういうとこ取りこぼさねぇよな」
ラッキーだと、笑いながら隠し通路を出て行く三人の後ろで、一人目であり七人目である何かが変わらず本を読んでいた。
その足元で、マントから小さく伸びた歪な三本指を持つ黒い手がゆっくりと手を振っていたのをリゼル達は知らない。




