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■エルフと眠ろう!


 

 ビョウ、という唸りとともに一陣の強い風が吹いたのは、夜明けまであと数時間──夜の最も深い時間のことだった。

 

 ぴこりっ、とオルデヒアの左耳がウサギのもののように立った。

 エルフの頭の中身、特に聴覚を司る部分は本人が眠りに着いていても働いている。

 異音を聞きつけるやいなや肉体が反応するのだ。

 

 むかし、人類とエルフが敵対した悲しい時代、この習性を人間は利用して楽団による安眠妨害という手に出たことがあると史書には記録されている。

 エルフから山津波でお返しされたというオチまであるのだが……それは余談の余談だ。

 

 とにかく、オルデヒアの敏感な聴覚が微細な異音を聞きつけた数秒後、ぼきり、ともばさり、ともうぎゃあ、ともつかない大きな音が巻き起こり、明らかな異変を告げた。

 

「なんだ、どうしたっ、ハルトッ?!」


 夜着のまま、愛用のスモールソードを携えてテントを飛び出したオルデヒアの見たものは……突風に抗い切れず倒壊したテントと、その帆布に包まれくぐもった声で助けを呼びながらのたうち回るハルトの無残な姿だった。

 

「オマエ……やっぱりな。なんか怪しいと思っていたんだ、テントの張り方が」


 ひとりでできるっ、と言い張るものだから任せたのだが、やっぱりハルトのテントの張り方はダメだったらしい。

 すべてが完全に裏目に出て、いまやこのありさまだ。


「もがもがもがもが、もがもがが!!!」

「生きてはいるみたいだな。いっただろ、テントの張り方も勉強しとけって……」


 まったくもう、と少女のように細い腰に両拳をついた姿勢で呆れを表明し、オルデヒアはハルトを引っ張り出した!

 すると……。

 

「んんんんん??? なんだ、このぶくぶくに膨らんだ身体……いや、服か?! 服かこれ?! ちょっとまて、持ってきた着替え全部か?! なにをしているんだハルト!! それに前後逆さま……いや、まともに着れてないぞ!!」


 当然の指摘をするオルデヒアに対し、ハルトの返事はなかなかオリジナリティがあった。


「ぶぶぶぶぶぶ、さささささささささ、さぶ、さぶ、さぶい!」

「おまえっ、まさか……夜具は」

「な、なつだし、薄くてもいけるかなーって」


 先ほど水から上がったときよりなお激しく震えながらハルトは言った。

 高原の夜はたとえ夏といっても冷える。

 初夏であれば日中汗ばむほどの陽気でも、夜になれば凍えるほど寒くなる。

 

 はー、っと本日最大級の(いやもう日はとっくに変わって明日なのだが)溜息をついて、オルデヒアが呆れた。

 何回この描写を書かせるつもりなのか、ハルトよ。

 それは、息だって白くなる。

 

「ととと、とにかくテントを、たてたてたてたて、たてなおさないと」


 あたふたもたもた、と寝癖のついた頭のままハルトがテント再建を試みるが、両手がミイラよりさらに包帯ぐるぐる巻きのため、果たせない。

 オルデヒアは、ハルトがうまく衣類を着れていない理由を理解した。

 自分が施した治療のためだ。

 

「……おい……ハルト。もういい。こっちへこい。それは明日にしろ」

「いやいやいやいや、たてたてたてたて、たてなおさないととと」

「その手じゃどのみち無理だ。こどもか」

「ごめごめごめごめごめんなさい」

「だから、わかったから、早くしろ……エルフだって寒いんだぞ、生足剥き出しなんだから、いま」


 月はもう大きく傾いて山の陰に隠れてしまっていたから、ハルトにはぼんやりとしか見えなかったのだが……オルデヒアの夜着から覗く脚線美は生成り木綿の衣服より、ずっとずっと白かった。

 

「えっ、でわっ、でわでわでわでわ、わたわたわたわたわたくしめは?!」

「オマエ、その喋り方、ホントに震えているのか? 文字数稼ぎとかじゃないだろうな」

「めそめそめそめそめそ、めっそうもないないないない」

「じゃあ、なんども言わせるな。わたしのテントに来い、と言っているんだ」

「そんそんそんそんそんな、めそめそめそめめそ、」

「何度も同じことを言わせるなッ!! いますぐ選べ。このテントだったものに包まって寝るか、わたしのテントで寝るか」


 オルデヒアの一喝に、近場の草むらに溜まっていた夜露がざっ、と落ちた。

 ハルトは予期せず飼い主に拾ってもらえた捨て犬のように、遠慮がちにオルデヒアのテントに潜り込んだ。

 

「とりあえず、脱げ! って脱げないのか。手間のかかるヤツだなあ」


 天幕の内側に入るや否や、オルデヒアはハルトの衣類を引っぺがし始めた。

 

「アーレー」

「オマエやっぱり、ふつうに話せるだろ」

「ムリムリムリムリムリムリ、ムリッス」


 初めて女のコの部屋にお邪魔してしまったユニコーンのように、ガッチガチに緊張してハルトは硬直した。

 なにしろ、そのあの、その。

 暗くて良く見えないのだが、ものすごい無防備なハイエルフがいままさに、自分も無防備にしようと躍起やっきになって服を引っぺがしにかかっているのだ。

 毛皮をひん剥かれる獲物の心境のハルトである。

 

「それにしても……どんだけ着ているんだっての……手間ァかけさせやがってッ!!」


 明らかに立場が逆転しているとしか思えないセリフがオルデヒアの口から飛び出した。

 たぶん、エルフ的狩猟本能に火が着いたのだろう。

 

「アッ、アッ、アッ、ちょっとまってまってまって、おまちになって?!」

「うるさいっ! わたしの安眠を返せッ!!」


 溜まりまくった鬱憤うっぷんをここで晴らそうとでも言うのだろうか。

 それともなにか別の快感にでも目覚めたのか。

 オルデヒアの手は、いっそう無慈悲だ。


「ご、ごむたいな!」 

「よーし、まあ、最後の一枚は許してやるか、上下ともにな」


 かよわい悲鳴をハルトが上げる。

 いっぽうで、オルデヒアは満足げに額にかいた汗を拭うと、ぺろり、と唇を舐めて見せた。

 ハルトには見えなかったが。

 真っ暗で。

 

 それから言った。

 

「よし、来い」

「えっ、はっ、こここ、来いと申されますととと?」


 テントのなかは真っ暗で、ハルトには自分の手も見えない。

 躊躇ちゅうちょして、戸惑って、緊張して固まっていると、いきなり頭を抱きすくめられた。

 柔らかな熱と、壊れてしまいそうなほど速い鼓動と、震える肉体が押し付けられてきた。

 

「バカが……こんなに身体を冷やして」

「あのう……こ、これは、オルデヒア……さん?」

「横になれ」

「え、いや、でも、これは」

「いいから横になれ」

「はい」


 ぽてり、とハルトはオルデヒアの寝床に倒れこんだ。

 ひとりで、ではない。

 いま自分の腕のなかには、木綿の布地一枚ずつを挟んで、オルデヒアがいる。

 

 姿はまったく見えない。

 表情などわかるわけがない。

 向こうからは丸見えだけど、こちらからはなにひとつ。

 ただただ、柔らかくて、華奢で、骨の浮いた肋と鼓動と、熱と、匂い。

 

 温められた新鮮なミルクと野に満ちるハーブの、におい。

 

 それだけの存在が、いま、いた。 

 腕のなかに。

 

「むかし、教えただろう? おまえが雪山で死にかけたとき、同じように添い寝してやったはずだ」

「あ、あのせつは、ど、どうも。ボクもまだ……こども……いや、成人はしてたはず……ですよね」


 ハルトは、いつのまにか出会ったばかりの少年時代の口調になっていた。


「成人したばかりのひよっこ。15歳。ケツに卵のカラをひっつけたまんまのな」

「あのころから、お世話になりっぱなしで」

「そのとき話しただろう? エルフ族は夜眠るとき、こうやって互いに身を寄せ合って暖を取るんだと」

「ああ、そうか……そか……そういう流れだったんだな、これ」

「……なにか、別の流れを期待していたのか?」

「めめめめめめ、めっそうもない」

「ならよし」


 ふー、とハルトの唇からなにかを制御するための圧力調整用の吐息が漏れる。

 そうか、そうだよな、これがエルフ族の眠り方、常識なんだよな、と。

 なにかに言い聞かせるみたいに、言う。

 

 だが、ハルトは知らない。

 

 たしかにエルフ族は就寝時、このように身を寄せ合う。

 けれども。

 

 それは成人を迎える前の子供たちの習慣だ。

 ひとたび成人を迎えたエルフ族にあって、こうして身を寄せ合って眠っていいのは自分の子供か、緊急時か、一生添い遂げると決意した相手だけ。

 

 ハルトは全然わかっていない。

 この日のオルデヒアの決断と行動の意味を。

 

 愚かなことをしている、とオルデヒアも自分で思う。

 けれども、この底抜けにまっすぐで、だからこそ底抜けにポンコツになってしまったハルトが倒れたテントのなかから這い出てきたとき、オルデヒアは決めたのだ。

 

 コイツは自分の人生と能力の全てを、世界のために犠牲にさし出した。

 そのあとで、それなのに。

 だれも恨まず、見返りを求めず、生きていこうとしている。

 焼肉をしようとして七転八倒し、手を火傷し、モンスターに襲われたあげく、倒れたテントの下敷きになったりして。

 なんてみっともない。

 バカ丸出しだ。

 

 でも、みんな、知らない。

 いや、知ろうともしない。

 いま、こうして光り輝く世界がここにあるのは。

 この男が掴むはずであったろうぜんぶと引き換えだったんだ、ということを。

 

 だったら。

 せめて。

 

 わたしひとりくらい、この男のためにぜんぶを引き換えにしてやってもバチは当たらなくないか?

 そう……どうしようもなく思ってしまったのだ。

 

 震えるからだで、震えるからだを抱き返す。

 

 ごくり、というつばを飲み込む音がやたらと大きく響く。

 そうか、とオルデヒアは思う。

 ハルト、オマエはこの何十倍も何百倍もの恐怖と重圧の下で決断したんだな、と。

 

 胸が痛くなって、そのせいで、涙がとまらない。

 ハルト、とくちびるだけで名を呼ぶ。

 答えはない。

 恐いくらい静か。

 ただ、熱を取り戻してきた男のからだからは、炭火の残り香が立ち上る。

 ドッドッドッ、と熱くなった耳の奥で、自分の鼓動が早鐘を打つ。

 

 ああ、とオルデヒアは覚悟する。

 すべてを捧げる決意を。

 そして、

 


「ぐー」

「え?」



 だから、思わず声が出た。

 寝ていた。

 ハルトは。

 すごい勢いで、よだれを垂らして、バカ丸出しで。

 

「寝た」


 呆然とオルデヒアは呟く。

 それから、また大きく溜息をついた。

 

「オマエ……そういうところだぞ、いつも」と。






第2話:エルフと眠ろう! 完結です!

次話は、少々おまちください!


燦然のソウルスピナのほうを再開させますので(ぺこり)。

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