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106:六割ぶんどった

 アスタルニアに存在する地下酒場の数は一とも言われるし十とも言われる。

 本来なら存在すら知られることのないその場所の全てを把握しようとすれば、例え地下酒場同士でさえ困難を極めるだろう。それ程に厳重に隠され、そして知る者も隠されれば隠される場所である程に容易に語らない。

 集まる者は多種多様にいる。浅い所では街の不良達や情報を求める冒険者、深い所では堂々と表を歩けない者やそれらと繋がりを持つ者達など、何も知らずに入れば何をされようと同情などされないような面々が集まる。


「…………此処か」


 一人の男がいた。その姿は黒いローブに隠され、闇に覆われる港では全く窺えない。

 深夜になると所々に灯される篝火と、時折巡回している作業員らが持つランプだけが灯りとして存在する。そんな中を足音を潜め、欠伸交じりの巡回を容易に掻い潜って辿りついた先にあったのは港に立ち並ぶ倉庫の内の一つだった。

 石造りの倉庫は特に他とは変わりが無く、特別大きい訳でも無い。しかし男は確信を持って静かに扉へと手をかけた。波の音しか聞こえない空間に扉が軋む音が小さく響く。


「……」


 倉庫の中は雑多に木箱や荷袋が溢れていた。

 灯りも無い倉庫の中を、男はゆっくりと歩み出す。行く手を遮るように積まれた荷物を避け、目が慣れてきたお陰か迷いない足取りで一番奥の壁へと辿りついた。

 何かを探すようにその手を壁にあて、石の冷たさとザラついた感覚に微かに眉をしかめながら手を滑らせる。すると石壁からほんの微かに浮き出すようにある、ごくごく小さなツルリとしたものへ手が触れた。

 魔石だ、と内心で呟き魔力を流し込む。男は特に魔力に秀でている訳ではないが、ただ魔力に反応する仕掛けであるならば充分だ。

 一瞬後、微かに石同士が掠れる音をたてながら床の一部が開く。其処には地下へと繋がる梯子があった。


「……」


 梯子はそれ程長くなかった。底には酷く狭い空間。壁に取り付けられたランプが一つと、恐らく酒場に繋がっているだろう扉が一つ。揺れる炎の明滅が壁に映るのが不快で、男は迷わず扉を開けた。


「イラッシャイ」


 其処にあったのはランプの灯りに照らされた薄暗い酒場だった。

 幾つか並ぶ木製の丸い机、奥にあるカウンター席、その後ろに並ぶ酒瓶は恐らく非合法な手段で仕入れられた希少酒だったりするのだろうが、おおよそ普通の酒場と変わりがない。他の地下酒場も似たようなものなので男にとっては特に気になるものでも無かった。

 店主から向けられる挨拶と共に、店内にいた者達の視線が向けられる。男が新顔だからだろう、地下酒場の中でも深部に位置する店に集まっている者達から向けられる視線は酷く重く強い。

 しかしその視線もすぐに離れて行く。男は警戒を表に出さないよう注意しながら店内を見回した。

 カードを取り出し賭けに興じる者、情報屋に金を積む者、そして酒に興じる者など店内は喧騒は無いものの人の話し声が途切れない。男はその中でもカウンターに座り一人静かに酒を飲んでいる後ろ姿へと近付いて声をかけた。


「少し良いか」


 ざわり、と酒場がざわめいた。

 男は潜めていた警戒心を露わにして周囲を見渡す。此処に居る全ての視線が警戒と好奇を込めて此方を向いていた。

 いや、全てでは無い。男が声をかけた青年だけは変わらぬ体勢で酒を呷っている。

 この地下酒場に辿りつくような闇の世界で生きる者達でさえ危険視するような人物に声をかけたのだと、男は酷く慎重に口を開いた。だからこそ声をかけたのだから。


「情報を買いたい」

「俺、情報屋なんか名乗ったことねぇけど」


 グラスに口を付けながら、空いている方の手を気だるげに持ち上げる。

 そのまま振り返りもせず手首を返すようにピッと後ろを指差した先に居るのは、男同様に姿を隠した人間だった。今まさに目の前に座る相手に大金を積まれ、値段相応の情報を与えている情報屋に他ならない。


「だがこの国どころか周辺国の裏の情報に最も通じているのは、お前だと聞いた」


 そこでようやく青年は男を向いた。

 感じる視線に、男は知らず押されるように半歩後退する。


「誰から」

「……名前は知らない、他の地下酒場で会った男だ」


 青年の指が、コツリとカウンターを叩く。


「それ、どんな奴」


 静かな声だ。それなのに感じる喉元にナイフを突き付けられる感覚に、男はごくりと唾を飲み込む。

 青年は間違いなく男が口にした情報を知る人物を殺すのだろう。激昂するでもなく、愉悦を感じるでもなく、ふと出てきたゴミを片付けるように面倒臭そうに片手間で相手を殺す。

 しかし、それを知りながらも男は躊躇わず口を開いた。


「馬鹿みたいに笑う男だった」


 重要な情報をくれた人間が殺されようと、何も関係は無い。蹴落とし蹴落とされる裏の世界においては自らに降りかかる災難は全てが自らの責任であり、殺されるだろう男は零した情報が悪かったのだから。

 ローブの下に隠された瞳は酷く淀んでいた。彼はもう、誰を犠牲にしようとどんな手段を取ろうと何も感じない人間になっていた。


「“この酒場の酒が気に入って時々現れる、前髪の長い男が一番・・良く知っている”と」

「あー……成程」


 ふいに、突き付けられていた圧力が消える。男が青年を見下ろすと酷く呆れたような、面倒臭そうな空気を隠しもせずにギシリと椅子に背を預けていた。

 何かを悟ったような態度に眉をひそめる。青年の視線は此方へと向けられていない。


「で、何知りてぇの。清廉で穏やかな男、黒くてガラの悪い男、それとも赤髪で獣人の男?」


 ゆっくりと青年の唇が嗜虐的な笑みを浮かべたのを、男はピクリと眉を上げながら見下ろす。アスタルニアに来たばかりの自身の情報がすでに流れているとは思えないというのに、何故自身が求める情報が分かったのか。

 情報屋とはそういうものだ、と言ってしまえばそれまでなのだが。男は浮かんだ疑問に気付かれぬよう平静を装い口を開いた。


「や、つってもね」


 そして、それを遮るように青年が変わらぬ笑みのままに言葉を挟む。

 言うまでもなくわざとだ。煽られているのだろうと、男は苛立ちを抑え込むように口を閉じた。


「この人ら、有名所だし。大抵の事はそこらの情報屋が知ってんだよね」

「誰に聞いても知らなかったから此処に来た」

「へぇ……」


 青年が指先で持つグラスを揺らす。カラン、と氷の音がした。

 しばらくカラカラと揺らしていたグラスをことりとカウンターの上に置き、招くように、促すように水滴に濡れた指を差し出す。どうぞ、と言わんばかりの掌は話の続きを促しているのだろう。

 細長く節ばった指は情報屋にしては戦い慣れた人間の手をしていたが、薄暗い店内でそれに気付くことは困難だ。着席の許可では無いのだろうと男は思ったが、立ったままでも目立つと二つ隣の椅子へと腰かける。


「赤髪の、蛇の獣人の情報が欲しい」


 男の両手が爪が皮膚を突き破らん程の力を持ち、カウンターの上で握りしめられる。

 まるで自らの感情を抑え込まんとするようなそれを、しかし青年は一瞥すらせず差し出した手をひらひらと揺らした。


「それ、一番怖いとこ」


 揺らした手でゆっくりと頬杖をつき、空になったグラスを弾くことで次を注文しながら言う。言葉の割にその表情は変わらず、何処か愉快そうでもあるのが男に異様な感覚を抱かせた。

 しかし男はその感覚を振り払う様に、金貨の詰まった袋を取り出す。情報屋や情報の価値により情報料というのは容易くその桁を変えるが、男がカウンターの上に乗せた袋にはどんな高価な情報でも間違いなく買えるような額が詰まっていた。


「それは」


 男は問いかけようとして、一度口を閉じる。呑み込まれた声は、憎悪の滲んだ背筋が凍るような声をしていた。

 自らを落ち着けるように細く長く息を吐く。そうして再び口を開いた時には、既に元の陰鬱な声へと戻っていた。


「奴が、ある盗賊団の頭だからか」


 そしてあまりにも平然と寄越された返答に男は憎悪と歓喜が入り混じった笑みを浮かべ、更に取り出した金貨を机へと叩きつけた。








 金を積まれるがままに望まれる情報を与え、酒場を出て行く男を見送った青年は浮かべていた笑みを嘲り隠さぬものへと変えた。湧きあがる笑いを耐えるように俯くと、瞳を覆い隠す程に伸びた前髪が揺れる。


「ッはは」


 押し留めるように口元を覆い込んだ片手は然して意味が無かった。

 思わず零れた笑い声が再び笑みを誘う。笑い声というには外れた、いっそ殺意を孕んでいるのではと思わせる声だが彼にとっては至って普段と変わりがない。

 深く息を吸い、ゆっくりと吐く。それだけで容易に、名残すら残さず笑みは消えた。


「面倒事押し付けてんじゃねぇよ」

「マジごめぇん」


 独り言かと思われた声に、しかし返答がある。

 青年の隣に、同じ年頃だろう一人の男が気安い雰囲気で座った。真っ直ぐに切り揃えられた艶やかな前髪と、強い愉悦の笑みを浮かべる瞳が印象的な男だ。その男の登場を、酒場にいる誰もが気付かなかった。


「でも口封じしたったじゃぁん、途中で抜けた奴とかも、ぜーいん」


 気付かないまま、息絶えた。情報を求める男が出て行った時には確かに存在し、呼吸をしていた筈の人々が今この瞬間誰一人として動かず血だまりへと沈んでいた。

 男は机の上に足を乗せ、椅子を揺らしながらゲラゲラと笑う。心から楽しいと、愉しいと言いたげな笑い声だ。


「へいマスター! ウォッカぷりーず!」


 先程まで情報料として次々と積まれ続けていた金貨の山を無造作に掴み、カウンターの向こうへと投げ捨てる。金貨は物言わぬ店主の死体へと降り注いだ。

 キンッと床で金貨が跳ねる音が幾つも重なって聞こえる。男は再び声を上げ、狂ったように笑っていた。

 どうせ明日には新しい人間が何事もなかったかのように地下酒場を営業するのだ、何を気にすることも無い。


「つーかぁ、アレ泳がすの?」


 ギコギコと椅子を揺らしながら男が言う。

 全員殺したと、そう口にしながらも唯一手をかけなかったのが先程まで青年から情報を買っていた男だった。


「普通アレじゃん、我らが頭の秘密を知ってる奴は生かしておけぬ……みたいなさぁ」

「お前殺さなかったじゃねぇか」

「貴族さんむっずかしーんだもーん」


 乗せた足でカウンターをガンガンと蹴りながら一人盛り上がる男に、青年は今や動かぬ店主が作った最後の一杯である酒を飲みながら同意する。

 彼らが“貴族さん”と呼ぶ清廉で品の良い男は、のんびりとしている印象に反して思考が止まる事が無い。全てを見通していると言われても納得してしまうような、一つの言葉で百を動かし千を把握する人間だ。

 彼の影響が一体何処まで及んでいるのか、誰の何の行動が必要なのか。彼を狙う人間の動きさえその思考に組み込まれているのだと思えば容易に潰すことさえ出来ず、それを見極めるのは酷く難しい。


「そこら辺お前がいっちばん知ってっし、お任せしまぁす」


 じゃぁんっと勢い良く広げられた手を、青年は鬱陶しいと言わんばかりに叩き落とす。

 しかしこの馬鹿みたいに笑い続ける男が良くその結論に辿りつけたものだ。本来ならば思考を放棄しているように何も考えず動き、何も考えず発言し、何も考えず殺しては楽しい楽しいと笑っている男なのだから。


「良くいんじゃーん、復讐者っつうの? でも頭の正体まで知ってんのはレアっぽい?」

「死に損ねだろ」

「見られたら殺してんもんね、ぜーいん」


 ここにはいない一人の姿を思い出す。

 赤い髪をしならせながら相手を絶命させる事に特化した剣に躊躇は無く、その眼光は暗く鋭く相手を嘲り、口元は歪んだ笑みを浮かべながらも何処か退屈そうだった。そんな自らのトップがたかが暇つぶしの盗賊業で顔が割れるようなリスクのある真似などしないと二人は知っている。

 生まれながらの狂人である自分達と違って、より強い闇を孕みながらも“まだ良いや”というように狂わず、その境界を至って正常な理性を以って楽しんでいるような恐ろしい人間なのだから。


「一時期わざと逃がして軍とか呼ばせんの頭ハマッてたし、そん時の奴かも」

「あーね!」


 あれは楽しかったと男はゲラゲラ笑い、開いた口をそのままに瞳をより深い笑みに染めた。


「でもさぁ、流石に」


 男が後ろ脚だけを支えにゆらゆら揺れていた椅子を勢いよく戻した。ガタンッと椅子の脚と床が勢いよくぶつかる音が静かな酒場へと響く。

 そのまま青年を覗きこむようにカウンターへと頬を乗せながら、その片手を伸ばした。その顔は変わらぬ心底楽しげな笑みを湛えている。


「喋りすぎぃ!」


 次の瞬間、何も掴んでいなかった筈の手に現れたのは小振りのナイフだった。

 それが余りにも自然な動きで、余りにも素早く瞳の見えない青年の眼前で薙ぎ払われる。青年がグラスに寄せていた唇を離すのと、グラスが鋭利に切断されたのは同時だった。

 キンッとグラスの欠片がカウンターの上で跳ねる。欠けたグラスから零れ落ちた酒が青年の手を濡らした。


「死にてぇなら一人で頭に喧嘩売ってくんなぁい? マージかーんべーん」


 何年物の恨みかは知らないが、盗賊団の首領どころかその周囲まで調べつくしていた男は当然のように品の良い冒険者のことも知っていた。その事に関する質問に淀みなく答えていたのは、他でも無い青年だ。

 予想するまでもなく、一番手を出されればマズイところに手を出されるだろう。

 頬を机につけたままニヤニヤと笑う男に、青年は濡れた手を振り払う様にグラスを投げ捨てた。グラスは正面の酒瓶が並ぶ棚に叩きつけられ、まるで破裂するような音を立てて砕け散る。


「だからてめぇは空気読めねぇって言われんだよ」

「うっせぇ猫被りぃ」


 青年は前髪に隠された瞳を細め、濡れた手をカウンターへと押し付けるように拭う。

 艶やかな表面に幾筋もの水の跡が残るのを一瞥し、そのまま立ち上がった。美味い酒が飲めないのならこんな血の匂いに溢れた場所になど用は無い。


「平穏平和で穏やかのんびり暮らしてぇなら、頭なんざ身内に入れねぇよ」

「つ・ま・り?」

「少しは接待しろってこと」


 青年は薄らと笑みを浮かべながら誰もいなくなった店内を出口へと歩く。

 その後ろに男も続いた。心から面白い愉しいと言うように、成程成程と手を叩きながら大声で笑っている。


「さぁっすが貴族様! あの人よーく笑うから俺だぁいすき!」

「つうかお前口狙うの止めろっつってんだろうが」

「ッァハハハハ! 分ぁかってねぇなぁ!」


 男はバッと両手を広げる。観客などいないというのに役者のような立ち姿を晒すと同時に、切り揃えられた前髪が揺れた。


「 The Life is Smile,Smile,Smiiiiiile!!(泣きながら生まれたなら笑いながら死ね!!) 」


 地下の空間に響く笑い声は、閉じられた扉に遮られ徐々に小さくなる。

 残された酒場には物言わぬ人々が床へと横たわっている。その口元は一人残らず無残に斬り裂かれ、歪な笑みを浮かべていた。







 男は様々な感情が焼き切れて頭が酷く熱を持つのを感じながらも、思考は何処までも冷静に沈んでいく奇妙な感覚に口元を歪めた。それは男が復讐を誓った日から初めて浮かべた笑みだったが、彼自身はそれに気付かない。

 その笑みも、すぐに消えてしまったが。


「やっとだ……」


 ポツリと呟いた声は夜の静寂に溶けていく。

 男はかつて冒険者だった。とある付き合いの長い商人の護衛依頼を受け、昼は時折魔物の相手をしながら雑談に興じて夜は仲間と商人らで焚火を囲い盛り上がった。

 そんな順調な道中が突如終わりを迎えたのは、後一夜明かせば目的の国につくという時だ。今でも鮮明に思い出せる、夢に見ては毎日うなされて起きる。

 Sランクになろうと笑い合った仲間達が、なら今の内にツバを付けておくかと笑って商品を利益など無くなる値段で譲ってくれた商人達が、目の前で殺され抵抗むなしく殺され命乞いしては殺された。


「……ッ」


 ズキリ、と痛んだ顔面の傷跡を押さえ男は歯を食いしばる。

 目に焼き付けた鮮やかな赤い髪、片目をナイフで抉られ毒に侵され脳みそが音を立てて焼かれていくような感覚、最下位の回復薬をぶちまかれ痛みに気を失っては痛みに叩き起こされる永遠とも思える激痛、全てを覚えている。

 最後に聞こえたのは、何日で自分達を討伐しに軍がやって来るのかを賭ける笑い声だった。


「苦しめ」


 苦しめ、苦しめ、と数度呟く。自分と同じ苦しみを味わえば良い。親しい者を傷つけられる苦しみを味わえば良い。

 高額をも超えるような金額ゆえに得られた情報は少ないが、しかし元々おおよその情報はそこらの情報屋から得ていた。あの地下酒場でしか得られない、必要な情報など幾つも無い。

 復讐さえ終わってしまえば金銭に意味など無く、無一文になろうと何も問題はないのだから出し惜しみもしない。この為だけに蓄えた金だ。


「……」


 そして男は歩みを止める。淀んだ目はひたすらに地面へと向いていた。

 夜の黒に染まる地面へと映し出すように思い浮かべたのは事前に調べていた穏やかで品の良い顔で、心の中で一切の躊躇なくその顔へ苦痛を刻み込み、踏みにじる様に再び歩みを再開する。

 タイミングを図らなければいけない、一刀には太刀打ち出来ず復讐対象も手を出すには己は力不足だ。穏やかな男が一人になった所を狙うのが良い。

 大衆がいる環境で盗賊を匿っていた事を露見させ奴らを追われる身へと貶めよう。そして穏やかな男を自分と同じ目に合わせて奴へと思い知らせてやれば良い。

 直接関係のない人間に手を出すことに一切の躊躇も感じないまま、ローブに包まれた男は闇の中へと姿を消して行った。







 リゼルはその日、もはや馴染みと言えるようになった酒場にいた。

 顔見知りとなった常連に相変わらず誘われ、相変わらず拒否することなく席について会話に混じっている。話題が専ら自分達の事ばかりなのでリゼルは正直周りの話も聞きたいと思っているのだが。

 今日も港の作業員たちの仲間に入れて貰い、一人だけ水を飲みながらスジ肉の煮込みを突いていた。ホロホロと口の中でほどける程に柔らかく煮込まれているのは美味しいが、基本的に酒のツマミとして出されているので少々味が濃い。


「そういや冒険者殿、いつかの夜に道のど真ん中で何人か土下座させてたっつう噂があんだがマジか」

「否定は出来ません」

「!?」


 そんな雑談をしていた時だった。ふと酒場の扉が開く。

 店内のざわめきが少し小さくなった。それは扉を開けて現れた人物が酷く酒場に似つかわしく無い男だったからだ。

 一人だというのは良い。リゼルだって一人で来ているし、今もカウンター席で仕事終わりの一杯だと上機嫌に飲んでいる者もいる。

 ローブで顔がほとんど隠れてしまっているのも怪しいが良い。アスタルニアに慣れない人間が日差し避けに布を被っていることもあるし、人の趣味に一々口を出しはしない。

 異様なのは纏う雰囲気だった。見るからに奇妙で陰鬱としており、これが静かなバーならば納得も出来るだろうが賑やかな酒場には余りにも似つかわしくない。


「……何だぁ、あいつ」

「何かヤベェ感じすんな」


 わざわざ関わるのを避けたい異様な人間だ。訝しげに小声で呟く作業員達の言葉に、その時になってリゼルはようやく扉を向いた。

 男の背後でゆっくりと扉が閉まる。男はその場に立ち止まり動かない。

 ただ、その布に見え隠れする淀んだ瞳はリゼルを向いているようだった。リゼルは微笑み、手に持つグラスから一口水を飲む。


「い、いらっしゃーせー……」

「店員さん」

「へ?」


 若干口元を引き攣らせながら来客者に声をかけ歩み寄ろうとする店員をリゼルは呼び止めた。予想だにしない横槍にびくりと肩を揺らした様子に微笑みを向け、中身の少なくなったグラスを少しだけ揺らす。


「お水、良いですか?」

「え、あ、へい。あ、噛んだ。はい」


 店員はパチパチと目を瞬かせ来客者とリゼルを見比べ、ハッと気を取り直したようにカウンター席の向こう側へと水の用意をしに向かった。

 その間にゆっくりと男はリゼルへと近付く。作業員達が異様な雰囲気にいつでも立ち上がれるよう椅子を引き警戒を露わにする中、リゼルは至っていつもと同じように微笑んでいた。

 椅子の向きを変え、男と向きあうようにする。男は数歩の距離を空け立ち止まった。違う机につく客達がざわりざわりと話し合う声がする。


「フォーキ団を知っているだろう」


 男がポツリと零した。


「パルテダールを中心に、時にはサルスにも出没していた史上最悪と言われる盗賊団だ」


 被害を受けたことがないアスタルニアの人々は心当たりが無いらしいが、しかしリゼルと席を同じくする港の作業員は聞いたことがあるようだ。曰く、海路で良かったなと。

 陸路はかの盗賊団に狙われることがある。狙われてしまえば商品は失い全員皆殺しだ。

 フォーキ団を名乗る盗賊かぶれは時折現れ討伐されることがあるが、真にフォーキ団と呼ぶべき存在は余り現れない代わりに全てを奪って行く。そして姿形さえ掴めないと。


「俺も馬車の護衛依頼の時に襲われましたよ。ほとんど下っ端だったみたいですけど」


 穏やかに微笑むリゼルに、ピクリと男の眉が動いた。


「自らを襲うような男を何故……正気とは思えんな」


 ふいに男が被っていたローブを外す。ざわり、と大きく酒場がざわめいた。

 その風貌は筆舌に尽くしがたかった。顔半分が捻じれ爛れ、子供が見れば恐怖で泣き喚き、女性が見れば震え必死に目を伏せ、大の男が見ても息を呑み視線を逸らさずにはいられない程に酷く崩れている。

 誰もが顔を顰める中、真っ直ぐ向けられたままのリゼルの視線に男は唇を歪めた。


「フォーキ団の首領にやられた」


 低く、年齢の割にしわがれている声が言う。


「知っているだろう。お前の所の、赤毛の獣人だ」


 酒場の視線が一斉にリゼルへと向く。リゼルはその視線を受けながらも気にせず、何かを考えるように口元に手を当てた。

 その様子は余りにも平然としており隠すべきことを暴かれた人間とはとても思えず、向けられた驚愕の視線にうろたえる事も誤魔化そうとする素振りもない。

 何かを思案してか余所へと向けられていた視線は、ゆっくりと首を傾けると同時に男へと戻った。


「イレヴンのこと、で間違いないですよね」


 言われている意味が分からない、と言うようなリゼルに男は捻じれた顔を引き攣らせた。

 そして恐る恐るリゼルへと水を運んできた店員からグラスを乱暴に奪い取り、その勢いのまま腕を振るう。冷たい水がぶちまけられようとしているというのに、リゼルはただ微笑んで動かない。

 そして今まさにグラスの中身がグラスから離れる瞬間、まるでグラスが破裂するかのように男の手の中で砕け散った。


「……何をした」


 ぼたぼたと、自らの手から零れ落ちる水に男はその動きを止めた。

 砕け散ったガラスの破片を靴の底で踏みつぶす。


「俺は、何も」


 リゼルはにこりと笑う。その言葉に嘘は無い。

 少しだけ手の甲にかかった水滴を机に置いてあった布巾で拭き、それを机へと戻しながらふいに立ち上がった。

 それはまるで男と対峙するようで、止めておけと声を上げようとする作業員達を掌を持ち上げることで止める。


「全て、貴方のおっしゃる通りですよ」


 ふいにそう告げながら、リゼルは持ち上げた手で髪を耳にかけ微笑んだ。


「それで、俺へは何の用事ですか?」


 男はようやく認めたかと、いっそ落ち着きはらっているようにも見える表情でローブの中へと手を伸ばす。

 男がどれだけ金を積もうと手に入れられなかった情報の中にはリゼルの実力があったが、もはや失敗しようと復讐は果たせる。復讐と傷跡に歪んだ顔で明るい道を歩けなくなった男同様、イレヴンを盗賊だと言ってしまった以上後戻りも出来ずに彼らも暗い道を歩く人生に落ちぶれるのだから。


「お前には、俺と同じ目にあってもらう……それが奴への復讐だ」


 ナイフも毒も何年も前から用意が出来ている。

 後はこれを、あの手を出しがたい瞳へと突き立てるだけだと男はローブの中のナイフを握りしめた。ギシリ、と柄が軋む程の力が知らず籠る。


「自らが慕う人間が壊された時の奴の反応を見られれば、思い残すことは無い」


 淡々と告げる男の、むしろ激昂しない所が酷く彼を恐ろしい存在にしていた。

 アスタルニアの人間は強面の冒険者に喧嘩を売られようと喧嘩を買うし、殴り合いの喧嘩を見物し煽るような人間ばかりだ。しかし目の前の男に関しては全く違う。


「それは……困ります」

「すまんな、何を言おうと止めるつもりはない」

「話し合いましょう、ね? ほら、お酒もありますよ」


 場違いな程に酷く優しい声で語りかけるリゼルと、明らかにローブの中に何かを隠し持っている男の距離が近寄るのを周囲は息を呑んで見ていた。

 男がゆっくりとリゼルへと足を進める。リゼルは困ったように苦笑しながらも、優しい声で話しかけるのを止めない。しかし男からの返事はもはや無かった。

 手を伸ばせば届く距離になり、ふいに男の歩調が荒くなった。振り被られたナイフと無事に残る男の片目は真っ直ぐにリゼルの左目を向いていた。男の身体に力が籠る。


「ようやく……ッ」


 喉の奥から絞り出すような歓喜の声が、男の唇から零れ落ちたのは無意識だったのだろう。

 振り下ろされるナイフと共に告げられるだろう達成の言葉は、しかし直後失われた。


「肉体労働舐めんなゴルアァァァァ!!!」


 とてつもない衝撃を後頭部に受け、男は酒場の床へと叩きつけられた。

 その背後にはリゼルと同席していた作業員の内の一人が、中身が限界まで詰まった酒樽を担ぎ上げて険しい顔をして男を見下ろしている。損傷した樽の一部から葡萄酒がドクドクと溢れているのが、それで殴りかかった事実を如実に表していた。


「うちの酒ー!」

「んなコト言ってる場合か! おい冒険者殿どっかやれ!」

「すみません、お酒は俺が弁償しますね」

「冒険者殿ほら下がれって! アイツ頭ヤベェぞ、目立つから目ぇ付けられんだよ!」


 喧騒に慣れたアスタルニアの人々が何故男を恐ろしいと感じたのか。

 それは例えば幼子を呼び止めお菓子を片手に無理に手を引いて行こうとする人間を見た時や、例えば息を荒らげて女性の後ろをつき纏う男を見た時や、例えば両手に包丁を持って満面の笑顔で大通りを駆けて行く男を見た時に似ている。

 つまり誰もが“こいつヤベェ”と当たり前のように感じるそれを、彼らは今確かに感じていたのだ。何かもう本能的に怖い。


「ロープ持って来い、ロープ!」

「巡回でも何でも良い、呼んで来い!」


 数人がかりで床に押さえつけられた男は何も分からなかった。何故こうなるかも分からない程、彼の心は憎悪に染まり歪みきっていた。

 復讐の為だけに生きてきて、それが今崩れ去ろうとしている。何故だと疑問ばかりが浮かぶ中で男が見たのは、穏やかに微笑むリゼルと彼を自分からなるべく離そうとしている酒場の客達だった。


「話合わせて落ち着かせようなんざ無謀だぜ、冒険者殿よ」

「そういや前に港でも何か成りきってたが、絡まれても一々相手にしなくて良いんだぜぇ」


 男は目を見開いた。傷口が引きつって痛みを訴えるが彼は気付かない。


「だって」


 リゼルがちらりと男を見る。

 その目がゆるりと細められ、そして苦笑した。


「可哀そうじゃないですか」


 まさか、と男の手がぎしりと握りしめられる。

 自分の復讐はこれ程に軽く終わらせられてしまうのか。焦がれる憎悪は頭のいかれた男の勝手な暴走とされ、真実は気狂いの戯言と化し、明日には面白可笑しく噂され復讐を誓った相手は何も変わらず過ごしていく。


「ふざ、ふざけるな……ッ俺の復讐を、何だと、何だと思っている!!」


 吠えるように叫んだ男は自らを押さえる手を振りほどこうと暴れる。しかし屈強な男達に取り押さえられた身体は何一つ自由には動かない。

 相手を睨み上げるように辛うじて顔を持ち上げた男に向けられたのは、酒場中の敵意だった。騙されているんだと叫ぼうとした口は、布を詰め込まれ言葉を紡ぐことは無かった。

 ふざけるな、ふざけるな、と何度血を吐き出すほど叫ぼうともはや無意味だった。男は自分の中の何かがバキバキと音を立てて壊れて行くのを感じる。


「貴方の言葉が真実だとして、一つだけ」


 そんな男に、リゼルがゆったりと近付いた。

 身動きが取れない程に縛られているが危ない、と床に転がるナイフを布でぐるぐる巻きにしている客の一人である冒険者に言われるが少しだけと男の前に立つ。

 気弱な者ならば向けられただけで気を失いかねない血走った目がリゼルを貫いた。しかし気にも留めず髪を耳へとかけながら、男へと言葉を落とすように腰を折り微笑んで唇を開く。


「相手が悪かったですね」


 告げられた言葉に、男は叫び声を上げたようだったが布に阻まれ何を言っているのかは分からなかった。







 巡回兵が男を引き取りに来たと同時に、リゼルも店を出た。心配の声に大丈夫だと返し、食事代と迷惑料を多過ぎると言われながら渡し、謝罪にまた来いと返され嬉しそうに微笑む。

 二人の兵はリゼルと一言二言言葉を交わし、時折何かを唸る男を引き摺るように歩かせて去って行った。リゼルはそれを一瞥し、夜のアスタルニアを歩く。

 その行き先は宿では無かった。五分ほど歩いた場所にある、アスタルニアでは珍しい個室風を売りにしている酒場へと足を踏み入れる。

 店はやや薄暗く、雰囲気だけ見れば酒場と言うよりバーに似ていた。案内されたのは衝立で周囲を区切られた、背の高い小さな机と二脚の椅子があるスペースだ。


「ごゆっくりどうぞ」

「有難うございます」


 リゼルはノンアルコールのカクテルと適当に強い酒を注文し、落ち着いた物腰で頭を下げた女性を見送る。

 隣かその向こうからか、微かに聞こえる話し声を聞き流しながら待つ事少し。注文の品が運ばれてくるより前にやってきたのは、前髪で瞳を隠したフォーキ団精鋭の一人だった。

 どうぞ、と手を差し出すと彼は少しばかり躊躇いながらも向かい側へと座った。


「二人とも、意外と兵団の衣装が似合ってましたね」

「や、そうでも無いですけど」


 先程男を引き取りに来た巡回兵は二人とも本当の巡回兵では無い。

 一人は目の前の男、一人は前髪を切り揃えた男、どちらもリゼルには見覚えのある顔だった。ここに居ない一人は男を連れて何処かへ行ったのだろうと、ゲラゲラ笑いながら男を縛るロープを振り回していた姿を思い出す。

 これで本当に軍へ引き渡せば色々面倒になることは想像に難くないので、どうやら自分達で処理をするようだ。リゼルは然して興味が無いので特に聞く事も無い。


「お待たせ致しました」


 ふいに店員が衝立をノックし、トレーにグラス二つを乗せて現れた。

 リゼルはそれを受け取り、酒の方を精鋭へと差し出す。


「今日、水をかけられそうな時に助けて貰ったので」

「あ、それで呼ばれたんですね」


 ここで断っても恐らく意味は無いだろうと精鋭は素直に受け取り、一口飲む。


「いえ、本題は君が俺で幾ら稼いだのか聞こうと思ったからなんですけど」


 思わず噎せ掛け、グラスをやや乱暴に机に置きながら下を向いて耐える。

 気付いているだろうと気付いてはいた。自分が男を見逃すどころか情報を流した事も、実は二人で店にいて見学しながらぶち撒かれそうになった水を防いだ事も、完璧な知らないフリを披露するかと思いきや思いきり不審者扱いした事にもう一人が声もなく爆笑していた事も。

 結構楽しんでいたようだし、この程度のことで文句を言うような人間でもないと知っているが、まさか其処を突くとは思わなかった。


「そうですね……」


 うーん、とリゼルはマドラーでカクテルを混ぜながら考える。


「情報の内容から情報料はかなり高額になるでしょうし、あの人も大した数は質問出来なかった筈ですよね」

「まぁ……そうッスね」


 精鋭は下を向いていた顔をそろそろと上げる。

 前髪に隠れた瞳がリゼルを窺う様に見て、そこに怒りの色が無いことを改めて確認した。むしろ楽しそうではあるのでイレヴンに命を取られる事は無いだろう。


「なら、多分俺に関する質問はあの人の口振りからすると一つだけ」


 カラン、とマドラーに回され氷同士がぶつかる音がした。


「“俺がイレヴンの正体を知っているかどうか”、でしょう?」

「正解です」


 それは良かったとリゼルは微笑んだ。

 そして美しいグラデーションが溶かされたカクテルを飲む。甘さ控えめな風味はスッキリとしていて、弱めの炭酸が喉を通り抜けるのが気持ち良い。


「情報料の基準って、最高位のもので幾らぐらいなんですか?」

「まぁ、人によってバラバラですけど……大体金貨十枚から十五枚ぐらいじゃないですかね」

「じゃあ十五枚として」


 容赦なくギリギリ一杯の金額を選ぶ辺り、リゼルが目の前の精鋭をどう思っているのかが分かる。取れるものは取る男なので全く間違いではない。


「賢い君のことです、もっと貰いましたよね」


 もはや確信しているだろう言葉に、精鋭の口元が引き攣った。


「例えば、“フォーキ団の首領が未だ生きているとなれば偽物を処刑したパルテダールに混乱を引き起こせる”とか」


 フォーキ団の殲滅を実現させたのは憲兵団で、その元締めは子爵の地位を持つレイだ。

 爵位としてはそれ程高くも無いが、国中に存在する憲兵ゆえにその信用が地に落ちれば影響は計り知れない。国単位での影響が出るだろう。


「例えば、“フォーキ団の首領を冒険者にしているなんて判明してしまえば冒険者ギルドはとてつもないダメージを受ける”とか」


 常に国との間で絶妙なバランスを取っているギルドが決定的な弱みを見せればどうなるか。

 最悪フォーキ団の活動圏内だった国のギルドが消滅しても可笑しくは無い。


「後はオーソドックスに“バレた時のリスクを踏まえて”、でしょうか。幾らで吹っかけました?」

「貴族さんの情報は、金貨三十枚で」


 にこりと笑うリゼルに、精鋭は諦めたように潔く告げた。誤魔化す気にもならない。

 やっぱり本命のイレヴンじゃないから意外と伸びないなぁと、ほのほの微笑んでいる姿を眺めて椅子に背を預ける。恐らくこれから「じゃあ何割貰おうかな」という会話に繋がるのだろう。

 とある男曰く史上最悪の盗賊団相手に金を分捕ろうなどとは、全くこれだから面白い。これで自分達を従えているつもりも無ければ、命知らずな訳でも無いのだから。


「頭が気に入んの分かるよなぁ」


 小さく呟いた口元は笑みを描き、さて自分達のトップが来る前にお暇したいが暫くは金額交渉を頑張ってみようかとグラスを仰いだ。







「んっんっんんー!」


 艶やかな前髪を切り揃えている男が、機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら歩いていた。

 その身はアスタルニア憲兵の服に包まれ、手は引き摺るように引っ張っている復讐者を縛るロープを振り回し、そして何かを見つけたように空いている片手をバッと上げる。


「あ、頭ぁー!」


 向かいから歩いて来たのは、月の無い夜を慣れたように歩くイレヴンだった。


「そいつ?」

「そうでぇす、貴族さんにめっちゃ遊ばれててめぇっちゃウケた!」


 上がる笑い声に鬱陶しそうに顔を顰めて、イレヴンは冷めた視線で復讐者を一瞥する。

 彼は未だ布を噛まされているままだ。その状態で壊れたように時折何かを呟いていたが、何かを感じたのか淀んだ瞳を持ち上げた。

 ふいに雲の切れ間が微かに訪れ月明かりが彼らを照らす。復讐者の男は、その瞬間過去に目に焼き付けた鮮やかな赤を確かに目の当たりにした。

 正気の飛んだ瞳に一瞬にして憎悪と言う名の光が灯り、胸の奥深くに渦巻く底知れない憎悪を全て吐き出そうと大きく口を開く。引かれるがままに歩いていた身体に力が籠り、イレヴンへと足を踏み出そうとした時だった。


「つーか誰だよ」


 男が最後に聞いたのは、冷めきった声で告げられた絶望だった。

 再び雲が月を隠す。暗い道には男の身体が倒れる重い音がした。


「リーダーは?」

「あいつとどっかの店入ってまーすよ。あの酒場近くの店ならレンガっぽい細い店とかぁ」

「あっそ」


 そしてイレヴンは何事も無かったかのように歩き去って行った。その歩調は先程より少し速い。

 もはや復讐者のことなど忘れているだろう。リゼルに手を出しかけた事は忘れる事は無いが、男が何者なのか何を目的としていたのかなど興味は無いのだから。

 残されたのは一人の男と一つの死体で、男はブンブンと手を振りながらイレヴンを見送り死体を見下ろした。何も言われなかったのだから処理しておけという事だろうし、ならば何をしても良いだろう。

 しゃがんで、ごそごそと死体を仰向けにする。


「 Please Smile ! 」


 男は湧きあがる笑みに瞳を細め、ナイフを手にし振り被った。




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― 新着の感想 ―
今更小銭に用のないリゼルが金銭を要求するってことは、それで手打ちにするってことだから  精鋭さんをイレヴンからかばう手段でもあったんだろうなあ  現時点でリゼルの役にたってるの復讐者じゃなくて精鋭さん…
いやー、リゼルさん、ブレないw 好きだわ~♪ ちゃんと高位貴族を書ける作者様もナイスです!
[気になる点] The life is smile だと、笑いながら死ね、という解釈は出来ないと思いました、人生は楽しいことで溢れている、というように捉えることの方が多いかと。そうですね、、例えば、D…
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