100:十分後騎兵団を呼ばれた
心地良いながらも少しの暑さを感じながら、リゼルは薄らと目を開いた。
その体は未だ普段の彼と比べると酷く小さいままだったが、そんな事は知る由も無いままに目の前の体温へと擦り寄る。黒いタンクトップへと額を擦り寄せていると、布越しの体が吐息の様な笑い声と共に小さく震えるのが伝わってきた。
抱き寄せるように回されていた腕が動き、リゼルの後頭部をくしゃくしゃと撫でる。そのまま小さな体を抱え込むように眠りを再開させようとするイレヴンに、しかしリゼルはもぞもぞと動き続けていた。
「ん……駄ァ目、まだ寝てよ」
腕の中から抜けだそうという動きに、イレヴンは寝起きで掠れた声でそれを止める。
抱き寄せた体は酷く温かくイレヴンにしてみれば熱い程で、実際彼の額には薄らと汗が滲んでいるものの決して不快には思わない。気だるげに開いた瞳で腕の中の存在を見下ろせば、じっと此方を見上げている。
その瞳は少しだけ眠気を残してはいるものの存外パチリと開かれていて、子供の頃の方が寝起きが良いんじゃないかなんて思ってしまう。とはいえ今も、早朝と言えるような時間は過ぎているのだが。
「イレヴン?」
「あー……ねっむ……」
もそもそと体を起こして此方を見下ろすリゼルに、シーツに投げ出していた手を持ち上げる。肘から先を起こしただけで掌は容易にリゼルの頬へと届き、指の背でくすぐるように目の下を撫でてやるときゅっと瞳が閉じられた。
すぐにそろそろと開かれた大きな瞳はもう寝る気は無いのだろうと思わせ、残念に思いながら今度はふにふにとその頬を摘まんだ。柔らかいながら確かに感じる弾力。素晴らしい。
「おきます」
「待って待って」
しばらくされるがままになっていたリゼルだったが、イレヴンがまだ寝ていたいのだと気付いたのだろう。そのままシーツの上を移動して何処かに行こうとするのを、頬へと当てていた手をうなじに回して少し引き寄せることで防ぐ。
くすぐったい、と言いたげに首を振ったので直ぐに手を離してやったが、しかし起きると決めたら流されず起きようとする所がリゼルだろう。これは二度寝してくれなそうだ、と赤い髪を掻き混ぜながら体を起こす。
「イレヴン、ねむい?」
「すっげぇ眠い」
昨晩、幼いリゼルと共に眠りについたは良いものの、彼からしてみれば有り得ないといえるかなり早い時間に寝てしまった為に変な時間に目が覚めた。それはもう普段ならばまだ起きている時間に寝て、普段ならばまだ起きている時間に目が覚めた。
当然眠気など何処かに行ってしまった為に眠る事も出来ず、彼はひたすら寝続けるリゼルを眺めて過ごしていた。ちなみに呼んでみても撫でてみても突いてみても捲ってみても何をしてもリゼルは一切起きなかった。
結局再び寝られたのは日も昇るような時間で、それ故に彼は今心の底から眠い。
しかしリゼルを一人で放っておくつもりは無い。胡坐をかき、横でちょこんと座っている小さな体を両手で抱き上げる。
向かい合うように自らの足の上に座らせると、小さな手がきゅっとイレヴンのタンクトップを握った。支えていた手を離せばバランスが取りづらいのだろう、自然と体を寄せて此方を見上げる姿に口元が笑みに歪むのを感じながら可愛い可愛いと両手で頬を包むようにむにむと撫でる。
ふわふわと笑っているリゼルは、やはり幼くなっているだけあって構われるのが嬉しいのだろうか。昨日本を読んでいる時に構ったらいやいやされたが。
「あ」
「イレヴン?」
「シィー」
不思議そうな顔でどうしたのかと問いかけようとした唇に、頬にあてたままの手で親指を這わせて閉じさせた。きょとんとしながらも良い子に口を閉じたリゼルに褒めるように目を細め、扉の方へ視線を送りながら戯れるようにふにふにと柔らかい唇の感触を楽しむ。
数秒の後、指は離れて行った。
「丁度ニィサン帰って来たし、あの人と一緒なら良いよ」
リゼルには何も聞こえなかったし、聞こえたとしても玄関の開く音が聞こえたような気がする程度だけだったがイレヴンには誰が扉を開けて入ってきたのかが分かったようだ。
リゼルの脇に手を入れ両手で持ち上げながら、イレヴンは再び寝てしまおうとばかりにごろりと寝転がる。下ろされたのは腹の上で、しかしリゼルは直ぐに降りようとはせずによいしょとその体の上を移動する。
胸の上まで辿りつき、一体どうしたと面白そうに笑うイレヴンの顔を見下ろした。慈しむように頬へと伸ばされた手を両手で握りしめ、ふわりと穏やかながら花開くように微笑みを浮かべる。
「おやすみなさい」
「……ん、おやすみ」
イレヴンは自らの指を握る華奢で短い指をゆるく握り返し、離す。
そのまま頬を二度三度優しく撫で、耳を覆う髪を梳くように頭の後ろへゆっくりと掌を滑らせた。小さな頭を引き寄せる。少しの抵抗もない様子に、ベッドに預けていた背を浮かせた。
そして笑みを浮かべたままの唇で、寄せた額へと触れる。
「行っといで」
「はい」
囁くような声にくすぐったそうに笑う姿を視界に収め、イレヴンは満足そうに目を閉じた。
キィ、と小さく扉の音をさせながらイレヴンの部屋から顔を出したリゼルにジルは片眉を上げ、外で一服して自らの部屋に戻ろうと扉にかけていた手を下ろした。此方を見上げながらトコトコと近付いてくる幼い姿を見おろして待つ。
「ジル、おはようございます」
「あぁ。……あいつはどうした」
「ジルといっしょになら良いっていって、ねてます」
構いたがりの割に自らの欲求にも正直なところがイレヴンらしいか。
どうせ早く寝過ぎて寝られなくなったか、リゼルを眺め続けた所為で寝られなかったかどちらかだろう。そう見当づけてジルは微かに身をかがめながらリゼルへと手を伸ばした。
「汗かいてんじゃねぇか」
「んー」
湿った前髪が丸い額へと張り付いている。
くっついて寝たのだろう、暑いのに良くやるものだ。そう思いながら前髪を除けてやると、すんっとリゼルが香りを嗅ぐようにその掌を視線で追う。
不思議そうな瞳にどうしたのかと微かに眉を寄せると、問いかけるように小さく首が傾げられた。
「ちょっと、へんなにおい」
「……」
得てして大人の香りと称される芳香は子供には理解されないものだ。
普段のリゼルならば“好きかもしれない”と称するジルの微かな煙草の移り香も、幼くなった彼にとってはまた違った印象を与えたらしい。滅多に嘘は言わない上に言うべきことは意外にもはっきり言う男なので、普段のリゼルが平気な振りをしているという可能性は無いのは確かなのだが。
変とは言いつつも、すんすんと香りを探してはいるので嫌いと言う訳では無いのだろう。だが余り好ましくも無い筈だし何より彼にはこの香りは似合わない、普段と同じくさっさとシャワーを浴びて流してしまうかと溜息をつく。
「汗流してぇなら来い」
「ながします」
こくりと頷き、ちょこちょこと隣に来たリゼルを片手で持ち上げる。そのまま階段を降り、風呂場へと向かった。
別にリゼルは階段ぐらい一人で降りられる。降りられるが、子供の事など何も知らないジルはこれだけ小さければ降りられないだろうと勝手に思い込んで運んでやっている。リゼルは楽だから気にしない。
最後の一段を降り、下ろすのも面倒くさいと抱き上げたままで移動する。おなかすいた、と何故かこのタイミングで零したリゼルにシャワー後にでも直ぐ食べられるよう宿主に言っておいた方が良さそうだと考えた時にふと思い出す。
「そういや着替えが無ぇな……」
「そんな貴方に宿主さんが朝一で買いに走って厳選した子供服は如何でしょうか今なら全力でふわっふわに仕上げたタオル付き」
いつの間にか隣に立っていた宿主が着替えとタオル一式を差し出していた。
いや、気付いてはいたが。自然にすれ違うのかと思いきや余りにも不自然な流れでそれを差し出して来た。
ちらりと差し出されたそれを見下ろす。アスタルニアではあまり見ないだろう品を感じるような子供服に、一体何時に起きて何時間何処を探したのかと思ってしまう。
「タオルだけ貰う」
「まさかの……」
ジルには関係が無いが。
「ちょっじゃあお客たんの今日の服どうするんですか昨日と一緒の服着せるんですか勿体無い間違えた非衛生的な!」
「装備着せんだから問題無ぇだろ」
「この人達の装備最上級だった……!」
リゼル達も全く洗わないという事は無く時々女将や宿主に洗って貰っていたりもするが、汚れないし匂いがつかないし何時まで経っても新品同様な最上級装備は本来洗濯すら必要の無い代物だ。洗濯したとしてもパッと水気を払うだけで充分乾く。
よって問題は無いだろうと、ジルは崩れ落ちる勢いの宿主を放置して風呂場へと歩を進めた。その肩からよいしょとリゼルが顔をのぞかせ、宿主を見る。
「やどぬしさん」
「はっ、どうしたのかなお客たん。この宿主さんが厳選した品を感じさせながらも可愛い白のブラウスとサスペンダー付きチェック柄の半ズボンと何と宿主さんとお揃いのネクタイが欲しくなったのかな!」
ふるり、と容赦なく首を振られ今度こそ宿主は崩れ落ちた。
「おなかすきました」
「よーし宿主さんお客たんがお風呂出るまでに頑張っちゃうぞ!」
しかし直後に復活し、奴隷と化した宿主はキッチンへと走り去って行く。
朝食を用意してくれるのだろうと嬉しそうにふわふわ笑っているリゼルをちらりと見下ろし、既にこの年で普段のマイペースさの片鱗が確かに見えると思いながら先程目にした子供用の服を思い出した。
別に頑なに子供服を着せたくない訳ではない。いつ元に戻るのかは数日中だろうという予想しか出来ないが、今すぐ戻っても不思議では無いのだから着ているのは共に小さくなってしまった装備の方が良いだろうという理由からだ。
迷宮のことだから着ていた服ごと戻しそうな気もするが。しかしだからといって、だからこそアレは無いだろう。良い年して似合いもしない半ズボン着用のリゼルが誕生してしまう。喜ぶのはとある肉欲系女子だけだ。
「流石に無ぇな」
「ジル?」
「別に」
至近距離から不思議そうな眼で此方を見る大きな目を見返し、ジルは風呂への扉を開けた。
本当にシャワーでざっと流しただけにも拘らず、宿の食堂には既に宿主による朝食の用意が済んでいた。相変わらずリゼルの皿は気合いが入っている。
始めリゼルは一人でよいしょと椅子に座り一人で食べようとしていたが、大人用に作られている食堂の机と椅子ではやはり難しそうだった為にジルは心底複雑そうな顔をしながら膝の上に乗せてやった。本当に乗せただけで放置していたのだが、リゼルは昨日のイレヴンの経験もあり上手くバランスを取りながら相変わらず子供に有るまじき美しさで食事をとっていた。
「ごちそうさまでした」
「お客たん偉いですね全部食べましたね。足りなくなかったかなおかわりも有りますよ」
「おなかいっぱいです」
それは良かった、と鼻歌を歌いながら皿を片づけて行く宿主を横目に、リゼルはお腹いっぱい過ぎてちょっと苦しいなんて思いながらポスリとジルへと寄りかかった。ジルは最低限の装備だけを身に付けている小さな体を見下ろし、その腹を眺める。
リーダーお腹パンパン、と言いながら昨晩イレヴンがリゼルの腹を撫でていたが、昨日今日と引き続き彼にしては確かに良く食べている気がする。育ち盛りか。
装備では無く普段着なジルは、薄手の衣服ごしに腹に感じる温かさを感じながら何とも無しにそんな事を考えていた。食休み中のリゼルはしばらく動きそうにない。
「ジル、ジル」
「あ?」
ふいに呼びかけられ、下を向く。相変わらずジルへと背を預けっぱなしなリゼルが此方を見上げていた。
「きょうは、どこかいきますか?」
「あー……別に用事はねぇ」
「なら、でかけたいです」
やはり貴族として育てられたからか、誰かしら付いていただろう幼少期に一人で出掛けるという発想は無いらしい。じっと見られ、眉を寄せる。
昨日は飽きることなくずっと本を読んでいたというのに、今日出掛けたいというのは何処か行きたい場所でもあるのだろうか。いやリゼルの事だから何となく外に行きたくなっただけか。
記憶が無い間に周囲に幼少時の姿を晒すのはどうかと思ったが、しかし行きたいというのも本人の意思だろう。これを自分が連れていくのかと思うと心底微妙なので出来れば行きたくない。
「ジル?」
だが断られるとは微塵も思ってはいない瞳に、それを口に出そうとは思わなかった。
もし昨日、迷惑かと幼い声で問いかけられた言葉に頷いていればリゼルは外に行きたいとも言わなかったのだろう。一人では無理な部分は当然のようにジル達に頼りながらも、その行動は遠慮でも何でもなく極々自然にジル達に都合の良いものになっていた筈だ。
手間はかからないに越したことは無い。そう思うのは確かだが、しかしジルがリゼルにそれを望んだことは普段も合わせて一度だって無い。
「好きにしろ」
「はい」
幼いリゼルがそれを考えて実践しているとは思えないが、しかし何処かで感じてはいるのだろう。だからこその出掛けたいという言葉かと、ふわふわと嬉しそうに笑う顔を見下ろし溜息をついた。
ガラの悪い男と品の良い子供というのは、ガラの悪い男と品の良い男以上に注目を集める。
騎兵団やら何やらを呼ばれないのは偏に品の良い幼児がジルへと和やかに話しかけている為で、ジルも酷くゆっくりと歩いて歩調を合わせてやっている為で、そして子供が明らかにリゼルを彷彿とさせていた為に他ならない。
お陰でリゼルの子持ち疑惑が浮かび、それをパーティメンバーであるジルが面倒を見ている疑惑が浮かび、そして先日ギルドで真相を目の当たりにした冒険者にその疑惑が届き真相が疑惑を消し去って行く。とはいえそれまではこの光景を見た人々にリゼルの子持ち疑惑が浮かびっぱなしなのだが。
「ジル、本です」
ふいにズボンを引っ張られてそちらを見ると、リゼルが横の店を指差していた。
見ると本屋が軒先に日陰を作り薄い本を並べており、本が娯楽の意味を持つアスタルニアだからこその子供向けの本が幾つか見える。足を止めてやると、真上を見上げるように此方へと向けられた瞳が期待を持って輝いた気がした。
「欲しいなら買って来い」
「はい」
ジルはイレヴンと違って基本的に放置だ。
好きなようにさせていると言えば聞こえは良いが、とにかく放って置いている。請われれば応えるし、今日の朝のように見るからに汗をかいているだとか何をしてやれば良いのかハッキリしている時は動くこともあるが、普段はどうすれば良いか良く分からないので放置している。
幼くなろうとリゼルはリゼルなのだから放っておいても自分で何とかするだろうと思っているし、おおよそそれは外れていない。今も子供向けとはいえ年齢を考えれば難しいだろう本を手に一人で買い物を済ませている。
こういう時、今のリゼルは子供に“戻って”いるのでは無く子供に“なって”いるのだと思い出す。此方に来たばかりのリゼルよりは余程上手く買い物をしている。
「ジル、ジル」
「持って歩くなよ」
もはや読みたいと言いたげに本を見せてきたリゼルに頷き、装備と同じく小さくなっているポーチを指差してやる。相変わらず名残惜しげに本を仕舞っていた。
そしてまた歩き出す。ジルは今日ちょこちょこと歩くリゼルについて行っているだけで、一体何処に行きたいのか何をしたいのかなど知らない。
その立ち位置が常の隣では無くやや後ろを歩いているのは、真横だと完全に小さな体が視界から消えるからだ。普段のリゼルさえ穏やかな癖に何をしでかすか分からない所があるので、視界には入れておいた方が良いだろう。
「あ」
しばらく歩き、きょろきょろと周りを見回していたリゼルが足を止めた。
何かを見つけたのだろうかとジルもそちらを見ると、見覚えのある喫茶店に見覚えのある姿が見える。小説家から指名依頼を受けた際に使用した喫茶店で、しかし以前の店内の席とは違いテラス席に腰を下ろしている団長と小説家の姿があった。
机の上に盛大に用紙を散らばらせ、ああでも無いこうでも無いという姿は友人同士の朗らかな会話にはとても見えない。実際、彼女達は船上祭の際の不平等取引によって約束された台本提供について打ち合わせを行っている。
幼くともその空気は察したのだろう、邪魔しちゃ駄目かなとリゼルが特に声をかけることなく素通りしようとした時だった。
「そうじゃねぇっつってんじゃねぇかコンニャロ! 多少無理でも恋愛要素入れた方が客は喰いつ……ッぶふ!!」
「ぎゃぁぁぁ目に入ったかなって! 何すんの! マジで何すんのかなって!」
特に意図してのことでは無かったが、白熱した議論の最中にふと横を見た団長がジルとちっさいリゼルの衝撃のツーショットに飲もうとしていた炭酸飲料を盛大に噴き出した。向かい側に座っていた小説家は、きつい炭酸飲料の直撃を目に受けて痛みに悶えている。
ぎゃあぎゃあ言いながら手拭きで目を覆っている小説家への心配など欠片もする事無く、団長は椅子を蹴倒しながら立ち上がってリゼル達へと駆け寄ってきた。店員が濡れタオルを小説家に差し出しながら悲しげにその椅子を直している。
「あの品が良いののガキとか絶対向いてるに決まってんだろコンニャロ! 演劇に興味は!? 子役なんざいつだって不足してんだから興味あんなら今すぐ訓練して! 次の演目は親子愛ものにでもして! おい、笑ってみろ! 良し完ッ璧だコンニャロ! 契約料の相談すんぞ!」
身を乗り出すような怒涛の勢いで話を進める団長に、リゼルは完全にきょとんとしている。笑えと言われて笑ったが。
さっさとこの場を離れたいという態度を隠そうともしないジルだが、リゼルが離れようとしないのなら止まっているしかない。道端でもはや演技指導に入ろうとしている団長へと、嫌そうにしながらも最低限の説明でリゼル本人だという事を告げた。
「迷宮は色んな意味で何でもありっつーのは聞いた事あるけど、こんなんもあんだなコンニャロ」
「あー痛かったかなって……あっ、このネタ貰って良い!? 今度の小説で使って良いかなって!?」
流石と言えば良いか、普段から非現実を演じ非現実を執筆する二人は余り抵抗が無く受け入れたようだ。むしろその視線が大いに観察を含むのは彼女達の職業病ゆえだろう。
盛大に良い参考にされているリゼルは、招き入れられた席に座って地につかない足を揺らすことなく行儀よくジュースを飲んでいる。
ジルはリゼルが招かれた時点で彼を預け、近くの武器屋に用事があると其方へ行ってしまった。買う物があったのを思い出したのも確かだが、この場に居たくないのも確かだ。
「おいしいです」
「か、かわ、可愛い……!」
ふわふわと笑うリゼルに、小説家は手元で一心不乱に何かのメモを取りながらもデレデレと笑う。並んだら親子に見えるかなと言っているが悲しいかな、どう贔屓目に見ても姉弟にしか見えない。
ちなみに団長は世間一般が言う子供の魅力は理解出来るものの、彼女自身は子供だからという理由で可愛らしさを感じない人間だ。子供だろうと大人だろうと魅力的な仕草は魅力的に感じるし、そうで無いなら大人子供関係無く魅力は感じない。
「おい、あんまそいつの近くにグラス置くなよコンニャロ。割って傷でも付いたらどうすんだ」
「ひねくれてる割に可愛がってるかなって。あ、子役諦めてないのかな?」
「それもあるけどな、コンニャロ。お前忘れてんのか」
諦めて無いのか、と小説家は思いながら何を忘れているのかとリゼルを見る。
たくさん歩いて喉が渇いているのか、小さな口でストローを咥えている姿が可愛らしい。しかしやけに綺麗に飲むものだと呆れを通り越して感心してしまうのは、その子供がリゼルだと知っているからだろう。
「こいつに傷でも作ってみろコンニャロ、あの黒いのと赤いのがキレんぞ」
「……」
怖い。戦っている所など見たことは無いが絶対にやばい。小説家は冷や汗をかいた。
普段はあの二人の感情の枷を唯一外せる存在が唯一二人を止められる存在だ、それもあってリゼルと共にいる時の二人は宿主曰く壁が薄くなると言われるのだろう。しかし今は違う、枷を外せる存在がいるにも拘らず止められる存在がいない。
そしてこの状態のリゼルが万が一他者に傷つけられるような事があればどうなるか。それが故意なら間違いなく恐ろしい事になる、故意じゃ無くとも恐ろしい事になる。
「ごちそうさまでした」
ガタガタと震える小説家を尻目に、ちゃっかりジュースを飲み終えたリゼルが礼を言って微笑む。そしてもぞもぞと椅子を降りようとする動作に癒されて震えを止めながら、小説家は一体どうしたのかと首を傾げた。
「どうしたのかなって」
「ジルのとこ、いきます」
「待ってろコンニャロ。すぐ迎えが来んだろ」
リゼルはしばらく考え、ふるりと首を振った。
「でも」
「此処で待ってる方が良いかなって思うんだ。ほら、お菓子頼んであげようかなって」
「入れ違いになったら大変だろコンニャロ」
ジルは、リゼルならば小さくなっても放って置いても自分で何とかすると思っている。部屋では勝手に本を読んでるし、風呂場でも拙い動きで自らの体を洗っていたし、恐らく適切な高さの椅子を用意すれば一人で食事だってとれるだろう。
それは実際に事実で、だからこそジルは失念していた。幼い割に相手の意図を汲んで、変に感情的にならずマイペースで、自力や他力を問わなければ一人で色々やってのけてしまうからこそ普段通りのリゼルだと思ってしまった。
「ね、お姉さんと一緒に待ってようね」
実際、今もリゼルは自分が此処で待っているのが一番良いのだと分かっている。
優しい言葉をかけてくれる小説家も、ぶっきらぼうながら心配してくれる団長も、ちゃんと分かっている。だが、いつだって自分の感情を抜きにして最善を選べる程にリゼルの心はまだ成長しきってはいないのだ。
「でも、ジルがいいです」
小さな手で自らの服の腹あたりを握り、拗ねるように告げられた言葉に団長達は目を見開いた。
リゼルは我儘を言っている自覚があるのだろう。拗ねていた顔を少し困ったようなものに変え、そして微かに悲しげに眉が下げられた。服を握る手は外されることなくまた少し力が込められる。
何かを言おうとして開いた口は一度そのままきゅっと閉じられ、前に置かれたジュースの入っていたグラスをじっと眺めた後に視線が落とされる。零された声は小さかったが、確かに意思を持ち届いた。
「……ジルじゃないと、いやです」
直後、団長と小説家は心臓を押さえ崩れ落ちた。
「おい」
「ジル」
思わずきょとんとそれを眺めていたリゼルは、ふいに後ろからかけられた声に見上げるように振り返った。そこには複雑そうに眉を寄せたジルが立っている。
「行くぞ」
「だんちょうさんたち、うごかないです」
「放っとけ」
机の上に崩れ落ちたままピクリとも動かない両者に、しかしジルはどうでも良いと隠さずその腕を伸ばした。椅子から降りようと椅子の背についたリゼルの手を潜る様に腰へ手を回して抱き上げる。
近くなった顔を見上げ、リゼルはどうしたのだろうと思いながらもふわふわと嬉しそうに微笑んだ。寄りかかる様にジルの肩へと額を擦り寄せる姿は酷く満足そうだ。
そんな姿を見下ろしているとジルの顎に微かに柔らかい髪が触れた。それを無意識に唇で追おうとして、しかし集まる視線が鬱陶しいと眉を寄せながら動きを止める。
「帰るか」
「はい。ジュース、ありがとうございました」
「……ッ……、……おぅ……!」
「これッ……! ッ……!……!!」
未だに顔すら上げられない二人を残し、リゼル達はその場を去った。
結局考えても良く分からない、とジルは抱き上げているリゼルの体温を感じながら思う。
何だかんだで言いたい事は言うし、嫌なものは嫌だという男だ。それは幼くなろうと変わらず、離れるのが嫌ならば団長らに預ける際に嫌だと言うだろう。
恐らく寂しかったのでも不安になったのでも無い、ならば何かと言われるとやはり分からない。幼くなってまで掴み所が無いなど流石だと呆れ半分に感心すらしてしまう。
「あ、リーダーお帰り」
宿まで帰り、扉を開けるとそれを察していたのだろう。笑みを浮かべたイレヴンが機嫌良さそうに近付いてくる。
「ニィサン、何だかんだ言って抱いてんスね」
「うるせぇ」
ジルの腕に抱かれるリゼルに両手を伸ばし、うりうりとその頬を挟んで構いながらイレヴンはニヤニヤと笑う。相手がリゼルとはいえ子供を抱き抱えたがるなど心底意外だ。
何となく何かあったのだろうか、と思いながら両手で挟みこんでいる顔を覗きこむ。ふるりと首を振られたので手は離してやった。
「楽しかった?」
「はい。だんちょうさんと、しょうせつかさんに会いました」
「あぁ、あの二人」
イレヴンはぼんやりとしか思い出せない女性二人の姿を辛うじて思い出す。
果たしてどんな反応をしたのか。何となく良い想像は出来なかったが、リゼルはふわふわと微笑んでいるので何かしら変な事をされたという事は無いのだろう。
「ふたりに会って、ジルがどこかにいっちゃったので、ちょっとそわそわしました」
そわそわ、とジルとイレヴンは思わず無言でリゼルを見た。
本人は至って普通にふわふわしている。当たり前のように言って、至って普通にふわふわしている。一体どういう意味なのか。
しかしこれだけは確かだと、イレヴンが責めるような目でジルを見る。
「リーダー置いてどっか行ったんスか、最低」
「てめぇにだけは言われたくねぇ」
確かに自分に落ち度はあるが、性根が腐りきっているイレヴンにだけは言われたくない。
吐き捨てるようにそう告げ、徐に抱えているリゼルを見下ろす。その言葉は取り敢えず落ち着かなかったという意味で取れば良いのだろうか、それならば離れる時に嫌がらず離れてから次第に落ち着かなくなっていったのだと説明がつく。
そして、抱き上げてやった際に見せた甘えと満足げな表情も。自分のものが手元に帰って来たのだから、それは落ち着くし満足もするだろう。
「こんなニィサン放っておいて、昼から俺と出掛けよっか。本がいっぱいあるトコ連れてったげる」
「! でかけます」
「じゃあ昼食べよ。おいで、俺が抱っこしたげる」
「食堂なんざ直ぐそこだろうが、行くぞ」
伸ばされたイレヴンの両手を避け、ジルはリゼルを抱いたまま食堂へと歩き出した。
後ろでズルイズルイと煩いイレヴンに溜息をつき、そしてふいに此方を見上げるリゼルと視線を合わせる。囁くように言葉を落とした口元は笑みに歪んでいた。
「お前、子供の頃から独占欲強ぇんだな」
どくせんよく、と不思議そうなリゼルに可笑しそうに笑いながら、ジルは顎をくすぐる柔らかい髪へと滑らせるように唇を触れさせた。
まだまだ続くよ!
まさかリゼルたんで100話目を迎えるとは思わなかったよ!




