98:一人はまだまだ遊び足りない
少し離れた所で友人と話し合う自らの婚約者を見て、彼女は悲しみを隠すように目を伏せた。
互いにマルケイドという商売人が集まる街でそこそこ軌道に乗った商売をしている家に生まれ、親同士が友好な関係を築いていた為に小さい頃から仲が良く、それは二人が家業の手伝いが立派に出来るような年になっても続いていた。
交渉に強いが経営に弱い男と経営に強いが交渉に弱い彼女は苦手を補う様に自然と共に商売に向かうことが多くなり、そんな二人を見た親同士がいっそ結婚して店同士合併するのが良いかもしれないと言う程にそれは上手くいっていた。秘かに男を慕っていた彼女はそれを喜んだし、男も拒否しなかったからこそ婚約者の立場にいる。
しかし彼女は婚約者から愛の言葉を貰ったことも無ければ、今みたいに色気が無い恥ずかしいなどと言われる事も日常だ。
「(確かに……色気は無いけれど)」
伏せた視線の先には自らの貧相な体があった。
それなりの身長はあるのに何を食べても肉など付かない体は凹凸が少なく、友人には細くて良いなと言われるが自分から見れば柔らかく女性らしい丸みを持つ友人の方が羨ましい。無い物ねだりなのは分かっているけれど。
友人に祭りに誘われたからパートナーとして来いと得意げに誘う彼に、喜んでアスタルニアまでついて来たが来なければ良かったかもしれない。確かに彼が言った通り、この国の女性は魅力的な体を持つ女性が多いのだから。
「私だけ、なのかしら」
思わず口から漏れてしまったのは、何年も胸に秘めていた想いだった。
恋焦がれているのは自分だけなのだろうかと、彼女はいつだって不安を抱えている。彼が婚約を断らなかったと聞いた時は喜んだが、それは家業の商売をより良くする為かもしれない。
小さい頃から共にいるのだ。仲が良いとは思っているし婚約する前からもお前は色気が無いだの少しは飾ってみたらどうだだの言われていたので今更かもしれないが、しかし彼の中では腐れ縁のままで恋慕を抱かれていない可能性だって大いにある。
ちらりと視線を上げて見てみれば、諭すような友人に顔を顰める婚約者の姿がある。見なければ良かったと、そう再び顔を俯かせようとした時だった。
「隣、失礼します」
「え?」
ふいにかけられた透き通るような穏やかな声に、戸惑いながらもとっさに頷いてしまった。
そろりとそちらを見ると、声に違わない穏やかな男が整った仕草で彼女の座るベンチの隣へ腰かける。それは馴れ馴れしい程に近くは無いが余所余所しい程に遠くも無く、穏やかさも相まって警戒心を抱かせるどころか何処か心の隅を落ち着かせる距離だった。
何処かの貴族かと思わせる存在感を忘れさせるようなそれを思わずぼうっと見ていると、ふっと此方に向けられた視線が柔らかく微笑む。不躾に見過ぎただろうかと恥ずかしくなり、急いで顔を伏せた。膝の上でもぞもぞと細い指を組んでは外しを繰り返す。
「すみません、突然で驚かせましたね」
「い、いえ……」
「折角の船上祭の夜に憂い気な顔をしていたので、気になってしまって」
ふるりと首を振りそちらを見ると、向けられたのはゆるりとした微笑みだった。
この優美な庭園という空間にありながら静かで清廉な微笑みは、女性に声をかけているというのに下心を疑う余地を一切伴わない。むしろ疑う方が罪なのではと思わせるそれに、彼女は無意識に強張らせていた体から力が抜けていくのを感じる。
そんな顔をしていただろうかと片手を頬に当ててみるも、当然ながら自分では分からなかった。
「その原因は、聞こえてしまったんですが」
ふっと浮かべられた申し訳なさそうな苦笑に、今居る場所を思えば当たり前だと彼女もようやく小さく笑みを浮かべて気にしなくて良いというようにもう一度首を振る。
ここは船内のような華美で人の声やオーケストラの演奏に溢れた場所ではない。耳を澄ませば階下から賑やかな声は微かに聞こえてくるものの、夜の海特有の呑み込まれそうな静寂が確かにある。
もしかして他の人達にも聞こえてしまっただろうかとさり気なく周りを見渡すが、庭園の先にすっかり雰囲気に入り込んでしまっている恋人がいるくらいだ。そうなると隣の穏やかな人は一人で此処を訪れていたという事なのだろうか。
「あの、貴方のお連れ様は……?」
「あぁ。一人は下で遊んでますが、一人はあっちで涼んでます」
整った指先が指した方向を見る。他に人などいなかった筈だがと思いながらそちらを見ると、良く良く見てみれば長身の人影が柵に凭れていた。黒いから見逃した。
隣に座る穏やかな男の護衛だろうか、あの人影にも先程の会話が聞こえたのならば恥ずかしいと少しだけ俯く。
「貴女は少し、俯きがちですね」
可笑しそうに笑い少しだけ近付いた清廉な顔が此方を覗きこみ、パッと俯こうとした顔を上げた。それほど近い距離では無い筈なのに過剰反応してしまうのは、その存在に畏れ多さを感じてしまう所為だろうか。
今更ながら何故これ程自然に話せているのか不思議に思えたが、そう考えようとやはり警戒心は抱けないし高貴な人だとは思うものの共に座るのが恐ろしいと思う程に気圧される事もない。そうして貰っているのかどうかは、分からなかった。
「……それほど俯いていますか?」
「はい、俺が声をかける前から」
覗きこもうと少し前へと倒していた体を起こし、穏やかな男は優しく微笑んだ。
人に話す事では無いとは思うが、促しもしないその笑みに流されてみたくもある。誰でも良いから話を聞いて欲しいと自身で思っていたのかもしれないし、その気持ちがゆっくり手を引くように導かれる感覚は不思議と心地良い。
結いあげた髪が一房首筋をなでる感覚に、そっとそれを避けながら口を開く。
「……自信が無いから、かもしれません」
俯きそうになった顔を耐えた為か、無意識に上目になりながら彼女は戸惑いがちに言った。
小さな頃から家業の手伝いをしていた事もあり、商売のパートナーとして婚約者を支えられているという自信はあるが恋人として婚約者を喜ばせる真似など出来た事が無い。そもそも甘い雰囲気になった事すら無いのだ、やはり魅力が足りないのかと思い悩んでしまう。
「その、先程話が聞こえていたとおっしゃってましたし、つまりそういう魅力が……私も、そればかりは彼の言う通りだと思うので」
自分は今結構大胆な事を言ってしまったかもしれないと頬が熱くなるのを感じた。色気が足りない事に悩んでいると取られてしまうだろう言い方をしてしまったと、間違っている訳でも無いのだが誤魔化すように言葉を重ねる。墓穴を掘っているような気はするが。
清廉な人になんという事をという彼女の混乱は、しかし予想に反して変わらぬ様子で何かを考えるように口元に手を当てる穏やかな男の姿に緩やかに落ち着いて行った。
「貴女が自信を失う必要なんてありませんよ」
「え……」
相手が誰であろうと落ち着けるだろう微笑みに、彼女は声を零す。
誰に言われようと優しい慰めの言葉だと思っただろうが、目の前の穏やかな男に対しては不思議とそうは思わなかった。それは理由がある故の事実としての言葉だからに他なら無い。
しかし初対面の人間から助言が欲しい訳では無いのだろうという気遣いからか、それ以上の言葉は続かない。知りたいと、思わずそちらを向けば応えるように悪戯っぽく目が細められた。
「今夜、貴女は彼のパートナーでしょう?」
「? えぇ」
船上祭の夜にだけ、この船で開かれるカジノ“仮面舞踏会”。
その名に違わず女性をパートナーに引き連れ、まるで本当の舞踏会に出席するかの様相で訪れる人々は多い。アスタルニアの人々は楽しむ為ならば幾らでも成りきるし、祭りに合わせて他国から訪れる者も少ないがいる。
ならばと、穏やかな男は少しだけ首を傾げた。落ちた髪を耳にかける仕草にふっと色気を感じたような気がして、目を引きつける程の洗練された仕草はそれを孕むのだと感嘆と共に眺める。
「舞踏会でパートナーに自信を付けさせるのは男の役目ですよ。それが、貴女の言う色気であっても」
にこりと微笑まれ、目を瞬かせた。
「いえ、色気というなら尚更ですね。女性のそれは男性に強く影響を受けますし、もし魅力が足りないと言うなら男が力不足を認めるようなものです」
その微笑みに促されるように少し離れた婚約者を見ると、先程までは友人と話していたのに訝しげな表情で此方を見ている。まさか隣の品の良い男に絡まれているとは思っていないだろうに、一体何を話しているのだと思っているのかもしれない。
あまり人付き合いの得意ではない自らを思えば怪訝そうに見るのも納得が出来る。ならば今何故これ程自然に話せているのかと聞かれれば、それは彼女にも分からなかった。
「そう、なんですか?」
「そうなんです」
からかう様に返され、ぽかんとしていた彼女は何故か込み上げる笑いを耐えられなかった。
心が楽になったような感覚、人の所為にするのはどうかと思うがそれが事実ならば仕方が無い。そう当たり前のように受け入れられるのは、穏やかな男が作る全てを差し出してしまうような雰囲気に呑まれているからだろうか。
「ですが男性が出来るのは魅力をより輝かせることだけです。貴女自身が持っている魅力は、貴女が大切にしてあげて下さい」
「私の……でも小さい頃から机に向かってばかりでしたし、趣味なんて読書くらいですし、女性的な魅力があるとは……」
「良い趣味をお持ちですね」
嬉しそうに細められた瞳に、今まで地味な趣味だと思っていた読書が少しだけ誇らしくなる。この高貴な人に認められるなら誰もがそう思うだろう。
穏やかな男はそれならばと、思い返すように視線を余所に投げて再び此方へと戻した。酷く真っ直ぐ視線をくれる人だと、普段ならば居心地が悪く感じただろうが逆に引き込まれるように視線を返す。
「なら、そんな事を気にする必要は無いでしょう? 本の中で魅力的だと感じる人物の中に、貴女の様な華奢な方も多い」
「それは……確かに、そう思います。ええと……“ビトレイヤーの一家”の夫人とか」
「“欲望夫人”ですね。確かに彼女は魅力的です」
切れ長の相貌と華奢な体、窓辺で読書をする彼女の姿を描写する文章からは確かに色っぽさを感じた記憶がある。思い返さなければ思い出せない程にさらりと流していたが、肉体的な色気とは全然違い文学に向き合う女性特有の色気が丁寧に描写されていた。
隣の清廉な男でさえ魅力的だと思うのならば、女の自分だけではなく男性も同じ印象を受けるのだろう。しかし自分がそうなれるとは思えないと、自然と視線が下がる。
「俯かないで」
「っ」
しかし先程より近い位置で覗きこまれ、高貴さを宿した瞳が寄せられた驚愕に自然と背筋が伸びた。
良い子だと褒めるように一度にこりと笑い、そして少しだけ距離を詰める為にベンチへと乗せられていた指が此方へ伸ばされる。瞳の前にすっと翳された手に少しだけ身構えるように顎を引いたが、しかし視界を開けるように上へと持ち上げられたそれに思わず目を瞬かせる。
「そう、瞳は真っ直ぐ相手に向けて下さい」
相手という言葉を疑問に思いながらもしっかりと開いた瞳で真っ直ぐと視線を向けた先には、何処か落ち着かない様子の婚約者の姿があった。時折こちらに投げられる視線に、もしや心配してくれているのかとそちらを眺める。
ふと、隣の穏やかな男性が反応を窺う様に此方を見ていることに気付いた。不思議と崩れない姿勢のままにそちらを見ると、微笑みと共に内緒話をするような声で告げられる。
「貴女を俺に取られるんじゃないかと、気が気じゃ無いでしょうね」
「え?」
「どうです? 最愛の人を手玉に取ってみた気分は」
告げられた言葉にその瞳を見て、自らの婚約者を見て、そして視線を戻してを繰り返す。
頭が展開についていけない中、しかし自然と浮かんできたのは笑いだった。まるで安堵するようなそれに肩の力が自然と抜け、湧きあがる喜びに頬が染まり、感じてしまった愉快さをいけないとばかりに指先で緩みきった口元を隠す。
向けられた男性が思わず視線を釘付けにさせられるような、まさに欲望夫人と称される女性が浮かべる花が香るような色気が滲む魅力的な笑みを自身が浮かべている事に彼女は気付かなかった。
「何だか、悪いことをしてる気分」
「何も悪くは無いですよ。心を奪われた相手に愛でるように掌で転がされて、本当に不快を感じる人は少ない」
「それは貴方も?」
笑った所為か少しだけ水分を含んだ瞳で、彼女は笑みを浮かべたままに真っ直ぐに隣に座る男を見た。先程までの自信を失った姿とはまるで違うのは、彼女以外の誰もが気付いている。
「心を差し出してしまった以上、嬉しくて仕方ありません」
細められた瞳は幸せそうで、彼女は感嘆か憧憬かも分からないままに思わず息を呑む。
その時、ふいに離れた場所に立っていた連れから声が掛けられ穏やかな男はそちらを向いてしまった。少しだけ、いや大分それを惜しみながらも彼女も自らの婚約者へと向き直る。
何かを言いたげに此方を見ているその視線は憤りを含んでいるようにも見えたし、焦燥を含んでいるようにも見えた。
しかし俯こうとは思わなかった。今までならば自然と俯いていた視線は真っ直ぐに彼を向いていて、だからこそ向けられる視線が憤りを含むだけでは無いと気付けたし、それ故に余計に俯こうとは思えなかった。
その理由に、ようやく気付く。
「呼ばれてしまったので、そろそろ行きますね。あまり話していると貴女のパートナーに怒られてしまいそうです」
「いえ、そんな」
可笑しそうに笑い去ろうとする姿に、何と声をかけて良いか分からなかった。
そう、自信をつけて貰えた。自信を持ちたいと自分が願ったから、彼は少しだけ手助けをしてくれた。魅力的になれたかなんて分からないが、それでも彼と話す前とは何かが違うと自分でも分かる。
だから、精一杯の感謝を込めて礼を口にした。
「有難うございます……ッ」
最後に優しく微笑み、穏やかな男は歩き去って行った。呼びかけた長身の黒い影と合流し、船内へ戻るらしく庭園自体から姿を消していく。
それを見送っていると、離れた場所で話していた筈の婚約者がスタスタと凄い勢いで歩み寄って来た。その後ろから同じく此方へ歩いてくる彼の友人は呆れきった顔をしている。
婚約者は彼女の前に立ち、ぐっと眉に力を入れて彼女を見下ろす。
「あの男は誰だ、身分の高そうな男だったしコネの一つでも作ったんだろうな」
「ううん、そういう訳じゃ」
「お前は色気も無いし商売しか取り柄が無いんだから、他の事を考えてる暇なんて無いだろ」
「ああもう、いい加減にしろよお前は。他の男に自分の女の魅力引き出されて悔しいのは分かるけどな」
「な……ッ」
きょとん、と目を瞬かせて彼女は婚約者を見た。
絶句するその顔は一体何をと言いたげに友人を見ている。その頬が微かに染まっているのは、これ程まじまじと彼へと視線を向けていなければ気付けなかっただろう。
「船上祭だって、一度彼女が行きたいって言ってたから連れて来たかったんだろ? ずっと前から俺に開催が決まったら連絡しろまだかまだかって言ってたじゃないか」
「おい、黙れ、おい」
「商売ばかりで飾り気の一つもないし、我慢してるんじゃないかって気に病んでただろ。今日も目一杯彼女にお洒落を楽しんで貰えたらって楽しみにしていたし」
「止めろ、おい、馬鹿、止めろ」
「正直最近手を出したくて仕方ないけど幼馴染から抜けだせないし、これで色気でも付けられたら我慢が出来ないって」
「止めろ!!」
男から容赦なく放たれた蹴りに、友人は危うく海に落ちそうになり非難の声を上げる。
それに全く耳を貸すこと無く、ただあらぬ方向に向かってピクリとも動かず立ち止まっている婚約者を見上げて彼女は小さく首を傾げた。本当なのかと問うようなそれが目に入ったのか、男は視線を更に逸らすように唯一動く首を回している。
「本当?」
「嘘に決まって」
「嘘……?」
じっと真っ直ぐに見上げられる視線を感じながら、その眉がシュンと下がっただろうと男には分かった。ずっと一緒にいるのだ、声を聞けばそのぐらいは分かる。
しかし今までだったら同時に俯いていた筈の顔は真っ直ぐに此方に向けられたままで、今までならば誤魔化せたものも全く誤魔化せそうにない。一体何を吹き込んだのだと先程まで彼女の隣にいた男に思いはするものの、どうしても嫌悪は出来そうに無かった。
腕を組み、逸らしていた視線をチラリと彼女へ向ける。真っ直ぐに此方を見る視線は真っ直ぐに伸びた姿勢と相まって、華奢ながら芯の強い彼女の魅力を存分に見せつけていた。
「嘘、では、無い……全て」
耐えきれず途切れがちになった言葉に幸せそうに微笑んだ顔を見て、感謝すら浮かんでくるのだから商人に向いていないのではと呆れる程に自分も単純だ。
「珍しく助言までやってたな、あの女に何かあんのか」
「何か無きゃ女性の話に付き合っちゃ駄目ですか?」
庭園からの階段を降りながら、リゼルは可笑しそうに笑った。
しかしジルは彼がただ優しいだけの男では無いと知っている。身内以外に関しては例え話に付き合おうと悩みの解決にまで付き合おうなどとは決してしないし、それなりに親しい者であっても相手が満足するまで話に付き合う程度だ。
だが先程は違う。あの後どうなったのかなど欠片も興味は無いが、恐らく事態は改善したのだろう。リゼルにしてみれば破格の待遇と言っても良い。
「でも、そうですね。何かあるというなら、彼女というより相手の男性の方です」
「あ?」
「ああいう本音とは裏腹の事しか言えない人は向こうにもいたので、つい手を貸したくなっちゃいます」
成程、とジルは溜息をつきながら整えた髪を雑にかき上げる。
言い方からして酷く身近な人物がそうだったのだろう、そういう相手を楽しむのでは無くフォローするというのだから。それが誰かを聞こうとは思わないが、こいつ変な知り合い多いよなとジルは自分を完全に棚に上げて考えている。
二人は会話を交わしながらランプに照らされた階段を下りて行き、時折人とすれ違いながらカジノへと続く扉へと戻る。中からは変わらず人々がざわめく声と流れる音楽が聞こえてきた。
「イレヴン、楽しんでるでしょうか」
「さぁな」
話しながら扉を開ける。
目に入るのは当然一番賑わいを見せる一角。そしてその中心で唯でさえ派手な風貌を飾り立て、金貨の山に囲まれながら悠々とソファに腰かけているイレヴンだった。
唇を愉悦に引き上げ、目の前で全ての財産を失った男が崩れ落ちているのを嘲りを隠さぬ瞳で見下ろしている。
「楽しそうで何よりです」
「お前がそう思うならそうなんじゃねぇの」
満足そうに頷いたリゼルに、ジルも呆れながら同意した。何と言うか、余りにも予想の範疇なので当たり前のように受け入れてしまえる。
そのイレヴンの瞳がふっと此方を向いた。嘲りを浮かべる癖に温度の無い瞳はリゼルを視界に収めた途端に愛想良くニコリと笑みを浮かべ、気だるげにソファに凭れていた背が離されひらりと手が振られる。
積まれた金貨を慣れた手つきで仕舞い込み、トンッと軽い足取りで立ちあがり機嫌良さそうにリゼル達へと歩み寄った。その変わりように若干周囲は付いていけていない。
「リーダーお帰り。思ったよか早かったッスね」
「結構涼しかったので、ジルの回復も早かったです。それよりあの人はもう良いんですか?」
「ん? あぁ、良い良い。絞りきったし」
崩れ落ちた男性に少したりとも目を向けず、イレヴンは既に興味を失いきった声で答える。
「絶対イカサマ仕込んでんだろとか馬鹿なイチャモン付けてきた雑魚ッスよ。どうせ仕込まなきゃ勝てねぇんだろとか言ってきたから相手してやっただけ」
「君の事だから、期待に応えてあげたんでしょうね」
「せーかい」
可笑しそうに笑うリゼルに、イレヴンは応えるようにニンマリと笑みを浮かべた。
そのままちょいちょいとリゼルの普段とは違う髪をいじりながら、何て事ないかのように言う。
「バレッバレっつーぐらい毎回仕込んでやった。あれでタネ掴めねぇなら喧嘩売んじゃねぇっつうの」
ギャンブルのイカサマなどタネが掴めなければイカサマだと証明する事も出来ない。ただ運が神がかっていると主張されてしまえば、それまでだ。
イレヴンの相手は酷く焦燥した事だろう。明らかに何かを仕込まなければ出ないようなカードが次々と姿を現し、簡単に自らの財産が相手に流れて行くと言うのに止める術を掴めず、焦れば焦る程状況はより悪化していく。足掻く事すら許されない。
挑発に乗ってカモになるなどとイレヴンに対して思ってしまった瞬間が男の運の尽きだ。それを見抜いてあえて乗って逆に叩きのめすのを楽しむのがイレヴンなのだから。
「何かやりたいのある?」
「俺ですか? そうですね……」
そうしてリゼル達は一夜限りのカジノを楽しんだ。
運に任せ勝ったりもすれば負けたりもするが、基本的にイカサマ無しでも損をする事は無い所がリゼル達だろう。イレヴンは普段からカードで遊んでいてもかなり引きが良いし、ジルは今日はほぼ自分から手を出す事は無かったが特別悪くも無い。
そしてリゼルに至っては人の機微に敏いだけあって対人相手の駆け引きでは負ける事はほとんど無く、時折思いもよらない手札を引いては周囲を振り回していた。もちろん、全ての勝負が全くのイカサマ無しとは決して言えないが。
そして深夜が近付く時間帯、明るく煌めいていたカジノはふっとその灯りを落とす。華美な空間を幻想的に染め、テーブルが素早く移動されて作られた広い空間に流れたのはまさに舞踏会の演奏だった。
「あ、こういうのも有るんですね」
「もう何でも有りッスね」
毎年の事なのだろう、着飾った人々がパートナーを伴い踊り始める。
本格的なワルツを踊る者達もいれば楽しげに違う種類の踊りを踊る者もおり、しかしほとんどの客人が楽しそうにステップを刻んでいた。
「あ」
ふとリゼルが庭園へと繋がっている奥の扉を見る。
先程庭園で会話を交わした女性が、楽しそうに笑って自らのパートナーの腕を掴みダンスへと誘っていた。嫌そうな顔で頑なにそれを拒む男に、しかしもう“自分に魅力が無いから恥ずかしいのだろう”と俯くことは無いだろう。
覗きこむような女性から男は視線を逸らし続けるが、その為に自分達に向けられるリゼルの視線に気付いたのだろう。にこりと微笑んで徐に女性へと視線を移してみせれば誘われては敵わないとばかりに拒んでいた姿勢を翻し、自ら女性の手を引き踊る人々の中へと飛び込んで行った。
「お前、笑うだけで事が済むように持ってくの基本的に得意だよな」
「ジルって時々俺に対して変なイメージ持ってますよね」
心底呆れたように言うジルに、誤解にも程があるとリゼルは苦笑した。
たまたまそうなっただけで狙える訳が無いだろうに、リゼルは今日この場で舞踏会が行われる事も知らなかったのだから。からかっているだけだと分かっているが、人聞きの悪い言い方は止めて欲しい。
「つーか何の話?」
「こいつがさっき口説いてた女の話」
「は!?」
「違いますよ」
それ程好みだったのかと興味津々なイレヴンに、話していただけだと説明して誤解を解く。
そんな会話を交わす三人を是非ダンスのパートナーにと思う女性も少なくは無かったが、しかし誰に話しかけるにも色々な意味でハードルが高過ぎてとても誘えそうには無いと残念そうに諦めていた。思わず視線を向けてしまうのは止められそうには無さそうだが。
「リーダーは踊れんスよね。ニィサンは?」
「出来る訳無ぇだろ」
「あれ、でも侯爵家にいたんですよね」
ジルが嫌そうに顔を顰めた。
確かに侯爵家時代に五年近くもいれば覚えろという展開になった事もある。別に誰に言われた訳でもないが、専用の教師を用意された覚えがあるので間違ってはいないだろう。
随分と記憶は曖昧だが、拒否するのも面倒な事になりそうなので本当に最低限を適当に流した程度だ。その証拠に今やほとんど覚えていない、何せ心底興味が無かった。
「忘れた」
「忘れられるものなんですね」
感心したように言うリゼルは流石の生粋の貴族だった。
何せダンスは貴族の必須項目、他者の目が一番集まる場で披露するのだから生半可なものを見せられない。幼いころから教え込まれた動きはもはや体に染みついており、ナイフとフォークの使い方を忘れないのと同じようにステップもターンも忘れる事など無いだろう。
イレヴンは当然踊れない。そういった者は珍しくないので、この場でも踊らず楽しそうに眺める者も少なくは無い。
「今夜はもうずっとこんな感じでしょうね」
「リーダー楽しかった?」
「はい、初めてだけど面白かったです」
満足げに微笑むリゼルにイレヴンも微かに愉悦を宿した目を細めて笑う。
連れてきた甲斐があったものだ。途中リゼルが若干本気を出してディーラーを囲むように存在するテーブルにつく人々との勝負を完全に掌握して見せたり、片手から片手へとトランプが空中移動するアレがやりたいと言って思った以上に難しかったのか盛大にあらぬ方向へとバラ撒いたり、一時稼ぎ過ぎてカジノ側からストップが入ったりもしたが全て楽しんでいたようだった。
それは何より、とイレヴンはいつもと違う髪型をしている鮮やかな赤い髪を指で弾く。
「今度、前言ってた裏カジノにも連れて行って下さい」
直後それは微妙だとジルとイレヴンの視線が誤魔化すべきかと一瞬交差したが、しかしどこか楽しみにしているらしい微笑みにそれは諦めざるを得なかった。
そしてリゼル達は舞踏会の途中で抜け出すかのように広間を出る。美しいオーケストラの余韻が、朝まで終わらないだろう船上祭の誘惑を断ち切るかのように扉の向こうへと消えて行った。
「あ、宿主さん。丁度良い所で会いましたね」
「んぁ、上から聞こえるこの穏やかな声は貴族なお客ひゃん流石凄い船に乗ってますね。友人ともども散々スッてやけ酒飲み歩き真っ最中な俺でぇすってぎゃぁぁぁぁ貴族なお客さんがマジ貴族になってる待った待った待ったあれ俺んトコのお客さんだから! 土下座やめて! 土下座止めて! 俺の友人オール土下座祭りみたいになってる!」
「宿主さんも帰りが遅くなりそうですし、いつもの所から鍵は持って行きますね」
「どうぞ! だから顔上げろってあの人冒険者だから! 見えないし畏れ多いし今はもはや貴族以外の何者でも無いし貴族じゃなかったら全力で詐欺だけど冒険者だから! 拝まないで! 分かるけど!」




