Epilogue 誰も知らないエンディング
その日、世界は歓喜に震えた。
ついに『勇者』が、魔女を倒したのだ。
人類存亡の危機を救ったのは、ロデリア魔法学院より選出された年若い少年少女たちの一行だった。
ヘンリック・ドレムラーは、自ら発明した魔法を駆使し、時空を歪めて敵を攪乱させ、
キース・グローヴァーは、あらゆる属性の黒魔法を使いこなすオールラウンダーとして適格に相手の弱点をついた攻撃を繰り出し、
マティアス・ローゼンダールは、その屈強な肉体と剣に纏わせた魔力で魔物の大群を一網打尽にし、
紅一点のフェリシア・ウィンザーは、希少な白魔法で仲間をサポートするとともに、炎の精霊を使役して敵を炎の渦に閉じ込めた。
そして――『勇者』エヴァルト・アディントンは、転移魔法で誰よりも速く魔女の元へたどり着き、底知れぬ強大な魔力と、緑の精霊より譲り受けた『精霊の剣』を用いて、魔女を打ち滅ぼした。
魔女を祓った後、立ち込めていた黒い邪悪な雲は一気に晴れ、大陸中に澄んだ青空が広がった。
――世界が待ち望んでいた瞬間だった。
その日、ようやく長い夜が明けたのだ。
「勇者よ、よくぞ戻った!」
王は長い旅を終え、登城した『勇者』一行を笑顔で出迎えた。
『勇者』は王の前に跪き、恭しく礼をした。
「お前たちなら必ずやり遂げると信じておった!ロデリアの皆もさぞ喜んでいることだろう!」
「ありがたきお言葉でございます」
「褒美に何がほしい?言ってみろ。宝石でも、城でも、街でも!なんでも構わないぞ!」
テンションの高い王は、そんなお決まりの文句を口にする。
しかし、紺色の髪の男は首を左右に振った。
「せっかくですが、褒美はいりません」
「なんと謙虚な!なんでもいいのだぞ?」
「いえ、私は私の使命を果たしたまでですので」
「ううむ……ああ、そうだ!」
――この男を我が国に仕えさせれば、国は盤石のものとなる。顔も相当な美男子でもあるし、きっと我が娘も喜んで一緒になってくれるだろう!
という下心満載の国の主は、次に自分の娘――王女との結婚を口に出そうとした、
その時、『勇者』はにこりと微笑み、王に向かってこう告げた。
「何もいらないから、早く学院に帰らせろ」
***
「久しぶり、アシュリー」
「……え、セルマ?」
私が話しかけると、茶髪の少女は目を丸くした。
あおむけにベッドに寝転がっていた彼女は、慌てて体を起こす。
「アンタ……こっち戻ってきたの?」
「うん。『勇者』のおかげで学院側に報奨金が入ったらしくて、寮費が安くなったから」
「ええ~、せっかくの一人部屋だったのに」
はあ、と大げさな仕草でため息をもらす元ルームメイト。
……いや、今日からは現ルームメイト。
「まあまあそう言わずに。またよろしくね」
「わかったわよ。こっちの棚片付けるから、どこかで暇潰してきて」
「うん、ありがと」
私は荷物を床におろし、アシュリーの掃除が終わるまでしばらく部屋を出ることにした。
「……あの子、なんか雰囲気変わったわね?」
掃除道具を手に取った彼女は、私が部屋を出た後にそんなことをつぶやいたと言う。
「あ、セルマ!なんか久しぶりだな!」
廊下を歩いていると、これまた見知った顔に出くわした。
魔薬師科の同級生、ライトだ。
「うん、久しぶり」
「なあ聞いたか?会長たち、ついに魔女を倒したらしいぜ!!」
ライト・ハルトマンは随分と興奮した様子で、手には朝から死ぬほど配られている号外新聞が握られていた。
「そうみたいだね、号外読んだよ」
「って、何でそんな落ち着いてんだよ!歴史的大ニュースだぜ、もっと、わーっとなるだろ、普通!」
「無事に帰ってきてくれてよかったなとは思うけど」
「……相変わらずのんきだよなあ、お前は」
まあセルマらしいけど、とライトは頭を掻いた。
「それよりライト、時間あるなら薬の勉強手伝ってくれない?」
「げっ、何でだよ?」
「魔薬師科の勉強を教えたい人がいるの。私も教えられるくらい理解しておかないと」
「ったく、真面目だなあ。世界が救われたんだぜ?こんな日くらい、勉強なんてしなくてもいーじゃねえか」
「――だからだよ」
「え?」
リリリリリン♪
とその時、『指輪』が高らかに鳴った。
発信源は私の左手の薬指で、チカチカと光りながらその存在を主張していた。
つるりとした金属の表面に刻まれた名前を見て、私はあ、と声をあげた。
「着信、誰からだ?」
「あー……ごめんライト、またね!」
「あ、おい!」
『指輪』の音が私を急かす。
なんだか浮足だってしまい、ライトの返事を待たずに走り出した。
「もしもし、先輩?どうしたんですか」
『……男の気配がした』
『指輪』に応答してすぐ、そんな低い声が返ってきてどきっとする。
思わず周囲を見渡したが、変わらない学院の風景が在るだけだった。
「あの。もしかして、私に追跡魔法でもかけてます?」
『何っ!本当なのか!?』
「なんだ、ただの勘ですか」
『質問に答えろ!今、男と一緒にいるのか!?』
「さっき別れましたよ。それも立ち話してただけですけど……」
『まったく油断も隙もない。これだから、セルマはひとりしておけないな』
「何を言ってるんですか」
『愛する彼女を護るため、当然のことだ』
出た。旅の途中も暇さえあれば通信してきて、三日に一度は語ってくる『愛』。
しかし、同級生の男子生徒と会話したくらいでそんなことを言われるのは、ちょっと面倒くさい。
人間の言うところの『愛』って、そんな窮屈なものなのだろうか?
やっぱり、ぜんぜん、よく分からない。
「『勇者』なのに、そんなに心が狭くていいですか?」
『だからそれはただの肩書だ、俺は元からそんなものどうでもいい』
「またそんなことを言って。学院中の生徒が先輩のことを尊敬しているのに」
『セルマからの尊敬ならほしいが、それ以外はいらない』
先輩はブレない。
暑苦しいくらいの熱量でこちらを求めてくる――いつも通り。
私は苦笑を漏らした。
「それで、一体どうしたんですか?王様の謁見は終わったんですか?」
『いや、もう少しで学院に着くところだ』
「え!?そうなんですか?」
私は仰天した。
確かフェリシアからもらった事前情報では、王への謁見、記念パーティ、城下町への凱旋パレードと、三日くらいは城に留まる予定だと聞いていたのだが。
……もしかして、先輩。全部ブッチした?
『はやくセルマに会いたかったんだ、悪いか?』
「わ、悪いってことではないですが、その、よかったんですか?」
『何度も言ってるだろ』
その時、ざあっと強い風が吹き、私の髪やローブを揺らした。
舞い上がった埃に思わず目を瞑る。
「お前が傍にいないと生きていけないんだ、俺は」
「え?」
今度は、男の声が『指輪』越しではなく肉声で聞こえた。
――それも、真上から。
ぐんぐん迫りくる影に、何事だろうと見上げた瞬間。
「セルマ!!」
「わあっ!?」
物凄い勢いでこちらに飛んできた飛行物体は、背後から私を掬い上げるように抱き着いた。
そして気付けば私はソレと一緒にふわりと地面から浮いていた。
「と、と、とんでる!?」
「そう、ヘンリックが新たに開発した『飛行魔法』だ!いいだろう?」
どんどん遠くなっていく地面に、気も遠くなる気がした。
耳元で嬉しそうに叫ぶのは、聞き慣れた……いやむしろ聞き飽きた男性の声だ。
「これでセルマがまたどこかに飛んでいっても、助けに行けるからな」
「そ、その予定は、今のところありませんけど」
「わからないぞ。お前はそんなことを言って、すぐに俺の前から消える」
だから捕まえておかないと、と彼は言い、私の耳にキスをした。
途端、ボッと火を噴いたように顔が熱くなる。
「あ、あ、あの!」
「ん?なんだ」
「一度下ろしてもらえませんか!あ、足がつかなくて、怖いです!」
「ああ、そうだな。悪い」
なんて、ちっとも悪くなさそうな口調で言った先輩は、ゆっくりと下降した。
無事に着陸し両足が地面に着いた時、私は腰から崩れ落ち――そうになったのを、『勇者』の男が支えてくれた。
「怖かったか?」
「ええ、トテモ」
「はは、悪かったよ。セルマを目にしたらどうも加減ができなくなってしまった」
と爽やかに笑う『勇者』に対し、口を尖らせる半分精霊。
『勇者』はなだめるように私の緑の髪を撫で、ゆっくりと抱きしめてきた。
「ただいま、セルマ」
「……おかえりなさい、エヴァ先輩」
「約束通り、魔女を倒した。もう恐怖におびえることはない」
「はい」
「……会いたかった、本当に」
その言葉には万感の想いがこめられていた――気がした。
その証拠に、私を抱きしめる彼の手は少し震えていた。
「はい、私も同じです」
と答えると、彼は少し眉を上げ、難しそうな表情を作った。
「……いいや、それはどうだろう。同じ『会いたい』でも、俺とお前では持っている感情の重さが違うだろう」
「ふふ。じゃあ、教えてください」
だって、あの時約束したから。
これからの未来を。
『魔女を倒す』という約束を彼が守ってくれたのだから、今度は私の番だ。
「貴方の『愛』。その感情を――この魔法学院で」
「ああ、もちろんだ」
と言って太陽のように眩しい笑顔を見せた男は、腕の中の緑の精霊にそっと口づけを落とした。
こうして世界を救った『勇者』は、地位や名誉、金銀財宝、その他あらゆる富を放棄し、代わりに彼だけの愛しい彼女と、魔法学院で過ごす道を選んだのでした。
THE END




